白文、書き下し文、日本語訳を併記しています。
子曰:「學而時習之,不亦說乎?有朋自遠方來,不亦樂乎?人不知而不慍,不亦君子乎?」
子曰く、「学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして慍らず、また君子ならずや。」
孔子は言った。「学び、それを適宜復習することは、なんと喜ばしいことではないか。志を同じくする友が遠方から訪れるのは、なんと楽しいことではないか。自分が世に認められなくとも腹を立てないのは、まさに君子ではないか。」
有子曰:「其為人也孝弟,而好犯上者,鮮矣;不好犯上,而好作亂者,未之有也。君子務本,本立而道生。孝弟也者,其為仁之本與!」
有子曰く、「その人となりや、孝にして弟ならば、上を犯すを好む者は鮮し。上を犯すを好まざれば、乱を作すを好む者、未だこれ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、これ仁の本ならずや。」
有子は言った。「親に孝行であり、兄や目上に従順である者で、目上に逆らうことを好む者はほとんどいない。目上に逆らうことを好まなければ、乱を引き起こすことを好む者もまたいない。君子はまず根本を大切にする。根本がしっかりしていれば、人の道が生まれる。孝行や兄弟に対する思いやりこそが、仁の根本ではないだろうか。」
子曰:「巧言令色,鮮矣仁。」
子曰く、「巧言令色、鮮し仁。」
孔子は言った。「口先がうまく、愛想の良い者には、仁の心がほとんどない。」
曾子曰:「吾日三省吾身:為人謀而不忠乎?與朋友交而不信乎?傳不習乎?」
曾子曰く、「吾、日に三たび吾が身を省みる。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。」
曾子は言った。「私は毎日三度、自分の行いを反省する。人のために考えたことが誠実であったかどうか。友と交わる時に誠意をもって接したかどうか。十分に身につけていないことを人に教えていないかどうか。」
子曰:「道千乘之國,敬事而信,節用而愛人,使民以時。」
子曰く、「千乗の国を道むるには、事を敬みて信あり、用を節みて人を愛し、民を使うに時をもってす。」
孔子は言った。「大国を治めるには、政治を慎み、誠実であること。無駄を省き、民を大切にすること。そして民を使役する際には、適切な時期を考慮することが大切である。」
子曰:「弟子入則孝,出則弟,謹而信,汎愛眾,而親仁。行有餘力,則以學文。」
子曰く、「弟子は、入りては孝、出でては弟。謹みて信あり。衆を汎く愛し、仁に親しむ。行いて余力あれば、すなわち文を学ぶ。」
孔子は言った。「弟子たる者は、家では親に孝行を尽くし、外では年長者を敬うべきである。慎み深く、誠実であり、人々を広く愛し、仁徳のある人に親しむべきである。それらを実践し、なお余力があれば、学問をすればよい。」
子夏曰:「賢賢易色,事父母能竭其力,事君能致其身,與朋友交言而有信。雖曰未學,吾必謂之學矣。」
子夏曰く、「賢を賢しとして色を易え、父母に事えて能くその力を竭くし、君に事えて能くその身を致し、朋友と交わりて言いて信あり。いまだ学ばずといえども、吾これを学ぶというべし。」
子夏は言った。「賢者を尊び、色欲を控え、父母に仕えて力を尽くし、君主に仕えて命を懸け、友と交わるときには誠実である。このような人は、たとえ学問をしていないと言われようとも、私は立派に学んでいると認める。」
子曰、君子不重則不威。学則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。
子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如からざる者を友とするなかれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ。
孔子は言った。「君子は重厚でなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。誠実で正直であることを肝要とし、自分より劣った者を友人とするな。過失を犯した際には改めることを躊躇するな」
曾子曰:「慎終追遠,民德歸厚矣。」
曾子曰く、「終わりを慎み、遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。」
曾子は言った。「亡くなった人を慎んで葬り、祖先を敬えば、民の徳は自然と厚くなる。」
子禽問於子貢曰:「夫子至於是邦也,必聞其政,求之與?抑與之與?」
子貢曰:「夫子溫、良、恭、儉、讓以得之。夫子之求之也,其諸異乎人之求之與?」
子禽、子貢に問いて曰く、「夫子、この邦に至れば、必ずその政を聞く。これを求むるか、抑れこれを与えらるるか。」
子貢曰く、「夫子、温かにして、良く、恭しく、倹しく、譲るをもってこれを得たり。夫子のこれを求むるや、人のこれを求むるに異ならんや。」
子禽が子貢に尋ねた。「先生はどの国に行っても、必ずその政治について知ることができる。それは自ら求めるのか、それとも人々が進んで教えるのか。」
子貢は答えた。「先生は温厚で善良、礼儀正しく、倹約家であり、謙虚である。その徳によって、自然と人々が教えてくれるのだ。先生の知識の得方は、普通の人の求め方とは違うのではないか。」
子曰:「父在,觀其志;父沒,觀其行;三年無改於父之道,可謂孝矣。」
子曰く、「父在せば、その志を観、父没くんば、その行いを観る。三年、父の道を改むること無くんば、孝と謂うべし。」
孔子は言った。「父が生きている間は、その志を見守り、父が亡くなった後は、その行いを観察する。三年間、父の生き方を変えずに守ることができれば、それは孝行といえる。」
有子曰:「禮之用,和為貴。先王之道斯為美,小大由之。有所不行,知和而和,不以禮節之,亦不可行也。」
有子曰く、「礼の用いは、和を貴ぶ。先王の道、これを美とす。小にも大にもこれに由る。行うべからざるところあり。和を知りて和するといえども、礼をもってこれを節せざれば、また行うべからざるなり。」
有子は言った。「礼の根本は調和を大切にすることだ。昔の聖王たちもこれを最も尊んだ。大きなことも小さなことも、すべてこの原則に従うべきだ。しかし、ただ和を求めるだけで、礼による節度がなければ、それもまた正しくはない。」
有子曰:「信近於義,言可復也;恭近於禮,遠恥辱也;因不失其親,亦可宗也。」
有子曰く、「信は義に近ければ、言復すべし。恭は礼に近ければ、恥辱を遠ざく。因るにその親を失わざれば、また宗とすべし。」
有子は言った。「誠実さが義に基づいていれば、言葉に責任を持つことができる。恭しさが礼に基づいていれば、恥をかくこともない。頼るべき相手を見誤らなければ、それは立派な行いといえる。」
子曰:「君子食無求飽,居無求安,敏於事而慎於言,就有道而正焉,可謂好學也已。」
子曰わく、「君子は食して飽きを求めず、居して安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就きてこれを正す。これを好学と謂うべきのみ。」
孔子は言った。「君子は食事において満腹を求めず、住まいにおいて快適さを求めず、仕事には機敏に取り組み、言葉には慎重であり、道を学ぶ者に従って自らを正す。このような人をこそ学びを愛する者と呼ぶべきだ。」
子貢曰:「貧而無諂,富而無驕,何如?」
子曰:「可也。未若貧而樂,富而好禮者也。」
子貢曰:「《詩》云:『如切如磋,如琢如磨。』其斯之謂與?」
子曰:「賜也,始可與言詩已矣!告諸往而知來者。」
子貢曰わく、「貧しくして諂わず、富みて驕らずは、いかん。」
子曰わく、「可なり。いまだ貧しくして楽しみ、富みて礼を好む者にはしかず。」
子貢曰わく、「《詩》に曰く、『切るがごとく磋くがごとく、琢がごとく磨くがごとく』と。これ、すなわちこれを謂うか。」
子曰わく、「賜や、始めてもって詩を語るべしとなす!これを告げて往を知りて来るを知る者なり。」
子貢が言った。「貧しくても媚びず、富んでも傲らないというのは、どうでしょうか。」
孔子は言った。「それは良いことだ。しかし、貧しくても楽しみ、富んでも礼儀を大切にする者には及ばない。」
子貢が言った。「《詩経》に、『切って磨き、琢って磨く』とありますが、これはそのことを指しているのではないでしょうか。」
孔子は言った。「子貢よ、お前はようやく詩を語るにふさわしい者となった!過去のことを学んで未来を知ることができる者だ。」
子曰:「不患人之不己知,患不知人也。」
子曰く、「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。」
孔子は言った。「自分が世間に認められないことを憂えるのではなく、自分が他人を理解できていないことを憂うべきである。」
子曰:「爲政以德,譬如北辰,居其所,而眾星共之。」
子曰く、「政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰のごとし。その所に居りて、而も衆星これに共う。」
孔子は言った。「政治を行うには、徳をもってするのがよい。それはちょうど北極星のようなもので、定まった位置にあって、他のすべての星がそれに向かって巡るようなものだ。」
子曰:「詩三百,一言以蔽之,曰思無邪。」
子曰く、「詩三百、一言を以てこれを蔽えば、曰く、『思い邪なし』。」
孔子は言った。「『詩経』三百篇の内容を一言でまとめるならば、『思いに邪心がない』ということだ。」
子曰:「道之以政,齊之以刑,民免而無恥;道之以德,齊之以禮,有恥且格。」
子曰く、「これを道くに政を以てし、これを斉うるに刑を以てすれば、民免れても恥なし。これを道くに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格し。」
孔子は言った。「人々を導くのに政治を用い、統制するのに刑罰を用いると、人々は刑罰を免れることを願うばかりで恥を感じない。しかし、徳によって導き、礼によって統制すれば、人々は恥を知り、正しい行いをするようになる。」
子曰:「吾十有五而志于學;三十而立;四十而不惑;五十而知天命;六十而耳順;七十而從心所欲,不踰矩。」
子曰く、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。」
孔子は言った。「私は十五歳で学問に志し、三十歳で独立し、四十歳で迷わなくなり、五十歳で天命を知り、六十歳で人の言葉が素直に聞けるようになり、七十歳では自分の欲するままに行動しても、道を外れなくなった。」
孟懿子問孝。子曰:「無違。」樊遲御,子吿之曰:「孟孫問孝於我,我對曰:『無違。』」樊遲曰:「何謂也?」子曰:「生,事之以禮;死,葬之以禮,祭之以禮。」
孟懿子、孝を問う。子曰く、「違うこと無かれ。」
樊遲、御す。子これに告げて曰く、「孟孫、孝を我に問う。我対えて曰く、『違うこと無かれ』と。」
樊遲曰く、「何の謂いぞや。」
子曰く、「生きてはこれを礼を以て事え、死してはこれを礼を以て葬り、礼を以て祭れ。」
孟懿子が孝について尋ねた。孔子は「親に背かないことだ」と答えた。
樊遲が車を御していたとき、孔子は彼に話した。「孟孫が孝について尋ねたので、私は『親に背かないことだ』と答えた。」
樊遲は「それはどういう意味でしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「生きている間は礼をもって仕え、亡くなった後は礼をもって葬り、礼をもって祭ることだ。」
孟武伯問孝。子曰:「父母,唯其疾之憂。」
孟武伯、孝を問う。子曰く、「父母は、唯その疾を憂う。」
孟武伯が孝について尋ねた。孔子は「親が心配するのはただ子の病気だけだ」と答えた。
子游問孝。子曰:「今之孝者,是謂能養。至於犬馬,皆能有養。不敬,何以別乎?」
子游、孝を問う。子曰く、「今の孝なる者は、これを能く養うと謂う。犬馬に至るまで、皆よく養うこと能わずや。敬せずんば、何を以てこれを別たんや。」
子游が孝について尋ねた。孔子は言った。「今の世の孝とは、親を養うことができるかどうかだけを言う。しかし、犬や馬でさえ養うことはできる。もし敬意がなければ、それと何の違いがあるというのか。」
子夏問孝。子曰:「色難。有事,弟子服其勞;有酒食,先生饌。曾是以爲孝乎?」
子夏、孝を問う。子曰く、「色、難し。有事、弟子はその労に服し、有るいは酒食、先生に饌す。曾ちこれを以て孝と為すか。」
子夏が孝について尋ねた。孔子は言った。「孝行で最も難しいのは態度だ。何か用事があれば、弟子はその労を担い、酒や食事があれば年長者に供する。しかし、それだけで孝と言えるだろうか。」
子曰:「吾與回言終日,不違如愚。退而省其私,亦足以發。回也不愚。」
子曰く、「吾、回と言ること終日なれども、違わざること愚のごとし。退きてその私を省みれば、また以て発するに足る。回や、愚にあらず。」
孔子は言った。「私は顔回と一日中話をしても、彼はまるで何も反論しない愚か者のように見える。しかし、後で彼が自分の考えを省みると、それが十分に発展しているのが分かる。顔回は決して愚かではない。」
子曰:「視其所以,觀其所由,察其所安,人焉廋哉!人焉廋哉!」
子曰く、「その以す所を視、その由る所を観、その安んずる所を察す。人、焉んぞ廋れんや!人、焉んぞ廋れんや!」
孔子は言った。「人の行動を見て、その動機を観察し、どこに安らぎを感じているかを察すれば、その人がどんな人物であるかは隠しようがない。どうして隠れられようか!」
子曰:「溫故而知新,可以爲師矣。」
子曰く、「故きを温ねて新しきを知れば、もって師と為るべし。」
孔子は言った。「過去のことを学び、それをもとに新しい知識を得ることができれば、人は教師となる資格がある。」
子曰:「君子不器。」
子曰く、「君子は器ならず。」
孔子は言った。「君子は特定の器(道具)のように一つの用途に限られる存在ではない。」
子貢問君子。子曰:「先行其言,而後從之。」
子貢、君子を問う。子曰く、「まずその言を行い、而る後にこれに従う。」
子貢が君子について尋ねた。孔子は言った。「まず自ら行動してから、その言葉を発するものだ。」
子曰:「君子周而不比,小人比而不周。」
子曰く、「君子は周して比せず。小人は比して周せず。」
孔子は言った。「君子は広く人と交わるが、派閥を作らない。小人は派閥を作るが、広く人と交わることはない。」
子曰:「學而不思則罔,思而不學則殆。」
子曰く、「学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし。」
孔子は言った。「学んでも考えなければ理解できず、考えても学ばなければ危うい。」
子曰:「攻乎異端,斯害也已。」
子曰く、「異端を攻すは、斯害あるのみ。」
孔子は言った。「異端の学問に深入りすることは害になるだけだ。」
子曰:「由,誨女知之乎!知之爲知之,不知爲不知,是知也。」
子曰く、「由よ、女にこれを知るを誨えんか!これを知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知なり。」
孔子は言った。「由よ、お前に知るということを教えよう。知っていることを知っていると言い、知らないことを知らないと言う。それが本当の知である。」
子張學干祿。子曰:「多聞闕疑,愼言其餘,則寡尤;多見闕殆,愼行其餘,則寡悔。言寡尤,行寡悔,祿在其中矣。」
子張、祿を干めんと学ぶ。子曰く、「多く聞きて疑わしきを闕き、慎みてその余を言えば、則ち尤め寡なし。多く見て殆うきを闕き、慎みてその余を行えば、則ち悔い寡なし。言に尤少なく、行に悔少なければ、禄はその中に在り。」
子張が官職を得ようとして学んでいた。孔子は言った。「多くのことを聞いても疑わしいことは除き、慎重に余計なことを言わなければ、過ちが少なくなる。多くのことを見ても危険なことは避け、慎重に行動すれば、後悔も少なくなる。言葉に過ちが少なく、行いに後悔が少なければ、官職(報酬)は自然に得られる。」
哀公問曰:「何爲則民服?」孔子對曰:「擧直錯諸枉,則民服;擧枉錯諸直,則民不服。」
哀公問いて曰く、「何を為せば則ち民服がわん?」
孔子対えて曰く、「直を挙げてこれを枉に錯けば、則ち民服す。枉を挙げてこれを直に錯けば、則ち民服せず。」
魯の哀公が尋ねた。「どうすれば民は従いますか?」
孔子は答えた。「正しい者を登用し、不正な者を抑えれば、民は従う。不正な者を登用し、正しい者を抑えれば、民は従わない。」
季康子問:「使民敬忠以勸,如之何?」
子曰:「臨之以莊,則敬;孝慈,則忠;擧善而教不能,則勸。」
季康子問いて曰く、「民をして敬忠にして勧ましむるには、これを如何せん?」
子曰く、「これに臨むに荘を以てすれば、則ち敬す。孝慈あれば、則ち忠なり。善を挙げて、能わざる者を教うれば、則ち勧む。」
季康子が尋ねた。「民が敬意を持ち、忠義を尽くし、励むようにするにはどうすればよいでしょうか?」
孔子は答えた。「彼らに対して厳正な態度で臨めば、敬意を持つようになる。孝行と慈愛があれば、忠義を尽くすようになる。優れた者を登用し、能力のない者を教育すれば、人々は励むようになる。」
或謂孔子曰:「子奚不爲政?」
子曰:「《書》云:『孝乎惟孝,友於兄弟。』施於有政,是亦爲政,奚其爲爲政?」
或ひと孔子に謂いて曰く、「子奚ぞ政を為さざる?」
子曰く、「『書』に云わく、『孝なるかな、惟だ孝、兄弟に友なり。』と。これを政に施せば、是れまた政を為すなり。奚ぞその政を為すを為さん?」
ある人が孔子に尋ねた。「先生はなぜ政治をしないのですか?」
孔子は答えた。「『書経』に『孝であることは、まさに孝、兄弟に親しむことだ』とある。これを政治に応用すれば、それも政治を行うことになる。なぜわざわざ政治を行う必要があるのか?」
子曰:「人而無信,不知其可也。大車無輗,小車無軏,其何以行之哉?」
子曰く、「人にして信無くんば、其の可なるを知らず。大車に輗無く、小車に軏無くんば、その何を以てこれを行わんや。」
孔子は言った。「人に信用がなければ、その人が成り立つとは思えない。大きな車に輗(ながえの固定具)がなく、小さな車に軏(車軸の固定具)がなければ、それはどうやって進むことができるのか?」
子張問:「十世可知也?」
子曰:「殷因於夏禮,所損益可知也;周因於殷禮,所損益可知也;其或繼周者,雖百世可知也。」
子張問いて曰く、「十世、知るべきか?」
子曰く、「殷は夏の礼に因る。損益する所、知るべし。周は殷の礼に因る。損益する所、知るべし。その周を継ぐ者あるときは、百世と雖も知るべし。」
子張が尋ねた。「十世先のことを知ることはできますか?」
孔子は答えた。「殷は夏の礼に基づき、その変化を知ることができる。周は殷の礼に基づき、その変化を知ることができる。だから、もし周の後に続く者があるなら、百世先のことも知ることができる。」
子曰:「非其鬼而祭之,諂也。見義不爲,無勇也。」
子曰く、「その鬼に非ずしてこれを祭るは、諂いなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。」
孔子は言った。「自分に関係のない霊を祭るのは、へつらいである。正しいことを見て行動しないのは、勇気がないことである。」
孔子謂季氏:「八佾舞於庭。是可忍也,孰不可忍也!」
孔子、季氏に謂いて曰く、「八佾、庭に舞う。これを忍ぶべくんば、孰か忍ぶべからざらん!」
孔子は季氏に言った。「八佾の舞を私邸で演じるとは何事か。これを我慢できるなら、他に何を我慢できないことがあるだろうか!」
三家者,以雍徹。子曰:「『相維辟公,天子穆穆。』奚取於三家之堂?」
三家、雍を以て徹す。
子曰く、「『相維ぐ辟公、天子穆穆たり』。奚ぞ三家の堂に取りてこれを言わん?」
三家(季氏・孟氏・叔孫氏)が雍の楽曲を用いて祭祀を行った。
孔子は言った。「『王を補佐する公侯、天子は厳かである』とあるが、それがなぜ三家の私邸で行われるのか?」
子曰:「人而不仁,如禮何?人而不仁,如樂何?」
子曰く、「人にして仁無くんば、礼を如何せん?人にして仁無くんば、楽を如何せん?」
孔子は言った。「人に仁がなければ、礼は何の役に立つのか? 人に仁がなければ、音楽は何の意味があるのか?」
林放問禮之本。子曰:「大哉問!禮,與其奢也,寧儉;喪,與其易也,寧戚。」
林放、礼の本を問う。
子曰く、「大いなるかな、この問い!礼は、その奢るよりは、寧ろ儉ならん。喪、その易きよりは、寧ろ戚まん。」
林放が礼の根本について尋ねた。
孔子は言った。「なんと大切な問いか! 礼は華美であるよりも、むしろ質素であるべきだ。葬儀は形式的であるよりも、むしろ心から哀しむべきだ。」
子曰:「夷狄之有君,不如諸夏之亡也。」
子曰く、「夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず。」
孔子は言った。「異民族が君主を持っていることは、中華の国々が無秩序であることよりもましだ。」
季氏旅於泰山。子謂冉有曰:「女弗能救與?」對曰:「不能。」子曰:「嗚呼!曾謂泰山不如林放乎?」
季氏、泰山に旅す。
子、冉有に謂いて曰く、「女、これを救うこと能わざるか?」
対えて曰く、「能わず。」
子曰く、「嗚呼!曾ち泰山は林放に如かざると謂うか?」
季氏が泰山で不適切な儀式を行った。
孔子は冉有に尋ねた。「お前はこれを止めることができなかったのか?」
冉有は答えた。「できませんでした。」
孔子は嘆いた。「ああ、それなら泰山の神は、礼を知らない林放よりも価値がないというのか?」
子曰:「君子無所爭,必也射乎!揖讓而升,下而飮,其爭也君子。」
子曰く、「君子は争う所無し。必ずや射なるか!揖讓して升り、下りて飲む。その争うや、君子なり。」
孔子は言った。「君子は基本的に争わない。もし争うとすれば、それは弓の試合くらいだ。お互いに礼を尽くし、礼儀正しく昇り、試合の後はまた共に酒を酌み交わす。その争い方こそ君子のものだ。」
子夏問曰:「『巧笑倩兮,美目盼兮,素以爲絢兮。』何謂也?」
子曰:「繪事後素。」
曰:「禮後乎?」
子曰:「起予者商也,始可與言《詩》已矣。」
子夏問いて曰く、「『巧笑倩たり、美目盼たり、素を以て絢を為す』とは、何の謂いぞや?」
子曰く、「繪事は素の後なり。」
曰く、「礼もまた後なるか?」
子曰く、「予を起す者は商なり。始めてもって《詩》を言ぶべきのみ。」
子夏が尋ねた。「『美しく笑い、魅力的な目をして、白い布地が絢爛たる彩りを生み出す』とはどういう意味でしょうか?」
孔子は答えた。「絵画の仕事は、まず白い下地を作ってから色を施すものだ。」
子夏はさらに尋ねた。「礼もまた後から加えるものなのでしょうか?」
孔子は言った。「商よ、お前は私を目覚めさせてくれた。これでようやく詩について語ることができるようになった。」
子曰:「夏禮,吾能言之,杞不足徵也;殷禮,吾能言之,宋不足徵也。文獻不足故也,足,則吾能徵之矣。」
子曰く、「夏の礼、吾これを言う能うも、杞徵するに足らず。殷の礼、吾これを言う能うも、宋徵するに足らず。文献足らざるが故なり。足らば、則ち吾徵すること能わん。」
孔子は言った。「私は夏の礼について語ることができるが、杞の国に証拠が十分に残っていない。同じく、私は殷の礼について語ることができるが、宋の国に証拠が十分に残っていない。これは、文献が不足しているためである。もし十分に残っていれば、私はそれを証明することができるのに。」
子曰:「禘自既灌而往者,吾不欲觀之矣。」
子曰く、「禘は、既に灌してより往は、吾、これを観るを欲せず。」
孔子は言った。「大祭(禘)の儀式は、灌礼(酒を注ぐ儀式)が終わった後の部分については、私は見たいとは思わない。」
或問「禘」之說。子曰:「不知也。知其說者之於天下也,其如示諸斯乎?」指其掌。
或ひと、「禘」の説を問う。
子曰く、「知らざるなり。その説を知る者の天下にあるや、これを斯に示すが如きか?」と、その掌を指す。
ある人が「禘の祭りの意味」について尋ねた。
孔子は答えた。「私には分からない。だが、それを本当に理解している者がいるならば、手のひらを示すように明快に説明できるだろう。」
祭如在,祭神如神在。子曰:「吾不與祭,如不祭。」
祭ること在るが如くし、神を祭ること神の在るが如くす。
子曰く、「吾、祭りに与らざれば、祭らざるが如し。」
「祭りは祖先が実際にそこにいるかのように行うべきであり、神を祭るときも神がそこにいるかのように行うべきである。」
孔子は言った。「私は祭りに直接関与しなければ、それは祭りを行わないのと同じだと感じる。」
王孫賈問曰:「『與其媚於奧,寧媚於竈。』何謂也?」
子曰:「不然。獲罪於天,無所禱也。」
王孫賈、問いて曰く、「『其の奧に媚びるよりは、寧ろ竈に媚びよ』とは、何の謂いぞや?」
子曰く、「然らず。天に獲罪せば、禱る所無し。」
王孫賈が尋ねた。「『奥深い所にいる神に媚びるよりは、むしろ竈の神に媚びよ』とは、どういう意味ですか?」
孔子は答えた。「そうではない。天に罪を得れば、どこにも祈る場所はないのだ。」
子曰:「周監於二代,郁郁乎文哉!吾從周。」
子曰く、「周は二代を監み、郁郁として文なり。吾、周に従わん。」
孔子は言った。「周王朝は夏・殷の二つの時代を鑑みて、文化を豊かに発展させた。私は周の制度に従う。」
子入太廟,每事問。或曰:「孰謂鄹人之子知禮乎?入太廟,每事問。」
子聞之,曰:「是禮也!」
子、太廟に入り、毎事に問う。
或ひと曰く、「孰か謂う、鄹人の子、礼を知ると?太廟に入りて、毎事に問う。」
子、これを聞きて曰く、「是、礼なり。」
孔子が太廟に入り、事あるごとに質問していた。
ある人が言った。「鄹(すう)の生まれの孔子が礼を知っているというが、本当にそうだろうか? 彼は太廟に入ると、何から何まで質問しているではないか。」
孔子はそれを聞いて言った。「それこそが礼なのだ。」
子曰:「射不主皮,爲力不同科,古之道也。」
子曰く、「射は皮を主とせず。力の科を同じくせざるがためなり。古の道なり。」
孔子は言った。「弓術では的の皮を貫くことを目的とはしない。それぞれの力が異なるからである。これは昔からの道理なのだ。」
子貢欲去吿朔之餼羊。子曰:「賜也!爾愛其羊,我愛其禮。」
子貢、告朔の餼羊を去てんと欲す。
子曰く、「賜よ!爾はその羊を愛す、我はその礼を愛す。」
子貢は「毎月初めの儀式で供える羊をやめたい」と言った。
孔子は答えた。「子貢よ、お前は羊を惜しむが、私はその礼を大切にしたい。」
子曰:「事君盡禮,人以爲諂也。」
子曰く、「君に事うるに礼を尽くせば、人これを諂いと為す。」
孔子は言った。「君主に仕えるときに礼を尽くすと、人はそれをへつらいとみなすものだ。」
定公問:「君使臣,臣事君,如之何?」
孔子對曰:「君使臣以禮,臣事君以忠。」
定公問いて曰く、「君、臣を使い、臣、君に事うること、これを如何せん?」
孔子対えて曰く、「君は臣を礼を以て使い、臣は君に忠を以て事うる。」
魯の定公が尋ねた。「君主が臣下を使い、臣下が君主に仕えるには、どうすればよいか?」
孔子は答えた。「君主は礼をもって臣下を扱い、臣下は忠をもって君主に仕えるべきです。」
子曰:「《關雎》,樂而不淫,哀而不傷。」
子曰く、「《関雎》(かんしょ)は、楽しめども淫せず、哀しめども傷まざる。」
孔子は言った。「『関雎』の詩は、楽しさがあっても乱れることなく、哀しみがあっても過度に悲しむことがない。」
哀公問社於宰我。
宰我對曰:「夏后氏以松,殷人以柏,周人以栗。曰:『使民戰栗。』」
子聞之,曰:「成事不說,遂事不諫,既往不咎。」
哀公、社を宰我に問う。
宰我対えて曰く、「夏后氏は松を以てし、殷人は柏を以てし、周人は栗を以てす。曰く、『民をして戦栗せしむ』と。」
子、これを聞きて曰く、「成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず。」
魯の哀公が「社(神を祀る木)」について宰我に尋ねた。
宰我は答えた。「夏の王朝は松を、殷の王朝は柏を、周の王朝は栗を用いました。『民が戦々恐々とするように』との意味です。」
孔子はそれを聞いて言った。「すでに終わったことは論じない。すでに進んでいることは諫めない。過去のことは責めない。」
子曰:「管仲之器小哉!」
或曰:「管仲儉乎?」
曰:「管氏有三歸,官事不攝,焉得儉?」
「然則管仲知禮乎?」
曰:「邦君樹塞門,管氏亦樹塞門。邦君爲兩君之好,有反坫,管氏亦有反坫。管氏而知禮,孰不知禮?」
子曰く、「管仲の器小ならんかな!」
或ひと曰く、「管仲は倹約なりや?」
曰く、「管氏、三帰を有ち、官事を攝せず。焉んぞ倹約を得ん?」
「然らば則ち、管仲は礼を知れるか?」
曰く、「邦君、塞門を樹つ。管氏もまた塞門を樹つ。邦君、両君の好を為し、反坫を有つ。管氏もまた反坫を有つ。管氏もって礼を知るならば、孰か礼を知らざらん?」
孔子は言った。「管仲の器は小さいものだ!」
ある人が尋ねた。「管仲は倹約家でしたか?」
孔子は答えた。「管氏は三つの帰属地を持ち、公務を兼務することもなかった。どうして倹約家であったと言えるのか?」
さらに尋ねた。「それでは管仲は礼を知っていましたか?」
孔子は答えた。「諸侯は門に塞(せき)を設けるが、管氏もそれを設けていた。諸侯が他国の君主との交流のために酒器(反坫)を備えるが、管氏もそれを持っていた。もし管仲が礼を知っていると言うなら、誰が礼を知らないと言えるのか?」
子語魯大師樂,曰:「樂其可知也。始作,翕如也。從之,純如也,皦如也,繹如也。以成。」
子、魯の大師に楽を語りて曰く、「楽はその知るべきものなり。始めて作せば、翕如たり。これに従えば、純如たり。皦如たり。繹如たり。そして成る。」
孔子が魯の音楽家に語った。「音楽は理解することができるものだ。最初に始めると調和し、続けていくと純粋で、明るく、流れるようになる。そして完成する。」
儀封人請見,曰:「君子之至於斯也,吾未嘗不得見也。」
從者見之。出曰:「二三子,何患於喪乎?天下之無道也久矣,天將以夫子爲木鐸。」
儀封人、見えんことを請い、曰く、「君子の斯に至るや、吾、未嘗て見えざること無し。」
従者、これを見えしむ。出でて曰く、「二三子、何ぞ喪を患うるや?天下の無道、久し。天、将に夫子を以って木鐸と為さんとす。」
儀封(国の役人)が孔子に会いたいと願い出て言った。「君子がこの地に来たとき、私はこれまで一度も会えなかったことはない。」
従者が孔子に引き合わせた。
役人は言った。「皆よ、何を嘆いているのか? 世の中が乱れて久しい。天は孔子先生を世を導く鐘(木鐸)としようとしているのだ。」
子謂韶:「盡美矣,又盡善也。」
謂武:「盡美矣,未盡善也。」
子、韶を謂いて曰く、「尽く美なり、又尽く善なり。」
武を謂いて曰く、「尽く美なり、未だ尽く善ならず。」
孔子は韶(舜の音楽)について言った。「これは完全に美しく、さらに完全に善い。」
また武(周の武王の音楽)について言った。「これは完全に美しいが、まだ完全に善いとは言えない。」
子曰:「居上不寬,爲禮不敬,臨喪不哀,吾何以觀之哉!」
子曰く、「上に居りて寬ならず、礼を為して敬ならず、喪に臨みて哀しまずんば、吾何を以ってこれを観んや!」
孔子は言った。「上に立つ者が寛容でなく、礼を行っても敬意がなく、喪に臨んでも哀しまないのならば、私はその者をどう見ればよいのだろうか!」
子曰:「里仁爲美。擇不處仁,焉得知?」
子曰く、「仁に里るを美しと為す。択びて仁に処らざれば、焉んぞ知を得ん。」
孔子は言った。「仁のある場所に住むのが最もよい。もし選択肢がありながら仁のある場所に住まなければ、どうして賢いと言えるだろうか。」
子曰:「不仁者,不可以久處約,不可以長處樂。仁者安仁,知者利仁。」
子曰く、「不仁なる者は、久しく約に処るべからず。長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す。」
孔子は言った。「仁のない者は、困窮した状況に長く耐えられず、また長く安楽な状態にもとどまることができない。しかし、仁者は仁に安んじ、知者は仁の恩恵を活かす。」
子曰:「惟仁者能好人,能惡人。」
子曰く、「惟だ仁者のみ、人を好み、人を悪むこと能う。」
孔子は言った。「本当に仁のある者だけが、人を正しく愛し、また正しく憎むことができる。」
子曰:「苟志於仁矣,無惡也。」
子曰く、「苟くも仁に志せば、悪無し。」
孔子は言った。「もし真に仁を志すならば、悪はなくなる。」
子曰:「富與貴,是人之所欲也,不以其道得之,不處也。貧與賤,是人之所惡也;不以其道得之,不去也。君子去仁,惡乎成名?君子無終食之閒違仁,造次必於是,顚沛必於是。」
子曰く、「富と貴きは、これ人の欲する所なり。その道を以ってこれを得ざれば、処らず。貧と賤しきは、これ人の悪む所なり。その道を以ってこれを得ざれば、去らず。君子、仁を去りて、悪くんぞ名を成さん?君子は終食の閒も仁に違わず。造次にも必ずこれにおり、顛沛にも必ずこれにおる。」
孔子は言った。「富と地位は人が望むものであるが、正しい道によらなければそれを得ても留まることはできない。貧しさや卑しい身分は人が嫌うものであるが、正しい道によらなければそれを避けることはできない。君子が仁を捨てたら、どうして立派な名を成し得るだろうか? 君子は、一食の間であっても仁を離れず、緊急時にも必ず仁に基づき、困難なときにも必ず仁を守る。」
子曰:「我未見好仁者,惡不仁者。好仁者,無以尙之;惡不仁者,其爲仁矣。不使不仁者加乎其身。有能一日用其力於仁矣乎?我未見力不足者!蓋有之矣,我未之見也。」
子曰く、「我、未だ仁を好み、不仁を悪む者を見ず。仁を好む者は、これを尚ぶに無し。不仁を悪む者は、すでに仁を為すなり。不仁なる者をして、その身に加えしめず。一日も能くその力を仁に用うる者有らんか?我、未だ力足らざる者を見ず。蓋し、これ有るなり。我未だこれを見ざるなり。」
孔子は言った。「私はまだ、本当に仁を愛し、不仁を憎む人を見たことがない。仁を愛する者には、これ以上のものはない。不仁を憎む者は、すでに仁を実践している。不仁な者に影響されないことが大切だ。もし一日でも全力で仁を実践する者がいるならば、それを見てみたい。私は今まで、力が足りなくて仁を実践できない者を見たことがない。きっと存在するのだろうが、私はまだ見たことがない。」
子曰:「人之過也,各於其黨。觀過,斯知仁矣。」
子曰く、「人の過つや、各その党においてなり。過を観れば、すなわち仁を知る。」
孔子は言った。「人の過ちは、それぞれの属する集団の影響を受ける。人の過ちをよく観察すれば、その人の仁の程度が分かる。」
子曰:「朝聞道,夕死可矣!」
子曰く、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。」
孔子は言った。「もし朝に真理を知ることができるならば、夕方に死んでも悔いはない。」
子曰:「士志於道,而恥惡衣惡食者,未足與議也!」
子曰く、「士、道に志し、悪衣・悪食を恥ずる者は、未だもって議るに足らず。」
孔子は言った。「学ぶ者が道に志しながら、粗末な衣服や食事を恥じるようでは、議論するに値しない。」
子曰:「君子之於天下也,無適也,無莫也,義之與比。」
子曰く、「君子の天下におけるや、適無く、莫無く、義に与す。」
孔子は言った。「君子は天下において特定の立場を持たず、また無視もしない。ただ義に基づいて行動する。」
子曰:「君子懷德,小人懷土;君子懷刑,小人懷惠。」
子曰く、「君子は徳を懷い、小人は土を懷う。君子は刑を懷い、小人は惠を懷う。」
孔子は言った。「君子は徳を大切にし、小人は土地を大切にする。君子は法を重んじ、小人は恩恵ばかりを求める。」
子曰:「放於利而行,多怨。」
子曰く、「利に放りて行えば、怨み多し。」
孔子は言った。「利益を優先して行動すると、多くの恨みを買うことになる。」
子曰:「能以禮讓爲國乎,何有?不能以禮讓爲國,如禮何?」
子曰く、「能く礼譲を以って国を為むるか、何ぞ有らん?能わずして礼譲を以って国を為さざれば、礼を如何せん。」
孔子は言った。「もし礼と譲り合いによって国を治めることができるなら、何の問題があるだろうか? もしそれができないのなら、礼をどう用いるというのか?」
子曰:「不患無位,患所以立。不患莫己知,求爲可知也。」
子曰く、「位無きを患えず、もって立つ所以を患う。己を知る莫きを患えず、知るべき者たらんことを求む。」
孔子は言った。「地位がないことを心配するのではなく、地位にふさわしい実力を持つことを心配すべきである。自分を認める者がいないことを嘆くのではなく、認められるに足る人物になることを求めるべきである。」
子曰:「參乎!吾道一以貫之。」
曾子曰:「唯。」
子出,門人問曰:「何謂也?」
曾子曰:「夫子之道,忠恕而已矣!」
子曰く、「参や!吾の道は一を以ってこれを貫く。」
曾子曰く、「唯。」
子、出ず。門人、問いて曰く、「何の謂いぞや?」
曾子曰く、「夫子の道は、忠恕のみ。」
孔子は言った。「参(曾子)よ! 私の道は、一つの原理で貫かれているのだ。」
曾子は「はい」と答えた。
孔子が去った後、弟子たちが曾子に尋ねた。「先生はどういう意味でおっしゃったのですか?」
曾子は答えた。「先生の道は、忠(真心を尽くすこと)と恕(思いやり)の二つに尽きる。」
子曰:「君子喻於義,小人喻於利。」
子曰く、「君子は義に喩り、小人は利に喩る。」
孔子は言った。「君子は義(正義)を理解し、小人は利益を理解する。」
子曰:「見賢思齊焉,見不賢而內自省也。」
子曰く、「賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。」
孔子は言った。「優れた人を見たら、自分もそうなろうと努力し、劣った人を見たら、自分も同じ過ちを犯していないか反省する。」
子曰:「事父母幾諫;見志不從,又敬而不違,勞而不怨。」
子曰く、「父母に事うるに幾かに諫む。志の従われざるを見ては、また敬いて違わず、労して怨まず。」
孔子は言った。「父母に仕えるときは、そっと諫める。もし意見を聞き入れてもらえなくても、なお敬意を持ち、反抗せず、尽くしても恨みを抱かないことが大切である。」
子曰:「父母在,不遠遊;遊必有方。」
子曰く、「父母在せば、遠く遊ばず。遊ぶには必ず方あり。」
孔子は言った。「父母が健在の間は遠くへ旅立たない。どうしても出かける場合は、必ず行き先を明らかにしておく。」
子曰:「三年無改於父之道,可謂孝矣。」
子曰く、「三年、父の道を改むること無ければ、孝と謂うべし。」
孔子は言った。「父が亡くなってから三年間、その教えを変えずに守るならば、それは孝といえる。」
子曰:「父母之年,不可不知也。一則以喜,一則以懼。」
子曰く、「父母の年は、知らざるべからず。一つには以って喜び、一つには以って懼る。」
孔子は言った。「父母の年齢を忘れてはならない。一つには長生きを喜び、もう一つには老いゆくことを恐れるからである。」
子曰:「古者言之不出,恥躬之不逮也。」
子曰く、「古の者は、言を出ださず。躬を以ってこれに逮ばざるを恥ず。」
孔子は言った。「昔の人は軽々しく発言しなかった。それは、自分の行いがその言葉に及ばないことを恥じたからである。」
子曰:「以約失之者,鮮矣。」
子曰く、「約を以ってこれを失う者は、鮮なし。」
孔子は言った。「質素倹約を心がけて失敗することは、ほとんどない。」
子曰:「君子欲訥於言而敏於行。」
子曰く、「君子は言に訥にして、行に敏ならんことを欲す。」
孔子は言った。「君子は言葉を慎重にし、行動は素早くすることを望む。」
子曰:「德不孤,必有鄰。」
子曰く、「徳は孤ならず、必ず鄰有り。」
孔子は言った。「徳のある人は孤立しない。必ず良き仲間が集まるものである。」
子游曰:「事君數,斯辱矣。朋友數,斯疏矣。」
子游曰く、「君に事うこと数なれば、斯ち辱めらる。朋友に数なれば、斯ち疏んぜらる。」
子游が言った。「君主に仕えて過度に意見を言えば、かえって侮られる。友人関係でも、しつこくするとかえって疎遠になる。」
子謂公冶長,「可妻也;雖在縲絏之中,非其罪也。」以其子妻之。
子、公冶長を謂いて曰く、「妻すべし。縲絏の中に在ると雖も、その罪に非ざるなり。」と。その子を以ってこれに妻わす。
孔子は公冶長について言った。「彼は結婚させてもよい。牢につながれたことがあるが、それは彼の罪によるものではない。」
そして、自分の娘を公冶長に嫁がせた。
子謂南容,「邦有道,不廢;邦無道,免於刑戮。」以其兄之子妻之。
子、南容を謂いて曰く、「邦に道あれば、廃てられず。邦に道なければ、刑戮を免る。」と。その兄の子を以ってこれに妻わす。
孔子は南容について言った。「国に道(正義)があれば、彼は用いられる。国に道がなければ、彼は刑罰を免れるだろう。」
そして、自分の兄の娘を南容に嫁がせた。
子謂子賤:「君子哉若人!魯無君子者,斯焉取斯?」
子、子賤を謂いて曰く、「君子なるかな、若の人!魯に君子無くんば、斯に焉んぞ斯を取らん?」
孔子は子賤について言った。「彼はなんと立派な君子であることか! 魯の国に君子がいないとしたら、彼のような人物がどこから現れるだろうか?」
子貢問曰:「賜也何如?」子曰:「女器也。」曰:「何器也?」曰:「瑚璉也。」
子貢問いて曰く、「賜や何如?」
子曰く、「女は器なり。」
曰く、「何の器ぞ?」
曰く、「瑚璉なり。」
子貢が尋ねた。「私はどのような人物でしょうか?」
孔子は答えた。「お前は器だ。」
子貢がさらに聞いた。「どのような器でしょうか?」
孔子は答えた。「瑚璉(宗廟の祭祀に使う尊い器)だ。」
或曰:「雍也,仁而不佞。」子曰:「焉用佞?禦人以口給,屢憎於人。不知其仁;焉用佞?」
或ひと曰く、「雍や、仁にして佞ならず。」
子曰く、「焉んぞ佞を用いん?人を禦ぐに口給を以ってすれば、屢人に憎まる。不らず、その仁なるを。焉んぞ佞を用いん?」
ある人が言った。「冉雍は仁があるが、弁舌は巧みではない。」
孔子は言った。「弁舌が巧みであることがそんなに重要なのか? 言葉巧みに人を論破すれば、しばしば人に憎まれるものだ。彼が本当に仁のある人物なら、弁舌の巧みさなど必要ない。」
子使漆雕開仕。對曰:「吾斯之未能信。」子說。
子、漆雕開をして仕えしむ。
対えて曰く、「吾、斯の未だ能く信ぜず。」
子、説ぶ。
孔子は漆雕開に官職に就くよう勧めた。
彼は答えた。「私はまだ自分の能力に自信がありません。」
孔子はその謙虚さを喜んだ。
子曰:「道不行,乘桴浮於海,從我者,其由與?」
子路聞之喜。
子曰:「由也,好勇過我,無所取材。」
子曰く、「道行われざれば、桴に乗りて海に浮かばん。これに従う者は、その由か?」
子路、これを聞きて喜ぶ。
子曰く、「由や、勇を好むこと我に過れども、材を取る所無し。」
孔子は言った。「もし道が行われなければ、私はいかだに乗って海へ流れよう。それについてくるのは、由(子路)か?」
子路はそれを聞いて喜んだ。
すると孔子は言った。「子路は私よりも勇敢だが、適材適所の判断ができない。」
孟武伯問:「子路仁乎?」
子曰:「不知也。」
又問,子曰:「由也,千乘之國,可使治其賦也;不知其仁也。」
「求也何如?」
子曰:「求也,千室之邑,百乘之家,可使爲之宰也;不知其仁也。」
「赤也何如?」
子曰:「赤也,束帶立於朝,可使與賓客言也;不知其仁也。」
孟武伯問いて曰く、「子路、仁なるか?」
子曰く、「知らざるなり。」
又問う。
子曰く、「由や、千乗の国に在らば、これをしてその賦を治めしむること可なり。不らず、その仁なるを。」
「求や何如?」
子曰く、「求や、千室の邑、百乗の家に在らば、これをして宰たらしむること可なり。不らず、その仁なるを。」
「赤や何如?」
子曰く、「赤や、束帯して朝に立たば、これをして賓客と言わしむること可なり。不らず、その仁なるを。」
孟武伯が尋ねた。「子路は仁者ですか?」
孔子は答えた。「分からない。」
さらに尋ねると、孔子は言った。「子路は大国の財政を管理させることはできるが、彼が仁者かどうかは分からない。」
「では、冉求はどうですか?」
「彼は中規模の町の管理を任せることができるが、仁者かどうかは分からない。」
「では、公西赤は?」
「彼は礼儀正しく朝廷で賓客と話をすることができるが、仁者かどうかは分からない。」
子謂子貢曰:「女與回也孰愈?」
對曰:「賜也何敢望回!回也聞一以知十,賜也聞一以知二。」
子曰:「弗如也。吾與女,弗如也。」
子、子貢に謂いて曰く、「女と回と、孰れか愈れる?」
対えて曰く、「賜や何ぞ敢えて回を望まんや!回や、一を聞きて十を知る。賜や、一を聞きて二を知るのみ。」
子曰く、「弗かざるなり。吾と女、弗かざるなり。」
孔子は子貢に尋ねた。「お前と顔回では、どちらが優れていると思うか?」
子貢は答えた。「私など、どうして顔回に及ぶことができましょう!顔回は、一を聞いて十を理解しますが、私は一を聞いて二を知るのが精一杯です。」
孔子は言った。「その通りだ。私とお前のどちらも顔回には及ばない。」
宰予晝寢。子曰:「朽木不可雕也,糞土之牆,不可杇也;於予與何誅!」
子曰:「始吾於人也,聽其言而信其行;今吾於人也,聽其言而觀其行;於予與改是。」
宰予、昼に寝る。
子曰く、「朽木は雕るべからず。糞土の牆は、杇るべからず。予に於いて何ぞ誅めん!」
子曰く、「始め吾、人に於いて、その言を聴きてその行を信ぜり。今、吾、人に於いて、その言を聴きてその行を観る。予に於いてこれを改む。」
宰予が昼寝をしていた。
孔子は言った。「朽ちた木は彫刻することができない。糞まみれの壁は塗り直せない。宰予をどうして叱責することができようか!」
さらに言った。「以前、私は人の言葉を聞いてその行動を信じた。しかし今では、人の言葉を聞いてその行動を観察することにしている。宰予のおかげで、この考えを改めることにした。」
子曰:「吾未見剛者。」
或對曰:「申棖。」
子曰:「棖也慾!焉得剛?」
子曰く、「吾、未だ剛なる者を見ず。」
或ひと対えて曰く、「申棖あり。」
子曰く、「棖や、慾なり!焉んぞ剛を得ん?」
孔子は言った。「私はまだ、本当に剛毅な人を見たことがない。」
ある人が答えた。「申棖という人物がいます。」
孔子は言った。「申棖は欲深いではないか!それでは剛毅とは言えない。」
子貢曰:「我不欲人之加諸我也,吾亦欲無加諸人。」
子曰:「賜也,非爾所及也!」
子貢曰く、「我、人の我に加うるを欲せず。吾もまた人に加うること無からんと欲す。」
子曰く、「賜や、それ爾の及ぶ所に非ざるなり!」
子貢が言った。「私は人から不当なことをされるのを望みません。そして、自分も人に対して不当なことをしないようにしたいのです。」
孔子は言った。「賜よ、それはお前にはまだ及ばない境地だ。」
子貢曰:「夫子之文章,可得而聞也;夫子之言性與天道,不可得而聞也。」
子貢曰く、「夫子の文章は、得て聞くべし。夫子の性と言する所の天道は、得て聞くべからず。」
子貢が言った。「先生の文章や言葉は聞くことができるが、先生が語る本質や天道については、なかなか聞くことができない。」
子路有聞,未之能行,唯恐有聞。
子路、聞くこと有れども、未だこれを行う能わず。唯聞くこと有るを恐る。
子路は何かを聞いても、まだ実践できないときは、新たに聞くことを恐れた。
子貢問曰:「孔文子,何以謂之文也?」
子曰:「敏而好學,不恥下問,是以謂之文也。」
子貢問いて曰く、「孔文子は、何を以って文と謂われるや?」
子曰く、「敏にして学を好み、下問を恥じず。是を以って文と謂うなり。」
子貢が尋ねた。「孔文子はなぜ『文』と称されたのですか?」
孔子は答えた。「彼は聡明で学問を好み、目下の者に質問することを恥じなかった。それゆえに『文』と呼ばれたのだ。」
子謂子產:「有君子之道四焉:其行己也恭,其事上也敬,其養民也惠,其使民也義。」
子、子產を謂いて曰く、「君子の道四つ有り。その己を行うや恭、その上に事うや敬、その民を養うや惠、その民を使うや義。」
孔子は子産について言った。「彼には君子の道が四つある。
自らを律するときは慎み深く、目上の者に仕えるときは敬意を持ち、民を養うときは慈愛を持ち、民を使うときは正義を守る。」
子曰:「晏平仲善與人交,久而敬之。」
子曰く、「晏平仲、善く人と交わり、久しくしてこれを敬す。」
孔子は言った。「晏平仲は、人と交際するのが上手であり、その関係が長く続いてもなお、相手を敬い続けることができた。」
子曰:「臧文仲居蔡,山節藻梲。何如其知也?」
子曰く、「臧文仲、蔡に居り、山節藻梲す。何ぞその知なることか?」
孔子は言った。「臧文仲は蔡の地に住みながら、山節(高貴な柱飾り)や藻梲(精巧な装飾)を用いた。これが賢明であると言えるのだろうか?」
子張問曰:「令尹子文,三仕爲令尹,無喜色;三已之,無慍色。舊令尹之政,必以吿新令尹。何如?」
子曰:「忠矣。」
曰:「仁矣乎?」
曰:「未知,焉得仁?」
「崔子弒齊君,陳文子有馬十乘,棄而違之,至於他邦,則曰:『猶吾大夫崔子也!』違之,之一邦,則又曰:『猶吾大夫崔子也!』違之。何如?」
子曰:「淸矣。」
曰:「仁矣乎?」
曰:「未知,焉得仁?」
子張問いて曰く、「令尹子文、三たび仕えて令尹となるも、喜色無し。三たびこれを已むるも、慍色無し。旧き令尹の政、必ずこれを新しき令尹に告ぐ。何如?」
子曰く、「忠なり。」
曰く、「仁なるか?」
曰く、「未だ知らず。焉んぞ仁を得ん?」
「崔子、斉君を弑す。陳文子、馬十乗を有つも、棄ててこれを違る。他邦に至れば、則ち曰く、『猶吾が大夫崔子のごとし』と。これを違りて、一邦に之けば、則ち又曰く、『猶吾が大夫崔子のごとし』と。これを違る。何如?」
子曰く、「清なり。」
曰く、「仁なるか?」
曰く、「未だ知らず。焉んぞ仁を得ん?」
子張が尋ねた。「令尹子文は、三度も高官に任じられても驕らず、三度辞めさせられても不満を見せませんでした。前任者の政治を必ず後任者に引き継ぎました。彼の行いはどうでしょうか?」
孔子は答えた。「忠実である。」
子張がさらに尋ねた。「仁者と言えますか?」
孔子は答えた。「それはまだ分からない。仁とは言えないのではないか?」
子張はさらに尋ねた。「崔子は斉の君主を殺しました。それを知った陳文子は、所有していた十台の馬を捨てて国を去りました。しかし、他国へ行くと『ここも崔子のような人がいる』と言って去り、また別の国へ行っても同じことを言って去りました。この行動はどうでしょう?」
孔子は答えた。「清廉である。」
子張はさらに尋ねた。「仁者と言えますか?」
孔子は答えた。「それはまだ分からない。仁とは言えないのではないか?」
季文子三思而後行。子聞之曰:「再,斯可矣!」
季文子、三たび思いて後に行う。
子、これを聞きて曰く、「再びすれば、斯ち可なり!」
季文子は、何事も三度考えてから実行するようにしていた。
これを聞いた孔子は言った。「二度考えれば十分だ!」
子曰:「甯武子,邦有道則知;邦無道則愚。其知可及也,其愚不可及也。」
子曰く、「甯武子、邦に道あれば則ち知たり。邦に道無くば則ち愚なり。その知は及ぶべし。その愚は及ぶべからず。」
孔子は言った。「甯武子は、国に道(正義)があるときは聡明であり、国に道がないときは愚直であった。彼の賢さは誰にでも真似できるが、その愚直さはなかなか真似できるものではない。」
子在陳,曰:「歸與!歸與!吾黨之小子狂簡,斐然成章,不知所以裁之。」
子、陳に在りて曰く、「帰らんか!帰らんか!吾が党の小子、狂簡にして、斐然として章を成す。これを裁する所以を知らず。」
孔子が陳の国にいるときに言った。「帰ろう! 帰ろう! 我が門下の若者たちは、奔放で簡潔に物事を語り、見事に文章を作るが、それを適切にまとめる方法を知らない。」
子曰:「伯夷、叔齊,不念舊惡,怨是用希。」
子曰く、「伯夷、叔齊、旧悪を念わず。怨これを用て希なり。」
孔子は言った。「伯夷と叔齊は、過去の悪事を気にせず、恨みを抱くことがほとんどなかった。」
子曰:「孰謂微生高直?或乞醯焉,乞諸其鄰而與之。」
子曰く、「孰か微生高を直しと謂うや?或るひと、醯を乞う。これをその隣に乞いてこれに与う。」
孔子は言った。「誰が微生高を正直者だと言うのか? ある人が彼に酢を求めると、彼は自分の家からではなく、隣の家から借りて与えた。」
子曰:「巧言、令色、足恭,左丘明恥之,丘亦恥之。匿怨而友其人,左丘明恥之,丘亦恥之。」
子曰く、「巧言、令色、足恭、左丘明これを恥ず。丘もまたこれを恥ず。怨みを匿してその人に友たる、左丘明これを恥ず。丘もまたこれを恥ず。」
孔子は言った。「言葉巧みで、顔つきを飾り、極端にへりくだることを、左丘明は恥とした。私もそれを恥とする。心の中に恨みを抱きながら友人として振る舞うことを、左丘明は恥とした。私もそれを恥とする。」
顏淵、季路侍。子曰:「盍各言爾志?」
子路曰:「願車馬衣裘,與朋友共,敝之而無憾。」
顏淵曰:「願無伐善,無施勞。」
子路曰:「願聞子之志。」
子曰:「老者安之,朋友信之,少者懷之。」
顔淵、季路、侍す。
子曰く、「盍ぞ各爾が志を言わざる?」
子路曰く、「願わくは、車馬・衣裘を朋友と共にし、これを敝るとも憾み無し。」
顔淵曰く、「願わくは、善を伐ること無く、労を施すこと無からん。」
子路曰く、「願わくは、子の志を聞かん。」
子曰く、「老者には安んぜられ、朋友には信ぜられ、少者には懷かれん。」
顔淵と子路が孔子のそばに仕えていた。
孔子は言った。「お前たちの志をそれぞれ語ってみよ。」
子路は言った。「私は、車や馬、衣服を友と分け合い、たとえそれがすり切れてしまっても悔いはありません。」
顔淵は言った。「私は、自分の善行を誇らず、また他人に恩を着せることのないようにしたいです。」
子路が尋ねた。「先生の志をお聞かせください。」
孔子は答えた。「老人が安心し、友人同士が信頼し合い、若者が慕うような世の中にしたい。」
子曰:「已矣乎!吾未見能見其過,而內自訟者也。」
子曰く、「已みなんか!吾、未だ能くその過ちを見て、内に自ら訟うる者を見ず。」
孔子は言った。「もういいだろう!私は、自分の過ちを認め、心の中で反省することができる者をまだ見たことがない。」
子曰:「十室之邑,必有忠信如丘者焉,不如丘之好學也。」
子曰く、「十室の邑にも、必ず丘のごとく忠信なる者有らん。丘のごとく学を好むには如かざるなり。」
孔子は言った。「たとえ十戸しかない小さな村であっても、私のように忠実で誠実な者はいるだろう。しかし、私ほど学問を愛する者はいないだろう。」
子曰:「雍也,可使南面。」
仲弓問子桑伯子。子曰:「可也,簡。」
仲弓曰:「居敬而行簡,以臨其民,不亦可乎?居簡而行簡,無乃大簡乎?」
子曰:「雍之言然。」
子曰く、「雍や、もって南面せしむべし。」
仲弓、子桑伯子を問う。
子曰く、「可なり、簡なり。」
仲弓曰く、「敬を居きて簡を行い、もってその民に臨む。亦可ならずや? 簡に居りて簡を行わば、無からんや大いに簡ならん。」
子曰く、「雍の言、然り。」
孔子は言った。「冉雍は君主の器であり、南面(統治)させることができる。」
仲弓が子桑伯子について尋ねた。
孔子は答えた。「彼もよい人物だ。質素な人だ。」
仲弓が言った。「敬意を持ちつつ質素に行動し、民を治めるのはよいことではないでしょうか? しかし、ただ簡素であるだけでは、あまりにも質素すぎませんか?」
孔子は言った。「雍(冉雍)の言うことはもっともだ。」
哀公問:「弟子孰爲好學?」
孔子對曰:「有顏回者,好學;不遷怒,不貳過。不幸短命死矣!今也則亡,未聞好學者也。」
哀公問いて曰く、「弟子、孰か好学なる?」
孔子対えて曰く、「顔回という者あり、学を好む。怒りを遷さず、過ちを貳びせず。不幸にして短命にして死せり。今や則ち亡し、未だ学を好む者を聞かざるなり。」
魯の哀公が尋ねた。「あなたの弟子の中で、誰が最も学問を愛していましたか?」
孔子は答えた。「顔回という者がいました。彼は学問を愛し、怒りを他に向けず、同じ過ちを二度と繰り返しませんでした。しかし、残念なことに若くして亡くなりました。今では、彼のように学問を愛する者はいません。」
子華使於齊,冉子爲其母請粟。
子曰:「與之釜。」
請益,曰:「與之庾。」
冉子與之粟五秉。
子曰:「赤之適齊也,乘肥馬,衣輕裘;吾聞之也:君子周急不繼富。」
原思爲之宰,與之粟九百,辭。
子曰:「毋!以與爾鄰里鄉黨乎!」
子華、斉に使いす。
冉子、その母のために粟を請う。
子曰く、「これに釜を与えよ。」
益すことを請う。曰く、「これに庾を与えよ。」
冉子、これに粟五秉を与う。
子曰く、「赤の斉に適くや、肥馬に乗り、軽裘を衣る。吾これを聞けり。君子は急を周うも、富を継がず。」
原思、これが宰たり。これに粟九百を与え、辞す。
子曰く、「毋れ! もって爾が隣里・郷党に与えよ。」
子華が斉に使いに行った。
冉子が彼の母親のために粟(米)を求めた。
孔子は言った。「釜一杯分を与えよ。」
冉子がさらに求めたので、孔子は言った。「庾(貯蔵庫一杯)を与えよ。」
冉子は結局、五秉(大量の米)を与えた。
孔子は言った。「赤(公西赤)が斉に行ったとき、肥えた馬に乗り、軽い毛皮の服を着ていた。私はこう聞いている。『君子は困っている人を助けるが、裕福な人には施しをしない。』」
原思がこの施しを管理し、九百石の粟を与えようとしたが、辞退した。
孔子は言った。「そうするな! それならば、お前の近隣の人々に分け与えよ。」
子謂仲弓曰:「犁牛之子,騂且角;雖欲勿用,山川其舍諸?」
子、仲弓を謂いて曰く、「犁牛の子、騂にして角あり。
これを用うること勿からんと欲すと雖も、山川其れこれを舍つるか?」
孔子は仲弓に言った。「犁牛(祭祀に供える牛)の子が赤毛で立派な角を持って生まれた。たとえそれを祭祀に使うのをためらったとしても、山や川の神々はそれを受け入れないだろうか?」
子曰:「回也,其心三月不違仁。其餘,則日月至焉而已矣。」
子曰く、「回や、その心三月仁に違わず。
その余、則ち日月に至るのみ。」
孔子は言った。「顔回は三ヶ月間、常に仁の心を持ち続けることができる。
しかし、他の弟子たちは、せいぜい一日や一ヶ月程度しか続かない。」
季康子問:「仲由可使從政也與?」
子曰:「由也果,於從政乎何有?」
曰:「賜也可使從政也與?」
曰:「賜也達,於從政乎何有?」
季康子、問いて曰く、「仲由をして政に従わしむべきか?」
子曰く、「由や果なり。政に従わば何の有るか?」
曰く、「賜をして政に従わしむべきか?」
曰く、「賜や達なり。政に従わば何の有るか?」
季康子が尋ねた。「子路(仲由)に政治を任せることができますか?」
孔子は答えた。「子路は決断力がある。政治を任せても問題はない。」
季康子がさらに尋ねた。「子貢(賜)に政治を任せることはできますか?」
孔子は答えた。「子貢は通達している。政治を任せても問題はない。」
季氏使閔子騫爲費宰。閔子騫曰:「善爲我辭焉。如有復我者,則吾必在汶上矣。」
季氏、閔子騫をして費の宰たらしむ。
閔子騫曰く、「善く我に代わりて辞せよ。もし我に復る者有らば、則ち吾必ず汶の上に在らん。」
季氏は閔子騫に費(地方)の長官を任せようとした。
閔子騫は言った。「うまく私に代わって辞退してください。もし再び私を迎えに来る者があれば、そのときは私は汶水のほとりにいることでしょう。」
伯牛有疾,子問之,自牖執其手,曰:「亡之,命矣夫!斯人也,而有斯疾也!斯人也,而有斯疾也!」
伯牛、疾あり。
子、これを問う。牖よりその手を執りて曰く、
「亡くなるか、命なるかな!斯の人にして、斯の疾あるか!斯の人にして、斯の疾あるか!」
伯牛が重病を患っていた。
孔子は彼を見舞い、窓越しに手を取って言った。
「なんということだ! これは天命というものか。このような立派な人物が、こんな病を患うとは! このような人物が、こんな病を患うとは!」
子曰:「賢哉回也!一簞食,一瓢飮,在陋巷,人不堪其憂,回也不改其樂。賢哉回也!」
子曰く、「賢なるかな、回や!
一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在るも、人はその憂えに堪えざるに、回やその楽みを改めず。
賢なるかな、回や!」
孔子は言った。「なんと賢いことか、顔回は!
わずか一盛りの飯と一瓢の水で、狭い路地に住んでいても、多くの人はその苦しみに耐えられない。しかし、顔回は楽しむ心を変えない。
なんと賢いことか、顔回は!」
冉求曰:「非不說子之道,力不足也。」
子曰:「力不足者,中道而廢;今女畫。」
冉求曰く、「子の道を説ばざるに非ず。力足らざるなり。」
子曰く、「力足らざる者は、中道にして廃る。今、女は画れり。」
冉求が言った。「先生の教えを好まないのではありません。ただ、私にはそれを実践する力が足りないのです。」
孔子は言った。「本当に力が足りない者は、途中で力尽きるものだ。だが、お前は最初から自分で限界を決めてしまっている。」
子謂子夏曰:「女爲君子儒,無爲小人儒。」
子、子夏を謂いて曰く、
「女、君子の儒たれ。小人の儒たること無かれ。」
孔子は子夏に言った。
「お前は君子の儒者になれ。小人の儒者になってはならない。」
子游爲武城宰。子曰:「女得人焉耳乎?」
曰:「有澹臺滅明者,行不由徑;非公事,未嘗至於偃之室也。」
子游、武城の宰たり。
子曰く、「女、人を得たるか?」
曰く、「澹臺滅明なる者あり。行くに径を由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らず。」
子游が武城の長官となった。
孔子は尋ねた。「お前は良い人材を得たか?」
子游は答えた。「澹臺滅明という者がおります。彼は歩くときに近道をせず、公務以外では他人の家に立ち寄ったこともありません。」
子曰:「孟之反不伐,奔而殿,將入門,策其馬,曰:『非敢後也,馬不進也。』」
子曰く、「孟之反、伐らず。奔りて殿たり。
将に門に入らんとして、其の馬を策ちて曰く、
『敢えて後るに非ず。馬の進まざるなり。』」
孔子は言った。「孟之反は誇らず、戦の撤退時には殿軍を務めた。
門に入ろうとするとき、彼は馬に鞭を打ちながら言った。
『私は決して遅れたわけではない。馬が進まなかったのだ。』」
子曰:「不有祝鮀之佞,而有宋朝之美,難乎免於今之世矣。」
子曰く、「祝鮀の佞無くして、宋朝の美有らば、今の世に免るること難し。」
孔子は言った。「祝鮀のような弁舌の才がなく、宋朝のような美貌がある者は、今の世では生き残るのが難しい。」
子曰:「誰能出不由戶?何莫由斯道也!」
子曰く、「誰か能く出でて戸を由らざらん?
何ぞ斯の道を由らざるや!」
孔子は言った。「誰が家を出るときに戸口を通らないことがあるだろうか?
それなのに、なぜ正しい道を通らない者がいるのか!」
子曰:「質勝文則野,文勝質則史。文質彬彬,然後君子。」
子曰く、「質、文に勝れば則ち野なり。文、質に勝れば則ち史なり。文質彬彬として、然る後に君子なり。」
孔子は言った。「質実(素朴さ)が礼儀(洗練)に勝れば、粗野になる。礼儀が質実に勝れば、飾り気が多くなりすぎる。質と礼儀が調和してこそ、君子と言える。」
子曰:「人之生也直,罔之生也幸而免。」
子曰く、「人の生くるや直し。罔なる者の生くるや、幸いにして免る。」
孔子は言った。「人は正直に生きるのが本来の姿である。不正直な者が生き延びるのは、たまたま運が良いだけだ。」
子曰:「知之者不如好之者,好之者不如樂之者。」
子曰く、「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。」
孔子は言った。「学問を知る者は、それを好む者に及ばない。学問を好む者は、それを楽しむ者に及ばない。」
子曰:「中人以上,可以語上也;中人以下,不可以語上也。」
子曰く、「中人以上はもって上を語るべし。中人以下はもって上を語るべからず。」
孔子は言った。「中程度以上の知性を持つ者には、高度な話をしても理解できる。しかし、中程度以下の者には、高度な話をしても理解されない。」
樊遲問知。子曰:「務民之義,敬鬼神而遠之,可謂知矣。」
問仁。子曰:「仁者先難而後獲,可謂仁矣。」
樊遲、知を問う。
子曰く、「民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく。もって知と謂うべし。」
仁を問う。
子曰く、「仁者は難を先にして獲を後にす。もって仁と謂うべし。」
樊遲が「知(知恵)」とは何かを尋ねた。
孔子は答えた。「民の義務を果たし、鬼神を敬うが、必要以上に関わらないこと。それを知恵と呼ぶ。」
次に「仁」について尋ねた。
孔子は答えた。「仁者は困難を先に受け入れ、利益を後回しにする。それが仁と言える。」
子曰:「知者樂水,仁者樂山。知者動,仁者靜。知者樂,仁者壽。」
子曰く、「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。」
孔子は言った。「知恵のある者は水を好み、仁のある者は山を好む。知恵のある者は活動的であり、仁のある者は穏やかである。知恵のある者は楽しみ、仁のある者は長生きする。」
子曰:「齊一變,至於魯;魯一變,至於道。」
子曰く、「斉、一たび変ぜば、魯に至る。魯、一たび変ぜば、道に至る。」
孔子は言った。「斉が一度改革すれば、魯のような礼儀正しい国になる。魯がさらに改革すれば、理想の道に到達する。」
子曰:「觚不觚,觚哉!觚哉!」
子曰く、「觚、觚ならず。觚なるかな!觚なるかな!」
孔子は言った。「觚(角ばった酒器)が角ばっていなければ、もはや觚ではない。觚とは何か? 觚とは何か!」
宰我問曰:「仁者,雖告之曰,‘井有仁焉。’其從之也?」
子曰:「何爲其然也?君子可逝也,不可陷也;可欺也,不可罔也。」
宰我、問いて曰く、「仁者は、これに告げて曰わく、『井に仁あり』とすれば、これに従わんか?」
子曰く、「何すれぞ其れ然るや? 君子は逝くべし。陷つるべからず。欺くべし。罔わすべからず。」
宰我が尋ねた。「仁者は、誰かが『井戸の中に仁がある』と言えば、本当に飛び込むのでしょうか?」
孔子は答えた。「そんなことはない。君子は進むことはあっても、罠にはまることはない。だまされることはあっても、迷わされることはない。」
子曰:「君子博學於文,約之以禮,亦可以弗畔矣夫!」
子曰く、「君子は文に博学し、これを礼をもって約す。亦もって畔くこと無からんか!」
孔子は言った。「君子は広く学問を学び、それを礼によって引き締める。そうすれば、道を踏み外すことはないだろう。」
子見南子,子路不說。夫子矢之曰:「予所否者,天厭之!天厭之!」
子、南子を見る。子路、説ばず。
夫子、これを矢って曰く、「予の否とする所は、天もこれを厭う!天もこれを厭う!」
孔子は南子(衛の霊公の夫人)と会見した。
それを見た子路は不満を抱いた。
孔子は誓って言った。「もし私にやましいことがあるならば、天もそれを罰するだろう! 天もそれを罰するだろう!」
子曰:「中庸之爲德也,其至矣乎!民鮮久矣!」
子曰く、「中庸の徳と為るや、その至るかな!民、鮮なし久しき矣!」
孔子は言った。「中庸(偏りのない徳)は最も優れたものである。しかし、長い間、それを備えた民はほとんどいない。」
子貢曰:「如有博施於民,而能濟眾,何如?可謂仁乎?」
子曰:「何事於仁,必也聖乎?堯舜其猶病諸!
夫仁者,己欲立而立人,己欲達而達人。能近取譬,可謂仁之方也已。」
子貢、曰く、「もし民に博施し、しかも能く衆を済う者あらば、何如? これを仁と謂うべきか?」
子曰く、「何ぞ仁を事とするや、必ずや聖ならんか? 堯・舜も、其れ猶お病うるか!
夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達せしむ。能く近く譬うるを取るは、仁の方と謂うべきのみ。」
子貢が尋ねた。「もし、広く民に施しを行い、多くの人々を救うことができる人がいたら、それは仁と言えますか?」
孔子は答えた。「どうしてそれを仁と言うだけで済ませるのか? それはむしろ聖人の域に達するものだ。堯や舜ですら、それを完全に実現するのは難しかったのだから。
そもそも仁者とは、自分が立ちたいと思えば人を立たせ、自分が成功したいと思えば人を成功させるものだ。身近な例から学ぶことができる者こそ、仁の道を実践する者と言える。」
子曰:「述而不作,信而好古,竊比於我老彭。」
子曰く、「述べて作らず。信にして古を好む。竊かに我を老彭に比す。」
孔子は言った。「私は、ただ昔のことを伝えるだけで、新しいものを作り出すわけではない。私は誠実に古きを好む者である。ひそかに私は、古代の賢者である老彭に自らを比べている。」
子曰:「默而識之,學而不厭,誨人不倦,何有於我哉?」
子曰く、「黙してこれを識し、学びて厭わず、人を誨えて倦まず。我に何ぞ有らんや?」
孔子は言った。「黙って考え、学び続けて飽きることがなく、人を教えることにも疲れを感じない。これが私の何よりの特長だ。」
子曰:「德之不脩,學之不講,聞義不能徒,不善不能改,是吾憂也。」
子曰く、「徳の修まらず、学の講ぜず、義を聞きて徒う能わず、不善を改むること能わざるは、これ吾が憂いなり。」
孔子は言った。「自分の徳を修めることができず、学問を深く学ばず、正しい道を聞いてもそれに従うことができず、誤りを改めることができないこと、それが私の憂いである。」
子之燕居,申申如也,夭夭如也。
子の燕居、申申として如たり、夭夭として如たり。
孔子がくつろいでいるときは、穏やかで落ち着いており、明るく朗らかな様子であった。
子曰:「甚矣吾衰也!久矣吾不復夢見周公!」
子曰く、「甚だしきかな、吾が衰えや! 久しきかな、吾が復た周公を夢に見ざること!」
孔子は言った。「私はひどく衰えてしまった! もう長いこと、周公の夢を見ていない。」
子曰:「志於道,據於德,依於仁,游於藝。」
子曰く、「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。」
孔子は言った。「道を志し、徳をよりどころとし、仁を根本とし、芸(六芸:礼・楽・射・御・書・数)を楽しむ。」
子曰:「自行束脩以上,吾未嘗無誨焉。」
子曰く、「自ら行して束脩以上ならば、吾れ未だ誨うること無きことあらず。」
孔子は言った。「自ら学びを求めて、束脩(入門の謝礼)を持参した者には、私は必ず教えてきた。」
子曰:「不憤不啓,不悱不發。舉一隅不以三隅反,則不復也。」
子曰く、「憤せずんば啓かず、悱せずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以って反さざれば、則ち復せざるなり。」
孔子は言った。「学ぶ意欲が十分でなければ、私は教えない。
自ら考え抜いて言葉に詰まるほどでなければ、私は導かない。
一つのことを教えて、それを手がかりにして三つのことを理解できない者には、繰り返し教えることはしない。」
子食於有喪者之側,未嘗飽也。子於是日哭,則不歌。
子、喪ある者の側らに食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。
子、是の日に哭けば、則ち歌わず。
孔子は、喪中の人のそばで食事をするときは、決して満腹まで食べることはなかった。
また、その日に泣いたときは、決して歌を歌わなかった。
子謂顏淵曰:「用之則行,舍之則藏。惟我與爾有是夫!」
子路曰:「子行三軍,則誰與?」
子曰:「暴虎馮河,死而無悔者,吾不與也。必也臨事而懼,好謀而成者也。」
子、顔淵に謂いて曰く、
「用いらるれば則ち行い、舍てらるれば則ち藏る。惟だ我と爾のみ是有るか!」
子路曰く、「子、三軍を行いるれば、則ち誰と与にせん?」
子曰く、「暴虎馮河、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀るを好みて成す者なり。」
孔子は顔淵に言った。
「世に用いられれば活躍し、捨てられれば身を隠す。このようにできるのは、私とお前だけではないか?」
子路が尋ねた。「先生が三軍(大軍)を率いるとしたら、誰を選びますか?」
孔子は答えた。「無謀に虎に素手で挑み、川を徒渉して死を恐れぬ者とは共にしない。必ず、事に臨んで慎重であり、よく計画して物事を成し遂げる者を選ぶ。」
子曰:「富而可求也,雖執鞭之士,吾亦爲之;如不可求,從吾所好。」
子曰く、「富、求むべくんば、鞭を執るの士と雖も、吾もまたこれを為さん。もし求むべからずんば、吾が好む所に従わん。」
孔子は言った。「もし富が正当な手段で得られるのであれば、たとえ馬の鞭を持つ下級の役人の仕事であっても、私はそれをするだろう。しかし、それが正当な手段で得られないのであれば、私は自分の道を行く。」
子之所愼:齊、戰、疾。
子の慎む所は、斉・戦・疾なり。
孔子が特に慎重にしていたのは、斉戒(精進潔斎)・戦争・病気の三つであった。
子在齊聞韶,三月不知肉味,曰:「不圖爲樂之至於斯也!」
子、斉に在りて韶を聞く。三月、肉味を知らず。曰く、「図らざりき、楽の斯に至るを!」
孔子が斉に滞在していたとき、「韶(しょう)」という音楽を聞いた。その美しさに感動し、三ヶ月間も肉の味が分からなかったほどだった。
孔子は言った。「まさか、音楽がここまで心を動かすものだとは思わなかった!」
冉有曰:「夫子爲衞君乎?」
子貢曰:「諾,吾將問之。」
入曰:「伯夷叔齊,何人也?」
曰:「古之賢人也。」
曰:「怨乎?」
曰:「求仁而得仁,又何怨?」
出,曰:「夫子不爲也。」
冉有曰く、「夫子は衛の君のために仕えんか?」
子貢曰く、「諾、吾将にこれを問わん。」
入りて曰く、「伯夷・叔齊は何なる人ぞ?」
曰く、「古の賢人なり。」
曰く、「怨みたりや?」
曰く、「仁を求めて仁を得たり。また何ぞ怨まん?」
出でて曰く、「夫子は仕えざるなり。」
冉有が尋ねた。「先生は衛の君主に仕えますか?」
子貢は「では、先生に聞いてみよう」と答え、孔子のもとへ行った。
子貢は尋ねた。「伯夷と叔斉という人はどのような人物ですか?」
孔子は答えた。「昔の賢人である。」
子貢がさらに尋ねた。「彼らは不満を抱いたでしょうか?」
孔子は答えた。「彼らは仁を求め、それを得た。どうして不満があろうか?」
子貢は孔子のもとを出て、冉有に言った。「先生は仕官なさらない。」
子曰:「飯疏食,飮水,曲肱而枕之,樂亦在其中矣。不義而富且貴,於我如浮雲。」
子曰く、「疏食を飯い、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみもまたその中に在り。不義にして富み且つ貴きを、我に於いて浮雲の如し。」
孔子は言った。「粗末な食事をし、水を飲み、肘を枕にして寝る。しかし、その中にも楽しみはある。
不義によって得た富や地位など、私にとっては浮雲のようなものだ。」
子曰:「加我數年,五十以學易,可以無大過矣。」
子曰く、「我に数年を加え、五十にして易を学べば、大過無かるべし。」
孔子は言った。「私にあと数年あれば、50歳で『易経』を学ぶことができただろう。そうすれば、大きな過ちを犯さずに済んだはずだ。」
子所雅言,詩、書、執禮,皆雅言也。
子の雅言する所は、詩・書・執礼、皆雅言なり。
孔子が普段、特に丁寧な言葉遣いをしたのは、『詩経』・『書経』・礼儀作法に関する話をするときであった。
葉公問孔子於子路,子路不對。
子曰:「女奚不曰,其爲人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」
葉公、孔子を子路に問う。子路、対えず。
子曰く、「女は奚ぞ曰わざる。其の人と為りや、発憤して食を忘れ、楽しみて憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ、と。」
葉公が子路に「孔子とはどのような人物か?」と尋ねたが、子路は答えなかった。
孔子は言った。「お前はなぜ、こう答えなかったのか?『孔子という人物は、一度何かに打ち込むと食事を忘れ、楽しんで憂いを忘れ、老いが迫っていることにすら気づかないほどの人です』と。」
子曰:「我非生而知之者,好古,敏以求之者也。」
子曰く、「我、生まれながらにしてこれを知る者に非ず。古を好み、敏にしてこれを求むる者なり。」
孔子は言った。「私は生まれつき知識があったわけではない。古(いにしえ)の教えを好み、熱心に学んで知識を求めたのだ。」
子不語:怪、力、亂、神。
子、語らず。怪、力、乱、神。
孔子は、怪奇なこと・怪力乱神(超自然現象)・政治の混乱・神秘的なことについて語らなかった。
子曰:「三人行,必有我師焉。擇其善者而從之,其不善者而改之。」
子曰く、「三人行けば、必ず我が師有らん。
その善なる者を択びてこれに従い、その不善なる者はこれを改む。」
孔子は言った。「三人で道を歩けば、必ずその中に私の師となる者がいる。
良いところを持つ人を選んで学び、良くないところは自らを反省して改める。」
子曰:「天生德於予,桓魋其如予何!」
子曰く、「天、徳を予に生せり。桓魋、其れ予を如何せん!」
孔子は言った。「天は私に徳を授けてくれた。桓魋(かんたい=孔子を妨害した人)が何をしようとも、私をどうすることもできない!」
子曰:「二三子,以我爲隱乎?吾無隱乎爾!吾無行而不與二三子者,是丘也。」
子曰く、「二三子、我を以って隠すと為すか?
吾、爾に隠すこと無し!
吾、無くして行い、二三子と与にせざる者は、是丘なり。」
孔子は言った。「弟子たちよ、お前たちは私が何かを隠していると思っているのか?
私はお前たちに何も隠し事をしていない!
私は常に自ら行動し、それをお前たちと共にしてきたのだ。」
子以四教:文、行、忠、信。
子、四の教えを以ってす。文、行、忠、信。
孔子は、**「学問」「実践」「忠義」「誠実」**の四つを教えの柱とした。
子曰:「聖人,吾不得而見之矣!得見君子者,斯可矣。」
子曰:「善人,吾不得而見之矣!得見有恆者,斯可矣。亡而爲有,虛而爲盈,約而爲泰,難乎有恆矣!」
子曰く、「聖人、吾得てこれを見ること無し!
君子を得て見ることあらば、斯ち可なり。」
子曰く、「善人、吾得てこれを見ること無し!
得て有恒なる者を見れば、斯ち可なり。
亡きにして有るを為し、虚しきにして盈つるを為し、約にして泰を為す。
有恒なることは難し!」
孔子は言った。「聖人には出会うことはできない! だが、君子に会うことができれば、それで満足だ。」
また言った。「真に善人という人には、なかなか出会えない。
だが、信念を持ち続ける者に会えれば、それでもよい。
何もないのにあるように見せかけ、空虚なのに満ちているように装い、倹約しているように見えて実は贅沢をしている。
信念を持ち続けることは難しいものだ!」
子釣而不綱,弋而不射宿。
子、釣れども綱を張らず。弋すれども宿れるを射たず。
孔子は、釣りをするときも網を使わず、鳥を射るときも寝ている鳥は狙わなかった。
(=道義に反することをしなかった。)
子曰:「蓋有不知而作之者,我無是也。多聞,擇其善者而從之,多見而識之,知之次也。」
子曰く、「蓋し知らずしてこれを作す者有らん。吾は是無し。
多く聞きて、その善なる者を択びてこれに従い、多く見てこれを識す。知の次なり。」
孔子は言った。「知らないのに勝手に作り出す者もいるだろう。だが、私はそうではない。
私は多くを聞き、その中から良いものを選んで従い、多くを見て記憶する。これが知識を得る方法だ。」
互鄉難與言。童子見,門人惑。
子曰:「與其進也,不與其退也。唯何甚?人潔己以進,與其潔也,不保其往也!」
互郷は言を与にし難し。童子見る。門人、惑う。
子曰く、「其れ進むに与うるも、退くに与うるに非ず。唯だ何ぞ甚だしきや?
人、己を潔めて進む。其の潔きに与うるも、其の往に保つに非ず。」
互郷の人々は、言葉を交わすのが難しい。
童子(子供)が孔子を見て近づいたところ、弟子たちは不思議に思った。
孔子は言った。「人は前へ進む者に手を差し伸べるが、退く者には手を差し伸べない。
しかし、何をそんなに驚くことがあろうか? 人は自らを清めて前へ進むのだ。
その清さには価値があるが、その過去がどうであったかには関係ない。」
子曰:「仁遠乎哉?我欲仁,斯仁至矣。」
子曰く、「仁は遠きか?
我仁を欲すれば、斯ち仁至る。」
孔子は言った。「仁は遠いものだろうか?
いや、私が仁を求めれば、すぐに仁は私のもとに来る。」
陳司敗問:「昭公知禮乎?」
孔子對曰:「知禮。」
孔子退,揖巫馬期而進之,曰:「吾聞君子不黨,君子亦黨乎?
君取於吳爲同姓,謂之吳孟子。君而知禮,孰不知禮?」
巫馬期以吿。
子曰:「丘也幸,苟有過,人必知之。」
陳司敗、問いて曰く、「昭公は礼を知るか?」
孔子、対えて曰く、「礼を知る。」
孔子、退き、巫馬期に揖し、これを進めて曰く、
「吾聞く、君子は党せず、と。君子もまた党するか?
君、呉より妻を迎え、同姓とし、これを呉孟子と謂う。
もし君が礼を知るというならば、誰が礼を知らないというのか?」
巫馬期はこのことを昭公に伝えた。
孔子は言った。「私は幸運なことに、もし過ちがあれば、すぐに人々がそれを指摘してくれる。」
陳司敗が尋ねた。「魯の昭公は礼を知っていましたか?」
孔子は答えた。「礼を知っていた。」
孔子が退いた後、巫馬期が近づき、孔子に問いただした。
「先生は『君子はえこひいきしない』とおっしゃいましたよね? それなのに先生もえこひいきするのですか?
昭公は呉の女性を妃とし、同じ姓であるとして彼女を呉孟子と呼びました。
もし昭公が本当に礼を知っていたなら、礼を知らない者などいるはずがありませんよね?」
巫馬期はこの話を昭公に伝えた。
すると孔子は言った。「私は幸運だ。もし私に過ちがあれば、必ず誰かがそれを指摘してくれる。」
子與人歌而善,必使反之,而後和之。
子、人と歌いて善きときは、必ずこれを反さしめて、而る後にこれに和す。
孔子は人と歌を歌う際、相手が上手に歌ったときは、必ずもう一度繰り返させてから、自分もそれに合わせて歌った。
子曰:「文,莫吾猶人也;躬行君子,則吾未之有得!」
子曰く、「文は、吾人に猶し。
躬ずから君子を行うは、則ち吾未だこれを得ざるなり。」
孔子は言った。「学問においては、私は他の人と大差ない。
しかし、自ら君子の道を実践することにおいては、私はまだ十分にできていない。」
子曰:「若聖與仁,則吾豈敢?
抑爲之不厭,誨人不倦,則可謂云爾已矣!」
公西華曰:「正唯弟子不能學也!」
子曰く、「もし聖と仁とならば、則ち吾豈えて敢えんや?
抑れこれを為して厭わず、人を誨えて倦まず。
則ちこれを謂うのみ!」
公西華、曰く、「正に唯だ弟子これを学ぶこと能わざるなり!」
孔子は言った。「聖人や仁者になれるとは、私はとても思えない。
しかし、努力し続けることを厭わず、人に教えることに疲れを感じない。
その程度のことならば、私もそうだと言えるだろう。」
公西華が言った。「まさにその点こそ、私たち弟子には真似ができません!」
子疾病,子路請禱。
子曰:「有諸?」
子路對曰:「有之。誄曰:『禱爾於上下神祇。』」
子曰:「丘之禱久矣!」
子、疾病す。子路、禱らんことを請う。
子曰く、「これ有るか?」
子路、対えて曰く、「これ有り。誄に曰わく、『爾を上下の神祇に禱る』と。」
子曰く、「丘、これを禱ること久し!」
孔子が病に倒れた。
子路が「先生のために祈りを捧げましょう」と申し出た。
孔子は「そんな習慣があるのか?」と尋ねた。
子路は「あります。弔辞には『天と地の神に祈る』と書かれています」と答えた。
孔子は言った。「私はずっと前から、すでに祈りを捧げ続けている。」
子曰:「奢則不孫,儉則固;與其不孫也,寧固。」
子曰く、「奢なれば則ち孫ならず。
倹なれば則ち固なり。
其れ孫ならざるよりは、寧ろ固なれ。」
孔子は言った。「贅沢になれば礼を失い、質素になれば頑固になる。
しかし、礼を失うよりは、むしろ質素で頑固な方がよい。」
子曰:「君子坦蕩蕩,小人長戚戚。」
子曰く、「君子は坦蕩蕩たり。
小人は長に戚戚たり。」
孔子は言った。「君子は心が広く、ゆったりと構えている。
小人はいつもくよくよして、心配ばかりしている。」
子溫而厲,威而不猛,恭而安。
子は温にして厲、威ありて猛ならず、恭にして安し。
孔子は、温和でありながらも厳格であり、威厳はあるが荒々しくなく、
謙虚でありながらも安心感を与える人物であった。
子曰:「泰伯,其可謂至德也已矣!三以天下讓,民無得而稱焉。」
子曰く、「泰伯、其れ至徳と謂うべきのみ!
三たび天下を以って譲れども、民得て称すること無し。」
孔子は言った。「泰伯はまさに至高の徳を持つ者と言える!
彼は三度も天下を譲ったが、民はそれを称賛することすらできなかった(あまりにも自然な行いであったため、言葉にできなかった)。」
子曰:「恭而無禮則勞,愼而無禮則葸,勇而無禮則亂,直而無禮則絞。君子篤於親,則民興於仁。故舊不遺,則民不偷。」
子曰く、「恭にして礼無ければ則ち労し、慎みにして礼無ければ則ち葸し、勇にして礼無ければ則ち乱れ、直くして礼無ければ則ち絞す。
君子、親に篤くすれば、則ち民、仁に興る。
故旧を遺れざれば、則ち民、偷せず。」
孔子は言った。「礼を伴わない恭(へりくだり)はただの苦労となる。
礼を伴わない慎み深さはただの臆病となる。
礼を伴わない勇気はただの混乱を生む。
礼を伴わない正直さはただの頑なさとなる。
君子が親族との関係を大切にすれば、民も仁の心を持つようになる。
昔からの友人を忘れなければ、民も誠実さを失わない。」
曾子有疾,召門弟子曰:「啟予足!啟予手!詩云:『戰戰兢兢,如臨深淵,如履薄冰。』而今而後,吾知免夫!小子!」
曾子、疾あり。門弟子を召して曰く、
「予の足を啓け! 予の手を啓け!
詩に云う、『戦戦兢兢、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し』と。
今より後、吾免るることを知れり!小子よ!」
曾子が病に倒れ、弟子たちを呼び寄せて言った。
「私の足を広げよ! 私の手を広げよ!
『慎重に慎重を重ね、深い淵に臨むように、薄い氷の上を歩くように振る舞え』と詩にある。
今、私はこれから解放されることを知った! 皆よ、しっかり学びなさい!」
曾子有疾,孟敬子問之。曾子言曰:「鳥之將死,其鳴也哀,人之將死,其言也善。君子所貴乎道者三:動容貌,斯遠暴慢矣;正顏色,斯近信矣;出辭氣,斯遠鄙倍矣;籩豆之事,則有司存。」
曾子、疾あり。孟敬子、これを問う。
曾子、言いて曰く、「鳥の将に死せんとするや、その鳴くこと哀し。人の将に死せんとするや、その言善し。
君子の道を貴ぶ所は三つあり。
容貌を動かせば、斯ち暴慢を遠ざく。
顔色を正せば、斯ち信に近づく。
辞気を出だせば、斯ち鄙倍を遠ざく。
籩豆の事は、則ち有司存す。」
曾子が病に伏せたとき、孟敬子が見舞いに訪れた。
曾子は言った。「鳥は死ぬ前に悲しげに鳴く。人は死ぬ前に良い言葉を残す。
君子が道を重んじるためには、三つのことが大切だ。
顔の表情を穏やかにすれば、傲慢を遠ざけることができる。
顔色を正せば、誠実さに近づくことができる。
言葉遣いを整えれば、卑しく偽ることを遠ざけることができる。
祭祀の細かい儀式は、役人が管理すればよい。」
曾子曰:「以能問於不能,以多問於寡,有若無,實若虛,犯而不校。昔者吾友,嘗從事於斯矣。」
曾子曰く、「能くして不能に問い、多くして寡なきに問う。
有ること無きが若く、実なること虚しきが若し。
犯されて校せず。
昔者、吾が友、嘗てこれに従事せり。」
曾子は言った。「能力がある者が能力のない者に教え、多くを知る者が少ししか知らない者に尋ねる。
豊かであっても無欲であるように振る舞い、実力があっても謙虚でいる。
他人に非難されても、争わない。
昔、私の友人は、これを実践していた。」
曾子曰:「可以託六尺之孤,可以寄百里之命,臨大節而不可奪也。君子人與?君子人也!」
曾子曰く、「六尺の孤を託すべく、百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪われざるなり。
君子の人か? 君子の人なり!」
曾子は言った。「幼い子供(六尺の孤)を安心して託すことができ、国家の大事(百里の命)を任せることができ、重大な局面でも節操を曲げない者こそ、君子の人である!」
曾子曰:「士不可以不弘毅,任重而道遠。仁以爲己任,不亦重乎;死而後已,不亦遠乎。」
曾子曰く、「士は弘毅ならざるべからず。任は重くして道は遠し。
仁を以って己れの任と為すは、亦重からずや。死して後已むは、亦遠からずや。」
曾子は言った。「士(学問を修めた者)は、広い度量と強い意志を持たなければならない。
なぜなら、背負うべき責務は重く、その道のりは遠いからだ。
仁を己の使命とするのは、なんと重いことか。
命を終えるまでその道を歩み続けるのは、なんと遠いことか。」
子曰:「興於詩,立於禮,成於樂。」
子曰く、「詩に興り、礼に立ち、楽に成る。」
孔子は言った。「人は『詩経』を学ぶことで感性を養い、礼儀を身につけることで人格を確立し、音楽を学ぶことで心を完成させる。」
子曰:「民可使由之,不可使知之。」
子曰く、「民はこれに由わしむべし。これをして知らしむべからず。」
孔子は言った。「民衆には道を示し、それに従わせることはできるが、全てを理解させることは難しい。」
子曰:「好勇疾貧,亂也。人而不仁,疾之已甚,亂也。」
子曰く、「勇を好みて貧を疾むは、乱れなり。
人にして仁ならずんば、これを疾むこと已だしきは、乱なり。」
孔子は言った。「勇敢さを好みながら貧しさを憎む者は、社会を乱す。
また、人として仁がなければならないのに、それを欠いた者を激しく憎むのも、社会を乱す。」
子曰:「如有周公之才之美,使驕且吝,其餘不足觀也已!」
子曰く、「もし周公の才・美有るも、驕りて且つ吝ならば、其の余りは観るに足らざるのみ!」
孔子は言った。「たとえ周公のような才能と美徳を持っていても、驕り高ぶり、けちであるならば、それ以外の長所は見るに値しない!」
子曰:「三年學,不至於穀,不易得也。」
子曰く、「三年学びて穀に至らずは、得がたし。」
孔子は言った。「三年間学んでも生活の糧を得ることができない者は、めったにいない。」
子曰:「篤信好學,守死善道。危邦不入,亂邦不居。天下有道則見,無道則隱。邦有道,貧且賤焉,恥也;邦無道,富且貴焉,恥也。」
子曰く、「篤信し学を好み、死を守りて善道を行う。
危邦には入らず、乱邦には居らず。
天下に道有れば則ち見れ、道無ければ則ち隠る。
邦に道有りて貧且つ賤しければ、恥なり。
邦に道無くして富み且つ貴ければ、恥なり。」
孔子は言った。「誠実に学問を好み、命をかけて正しい道を守る。
危険な国には入らず、混乱した国には住まない。
天下に道があれば世に出て活躍し、道がなければ隠れる。
国に道がありながら貧しく賤しいのは恥であり、国に道がないのに富み、貴いのもまた恥である。」
子曰:「不在其位,不謀其政。」
子曰く、「其の位に在らざれば、其の政を謀らず。」
孔子は言った。「自分がその地位にいないのなら、その職務について口を出すべきではない。」
子曰:「師摯之始,關雎之亂,洋洋乎,盈耳哉!」
子曰く、「師摯の始め、関雎の乱れ、洋洋たり、耳に盈つるかな!」
孔子は言った。「師摯が演奏を始め、『関雎』の旋律が展開されると、その響きは壮大であり、耳に満ち溢れるようだった!」
子曰:「狂而不直,侗而不愿,悾悾而不信,吾不知之矣!」
子曰く、「狂にして直からず、侗にして愿ならず、悾悾として信ならざれば、吾これを知らざるなり!」
孔子は言った。「情熱があっても正直でなければならず、素直であっても誠実でなければならない。
ひたすら努力していても、信頼できる人物でなければならない。
それらを欠いた者は、私には理解できない。」
子曰:「學如不及,猶恐失之。」
子曰く、「学ぶこと、不及ばざるが如くして、猶これを失うを恐る。」
孔子は言った。「学問は、常に追いつけないと思いながら学び続けるべきであり、それでもまだ失うことを恐れるものだ。」
子曰:「巍巍乎,舜、禹之有天下也,而不與焉。」
子曰く、「巍巍たり、舜・禹の天下を有つや、而も与にせず。」
孔子は言った。「なんと偉大なことか! 舜と禹は天下を治めながらも、私利私欲とは無縁であった。」
子曰:「大哉,堯之爲君也!巍巍乎,唯天爲大,唯堯則之!蕩蕩乎,民無能名焉!巍巍乎,其有成功也!煥乎,其有文章!」
子曰く、「大なるかな、堯の君と為るや!
巍巍たり、唯だ天の大なるのみ、唯だ堯のこれに則るのみ!
蕩蕩たり、民能く名くること無し!
巍巍たり、その成功有ること!
煥たり、その文章有ること!」
孔子は言った。「なんと偉大なことか! 堯の君主としての徳は。
天が最も偉大であるが、堯はそれに従った。
その徳の広大さは計り知れず、民衆はそれを言葉で表すことができなかった。
彼の成功はまさに壮大であり、その統治の文化は輝かしいものであった。」
舜有臣五人,而天下治。武王曰:「予有亂臣十人。」
孔子曰:「『才難』,不其然乎?唐虞之際,於斯爲盛,有婦人焉,九人而已。
三分天下有其二,以服事殷,周之德,其可謂至德也已矣!」
舜、臣五人を有ちて、而して天下治まる。
武王、曰く、「予に乱臣十人有り。」
孔子曰く、「『才難し』、其れ然らずや?
唐・虞の際に於いて、斯に盛んなること有り、婦人焉に有り、九人のみなり。
天下を三分して、その二を有ち、以って殷に服事し、周の徳に服す。
其れ至徳と謂うべきのみ!」
舜は五人の優れた臣を得て、天下を治めた。
武王は言った。「私には十人の問題児の臣がいる。」
孔子は言った。「『才能ある者は得がたい』とは、まさにその通りではないか?
唐と虞の時代(堯・舜の治世)は、最も輝かしい時代であり、そこに女性を含めても、賢人は九人しかいなかった。
天下の三分の二を持ちながら、殷に仕え、その後、周の徳に従った。
これはまさに至高の徳と言うべきである!」
子曰:「禹,吾無間然矣!菲飮食,而致孝乎鬼神;惡衣服,而致美乎黻冕;卑宮室,而盡力乎溝洫。禹,吾無間然矣!」
子曰く、「禹、吾間然すること無し!
菲そかにして飲食し、而も孝を鬼神に致す。
衣服を悪み、而も美を黻冕に致す。
宮室を卑くし、而も力を溝洫に尽す。
禹、吾間然すること無し!」
孔子は言った。「禹について、私は何も非難することができない!
彼は質素な食事をとりながらも、鬼神に対する孝を尽くした。
衣服にこだわらなかったが、祭礼の際には礼に適った服装を整えた。
宮殿を質素にし、その力を国の治水工事に注いだ。
禹には、私が批判するべき点が何もない!」
子罕言利與命與仁。
子、罕に利と命と仁とを言う。
孔子は、「利益」「運命」「仁」については滅多に語らなかった。
達巷黨人曰:「大哉孔子!博學而無所成名。」
子聞之,謂門弟子曰:「吾何執?執御乎?執射乎?吾執御矣!」
達巷の党人、曰く、「大なるかな孔子!
博学なれども、成名する所無し。」
子、これを聞きて、門弟子に謂いて曰く、
「吾、何を執らん? 御を執らんか? 射を執らんか?
吾、御を執らん!」
達巷の村人が言った。「孔子は偉大な人物だ! しかし、博学でありながら、どの分野にも名を成していない。」
孔子はこれを聞き、弟子たちに言った。
「私は何を専門にしようか? 馬車の御者か? 弓術か? …私は馬車の御者になろう!」
子曰:「麻冕,禮也;今也純,儉,吾從眾。
拜下,禮也;今拜乎上,泰也。雖違眾,吾從下。」
子曰く、「麻冕は礼なり。今は純を用うるは倹なり。吾、衆に従う。
下に拝するは、礼なり。今、上に拝するは、泰なり。
衆に違うと雖も、吾は下に従う。」
孔子は言った。「昔は麻の冠(麻冕)が礼にかなっていた。しかし、今は絹の冠(純)が使われる。これは倹約のためであり、私も世間に従おう。
昔は目上の人に拝礼するときは一段低い場所から行うのが礼であった。今では高い場所から拝礼するのが普通になっているが、これは礼を軽んじる行為だ。
私は世間と違おうとも、本来の礼に従って低い位置から拝礼する。」
子絕四:「毋意,毋必,毋固,毋我。」
子、四つを絶つ。「意うこと毋く、必ずすること毋く、固くすること毋く、我すること毋し。」
孔子は四つのことを避けていた。
「独断しない」「断言しない」「頑固にならない」「自己中心にならない」。
子畏於匡。曰:「文王既沒,文不在茲乎?
天之將喪斯文也,後死者,不得與於斯文也。
天之未喪斯文也,匡人其如予何?」
子、匡にて畏る。曰く、
「文王既に没すと雖も、文は茲に在らずや?
天、将に斯文を喪ぼさんとすれば、後に死する者、斯文に与かるを得ざらん。
天、未だ斯文を喪ぼさざれば、匡人、其れ予を如何せん?」
孔子は匡の地で危険に遭遇した。そこで言った。
「文王はすでに亡くなったが、その文化(礼と音楽)はまだ私の中に生きているではないか?
もし天がこの文化を滅ぼすつもりなら、これから生まれてくる者は文化を学ぶことができないだろう。
だが、天はまだ文化を滅ぼしていない。ならば、匡の人々が私をどうしようというのか?(つまり、私はここで死ぬことはない)」
大宰問於子貢曰:「夫子聖者與?何其多能也?」
子貢曰:「固天縱之將聖,又多能也。」
子聞之曰:「大宰知我乎!吾少也賤,故多能鄙事。君子多乎哉?不多也!」
大宰、子貢に問うて曰わく、
「夫子は聖者か? 何ぞ其の多能なるや?」
子貢、曰く、「固より天、これを縦えたまいて将に聖ならんとし、また多能なり。」
子、これを聞きて曰く、
「大宰、我を知るか!
吾、少くして賤しきが故に、多く鄙事を能くせり。
君子、多きか? 多からざるなり!」
大宰が子貢に尋ねた。「あなたの先生(孔子)は聖人ですか? どうしてあんなに多才なのですか?」
子貢は答えた。「天が彼を聖人として生まれさせたのです。そして、多才でもあります。」
孔子はこれを聞いて言った。「大宰は私のことを本当に分かっているのか?
私は若い頃、身分が低かったため、多くの雑務をこなす必要があったのだ。
君子が多芸に秀でているか? いや、そうではない。」
牢曰:「子云:『吾不試,故藝。』」
牢、曰く、「子、云わく、『吾、試みられず。故に芸あり。』」
牢(孔子の弟子)が言った。「先生(孔子)は、『私は試される機会がなかった。だからこそ、多くの技芸を身につけることになったのだ』とおっしゃっていた。」
子曰:「吾有知乎哉?無知也。有鄙夫問於我,空空如也,我扣其兩端而竭焉。」
子曰く、「吾、知有るか? 無知なり。
鄙夫、我に問う。有ること空空たるが如し。
我、其の両端を扣きて竭くす。」
孔子は言った。「私は知識を持っているのか? いや、私は無知である。
ある田舎者が私に質問をした。そのとき、私は空っぽの器のような心で聞いた。
そして、私はその問題の両端を叩いて(=多角的に考えて)、答えを導き出したのだ。」
子曰:「鳳鳥不至,河不出圖,吾已矣夫!」
子曰く、「鳳鳥至らず、河は図を出さず。吾、已みなん!」
孔子は言った。「鳳凰(聖王の出現を象徴する鳥)は現れず、黄河も聖なる図(河図)を示さない。
この世界にはもう、道を正しく導く聖王が現れないのだろうか。私はもう諦めるしかないのか!」
子見齊衰者,冕衣裳者,與瞽者,見之,雖少必作,過之必趨。
子、斉衰者、冕衣裳者、瞽者を見る。
これを見れば、少きと雖も必ず作ち、これを過ぐれば必ず趨る。
孔子は**喪服を着た人(斉衰者)、礼装を身につけた人(冕衣裳者)、盲人(瞽者)**に会うと、
たとえ相手が年下であっても必ず立ち上がり、
また、その前を通るときは必ず慎み深く早足で通り過ぎた。
顏淵喟然歎曰:「仰之彌高,鑽之彌堅,瞻之在前,忽焉在後!夫子循循然善誘人:博我以文,約我以禮。欲罷不能,既竭吾才,如有所立卓爾,雖欲從之,末由也已!」
顔淵、喟然として歎いて曰わく、
「仰げば弥高く、鑽むれば弥堅し。
瞻るに前に在り、忽焉として後ろに在り。
夫子、循循然として善く人を誘う。
我を博く文にし、我を約して礼にす。
罷めんと欲すれども能わず。
既に吾が才を竭くすも、
如し立ちて卓爾たる所有らんが如し。
之に従わんと欲すと雖も、末由なり!」
顔淵は深く嘆息して言った。
「先生(孔子)は仰ぎ見るほどに高く、探求するほどに堅固な存在である。
目の前にいると思えば、ふと後ろにいるような気がする。
先生は一歩ずつ丁寧に教え、人を正しく導いてくださる。
私に広く学問を授け、礼によって私を律してくださる。
やめようと思っても、やめられない。
私の才能をすべて使い果たしても、なおそこに何かがあるかのようだ。
先生について行こうと思っても、到底追いつくことはできない!」
子疾病,子路使門人爲臣。病間,曰:「久矣哉,由之行詐也!無臣而爲有臣,吾誰欺?欺天乎?且予與其死於臣之手也,無寧死於二三子之手乎!且予縱不得大葬,予死於道路乎?」
子、疾病す。子路、門人をして臣と為さしむ。
病間えて曰く、
「久しきかな、由の詐りを行うこと!
臣無きにして臣を有ると為す。
吾、誰をか欺かん? 天を欺かんか?
且つ予、其れ臣の手に死するよりは、
無寧ろ二三子の手に死せんか!
且つ予、縦い大葬を得ざるとも、
予、道路に死せんや?」
孔子が病に倒れたとき、子路は弟子たちを臣下のように仕えさせた。
病が少し回復すると、孔子は言った。
「なんと長くも、子路は偽りを行っていることか!
私は臣下などいないのに、あたかもいるかのように見せるとは。
私は誰を欺くというのか? 天を欺くのか?
それに、私は家臣に看取られて死ぬよりも、弟子たちに看取られて死ぬ方がよいではないか!
たとえ立派な葬儀ができなかったとしても、私が道端で死ぬようなことはあるまい。」
子貢曰:「有美玉於斯,韞櫝而藏諸?求善賈而沽諸?」
子曰:「沽之哉!沽之哉!我待賈者也!」
子貢、曰く、
「美玉有らば、これを韞櫝に蔵むるか?
善き賈い人を求めて、これを沽るか?」
子、曰く、
「沽るかな! 沽るかな!
我、賈者を待(ま)つなり!」
子貢が尋ねた。「もし素晴らしい宝石があったなら、それを箱に入れてしまっておくべきでしょうか?
それとも、良い買い手を見つけて売るべきでしょうか?」
孔子は言った。「売るべきだ! 売るべきだ! 私は良い買い手(自分を理解してくれる人)を待っているのだ!」
子欲居九夷。或曰:「陋,如之何?」
子曰:「君子居之,何陋之有?」
子、九夷に居らんと欲す。
或ひと曰わく、「陋し。これを如何?」
子曰く、「君子居らば、何ぞ陋しきこと有らん?」
孔子は「九夷(辺境の地)に住もう」と考えていた。
ある人が言った。「あんな僻地に住んでどうするのです? みすぼらしくはありませんか?」
孔子は答えた。「そこに君子が住めば、どうしてみすぼらしくなることがあろうか?」
子曰:「吾自衞反魯,然後樂正,雅頌各得其所。」
子曰く、「吾、衛より魯に反りて、然る後に楽正され、雅・頌各々その所を得たり。」
孔子は言った。「私は衛から魯へ戻った後に、音楽が正しく整えられ、雅楽や頌歌がそれぞれ本来の位置に収まった。」
子曰:「出則事公卿,入則事父兄,喪事不敢不勉,不爲酒困,何有於我哉?」
子曰く、「出ずれば則ち公卿に事え、入れば則ち父兄に事う。
喪事は敢えて勉めざること無く、酒に困しめらるること無し。
何ぞ我に有らんや?」
孔子は言った。「私は外に出れば公卿に仕え、家に入れば父兄に仕える。
葬儀には誠実に努め、酒に溺れることはない。
これ以上、私に何が求められるというのか?」
子在川上曰:「逝者如斯夫!不舍晝夜。」
子、川上に在りて曰く、
「逝く者は斯の如きかな! 昼夜を舍てず。」
孔子が川のほとりに立ち、言った。
「流れゆく水のように、時は昼も夜も止まることなく過ぎ去っていくのだな。」
子曰:「吾未見好德如好色者也。」
子曰く、「吾、未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ざるなり。」
孔子は言った。「私はまだ、美しい女性を好むように徳を好む者を見たことがない。」
子曰:「譬如爲山,未成一簣,止,吾止也!譬如平地,雖覆一簣,進,吾往也!」
子曰く、「譬えば山を為るが如し。未だ一簣を成さざるに止むは、吾止むなり!
譬えば平地を覆うが如し。一簣を覆うと雖も進むは、吾往くなり!」
孔子は言った。「山を築くようなものだ。あと一盛りの土を積めば完成するのにやめてしまうのは、自分の怠慢によるものだ。
また、平らな地面に一盛りの土を積んでも、それを積み続けるなら前進できる。私はそのように進んでいく。」
子曰:「語之而不惰者,其回也與!」
子曰く、「之に語りて惰らざる者は、其れ回か!」
孔子は言った。「教えを聞いて怠ることのない者は、やはり顔回だけだな!」
子謂顏淵,曰:「惜乎!吾見其進也,未見其止也!」
子、顔淵を謂いて曰く、
「惜しいかな! 吾、其の進むを見るも、未だ其の止むを見ず。」
孔子は顔淵について言った。
「惜しいことだ! 彼が学び続ける姿は見てきたが、その歩みを止めるのを見たことがない。」
子曰:「苗而不秀者,有矣夫!秀而不實者,有矣夫!」
子曰く、「苗にして秀でざる者、有り。
秀でて実らざる者、有り。」
孔子は言った。「芽は出ても成長しない者がいる。
また、成長しても実を結ばない者もいる。」
子曰:「後生可畏,焉知來者之不如今也?四十、五十而無聞焉,斯亦不足畏也已!」
子曰く、「後生は畏るべし。焉んぞ来る者の今に如かざるを知らんや?
四十、五十にして無聞なるは、斯も亦畏るるに足らざるのみ!」
孔子は言った。「若者は恐るべき存在だ。どうして彼らが未来において今より劣ると決めつけられようか?
しかし、40歳や50歳になっても名を成せない者は、もはや恐れるに値しない。」
子曰:「法語之言,能無從乎?改之爲貴。巽與之言,能無說乎?繹之爲貴。說而不繹,從而不改,吾末如之何也已矣!」
子曰く、「法語を之に言えば、能く従わざらんや? 之を改むるを貴しとす。
巽として之に言えば、能く説ばざらんや? 之を繹するを貴しとす。
説びて繹せず、従いて改めざるは、吾末如何ともすること無し。」
孔子は言った。「正しい言葉を聞けば、それに従うべきだ。しかし、大切なのはそれを実際に改めることだ。
柔和な言葉で説かれれば、それを喜ぶのは当然だ。しかし、大切なのは深く考えることだ。
もし喜ぶだけで深く考えず、従うだけで改めなければ、私はもうどうしようもない。」
子曰:「主忠信,毋友不如己者,過則勿憚改。」
子曰く、「忠信を主とし、不如かざる者を友とする毋かれ。
過てば則ち改むることを憚る勿かれ。」
孔子は言った。「忠誠と誠実を大切にし、自分より劣る者を友とするな。
過ちを犯したなら、それを改めることを恐れるな。」
子曰:「三軍可奪帥也,匹夫不可奪志也。」
子曰く、「三軍は帥を奪うべし。
匹夫は志を奪うべからず。」
孔子は言った。「大軍でさえ将を失うことがあるが、一介の士(志を持つ者)の決意を奪うことはできない。」
子曰:「衣敝縕袍,與衣狐貉者立,而不恥者,其由也與!
『不忮不求,何用不臧?』子路終身誦之。
子曰:「是道也,何足以臧?」
子曰く、「衣敝れたる縕袍を着て、衣狐貉を着る者と立ち、而も恥じざる者は、其れ由か!
『忮まず求めず、何ぞ用て臧からざらん?』」
子路、終身これを誦す。
子曰く、「是の道や、何ぞ用て臧しとするに足らん?」
孔子は言った。「ボロボロの麻の服を着ていても、豪華な毛皮の服を着た者と並んで立ち、恥じることがない者、それは子路ではないか!
『人を妬まず、むやみに求めず、それでどうして良くないことがあろうか?』」
子路はこの言葉を生涯にわたって唱え続けた。
孔子は言った。「だが、その考えだけで十分だと言えるだろうか?」
子曰:「歲寒,然後知松柏之後凋也。」
子曰く、「歳寒くして、然る後に松柏の後に凋むを知るなり。」
孔子は言った。「冬の寒さが厳しくなって初めて、松や柏が最後まで枯れないことを知る。
(=困難な時にこそ、人の真価が分かる。)」
子曰:「知者不惑,仁者不憂,勇者不懼。」
子曰く、「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。」
孔子は言った。「知恵のある者は迷わず、仁のある者は心を悩ませず、勇気のある者は恐れない。」
子曰:「可與共學,未可與適道;可與適道,未可與立;可與立,未可與權。」
子曰く、「共に学ぶべきも、未だ道に適うべからず。
道に適うべきも、未だ立つべからず。
立つべきも、未だ権に与かるべからず。」
孔子は言った。「共に学ぶことはできるが、道に適うことができるとは限らない。
道に適うことができる者も、まだ独立できるとは限らない。
独立できる者も、まだ大事を任されるほどの実力があるとは限らない。」
「唐棣之華,偏其反而;豈不爾思?室是遠而。」
子曰:「未之思也,夫何遠之有?」
「唐棣の華、偏えに其れ反る。
豈爾を思わざらんや? 室是れ遠きにあり。」
子曰く、「未だこれを思わず。夫れ何ぞ遠きことの有らん?」
詩の一節:
「唐棣の花は風に揺れ、あちこちになびく。
どうしてあなたのことを思わないことがあろうか?
ただ、家が遠く離れているのだ。」
孔子は言った。「思ってもいないのに、どうして遠いなどと言えようか?
(=心があれば、距離は問題にならない。)」
孔子於鄉黨,恂恂如也,似不能言者。其在宗廟朝廷,便便言,唯謹爾。
孔子、郷党に於いて、恂恂として如たり、言う能わざる者に似たり。
其れ宗廟・朝廷に在れば、便便として言い、唯謹むのみ。
孔子は故郷の村にいるときは、非常に慎み深く、まるで口下手な人のようであった。
しかし、宗廟(祖先を祀る場)や朝廷にいるときは、流暢に話し、ただ慎み深く振る舞った。
朝與下大夫言,侃侃如也;與上大夫言,誾誾如也。君在,踧踖如也,與與如也。
朝にて下大夫と言えば、侃侃として如たり。
上大夫と言えば、誾誾として如たり。
君在せば、踧踖として如たり、与与として如たり。
孔子は、下級の大夫(官僚)と話すときは率直であり、上級の大夫と話すときは慎み深かった。
君主の前では、礼儀正しく緊張しながらも、穏やかに落ち着いていた。
君召使擯,色勃如也,足躩如也。揖所與立,左右手,衣前後,襜如也。趨進,翼如也。賓退,必復命,曰:「賓不顧矣。」
君、召して擯たらしむれば、色勃として如たり、足躩として如たり。
揖する所の立つに、左右に手し、衣の前後、襜として如たり。
趨りて進むこと、翼の如し。
賓退けば、必ず復命し、曰わく、「賓、不顧みず。」
君主が孔子を召し出し、儀礼の案内役を務めさせると、孔子は顔色を正し、慎重に歩いた。
挨拶するときは、手を左右に広げ、衣服の前後が整っているようにし、
進むときは、まるで翼を広げた鳥のように優雅に動いた。
賓客が退出すると、必ず君主に報告し、「賓客は満足して帰りました。」と告げた。
入公門,鞠躬如也,如不容。立不中門,行不履閾。過位,色勃如也,足躩如也,其言似不足者。攝齊升堂,鞠躬如也,屛氣似不息者。出,降一等,逞顏色,怡怡如也。沒階趨進,翼如也。復其位,踧踖如也。
公門に入るとき、鞠躬として如たり、不容なるが如し。
立つに中門を避け、行うに閾を履まず。
位を過ぐれば、色勃として如たり、足躩として如たり。
その言、似て不足なる者し。
斎を攝め、堂に升れば、鞠躬として如たり、気を屛めて息まずるが如し。
出でて、一等降り、顏色を逞べ、怡怡として如たり。
階を沒えて進むに、翼の如し。
位に復れば、踧踖として如たり。
孔子は公の門をくぐるとき、深々とお辞儀をし、まるで身体を縮めるように慎ましく振る舞った。
立つときは正門の中央には立たず、門の敷居も踏まなかった。
地位のある者の前を通るときは、顔色を正し、慎重に歩いた。
話すときは言葉を少なくし、静かに振る舞った。
儀礼の場では、息を殺すようにして慎み深く振る舞い、
退出するときには、一段階ずつ降り、表情を和らげて、穏やかに微笑んだ。
階段を降りるときは、羽ばたく鳥のように優雅に歩き、
元の位置に戻ると、再び礼儀正しく慎重な態度を取った。
執圭,鞠躬如也,如不勝。上如揖,下如授,勃如戰色,足蹜蹜如有循。享禮,有容色。私覿,愉愉如也。
圭を執るとき、鞠躬として如たり、不勝えざるが如し。
上げるは揖するが如く、下すは授くるが如し。
勃として戦色の如く、足蹜蹜として循う者有るが如し。
享礼には、容色有り。
私覿には、愉愉として如たり。
孔子が儀礼の際に圭(けい=玉の笏)を持つときは、慎み深く、まるで重すぎて持ちきれないような態度をとった。
圭を持ち上げるときは、軽く礼をするような仕草で、下ろすときは、人に渡すような仕草で行った。
表情は厳しく、戦いに臨むような緊張感があり、足元は慎重で、一歩一歩確認しながら進むようであった。
正式な儀礼の場では、落ち着いた表情で臨んだが、私的な場では、和やかに振る舞った。
君子不以紺緅飾,紅紫不以爲褻服;當暑,袗絺綌,必表而出之。
緇衣羔裘,素衣麑裘,黃衣狐裘。褻裘長,短右袂。(必有寢衣,長一身有半。)
狐貉之厚以居。去喪,無所不佩。非帷裳,必殺之。羔裘玄冠,不以弔。吉月,必朝服而朝。
君子は紺緅を以って飾らず。紅紫を以って褻服と為さず。
暑きに当たりては、袗として絺綌を着、必ず表してこれを出だす。
緇衣には羔裘、素衣には麑裘、黄衣には狐裘。
褻裘は長く、右袂は短し。(必ず寢衣を有ち、長けは一身の半ば有り。)
狐貉の厚きは、以って居す。
喪を去りては、佩びざる所無し。
帷裳に非ざるは、必ず殺ぐ。
羔裘に玄冠、これを以って弔わず。
吉月には、必ず朝服して朝す。
君子は紺や深紅の色で飾ることはせず、紅や紫を普段着として着ることはしなかった。
夏には薄い麻の衣を着るが、下着をつけてから着用した。
黒い服には子羊の毛皮の上着、白い服には子鹿の毛皮の上着、黄色い服には狐の毛皮の上着を合わせた。
普段着の毛皮の上着は丈が長く、右袖は短めだった。(寝るときは、身体の半分を覆う長さの寝巻きを着た。)
厚手の狐や貉の毛皮の上着は、家の中で着用した。
喪が明けると、どんな装飾品でも身につけるようになった。
正装以外の服は、必ず簡素に整えた。
子羊の毛皮の上着に黒い冠をつけるときは、弔問には行かなかった。
吉日には、必ず正式な礼服を着て朝廷に出仕した。
齊,必有明衣,布。齊必變食,居必遷坐。
斉すれば、必ず明衣を有ち、布たり。
斉すれば、必ず食を変え、居すれば、必ず坐を遷す。
斎戒(祭祀などの前に身を清めること)をするときは、必ず白い衣を着て、それは麻布で作られていた。
また、食事の内容を変え(肉などを避け)、座る場所も変えて心を清めた。
食不厭精,膾不厭細。食饐而餲,魚餒而肉敗,不食。
色惡不食,臭惡不食。失飪不食,不時不食。
割不正不食,不得其醬不食。肉雖多,不使勝食氣。
唯酒無量,不及亂。沽酒市脯不食。
不撤薑食,不多食。
祭于公,不宿肉。祭肉不出三日,出三日,不食之矣。
食不語,寢不言。
雖疏食菜羹瓜祭,必齊如也。
食は精を厭わず、膾は細きを厭わず。
食饐えて餲するもの、魚餒えて肉敗るるものは食わず。
色悪しきを食わず。臭い悪しきを食わず。
飪えを失えるものを食わず。時ならざるものを食わず。
割ること正しからざるものを食わず。醬を得ざるものを食わず。
肉は多くと雖も、食の気に勝えしめず。
唯酒のみ無量なり、乱るるに及ばず。
沽酒(こしゅ=市販の酒)、市脯(しほ=市場の干し肉)は食わず。
薑は食を撤らず。多く食わず。
公に祭るには、肉を宿めず。
祭肉は三日を出でず。三日を出ずれば、食わざるなり。
食には語らず。寢には言わず。
疏食・菜羹・瓜の祭と雖も、必ず斉するが如し。
孔子は食事に関して極めて慎重であり、以下のような規則を守っていた。
米は精白され、肉や魚の膾(なます)は細かく刻まれたものを好んだ。
食べ物が腐ったり酸っぱくなったりしたものは食べず、魚が傷んだり肉が腐ったものも口にしなかった。
色や見た目が悪いもの、悪臭がするものは食べなかった。
正しく調理されていないもの、季節外れの食材は食べなかった。
肉を切るときに正しく切られていないものは食べなかった。醬(しょう=調味料)が適切でない場合も食べなかった。
肉が多くても、主食より多くなることはなかった。
酒だけは制限しなかったが、決して酔いが過ぎることはなかった。
市場で買った酒や干し肉は食べなかった。
食卓から生姜を取り除くことはなかったが、大量には食べなかった。
公(公的な場)での祭祀では、その肉を翌日まで持ち越すことはなかった。
祭祀の供え物の肉は、三日以内に食べた。それを過ぎたものは口にしなかった。
食事中には話さず、寝る前にも無駄な会話をしなかった。
たとえ質素な食事(米飯、菜の汁、瓜)であっても、常に祭祀を行うように敬意をもって食した。
席不正不坐。
席正しからざれば、坐らず。
孔子は、座布団や席がきちんと整えられていないと、そこに座らなかった。
鄉人飮酒,杖者出,斯出矣。鄉人儺,朝服而立於阼階。
郷人飲酒すれば、杖者出づれば、斯ち出づ。
郷人の儺、朝服して阼階に立つ。
村人たちが宴会で酒を飲むとき、年長者が席を立てば、それに従って孔子も立ち去った。
また、村の儺(鬼払いの儀式)では、正装をして阼階(君主が立つ壇)に立った。
問人於他邦,再拜而送之。康子饋藥,拜而受之,曰:「丘未達,不敢嘗。」
人を他邦に問えば、再拝してこれを送る。
康子、薬を饋る。拝してこれを受け、曰わく、
「丘、未だ達せず、敢えて嘗めず。」
孔子は他国に使者を派遣するとき、二度拝礼して見送った。
あるとき、康子が薬を贈った。孔子は拝礼して受け取ったが、
「私はこの薬についてまだ詳しく理解していない。だから、軽々しく試すことはしない。」と言った。
廄焚,子退朝,曰:「傷人乎?」不問馬。
廄焚く。子、朝より退きて曰わく、
「人を傷うか?」
馬を問わず。
孔子の馬小屋が火事になった。
孔子が朝廷から帰ると、まず「人は無事か?」と尋ねたが、馬のことは聞かなかった。
君賜食,必正席先嘗之。君賜腥,必熟而薦之。君賜生,必畜之。
侍食於君,君祭,先飯。疾,君視之,東首,加朝服拖紳。君命召,不俟駕行矣。
君、食を賜えば、必ず席を正し、先ずこれを嘗む。
君、腥を賜えば、必ず熟してこれを薦る。
君、生を賜えば、必ず畜う。
君に侍食すれば、君、祭るに、先ず飯す。
疾すれば、君、これを視るに、東首し、朝服を加え、紳を拖く。
君、命して召せば、駕を俟たずして行くなり。
君主から食事を賜ると、必ず席を正してからまず一口味わった。
生肉を賜ったときは、必ず火を通してから供えた。
生きた動物を賜ったときは、育てて大切にした。
君主と食事を共にするとき、君主が祭祀をするときは、先に食事をとることが許された。
病気になり、君主が見舞いに来るときは、東の方角に頭を向け、朝服を着て、礼儀を守って対応した。
君主が召し出すときは、馬車の用意を待たずにすぐに駆けつけた。
入太廟,每事問。
太廟に入れば、毎事く問う。
孔子は宗廟(祖先を祀る神聖な場所)に入ると、すべてのことについて詳しく尋ねた。
(=礼法を慎重に学び、決して知ったかぶりをしなかった。)
朋友死,無所歸,曰:「於我殯。」朋友之饋,雖車馬,非祭肉,不拜。
朋友死して、帰する所無ければ、曰わく、「我に於いて殯せん。」
朋友の饋るもの、車馬と雖も、祭肉に非ざれば、拝せず。
孔子は、友人が亡くなり、葬儀を執り行う者がいない場合、「私のもとで仮埋葬しよう」と言った。
また、友人からの贈り物は、たとえ馬車であっても、祭祀の肉でなければ拝礼して受け取らなかった。
寢不尸,居不容。見齊衰者,雖狎必變。
見冕者與瞽者,雖褻必以貌。凶服者式之。式負版者。
有盛饌,必變色而作。迅雷,風烈,必變。
寝するに尸せず、居するに容せず。
斉衰を見れば、狎ると雖も必ず変ず。
冕者と瞽者を見れば、褻と雖も必ず貌を以ってす。
凶服者には式す。
負版者には式す。
盛饌有れば、必ず色を変じて作つ。
迅雷、風烈あれば、必ず変ず。
孔子は寝るときは伸び伸びとせず、普段の居住でもだらしなくしなかった。
喪服を着た人に会うと、たとえ親しい間柄でも表情を改めた。
冠をかぶった高貴な人や盲人に会うと、普段着であっても礼儀正しく接した。
喪服を着た人や、罪人のように刑罰の札を背負った人には敬意を示した。
立派な料理が出ると、表情を改め、きちんと席を立った。
雷鳴や強風が吹くと、必ず態度を正した。
升車,必正立,執綏。車中不內顧,不疾言,不親指。
車に升れば、必ず正しく立ち、綏を執る。
車中にして内を顧みず、疾言せず、親ら指ささず。
孔子は馬車に乗るとき、必ず正しい姿勢で立ち、手すりをしっかり握った。
車中では周囲を振り返らず、大声を出さず、他人を直接指さすこともしなかった。
(=礼儀を重んじ、慎み深く振る舞った。)
色斯擧矣,翔而後集。曰:「山梁雌雉,時哉時哉!」
子路共之,三嗅而作。
色斯に挙ぐれば、翔りて後に集う。
曰わく、「山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな!」
子路、之に共す。三たび嗅ぎて作つ。
孔子は、雌の雉(キジ)が飛び立ち、しばらく舞ったあと地面に降りる様子を見て、
「あの雉が梁(はし)の上で羽ばたき、舞った後に着地するように、時が巡るのだ。時が来たのだ!」と詠んだ。
子路が近づいて一緒にその雉を見た。
すると雉は三回匂いを嗅ぎ、警戒して飛び立った。
(※ これは孔子が「時機を見極め、行動することの大切さ」を象徴的に述べたものと解釈される。)
子曰:「先進於禮樂,野人也;後進於禮樂,君子也。如用之,則吾從先進。」
子曰く、「礼楽に先んじて進むは、野人なり。礼楽に後れて進むは、君子なり。
これを用うるに、則ち吾は先進に従わん。」
孔子は言った。「礼や音楽を先に学んだ者は、野人(地方の素朴な人々)であり、
礼や音楽を後から学んだ者こそ、君子である。
もし誰かを用いるなら、私は先に学んだ者(野人)を選ぶだろう。」
子曰:「從我於陳蔡者,皆不及門也。」德行:顏淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語:宰我、子貢。政事:冉有、季路。文學:子游、子夏。
子曰く、「我に従いて陳蔡に赴びし者は、皆門に及ばず。」
徳行には、顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。
言語には、宰我、子貢。
政事には、冉有、季路。
文学には、子游、子夏。
孔子は言った。「私と共に陳や蔡の国を旅した者たちは、まだ真の門弟(高弟)には及ばない。
徳のある者は、顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。
言葉に秀でた者は、宰我、子貢。
政治に優れた者は、冉有、季路。
学問に秀でた者は、子游、子夏である。」
子曰:「回也,非助我者也!於吾言,無所不說。」
子曰く、「回や、我を助くる者に非ざるなり!
吾が言に於いて、説ばざる所無し。」
孔子は言った。「顔回は、私を助ける者ではない!(議論の相手にはならない)
なぜなら、彼は私の言葉をすべて喜んで受け入れてしまうからだ。」
子曰:「孝哉,閔子騫!人不間於其父母昆弟之言。」
子曰く、「孝なるかな、閔子騫!
人、其の父母・昆弟の言に間せず。」
孔子は言った。「閔子騫はなんと孝行な人物だろう!
彼の言動に対して、誰も父母や兄弟からの非難を挟むことがないほどである。」
南容三復《白圭》,孔子以其兄之子妻之。
南容、三たび《白圭》を復す。
孔子、其の兄の子を以ってこれに妻す。
南容は、『白圭(詩経の一節)』の句を三度繰り返して吟じた。
孔子は、彼の人柄を認め、自分の兄の娘を彼に嫁がせた。
季康子問:「弟子孰爲好學?」孔子對曰:「有顏回者好學,不幸短命死矣。今也則亡。」
季康子、問う、「弟子、孰か学を好む?」
孔子、対えて曰わく、「顔回なる者ありて、学を好みしが、不幸にして短命に死せり。
今や則ち亡し。」
季康子が尋ねた。「弟子の中で、誰が最も学問を愛していましたか?」
孔子は答えた。「顔回という者がいた。彼は学問を何よりも愛していたが、不幸にも短命で亡くなってしまった。
今では、彼に匹敵する者はいない。」
顏淵死,顏路請子之車以爲之槨。子曰:「才不才,亦各言其子也。鯉也死,有棺而無槨。吾不徒行以爲之槨,以吾從大夫之後,不可徒行也。」
顔淵死す。顔路、子の車を請いてこれを槨と為さしむ。
子曰く、「才・不才も、また各其の子を言うなり。
鯉も死せし時、棺ありて槨無し。
吾、徒行してこれを槨と為さず。
吾、大夫の後に従うを以って、徒行すべからず。」
顔淵が亡くなったとき、顔路(顔淵の父)は孔子に「先生の馬車を譲っていただき、それで槨(棺を収める外箱)を作りたい」と頼んだ。
孔子は言った。「親は誰でも、自分の子について語るものだ。
私の息子(孔鯉)が亡くなったときも、棺は用意したが槨は作らなかった。
私は身分上、大夫の列に従っているため、軽々しく馬車を手放して歩くわけにはいかないのだ。」
顏淵死,子曰:「噫!天喪予!天喪予!」
顔淵死す。子、曰わく、「噫! 天、予を喪えり! 天、予を喪えり!」
顔淵が亡くなったとき、孔子は嘆いて言った。
「ああ! 天は私を見捨てたのか! 天は私を見捨てたのか!」
(=最も優れた弟子を失った悲しみを表現している。)
顏淵死,子哭之慟。從者曰:「子慟矣!」曰:「有慟乎?非夫人之爲慟而誰爲?」
顔淵死す。子、これを哭して慟む。
従者、曰わく、「子、慟みたまう。」
曰く、「慟み有るか? 夫の人の為に慟まずして、誰の為に慟まん?」
顔淵が亡くなったとき、孔子は悲しみのあまり激しく泣いた。
弟子たちは「先生、あまりにも深く悲しまれています」と言った。
孔子は答えた。「悲しまないことがあろうか? 彼のために泣かずして、誰のために泣くというのか?」
顏淵死,門人欲厚葬之。子曰:「不可。」門人厚葬之。
子曰:「回也,視予猶父也,予不得視猶子也;非我也,夫二三子也。」
顔淵死す。門人、厚葬せんと欲す。
子、曰わく、「可ならず。」
門人、厚葬す。
子曰く、「回や、予を視ること猶父のごとし。
予、これを視ること猶子のごとくするを得ず。
我に非ず、夫の二三子なり。」
顔淵が亡くなったとき、弟子たちは盛大な葬儀を行おうとした。
孔子は「それは良くない」と止めたが、弟子たちは結局厚葬した。
孔子は言った。「顔回は私を父のように慕っていたが、私は彼を息子のように見てやることができなかった。
(=彼をもっと支えてやりたかったのに、それができなかった。)
これは私の意思ではなく、お前たち弟子の判断である。」
季路問事鬼神。子曰:「未能事人,焉能事鬼?」
「敢問死?」曰:「未知生,焉知死?」
季路、鬼神を事うるを問う。
子、曰わく、「未だ人を事うること能わずして、焉んぞ鬼を事えん?」
「敢えて死を問う。」
曰く、「未だ生を知らずして、焉んぞ死を知らん?」
季路が「鬼神を敬うべきでしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「まだ生きている人間をしっかり敬うこともできていないのに、どうして鬼神を敬えようか?」
続いて「では、死後のことについて教えてください」と聞くと、
孔子は言った。「生きることすら十分に理解していないのに、どうして死のことを知ることができようか?」
閔子侍側,誾誾如也;子路,行行如也;冉有、子貢,侃侃如也。子樂。
「若由也,不得其死然!」
閔子、側に侍して、誾誾として如たり。
子路、行行として如たり。
冉有・子貢、侃侃として如たり。
子、楽しむ。
「若し由や、其の死を得ざる然るかな!」
閔子騫は慎み深く、穏やかな態度で孔子のそばに仕えていた。
子路は活発で行動力があり、
冉有と子貢は議論好きで理路整然としていた。
孔子はその様子を見て楽しんでいたが、ふとこう言った。
「しかし、子路はおそらく不遇な死を遂げるだろう」
(※実際に子路は政変に巻き込まれて惨殺されている
魯人爲長府。閔子騫曰:「仍舊貫,如之何?何必改作?」
子曰:「夫人不言,言必有中。」
魯人、長府を為る。
閔子騫、曰わく、「旧貫を仍せば、これを如何?
何ぞ必ず改作せん?」
子、曰わく、「夫の人、言わずと雖も、言えば必ず中る。」
魯の国で、新しい行政機関(長府)を作る計画が持ち上がった。
それに対し、閔子騫は言った。「従来の制度を引き継げば良いのではないか?
なぜ新しく作り直す必要があるのか?」
孔子はその意見を聞いてこう言った。
「彼は普段多くを語らないが、一言発すれば的を射ている。」
子曰:「由之瑟,奚爲於丘之門?」門人不敬子路。子曰:「由也升堂矣,未入於室也!」
子曰く、「由の瑟、奚すれぞ丘の門に於いて?」
門人、子路を敬せず。
子曰く、「由や、堂に升れり、未だ室に入らず!」
孔子は言った。「子路が瑟(しつ=弦楽器)を弾くのを聞いて、私の門下で何をしているのか?」
弟子たちは子路をあまり敬わなかった。
孔子は言った。「子路はすでに大きな道を進んでいるが、まだ完成には至っていないのだ。」
(=子路は学問を修めつつあるが、まだ君子の域には達していない。)
子貢問:「師與商也孰賢?」子曰:「師也過,商也不及。」曰:「然則師愈與?」子曰:「過猶不及。」
子貢、問う、「師と商と孰れか賢なる?」
子、曰わく、「師は過ぎ、商は及ばず。」
曰く、「然らば則ち師は愈れるか?」
子曰く、「過ぎたるは、猶及ばざるが如し。」
子貢が尋ねた。「子張(師)と子夏(商)では、どちらが優れていますか?」
孔子は答えた。「子張は行き過ぎるところがあり、子夏は少し足りないところがある。」
子貢はさらに聞いた。「では、行き過ぎた子張のほうが優れているということですか?」
孔子は答えた。「いや、行き過ぎるのも、足りないのも同じように問題だ。」
(=「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という有名な言葉のもと。)
季氏富於周公,而求也爲之聚斂而附益之。子曰:「非吾徒也!小子鳴鼓而攻之,可也。」
季氏、周公よりも富む。
而して求、これがために聚斂し、これに附益す。
子、曰わく、「吾が徒に非ざるなり!
小子、鼓を鳴してこれを攻むるも、可なり。」
季氏(権力を持った大夫の家)が、かつての聖王・周公よりも裕福になった。
そして、弟子の冉求がその財産をさらに増やすために重税を課していた。
これを聞いた孔子は言った。「彼はもう私の弟子ではない!
諸君よ、太鼓を鳴らして非難するがよい!」
(=冉求の行為は、儒家の理念に反するものであると強く批判。)
柴也愚,參也魯,師也辟,由也喭。
柴は愚なり、参は魯なり、
師は辟なり、由は喭なり。
孔子は弟子たちの特徴を述べた。
「柴(子羔)は愚直であり、曾参は質朴で純粋であり、
子張は偏屈であり、子路は荒々しい。」
(=それぞれの性格を端的に表している。)
子曰:「回也其庶乎,屢空。賜不受命,而貨殖焉;億則屢中。」
子曰く、「回は其の庶からん乎、屢空なり。
賜は命を受けずして、貨殖す。
億すれば則ち屢中たる。」
孔子は言った。「顔回は道に最も近づいているが、いつも貧しい。
子貢は私の教えに従わず、商売に精を出している。
しかし、彼の予測はよく当たるものだ。」
(=子貢は商才に優れていたことを示している。)
子張問「善人」之道。子曰:「不踐跡,亦不入於室。」
子張、「善人の道」を問う。
子曰く、「跡を踐まずんば、亦室に入らず。」
子張が「善人の道とは何ですか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「正しい道を踏まなければ、決してその奥深い境地に達することはできない。」
(=基礎を踏み固めずに大成することはありえない。)
子曰:「論篤是與,君子者乎?色莊者乎?」
子曰く、「論篤きは是れ与か、君子なる者か、色莊なる者か?」
孔子は言った。「学問を熱心に論じる者は、本当に君子なのか?
それともただ真面目な顔をしているだけの者なのか?」
(=見せかけではなく、真の君子であるかが重要。)
子路問:「聞斯行諸?」子曰:「有父兄在,如之何其聞斯行之?」
冉有問:「聞斯行諸?」子曰:「聞斯行之。」
公西華曰:「由也問:『聞斯行諸?』子曰:『有父兄在。』
求也問:『聞斯行諸?』子曰:『聞斯行之。』赤也惑,敢問。」
子曰:「求也退,故進之;由也兼人,故退之。」
子路、問う、「聞きて斯を行うべきか?」
子、曰わく、「父兄在れば、これを如何ぞ聞きて斯を行わん?」
冉有、問う、「聞きて斯を行うべきか?」
子、曰わく、「聞きて斯を行うべし。」
公西華、曰わく、「由や問う、『聞きて斯を行うべきか?』と。
子、曰わく、『父兄在れば、これを如何ぞ聞きて斯を行わん?』と。
求や問う、『聞きて斯を行うべきか?』と。
子、曰わく、『聞きて斯を行うべし。』と。
赤や惑う。敢えて問う。」
子、曰わく、「求は退く、故に進むる。
由は兼人、故に退く。」
子路が尋ねた。「物事を聞いたら、すぐに実行すべきでしょうか?」
孔子は答えた。「父や兄がいるのに、どうして勝手に行動するのか? 相談するべきだ。」
次に冉有が同じ質問をした。「聞いたら、すぐに実行すべきですか?」
孔子は答えた。「聞いたら、すぐに実行せよ。」
公西華は不思議に思い、孔子に尋ねた。
「子路が聞いたときは『父兄がいるのだから、すぐに行動すべきではない』と答え、
冉求が聞いたときは『すぐに行動せよ』と答えました。私は混乱しています。」
孔子は答えた。
「冉求は慎重すぎるので、前進するように勧めた。
子路は勇猛すぎるので、慎重になるように促したのだ。」
子畏於匡,顏淵後。子曰:「吾以女爲死矣!」
曰:「子在,回何敢死?」
子、匡にて畏る。顔淵、後る。
子、曰わく、「吾、女を以って死せんと為えり!」
曰く、「子在す。回、何ぞ敢えて死せん?」
孔子が匡(きょう)の地で危険に遭遇したとき、顔淵は遅れて到着した。
孔子は言った。「お前が死んでしまったのかと思ったぞ!」
顔淵は答えた。「先生がいらっしゃるのに、私が死ぬわけがありません。」
季子然問:「仲由、冉求可謂大臣與?」
子曰:「吾以子爲異之問,曾由與求之問?
所謂大臣者,以道事君,不可則止。今由與求也,可謂具臣矣。」
曰:「然則從之者與?」
子曰:「弒父與君,亦不從也。」
季子然、問う、「仲由、冉求は大臣と謂うべきか?」
子、曰わく、「吾、子を以って異なるを問うかと思いしが、
曾ち由と求を問うか?
所謂大臣とは、道を以って君に事え、
不可なれば則ち止む。
今、由と求は、具臣と謂うべし。」
曰く、「然らば則ちこれに従うか?」
子、曰わく、「父と君を弑すとも、亦従わざるなり。」
季子然が尋ねた。「仲由(子路)と冉求は大臣と呼べるでしょうか?」
孔子は答えた。「君はもっと特別なことを尋ねるのかと思ったが、結局は子路と冉求のことか。
本当の大臣とは、道義をもって君主に仕え、道義に反すれば辞職するものである。
しかし、子路と冉求は単なる従属する家臣にすぎない。」
季子然はさらに聞いた。「では、君主に忠実に従う者なのですね?」
孔子は答えた。「たとえ君主が父や王を殺しても、決して従ってはならない。」
子路使子羔爲費宰。子曰:「賊夫人之子。」
子路曰:「有民人焉,有社稷焉;何必讀書,然後爲學?」
子曰:「是故惡夫佞者。」
子路、子羔をして費の宰と為す。
子、曰わく、「夫人の子を賊えり。」
子路、曰わく、「民人有り、社稷有り。
何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学を為すを要めん?」
子、曰わく、「是を故に夫の佞を悪むなり。」
子路は子羔を費(ひ)の国の宰相に任命した。
これを聞いた孔子は、「お前はこの人を台無しにしたな。」と批判した。
子路は反論した。「国には民がいて、社稷(国家)を支えるものがある。
なぜ必ずしも書物を読んで学問を積まなければならないのですか?
実務に励むことで十分学ぶことができるではありませんか。」
孔子は言った。「だから私は、口先だけがうまい者を嫌うのだ。」
子路、曾皙、冉有、公西華侍坐。子曰:「以吾一日長乎爾,毋吾以也。居則曰:『不吾知也。』如或知爾,則何以哉?」
子路率爾而對,曰:「千乘之國,攝乎大國之閒,加之以師旅,因之以饑饉,由也爲之,比及三年,可使有勇,且知方也。」夫子哂之。
「求,爾何如?」對曰:「方六七十,如五六十,求也爲之,比及三年,可使足民;如其禮樂,以俟君子。」
「赤,爾何如?」對曰:「非曰能之,願學焉!宗廟之事,如會同,端章甫,願爲小相焉。」
「點,爾何如?」鼓瑟希,鏗爾,舍瑟而作;對曰:「異乎三子者之撰。」
子曰:「何傷乎?亦各言其志也。」
曰:「莫春者,春服既成。冠者五六人,童子六七人。浴乎沂,風乎舞雩,詠而歸。」
夫子喟然歎曰:「吾與點也!」
三子者出,曾皙後。曾皙曰:「夫三子者之言何如?」
子曰:「亦各言其志也已矣。」
曰:「夫子何哂由也?」
曰:「爲國以禮,其言不讓,是故哂之。」
「唯求則非邦也與?」
「安見方六七十,如五六十,而非邦也者?」
「唯赤則非邦也與?」
「宗廟會同,非諸侯而何?赤也爲之小,孰能爲之大?」
子路、曾皙、冉有、公西華、侍坐す。
子、曰わく、「吾、一日爾に長たり。毋んぞ吾を以てせんや。
居れば則ち曰わく、『吾を知る者無し』と。
如し或いは爾を知る者有らば、則ち何にかせん?」
子路、率爾として対えて曰わく、
「千乗の国、大国の閒に攝し、これに師旅を加え、これに饑饉を因す。
由、これを為す。比して三年に及ばんか、
必ず勇有り、且つ方を知らしむべし。」
夫子、これを哂う。
「求、爾は何如?」
対えて曰わく、「方六七十、如しくは五六十、
求、これを為す。比して三年に及ばんか、
必ず民を足らしむべし。
如し其の礼楽、君子を以ちて俟たん。」
「赤、爾は何如?」
対えて曰わく、「能くするを曰わず、学ばんことを願う。
宗廟の事、会同の如し。
章甫を端し、願わくは小相と為らん。」
「点、爾は何如?」
瑟を鼓つこと希にして、鏗爾たり。
瑟を舍きて作ちて、対えて曰わく、「三子の撰に異なり。」
子、曰わく、「何ぞ傷わんや? 亦各其の志を言えり。」
曰わく、「莫春、春服既に成る。
冠する者五六人、童子六七人。
沂に浴み、舞雩に風き、詠みて帰る。」
夫子、喟然として歎いて曰わく、「吾、点に与なわん!」
三子、出づ。曾皙、後る。
曾皙曰く、「三子の言何如?」
子曰く、「亦各其の志を言えり。」
曰く、「夫子、何ぞ由を哂いたまいし?」
曰く、「国を為むるに礼を以ってす。
其の言に譲ること無し。是を以って之を哂う。」
「唯求のみ則ち邦に非ざるか?」
「安んぞ方六七十、如しくは五六十を見て、邦に非ざるを知らん?」
「唯赤のみ則ち邦に非ざるか?」
「宗廟・会同、諸侯に非ずして何ぞ?
赤、これを小と為す。孰か能くこれを大と為さん?」
子路、曾皙(そうせき)、冉有、公西華が、孔子のそばに座っていた。
孔子は言った。
「私はお前たちより少し年長なだけだが、それを気にすることはない。
普段、お前たちは『私を理解してくれる人はいない』と言っているが、
もしお前たちを評価してくれる人がいたならば、その人のもとで何をしたいと思うか?」
子路が勢いよく答えた。
「もし私が千台の戦車を持つ国の宰相になり、
その国が大国に挟まれ、戦争に巻き込まれ、さらに飢饉に苦しんでいるような状況ならば、
私は三年のうちにその国を勇敢な兵士で満ち、国の統治の道を知らしめることができます!」
孔子は微笑んで彼の言葉を軽くいなした。
次に冉有が答えた。
「私は、小さな国でも大きな国でも、三年あれば必ず民を豊かにすることができます。
しかし、礼や音楽を整えることは、君子がなすべきことであり、
私はそこまで手を出すつもりはありません。」
公西華が答えた。
「私は、自分が政治を行うほどの才能があるとは思いません。
しかし、宗廟(祖先の祭祀)や諸侯の会合などでは、正式な礼装を整え、
小さな役割であっても、それを学び、しっかりと務めたいと思います。」
最後に曾皙が答えた。
彼は瑟(しつ=琴の一種)をポロンと弾きながら、そしてそれを置いてこう言った。
「私は他の三人とは違います。」
孔子は、「それでいい、思うままに話してごらん。」と言った。
すると曾皙は答えた。
「春の暖かな季節、春服が仕立てられた頃、
五六人の大人と六七人の子供たちと共に、
沂水で沐浴し、舞雩(ぶう=祭壇)の下で涼風に吹かれ、
詩を詠みながら帰る……そんな日々を送りたい。」
孔子は深く感動し、ため息をついて言った。
「私は曾皙と共にありたい!」
三人の弟子が退出したあと、曾皙だけが残り、孔子に尋ねた。
「先生、三人の答えをどう思われますか?」
孔子は答えた。「彼らはそれぞれ、自分の志を述べたのだ。」
曾皙はさらに聞いた。「なぜ子路を笑われたのですか?」
孔子は答えた。「国を治めるには礼が必要だ。
しかし、子路は礼を語らず、自信満々に自分の手腕を誇った。
それが行き過ぎていたので、微笑んだのだ。」
曾皙は続けた。「では、冉有の考えは国のためにならないのでしょうか?」
孔子は答えた。「民を豊かにすることは国の基礎であり、
冉有の考えも立派な国政の一部だ。」
「では、公西華の考えは国政とは関係ないのでしょうか?」
孔子は答えた。「宗廟の儀式や諸侯の会合を取り仕切ることこそ、国政の中心ではないか?
公西華は小さな役割を望んでいるが、それを大きなものとするのは、その人次第なのだ。」
顏淵問「仁」。子曰:「克己復禮爲仁。一日克己復禮,天下歸仁焉,爲仁由己,而由人乎哉?」顏淵曰:「請問其目。」子曰:「非禮勿視,非禮勿聽,非禮勿言,非禮勿動。」顏淵曰:「回雖不敏,請事斯語矣!」
顏淵、仁を問う。子曰く、「己に克ちて禮に復るを仁と為す。一日己に克ちて禮に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而して人に由らんや?」顏淵曰く、「其の目を請う。」子曰く、「禮ならざるものは視ること勿かれ、禮ならざるものは聴くこと勿かれ、禮ならざるものは言うこと勿かれ、禮ならざるものは動くこと勿かれ。」顏淵曰く、「回は敏ならずと雖も、請う斯の語を事とせん!」
顏淵が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「自分の欲望を抑え、礼に従うことが仁である。一日でもそれを実践すれば、天下が仁に満ちる。仁を成すのは自分次第であり、他人に頼るものではない」と答えた。顏淵は「その具体的な要点を教えてください」と尋ねた。孔子は「礼に適わないものを見てはならず、聞いてはならず、言ってはならず、行動してはならない」と述べた。顏淵は「私は愚かですが、この教えを守ることを誓います」と答えた。
仲弓問「仁」。子曰:「出門如見大賓,使民如承大祭,己所不欲,勿施於人。在邦無怨,在家無怨。」仲弓曰:「雍雖不敏,請事斯語矣!」
仲弓、仁を問う。子曰く、「門を出ずるに大賓を見るが如くし、民を使うに大祭を承くるが如くす。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。邦に在りて怨無く、家に在りて怨無きなり。」仲弓曰く、「雍は敏ならずと雖も、請う斯の語を事とせん!」
仲弓が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「家を出る時には貴賓に会うかのように慎み深くふるまい、人を使う時には重要な祭祀を執り行うように敬意を持つことだ。また、自分がされたくないことを人にしてはならない。国にあっても怨みを買わず、家にあっても怨みを買わないことが大切である」と答えた。仲弓は「私は愚かですが、この教えを守ることを誓います」と答えた。
司馬牛問「仁」。子曰:「仁者,其言也訒。」曰:「其言也訒,斯謂之『仁』已夫?」子曰:「爲之難,言之得無訒乎!」
司馬牛、仁を問う。子曰く、「仁者は其の言や訒なり。」曰く、「其の言や訒なり、斯れを『仁』と謂うこと已まんや?」子曰く、「これを為すこと難し、言うこと得て訒ならざらんや!」
司馬牛が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「仁者は言葉を慎重に選ぶ」と答えた。司馬牛は「言葉を慎むことが仁なのでしょうか」と聞いた。孔子は「仁を実践することは難しいのだから、慎重に言葉を選ぶのも当然であろう」と答えた。
司馬牛問「君子」。子曰:「君子不憂不懼。」曰:「不憂不懼,斯謂之『君子』矣夫?」子曰:「內省不疚,夫何憂何懼!」
司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず、懼れず。」曰く、「憂えず、懼れず、斯れを『君子』と謂うこと已まんや?」子曰く、「内に省みて疚しからざれば、夫れ何ぞ憂え何ぞ懼れん!」
司馬牛が「君子とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「君子は憂えず、恐れない」と答えた。司馬牛は「憂えず、恐れないことが君子なのでしょうか」と聞いた。孔子は「自らを省みてやましいことがなければ、何を憂え、何を恐れる必要があろうか」と答えた。
司馬牛憂曰:「人皆有兄弟,我獨亡!」子夏曰:「商聞之矣:『死生有命,富貴在天』君子敬而無失,與人恭而有禮,四海之內,皆兄弟也,君子何患乎無兄弟也!」
司馬牛憂えて曰く、「人皆兄弟有り、我独り亡きのみ!」子夏曰く、「商これを聞けり。『死生は命に有り、富貴は天に在り』と。君子は敬して失うこと無く、人に恭しくして禮あり。四海の内、皆兄弟なり。君子は何ぞ兄弟無きを患えんや!」
司馬牛は嘆いて「他の人には皆兄弟がいるのに、私だけ兄弟がいません!」と言った。子夏は答えた。「私はこう聞いたことがあります。『生死は天命によるものであり、富貴もまた天の定めである』と。君子は慎みを持って過ちを犯さず、人に対しては礼儀正しく接する。そうすれば、天下の人々は皆兄弟のようなものだ。君子は兄弟がいないことを嘆く必要はないのです。」
子張問「明」。子曰:「浸潤之譖,膚受之愬,不行焉,可謂明也已矣。浸潤之譖,膚受之愬,不行焉,可謂遠也已矣。」
子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行わざるは、明と謂うべきのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行わざるは、遠と謂うべきのみ。」
子張が「明とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「じわじわと浸透するような中傷や、表面的に受け取った訴えに惑わされず、行動しないことが賢明と言える。また、それらに惑わされないことが、遠大な見識を持つことでもある」と答えた。
子貢問「政」。子曰:「足食,足兵,民信之矣。」子貢曰:「必不得已而去,於斯三者何先?」曰:「去兵。」子貢曰:「必不得已而去,於斯二者何先?」曰:「去食。自古皆有死,民無信不立。」
子貢、政を問う。子曰く、「食を足らし、兵を足らし、民これを信ず。」子貢曰く、「必ずや已むを得ずして去らば、斯の三者において何をか先にせん?」曰く、「兵を去らん。」子貢曰く、「必ずや已むを得ずして去らば、斯の二者において何をか先にせん?」曰く、「食を去らん。古より皆死有り、民信無くんば立たず。」
子貢が「政治とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「食糧を充実させ、軍備を整え、民の信頼を得ることだ」と答えた。子貢は「もしどうしても何かを捨てるとしたら、まず何を捨てるべきですか?」と尋ねた。孔子は「兵を捨てる」と答えた。子貢はさらに「では、残り二つのうちで捨てるならどちらですか?」と尋ねた。孔子は「食を捨てる。なぜなら、人は古来から皆死ぬものだ。しかし、民の信頼がなければ国家は成り立たない」と答えた。
棘子成曰:「君子質而已矣,何以文爲?」子貢曰:「惜乎,夫子之說,君子也,駟不及舌!文猶質也,質猶文也;虎豹之鞹,猶犬羊之鞹。」
棘子成曰く、「君子は質のみなり、何ぞ文を為さんや?」子貢曰く、「惜しいかな、夫子の説は君子なり。駟も舌に及ばず!文は猶お質のごとく、質は猶お文のごとし。虎豹の鞹は、猶お犬羊の鞹のごとし。」
棘子成が言った。「君子には素朴さがあれば十分だ。何のために飾り(文)を必要とするのか?」子貢は答えた。「惜しいことです。あなたの言葉は君子らしいですが、四頭立ての馬車でも言葉は取り消せません!文(飾り)は本質と同じように重要であり、本質もまた文と共にあるものです。虎や豹の美しい毛皮も、犬や羊の毛皮と同じように、それを持つことで価値が増すのです。」
哀公問於有若曰:「年饑,用不足,如之何?」有若對曰:「盍徹乎?」曰:「二,吾猶不足,如之何其徹也?」對曰:「百姓足,君孰與不足?百姓不足,君孰與足!」
哀公、有若に問いて曰く、「年饑にして、用足らず。これを如何せん?」有若対えて曰く、「盍ぞ徹せざる?」曰く、「二にして、吾猶ほ足らず。これを如何にしてか徹せん?」対えて曰く、「百姓足らば、君孰れか不足ならん?百姓足らざれば、君孰れか足らん?」
魯の哀公が有若に尋ねた。「今年は飢饉で、財政が不足している。どうすればよいか?」有若は「税を軽減してはどうでしょうか?」と答えた。哀公は「すでに税を二割減らしているが、それでも財政が足りない。どうしてさらに減らせるだろうか?」と反論した。有若は「民が豊かになれば、君主が困ることはない。逆に、民が貧しければ、君主だけが豊かでいられるはずがありません」と答えた。
子張問「崇德,辨惑。」子曰:「主忠信,徙義:崇德也。愛之欲其生,惡之欲其死;既欲其生,又欲其死:是惑也。」
子張、崇德と辨惑を問う。子曰く、「忠信を主とし、義に徙るは、崇徳なり。之を愛して其の生を欲し、之を悪んで其の死を欲す。既に其の生を欲し、又た其の死を欲す。是れ惑なり。」
子張が「徳を高めることと迷いを区別することについて教えてください」と尋ねた。孔子は「忠義と誠実を基本とし、常に正義に基づいて行動することが徳を高めることだ。人を愛すればその生を願い、人を憎めばその死を願う。しかし、一方で生を望みながら、一方で死を望むような矛盾した考えは迷いである」と答えた。
齊景公問「政」於孔子。孔子對曰:「君君,臣臣,父父,子子。」公曰:「善哉!信如君不君,臣不臣,父不父,子不子,雖有粟,吾得而食諸?」
齊の景公、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「君は君たれ、臣は臣たれ、父は父たれ、子は子たれ。」公曰く、「善哉!信ならずんば、君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟有りと雖も、吾れ得てこれを食らわんや?」
斉の景公が孔子に「政治とは何か」と尋ねた。孔子は「君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、父は父らしく、子は子らしくあることだ」と答えた。景公は「素晴らしい!確かに、君主が君主らしくなく、臣下が臣下らしくなく、父が父らしくなく、子が子らしくなければ、どれほど穀物があっても、我々はそれを安心して食べることができるだろうか?」と言った。
子曰:「片言可以折獄者,其由也與!」子路無宿諾。
子曰く、「片言もって獄を折るべき者は、其れ由か!」子路は宿諾無し。
孔子は言った。「たった一言で裁きを下せるような人物は、由(子路)ではないか!」子路は翌日に持ち越すような約束をしなかった(すぐに実行する人だった)。
子曰:「聽訟,吾猶人也;必也使無訟乎!」
子曰く、「訟を聴くに、吾れ猶お人なり。必ずや訟無からしむるか!」
孔子は言った。「訴訟を裁くことなら、私も他の人と同じようにできる。しかし、最も大切なのは、訴訟が起こらないようにすることだ!」
子張問「政」。子曰:「居之無倦,行之以忠。」
子張、政を問う。子曰く、「これに居りて倦むこと無く、これを行いて忠を以てす。」
子張が「政治とは何か」と尋ねた。孔子は「政治を行う者は倦むことなく、誠実さをもって実行すべきだ」と答えた。
子曰:「博學以文,約之以禮;亦可以弗畔矣夫!」
子曰く、「博く学びて文を以てし、これを約するに禮を以てす。亦た以て畔かざるべきか!」
孔子は言った。「広く学び、文章を通じて知識を深め、それを礼によって統制すれば、道を踏み外すことはないであろう!」
子曰:「君子成人之美,不成人之惡。小人反是。」
子曰く、「君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。」
孔子は言った。「君子は人の善行を助け、悪行を助けない。小人はその逆を行う。」
季康子問「政」於孔子。孔子對曰:「『政』者,正也。子帥以正,孰敢不正?」
季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「『政』は正なり。子、正をもって率いば、孰か敢えて正しからざらん。」
季康子が孔子に「政治とは何か」と尋ねた。孔子は「政治とは正しさである。あなたが正しさをもって人々を率いれば、誰が正しくならないことがあろうか」と答えた。
季康子患盜,問於孔子。孔子對曰:「苟子之不欲,雖賞之不竊。」
季康子、盗を患えて孔子に問う。孔子対えて曰く、「苟も子これを欲せずんば、賞すと雖も竊まざらん。」
季康子が孔子に「盗賊が多くて困っている。どうすればよいか」と尋ねた。孔子は「もしあなたが不正を望まなければ、人々もたとえ褒美を与えられたとしても盗みをしないだろう」と答えた。
季康子問政於孔子曰:「如殺無道,以就有道,何如?」孔子對曰:「子爲政,焉用殺?子欲善,而民善矣。君子之德,風;小人之德,草;草上之風,必偃。」
季康子、政を孔子に問いて曰く、「無道を殺して有道に就かしむるは如何。」孔子対えて曰く、「子、政を為すに、焉んぞ殺を用いん?子、善を欲せば、民は善ならん。君子の徳は風、小人の徳は草なり。草は風の上にありて、必ず偃す。」
季康子が「悪人を殺して正しい政治を行うのはどうでしょうか」と尋ねた。孔子は「政治をするのに、なぜ殺す必要があるのか?君主が善を求めれば、民も善を求めるようになる。君子の徳は風のようなものであり、小人の徳は草のようなものだ。風が吹けば、草は自然に靡(なび)く」と答えた。
子張問:「士何如斯可謂之『達』矣?」子曰:「何哉,爾所謂『達』者?」子張對曰:「在邦必聞,在家必聞。」子曰:「是『聞』也,非『達』也。夫『達』也者,質直而好義,察言而觀色,慮以下人,在邦必達,在家必達。夫『聞』也者:色取仁而行違,居之不疑。在邦必聞,在家必聞。」
子張問いて曰く、「士は何如なる斯をもって『達』と謂うべきか?」子曰く、「何ぞや、爾の謂う『達』とは?」子張対えて曰く、「邦に在りて必ず聞こえ、家に在りて必ず聞こゆ。」子曰く、「是れ『聞』なり、『達』に非ざるなり。夫れ『達』なる者は、質直にして義を好み、言を察し色を観、慮りて以て人を下しむ。在邦にして必ず達し、在家にして必ず達す。夫れ『聞』なる者は、色を仁に取りて行いは違い、これに居りて疑わず。在邦にして必ず聞こえ、在家にして必ず聞こゆ。」
子張が「士(立派な人)はどのようであれば『達(成功した人物)』といえますか」と尋ねた。孔子は「君の言う『達』とは何のことか?」と聞き返した。子張は「国にいれば必ずその名が知れ渡り、家にいれば必ず評判が立つことです」と答えた。孔子は「それは『聞(評判が広まること)』であって、『達』ではない。『達』とは、誠実で正直であり、義を重んじ、言葉をよく観察し、人の顔色を読み、周囲に気を配れる人のことだ。こうした人物は国でも家でも成功する。しかし、『聞(評判の立つ人)』とは、見た目は仁徳があるように見せかけるが、実際の行いはそれと違う。そして、その状態に疑問を持たない人のことだ。こうした人は国にいても家にいても評判は立つが、それは本当の『達』ではない」と答えた。
樊遲從遊於舞雩之下曰:「敢問崇德,脩慝,辨惑?」子曰:「善哉問!先事後得,非『崇德』與?攻其惡,無攻人之惡,非『脩慝』與?一朝之忿,忘其身以及其親,非『惑』與?」
樊遲、遊びて舞雩の下に従いて曰く、「敢えて崇徳、脩慝、辨惑を問わん。」子曰く、「善き哉、問う!事を先にして得ることを後にするは、『崇徳』に非ずや?その悪を攻めて、人の悪を攻めざるは、『脩慝』に非ずや?一朝の忿にして、その身を忘れ、その親に及ぶは、『惑』に非ずや?」
樊遲が孔子とともに舞雩(雨乞いの祭壇)の下を歩きながら尋ねた。「徳を高めること、悪を正すこと、迷いを見分けることについてお教えください」。孔子は「よい質問だ!まず行動し、利益を後回しにすること、これは『徳を高めること』ではないか?悪いことを正しながらも、人の過ちを責め立てないこと、これは『悪を正すこと』ではないか?一時の怒りに駆られて自分を見失い、さらには親にまで迷惑をかけること、これは『迷い』ではないか?」と答えた。
樊遲問「仁」。子曰:「愛人。」問「知」。子曰:「知人。」樊遲未達,子曰:「擧直錯諸枉,能使枉者直。」樊遲退,見子夏曰:「鄉也吾見於夫子而問『知』,子曰:『擧直錯諸枉,能使枉者直』,何謂也?」子夏曰:「富哉言乎!舜有天下,選於眾,擧皋陶,不仁者遠矣。湯有天下,選於眾,擧伊尹,不仁者遠矣。」
樊遲、仁を問う。子曰く、「人を愛す。」知を問う。子曰く、「人を知る。」樊遲達せず。子曰く、「直きを挙げて枉れるに錯けば、能く枉れる者を直くす。」樊遲退きて、子夏に見えて曰く、「鄉に吾れ夫子に見えて知を問えり。子曰く、『直きを挙げて枉れるに錯けば、能く枉れる者を直くす』と。何の謂いぞ?」子夏曰く、「富める哉、言や!舜、天下を有して、衆に選びて皋陶を挙ぐ。不仁なる者は遠ざかれり。湯、天下を有して、衆に選びて伊尹を挙ぐ。不仁なる者は遠ざかれり。」
樊遲が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「人を愛することだ」と答えた。さらに「知とは何でしょうか」と尋ねると、孔子は「人を知ることだ」と答えた。しかし樊遲は理解できなかった。そこで孔子は「正直な人を登用し、曲がった人の上に置けば、曲がった者も正しくなる」と言った。
樊遲は孔子のもとを去り、子夏に尋ねた。「先ほど先生に『知』について尋ねたら、『正直な人を登用し、曲がった人の上に置けば、曲がった者も正しくなる』と言われました。これはどういう意味でしょうか?」子夏は答えた。「これはとても深い言葉だ!舜が天下を治めた時、民の中から賢人を選び、皋陶を用いた。その結果、不正な者たちは遠ざかった。湯王も同様に、民の中から賢人を選び、伊尹を用いた。その結果、不正な者たちは遠ざかったのだ。」
子貢問「友」。子曰:「忠吿而善道之,不可則止,毋自辱焉。」
子貢、友を問う。子曰く、「忠をもって告げ、善くこれを導く。しかれども、不可ならば止む。自ら辱むること毋れ。」
子貢が「友人との関係について教えてください」と尋ねた。孔子は「真心をもって忠告し、善い方向へ導くことが大切だ。しかし、それでも相手が受け入れない場合は、そこでやめるべきだ。無理に続けて自分を辱める必要はない」と答えた。
曾子曰:「君子以文會友,以友輔仁。」
曾子曰く、「君子は文をもって友を会し、友をもって仁を輔く。」
曾子は言った。「君子は学問を通じて友を得、友との関係を通じて仁を深めていくものだ。」
子路問政。子曰:「先之,勞之。」請益,曰:「無倦。」
子路、政を問う。子曰く、「これに先んじ、これを労れ。」益すことを請う。曰く、「倦むこと無かれ。」
子路が政治について尋ねた。孔子は「まず自ら先んじて行動し、民を労わることだ」と答えた。子路がさらに問うと、孔子は「決して怠ることなく続けよ」と答えた。
仲弓爲季氏宰,問政。子曰:「先有司。赦小過。擧賢才。」曰:「焉知賢才而擧之?」曰:「擧爾所知。爾所不知,人其舍諸?」
仲弓、季氏の宰と為りて、政を問う。子曰く、「先ず有司をして事に当たらしめ、小過を赦し、賢才を挙ぐ。」曰く、「焉んぞ賢才を知りてこれを挙げん?」曰く、「爾の知る所を挙ぐ。爾の知らざる所を、人其れ諸を捨てんや?」
仲弓が季氏の家宰となり、政治について尋ねた。孔子は「まず役人を適切に配置し、小さな過ちには寛容であり、賢才を登用せよ」と答えた。仲弓は「どうやって賢才を見極め、登用すればよいでしょうか?」と問うた。孔子は「お前が知っている有能な人を推薦すればよい。お前が知らない人物についても、他の人が放っておくわけがない」と答えた。
子路曰:「衞君待子而爲政,子將奚先?」子曰:「必也正名乎!」子路曰:「有是哉?子之迂也!奚其正?」子曰:「野哉,由也!君子於其所不知,蓋闕如也。名不正,則言不順;言不順,則事不成;事不成,則禮樂不興;禮樂不興,則刑罰不中;刑罰不中,則民無所措手足。故君子名之必可言也,言之必可行也。君子於其言,無所苟而已矣。」
子路曰く、「衞君、子を待ちて政を為さんとす。子、将に奚れをか先にせん?」子曰く、「必ずや名を正さんか!」子路曰く、「是れ有らんや?子の迂なるや!奚ぞそれを正さん?」子曰く、「野なるかな、由や!君子は其の知らざる所において、蓋し闕如たり。名正しからざれば、則ち言順わず。言順わざれば、則ち事成らず。事成らざれば、則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中らず。刑罰中らざれば、則ち民措手足する所無し。故に君子は名の必ず言うべく、言の必ず行うべきを要す。君子は其の言において、苟もする所無し。」
子路が「衛の君主が先生を迎えて政治を行おうとしています。何を最優先されますか?」と尋ねた。孔子は「まず名を正すことだ」と答えた。子路は「そんなことが重要ですか?先生は考えが回りくどいのでは?」と言った。孔子は「子路よ、お前は粗野だな!君子は知らないことについては、軽々しく口を出さないものだ。名が正しくなければ、言葉が通じなくなる。言葉が通じなければ、物事が成り立たない。物事が成り立たなければ、礼楽も興らない。礼楽が興らなければ、刑罰も適切に運用されない。刑罰が適切でなければ、民はどうしてよいかわからなくなる。だから君子は、名が正しく言葉として使われ、それが実際に行動につながるように努めるのだ。君子は言葉を曖昧にしてはならない」と答えた。
樊遲請學稼,子曰:「吾不如老農。」請學爲圃,曰:「吾不如老圃。」樊遲出,子曰:「小人哉,樊須也!上好禮,則民莫敢不敬;上好義,則民莫敢不服;上好信,則民莫敢不用情,夫如是,則四方之民,襁負其子而至矣,焉用稼?」
樊遲、稼を学ばんことを請う。子曰く、「吾れ老農に如かず。」爲圃を学ばんことを請う。曰く、「吾れ老圃に如かず。」樊遲出づ。子曰く、「小人なるかな、樊須や!上礼を好めば、則ち民敢えて敬せざる莫し。上義を好めば、則ち民敢えて服せざる莫し。上信を好めば、則ち民敢えて情を用いざる莫し。夫れ是の如くんば、則ち四方の民、襁にてその子を負い至らん。焉んぞ稼を用いんや?」
樊遲が「農業を学びたい」と願い出た。孔子は「私は老農には及ばない」と答えた。続いて「園芸を学びたい」と願い出た。孔子は「私は老園芸家には及ばない」と答えた。樊遲が去った後、孔子は言った。「なんと小人物なことよ、樊須よ!君主が礼を重んじれば、民は誰も無礼を働かない。君主が義を重んじれば、民は皆服従する。君主が信を重んじれば、民は誠意を尽くす。このようにすれば、四方の民が幼子を抱えてでも集まってくるのだ。どうして農業を心配する必要があろうか?」
子曰:「誦詩三百,授之以政,不達。使於四方,不能專對;雖多,亦奚以爲?」
子曰く、「詩三百を誦ずるも、これを政に授くるに達せず。四方に使いして、能く専ら対えずんば、多しと雖も、亦た何を以てか為さん?」
孔子は言った。「詩経の三百篇を暗誦していても、それを政治に応用できなければ何の意味もない。各地に使者として派遣されても、自ら判断して対応できないようでは、どれほど知識があっても無用である。」
子曰:「其身正,不令而行;其身不正,雖令不從。」
子曰く、「其の身正しければ、令せずして行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も従わず。」
孔子は言った。「自らが正しくあれば、命令しなくても人々は従う。自らが正しくなければ、命令しても誰も従わない。」
子曰:「魯衞之政,兄弟也。」
子曰く、「魯と衞の政は、兄弟なり。」
孔子は言った。「魯と衛の政治はまるで兄弟のように似ている。」(どちらも混乱しているという意味)
子謂衞公子荊,「善居室:始有,曰:『苟合矣;』少有,曰:『苟完矣。』富有,曰:『苟美矣。』」
子、衞の公子荊を謂いて曰く、「善く室に居る。始めて有るときは、曰く『苟も合えり』と。少しく有るときは、曰く『苟も完えり』と。富み有るときは、曰く『苟も美なり』と。」
孔子は衛の公子荊について言った。「彼は家計をやりくりするのが上手だ。最初は『何とか暮らしていける』と言い、少し余裕ができると『何とか生活が安定した』と言い、富が増すと『何とか贅沢ができる』と言う。」
子適衞,冉有僕。子曰:「庶矣哉!」冉有曰:「既庶矣,又何加焉?」曰:「富之。」曰:「既富矣,又何加焉?」曰:「教之。」
子、衞に適き、冉有僕たる。子曰く、「庶きかな!」冉有曰く、「既に庶し。又た何をか加えん?」曰く、「これを富ません。」曰く、「既に富めり。又た何をか加えん?」曰く、「これを教えん。」
孔子が衛の国へ向かう途中、冉有が御者を務めていた。孔子は「人口が多い国だな」と言った。冉有が「すでに人口が多いのなら、さらに何を加えるべきでしょうか?」と尋ねた。孔子は「富ませることだ」と答えた。冉有が「すでに富んでいるなら、さらに何を加えるべきでしょうか?」と尋ねると、孔子は「教育を施すことだ」と答えた。
子曰:「苟有用我者,期月而已可也,三年有成。」
子曰く、「苟も我を用うる者有らば、期月にして已に可なり。三年にして成る。」
孔子は言った。「もし私を用いる者がいれば、一か月もすれば目に見える成果が現れる。三年もあれば大きな成果を上げられる。」
子曰:「『善人爲邦百年,亦可以勝殘去殺矣。』誠哉是言也。」
子曰く、「善人、邦を為むること百年なれば、亦た以て残虐を勝め、殺戮を去るべし。」誠なるかな、是の言や。
孔子は言った。「善人が百年間国を治めれば、残虐な行為を無くし、殺戮をなくすことができるだろう。」これはまことに正しい言葉である。
子曰:「如有王者,必世而後仁。」
子曰く、「もし王者有らば、必ず世を経りて後に仁ならん。」
孔子は言った。「もし真の王者が現れたとしても、少なくとも三十年(=一世代)を経なければ、仁の政治を完全に実現することはできない。」
子曰:「苟正其身矣,於從政乎何有?不能正其身,如正人何?」
子曰く、「苟も其の身を正しくせば、政に従うに何かあらん。其の身を正しくすること能わずして、人を正しくすること如何せん?」
孔子は言った。「自らを正すことができれば、政治を行うのに何の問題があろうか?自分を正すこともできずに、どうして他人を正すことができるだろうか?」
冉子退朝,子曰:「何晏也?」對曰:「有政。」子曰:「其事也!如有政,雖不吾以,吾其與聞之!」
冉子、朝より退く。子曰く、「何ぞ晏きや?」対えて曰く、「政有り。」子曰く、「其れ事うるのみ!如し政有らば、吾をもってせずと雖も、吾れ其れこれを聞くに与らん。」
冉子が朝廷から戻ってくるのが遅れた。孔子は「なぜこんなに遅いのか?」と尋ねた。冉子は「政治の仕事があったからです」と答えた。孔子は「それはただの業務にすぎない!もし本当に政治が行われているならば、私が関与していなくても、きっとその話を耳にすることになるはずだ」と言った。
定公問:「一言而可以興邦,有諸?」孔子對曰:「言不可以若是其幾也!人之言曰:『爲君難,爲臣不易』。如知爲君之難也,不幾乎一言而興邦乎?」曰:「一言而喪邦,有諸?」孔子對曰:「言不可以若是其幾也!人之言曰:『予無樂乎爲君,唯其言而莫予違也。』如其善而莫之違也,不亦善乎?如不善而莫之違也,不幾乎一言而喪邦乎?」
定公問いて曰く、「一言をもって邦を興すべきこと有るか?」孔子対えて曰く、「言は以て若是のごとく幾とすべからず。人の言に曰く、『君たるは難しく、臣たるは易からず』と。如し君たるの難きを知れば、幾ど一言をもって邦を興すに非ざらんや?」曰く、「一言をもって邦を喪うこと有るか?」孔子対えて曰く、「言は以て若是のごとく幾とすべからず。人の言に曰く、『我、君たるを楽しまず、ただその言にして我を違うこと莫からしめん』と。如しその善くしてこれを違うこと莫らば、亦た善からずや?如し善からずしてこれを違うこと莫らば、幾ど一言をもって邦を喪うに非ざらんや?」
魯の定公が「たった一言で国を興すことができますか?」と尋ねた。孔子は「言葉とはそんなに単純なものではありません。しかし、人々の言葉に『君主の務めは難しく、臣下の務めも容易ではない』というものがあります。もし君主が自らの務めの難しさを理解すれば、それはほとんど一言で国を興すことに等しいでしょう」と答えた。
定公はさらに「では、一言で国を滅ぼすことはありますか?」と尋ねた。孔子は「同じく、言葉は単純ではありません。しかし、『私は君主の職を楽しむことはない。ただ、私の言葉に誰も逆らわないようにしたい』と言う者がいます。もしその言葉が善であり、誰も逆らわなければ、それは素晴らしいことです。しかし、もしその言葉が誤っていて、誰も逆らわなければ、それは一言で国を滅ぼすことにもなりかねません」と答えた。
葉公問政。子曰:「近者說,遠者來。」
葉公、政を問う。子曰く、「近き者説び、遠き者来たる。」
葉公が政治について尋ねた。孔子は「近くの民が喜び、遠くの民が寄ってくるような政治を行うべきだ」と答えた。
子夏爲莒父宰,問政。子曰:「無欲速,無見小利。欲速,則不達;見小利,則大事不成。」
子夏、莒父の宰と為りて、政を問う。子曰く、「速やかならんことを欲すること無かれ、小利を見ること無かれ。速やかならんと欲すれば、則ち達せず。小利を見れば、則ち大事成らず。」
子夏が莒父の宰(地方の長官)となり、政治について尋ねた。孔子は「急ぎすぎることなく、目先の小さな利益を追い求めてはならない。急ぎすぎると成果は得られず、小さな利益ばかりを気にすると大きな事業は成し遂げられない」と答えた。
葉公語孔子曰:「吾黨有直躬者,其父攘羊,而子證之。」孔子曰:「吾黨之直者異於是,父爲子隱,子爲父隱,直在其中矣。」
葉公、孔子に語りて曰く、「吾が党に直躬なる者有り。その父、羊を攘みしに、子これを証す。」孔子曰く、「吾が党の直なる者は是に異なり。父は子のために隠し、子は父のために隠す。直きことその中に在り。」
葉公が孔子に話した。「私の郷里には正直な者がいて、その父が羊を盗んだ際、息子が父の罪を告発しました。」孔子は言った。「私の郷里の正直さはこれとは異なる。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠す。その中にこそ真の正直さがある。」
樊遲問仁。子曰:「居處恭,執事敬,與人忠。雖之夷狄,不可棄也。」
樊遲、仁を問う。子曰く、「居処に恭しく、事を執るに敬し、人与に忠なり。夷狄に之くと雖も、これを棄つべからず。」
樊遲が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「普段の生活では謙虚にふるまい、職務には敬意を払い、人には誠実であれ。たとえ未開の異民族の地に行こうとも、この態度を捨ててはならない」と答えた。
子貢問曰:「何如斯可謂之『士』矣?」子曰:「行己有恥,使於四方,不辱君命;可謂『士』矣。」曰:「敢問其次。」曰:「宗族稱孝焉,鄉黨稱弟焉。」曰:「敢問其次。」曰:「言必信,行必果,硜硜然,小人哉,抑亦可以爲次矣。」曰:「今之從政者何如?」子曰:「噫!斗筲之人,何足算也!」
子貢問いて曰く、「何如なる斯をもって『士』と謂うべきか?」子曰く、「己を行うに恥有り、四方に使いして君命を辱めざれば、『士』と謂うべし。」曰く、「敢えて其次を問わん。」曰く、「宗族、これを称して孝とし、郷党、これを称して弟とす。」曰く、「敢えて其次を問わん。」曰く、「言必ず信あり、行必ず果たし、硜硜然たり。小人なるかな、抑亦た以て次と為すべし。」曰く、「今の政に従う者は何如?」子曰く、「噫!斗筲の人、何ぞ算うるに足らんや!」
子貢が「どのような人を『士』(立派な人物)と呼べますか?」と尋ねた。孔子は「自らの行動を恥じる心を持ち、どこへ派遣されても君主の命を汚さない者こそ『士』と呼べる」と答えた。
子曰:「不得中行而與之,必也狂狷乎:狂者進取,狷者有所不爲也。」
子曰く、「中行を得てこれに与せざれば、必ずや狂狷なるか。狂者は進取し、狷者はなす所有らざるなり。」
孔子は言った。「理想的な中庸の道を行く者と共に歩むことができなければ、せめて『狂者』か『狷者』を選ぶべきだ。狂者は進んで物事を成し遂げようとし、狷者は道に外れたことをしない。」
子曰:「南人有言曰:『人而無恆,不可以作巫醫』。「善夫!『不恆其德,或承之羞』」子曰:「不占而已矣。」
子曰く、「南人に言有り。曰く、『人として恒無くんば、もって巫医を作すべからず』と。善きかな!『その徳を恒にせずんば、或いはこれを羞かしめん』と。」子曰く、「占わざるのみ。」
孔子は言った。「南の国の人々の言葉に、『人に一貫した信念がなければ、巫医(呪術師や医者)になることはできない』というものがある。これは良い言葉だ!『もし徳が一貫しなければ、いつか必ず恥をかくことになる』というのもまた真理だ。」そしてさらに、「私は占いはしない。ただ真理を学ぶだけだ」と言った。
子曰:「君子和而不同,小人同而不和。」
子曰く、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」
孔子は言った。「君子は調和を大切にするが、何でも同調するわけではない。小人はただ迎合するだけで、真の調和を持たない。」
子貢問曰:「鄉人皆好之,何如?」子曰:「未可也。」「鄉人皆惡之,何如?」子曰:「未可也。不如鄉人之善者好之,其不善者惡之。」
子貢問いて曰く、「郷人皆これを好むは、何如?」子曰く、「未だ可ならず。」曰く、「郷人皆これを悪むは、何如?」子曰く、「未だ可ならず。郷人の善なる者はこれを好み、その不善なる者はこれを悪むに如かず。」
子貢が尋ねた。「郷里の人々全員がある人物を好むのは良いことでしょうか?」孔子は「そうとは限らない」と答えた。子貢がさらに「では、郷里の人々全員がある人物を嫌うのはどうでしょう?」と尋ねた。孔子は「それもまた良いこととは限らない。その人物が善人から好かれ、悪人から嫌われるのが最も理想的だ」と答えた。
子曰:「君子易事而難說也;說之不以道,不說也;及其使人也,器之。小人難事而易說也。說之雖不以道,說也;及其使人也,求備焉。」
子曰く、「君子は事えやすくして説ばし難し。これを説くに道をもってせずんば、説ばざるなり。其の人を使うに及びては、これを器とす。小人は事え難くして説ばし易し。これを説くに道をもってせずと雖も、説ぶなり。其の人を使うに及びては、備わるを求む。」
孔子は言った。「君子は仕えるのが容易だが、機嫌を取るのは難しい。道理に基づいて諭されなければ納得しない。また、君子は人を登用する際、それぞれの特性に応じた役割を与える。一方、小人は仕えるのが難しく、機嫌を取るのは簡単である。道理に合わないことでも喜ぶ。しかし、人を使う際には、完全無欠を求めてしまう。」
子曰:「君子泰而不驕;小人驕而不泰。」
子曰く、「君子は泰にして驕らず。小人は驕りて泰ならず。」
孔子は言った。「君子はゆったりとして落ち着いているが、傲慢ではない。小人は傲慢だが、心に余裕がない。」
子曰:「剛毅木訥,近仁。」
子曰く、「剛毅にして木訥なるは、仁に近し。」
孔子は言った。「剛毅でありながら、質素で口数が少ない人は、仁の道に近い。」
子路問曰:「何如斯可謂之『士』矣?」子曰:「切切偲偲、怡怡如也,可謂『士』矣。朋友切切偲偲,兄弟怡怡。」
子路問いて曰く、「何如なる斯をもって『士』と謂うべきか?」子曰く、「切切偲偲、怡怡如たり。これを『士』と謂うべし。朋友に対しては切切偲偲たり、兄弟に対しては怡怡たり。」
子路が尋ねた。「どのような人を『士』(立派な人物)と呼ぶことができますか?」孔子は「心を込めて他人を思いやり、穏やかに接することができる者こそ、『士』と呼べる。友人には親身に接し、兄弟には和やかに接するのがよい」と答えた。
子曰:「善人教民七年,亦可以卽戎矣。」
子曰く、「善人、民を教うること七年なれば、亦た以て戎に即くべし。」
孔子は言った。「善良な指導者が七年間民を教育すれば、戦に臨むことも可能になる。」
子曰:「以不教民戰,是謂棄之。」
子曰く、「民を教えずして戦わせるは、これを棄つると謂う。」
孔子は言った。「民に教育を施さずに戦わせるのは、彼らを見捨てるのと同じことだ。」
憲問「恥」。子曰:「邦有道,穀;邦無道,穀,恥也。」
憲、恥を問う。子曰く、「邦に道有れば、穀す。邦に道無くとも、穀すは、恥なり。」
憲(子路)が「恥とは何ですか?」と尋ねた。孔子は「国に道(正しい政治)があるなら、穀物(生計)を得ることは問題ない。しかし、国に道がないのに、それでも穀物を得ようとするのは恥である」と答えた。
「克、伐、怨、欲,不行焉,可以爲仁矣?」子曰:「可以爲難矣,仁則吾不知也。」
「克・伐・怨・欲、これを行わざれば、もって仁と為すべきか?」子曰く、「もって難しと為すべきなり。仁は則ち吾れ知らざるなり。」
「自分を抑え、他人を誇らず、恨みを持たず、欲望を抑える。これらを実践すれば仁者になれるでしょうか?」と尋ねた。孔子は「それは確かに難しいことだ。しかし、それだけで仁とは言えない」と答えた。
子曰:「士而懷居,不足以爲士矣!」
子曰く、「士にして居を懐えば、もって士と為すに足らざるなり。」
孔子は言った。「士(立派な人物)でありながら安穏とした生活を求める者は、士とは言えない。」
子曰:「邦有道,危言危行;邦無道,危行言孫。」
子曰く、「邦に道有れば、危言し危行す。邦に道無ければ、危行し言は孫う。」
孔子は言った。「国に正しい道があるときは、正直に言い、正しく行動する。国に道がないときは、行動は正しくあっても、言葉は慎重にするべきだ。」
子曰:「有德者必有言,有言者不必有德。仁者必有勇,勇者不必有仁。」
子曰く、「徳有る者は必ず言有り。言有る者は必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず。」
孔子は言った。「徳のある者は、必ず適切な言葉を持つ。しかし、言葉を持つ者が必ずしも徳があるとは限らない。仁者は必ず勇気を持つ。しかし、勇者が必ずしも仁者とは限らない。」
南宮适問於孔子曰:「羿善射,奡盪舟,俱不得其死然。禹稷躬稼而有天下。」夫子不答。南宮适出,子曰:「君子哉若人!尙德哉若人!」
南宮适、孔子に問いて曰く、「羿は射を善くし、奡は舟を盪かすに善くすれど、倶に其の死を得ず。禹・稷は身をもって稼し、天下を有す。」夫子、答えず。南宮适出ず。子曰く、「君子なるかな、若くの人!徳を尚ぶかな、若くの人!」
南宮适が孔子に尋ねた。「羿(伝説の名射手)と奡(伝説の船乗り)はそれぞれの技を極めたが、不幸な死を遂げました。しかし、禹(治水の王)と稷(農業の神)は自ら働き、天下を得ました。」孔子は何も答えなかった。南宮适が去った後、孔子は言った。「この人こそ君子だ!この人こそ徳を尊ぶ者だ!」
子曰:「君子而不仁者有矣夫!未有小人而仁者也!」
子曰く、「君子にして仁ならざる者有り。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。」
孔子は言った。「君子でありながら仁でない者もいる。しかし、小人でありながら仁である者は見たことがない。」
子曰:「愛之,能勿勞乎?忠焉,能勿誨乎?」
子曰く、「これを愛して、能く労わざらんや。これに忠を尽くして、能く誨えざらんや。」
孔子は言った。「人を愛するならば、その人のために労を惜しまずに尽くすべきだ。人に忠義を尽くすならば、その人に正しく教え導くべきだ。」
子曰:「爲命,裨諶草創之,世叔討論之,行人子羽脩飾之,東里子產潤色之。」
子曰く、「命を為すに、裨諶は草創し、世叔は討論し、行人子羽は修飾し、東里子產は潤色す。」
孔子は言った。「命令を作る際には、裨諶が草案を作り、世叔が議論し、外交官の子羽が表現を整え、東里子產がより良く仕上げた。」
或問子產,子曰:「惠人也。」問子西。曰:「彼哉彼哉!」問管仲。曰:「人也,奪伯氏騈邑三百,飯疏食,沒齒,無怨言。」
或ひと子產を問う。子曰く、「惠なる人なり。」子西を問う。曰く、「彼の哉、彼の哉!」管仲を問う。曰く、「人なり。伯氏の騈邑三百を奪われ、疏食を飯い、没齒に至るも、怨言無し。」
ある人が子產について尋ねた。孔子は「思いやりのある人物だ」と答えた。子西について尋ねると、「あの人か…」と答えた。管仲について尋ねると、「立派な人物だった。伯氏の領地三百を奪われ、粗末な食事をしながら生涯を終えたが、一言も恨みを言わなかった」と答えた。
子曰:「貧而無怨,難;富而無驕,易。」
子曰く、「貧しくして怨み無きは難し。富みて驕らざるは易し。」
孔子は言った。「貧しくても不満を抱かないことは難しい。しかし、富んでいても傲慢にならないことは比較的容易である。」
子曰:「孟公綽,爲趙、魏老則優,不可以爲滕、薛大夫。」
子曰く、「孟公綽は、趙・魏の老たるにおいては優なれども、滕・薛の大夫たるにおいては可ならず。」
孔子は言った。「孟公綽は、趙や魏のような大国の年長の賢者としては優れているが、滕や薛のような小国の大夫(政府高官)としては適していない。」
子路問成人。子曰:「若臧武仲之知,公綽之不欲,卞莊子之勇,冉求之藝,文之以禮樂,亦可以爲成人矣!」曰:「今之成人者,何必然?見利思義,見危授命,久要不忘平生之言,亦可以爲成人矣!」
子路、成人を問う。子曰く、「若し臧武仲の知、公綽の不欲、卞莊子の勇、冉求の藝、これを文るに礼楽を以てすれば、亦た以て成人と為すべし!」曰く、「今の成人者、何ぞ必ずしも然らんや?利を見て義を思い、危うきを見て命を授け、久要にして平生の言を忘れざれば、亦た以て成人と為すべし!」
子路が「成人(理想的な人物)とはどのような人でしょうか?」と尋ねた。孔子は「臧武仲の知恵、公綽の欲の少なさ、卞莊子の勇気、冉求の技芸、これらを礼楽で磨き上げれば、まさに理想的な成人といえるだろう」と答えた。
さらに続けて「しかし、現代において成人であるために、それほど完璧である必要はない。利益を見ても義を考え、危険を前にしても命を捧げることができ、長く交わした約束を忘れないならば、それもまた成人といえる」と述べた。
子問公叔文子於公明賈,曰:「信乎?夫子不言不笑不取乎?」公明賈對曰:「以吿者過也!夫子時然後言,人不厭其言;樂然後笑,人不厭其笑;義然後取,人不厭其取。」子曰:「其然!豈其然乎?」
子、公叔文子を公明賈に問いて曰く、「信なるか?夫子は言わず、笑わず、取らずと?」公明賈対えて曰く、「これを告ぐる者、過ちなり!夫子は時をもってして然る後に言い、人その言を厭わず。楽をもってして然る後に笑い、人その笑を厭わず。義をもってして然る後に取り、人その取りを厭わず。」子曰く、「其れ然るか!豈其れ然らんや?」
孔子が公叔文子について、公明賈に尋ねた。「本当か?彼は決して言葉を発さず、笑わず、何も受け取らなかったというのは?」
公明賈は答えた。「それを言った者が間違っています。公叔文子は、適切な時に話すので、人々は彼の言葉を嫌がりません。適切な時に笑うので、人々は彼の笑いを嫌いません。正当な理由で物を受け取るので、人々は彼の受け取りを嫌いません。」
孔子は「なるほど、そうだったのか!だが、果たして本当にそうだったのか?」と感嘆した。
子曰:「臧武仲以防,求爲後於魯,雖曰不要君,吾不信也。」
子曰く、「臧武仲、防を以て、魯に後を為さんことを求む。君を要めずと曰うと雖も、吾信ぜず。」
孔子は言った。「臧武仲は城壁を築いて、魯での地位を確保しようとした。彼が『君主の座は求めない』と言ったとしても、私は信じない。」
子曰:「晉文公譎而不正,齊桓公正而不譎。」
子曰く、「晋の文公は譎にして正しからず。斉の桓公は正しくして譎ならず。」
孔子は言った。「晋の文公は策略に長けていたが、公正ではなかった。斉の桓公は公正であったが、策略を用いることはなかった。」
子路曰:「桓公殺公子糾,召忽死之,管仲不死。」曰:「未仁乎?」子曰:「桓公九合諸侯,不以兵車,管仲之力也。如其仁!如其仁!」
子路曰く、「桓公、公子糾を殺し、召忽はこれがために死し、管仲は死せず。未だ仁ならざるか?」子曰く、「桓公は九たび諸侯を合し、兵車を以てせず。管仲の力なり。その仁なること如何!その仁なること如何!」
子路が尋ねた。「斉の桓公は、公子糾を殺しました。召忽は忠義を貫いて死にましたが、管仲は生き延びました。これは仁ではないのでは?」
孔子は答えた。「桓公は九度も諸侯をまとめ上げたが、戦争によるのではなく、外交で成し遂げた。これは管仲の力によるものだ。彼の仁について、どう考えるべきか?彼の仁について、どう考えるべきか!」
子貢曰:「管仲非仁者與?桓公殺公子糾,不能死,又相之。」子曰:「管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下,民到于今受其賜;微管仲,吾其被髮左衽矣!豈若匹夫匹婦之爲諒也,自經於溝瀆,而莫之知也!」
子貢曰く、「管仲は仁者に非ざるか?桓公、公子糾を殺し、管仲は死すること能わず、またこれを相く。」子曰く、「管仲、桓公を相け、諸侯を覇し、一たび天下を匡す。民、今に至るまでその賜を受く。微くんば管仲、吾れ其れ被髮左衽せん!豈匹夫匹婦の諒を為して、自ら溝瀆に経るるがごときに若かんや?」
子貢が尋ねた。「管仲は仁者ではなかったのでしょうか?桓公が公子糾を殺した時、彼は死を選ばず、むしろ桓公に仕えて宰相となりました。」
孔子は答えた。「管仲は桓公を支え、諸侯をまとめ、一度は天下を安定させた。その恩恵は今でも人々が享受している。もし管仲がいなかったら、我々は髪をほどいて野蛮な異民族のような格好で暮らしていたことだろう!どうして、ただの一般人が忠義に殉じて命を絶つようなことが、正しいと言えるだろうか?」
公叔文子之臣大夫僎,與文子同升諸公。子聞之曰:「可以爲文矣!」
公叔文子の臣、大夫の僎、文子と同じく諸公に升る。子これを聞きて曰く、「もって文と為すべし!」
公叔文子の家臣である大夫の僎が、文子とともに諸侯の前で高い地位を得た。これを聞いた孔子は「彼はまさに学識のある人物だ!」と言った。
子言衞靈公之無道也。康子曰:「夫如是,奚而不喪?」孔子曰:「仲叔圉治賓客,祝鮀治宗廟,王孫賈治軍旅。夫如是,奚其喪?」
子、衛の霊公の無道を言う。康子曰く、「夫れ是の如くならば、奚ぞ喪わざる?」孔子曰く、「仲叔圉は賓客を治め、祝鮀は宗廟を治め、王孫賈は軍旅を治む。夫れ是の如くんば、奚ぞその喪びん?」
孔子は衛の霊公の政治が無道であると批判した。これを聞いた康子が「そんなにひどい政治なら、なぜ国が滅びないのですか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「仲叔圉が外交を取り仕切り、祝鮀が祖先の祭祀を管理し、王孫賈が軍隊を指揮している。だからこそ、まだ国が滅びずに済んでいるのだ。」
子曰:「其言之不怍,則爲之也難!」
子曰く、「其の言の怍ぢざるは、則ちこれを為すも難し!」
孔子は言った。「自分の言葉に恥じることがなければ、それを実行するのは難しくない。」
陳成子弒簡公。孔子沐浴而朝,吿於哀公曰:「陳恆弒其君,請討之。」公曰:「吿夫三子。」孔子曰:「以吾從大夫之後,不敢不吿也!君曰:『吿夫三子』者!」之三子吿,不可。孔子曰:「以吾從大夫之後,不敢不吿也!」
陳成子、簡公を弒す。孔子、沐浴して朝し、哀公に吿げて曰く、「陳恆、その君を弒せり。請う、これを討たん。」公曰く、「夫の三子に吿げよ。」孔子曰く、「吾、大夫の後に従うを以て、敢えて吿げざるべからず!君の曰く、『夫の三子に吿げよ』とは!」三子に之きて吿ぐも、不可なり。孔子曰く、「吾、大夫の後に従うを以て、敢えて吿げざるべからず!」
陳成子が魯の簡公を殺害した。孔子は身を清め、哀公のもとに出仕して言った。「陳恆が君主を弑しました。討伐をお願いします。」
哀公は「三人の大臣に相談しなさい」と言った。孔子は「私は臣下の一人として、このことを報告しないわけにはいきません。しかし、君主が『三人の大臣に相談せよ』と言われるなら、それに従います」と答えた。孔子は三人の大臣に相談したが、結局、討伐の決定には至らなかった。孔子は「私は臣下の一人として、この件を報告せずにはいられなかったのだ」と嘆いた。
子路問事君,子曰:「勿欺也,而犯之。」
子路、君に事うるを問う。子曰く、「欺くこと勿かれ、而してこれを犯せ。」
子路が「君主に仕えるにはどうすればよいですか?」と尋ねた。孔子は「君主を欺いてはならない。しかし、間違っている時は正面から諫めるべきだ」と答えた。
子曰:「君子上達,小人下達。」
子曰く、「君子は上達し、小人は下達す。」
孔子は言った。「君子は高い理想を追求するが、小人は目先の欲望にとらわれる。」
子曰:「古之學者爲己,今之學者爲人。」
子曰く、「古の学者は己のためにし、今の学者は人のためにす。」
孔子は言った。「昔の学者は自分の人格を磨くために学んだが、今の学者は他人に見せるために学んでいる。」
蘧伯玉使人於孔子,孔子與之坐而問焉。曰:「夫子何爲?」對曰:「夫子欲寡其過而未能也。」使者出。子曰:「使乎!使乎!」
蘧伯玉、人を孔子に使わす。孔子、これと坐して問いて曰く、「夫子何をか為す?」対えて曰く、「夫子はその過ちを寡なくせんと欲するも、未だ能わざるなり。」使者出づ。子曰く、「使かるかな!使かるかな!」
蘧伯玉が使者を孔子のもとに派遣した。孔子は使者と座り、尋ねた。「蘧伯玉は何をしているのか?」
使者は答えた。「彼は過ちを少なくしようと努力していますが、まだ完全にはできていません。」
使者が去った後、孔子は「なんと立派な人物だ!」と感嘆した。
子曰:「不在其位,不謀其政。」
子曰く、「その位に在らざれば、その政を謀らず。」
孔子は言った。「自分がその職に就いていないなら、その職務に口出しすべきではない。」
曾子曰:「君子思不出其位。」
曾子曰く、「君子の思うことは、その位を出でず。」
曾子は言った。「君子は自分の立場をわきまえ、分を超えたことを考えない。」
子曰:「君子恥其言而過其行。」
子曰く、「君子はその言を恥じて、その行を過ぐ。」
孔子は言った。「君子は自分の言葉が軽薄であることを恥じ、それよりも行動を重視する。」
子曰:「君子道者三,我無能焉:仁者不憂,知者不惑,勇者不懼。」子貢曰:「夫子自道也!」
子曰く、「君子の道たる者三つあり。我、能くすること無し。仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず。」子貢曰く、「夫子、自ら道うなり!」
孔子は言った。「君子の道には三つある。私はどれも完全にはできていない。仁者は憂えず、知者は迷わず、勇者は恐れない。」
子貢は「先生こそ、まさにその三つを備えています!」と言った。
子貢方人。子曰:「賜也,賢乎哉?夫我則不暇!」
子貢、人を方る。子曰く、「賜や、賢なるか?夫れ我、則ち暇あらず!」
子貢が人々を評価していた。孔子は言った。「賜(子貢)よ、お前は本当に賢いのか?私にはそんなことをしている暇はない。」
子曰:「不患人之不己知,患其不能也。」
子曰く、「人の己を知らざるを患えず、その能くせざるを患う。」
孔子は言った。「人が自分を理解してくれないことを心配するのではなく、自分が十分に努力できていないことを心配すべきだ。」
子曰:「不逆詐,不億不信,抑亦先覺者,是賢乎!」
子曰く、「詐りを逆えず、不信を億わず、抑もまた先に覚る者、是れ賢なるか!」
孔子は言った。「人の詐欺を警戒せず、不誠実な人を疑わず、それでいて先を見抜くことができる者、これこそ賢者ではないか!」
微生畝謂孔子曰:「丘,何爲是栖栖者與?無乃爲佞乎?」孔子曰:「非敢爲佞也,疾固也。」
微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘よ、何ぞこれ栖栖たる者たるや?無からんや佞を為すこと?」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ず、固を疾むなり。」
微生畝が孔子に言った。「孔子よ、どうしてそんなに忙しそうにしているのか?お世辞ばかり言っているのではないか?」
孔子は答えた。「私は決してお世辞を言っているわけではない。ただ、頑固な愚かさが嫌いなのだ。」
子曰:「驥不稱其力,稱其德也。」
子曰く、「驥はその力を称えず、その徳を称うなり。」
孔子は言った。「名馬(驥)はその単なる力ではなく、その品格によって評価される。」
或曰:「以德報怨,何如?」子曰:「何以報德?以直報怨,以德報德。」
或ひと曰く、「徳をもって怨に報うるは、何如?」子曰く、「何をもって徳に報いん?直をもって怨に報い、徳をもって徳に報いん。」
ある人が尋ねた。「悪意に対して徳をもって報いるのはどうでしょうか?」
孔子は答えた。「では、善意に対しては何で報いるのか?悪意には公平さで対処し、善意には徳で報いるべきだ。」
子曰:「莫我知也夫!」子貢曰:「何爲其莫知子也?」子曰:「不怨天,不尤人,下學而上達,知我者,其天乎!」
子曰く、「我を知る者莫しや!」子貢曰く、「何ぞその子を知らざらん?」子曰く、「天を怨まず、人を尤めず、下学して上達す。これを知る者は、其れ天か!」
孔子は言った。「私を理解する者は誰もいないのか!」
子貢は「なぜ誰も先生を理解しないのでしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「私は天を怨まず、人を責めない。ただ学問を積み、真理に近づくのみ。私を理解するのは、おそらく天だけだろう。」
公伯寮愬子路於季孫,子服景伯以吿,曰:「夫子固有惑志於公伯寮,吾力猶能肆諸市朝。」子曰:「道之將行也與,命也;道之將廢也與,命也。公伯寮其如命何?」
公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯、以てこれを吿げて曰く、「夫子、固より公伯寮に惑志有り。我が力、猶お能くこれを市朝に肆す。」子曰く、「道の将に行わるるや、命なり。道の将に廃るるや、命なり。公伯寮、それ命を如何せん?」
公伯寮が子路のことを季孫に訴えた。子服景伯は孔子にこのことを伝え、「先生が公伯寮に疑念を抱いていたのは確かです。私は彼を公の場で裁くこともできるでしょう」と言った。
しかし孔子は、「道が行われるのも天命であり、道が廃れるのも天命である。公伯寮の行いもまた天命のうちなのだ」と答えた。
子曰:「賢者辟世,其次辟地,其次辟色,其次辟言。」
子曰く、「賢者は世を辟け、其次は地を辟け、其次は色を辟け、其次は言を辟く。」
孔子は言った。「賢者はまず俗世を避ける。その次に悪しき土地を避ける。その次に邪なものを避ける。そして最後に、無意味な言葉を避ける。」
子曰:「作者七人矣。」
子曰く、「作す者七人あり。」
孔子は言った。「偉大な事業を成し遂げた者は、七人いる。」
子路宿於石門。晨門曰:「奚自?」子路曰:「自孔氏。」曰:「是知其不可而爲之者與?」
子路、石門に宿す。晨門曰く、「奚こよりか?」子路曰く、「孔氏より。」曰く、「是れ、其の不可なるを知りて、これを為す者か?」
子路が石門で宿泊した。門番が「どこから来たのか?」と尋ねた。
子路は「孔子のもとから来た」と答えた。
門番は「おぉ、あの人は、実現不可能なことだと知りながら、それでもやり遂げようとする人物なのか」と言った。
子擊磬於衞。有荷蕢者而過孔氏之門者,曰:「有心哉!擊磬乎!」既而曰:「鄙哉,硜硜乎!莫己知也,斯已而已矣!『深則厲,淺則揭。』」子曰:「果哉!末之難矣!」
子、衞にて磬を撃つ。有る荷蕢する者、孔氏の門を過ぎて曰く、「有心なるかな!磬を撃つか!」既にして曰く、「鄙なるかな、硜硜たるかな!己を知る者莫し、斯に已むのみ!『深ければ則ち厲し、浅ければ則ち揭る。』」子曰く、「果たしなるかな!末を知ること難し!」
孔子が衛の国で磬(石琴)を叩いていた。すると、草を背負った農夫が孔子の家の前を通りかかり、「志のある者よ!そんなことをしているのか?」と言った。
そして、さらにこう言った。「なんと愚かなことか!がむしゃらに努力しているが、誰も彼を理解しない。だから彼はここで終わるのだ!『深い水ならば勢いよく流れ、浅い水ならば地表に現れる』というものだ。」
これを聞いた孔子は、「なんと的確な言葉だ!物事の結末を見通すことは難しいものだ」と感嘆した。
子張曰:「書云:『高宗諒陰,三年不言。』何謂也?」子曰:「何必高宗,古之人皆然。君薨,百官總己以聽於冢宰,三年。」
子張曰く、「書に云う、『高宗、諒陰にして、三年言わず』とは、何の謂いぞ?」子曰く、「何ぞ必ずしも高宗ならん。古の人、皆然り。君、薨ずれば、百官は己を総め、冢宰に聴うこと三年なり。」
子張が尋ねた。「書経に『高宗は父の死後、三年間沈黙した』とありますが、これはどういう意味でしょうか?」
孔子は答えた。「それは高宗だけに限ったことではない。昔の王たちは皆同じだった。君主が亡くなると、百官は自己を律し、国の宰相に従って三年間喪に服したのだ。」
子曰:「上好禮,則民易使也。」
子曰く、「上、礼を好めば、則ち民、使いやすし。」
孔子は言った。「君主が礼を好むならば、民は従いやすくなる。」
子路問君子。子曰:「脩己以敬。」曰:「如斯而已乎?」曰:「脩己以安人。」曰:「如斯而已乎?」曰:「脩己以安百姓。脩己以安百姓,堯舜其猶病諸!」
子路、君子を問う。子曰く、「己を脩めて敬を以てす。」曰く、「斯にして已むか?」曰く、「己を脩めて人を安んず。」曰く、「斯にして已むか?」曰く、「己を脩めて百姓を安んず。己を脩めて百姓を安んずるは、堯・舜も其れ猶おこれを病う。」
子路が君子について尋ねた。孔子は「まず自分を修め、敬意を持つことだ」と答えた。
子路は「それだけですか?」とさらに尋ねた。
孔子は「次に、自分を修めて人々を安んじることだ」と答えた。
子路はさらに「それだけですか?」と尋ねた。
孔子は「最終的には、自分を修めて百姓(国民)を安んじることだ。しかし、百姓を安んじることは、あの堯や舜ですら悩んだほど難しいことなのだ」と答えた。
原壤夷俟。子曰:「幼而不孫弟,長而無述焉,老而不死,是爲賊。」以杖叩其脛。
原壤、夷俟す。子曰く、「幼にして孫弟ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せざるは、是れ賊なり。」杖を以てその脛を叩つ。
原壤が足を伸ばして無礼に座っていた。孔子は言った。「幼い頃に目上を敬わず、大人になっても何の功績もなく、老いてもなお死なないような者は、社会の害である。」
そう言って、杖で彼の脛を叩いた。
闕黨童子將命。或問之曰:「益者與?」子曰:「吾見其居於位也,見其與先生並行也,非求益者也,欲速成者也。」
闕黨の童子、命を将む。或ひと之を問いて曰く、「益する者か?」子曰く、「吾、其の位に居るを見、其の先生と並び行くを見たり。益する者に非ず、速やかに成らんと欲する者なり。」
闕黨の童子が使者の役目を担った。ある人が孔子に「彼は有能な人物でしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「私は彼が身の程をわきまえず、高い地位に立ち、先生と並んで歩くのを見た。彼は学びを求める者ではなく、ただ早く成功したいと焦っている者だ。」
衞靈公問陳於孔子。孔子對曰:「俎豆之事,則嘗聞之矣;軍旅之事,未之學也。」明日遂行。在陳絕糧。從者病,莫能興。子路慍見曰:「君子亦有窮乎?」子曰:「君子固窮,小人窮斯濫矣。」
衛の霊公、陳を孔子に問う。孔子対えて曰く、「俎豆の事は、則ち嘗てこれを聞けり。軍旅の事は、未だこれを学ばざるなり。」明日、遂に行く。陳に在りて糧絶ゆ。従者病みて、能く興つ者莫し。子路、慍りて見えて曰く、「君子も亦窮すること有らんや?」子曰く、「君子は固より窮す。小人は窮すれば斯ち濫る。」
衛の霊公が戦術について孔子に尋ねた。孔子は「祭礼に関することは学びましたが、軍事については学んでおりません」と答えた。翌日、孔子一行は旅立ったが、陳の国で食糧が尽きた。弟子たちは病に倒れ、立ち上がることもできなくなった。
子路は憤慨して孔子に尋ねた。「君子でもこのように窮することがあるのですか?」
孔子は答えた。「君子は困難な状況に陥ることがある。しかし、小人は困窮すると道を踏み外してしまうのだ。」
子曰:「賜也,女以予爲多學而識之者與?」對曰:「然,非與?」曰:「非也,予一以貫之。」
子曰く、「賜や、女予を多く学びてこれを識る者と為すか?」対えて曰く、「然り、非ずや?」曰く、「非ず、予は一を以てこれを貫くなり。」
孔子は子貢に尋ねた。「賜よ、お前は私が多くのことを学び、それらを記憶している者だと思っているか?」
子貢は「その通りではないでしょうか?」と答えた。
孔子は「いや、私はただ一つの原則で全てを貫いているのだ」と答えた。
子曰:「由,知德者鮮矣!」
子曰く、「由や、徳を知る者は鮮なし!」
孔子は言った。「由(子路)よ、徳を本当に理解する者は少ないものだ!」
子曰:「無爲而治者,其舜也與!夫何爲哉?恭己正南面而已矣。」
子曰く、「無為にして治むる者は、其れ舜か!夫れ何をか為せん?己を恭しくして正しく南面するのみ。」
孔子は言った。「無為にして天下を治めたのは、舜であろう。彼は何をしたのか?ただ自らを慎み、正しく南面(=君主の座に座ること)していただけだ。」
子張問行。子曰:「言忠信,行篤敬,雖蠻貊之邦行矣。言不忠信,行不篤敬,雖州里行乎哉?立,則見其參於前也;在輿,則見其倚於衡也。夫然後行。」子張書諸紳。
子張、行を問う。子曰く、「言忠信にして、行い篤敬なれば、蠻貊の邦にありと雖も、行わる。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里にありと雖も、行われんや?立てば、則ち其の参わるを前に見、輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見ん。夫れ然る後に行わる。」子張、これを紳に書す。
子張が「正しい行いとは何ですか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「言葉が誠実であり、行いが慎み深ければ、どんな未開の地に行っても受け入れられる。しかし、言葉が不誠実であり、行いがいい加減であれば、身近な共同体の中ですら受け入れられないだろう。
人が立っている時は、その態度を見て判断し、車に乗っている時は、その姿勢を見て判断する。そうして初めて、その人物の行いが正しいかが分かるのだ。」
子張はこの言葉を衣の紐に書き記した。
子曰:「直哉史魚!邦有道,如矢;邦無道,如矢。君子哉蘧伯玉!邦有道,則仕;邦無道,則可卷而懷之。」
子曰く、「直なるかな史魚!邦に道有れば、矢のごとく、邦に道無ければ、矢のごとし。君子なるかな、蘧伯玉!邦に道有れば、則ち仕え、邦に道無ければ、則ちこれを巻きて懐くべし。」
孔子は言った。「史魚は何と真っ直ぐな人物だ!国に道(正しい政治)がある時も、ない時も、彼の生き方は一貫していた。
蘧伯玉も立派な人物だ。国に道がある時は仕え、国に道がない時は、静かに隠遁するのだ。」
子曰:「可與言,而不與之言,失人;不可與言,而與之言,失言。知者不失人,亦不失言。」
子曰く、「言うべき人に言わずば、人を失う。言うべからざる人に言えば、言を失う。知者は人を失わず、また言を失わず。」
孔子は言った。「話すべき相手に話さなければ、大切な人を失う。話すべきでない相手に話せば、自らの言葉を無駄にする。賢者は、適切な人に適切な言葉を使うものだ。」
子曰:「志士仁人,無求生以害仁,有殺身以成仁。」
子曰く、「志士仁人は、生を求めて仁を害すること無く、身を殺して仁を成すこと有り。」
孔子は言った。「志を持つ者や仁徳のある者は、生き延びるために仁を損なうことはしない。むしろ、自らの命を捧げてでも仁を全うすることがある。」
子貢問爲仁。子曰:「工欲善其事,必先利其器。居是邦也,事其大夫之賢者,友其士之仁者。」
子貢、仁を為すことを問う。子曰く、「工、その事を善くせんと欲すれば、必ず先ずその器を利ぐ。是の邦に居れば、その大夫の賢者に事え、その士の仁者を友とす。」
子貢が「仁を実践するにはどうすればよいでしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「職人が仕事をうまくこなしたいと思うなら、まず道具を整えるべきだ。同様に、一つの国に住むなら、その国の賢明な大夫に仕え、仁徳のある士と友人になるべきだ。」
顏淵問爲邦。子曰:「行夏之時,乘殷之輅,服周之冕,樂則韶舞。放鄭聲,遠佞人。鄭聲淫,佞人殆。」
顔淵、邦を為むることを問う。子曰く、「夏の時を行い、殷の輅に乗り、周の冕を服、楽は則ち韶舞を楽しむ。鄭の声を放て、佞人を遠ざく。鄭の声は淫なり、佞人は殆うし。」
顔淵が「国を治めるにはどうすればよいでしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「夏の暦を用い、殷の馬車に乗り、周の冠服を着る。音楽は雅楽(韶楽)を楽しむ。淫らな鄭の音楽は排除し、巧言令色の人間を遠ざけることだ。鄭の音楽は道を乱し、巧言令色の者は国を危うくする。」
子曰:「人無遠慮,必有近憂。」
子曰く、「人、遠慮無ければ、必ず近憂有り。」
孔子は言った。「遠い将来を考えない者は、必ず目先の問題に苦しむことになる。」
子曰:「已矣乎!吾未見好德如好色者也!」
子曰く、「已めんかな!吾、未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ざるなり!」
孔子は言った。「なんということだ!私はまだ、女性を愛するのと同じほどに徳を愛する者を見たことがない。」
子曰:「臧文仲,其竊位者與!知柳下惠之賢,而不與立也。」
子曰く、「臧文仲、其れ位を竊む者か!柳下恵の賢を知りて、而もこれと立つことを与さざるなり。」
孔子は言った。「臧文仲は、地位を不当に占めていたのではないか?彼は柳下恵の賢さを知りながら、彼を登用しようとしなかった。」
子曰:「躬自厚,而薄責於人,則遠怨矣!」
子曰く、「躬を厚くし、人を責むること薄くせば、則ち怨み遠ざかる。」
孔子は言った。「自らに厳しくし、他人への非難を軽くすれば、人の恨みを買うことはない。」
子曰:「不曰『如之何,如之何』者,吾末如之何也已矣!」
子曰く、「『これを如何せん、これを如何せん』と言わざる者は、吾、末だこれを如何ともすること能わざるなり。」
孔子は言った。「『どうすればよいか?』と自問しない者には、私もどう教えようもない。」
子曰:「群居終日,言不及義,好行小慧,難矣哉!」
子曰く、「群れ居て終日、言義に及ばず、小慧を好んで行うは、難しきかな!」
孔子は言った。「一日中集まって、正しいことについて話さず、ただ小賢しいことを好んでいるようでは、立派な人物になるのは難しい。」
子曰:「君子義以爲質,禮以行之,孫以出之,信以成之。君子哉!」
子曰く、「君子は義を以て質と為し、礼を以てこれを行い、孫を以てこれを出し、信を以てこれを成す。君子なるかな!」
孔子は言った。「君子は義を根本とし、礼によって行動し、謙遜をもって表現し、誠実さによって完成させる。これこそ君子だ!」
子曰:「君子病無能焉,不病人之不己知也。」
子曰く、「君子は能くすること無きを病え、人の己を知らざるを病えず。」
孔子は言った。「君子は、自分に能力がないことを憂えるが、人が自分を理解してくれないことを気にすることはない。」
子曰:「君子疾沒世而名不稱焉。」
子曰く、「君子は世に没して、名を称えられざるを疾う。」
孔子は言った。「君子は、自らが死んだ後に、名声が残らないことを憂える。」
子曰:「君子求諸己,小人求諸人。」
子曰く、「君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。」
孔子は言った。「君子は自らを省みて努力するが、小人は他人に期待してばかりいる。」
子曰:「君子矜而不爭,群而不黨。」
子曰く、「君子は矜みて争わず、群れても党せず。」
孔子は言った。「君子は品位を保ちつつも、無駄な争いをしない。また、人と集うことはあっても、徒党を組んで派閥を作るようなことはしない。」
子曰:「君子不以言擧人,不以人廢言。」
子曰く、「君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。」
孔子は言った。「君子は、ただ言葉が巧みだからといって人を評価しない。また、誰が言ったかで判断せず、内容を見極めて言葉を評価する。」
子貢問曰:「有一言而可以終身行之者乎?」子曰:「其恕乎!己所不欲,勿施於人。」
子貢問いて曰く、「一言を以て終身行うべきもの有るか?」子曰く、「其れ恕か!己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。」
子貢が尋ねた。「生涯を通じて実践できる、一つの言葉はありますか?」
孔子は答えた。「それは『恕(思いやり)』だ。自分がされたくないことを、人にしてはならない。」
子曰:「吾之於人也,誰毀誰譽?如有所譽者,其有所試矣。斯民也,三代之所以直道而行也。」
子曰く、「吾の人に於いて、誰をか毀り、誰をか譽めん?如し譽る者有らば、其れ試みる所有るなり。斯の民は、三代の所以の直道にして行わるるなり。」
孔子は言った。「私は誰かをむやみに非難したり、ほめたりはしない。もし誰かをほめることがあるとすれば、それは私が実際に試し、確かめた結果である。この民こそ、古代の三代王朝(夏・殷・周)が正しい道を歩んできた証である。」
子曰:「吾猶及史之闕文也,有馬者,借人乘之。今亡矣夫!」
子曰く、「吾、猶お史の闕文に及べり。馬有る者は、人に借してこれに乗せたり。今は亡びたり。」
孔子は言った。「私は、かつての史官が欠けた記録を補うほどに誠実であった時代を知っている。また、馬を持っている者がそれを他人に貸すという気前の良い世の中であった。しかし、今やそのような精神は失われてしまった。」
子曰:「巧言亂德,小不忍,則亂大謀。」
子曰く、「巧言は徳を乱し、小を忍ばざれば、則ち大謀を乱る。」
孔子は言った。「巧みな言葉は人の徳を乱し、小さなことを我慢できなければ、大きな計画が台無しになる。」
子曰:「眾惡之,必察焉;眾好之,必察焉。」
子曰く、「衆これを悪まば、必ず察せよ。衆これを好まば、必ず察せよ。」
孔子は言った。「多くの人が誰かを憎んでいる時は、その理由をよく調べるべきだ。多くの人が誰かを称賛している時も、その理由をよく調べるべきだ。」
子曰:「人能弘道,非道弘人。」
子曰く、「人は能く道を弘めるも、道は能く人を弘めず。」
孔子は言った。「道(真理)を広めるのは人であり、道が勝手に人を広めるのではない。」
子曰:「過而不改,是謂過矣。」
子曰く、「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。」
孔子は言った。「過ちを犯しても、それを改めなければ、それこそが本当の過ちである。」
子曰:「吾嘗終日不食,終夜不寢,以思;無益,不如學也。」
子曰く、「吾、嘗て終日食わず、終夜寢ずして思えり。益無し。学ぶに如かざるなり。」
孔子は言った。「私はかつて、一日中食事を取らず、一晩中寝ずに考え続けたことがある。しかし、それは何の役にも立たなかった。学ぶことに勝るものはない。」
子曰:「君子謀道不謀食。耕也,餒在其中矣;學也,祿在其中矣。君子憂道不憂貧。」
子曰く、「君子は道を謀りて食を謀らず。耕すも、餒うこと其の中に在り。学ぶも、禄其の中に在り。君子は道を憂え、貧を憂えず。」
孔子は言った。「君子は道を追求し、生活の糧を気にするものではない。農業をしていても、飢えることはある。学問をしていれば、自然と俸禄が得られる。君子は道の実践を気にかけ、貧しさを気にするものではない。」
子曰:「知及之,仁不能守之,雖得之,必失之。知及之,仁能守之。不莊以蒞之,則民不敬。知及之,仁能守之,莊以蒞之。動之不以禮,未善也。」
子曰く、「知之に及ぶも、仁を以て之を守ること能わざれば、之を得ると雖も、必ず之を失わん。知之に及び、仁を以て之を守る。不莊を以て之を蒞らば、則ち民敬せず。知之に及び、仁を以て之を守り、莊を以て之を蒞る。之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善からず。」
孔子は言った。「知識を得ても、それを仁で守ることができなければ、手に入れてもすぐに失ってしまう。知識を得て、仁をもって守ることができたとしても、威厳がなければ民は敬わない。だから、知識を持ち、仁をもってそれを守り、さらに威厳をもって治めなければならない。さらに、行動する時には礼によって動かさなければ、決して善い結果は得られない。」
子曰:「君子不可小知,而可大受也。小人不可大受,而可小知也。」
子曰く、「君子は小を知るべからずして、大を受くべし。小人は大を受くべからずして、小を知るべし。」
孔子は言った。「君子は些細なことにはこだわらないが、大きな責任を受け止めることができる。小人は大きな責任には耐えられないが、細かいことには気を回す。」
子曰:「民之於仁也,甚於水火。水火,吾見蹈而死者矣,未見蹈仁而死者也。」
子曰く、「民の仁に於けること、水火より甚だし。水火は、吾れこれを蹈みて死する者を見れども、未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。」
孔子は言った。「民にとって仁は、水や火よりも重要である。私は水や火に足を踏み入れて死ぬ者を見たことがあるが、仁を実践して死んだ者を見たことはない。」
子曰:「當仁,不讓於師。」
子曰く、「仁に当れば、師に譲らず。」
孔子は言った。「仁を実践する機会があれば、たとえ師であっても遠慮してはならない。」
子曰:「君子貞而不諒。」
子曰く、「君子は貞にして諒ならず。」
孔子は言った。「君子は誠実であるが、ただ盲目的に他人の言葉を信じるわけではない。」
子曰:「事君,敬其事而後其食。」
子曰く、「君に事うるには、其の事を敬し、其の食を後る。」
孔子は言った。「君主に仕える時は、まず職務を尊び、報酬は後回しにするべきだ。」
子曰:「有教無類。」
子曰く、「教うること有りて、類無し。」
孔子は言った。「教育には、身分や出自による差別はない。」
子曰:「道不同,不相爲謀。」
子曰く、「道同じからざれば、相謀るに為らず。」
孔子は言った。「志を同じくしない者とは、共に計画を立てることはできない。」
子曰:「辭,達而已矣!」
子曰く、「辞は、達するのみ。」
孔子は言った。「言葉とは、相手に伝わればそれで十分だ。」
師冕見。及階,子曰:「階也。」及席,子曰:「席也。」皆坐,子吿之曰:「某在斯,某在斯。」師冕出,子張問曰:「與師言之道與?」子曰:「然,固相師之道也。」
師冕、見ゆ。階に及べば、子曰く、「階なり。」席に及べば、子曰く、「席なり。」皆坐す。子、之に吿げて曰く、「某、斯に在り。某、斯に在り。」師冕出づ。子張、問いて曰く、「師に言うの道か?」子曰く、「然り、固より相師とするの道なり。」
師冕が孔子に謁見した。階段に近づくと、孔子は「これは階段です」と言い、席に近づくと「これは席です」と言った。全員が座ると、孔子は「○○はここにいる、△△はここにいる」と説明した。
師冕が退室した後、子張が「先生、それが師に対する話し方なのですか?」と尋ねた。
孔子は「そうだ、それが本来の礼にかなった話し方なのだ」と答えた。
季氏將伐顓臾。冉有季路見於孔子曰:「季氏將有事於顓臾。」孔子曰:「求!無乃爾是過與?夫顓臾,昔者先王以爲東蒙主,且在邦域之中矣,是社稷之臣也。何以伐爲?」冉有曰:「夫子欲之,吾二臣者,皆不欲也。」孔子曰:「求!周任有言曰:『陳力就列,不能者止。』危而不持,顚而不扶,則將焉用彼相矣?且爾言過矣!虎兕出於柙,龜玉毀於櫝中,是誰之過與?」冉有曰:「今夫顓臾,固而近於費;今不取,後世必爲子孫憂。」孔子曰:「求!君子疾夫舍曰欲之,而必爲之辭。丘也,聞有國有家者,不患寡而患不均,不患貧而患不安。蓋均無貧,和無寡,安無傾。夫如是,故遠人不服,則修文德以來之。既來之,則安之。今由與求也,相夫子,遠人不服而不能來也;邦分崩離析而不能守也,而謀動干戈於邦內。吾恐季孫之憂,不在顓臾,而在蕭牆之內也!」
季氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有、季路、孔子に見えて曰く、「季氏、将に顓臾に事あらんとす。」
孔子曰く、「求よ!無んぞ乃ち爾、是れ過ちならんや?夫れ顓臾は、昔先王、これを以て東蒙の主と為し、且つ邦域の中に在り。是れ社稷の臣なり。何を以て伐つと為すや?」
冉有曰く、「夫子これを欲す。吾二臣は、皆欲せず。」
孔子曰く、「求よ!周任の言に曰く、『力を陳ねて列に就き、能わざる者は止む』と。危うきを持たず、顛るるを扶けざれば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いんや?且つ爾の言、過てり!虎兕、柙を出で、龜玉、櫝に毀るるは、是れ誰の過ちぞ?」
冉有曰く、「今の夫れ顓臾は、固くして費に近し。今取らざれば、後世必ず子孫の憂いと為らん。」
孔子曰く、「求よ!君子は夫れ、これを欲してこれを為すのを辞るるを疾む。丘や、聞けり。国有り家有る者は、寡きを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う。蓋し、均しければ貧しからず、和すれば寡からず、安ければ傾かず。夫れ是の如くんば、故に遠人服わざれば、則ち文徳を修めてこれを来らしむ。既にこれを来らしめば、則ちこれを安んず。今、由と求とは、夫子に相たるも、遠人服わずしてこれを来らしむる能わず、邦分崩離析してこれを守る能わずして、謀らんとす、干戈を邦内に動かすを。吾恐る、季孫の憂いは、顓臾に在らずして、蕭牆の内に在らんことを!」
季氏(魯の大夫)が顓臾(せんゆ)を討伐しようとしていた。冉有と季路が孔子に報告し、「季氏が顓臾に戦を仕掛けようとしています」と伝えた。
孔子は言った。「冉有よ!これはお前たちの過ちではないか?顓臾は昔、先王が東蒙の祭祀を司る土地として認めたものであり、魯の国土の中にある。これは社稷(国家の祭祀)の臣である。どうして討伐しようなどというのか?」
冉有は答えた。「我々二人は反対しましたが、主君がどうしてもやりたがっています。」
孔子は言った。「冉有よ!周任が言った言葉を知っているか?『自分の力をわきまえて職務に就き、できない者は辞退せよ』と。危機にあるのに支えず、倒れそうな者を助けないなら、君主の側近でいる意味があるのか?それに、お前の考え方は間違っている。
虎や犀が檻を破って逃げ出し、亀や宝玉が箱の中で砕け散ったら、それは誰の過ちなのか?」
冉有は言った。「顓臾は防備が固く、しかも費の城に近い。今討たなければ、後世、我々の子孫が必ず悩むことになります。」
孔子は答えた。「冉有よ!君子は、自分が望むことを正当化するために理由をこじつけるのを憎むものだ。私は聞いたことがある。国を治める者は、民の数が少ないことを憂えず、不公平を憂える。貧しさを憂えず、不安定を憂える。公平ならば貧困はなく、調和があれば人口は増え、安定があれば国は傾かない。
だから、もし遠方の民が服従しないならば、徳を修めて彼らを引き寄せるべきであり、来た者は安心させるべきだ。
しかし、今のお前たちはどうか?君主に仕えているのに、遠方の民を従わせることもできず、国内は混乱し、守ることすらできない。それなのに、戦争を起こそうとするのか?私は恐れている。季孫氏の真の危機は、顓臾ではなく、むしろ国内の内乱にあるのではないかと。」
孔子曰:「天下有道,則禮樂征伐自天子出;天下無道,則禮樂征伐自諸侯出。自諸侯出,蓋十世希不失矣;自大夫出,五世希不失矣;陪臣執國命,三世希不失矣。天下有道,則政不在大夫。天下有道,則庶人不議。」
孔子曰く、「天下に道有れば、則ち礼楽・征伐は天子より出づ。天下に道無ければ、則ち礼楽・征伐は諸侯より出づ。諸侯より出づれば、蓋し十世にして希に失わざるなり。大夫より出づれば、五世にして希に失わざるなり。陪臣、国命を執らば、三世にして希に失わざるなり。天下に道有れば、則ち政は大夫に在らず。天下に道有れば、則ち庶人は議せず。」
孔子は言った。「天下に道(正しい統治)がある時は、礼楽や戦争の決定は天子(王)によってなされる。しかし、天下に道が失われると、礼楽や戦争は諸侯が勝手に決めるようになる。諸侯が主導すると、おおよそ十世代のうちに秩序が失われる。さらに、大夫が国を支配するようになれば、五世代のうちに失われる。もし陪臣(家臣の家臣)が国を支配するようになれば、三世代のうちに秩序は崩壊する。天下に道があれば、政治は大夫の手に渡らず、また庶民が政治に口を出すこともない。」
孔子曰:「祿之去公室,五世矣。政逮於大夫,四世矣。故夫三桓之子孫,微矣。」
孔子曰く、「禄、公室を去ること五世なり。政、大夫に逮ぶこと四世なり。故に、夫れ三桓の子孫は微なし。」
孔子は言った。「公室(魯国の公家)が俸禄を失ってから五世代が過ぎた。政治が大夫の手に渡ってから四世代が過ぎた。だから、かつて栄えた三桓氏(三家の有力な大夫)の子孫も、今では衰退している。」
孔子曰:「益者三友,損者三友:友直,友諒,友多聞,益矣;友便辟,友善柔,友便佞,損矣。」
孔子曰く、「益する者三友あり、損する者三友あり。友に直きを友とし、友に諒を友とし、友に多聞を友とするは、益なり。友に便辟を友とし、友に善柔を友とし、友に便佞を友とするは、損なり。」
孔子は言った。「有益な友人には三種類あり、有害な友人にも三種類ある。
正直な友、誠実な友、博識な友は、自分にとって有益だ。
一方で、へつらう友、優柔不断な友、口先だけの友は、自分にとって害となる。」
孔子曰:「益者三樂,損者三樂:樂節禮樂,樂道人之善,樂多賢友,益矣;樂驕樂,樂佚遊,樂宴樂,損矣。」
孔子曰く、「益する者三楽あり、損する者三楽あり。礼楽を節するを楽しみ、人の善を道うを楽しみ、多く賢友を楽しむは、益なり。驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。」
孔子は言った。「有益な楽しみには三つあり、有害な楽しみも三つある。
礼儀に則った音楽を楽しむこと、人の善行を称賛すること、賢い友人と交流することは有益である。
しかし、傲慢な楽しみ、怠けて遊ぶこと、宴会の楽しみにふけることは有害である。」
孔子曰:「侍於君子有三愆:言未及之而言,謂之躁;言及之而不言,謂之隱;未見顏色而言,謂之瞽。」
孔子曰く、「君子に侍するに三愆あり。言未だ及ばざるに言うは、これを躁と謂う。言及びて言わざるは、これを隠と謂う。未だ顔色を見ずして言うは、これを瞽と謂う。」
孔子は言った。「君子に仕える際の三つの過ちがある。
話すべき時ではないのに発言するのは、軽率である。
話すべき時なのに発言しないのは、隠し立てしている。
相手の表情を見ずに話すのは、盲目のようなものである。」
孔子曰:「君子有三戒:少之時,血氣未定,戒之在色;及其壯也,血氣方剛,戒之在鬭;及其老也,血氣既衰,戒之在得。」
孔子曰く、「君子に三戒あり。少き時は、血気未だ定まらず、戒むるは色に在り。其の壮んなるに及びては、血気方に剛し、戒むるは闘に在り。其の老いるに及びては、血気既に衰え、戒むるは得に在り。」
孔子は言った。「君子には三つの戒めがある。
若い時は、血気が安定せず、色欲に注意すべきである。
壮年の時は、血気が盛んであり、争いに注意すべきである。
老いた時は、血気が衰えるため、物を得ることへの執着に注意すべきである。」
孔子曰:「君子有三畏:畏天命,畏大人,畏聖人之言。小人不知天命而不畏也,狎大人,侮聖人之言。」
孔子曰く、「君子には三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人を狎れ、聖人の言を侮る。」
孔子は言った。「君子には三つの畏れるべきものがある。天命を畏れ、大いなる人物を畏れ、聖人の言葉を畏れる。しかし小人は、天命を知らずに畏れず、権威ある人物を軽んじ、聖人の言葉を侮る。」
孔子曰:「生而知之者,上也;學而知之者,次也;困而學之,又其次也。困而不學,民斯爲下矣!」
孔子曰く、「生まれながらにしてこれを知る者は、上なり。学びてこれを知る者は、次なり。困しみてこれを学ぶ者は、またその次なり。困しみて学ばざれば、民はこれ下と為る。」
孔子は言った。「生まれながらにして知恵を持つ者が最上である。学んで知る者はその次である。苦労して学ぶ者はさらにその次である。しかし、苦労しても学ぼうとしない者は、ただの凡庸な民となる。」
孔子曰:「君子有九思:視思明,聽思聰,色思溫,貌思恭,言思忠,事思敬,疑思問,忿思難,見得思義。」
孔子曰く、「君子に九思あり。視るには明らかならんことを思い、聴くには聡からんことを思い、色には温やかならんことを思い、貌には恭しからんことを思い、言には忠ならんことを思い、事には敬まんことを思い、疑わしきを問わんことを思い、忿るには難きを思い、得るを見ては義を思う。」
孔子は言った。「君子には九つの心がけがある。
見るときは明瞭であることを心がける。
聞くときは鋭敏であることを心がける。
表情は穏やかであることを心がける。
姿勢は謙虚であることを心がける。
言葉は誠実であることを心がける。
行動は慎重であることを心がける。
疑問があれば質問することを心がける。
怒るときは、その原因が正当かどうかを考える。
利益を得るときは、それが道義にかなっているかを考える。」
孔子曰:「『見善如不及,見不善如探湯。』吾見其人矣,吾聞其語矣。『隱居以成其志,行義以達其道。』吾聞其語矣,未見其人也。」
孔子曰く、「『善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす』と。吾、その人を見ること有り、その語を聞くこと有り。『隠居して以てその志を成し、義を行いて以てその道を達す』と。吾、その語を聞くこと有れども、その人を見ること未だあらざるなり。」
孔子は言った。「『善を見れば、必死に追いかけるようにし、不善を見れば、熱湯に手を突っ込むように避けるべきだ』という言葉がある。私は、この言葉を実践する人物を見たことがある。
また、『隠遁して志を全うし、義を行って道を広める』という言葉があるが、これを実践する人物にはまだ出会ったことがない。」
(『誠不以富,亦祇以異。』)齊景公有馬千駟,死之日,民無德而稱焉。伯夷叔齊餓於首陽之下,民到于今稱之。其斯之謂與?
(『誠に富を以てするにあらず、亦祇異を以てす』)
斉の景公、馬千駟を有つも、死するの日、民徳を無くしてこれを称えず。伯夷・叔斉、首陽の下に餓うも、民今に至るまでこれを称う。其れ斯れを謂うか?」
(『富によって尊ばれるのではなく、特別な生き方によって尊ばれるのだ』)
斉の景公は千頭の馬を持つほどの大富豪であったが、死後、民は彼を称えなかった。
一方、伯夷と叔斉は、首陽山のふもとで飢え死にしたにもかかわらず、今でも人々に称えられている。
これこそが、何が真の価値を持つかを示しているのではないか?
陳亢問於伯魚曰:「子亦有異聞乎?」對曰:「未也。嘗獨立,鯉趨而過庭。曰:『學《詩》乎?』對曰:『未也。』『不學《詩》,無以言。』鯉退而學《詩》。他日,又獨立,鯉趨而過庭。曰:『學禮乎?』對曰:『未也。』『不學禮,無以立!』鯉退而學禮。聞斯二者。」陳亢退而喜曰:「問一得三:聞《詩》,聞禮,又聞君子之遠其子也。」
陳亢、伯魚に問うて曰く、「子も亦異聞有りや?」対えて曰く、「未だし。嘗て独り立ち、鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、『《詩》を学びしや?』対えて曰く、『未だし。』『《詩》を学ばざれば、以て言うこと無し。』鯉、退きて《詩》を学ぶ。他日、また独り立ち、鯉、趨りて庭を過ぐ。曰く、『礼を学びしや?』対えて曰く、『未だし。』『礼を学ばざれば、以て立つこと無し!』鯉、退きて礼を学ぶ。斯の二つを聞けり。」陳亢、退きて喜びて曰く、「問うて一にして三を得たり。《詩》を聞き、礼を聞き、また君子のその子を遠ざくるを聞けり。」
陳亢が伯魚(孔子の息子)に尋ねた。「あなたは特別な教えを受けたことがありますか?」
伯魚は答えた。「特にはありません。ある日、私が庭を急ぎ足で通った時、父が『詩経を学んだか?』と尋ねました。私は『まだです』と答えました。すると父は『詩を学ばなければ、まともに話すこともできない』と言いました。それで私は詩を学びました。
また別の日、同じように庭を通った時、父が『礼を学んだか?』と尋ねました。私は『まだです』と答えました。すると父は『礼を学ばなければ、社会で立つことはできない』と言いました。それで私は礼を学びました。」
陳亢は喜び、「一つの質問で三つのことを学べた。《詩》を学ぶ大切さ、礼を学ぶ大切さ、そして君子は自らの子にも特別扱いせず厳しく接することを学んだ」と言った。
邦君之妻,君稱之曰「夫人」,夫人自稱曰「小童」;邦人稱之曰「君夫人」,稱諸異邦曰「寡小君」;異邦人稱之,亦曰「君夫人」。
邦君の妻は、君これを称して「夫人」と曰う。夫人、自ら称して「小童」と曰う。邦人、これを称して「君夫人」と曰い、諸の異邦に称するに「寡小君」と曰う。異邦の人、これを称するに、亦「君夫人」と曰う。
諸侯の妻は、君主からは「夫人」と呼ばれる。夫人自身は自らを「小童(つまらない者)」とへりくだって称する。
国内の民は彼女を「君夫人」と呼び、外国に紹介するときは「寡小君(つまらない君主の妻)」と称する。
また、外国の人々も彼女を「君夫人」と呼ぶ。
陽貨欲見孔子,孔子不見,歸孔子豚。孔子時其亡也,而往拜之,遇諸塗。謂孔子曰:「來,予與爾言。」曰:「懷其寶而迷其邦,可謂仁乎?」曰:「不可。」「好從事而亟失時,可謂知乎?」曰:「不可。」「日月逝矣,歲不我與。」孔子曰:「諾,吾將仕矣。」
陽貨、孔子に見えんと欲すれど、孔子見ず。孔子に豚を帰す。孔子、其の亡きを時にして、往きて之を拜す。塗に遇う。孔子に謂いて曰く、「来たれ、予、爾と言わん。」曰く、「其の宝を懷きて其の邦を迷わしむ、仁と謂うべきか?」曰く、「不可なり。」
「事を好みて亟りに時を失う、知と謂うべきか?」曰く、「不可なり。」
「日月は逝き、歳は我を与たず。」
孔子曰く、「諾、吾将に仕えんとす。」
陽貨は孔子に会いたいと願ったが、孔子は会おうとしなかった。そこで陽貨は孔子に豚(供物)を贈った。孔子は陽貨が不在の時を見計らい、その礼を返すために訪れたが、途中で陽貨に出くわした。陽貨は孔子に言った。
「来たれ、君と話がしたい。」
陽貨は問いかけた。「宝を抱きながら自国を混乱に陥れる者は、仁者と言えるか?」
孔子は答えた。「言えない。」
「仕事を好むが、たびたび時機を逃してしまう者は、知者と言えるか?」
孔子は答えた。「言えない。」
「日々は過ぎ去り、時は我々を待ってはくれないぞ。」
すると孔子は言った。「なるほど、私は官職に就こう。」
子曰:「性相近也,習相遠也。」
子曰く、「性は相い近し、習は相い遠し。」
孔子は言った。「人の生まれ持った本性は互いに似ているが、習慣によって違いが生じる。」
子曰:「唯上知與下愚不移也。」
子曰く、「唯上知と下愚とは移らず。」
孔子は言った。「極めて賢い者と極めて愚かな者だけは、変わることがない。」
子之武城,聞弦歌之聲,夫子莞爾而笑,曰:「割雞焉用牛刀。」子游對曰:「昔者,偃也聞諸夫子曰:『君子學道則愛人,小人學道則易使也。』」子曰:「二三子!偃之言是也,前言戲之耳!」
子、武城に之き、弦歌の声を聞く。夫子莞爾として笑い、曰く、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん。」
子游対えて曰く、「昔者、偃也、夫子に聞けり、『君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使いやすし』と。」
子曰く、「二三子よ!偃の言は是なり。前言は戯れなり。」
孔子が武城を訪れたとき、弦楽器の音に合わせて歌う声を聞いた。孔子は微笑み、「鶏を捌くのに、どうして牛刀を使うのかね」と言った。
すると弟子の子游が答えた。「以前、私は先生から、『君子が道を学べば人を愛し、小人が道を学べば扱いやすくなる』と聞きました。」
孔子は言った。「皆よ、偃の言葉は正しい。先ほどの私の言葉は、ただの冗談だったのだ。」
公山弗擾以費畔,召,子欲往。子路不說,曰:「末之也已,何必公山氏之之也。」子曰:「夫召我者,而豈徒哉?如有用我者,吾其爲東周乎!」
公山弗擾、費を以て叛く。召ぶ。子、往かんと欲す。子路説ばずして曰く、「之を末えんのみ。何ぞ必ずしも公山氏に之かん。」
子曰く、「夫我を召ぶ者は、豈に徒らならんや。如し我を用いる者あらば、吾其れ東周を為さんか。」
公山弗擾(こうざんふつじょう)が費(ひ)の地で反乱を起こし、孔子を招いた。孔子は行こうとしたが、弟子の子路は納得せず、「反乱者に関わるのはやめるべきです。どうしてわざわざ公山氏のもとへ行かれるのですか?」と言った。
すると孔子は言った。「彼が私を招いたのは、単なる気まぐれではあるまい。もし私を登用する者がいるのなら、私は東周を再建することもできるかもしれぬ。」
子張問「仁」於孔子。孔子曰:「能行五者於天下,爲仁矣。」「請問之?」曰:「恭、寬、信、敏、惠。恭則不侮,寬則得眾,信則人任焉,敏則有功,惠則足以使人。」
子張、孔子に「仁」を問う。
孔子曰く、「能く五者を天下に行う者は、仁と為す。」
「請れを問わん。」
曰く、「恭、寬、信、敏、惠。恭なれば則ち侮られず、寬なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任ず、敏なれば則ち功あり、惠なれば則ち人を使うに足る。」
子張が孔子に「仁とは何ですか?」と尋ねた。
孔子は言った。「五つの徳目を実践できる者は、仁者である。」
子張が「その五つとは何でしょう?」と尋ねると、孔子は答えた。
「恭(慎み深さ)、寬(寛容さ)、信(誠実さ)、敏(機敏さ)、惠(慈しみ)である。慎み深ければ侮られることなく、寛容であれば人々を得る。誠実であれば人に信頼され、機敏であれば成果を上げる。慈しみ深ければ、人を動かすことができる。」
佛肸召,子欲往。子路曰:「昔者由也聞諸夫子曰:『親於其身爲不善者,君子不入也。』佛肸以中牟畔,子之往也,如之何?」子曰:「然,有是言也。不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。吾豈匏瓜也哉?焉能繫而不食!」
佛肸、召ぶ。子、往かんと欲す。子路曰く、「昔者、由也、夫子に聞けり、『其の身に親しみて不善を為す者、君子入らず』と。佛肸、中牟を以て叛く。子の往くは、之如何。」
子曰く、「然り、是の言有り。不らずや、堅しと曰わずや。磨けども磷つかず。不らずや、白しと曰わずや。涅にして緇からず。吾豈に匏瓜ならんや。焉んぞ繋がれて食らわざらん!」
佛肸(ふつきつ)が孔子を招いた。孔子は行こうとしたが、子路が言った。
「以前、私は先生から、『悪事を働く者と親しくすることは、君子のすることではない』と聞きました。佛肸は中牟の地で反乱を起こしています。先生がそこへ行くのは、いかがなものでしょうか?」
孔子は答えた。「確かに、そのような言葉はある。しかし、こうも言うではないか。『堅いものは、磨いても傷つかない。白いものは、泥にまみれても黒くならない。』私はただの瓢箪(ひょうたん)ではない。ただぶら下がっているだけで、何もしないわけにはいかない!」
子曰:「由也,女聞『六言六蔽』矣乎?」對曰:「未也。」
「居!吾語女。好仁不好學,其蔽也愚;好知不好學,其蔽也蕩;好信不好學,其蔽也賊;好直不好學,其蔽也絞;好勇不好學,其蔽也亂;好剛不好學,其蔽也狂。」
子曰く、「由也、女『六言六蔽』を聞けるか。」
対えて曰く、「未だし。」
「居よ!吾、女に語らん。
仁を好みて学を好まざれば、其の蔽は愚なり。
知を好みて学を好まざれば、其の蔽は蕩なり。
信を好みて学を好まざれば、其の蔽は賊なり。
直を好みて学を好まざれば、其の蔽は絞なり。
勇を好みて学を好まざれば、其の蔽は乱なり。
剛を好みて学を好まざれば、其の蔽は狂なり。」
孔子は言った。「由よ、お前は『六つの徳とそれに伴う六つの弊害』について聞いたことがあるか?」
子路は答えた。「いいえ、まだ聞いたことがありません。」
孔子は言った。「では、よく聞きなさい。
仁を好んで学ばなければ、愚かになる。
知を好んで学ばなければ、軽薄になる。
信を好んで学ばなければ、人を欺くことになる。
正直を好んで学ばなければ、言葉が厳しくなりすぎる。
勇を好んで学ばなければ、無秩序を生む。
剛を好んで学ばなければ、無謀になる。」
子曰:「小子!何莫學夫《詩》?《詩》可以興,可以觀,可以群,可以怨;邇之事父,遠之事君;多識於鳥獸草木之名。」
子曰く、「小子よ!何ぞ夫の《詩》を学ばざるや。《詩》は以て興すべく、以て観るべく、以て群するべく、以て怨むべし。邇くは父に事え、遠くは君に事う。鳥獣草木の名を多く識る。」
孔子は言った。「若者たちよ!なぜ《詩経》を学ぼうとしないのか?《詩経》は人を奮い立たせ、物事を見極める助けとなり、仲間との交流を深め、時には不満を表す手段にもなる。近くは父に仕え、遠くは君主に仕える心得を養うことができる。また、鳥や獣、草木の名前を多く知ることができる。」
子謂伯魚曰:「女爲周南召南矣乎?人而不爲周南召南,其猶正牆面而立也與!」
子、伯魚に謂いて曰く、「女、周南召南を為せるか。人として周南召南を為さざるは、其れ猶お牆の面に正しく立つがごときか。」
孔子は伯魚(孔子の子)に言った。「お前は《周南》《召南》を学んだか?人として《周南》《召南》を学ばないのは、まるで壁に向かって突っ立っているようなものだ。」
子曰:「禮云禮云,玉帛云乎哉?樂云樂云!鐘鼓云乎哉?」
子曰く、「礼云う、礼云う、玉帛を云うか。楽云う、楽云う、鐘鼓を云うか。」
孔子は言った。「礼を語るとき、それは玉や絹(贈り物)のことを指すのか?音楽を語るとき、それは鐘や太鼓のことを指すのか?」
子曰:「色厲而內荏,譬諸小人,其猶穿窬之盜也與?」
子曰く、「色厲しくして内荏らかなるは、小人に譬うれば、其れ猶お穿窬の盗のごときか。」
孔子は言った。「外見は厳しく見せかけながら、内面は弱々しい者は、小人に例えれば、まるで壁に穴を開けて盗みに入るような盗人と同じではないか?」
子曰:「鄉原,德之賊也。」
子曰く、「鄉原は、徳の賊なり。」
孔子は言った。「鄉原(表面だけ善良に見える世渡り上手な者)は、徳を害する盗人である。」
子曰:「道聽而塗說,德之棄也。」
子曰く、「道に聴きて塗に説くは、徳の棄つるなり。」
孔子は言った。「道で聞いたことをすぐに他所で話す者は、徳を捨てる者である。」
子曰:「鄙夫!可與事君也與哉?其未得之也,患得之;既得之,患失之。苟患失之,無所不至矣!」
子曰く、「鄙夫、君に事うべきか?其の未だ得ざるや、之を患い、既に得れば、之を患う。苟も之を患えば、至らざる所無し。」
孔子は言った。「浅ましい者に君主へ仕える資格があるだろうか?まだ地位を得ていない時は、それを得ることを心配し、得た後はそれを失うことを心配する。もし失うことを恐れるならば、どんな手段をもいとわなくなる。」
子曰:「古者民有三疾,今也或是之亡也。古之狂也肆,今之狂也蕩;古之矜也廉,今之矜也忿戾;古之愚也直,今之愚也詐而已矣。」
子曰く、「古の民には三疾あり、今や或いは是の亡びん。古の狂は肆なり、今の狂は蕩なり。古の矜は廉なり、今の矜は忿戾なり。古の愚は直なり、今の愚は詐りのみ。」
孔子は言った。「昔の人には三つの欠点があったが、今ではその形が変わってしまった。昔の『狂』は自由奔放だったが、今の『狂』は放縦である。昔の『矜持』は清廉さを伴っていたが、今の『矜持』は怒りと頑なさに満ちている。昔の『愚かさ』は正直であったが、今の『愚かさ』はただの詐欺に過ぎない。」
子曰:「巧言令色,鮮矣仁。」
子曰く、「巧言令色、仁鮮なし。」
孔子は言った。「言葉巧みで愛想が良い者に、仁の心はほとんどない。」
子曰:「惡紫之奪朱也,惡鄭聲之亂雅樂也,惡利口之覆邦家者。」
子曰く、「紫の朱を奪うを悪み、鄭声の雅楽を乱るるを悪み、利口の邦家を覆すを悪む。」
孔子は言った。「紫色が朱色の美しさを奪うのを嫌い、鄭の音楽が正統な雅楽を乱すのを嫌い、口先の上手い者が国を覆すのを嫌う。」
子曰:「予欲無言!」子貢曰:「子如不言,則小子何述焉?」子曰:「天何言哉?四時行焉,百物生焉,天何言哉?」
子曰く、「予、言わざらんと欲す。」
子貢曰く、「子、如し言わずんば、小子何をか述べん。」
子曰く、「天、何をか言わん。四時行われ、百物生ず。天、何をか言わん。」
孔子は言った。「私はもう何も言わずにいたい。」
子貢が尋ねた。「先生が何も語られなければ、私たちは何を学べばよいのでしょう?」
孔子は答えた。「天は何か言うだろうか?春夏秋冬が巡り、万物が生じる。だが、天は何も語らないではないか。」
孺悲欲見孔子,孔子辭以疾。將命者出戶,取瑟而歌,使之聞之。
孺悲、孔子に見えんと欲す。孔子、疾を以て辞す。命を將むる者、戸を出ずるに、瑟を取りて歌い、之をして聞かしむ。
孺悲が孔子に会いたいと願ったが、孔子は病気を理由に断った。使者が門を出ると、孔子は瑟(しつ・琴)を取り、歌を歌って孺悲に聞こえるようにした。
宰我問:「三年之喪,期已久矣!君子三年不爲禮,禮必壞;三年不爲樂,樂必崩。舊穀既沒,新穀既升,鑽燧改火,期可已矣。」
子曰:「食夫稻,衣夫錦,於女安乎?」曰:「安!」
「女安,則爲之!夫君子之居喪,食旨不甘,聞樂不樂,居處不安,故不爲也。今女安,則爲之!」
宰我出。子曰:「予之不仁也!子生三年,然後免於父母之懷。夫三年之喪,天下之通喪也。予也,有三年之愛於其父母乎?」
宰我、問うて曰く、「三年の喪、期已に久し。君子、三年、礼を為さざれば、礼必ず壊る。三年、楽を為さざれば、楽必ず崩る。旧穀既に没し、新穀既に升る。鑽燧火を改む。期すれば已むべし。」
子曰く、「夫の稲を食し、夫の錦を衣るは、女に於いて安からんか?」
曰く、「安し。」
「女安し。則ち之を為せ。夫れ君子の喪に居るや、食旨甘からず、楽を聞きて楽しまざる。居処安からず。故に為さざるなり。今、女安し。則ち之を為せ。」
宰我、出ず。
子曰く、「予之を不仁とす!子、生まれて三年、然る後に父母の懐を免る。夫れ三年の喪は、天下の通喪なり。予もまた、三年の愛、父母に於いて有らんか。」
宰我が尋ねた。「三年の喪(親の死後の服喪期間)は長すぎませんか?君子が三年間礼を行わなければ、礼は崩れます。三年間音楽を奏でなければ、音楽は廃れてしまいます。古い穀物が尽き、新しい穀物が実る頃には、火を起こす道具も新しくなる。だから、喪の期間もそこまで長くなくてもいいのでは?」
孔子は言った。「お前はうまい米を食べ、豪華な錦の衣を着ることに満足か?」
宰我は答えた。「はい、満足です。」
孔子は言った。「満足ならば、そうするがよい。しかし、君子は喪に服す間、うまい食事を食べても美味しく感じず、音楽を聞いても楽しめず、生活が落ち着かないものだ。だからこそ、喪の期間を守るのだ。お前がそれでも満足なら、勝手にするがいい。」
宰我が退出した後、孔子は言った。「彼はなんと仁に欠けた者か!人は生まれて三年間、親の懐で育てられる。だからこそ、三年の喪は世の常なのだ。私もまた、親から三年の愛を受けたではないか。」
子曰:「飽食終日,無所用心,難矣哉!不有博弈者乎?爲之,猶賢乎已!」
子曰く、「飽食して終日、心を用うる所無ければ、難きかな!博弈する者有らずや。之を為すは、猶お已むより賢れり。」
孔子は言った。「一日中ただ満腹で何も考えずに過ごすのは、なんと嘆かわしいことか!せめて博打や囲碁をする者でもいないのか?それでも、何もしないよりはまだましだ。」
子路曰:「君子尙勇乎?」
子曰:「君子義以爲上。君子有勇而無義爲亂,小人有勇而無義爲盜。」
子路曰く、「君子は尚勇を重んずるか?」
子曰く、「君子は義を以て上と為す。君子に勇有りて義無くんば乱れ、小人に勇有りて義無くんば盗と為る。」
子路が尋ねた。「君子は勇敢であるべきでしょうか?」
孔子は答えた。「君子はまず義(正しい道)を重んじるべきだ。君子が勇敢でも義がなければ、世を乱すことになる。小人が勇敢でも義がなければ、ただの盗人になるだけだ。」
子貢曰:「君子亦有惡乎?」
子曰:「有惡,惡稱人之惡者,惡居下流而訕上者,惡勇而無禮者,惡果敢而窒者。」
曰:「賜也亦有惡乎?」
「惡徼以爲知者,惡不孫以爲勇者,惡訐以爲直者。」
子貢曰く、「君子もまた悪むこと有るか?」
子曰く、「悪むこと有り。人の悪を称する者を悪み、下流に居て上を訕る者を悪み、勇にして礼無き者を悪み、果敢にして窒する者を悪む。」
曰く、「賜もまた悪むこと有るか?」
曰く、「徼して知と為す者を悪み、不孫にして勇と為す者を悪み、訐して直と為す者を悪む。」
子貢が尋ねた。「君子にも嫌うことがありますか?」
孔子は答えた。「ある。人の悪を言いふらす者、身分が低いのに上の者をそしる者、勇敢ではあるが礼儀を知らぬ者、決断力はあるが視野の狭い者、これらを私は嫌う。」
子貢がさらに尋ねた。「私にも嫌いなものがあります。知ったかぶりをする者、礼を欠いているのに勇ましいふりをする者、相手を攻撃することを正直さだと勘違いしている者、これらが私の嫌いなものです。」
子曰:「唯女子與小人爲難養也!近之則不孫,遠之則怨。」
子曰く、「唯女子と小人とは養い難し。之に近づけば則ち不孫にし、之を遠ざくれば則ち怨む。」
孔子は言った。「ただ女性と小人(徳のない者)は扱いにくい。近づけば傲慢になり、遠ざければ恨まれる。」
子曰:「年四十而見惡焉,其終也已。」
子曰く、「年四十にして悪を見わす者は、其の終りなり。」
孔子は言った。「四十歳になっても悪い性質を改められない者は、もう終わりだ。」
微子去之,箕子爲之奴,比干諫而死。孔子曰:「殷有三仁焉。」
微子、之を去る。箕子、之が奴と為る。比干、諫めて死す。孔子曰く、「殷に三仁有り。」
微子は殷(いん)の国を去った。箕子は奴隷とされた。比干は諫言(いさめ)したがために殺された。
孔子は言った。「殷には三人の仁者がいた。」
柳下惠爲士師,三黜。人曰:「子未可以去乎?」曰:「直道而事人,焉往而不三黜?枉道而事人,何必去父母之邦?」
柳下惠、士師と為りて、三たび黜けらる。人曰く、「子、未だ去るべからざるか。」
曰く、「直道にして人に事うるに、焉んぞ往きて三たび黜けられざらん。枉道にして人に事うるに、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。」
柳下惠は士師(司法官)として仕えたが、三度も免職された。
人々が「もう辞めたらどうですか?」と尋ねると、彼は答えた。
「正しい道を貫いて仕えれば、どこへ行こうとも三度は罷免されるものだ。不正な道に従って仕えるくらいなら、なぜわざわざ故郷を去る必要があるのか。」
齊景公待孔子,曰:「若季氏則吾不能,以季、孟之閒待之。」曰:「吾老矣,不能用也。」孔子行。
斉景公、孔子を待つに曰く、「季氏のごときは吾能わず。季孟の閒を以て之を待たん。」
曰く、「吾、老いたり。能く用いざるなり。」
孔子、行る。
斉の景公が孔子を迎えて言った。
「季氏のような待遇はできないが、季氏と孟氏の間くらいの待遇で迎えよう。」
しかし、後に彼は「私は老いたので、孔子をうまく用いることができない」と言った。
孔子は斉を去った。
齊人歸女樂,季桓子受之,三日不朝。孔子行。
斉人、女楽を帰る。季桓子、之を受けて、三日朝せず。孔子、行く。
斉の国から女楽(女の楽人)が贈られた。季桓子はそれを受け取り、三日間政務を怠った。
孔子は彼のもとを去った。
楚狂接輿,歌而過孔子,曰:「鳳兮!鳳兮!何德之衰?往者不可諫,來者猶可追。已而!已而!今之從政者殆而!」孔子下,欲與之言。趨而辟之,不得與之言。
楚狂接輿、歌いて孔子を過りて曰く、
「鳳よ、鳳よ、何ぞ徳の衰えたるや。
往る者は諫むべからず、来る者は猶お追うべし。
已めよ、已めよ、今の従政者は殆し!」
孔子、下りて之と言わんと欲す。趨りて之を辟く。之と言うを得ず。
楚の狂人・接輿が歌いながら孔子の前を通った。
「鳳凰よ、鳳凰よ、どうして徳が衰えてしまったのか。
過去のことはもう変えられないが、未来はまだ挽回できる。
やめろ、やめろ!今の政治家たちは危ういぞ!」
孔子は馬車を降りて彼と話そうとしたが、接輿は走り去り、話すことはできなかった。
長沮、桀溺耦而耕。孔子過之,使子路問津焉。
長沮曰:「夫執輿者爲誰?」
子路曰:「爲孔丘。」
曰:「是魯孔丘與?」
曰:「是也。」
曰:「是知津矣!」
問於桀溺,桀溺曰:「子爲誰?」
曰:「爲仲由。」
曰:「是魯孔丘之徒與?」
對曰:「然。」
曰:「滔滔者,天下皆是也,而誰以易之?且而與其從辟人之士也,豈若從辟世之士哉?」
耰而不輟。
子路行以吿,夫子憮然曰:「鳥獸不可與同群!吾非斯人之徒與而誰與?天下有道,丘不與易也。」
長沮、桀溺、耦にして耕す。
孔子、之を過り、子路をして津を問わしむ。
長沮曰く、「夫の輿を執る者は誰ぞ。」
子路曰く、「孔丘と為す。」
曰く、「是れ魯の孔丘か?」
曰く、「是れなり。」
曰く、「是れ津を知る者なり!」
桀溺に問う。
桀溺曰く、「子は誰ぞ?」
曰く、「仲由と為す。」
曰く、「是れ魯の孔丘の徒か?」
対えて曰く、「然り。」
曰く、「滔滔たる者は、天下皆是れなり。而して誰をか以て之に易えん。
且つ、而、辟人の士に従うよりも、辟世の士に従うに豈らずや。」
耰きて輟めず。
子路、行きて以って告ぐ。
夫子、憮然として曰く、「鳥獣は与に群する可からず!
吾斯の人の徒に非ずんば、誰と与にせん。
天下に道有らば、丘も易えず。」
長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)は、共に畑を耕していた。
孔子は彼らのところを通りかかり、子路に川の渡り方を尋ねるよう命じた。
長沮が尋ねた。「馬車に乗っているのは誰だ?」
子路は答えた。「孔丘です。」
長沮は言った。「あの魯の孔丘か?」
子路は答えた。「そうです。」
すると長沮は皮肉を込めて言った。「なるほど、孔丘ならきっと渡り方を知っているだろうよ!」
次に桀溺に尋ねると、桀溺が聞いた。「お前は誰だ?」
子路は答えた。「仲由(子路)です。」
桀溺は言った。「お前はあの魯の孔丘の弟子か?」
子路は答えた。「そうです。」
すると桀溺は言った。「この世界は混沌としており、誰にも変えることはできない。
それならば、世の中を避ける人に従う方が、人を避ける人に従うよりも良いのではないか?」
そう言いながら、彼は耕作の手を止めなかった。
子路は戻ってこのことを孔子に報告した。
すると孔子は憮然として言った。「鳥や獣とは一緒に生きることはできない。
私がこのような人々と共にしないのであれば、一体誰と共に生きるべきなのか?
もし天下に道があるならば、私は何も変える必要はないのだ。」
子路從而後,遇丈人,以杖荷蓧。子路問曰:「子見夫子乎?」
丈人曰:「四體不勤,五穀不分,孰爲夫子?」
植其杖而芸。子路拱而立。
止子路宿,殺雞爲黍而食之,見其二子焉。
明日,子路行以吿。
子曰:「隱者也。」使子路反見之。至則行矣。
子路曰:「不仕無義。長幼之節,不可廢也;君臣之義,如之何其廢之?
欲潔其身,而亂大倫。君子之仕也,行其義也。道之不行,已知之矣。」
子路、従いて後、丈人に遇う。杖を以って蓧を荷う。
子路、問いて曰く、「子、夫子を見えたりや?」
丈人曰く、「四体勤めず、五穀分たず。孰か夫子と為らん。」
其の杖を植え、芸る。子路、拱して立つ。
子路を止めて宿せしめ、鶏を殺し、黍を為し、之を食わしむ。
其の二子を見る。
明日、子路、行きて以って告ぐ。
子曰く、「隠者なり。」子路をして反りて之に見えしむ。至れば則ち行る。
子路曰く、「仕えざるは義無し。長幼の節、廃るべからず。君臣の義、之を如何ぞして廃らん。
其の身を潔めんと欲して、大倫を乱す。君子の仕うるは、其の義を行うなり。道の行われざるは、已に之を知る。」
子路が孔子の後についていたとき、一人の老人に出会った。彼は杖を持ち、蓧(みの)を背負っていた。
子路は尋ねた。「あなたは孔子を見ましたか?」
老人は答えた。「自分の手足を動かさず、五穀の区別もつかぬ者が、どうして先生などと呼ばれるのか?」
そう言って、杖を地面に立て、草取りを始めた。子路は手を組んで立ち尽くした。
その老人は子路を家に泊め、鶏を絞めて黍(きび)のご飯を炊き、食事を振る舞った。子路は彼の二人の息子にも会った。
翌日、子路は孔子のもとへ戻り、このことを報告した。
孔子は言った。「彼は隠者である。」そして子路に再び訪ねさせたが、すでにその老人は去っていた。
子路は言った。「仕官しないことは不義です。年長者と年少者の関係は廃れてはならず、君臣の関係もまた、どうして捨て去ることができましょうか。
自分の身を清らかに保ちたいという理由で、大きな道理を乱すとは!君子が仕官するのは、正義を実行するためです。
しかし、今の世の中では、正しい道が行われないことは、すでに分かっています。」
逸民:伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連。
子曰:「不降其志,不辱其身,伯夷叔齊與!」
謂柳下惠、少連:「降志辱身矣。言中倫,行中慮,其斯而已矣。」
謂虞仲、夷逸:「隱居放言,身中淸,廢中權。」
我則異於是,無可無不可。」
逸民:伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連。
子曰く、「其の志を降さず、其の身を辱めず。伯夷、叔齊なるかな!」
柳下惠、少連に謂いて曰く、「志を降し、身を辱めたり。言は倫に中り、行は慮に中る。其れ斯にして已めん。」
虞仲、夷逸に謂いて曰く、「隠居して放言し、身は清に中り、廃は権に中る。」
我は則ち是れに異なり。可も無く不可も無し。」
世を避けた人々:伯夷(はくい)、叔齊(しゅくせい)、虞仲(ぐちゅう)、夷逸(いいつ)、朱張(しゅちょう)、柳下惠(りゅうかけい)、少連(しょうれん)。
孔子は言った。「自分の志を決して曲げず、身を汚さなかったのは、伯夷と叔齊である!」
柳下惠と少連については、こう評した。「彼らは志を下げ、身を汚した。しかし、その言葉は道理にかなっており、行動も慎重である。これが限界なのだろう。」
虞仲と夷逸については、「隠居して世の中を批判する。彼らは身の清廉さを保ち、秩序の崩壊を防ごうとした。」と評した。
そして孔子は言った。「私は彼らとは異なり、何が良いとも悪いとも決めつけない。」
大師摯適齊,亞飯干適楚,三飯繚適蔡,四飯缺適秦。
鼓方叔入於河,播鼗武入於漢,少師陽、擊磬襄入於海。
大師摯、斉に適く。
亞飯干、楚に適く。
三飯繚、蔡に適く。
四飯缺、秦に適く。
鼓の方叔、河に入る。
播鼗武、漢に入る。
少師陽、磬を撃つ襄、海に入る。
大師の摯(し)は斉へ赴いた。
亞飯干(あはんかん)は楚へ赴いた。
三飯繚(さんはんりょう)は蔡へ赴いた。
四飯缺(しはんけつ)は秦へ赴いた。
鼓の奏者・方叔(ほうしゅく)は黄河へ渡った。
小さな太鼓を演奏する武(ぶ)は漢水へ渡った。
少師・陽(よう)、磬を奏でる襄(じょう)は海へ渡った。
周公謂魯公曰:「君子不施其親,不使大臣怨乎不以。
故舊無大故,則不棄也,無求備於一人。」
周公、魯公に謂いて曰わく、
「君子は其の親を施てず。大臣をして不以を怨ませず。
故舊大故無ければ、則ち棄てず。一人に備うるを求むること無し。」
周公が魯公に言った。
「君子は親族を見捨てず、大臣が登用されなかったことで不満を抱かないよう配慮する。
古くからの臣が大きな過ちを犯さない限りは、これを見捨ててはならない。
そして、完璧な人物を求めようとしないことが大切だ。」
周有八士:伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季隨、季騧。
周に八士有り。
伯達、伯适、仲突、仲忽、
叔夜、叔夏、季隨、季騧。
周の時代に八人の賢者がいた。
伯達、伯适、仲突、仲忽、
叔夜、叔夏、季隨、季騧である。
子張曰:「士見危致命,見得思義,祭思敬,喪思哀,其可已矣。」
子張曰く、「士、危きを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ已むべきか。」
子張は言った。「士(身分のある者)は、危機に際しては命を捧げ、利益を前にしては義を考え、祭祀では敬意を払い、喪に際しては哀しみを示す。これで十分ではないか。」
子張曰:「執德不弘,信道不篤,焉能爲有?焉能爲亡?」
子張曰く、「徳を執りて弘からず、道を信じて篤からずんば、焉んぞ有るを為し、焉んぞ亡ぶを為さん。」
子張は言った。「徳を持ちながらも広く行き渡らせず、道を信じながらも深く実践しなければ、どうして成功できようか?また、どうして滅びることがないと言えようか?」
子夏之門人,問「交」於子張。子張曰:「子夏云何?」
對曰:「子夏曰:『可者與之,其不可者拒之。』」
子張曰:「異乎吾所聞;『君子尊賢而容眾,嘉善而矜不能。』
我之大賢與,於人何所不容?我之不賢與,人將拒我,如之何其拒人也?」
子夏の門人、交を子張に問う。子張曰く、「子夏は何に云うや。」
対えて曰く、「子夏曰く、『可き者には与え、不可なる者には拒む。』と。」
子張曰く、「吾が聞く所に異なり。『君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して不能を矜れむ。』
我が大賢ならば、人を容れざること何ぞあらん。
我が不賢ならば、人我を拒まん。如何ぞ其れ人を拒まん。」
子夏の弟子が、交友について子張に尋ねた。子張は「子夏は何と言っているのか?」と聞いた。
弟子は答えた。「子夏先生は『付き合うべき人とは交わり、そうでない者は拒む』とおっしゃいました。」
子張は言った。「それは私が聞いたこととは異なる。『君子は賢者を尊び、広く人を受け入れ、善行を称賛し、力の及ばない者を憐れむ』というのが正しい。
もし私が大いに賢いならば、なぜ人を受け入れないことがあろうか。
もし私が賢くなければ、人は私を拒むだろう。どうして私が人を拒むことができようか。」
子夏曰:「雖小道,必有可觀者焉,致遠恐泥,是以君子不爲也。」
子夏曰く、「小道と雖も、必ず観るべき者有り。遠きを致すに恐らくは泥まん。是を以って君子は為さざるなり。」
子夏は言った。「たとえ些細な技術でも、学ぶべきところはある。しかし、それにのめり込むと、大きな目標へ進む道を妨げることになりかねない。だからこそ、君子はそれを行わないのだ。」
子夏曰:「日知其所亡,月無忘其所能,可謂好學也已矣。」
子夏曰く、「日に其の亡する所を知り、月に其の能くする所を忘るること無ければ、好学と謂うべきのみ。」
子夏は言った。「毎日、自分が知らないことを新たに学び、毎月、自分ができることを忘れないようにすれば、それが本当に学問を愛する者だと言える。」
子夏曰:「博學而篤志,切問而近思,仁在其中矣。」
子夏曰く、「博く学びて志を篤くし、切に問いて近く思えば、仁其の中に在り。」
子夏は言った。「広く学び、志を厚く持ち、熱心に問い、身近なことをよく考えれば、その中に仁が宿る。」
子夏曰:「百工居肆以成其事,君子學以致其道。」
子夏曰く、「百工は肆に居りて其の事を成し、君子は学びて其の道を致す。」
子夏は言った。「職人は工房にいて技を極め、君子は学問を修めて道を成す。」
子夏曰:「小人之過也必文。」
子夏曰く、「小人の過ちは必ず文る。」
子夏は言った。「小人(徳のない者)は、自らの過ちを取り繕い、美辞麗句で飾ろうとする。」
子夏曰:「君子有三變:望之儼然,卽之也溫,聽其言也厲。」
子夏曰く、「君子には三変有り。之を望めば儼然たり。之に即けば温なり。其の言を聴けば厲なり。」
子夏は言った。「君子には三つの様子がある。遠くから見ると厳かである。近づいて接すると温和である。話を聞けば、言葉は厳しく引き締まっている。」
子夏曰:「君子信而後勞其民,未信則以爲厲己也。信而後諫,未信則以爲謗己也。」
子夏曰く、「君子は信して後に其の民を労す。未だ信ならざれば、則ち己を厲ると為す。
信して後に諫む。未だ信ならざれば、則ち己を謗ると為す。」
子夏は言った。「君子は、まず民の信頼を得てから労役を課す。信頼がなければ、民はこれを自分に害をなすものと考えてしまう。
また、君子はまず信頼を得てから諫言(忠告)する。信頼がなければ、忠告はただの悪口と受け取られてしまう。」
子夏曰:「大德不踰閑,小德出入可也。」
子夏曰く、「大徳は閑を踰えず。小徳は出入するも可なり。」
子夏は言った。「大きな徳は常に規律を守り、逸脱しない。しかし、小さな徳については、多少の変動があっても問題はない。」
子游曰:「子夏之門人小子,當洒掃應對進退則可矣,抑末也;本之則無,如之何?」
子夏聞之曰:「噫!言游過矣!君子之道,孰先傳焉?孰後倦焉?
譬諸草木,區以別矣。君子之道,焉可誣也?有始有卒者,其惟聖人乎!」
子游曰く、「子夏の門人の小子、洒掃応対進退を当さにすべし。抑も末なり。本に之れ無し。之を如何せん。」
子夏、之を聞きて曰く、「噫!言游、過れり!君子の道、孰か先んじて伝え、孰か後れて倦まず。
譬えば草木のごとく、区して以って別つ。君子の道、焉んぞ誣うべけんや。始め有り、卒り有る者は、其れ惟だ聖人か!」
子游は言った。「子夏の弟子たちは、掃除や礼儀作法の習得には向いているが、それは枝葉末節なことだ。本質的な学問には至っていない。これではどうにもならないではないか。」
子夏はそれを聞いて言った。「ああ!子游の言葉は誤っている!君子の道を誰が先に学び、誰が後から学ぶか、そんなことは問題ではない。
たとえば草木にも種類があり、それぞれが異なる特徴を持つように、人もまたそれぞれの学び方があるのだ。君子の道をどうして一概に断じることができようか?
始まりがあり、終わりがある者、それが聖人だけではないか!」
子夏曰:「仕而優則學,學而優則仕。」
子夏曰く、「仕えて優なれば則ち学び、学びて優なれば則ち仕う。」
子夏は言った。「官職に就いて余裕があれば学問をし、学問に励んで余裕ができれば官職に就くべきだ。」
子游曰:「喪致乎哀而止。」
子游曰く、「喪は哀を致して止む。」
子游は言った。「喪においては、最大限に哀しみを表すことが大切であり、それ以上の形式にはこだわる必要はない。」
子游曰:「吾友張也,爲難能也,然而未仁。」
子游曰く、「吾が友張や、難能を為すなり。然れども未だ仁ならず。」
子游は言った。「私の友である子張は、確かに立派な行いをするが、まだ仁の境地には達していない。」
曾子曰:「堂堂乎張也,難與並爲仁矣。」
曾子曰く、「堂堂たるかな張や、並に仁を為すこと難し。」
曾子は言った。「堂々たる風格を持つ子張ではあるが、仁を共に成し遂げることは難しいだろう。」
曾子曰:「吾聞諸夫子:『人未有自致者也,必也親喪乎!』」
曾子曰く、「吾、諸を夫子に聞けり。『人、未だ自ら致す者有らず、必ずや親喪においてなり!』と。」
曾子は言った。「私は先生(孔子)からこう聞いた。『人が最も深く自分を省みるのは、必ず親の死に直面したときである。』と。」
曾子曰:「吾聞諸夫子:『孟莊子之孝也,其他可能也,其不改父之臣,與父之政,是難能也。』」
曾子曰く、「吾、諸を夫子に聞けり。『孟莊子の孝なるは、其の他は能くすること可能なり。其の父の臣を改めず、父の政に従う、是れ難き能なり。』と。」
曾子は言った。「私は先生(孔子)からこう聞いた。『孟莊子の孝行は、普通のことは誰にでもできる。しかし、父の家臣を替えず、父の政治をそのまま受け継ぐことこそ、真に難しいことである。』と。」
孟氏使陽膚爲士師,問於曾子。曾子曰:「上失其道,民散久矣!如得其情,則哀矜而勿喜。」
孟氏、陽膚をして士師と為す。曾子に問う。
曾子曰く、「上其の道を失いて、民散ること久し。
如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿れ。」
孟氏は陽膚を士師(司法官)に任命し、曾子に意見を求めた。
曾子は言った。「上の者が正しい道を失って久しく、民は散り乱れている。
もし裁判で真実を知ることができたならば、哀れみをもって対処し、決して喜んではならない。」
子貢曰:「紂之不善,不如是之甚也。是以君子惡居下流,天下之惡皆歸焉。」
子貢曰く、「紂の不善は、是の甚しきに如かず。
是を以って君子は下流に居るを悪む。天下の悪皆焉に帰す。」
子貢は言った。「殷の紂王の悪政も、ここまでひどくはなかった。
だからこそ君子は、社会の底辺に身を置くことを嫌う。なぜなら、天下のすべての悪がそこに集まってしまうからだ。」
子貢曰:「君子之過也,如日月之食焉。過也,人皆見之;更也,人皆仰之。」
子貢曰く、「君子の過つや、日月の食の如し。
過つときは、人皆之を見る。更むるときは、人皆之を仰ぐ。」
子貢は言った。「君子が過ちを犯すのは、太陽や月の蝕のようなものだ。
過ちを犯せば、誰もがそれを目にする。しかし、それを改めれば、誰もが彼を敬う。」
衞公孫朝問於子貢曰:「仲尼焉學?」
子貢曰:「文、武之道,未墜於地,在人。賢者識其大者,不賢者識其小者,莫不有文、武之道焉。
夫子焉不學?而亦何常師之有?」
衛の公孫朝、子貢に問いて曰く、「仲尼、焉にか学ぶ?」
子貢曰く、「文、武の道、未だ地に墜ちず、人に在り。
賢者は其の大を識り、不賢者は其の小を識る。
文、武の道に有らざる莫し。
夫子焉にか学ばざらん。
而も亦何くんぞ常の師有らん。」
衛の公孫朝が子貢に尋ねた。「仲尼(孔子)は、どこで学んだのか?」
子貢は答えた。「文王や武王の道は、まだ地に埋もれてはいない。人々の中に生きている。
賢者はその大きな部分を学び、そうでない者も小さな部分を学ぶ。
誰もが文王や武王の道を持っているのだ。
だから先生がどこで学んだかなど問題ではない。
そして、特定の師にだけ学んだということもない。」
叔孫武叔語大夫於朝,曰:「子貢賢於仲尼。」
子服景伯以吿子貢。
子貢曰:「譬之宮牆,賜之牆也及肩,闚見室家之好;
夫子之牆數仞,不得其門而入,不見宗廟之美、百官之富。
得其門者或寡矣。夫子之云,不亦宜乎!」
叔孫武叔、大夫に語りて朝に曰く、「子貢、仲尼に賢れり。」
子服景伯、以って子貢に告ぐ。
子貢曰く、「之を宮牆に譬うれば、賜の牆や及び肩し。
室家の好を窺見す。
夫子の牆は数仞、其の門を得ずして入り、宗廟の美、百官の富を見ること得ず。
其の門を得る者、或いは寡なし。夫子の云う、亦宜なるかな。」
叔孫武叔が朝廷で大夫に言った。「子貢は孔子よりも優れている。」
子服景伯がこのことを子貢に伝えた。
子貢は言った。「これを宮殿の塀に例えるならば、私(子貢)の塀は肩の高さほどしかなく、人々は容易に中を覗き、家の美しさを知ることができる。
しかし、先生(孔子)の塀は何メートルも高く、その門を見つけなければ中に入ることができない。
その門を見つけて入れる者は、ごくわずかだ。
だから先生の偉大さが分からないのも当然だ。」
叔孫武叔毀仲尼。子貢曰:「無以爲也,仲尼不可毀也。他人之賢者,丘陵也,猶可踰也;
仲尼,日月也,無得而踰焉。人雖欲自絕,其何傷於日月乎?多見其不知量也!」
叔孫武叔、仲尼を毀る。
子貢曰く、「以って為すこと無し。仲尼は毀るべからず。
他人の賢者は丘陵の如し、猶踰ゆべし。
仲尼は日月の如し。得て踰ゆること無し。
人、雖い自ら絶たんと欲するも、其れ何ぞ日月に傷つけん。
多く其の量を知らざるを見るなり。」
叔孫武叔が孔子を誹謗した。
すると子貢は言った。「そんなことは問題ではない。孔子は誹謗することなどできない。
他の賢者は丘や山のようなもので、努力すれば乗り越えられる。
しかし、孔子は太陽や月のような存在だ。誰もそれを超えることはできない。
人が自ら太陽や月から離れようとしても、それが太陽や月に何の影響を与えるだろうか?
ただ、己の器量を知らないだけなのだ。」
陳子禽謂子貢曰:「子爲恭也,仲尼豈賢於子乎?」
子貢曰:「君子一言以爲知,一言以爲不知,言不可不愼也!
夫子之不可及也,猶天之不可階而升也。
夫子之得邦家者,所謂『立之斯立,道之斯行,綏之斯來,動之斯和。其生也榮,其死也哀』。
如之何其可及也?」
陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼、豈に子に賢れりや?」
子貢曰く、「君子は一言を以って知と為し、一言を以って不知と為す。言、愼まざるべからず!
夫子の及ぶべからざるや、猶天の階して升るべからざるがごとし。
夫子、邦家を得ば、所謂、『之を立てば斯ち立ち、之を道けば斯ち行われ、之を綏んずれば斯ち来り、之を動かせば斯ち和らぐ。其の生けるや栄なり、其の死するや哀なり。』
之を如何ぞ其れ及ぶべけんや。」
陳子禽が子貢に言った。「君はとても礼儀正しい。だが、本当に孔子は君よりも優れているのか?」
子貢は答えた。「君子は、一言で賢者とされ、一言で愚者とされる。だからこそ、言葉は慎重に選ばなければならない。
先生(孔子)は、決して到達できない存在だ。それは、天に階段をかけて登ることができないのと同じことだ。
もし先生が国を治めるならば、『彼が立てば、国も立ち、彼が導けば、道は行われ、彼が安定させれば、人々は集まり、彼が動けば、和が生まれる。
生きている間は栄え、亡くなれば人々は深く悲しむ。』
どうして、そんな偉大な人に追いつくことができようか?」
堯曰:「咨!爾舜!天之曆數在爾躬,允執其中!四海困窮,天祿永終。」
舜亦以命禹。曰:「予小子履,敢用玄牡,敢昭吿于皇皇后帝:有罪不敢赦。
帝臣不蔽,簡在帝心!朕躬有罪,無以萬方;萬方有罪,罪在朕躬。」
「周有大賚,善人是富。」
「雖有周親,不如仁人;百姓有過,在予一人。」
謹權量,審法度,脩廢官,四方之政行焉。
興滅國,繼絕世,擧逸民,天下之民歸心焉。
所重:民、食、喪、祭。
寬則得眾,信則民任焉,敏則有功,公則說。
堯、曰く、「咨!爾舜よ!天の曆数、爾の躬に在り。允に其中を執れ!
四海困窮すれば、天祿永く終わらん。」
舜も亦、禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭かに皇皇たる後帝に告ぐ。
罪有れば敢えて赦さず。帝臣、蔽われず、簡ばれて帝心に在り!
朕躬に罪あらば、万方を以ってすること無し。
万方に罪あらば、罪は朕の躬に在り。」
「周、大賚有り。善人、是を富ます。」
「周親有りと雖も、仁人に如かず。
百姓過ち有らば、予の一人に在り。」
権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を修めれば、四方の政行わる。
滅びた国を興し、絶えた世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民、心を帰す。
重きを置くは、民、食、喪、祭なり。
寛なれば則ち衆を得、信あれば則ち民、任す。
敏なれば則ち功あり、公なれば則ち説ぶ。
堯は言った。「ああ、舜よ!天命はそなたの身にかかっている。必ずその中庸を保て!
もし天下の民が困窮すれば、天の福は永遠に失われるだろう。」
舜もまた、禹に命じた。
「私は小さき者ながら、慎み深く黒い牡牛を供え、敬虔なる心をもって皇天上帝に報告する。
罪を犯せば、決して赦さぬ。天の臣たちは隠し立てせず、慎重に選ばれ、天の意志のもとにある!
もし私に罪があれば、それは天下のためではない。
もし天下に罪があれば、その責任は私自身にあるのだ。」
「周の国は大いなる賜り物を持っている。善良な者が富を得るべきだ。」
「血縁の親族がいようとも、仁ある者には及ばない。
民に過ちがあれば、それはすべて私一人の責任である。」
秤を正し、法律を整え、廃れた役職を復興させれば、四方の政治は正しく機能する。
滅んだ国を再建し、断絶した家系を継ぎ、隠れた賢者を登用すれば、天下の人々は心を寄せるようになる。
政治において大切なのは、民の生活、食糧、喪礼、祭祀である。
寛大であれば人々は集まり、誠実であれば民は安心する。
機敏であれば功績を上げ、公正であれば皆が喜ぶのだ。
子張問於孔子曰:「何如斯可以從政矣?」
子曰:「尊五美,屛四惡,斯可以從政矣。」
子張曰:「何謂五美?」
子曰:「君子惠而不費,勞而不怨,欲而不貪,泰而不驕,威而不猛。」
子張曰:「何謂惠而不費?」
子曰:「因民之所利而利之,斯不亦惠而不費乎!
擇可勞而勞之,又誰怨?
欲仁而得仁,又焉貪?
君子無眾寡,無小大,無敢慢,斯不亦泰而不驕乎?
君子正其衣冠,尊其瞻視,儼然人望而畏之,斯不亦威而不猛乎!」
子張曰:「何謂四惡?」
子曰:「不教而殺謂之虐;不戒視成謂之暴;慢令致期謂之賊;猶之與人也,出納之吝,謂之貪。」
子張、孔子に問うて曰く、「何如斯ち以って政に従うべきか。」
子曰く、「五美を尊び、四悪を屛く。斯に以って政に従うべし。」
子張曰く、「何ぞ五美と謂うや。」
子曰く、「君子は惠にして費やさず、労して怨みず、欲して貪らず、泰にして驕らず、威にして猛ならず。」
子張曰く、「何をか惠にして費やさずと謂う。」
子曰く、「民の利する所に因りて之を利せば、斯ち惠にして費やさず。
労すべきを択びて之を労せば、誰か怨むべき。
仁を欲して仁を得れば、焉んぞ貪らん。
君子は眾寡を問わず、小大を問わず、敢えて慢せず。斯、不亦泰にして驕らざるか。
君子は衣冠を正し、視線を慎み、威厳を持って人望を得て畏れられる。斯、不亦、威にして猛ならざるか。」
子張曰く、「何をか四悪と謂う。」
子曰く、「教えずして殺すを虐と謂う。戒めずして成を視るを暴と謂う。命を怠りて期を致すを賊と謂う。人に与うるに吝かなるを貪と謂う。」
子張(しちょう)が孔子に尋ねて言った。
「どうすれば政治に携わることができるのでしょうか?」
孔子は言った。
「五つの善を尊び、四つの悪を取り除けば、政治に携わることができる。」
子張が尋ねた。
「五つの善とは何ですか?」
孔子は言った。
「君子は、恵みを施しても浪費せず、労働をしても怨みを持たず、欲しても貪らず、泰然としていても驕らず、威厳があっても猛々しくない。」
子張が尋ねた。
「恵みを施しても浪費しないとはどういうことですか?」
孔子は言った。
「民の利益となることを行うことで、これこそが恵みを施しながらも浪費しないことではないか!
労するに値することを選んで労するならば、誰が怨むことがあるだろうか?
仁を求めて仁を得るならば、どこに貪欲があろうか?
君子は、人が多かろうと少なかろうと、大きかろうと小さかろうと、決しておごらず怠らない。これこそが泰然としていても驕らないことではないか?
君子は衣冠を正し、視線を尊び、厳かな態度で人々の信頼を集め畏れられる。これこそが威厳がありながらも猛々しくないことではないか!」
子張が尋ねた。
「四つの悪とは何ですか?」
孔子は言った。
「教えずに殺すことを『虐(ぎゃく)』という。
戒めずに成否を問うことを『暴(ぼう)』という。
命令をいい加減に出しながら、期限を厳しく求めることを『賊(ぞく)』という。
人に物を与える際に惜しんで出し渋ることを『貪(たん)』という。」
子曰:「不知命,無以爲君子也;不知禮,無以立也;不知言,無以知人也。」
子曰く、「命を知らざれば、以って君子と為すこと無し。
礼を知らざれば、以って立つこと無し。
言(げん)を知らざれば、以って人を知ること無し。」
孔子は言った。「天命を知らなければ、君子となることはできない。
礼を知らなければ、立身することもできない。
言葉を理解しなければ、人を見抜くこともできない。」