論語 現代語訳

白文、書き下し文、日本語訳を併記しています。

目次

トップページへ戻る

学而第一

学而第一・一

白文

子曰:「學而時習之,不亦說乎?有朋自遠方來,不亦樂乎?人不知而不慍,不亦君子乎?」

書き下し文

子曰く、「学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずしていきどおらず、また君子ならずや。」

日本語訳

孔子は言った。「学び、それを適宜復習することは、なんと喜ばしいことではないか。志を同じくする友が遠方から訪れるのは、なんと楽しいことではないか。自分が世に認められなくとも腹を立てないのは、まさに君子ではないか。」

学而第一・二

白文

有子曰:「其為人也孝弟,而好犯上者,鮮矣;不好犯上,而好作亂者,未之有也。君子務本,本立而道生。孝弟也者,其為仁之本與!」

書き下し文

有子曰く、「その人となりや、孝にしてていならば、上を犯すを好む者はすくなし。上を犯すを好まざれば、乱をすを好む者、いまだこれ有らざるなり。君子はもとを務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、これ仁の本ならずや。」

日本語訳

有子は言った。「親に孝行であり、兄や目上に従順である者で、目上に逆らうことを好む者はほとんどいない。目上に逆らうことを好まなければ、乱を引き起こすことを好む者もまたいない。君子はまず根本を大切にする。根本がしっかりしていれば、人の道が生まれる。孝行や兄弟に対する思いやりこそが、仁の根本ではないだろうか。」

学而第一・三

白文

子曰:「巧言令色,鮮矣仁。」

書き下し文

子曰く、「巧言こうげん令色れいしょくすくなし仁。」

日本語訳

孔子は言った。「口先がうまく、愛想の良い者には、仁の心がほとんどない。」

学而第一・四

白文

曾子曰:「吾日三省吾身:為人謀而不忠乎?與朋友交而不信乎?傳不習乎?」

書き下し文

曾子曰く、「吾、日に三たび吾が身をかえりみる。人のためにはかりて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。」

日本語訳

曾子は言った。「私は毎日三度、自分の行いを反省する。人のために考えたことが誠実であったかどうか。友と交わる時に誠意をもって接したかどうか。十分に身につけていないことを人に教えていないかどうか。」

学而第一・五

白文

子曰:「道千乘之國,敬事而信,節用而愛人,使民以時。」

書き下し文

子曰く、「千乗せんじょうの国をおさむるには、事をつつしみて信あり、用をつつしみて人を愛し、民を使うに時をもってす。」

日本語訳

孔子は言った。「大国を治めるには、政治を慎み、誠実であること。無駄を省き、民を大切にすること。そして民を使役する際には、適切な時期を考慮することが大切である。」

学而第一・六

白文

子曰:「弟子入則孝,出則弟,謹而信,汎愛眾,而親仁。行有餘力,則以學文。」

書き下し文

子曰く、「弟子は、入りては孝、出でてはてい。謹みて信あり。衆をひろく愛し、仁に親しむ。行いて余力あれば、すなわち文を学ぶ。」

日本語訳

孔子は言った。「弟子たる者は、家では親に孝行を尽くし、外では年長者を敬うべきである。慎み深く、誠実であり、人々を広く愛し、仁徳のある人に親しむべきである。それらを実践し、なお余力があれば、学問をすればよい。」

学而第一・七

白文

子夏曰:「賢賢易色,事父母能竭其力,事君能致其身,與朋友交言而有信。雖曰未學,吾必謂之學矣。」

書き下し文

子夏曰く、「賢を賢しとして色をえ、父母に事えて能くその力をくし、君に事えて能くその身を致し、朋友と交わりて言いて信あり。いまだ学ばずといえども、吾これを学ぶというべし。」

日本語訳

子夏は言った。「賢者を尊び、色欲を控え、父母に仕えて力を尽くし、君主に仕えて命を懸け、友と交わるときには誠実である。このような人は、たとえ学問をしていないと言われようとも、私は立派に学んでいると認める。」

学而第一・八

白文

子曰、君子不重則不威。学則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。

書き下し文

子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如からざる者を友とするなかれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ。

日本語訳

孔子は言った。「君子は重厚でなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。誠実で正直であることを肝要とし、自分より劣った者を友人とするな。過失を犯した際には改めることを躊躇するな」

学而第一・九

白文

曾子曰:「慎終追遠,民德歸厚矣。」

書き下し文

曾子曰く、「わりを慎み、遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。」

日本語訳

曾子は言った。「亡くなった人を慎んで葬り、祖先を敬えば、民の徳は自然と厚くなる。」

学而第一・十

白文

子禽問於子貢曰:「夫子至於是邦也,必聞其政,求之與?抑與之與?」
子貢曰:「夫子溫、良、恭、儉、讓以得之。夫子之求之也,其諸異乎人之求之與?」

書き下し文

子禽しきん子貢しこうに問いて曰く、「夫子、この邦に至れば、必ずその政を聞く。これを求むるか、れこれを与えらるるか。」
子貢曰く、「夫子、おだやかにして、く、うやうやしく、つつましく、ゆずるをもってこれを得たり。夫子のこれを求むるや、人のこれを求むるに異ならんや。」

日本語訳

子禽が子貢に尋ねた。「先生はどの国に行っても、必ずその政治について知ることができる。それは自ら求めるのか、それとも人々が進んで教えるのか。」
子貢は答えた。「先生は温厚で善良、礼儀正しく、倹約家であり、謙虚である。その徳によって、自然と人々が教えてくれるのだ。先生の知識の得方は、普通の人の求め方とは違うのではないか。」

学而第一・十一

白文

子曰:「父在,觀其志;父沒,觀其行;三年無改於父之道,可謂孝矣。」

書き下し文

子曰く、「父在いませば、その志を父没くんば、その行いを観る。三年、父の道を改むること無くんば、孝とうべし。」

日本語訳

孔子は言った。「父が生きている間は、その志を見守り、父が亡くなった後は、その行いを観察する。三年間、父の生き方を変えずに守ることができれば、それは孝行といえる。」

学而第一・十二

白文

有子曰:「禮之用,和為貴。先王之道斯為美,小大由之。有所不行,知和而和,不以禮節之,亦不可行也。」

書き下し文

有子曰く、「礼のもちいは、和をたっとぶ。先王の道、これを美とす。しょうにもだいにもこれに由る。行うべからざるところあり。和を知りて和するといえども、礼をもってこれをせっせざれば、また行うべからざるなり。」

日本語訳

有子は言った。「礼の根本は調和を大切にすることだ。昔の聖王たちもこれを最も尊んだ。大きなことも小さなことも、すべてこの原則に従うべきだ。しかし、ただ和を求めるだけで、礼による節度がなければ、それもまた正しくはない。」

学而第一・十三

白文

有子曰:「信近於義,言可復也;恭近於禮,遠恥辱也;因不失其親,亦可宗也。」

書き下し文

有子曰く、「信は義に近ければ、ことばかえすべし。きょうは礼に近ければ、恥辱を遠ざく。るにその親を失わざれば、またそうとすべし。」

日本語訳

有子は言った。「誠実さが義に基づいていれば、言葉に責任を持つことができる。恭しさが礼に基づいていれば、恥をかくこともない。頼るべき相手を見誤らなければ、それは立派な行いといえる。」

学而第一・十四

白文

子曰:「君子食無求飽,居無求安,敏於事而慎於言,就有道而正焉,可謂好學也已。」

書き下し文

子曰わく、「君子は食して飽きを求めず、居して安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就きてこれを正す。これを好学と謂うべきのみ。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は食事において満腹を求めず、住まいにおいて快適さを求めず、仕事には機敏に取り組み、言葉には慎重であり、道を学ぶ者に従って自らを正す。このような人をこそ学びを愛する者と呼ぶべきだ。」

学而第一・十五

白文

子貢曰:「貧而無諂,富而無驕,何如?」
子曰:「可也。未若貧而樂,富而好禮者也。」
子貢曰:「《詩》云:『如切如磋,如琢如磨。』其斯之謂與?」
子曰:「賜也,始可與言詩已矣!告諸往而知來者。」

書き下し文

子貢曰わく、「貧しくしてへつらわず、富みておごらずは、いかん。」
子曰わく、「可なり。いまだ貧しくして楽しみ、富みて礼を好む者にはしかず。」
子貢曰わく、「《詩》に曰く、『切るがごとくみがくがごとく、きるがごとく磨くがごとく』と。これ、すなわちこれを謂うか。」
子曰わく、「や、始めてもって詩を語るべしとなす!これを告げてさきを知りてきたるを知る者なり。」

日本語訳

子貢が言った。「貧しくても媚びず、富んでも傲らないというのは、どうでしょうか。」
孔子は言った。「それは良いことだ。しかし、貧しくても楽しみ、富んでも礼儀を大切にする者には及ばない。」
子貢が言った。「《詩経》に、『切って磨き、琢って磨く』とありますが、これはそのことを指しているのではないでしょうか。」
孔子は言った。「子貢よ、お前はようやく詩を語るにふさわしい者となった!過去のことを学んで未来を知ることができる者だ。」

学而第一・十六

白文

子曰:「不患人之不己知,患不知人也。」

書き下し文

子曰く、「人の己を知らざるをうれえず、人を知らざるを患う。」

日本語訳

孔子は言った。「自分が世間に認められないことを憂えるのではなく、自分が他人を理解できていないことを憂うべきである。」

為政第二

為政第二・一

白文

子曰:「爲政以德,譬如北辰,居其所,而眾星共之。」

書き下し文

子曰く、「まつりごとを為すに徳を以てすれば、たとえば北辰のごとし。その所にりて、しかも衆星これにむかう。」

日本語訳

孔子は言った。「政治を行うには、徳をもってするのがよい。それはちょうど北極星のようなもので、定まった位置にあって、他のすべての星がそれに向かって巡るようなものだ。」

為政第二・二

白文

子曰:「詩三百,一言以蔽之,曰思無邪。」

書き下し文

子曰く、「詩三百、一言を以てこれをおおえば、いわく、『思いよこしまなし』。」

日本語訳

孔子は言った。「『詩経』三百篇の内容を一言でまとめるならば、『思いに邪心がない』ということだ。」

為政第二・三

白文

子曰:「道之以政,齊之以刑,民免而無恥;道之以德,齊之以禮,有恥且格。」

書き下し文

子曰く、「これをみちびくに政を以てし、これをととのうるに刑を以てすれば、民免まぬがれても恥なし。これを道くに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありてただし。」

日本語訳

孔子は言った。「人々を導くのに政治を用い、統制するのに刑罰を用いると、人々は刑罰を免れることを願うばかりで恥を感じない。しかし、徳によって導き、礼によって統制すれば、人々は恥を知り、正しい行いをするようになる。」

為政第二・四

白文

子曰:「吾十有五而志于學;三十而立;四十而不惑;五十而知天命;六十而耳順;七十而從心所欲,不踰矩。」

書き下し文

子曰く、「われ、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順みみしたがう。七十にして心の欲する所に従えども、のりえず。」

日本語訳

孔子は言った。「私は十五歳で学問に志し、三十歳で独立し、四十歳で迷わなくなり、五十歳で天命を知り、六十歳で人の言葉が素直に聞けるようになり、七十歳では自分の欲するままに行動しても、道を外れなくなった。」

為政第二・五

白文

孟懿子問孝。子曰:「無違。」樊遲御,子吿之曰:「孟孫問孝於我,我對曰:『無違。』」樊遲曰:「何謂也?」子曰:「生,事之以禮;死,葬之以禮,祭之以禮。」

書き下し文

孟懿子、孝を問う。子曰く、「たがうこと無かれ。」
樊遲はんちぎょす。子これに告げて曰く、「孟孫、孝を我に問う。我対こたえて曰く、『違うこと無かれ』と。」
樊遲曰く、「何のいぞや。」
子曰く、「生きてはこれを礼を以てつかえ、死してはこれを礼を以てほうむり、礼を以て祭れ。」

日本語訳

孟懿子が孝について尋ねた。孔子は「親に背かないことだ」と答えた。
樊遲が車を御していたとき、孔子は彼に話した。「孟孫が孝について尋ねたので、私は『親に背かないことだ』と答えた。」
樊遲は「それはどういう意味でしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「生きている間は礼をもって仕え、亡くなった後は礼をもって葬り、礼をもって祭ることだ。」

為政第二・六

白文

孟武伯問孝。子曰:「父母,唯其疾之憂。」

書き下し文

孟武伯、孝を問う。子曰く、「父母は、ただそのやまいうれう。」

日本語訳

孟武伯が孝について尋ねた。孔子は「親が心配するのはただ子の病気だけだ」と答えた。

為政第二・七

白文

子游問孝。子曰:「今之孝者,是謂能養。至於犬馬,皆能有養。不敬,何以別乎?」

書き下し文

子游、孝を問う。子曰く、「今の孝なる者は、これをく養うとう。犬馬に至るまで、皆よく養うことあたわずや。敬せずんば、何を以てこれを別たんや。」

日本語訳

子游が孝について尋ねた。孔子は言った。「今の世の孝とは、親を養うことができるかどうかだけを言う。しかし、犬や馬でさえ養うことはできる。もし敬意がなければ、それと何の違いがあるというのか。」

為政第二・八

白文

子夏問孝。子曰:「色難。有事,弟子服其勞;有酒食,先生饌。曾是以爲孝乎?」

書き下し文

子夏、孝を問う。子曰く、「いろかたし。有事ゆうじ、弟子はそのろうふくし、るいは酒食しゅしょく、先生にせんす。すなわちこれを以て孝とすか。」

日本語訳

子夏が孝について尋ねた。孔子は言った。「孝行で最も難しいのは態度だ。何か用事があれば、弟子はその労を担い、酒や食事があれば年長者に供する。しかし、それだけで孝と言えるだろうか。」

為政第二・九

白文

子曰:「吾與回言終日,不違如愚。退而省其私,亦足以發。回也不愚。」

書き下し文

子曰く、「われかいかたること終日しゅうじつなれども、たがわざることのごとし。退しりぞきてそのかえりみれば、また以てはっするにる。回や、愚にあらず。」

日本語訳

孔子は言った。「私は顔回と一日中話をしても、彼はまるで何も反論しない愚か者のように見える。しかし、後で彼が自分の考えを省みると、それが十分に発展しているのが分かる。顔回は決して愚かではない。」

為政第二・十

白文

子曰:「視其所以,觀其所由,察其所安,人焉廋哉!人焉廋哉!」

書き下し文

子曰く、「そのす所を、そのる所を、その安んずる所をさっす。人、いずくんぞかくれんや!人、焉んぞ廋れんや!」

日本語訳

孔子は言った。「人の行動を見て、その動機を観察し、どこに安らぎを感じているかを察すれば、その人がどんな人物であるかは隠しようがない。どうして隠れられようか!」

為政第二・十一

白文

子曰:「溫故而知新,可以爲師矣。」

書き下し文

子曰く、「ふるきをたずねて新しきを知れば、もって師とるべし。」

日本語訳

孔子は言った。「過去のことを学び、それをもとに新しい知識を得ることができれば、人は教師となる資格がある。」

為政第二・十二

白文

子曰:「君子不器。」

書き下し文

子曰く、「君子は器ならず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は特定の器(道具)のように一つの用途に限られる存在ではない。」

為政第二・十三

白文

子貢問君子。子曰:「先行其言,而後從之。」

書き下し文

子貢、君子を問う。子曰く、「まずそのげんおこない、しかのちにこれに従う。」

日本語訳

子貢が君子について尋ねた。孔子は言った。「まず自ら行動してから、その言葉を発するものだ。」

為政第二・十四

白文

子曰:「君子周而不比,小人比而不周。」

書き下し文

子曰く、「君子はしゅうしてせず。小人は比して周せず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は広く人と交わるが、派閥を作らない。小人は派閥を作るが、広く人と交わることはない。」

為政第二・十五

白文

子曰:「學而不思則罔,思而不學則殆。」

書き下し文

子曰く、「学びて思わざればすなわくらし。思いて学ばざれば則ちあやうし。」

日本語訳

孔子は言った。「学んでも考えなければ理解できず、考えても学ばなければ危うい。」

為政第二・十六

白文

子曰:「攻乎異端,斯害也已。」

書き下し文

子曰く、「異端をおかすは、これ害あるのみ。」

日本語訳

孔子は言った。「異端の学問に深入りすることは害になるだけだ。」

為政第二・十七

白文

子曰:「由,誨女知之乎!知之爲知之,不知爲不知,是知也。」

書き下し文

子曰く、「ゆうよ、なんじにこれを知るをおしえんか!これを知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これなり。」

日本語訳

孔子は言った。「由よ、お前に知るということを教えよう。知っていることを知っていると言い、知らないことを知らないと言う。それが本当の知である。」

為政第二・十八

白文

子張學干祿。子曰:「多聞闕疑,愼言其餘,則寡尤;多見闕殆,愼行其餘,則寡悔。言寡尤,行寡悔,祿在其中矣。」

書き下し文

子張、祿ろくもとめんと学ぶ。子曰く、「多く聞きて疑わしきをき、慎みてその余を言えば、則ちとがすくなし。多く見てあやうきを闕き、慎みてその余を行えば、則ちい寡なし。言に尤少なく、行に悔少なければ、禄はその中に在り。」

日本語訳

子張が官職を得ようとして学んでいた。孔子は言った。「多くのことを聞いても疑わしいことは除き、慎重に余計なことを言わなければ、過ちが少なくなる。多くのことを見ても危険なことは避け、慎重に行動すれば、後悔も少なくなる。言葉に過ちが少なく、行いに後悔が少なければ、官職(報酬)は自然に得られる。」

為政第二・十九

白文

哀公問曰:「何爲則民服?」孔子對曰:「擧直錯諸枉,則民服;擧枉錯諸直,則民不服。」

書き下し文

哀公あいこう問いて曰く、「何をせば則ち民服したがわん?」
孔子対えて曰く、「ちょくげてこれをおうけば、則ち民服す。枉を挙げてこれを直に錯けば、則ち民服せず。」

日本語訳

魯の哀公が尋ねた。「どうすれば民は従いますか?」
孔子は答えた。「正しい者を登用し、不正な者を抑えれば、民は従う。不正な者を登用し、正しい者を抑えれば、民は従わない。」

為政第二・二十

白文

季康子問:「使民敬忠以勸,如之何?」
子曰:「臨之以莊,則敬;孝慈,則忠;擧善而教不能,則勸。」

書き下し文

季康子きこうし問いて曰く、「民をして敬忠けいちゅうにしてすすましむるには、これを如何いかんせん?」
子曰く、「これにのぞむにそうを以てすれば、則ち敬す。孝慈こうじあれば、則ち忠なり。善を挙げて、あたわざる者を教うれば、則ち勧む。」

日本語訳

季康子が尋ねた。「民が敬意を持ち、忠義を尽くし、励むようにするにはどうすればよいでしょうか?」
孔子は答えた。「彼らに対して厳正な態度で臨めば、敬意を持つようになる。孝行と慈愛があれば、忠義を尽くすようになる。優れた者を登用し、能力のない者を教育すれば、人々は励むようになる。」

為政第二・二一

白文

或謂孔子曰:「子奚不爲政?」
子曰:「《書》云:『孝乎惟孝,友於兄弟。』施於有政,是亦爲政,奚其爲爲政?」

書き下し文

あるひと孔子にいて曰く、「なんまつりごとを為さざる?」
子曰く、「『しょ』にわく、『孝なるかな、だ孝、兄弟にゆうなり。』と。これを政に施せば、是れまた政をすなり。なんぞその政を為すをさん?」

日本語訳

ある人が孔子に尋ねた。「先生はなぜ政治をしないのですか?」
孔子は答えた。「『書経』に『孝であることは、まさに孝、兄弟に親しむことだ』とある。これを政治に応用すれば、それも政治を行うことになる。なぜわざわざ政治を行う必要があるのか?」

為政第二・二二

白文

子曰:「人而無信,不知其可也。大車無輗,小車無軏,其何以行之哉?」

書き下し文

子曰く、「人にして信無くんば、の可なるを知らず。大車たいしゃげい無く、小車しょうしゃげつ無くんば、その何を以てこれをおこなわんや。」

日本語訳

孔子は言った。「人に信用がなければ、その人が成り立つとは思えない。大きな車に輗(ながえの固定具)がなく、小さな車に軏(車軸の固定具)がなければ、それはどうやって進むことができるのか?」

為政第二・二三

白文

子張問:「十世可知也?」
子曰:「殷因於夏禮,所損益可知也;周因於殷禮,所損益可知也;其或繼周者,雖百世可知也。」

書き下し文

子張問いて曰く、「十世じっせい、知るべきか?」
子曰く、「いんの礼にる。損益そんえきする所、知るべし。しゅうは殷の礼に因る。損益する所、知るべし。その周を継ぐ者あるときは、百世ひゃくせいいえども知るべし。」

日本語訳

子張が尋ねた。「十世先のことを知ることはできますか?」
孔子は答えた。「殷は夏の礼に基づき、その変化を知ることができる。周は殷の礼に基づき、その変化を知ることができる。だから、もし周の後に続く者があるなら、百世先のことも知ることができる。」

為政第二・二四

白文

子曰:「非其鬼而祭之,諂也。見義不爲,無勇也。」

書き下し文

子曰く、「その鬼にあらずしてこれを祭るは、へつらいなり。義を見てさざるは、勇無きなり。」

日本語訳

孔子は言った。「自分に関係のない霊を祭るのは、へつらいである。正しいことを見て行動しないのは、勇気がないことである。」

八佾第三

八佾第三・一

白文

孔子謂季氏:「八佾舞於庭。是可忍也,孰不可忍也!」

書き下し文

孔子、季氏にいていわく、「八佾はちいつていに舞う。これを忍ぶべくんば、たれか忍ぶべからざらん!」

日本語訳

孔子は季氏に言った。「八佾の舞を私邸で演じるとは何事か。これを我慢できるなら、他に何を我慢できないことがあるだろうか!」

八佾第三・二

白文

三家者,以雍徹。子曰:「『相維辟公,天子穆穆。』奚取於三家之堂?」

書き下し文

三家さんかようもってっす。
子曰く、「『あいつな辟公へきこう天子穆穆ぼくぼくたり』。なんぞ三家の堂に取りてこれを言わん?」

日本語訳

三家(季氏・孟氏・叔孫氏)が雍の楽曲を用いて祭祀を行った。
孔子は言った。「『王を補佐する公侯、天子は厳かである』とあるが、それがなぜ三家の私邸で行われるのか?」

八佾第三・三

白文

子曰:「人而不仁,如禮何?人而不仁,如樂何?」

書き下し文

子曰く、「人にしてじん無くんば、礼を如何いかんせん?人にして仁無くんば、楽を如何せん?」

日本語訳

孔子は言った。「人に仁がなければ、礼は何の役に立つのか? 人に仁がなければ、音楽は何の意味があるのか?」

八佾第三・四

白文

林放問禮之本。子曰:「大哉問!禮,與其奢也,寧儉;喪,與其易也,寧戚。」

書き下し文

林放りんぽう、礼のもとを問う。
子曰く、「大いなるかな、このい!礼は、そのおごるよりは、むしけんならん。、そのやすきよりは、寧ろいたまん。」

日本語訳

林放が礼の根本について尋ねた。
孔子は言った。「なんと大切な問いか! 礼は華美であるよりも、むしろ質素であるべきだ。葬儀は形式的であるよりも、むしろ心から哀しむべきだ。」

八佾第三・五

白文

子曰:「夷狄之有君,不如諸夏之亡也。」

書き下し文

子曰く、「夷狄いてききみるは、諸夏しょかきにかず。」

日本語訳

孔子は言った。「異民族が君主を持っていることは、中華の国々が無秩序であることよりもましだ。」

八佾第三・六

白文

季氏旅於泰山。子謂冉有曰:「女弗能救與?」對曰:「不能。」子曰:「嗚呼!曾謂泰山不如林放乎?」

書き下し文

季氏きし泰山たいざんりょす。
子、冉有ぜんゆうに謂いて曰く、「なんじ、これを救うことあたわざるか?」
対えて曰く、「能わず。」
子曰く、「嗚呼ああすなわ泰山たいざんは林放にかざるとうか?」

日本語訳

季氏が泰山で不適切な儀式を行った。
孔子は冉有に尋ねた。「お前はこれを止めることができなかったのか?」
冉有は答えた。「できませんでした。」
孔子は嘆いた。「ああ、それなら泰山の神は、礼を知らない林放よりも価値がないというのか?」

八佾第三・七

白文

子曰:「君子無所爭,必也射乎!揖讓而升,下而飮,其爭也君子。」

書き下し文

子曰く、「君子は争う所無し。必ずやしゃなるか!揖讓ゆうじょうしてのぼり、くだりて飲む。その争うや、君子なり。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は基本的に争わない。もし争うとすれば、それは弓の試合くらいだ。お互いに礼を尽くし、礼儀正しく昇り、試合の後はまた共に酒を酌み交わす。その争い方こそ君子のものだ。」

八佾第三・八

白文

子夏問曰:「『巧笑倩兮,美目盼兮,素以爲絢兮。』何謂也?」
子曰:「繪事後素。」
曰:「禮後乎?」
子曰:「起予者商也,始可與言《詩》已矣。」

書き下し文

子夏問いて曰く、「『巧笑倩せんたり、美目盼はんたり、を以てけんす』とは、何のいぞや?」
子曰く、「繪事かいじのちなり。」
曰く、「礼もまたのちなるか?」
子曰く、「おこす者はしょうなり。はじめてもって《詩》をぶべきのみ。」

日本語訳

子夏が尋ねた。「『美しく笑い、魅力的な目をして、白い布地が絢爛たる彩りを生み出す』とはどういう意味でしょうか?」
孔子は答えた。「絵画の仕事は、まず白い下地を作ってから色を施すものだ。」
子夏はさらに尋ねた。「礼もまた後から加えるものなのでしょうか?」
孔子は言った。「商よ、お前は私を目覚めさせてくれた。これでようやく詩について語ることができるようになった。」

八佾第三・九

白文

子曰:「夏禮,吾能言之,杞不足徵也;殷禮,吾能言之,宋不足徵也。文獻不足故也,足,則吾能徵之矣。」

書き下し文

子曰く、「の礼、われこれを言うあたうも、しょうするに足らず。いんの礼、吾これを言う能うも、そう徵するに足らず。文献ぶんけん足らざるが故なり。足らば、則ち吾徵すること能わん。」

日本語訳

孔子は言った。「私は夏の礼について語ることができるが、杞の国に証拠が十分に残っていない。同じく、私は殷の礼について語ることができるが、宋の国に証拠が十分に残っていない。これは、文献が不足しているためである。もし十分に残っていれば、私はそれを証明することができるのに。」

八佾第三・十

白文

子曰:「禘自既灌而往者,吾不欲觀之矣。」

書き下し文

子曰く、「ていは、すでかんしてよりのちは、われ、これをるを欲せず。」

日本語訳

孔子は言った。「大祭(禘)の儀式は、灌礼(酒を注ぐ儀式)が終わった後の部分については、私は見たいとは思わない。」

八佾第三・十一

白文

或問「禘」之說。子曰:「不知也。知其說者之於天下也,其如示諸斯乎?」指其掌。

書き下し文

あるひと、「てい」のせつを問う。
子曰く、「知らざるなり。その説を知る者の天下にあるや、これをここに示すがごときか?」と、そのたなごころす。

日本語訳

ある人が「禘の祭りの意味」について尋ねた。
孔子は答えた。「私には分からない。だが、それを本当に理解している者がいるならば、手のひらを示すように明快に説明できるだろう。」

八佾第三・十二

白文

祭如在,祭神如神在。子曰:「吾不與祭,如不祭。」

書き下し文

まつることるがごとくし、神を祭ること神の在るが如くす。
子曰く、「われ、祭りにあずからざれば、祭らざるが如し。」

日本語訳

「祭りは祖先が実際にそこにいるかのように行うべきであり、神を祭るときも神がそこにいるかのように行うべきである。」
孔子は言った。「私は祭りに直接関与しなければ、それは祭りを行わないのと同じだと感じる。」

八佾第三・十三

白文

王孫賈問曰:「『與其媚於奧,寧媚於竈。』何謂也?」
子曰:「不然。獲罪於天,無所禱也。」

書き下し文

王孫賈おうそんか、問いて曰く、「『おくびるよりは、むしかまどに媚びよ』とは、何のいぞや?」
子曰く、「しからず。天に獲罪かくざいせば、いのる所無し。」

日本語訳

王孫賈が尋ねた。「『奥深い所にいる神に媚びるよりは、むしろ竈の神に媚びよ』とは、どういう意味ですか?」
孔子は答えた。「そうではない。天に罪を得れば、どこにも祈る場所はないのだ。」

八佾第三・十四

白文

子曰:「周監於二代,郁郁乎文哉!吾從周。」

書き下し文

子曰く、「しゅう二代にだいかんがみ、郁郁いくいくとしてぶんなり。われ、周に従わん。」

日本語訳

孔子は言った。「周王朝は夏・殷の二つの時代を鑑みて、文化を豊かに発展させた。私は周の制度に従う。」

八佾第三・十五

白文

子入太廟,每事問。或曰:「孰謂鄹人之子知禮乎?入太廟,每事問。」
子聞之,曰:「是禮也!」

書き下し文

子、太廟たいびょうに入り、毎事まいじに問う。
あるひと曰く、「たれう、鄹人すうじん、礼を知ると?太廟に入りて、毎事に問う。」
子、これを聞きて曰く、「これ、礼なり。」

日本語訳

孔子が太廟に入り、事あるごとに質問していた。
ある人が言った。「鄹(すう)の生まれの孔子が礼を知っているというが、本当にそうだろうか? 彼は太廟に入ると、何から何まで質問しているではないか。」
孔子はそれを聞いて言った。「それこそが礼なのだ。」

八佾第三・十六

白文

子曰:「射不主皮,爲力不同科,古之道也。」

書き下し文

子曰く、「しゃしゅとせず。ちからおなじくせざるがためなり。いにしえの道なり。」

日本語訳

孔子は言った。「弓術では的の皮を貫くことを目的とはしない。それぞれの力が異なるからである。これは昔からの道理なのだ。」

八佾第三・十七

白文

子貢欲去吿朔之餼羊。子曰:「賜也!爾愛其羊,我愛其禮。」

書き下し文

子貢、告朔こくさく餼羊きようてんと欲す。
子曰く、「よ!なんじはその羊を愛す、われはその礼を愛す。」

日本語訳

子貢は「毎月初めの儀式で供える羊をやめたい」と言った。
孔子は答えた。「子貢よ、お前は羊を惜しむが、私はその礼を大切にしたい。」

八佾第三・十八

白文

子曰:「事君盡禮,人以爲諂也。」

書き下し文

子曰く、「君につかうるに礼を尽くせば、人これをへつらいとす。」

日本語訳

孔子は言った。「君主に仕えるときに礼を尽くすと、人はそれをへつらいとみなすものだ。」

八佾第三・十九

白文

定公問:「君使臣,臣事君,如之何?」
孔子對曰:「君使臣以禮,臣事君以忠。」

書き下し文

定公ていこう問いて曰く、「君、臣を使つかい、臣、君につかうること、これを如何いかんせん?」
孔子対こたえて曰く、「君は臣を礼をて使い、臣は君に忠を以て事うる。」

日本語訳

魯の定公が尋ねた。「君主が臣下を使い、臣下が君主に仕えるには、どうすればよいか?」
孔子は答えた。「君主は礼をもって臣下を扱い、臣下は忠をもって君主に仕えるべきです。」

八佾第三・二十

白文

子曰:「《關雎》,樂而不淫,哀而不傷。」

書き下し文

子曰く、「《関雎》(かんしょ)は、楽しめどもいんせず、かなしめどもいたまざる。」

日本語訳

孔子は言った。「『関雎』の詩は、楽しさがあっても乱れることなく、哀しみがあっても過度に悲しむことがない。」

八佾第三・二一

白文

哀公問社於宰我。
宰我對曰:「夏后氏以松,殷人以柏,周人以栗。曰:『使民戰栗。』」
子聞之,曰:「成事不說,遂事不諫,既往不咎。」

書き下し文

哀公あいこうしゃ宰我さいがに問う。
宰我対こたえて曰く、「夏后氏かこうしまつてし、殷人いんじんはくを以てし、周人しゅうじんくりを以てす。いわく、『民をして戦栗せんりつせしむ』と。」
子、これを聞きて曰く、「成事せいじかず、遂事すいじいさめず、既往きおうとがめず。」

日本語訳

魯の哀公が「社(神を祀る木)」について宰我に尋ねた。
宰我は答えた。「夏の王朝は松を、殷の王朝は柏を、周の王朝は栗を用いました。『民が戦々恐々とするように』との意味です。」
孔子はそれを聞いて言った。「すでに終わったことは論じない。すでに進んでいることは諫めない。過去のことは責めない。」

八佾第三・二二

白文

子曰:「管仲之器小哉!」
或曰:「管仲儉乎?」
曰:「管氏有三歸,官事不攝,焉得儉?」
「然則管仲知禮乎?」
曰:「邦君樹塞門,管氏亦樹塞門。邦君爲兩君之好,有反坫,管氏亦有反坫。管氏而知禮,孰不知禮?」

書き下し文

子曰く、「管仲かんちゅううつわちいならんかな!」
あるひと曰く、「管仲は倹約けんやくなりや?」
曰く、「管氏かんし三帰さんきち、官事かんじせつせず。いずくんぞ倹約を得ん?」
しからばすなわち、管仲は礼を知れるか?」
曰く、「邦君ほうくん塞門そくもんつ。管氏もまた塞門を樹つ。邦君、両君りょうくんこうし、反坫はんてんつ。管氏もまた反坫を有つ。管氏もって礼を知るならば、たれか礼を知らざらん?」

日本語訳

孔子は言った。「管仲の器は小さいものだ!」
ある人が尋ねた。「管仲は倹約家でしたか?」
孔子は答えた。「管氏は三つの帰属地を持ち、公務を兼務することもなかった。どうして倹約家であったと言えるのか?」
さらに尋ねた。「それでは管仲は礼を知っていましたか?」
孔子は答えた。「諸侯は門に塞(せき)を設けるが、管氏もそれを設けていた。諸侯が他国の君主との交流のために酒器(反坫)を備えるが、管氏もそれを持っていた。もし管仲が礼を知っていると言うなら、誰が礼を知らないと言えるのか?」

八佾第三・二三

白文

子語魯大師樂,曰:「樂其可知也。始作,翕如也。從之,純如也,皦如也,繹如也。以成。」

書き下し文

子、大師たいしがくかたりて曰く、「楽はその知るべきものなり。はじめておこせば、翕如きゅうじょたり。これに従えば、純如じゅんじょたり。皦如こうじょたり。繹如えきじょたり。そして成る。」

日本語訳

孔子が魯の音楽家に語った。「音楽は理解することができるものだ。最初に始めると調和し、続けていくと純粋で、明るく、流れるようになる。そして完成する。」

八佾第三・二四

白文

儀封人請見,曰:「君子之至於斯也,吾未嘗不得見也。」
從者見之。出曰:「二三子,何患於喪乎?天下之無道也久矣,天將以夫子爲木鐸。」

書き下し文

儀封人ぎほうじんまみえんことをい、曰く、「君子のここに至るや、われ未嘗いまだかつまみえざること無し。」
従者じゅうしゃ、これをまみえしむ。出でて曰く、「二三子にさんし、何ぞそううれうるや?天下の無道ぶどう、久し。天、まさに夫子をって木鐸ぼくたくさんとす。」

日本語訳

儀封(国の役人)が孔子に会いたいと願い出て言った。「君子がこの地に来たとき、私はこれまで一度も会えなかったことはない。」
従者が孔子に引き合わせた。
役人は言った。「皆よ、何を嘆いているのか? 世の中が乱れて久しい。天は孔子先生を世を導く鐘(木鐸)としようとしているのだ。」

八佾第三・二五

白文

子謂韶:「盡美矣,又盡善也。」
謂武:「盡美矣,未盡善也。」

書き下し文

子、しょういていわく、「ことごとなり、また尽くぜんなり。」
を謂いて曰く、「尽く美なり、いまだ尽く善ならず。」

日本語訳

孔子は韶(舜の音楽)について言った。「これは完全に美しく、さらに完全に善い。」
また武(周の武王の音楽)について言った。「これは完全に美しいが、まだ完全に善いとは言えない。」

八佾第三・二六

白文

子曰:「居上不寬,爲禮不敬,臨喪不哀,吾何以觀之哉!」

書き下し文

子曰く、「かみりてかんならず、礼をしてけいならず、のぞみてかなしまずんば、われ何をってこれをんや!」

日本語訳

孔子は言った。「上に立つ者が寛容でなく、礼を行っても敬意がなく、喪に臨んでも哀しまないのならば、私はその者をどう見ればよいのだろうか!」

里仁第四

里仁第四・一

白文

子曰:「里仁爲美。擇不處仁,焉得知?」

書き下し文

子曰く、「仁にるをしとす。えらびて仁にらざれば、いずくんぞを得ん。」

日本語訳

孔子は言った。「仁のある場所に住むのが最もよい。もし選択肢がありながら仁のある場所に住まなければ、どうして賢いと言えるだろうか。」

里仁第四・二

白文

子曰:「不仁者,不可以久處約,不可以長處樂。仁者安仁,知者利仁。」

書き下し文

子曰く、「不仁ふじんなる者は、久しくやくるべからず。長くらくに処るべからず。仁者は仁にやすんじ、知者は仁をす。」

日本語訳

孔子は言った。「仁のない者は、困窮した状況に長く耐えられず、また長く安楽な状態にもとどまることができない。しかし、仁者は仁に安んじ、知者は仁の恩恵を活かす。」

里仁第四・三

白文

子曰:「惟仁者能好人,能惡人。」

書き下し文

子曰く、「だ仁者のみ、人を好み、人をにくむことあたう。」

日本語訳

孔子は言った。「本当に仁のある者だけが、人を正しく愛し、また正しく憎むことができる。」

里仁第四・四

白文

子曰:「苟志於仁矣,無惡也。」

書き下し文

子曰く、「いやしくも仁にこころざせば、あく無し。」

日本語訳

孔子は言った。「もし真に仁を志すならば、悪はなくなる。」

里仁第四・五

白文

子曰:「富與貴,是人之所欲也,不以其道得之,不處也。貧與賤,是人之所惡也;不以其道得之,不去也。君子去仁,惡乎成名?君子無終食之閒違仁,造次必於是,顚沛必於是。」

書き下し文

子曰く、「富とたっときは、これ人の欲する所なり。その道をってこれを得ざれば、らず。貧といやしきは、これ人のにくむ所なり。その道を以ってこれを得ざれば、らず。君子、仁をりて、いずくんぞ名を成さん?君子は終食しゅうしょくかんも仁にたがわず。造次ぞうじにも必ずこれにおり、顛沛てんぱいにも必ずこれにおる。」

日本語訳

孔子は言った。「富と地位は人が望むものであるが、正しい道によらなければそれを得ても留まることはできない。貧しさや卑しい身分は人が嫌うものであるが、正しい道によらなければそれを避けることはできない。君子が仁を捨てたら、どうして立派な名を成し得るだろうか? 君子は、一食の間であっても仁を離れず、緊急時にも必ず仁に基づき、困難なときにも必ず仁を守る。」

里仁第四・六

白文

子曰:「我未見好仁者,惡不仁者。好仁者,無以尙之;惡不仁者,其爲仁矣。不使不仁者加乎其身。有能一日用其力於仁矣乎?我未見力不足者!蓋有之矣,我未之見也。」

書き下し文

子曰く、「われ、未だ仁をこのみ、不仁をにくむ者を見ず。仁を好む者は、これをたっとぶにし。不仁を悪む者は、すでに仁をすなり。不仁なる者をして、その身に加えしめず。一日いちじつくその力を仁にもちうる者有らんか?我、未だ力足らざる者を見ず。けだし、これ有るなり。我未いまだこれを見ざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「私はまだ、本当に仁を愛し、不仁を憎む人を見たことがない。仁を愛する者には、これ以上のものはない。不仁を憎む者は、すでに仁を実践している。不仁な者に影響されないことが大切だ。もし一日でも全力で仁を実践する者がいるならば、それを見てみたい。私は今まで、力が足りなくて仁を実践できない者を見たことがない。きっと存在するのだろうが、私はまだ見たことがない。」

里仁第四・七

白文

子曰:「人之過也,各於其黨。觀過,斯知仁矣。」

書き下し文

子曰く、「人のあやまつや、おのおのそのとうにおいてなり。過をれば、すなわち仁を知る。」

日本語訳

孔子は言った。「人の過ちは、それぞれの属する集団の影響を受ける。人の過ちをよく観察すれば、その人の仁の程度が分かる。」

里仁第四・八

白文

子曰:「朝聞道,夕死可矣!」

書き下し文

子曰く、「あしたに道を聞かば、ゆうべに死すともなり。」

日本語訳

孔子は言った。「もし朝に真理を知ることができるならば、夕方に死んでも悔いはない。」

里仁第四・九

白文

子曰:「士志於道,而恥惡衣惡食者,未足與議也!」

書き下し文

子曰く、「、道にこころざし、悪衣あくい悪食あくしょくを恥ずる者は、いまだもってはかるにらず。」

日本語訳

孔子は言った。「学ぶ者が道に志しながら、粗末な衣服や食事を恥じるようでは、議論するに値しない。」

里仁第四・十

白文

子曰:「君子之於天下也,無適也,無莫也,義之與比。」

書き下し文

子曰く、「君子の天下におけるや、てき無く、ばく無く、くみす。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は天下において特定の立場を持たず、また無視もしない。ただ義に基づいて行動する。」

里仁第四・十一

白文

子曰:「君子懷德,小人懷土;君子懷刑,小人懷惠。」

書き下し文

子曰く、「君子は徳をおもい、小人は土を懷う。君子は刑を懷い、小人はけいを懷う。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は徳を大切にし、小人は土地を大切にする。君子は法を重んじ、小人は恩恵ばかりを求める。」

里仁第四・十二

白文

子曰:「放於利而行,多怨。」

書き下し文

子曰く、「利にりて行えば、うらみ多し。」

日本語訳

孔子は言った。「利益を優先して行動すると、多くの恨みを買うことになる。」

里仁第四・十三

白文

子曰:「能以禮讓爲國乎,何有?不能以禮讓爲國,如禮何?」

書き下し文

子曰く、「礼譲れいじょうって国をおさむるか、なんらん?能わずして礼譲を以って国を為さざれば、礼を如何いかんせん。」

日本語訳

孔子は言った。「もし礼と譲り合いによって国を治めることができるなら、何の問題があるだろうか? もしそれができないのなら、礼をどう用いるというのか?」

里仁第四・十四

白文

子曰:「不患無位,患所以立。不患莫己知,求爲可知也。」

書き下し文

子曰く、「くらい無きをうれえず、もって立つ所以ゆえんを患う。おのれを知るきを患えず、知るべき者たらんことを求む。」

日本語訳

孔子は言った。「地位がないことを心配するのではなく、地位にふさわしい実力を持つことを心配すべきである。自分を認める者がいないことを嘆くのではなく、認められるに足る人物になることを求めるべきである。」

里仁第四・十五

白文

子曰:「參乎!吾道一以貫之。」
曾子曰:「唯。」
子出,門人問曰:「何謂也?」
曾子曰:「夫子之道,忠恕而已矣!」

書き下し文

子曰く、「しんや!われの道はいつってこれをつらぬく。」
曾子そうし曰く、「。」
子、ず。門人もんじん、問いて曰く、「なんいぞや?」
曾子曰く、「夫子ふうしの道は、忠恕ちゅうじょのみ。」

日本語訳

孔子は言った。「参(曾子)よ! 私の道は、一つの原理で貫かれているのだ。」
曾子は「はい」と答えた。
孔子が去った後、弟子たちが曾子に尋ねた。「先生はどういう意味でおっしゃったのですか?」
曾子は答えた。「先生の道は、忠(真心を尽くすこと)と恕(思いやり)の二つに尽きる。」

里仁第四・十六

白文

子曰:「君子喻於義,小人喻於利。」

書き下し文

子曰く、「君子は義にさとり、小人は利に喩る。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は義(正義)を理解し、小人は利益を理解する。」

里仁第四・十七

白文

子曰:「見賢思齊焉,見不賢而內自省也。」

書き下し文

子曰く、「けんを見てはひとしからんことを思い、不賢ふけんを見てはうちみずかかえりみる。」

日本語訳

孔子は言った。「優れた人を見たら、自分もそうなろうと努力し、劣った人を見たら、自分も同じ過ちを犯していないか反省する。」

里仁第四・十八

白文

子曰:「事父母幾諫;見志不從,又敬而不違,勞而不怨。」

書き下し文

子曰く、「父母につかうるにほのかにいさむ。志の従われざるを見ては、またうやまいてたがわず、ろうしてうらまず。」

日本語訳

孔子は言った。「父母に仕えるときは、そっと諫める。もし意見を聞き入れてもらえなくても、なお敬意を持ち、反抗せず、尽くしても恨みを抱かないことが大切である。」

里仁第四・十九

白文

子曰:「父母在,不遠遊;遊必有方。」

書き下し文

子曰く、「父母在いませば、遠くあそばず。遊ぶには必ずかたあり。」

日本語訳

孔子は言った。「父母が健在の間は遠くへ旅立たない。どうしても出かける場合は、必ず行き先を明らかにしておく。」

里仁第四・二十

白文

子曰:「三年無改於父之道,可謂孝矣。」

書き下し文

子曰く、「三年さんねん、父の道を改むることければ、孝とうべし。」

日本語訳

孔子は言った。「父が亡くなってから三年間、その教えを変えずに守るならば、それは孝といえる。」

里仁第四・二一

白文

子曰:「父母之年,不可不知也。一則以喜,一則以懼。」

書き下し文

子曰く、「父母のとしは、知らざるべからず。ひとつにはって喜び、一つには以っておそる。」

日本語訳

孔子は言った。「父母の年齢を忘れてはならない。一つには長生きを喜び、もう一つには老いゆくことを恐れるからである。」

里仁第四・二二

白文

子曰:「古者言之不出,恥躬之不逮也。」

書き下し文

子曰く、「いにしえの者は、ことばださず。ってこれにおよばざるをず。」

日本語訳

孔子は言った。「昔の人は軽々しく発言しなかった。それは、自分の行いがその言葉に及ばないことを恥じたからである。」

里仁第四・二三

白文

子曰:「以約失之者,鮮矣。」

書き下し文

子曰く、「やくってこれを失う者は、すくなし。」

日本語訳

孔子は言った。「質素倹約を心がけて失敗することは、ほとんどない。」

里仁第四・二四

白文

子曰:「君子欲訥於言而敏於行。」

書き下し文

子曰く、「君子はげんとつにして、こうびんならんことを欲す。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は言葉を慎重にし、行動は素早くすることを望む。」

里仁第四・二五

白文

子曰:「德不孤,必有鄰。」

書き下し文

子曰く、「徳はならず、必ずとなりり。」

日本語訳

孔子は言った。「徳のある人は孤立しない。必ず良き仲間が集まるものである。」

里仁第四・二六

白文

子游曰:「事君數,斯辱矣。朋友數,斯疏矣。」

書き下し文

子游しゆう曰く、「君につかうことしばしばなれば、すなわはずかしめらる。朋友ほうゆうに数なれば、斯ちうとんぜらる。」

日本語訳

子游が言った。「君主に仕えて過度に意見を言えば、かえって侮られる。友人関係でも、しつこくするとかえって疎遠になる。」

公冶長第五

公冶長第五・一

白文

子謂公冶長,「可妻也;雖在縲絏之中,非其罪也。」以其子妻之。

書き下し文

子、公冶長こうやちょういて曰く、「めあわすべし。縲絏るいせつの中にるといえども、その罪にあらざるなり。」と。その子をってこれに妻わす。

日本語訳

孔子は公冶長について言った。「彼は結婚させてもよい。牢につながれたことがあるが、それは彼の罪によるものではない。」
そして、自分の娘を公冶長に嫁がせた。

公冶長第五・二

白文

子謂南容,「邦有道,不廢;邦無道,免於刑戮。」以其兄之子妻之。

書き下し文

子、南容なんようを謂いて曰く、「くにみちあれば、てられず。邦に道なければ、刑戮けいりくまぬがる。」と。その兄の子を以ってこれに妻わす。

日本語訳

孔子は南容について言った。「国に道(正義)があれば、彼は用いられる。国に道がなければ、彼は刑罰を免れるだろう。」
そして、自分の兄の娘を南容に嫁がせた。

公冶長第五・三

白文

子謂子賤:「君子哉若人!魯無君子者,斯焉取斯?」

書き下し文

子、子賤しせんを謂いて曰く、「君子なるかな、の人!に君子無くんば、ここいずくんぞこれを取らん?」

日本語訳

孔子は子賤について言った。「彼はなんと立派な君子であることか! 魯の国に君子がいないとしたら、彼のような人物がどこから現れるだろうか?」

公冶長第五・四

白文

子貢問曰:「賜也何如?」子曰:「女器也。」曰:「何器也?」曰:「瑚璉也。」

書き下し文

子貢しこう問いて曰く、「何如いかん?」
子曰く、「なんじは器なり。」
曰く、「何の器ぞ?」
曰く、「瑚璉これんなり。」

日本語訳

子貢が尋ねた。「私はどのような人物でしょうか?」
孔子は答えた。「お前は器だ。」
子貢がさらに聞いた。「どのような器でしょうか?」
孔子は答えた。「瑚璉(宗廟の祭祀に使う尊い器)だ。」

公冶長第五・五

白文

或曰:「雍也,仁而不佞。」子曰:「焉用佞?禦人以口給,屢憎於人。不知其仁;焉用佞?」

書き下し文

あるひと曰く、「ようや、仁にしてべんならず。」
子曰く、「いずくんぞ佞を用いん?人をふせぐに口給こうきゅうを以ってすれば、しばしば人に憎まる。らず、その仁なるを。焉んぞ佞を用いん?」

日本語訳

ある人が言った。「冉雍は仁があるが、弁舌は巧みではない。」
孔子は言った。「弁舌が巧みであることがそんなに重要なのか? 言葉巧みに人を論破すれば、しばしば人に憎まれるものだ。彼が本当に仁のある人物なら、弁舌の巧みさなど必要ない。」

公冶長第五・六

白文

子使漆雕開仕。對曰:「吾斯之未能信。」子說。

書き下し文

子、漆雕開しつちょうかいをして仕えしむ。
対えて曰く、「われの未だく信ぜず。」
子、よろこぶ。

日本語訳

孔子は漆雕開に官職に就くよう勧めた。
彼は答えた。「私はまだ自分の能力に自信がありません。」
孔子はその謙虚さを喜んだ。

公冶長第五・七

白文

子曰:「道不行,乘桴浮於海,從我者,其由與?」
子路聞之喜。
子曰:「由也,好勇過我,無所取材。」

書き下し文

子曰く、「みち行われざれば、いかだに乗りて海に浮かばん。これに従う者は、そのゆうか?」
子路しろ、これを聞きて喜ぶ。
子曰く、「ゆうや、勇を好むこと我にすぐれども、ざいを取る所無し。」

日本語訳

孔子は言った。「もし道が行われなければ、私はいかだに乗って海へ流れよう。それについてくるのは、由(子路)か?」
子路はそれを聞いて喜んだ。
すると孔子は言った。「子路は私よりも勇敢だが、適材適所の判断ができない。」

公冶長第五・八

白文

孟武伯問:「子路仁乎?」
子曰:「不知也。」
又問,子曰:「由也,千乘之國,可使治其賦也;不知其仁也。」
「求也何如?」
子曰:「求也,千室之邑,百乘之家,可使爲之宰也;不知其仁也。」
「赤也何如?」
子曰:「赤也,束帶立於朝,可使與賓客言也;不知其仁也。」

書き下し文

孟武伯もうぶはく問いて曰く、「子路しろ、仁なるか?」
子曰く、「知らざるなり。」
また問う。
子曰く、「ゆうや、千乗せんじょうの国にらば、これをしてそのを治めしむることなり。らず、その仁なるを。」
きゅう何如いかん?」
子曰く、「求や、千室せんしつむら百乗ひゃくじょうの家に在らば、これをしてさいたらしむること可なり。不らず、その仁なるを。」
せきや何如?」
子曰く、「赤や、束帯そくたいしてちょうに立たば、これをして賓客ひんかくと言わしむること可なり。不らず、その仁なるを。」

日本語訳

孟武伯が尋ねた。「子路は仁者ですか?」
孔子は答えた。「分からない。」
さらに尋ねると、孔子は言った。「子路は大国の財政を管理させることはできるが、彼が仁者かどうかは分からない。」
「では、冉求はどうですか?」
「彼は中規模の町の管理を任せることができるが、仁者かどうかは分からない。」
「では、公西赤は?」
「彼は礼儀正しく朝廷で賓客と話をすることができるが、仁者かどうかは分からない。」

公冶長第五・九

白文

子謂子貢曰:「女與回也孰愈?」
對曰:「賜也何敢望回!回也聞一以知十,賜也聞一以知二。」
子曰:「弗如也。吾與女,弗如也。」

書き下し文

子、子貢しこういて曰く、「なんじかいと、いずれかまされる?」
対えて曰く、「なんえて回を望まんや!回や、一を聞きて十を知る。賜や、一を聞きて二を知るのみ。」
子曰く、「かざるなり。われなんじ、弗かざるなり。」

日本語訳

孔子は子貢に尋ねた。「お前と顔回では、どちらが優れていると思うか?」
子貢は答えた。「私など、どうして顔回に及ぶことができましょう!顔回は、一を聞いて十を理解しますが、私は一を聞いて二を知るのが精一杯です。」
孔子は言った。「その通りだ。私とお前のどちらも顔回には及ばない。」

公冶長第五・十

白文

宰予晝寢。子曰:「朽木不可雕也,糞土之牆,不可杇也;於予與何誅!」
子曰:「始吾於人也,聽其言而信其行;今吾於人也,聽其言而觀其行;於予與改是。」

書き下し文

宰予さいよひるいねる。
子曰く、「朽木きゅうぼくるべからず。糞土ふんどかきは、るべからず。いてなんめん!」
子曰く、「はじわれ、人に於いて、そのげんきてそのこうしんぜり。今、吾、人に於いて、その言を聴きてその行をる。予に於いてこれを改む。」

日本語訳

宰予が昼寝をしていた。
孔子は言った。「朽ちた木は彫刻することができない。糞まみれの壁は塗り直せない。宰予をどうして叱責することができようか!」
さらに言った。「以前、私は人の言葉を聞いてその行動を信じた。しかし今では、人の言葉を聞いてその行動を観察することにしている。宰予のおかげで、この考えを改めることにした。」

公冶長第五・十一

白文

子曰:「吾未見剛者。」
或對曰:「申棖。」
子曰:「棖也慾!焉得剛?」

書き下し文

子曰く、「われいまごうなる者を見ず。」
あるひとこたえて曰く、「申棖しんちょうあり。」
子曰く、「棖や、よくなり!いずくんぞ剛を得ん?」

日本語訳

孔子は言った。「私はまだ、本当に剛毅な人を見たことがない。」
ある人が答えた。「申棖という人物がいます。」
孔子は言った。「申棖は欲深いではないか!それでは剛毅とは言えない。」

公冶長第五・十二

白文

子貢曰:「我不欲人之加諸我也,吾亦欲無加諸人。」
子曰:「賜也,非爾所及也!」

書き下し文

子貢曰く、「われ、人の我にくわうるを欲せず。吾もまた人に加うること無からんと欲す。」
子曰く、「や、それなんじの及ぶ所にあらざるなり!」

日本語訳

子貢が言った。「私は人から不当なことをされるのを望みません。そして、自分も人に対して不当なことをしないようにしたいのです。」
孔子は言った。「賜よ、それはお前にはまだ及ばない境地だ。」

公冶長第五・十三

白文

子貢曰:「夫子之文章,可得而聞也;夫子之言性與天道,不可得而聞也。」

書き下し文

子貢曰く、「夫子ふうし文章ぶんしょうは、くべし。夫子のせいげんする所の天道てんどうは、得て聞くべからず。」

日本語訳

子貢が言った。「先生の文章や言葉は聞くことができるが、先生が語る本質や天道については、なかなか聞くことができない。」

公冶長第五・十四

白文

子路有聞,未之能行,唯恐有聞。

書き下し文

子路しろくこと有れども、いまだこれを行うあたわず。ただ聞くこと有るをおそる。

日本語訳

子路は何かを聞いても、まだ実践できないときは、新たに聞くことを恐れた。

公冶長第五・十五

白文

子貢問曰:「孔文子,何以謂之文也?」
子曰:「敏而好學,不恥下問,是以謂之文也。」

書き下し文

子貢問いて曰く、「孔文子こうぶんしは、なんってぶんわれるや?」
子曰く、「びんにして学を好み、下問かもんじず。ここを以って文と謂うなり。」

日本語訳

子貢が尋ねた。「孔文子はなぜ『文』と称されたのですか?」
孔子は答えた。「彼は聡明で学問を好み、目下の者に質問することを恥じなかった。それゆえに『文』と呼ばれたのだ。」

公冶長第五・十六

白文

子謂子產:「有君子之道四焉:其行己也恭,其事上也敬,其養民也惠,其使民也義。」

書き下し文

子、子產しさんを謂いて曰く、「君子のみち四つ有り。その己をおこなうやきょう、そのかみつかうやけい、その民を養うやけい、その民を使うや。」

日本語訳

孔子は子産について言った。「彼には君子の道が四つある。
自らを律するときは慎み深く、目上の者に仕えるときは敬意を持ち、民を養うときは慈愛を持ち、民を使うときは正義を守る。」

公冶長第五・十七

白文

子曰:「晏平仲善與人交,久而敬之。」

書き下し文

子曰く、「晏平仲あんぺいちゅうく人と交わり、久しくしてこれをけいす。」

日本語訳

孔子は言った。「晏平仲は、人と交際するのが上手であり、その関係が長く続いてもなお、相手を敬い続けることができた。」

公冶長第五・十八

白文

子曰:「臧文仲居蔡,山節藻梲。何如其知也?」

書き下し文

子曰く、「臧文仲ぞうぶんちゅうさいり、山節藻梲さんせつそうてつす。なんぞそのなることか?」

日本語訳

孔子は言った。「臧文仲は蔡の地に住みながら、山節(高貴な柱飾り)や藻梲(精巧な装飾)を用いた。これが賢明であると言えるのだろうか?」

公冶長第五・十九

白文

子張問曰:「令尹子文,三仕爲令尹,無喜色;三已之,無慍色。舊令尹之政,必以吿新令尹。何如?」
子曰:「忠矣。」
曰:「仁矣乎?」
曰:「未知,焉得仁?」
「崔子弒齊君,陳文子有馬十乘,棄而違之,至於他邦,則曰:『猶吾大夫崔子也!』違之,之一邦,則又曰:『猶吾大夫崔子也!』違之。何如?」
子曰:「淸矣。」
曰:「仁矣乎?」
曰:「未知,焉得仁?」

書き下し文

子張しちょう問いて曰く、「令尹子文れいいんしぶん、三たび仕えて令尹れいいんとなるも、喜色きしょくし。三たびこれをむるも、慍色うんしょく無し。ふるき令尹のまつりごと、必ずこれをあたらしき令尹にぐ。何如いかん?」
子曰く、「ちゅうなり。」
曰く、「じんなるか?」
曰く、「いまだ知らず。いずくんぞ仁を得ん?」
崔子さいし斉君せいくんしいす。陳文子ちんぶんし馬十乗じゅうじょうつも、ててこれをる。他邦たほうに至れば、すなわち曰く、『なお大夫たいふ崔子のごとし』と。これをりて、一邦いっぽうけば、則ちまた曰く、『猶吾が大夫崔子のごとし』と。これを違る。何如?」
子曰く、「せいなり。」
曰く、「仁なるか?」
曰く、「未だ知らず。焉んぞ仁を得ん?」

日本語訳

子張が尋ねた。「令尹子文は、三度も高官に任じられても驕らず、三度辞めさせられても不満を見せませんでした。前任者の政治を必ず後任者に引き継ぎました。彼の行いはどうでしょうか?」
孔子は答えた。「忠実である。」
子張がさらに尋ねた。「仁者と言えますか?」
孔子は答えた。「それはまだ分からない。仁とは言えないのではないか?」
子張はさらに尋ねた。「崔子は斉の君主を殺しました。それを知った陳文子は、所有していた十台の馬を捨てて国を去りました。しかし、他国へ行くと『ここも崔子のような人がいる』と言って去り、また別の国へ行っても同じことを言って去りました。この行動はどうでしょう?」
孔子は答えた。「清廉である。」
子張はさらに尋ねた。「仁者と言えますか?」
孔子は答えた。「それはまだ分からない。仁とは言えないのではないか?」

公冶長第五・二十

白文

季文子三思而後行。子聞之曰:「再,斯可矣!」

書き下し文

季文子きぶんし、三たび思いてのちおこなう。
子、これを聞きて曰く、「ふたたびすれば、すなわなり!」

日本語訳

季文子は、何事も三度考えてから実行するようにしていた。
これを聞いた孔子は言った。「二度考えれば十分だ!」

公冶長第五・二一

白文

子曰:「甯武子,邦有道則知;邦無道則愚。其知可及也,其愚不可及也。」

書き下し文

子曰く、「甯武子ねいぶしくにみちあればすなわたり。邦に道無くば則ちなり。そのおよぶべし。その愚は及ぶべからず。」

日本語訳

孔子は言った。「甯武子は、国に道(正義)があるときは聡明であり、国に道がないときは愚直であった。彼の賢さは誰にでも真似できるが、その愚直さはなかなか真似できるものではない。」

公冶長第五・二二

白文

子在陳,曰:「歸與!歸與!吾黨之小子狂簡,斐然成章,不知所以裁之。」

書き下し文

子、ちんりて曰く、「帰らんか!帰らんか!とう小子しょうし狂簡きょうかんにして、斐然ひぜんとしてしょうを成す。これをさいする所以ゆえんを知らず。」

日本語訳

孔子が陳の国にいるときに言った。「帰ろう! 帰ろう! 我が門下の若者たちは、奔放で簡潔に物事を語り、見事に文章を作るが、それを適切にまとめる方法を知らない。」

公冶長第五・二三

白文

子曰:「伯夷、叔齊,不念舊惡,怨是用希。」

書き下し文

子曰く、「伯夷はくい叔齊しゅくせい旧悪きゅうあくおもわず。うらみこれをもっまれなり。」

日本語訳

孔子は言った。「伯夷と叔齊は、過去の悪事を気にせず、恨みを抱くことがほとんどなかった。」

公冶長第五・二四

白文

子曰:「孰謂微生高直?或乞醯焉,乞諸其鄰而與之。」

書き下し文

子曰く、「たれ微生高びせいこうなおしとうや?るひと、う。これをそのとなりに乞いてこれにあたう。」

日本語訳

孔子は言った。「誰が微生高を正直者だと言うのか? ある人が彼に酢を求めると、彼は自分の家からではなく、隣の家から借りて与えた。」

公冶長第五・二五

白文

子曰:「巧言、令色、足恭,左丘明恥之,丘亦恥之。匿怨而友其人,左丘明恥之,丘亦恥之。」

書き下し文

子曰く、「巧言こうげん令色れいしょく足恭そくきょう左丘明さきゅうめいこれをず。きゅうもまたこれを恥ず。うらみをかくしてその人にともたる、左丘明これを恥ず。丘もまたこれを恥ず。」

日本語訳

孔子は言った。「言葉巧みで、顔つきを飾り、極端にへりくだることを、左丘明は恥とした。私もそれを恥とする。心の中に恨みを抱きながら友人として振る舞うことを、左丘明は恥とした。私もそれを恥とする。」

公冶長第五・二六

白文

顏淵、季路侍。子曰:「盍各言爾志?」
子路曰:「願車馬衣裘,與朋友共,敝之而無憾。」
顏淵曰:「願無伐善,無施勞。」
子路曰:「願聞子之志。」
子曰:「老者安之,朋友信之,少者懷之。」

書き下し文

顔淵がんえん季路きろす。
子曰く、「なんおのおのなんじが志を言わざる?」
子路曰く、「ねがわくは、車馬しゃば衣裘いきゅう朋友ほうゆうともにし、これをやぶるともうらみ無し。」
顔淵曰く、「願わくは、ぜんほこること無く、ろうほどこすこと無からん。」
子路曰く、「願わくは、子の志を聞かん。」
子曰く、「老者ろうしゃにはやすんぜられ、朋友ほうゆうにはしんぜられ、少者しょうしゃにはなつかれん。」

日本語訳

顔淵と子路が孔子のそばに仕えていた。
孔子は言った。「お前たちの志をそれぞれ語ってみよ。」
子路は言った。「私は、車や馬、衣服を友と分け合い、たとえそれがすり切れてしまっても悔いはありません。」
顔淵は言った。「私は、自分の善行を誇らず、また他人に恩を着せることのないようにしたいです。」
子路が尋ねた。「先生の志をお聞かせください。」
孔子は答えた。「老人が安心し、友人同士が信頼し合い、若者が慕うような世の中にしたい。」

公冶長第五・二七

白文

子曰:「已矣乎!吾未見能見其過,而內自訟者也。」

書き下し文

子曰く、「みなんか!われいまくそのあやまちを見て、うちみずかうったうる者を見ず。」

日本語訳

孔子は言った。「もういいだろう!私は、自分の過ちを認め、心の中で反省することができる者をまだ見たことがない。」

公冶長第五・二八

白文

子曰:「十室之邑,必有忠信如丘者焉,不如丘之好學也。」

書き下し文

子曰く、「十室じっしつゆうにも、かならきゅうのごとく忠信ちゅうしんなる者有らん。丘のごとく学をこのむにはかざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「たとえ十戸しかない小さな村であっても、私のように忠実で誠実な者はいるだろう。しかし、私ほど学問を愛する者はいないだろう。」

雍也第六

雍也第六・一

白文

子曰:「雍也,可使南面。」
仲弓問子桑伯子。子曰:「可也,簡。」
仲弓曰:「居敬而行簡,以臨其民,不亦可乎?居簡而行簡,無乃大簡乎?」
子曰:「雍之言然。」

書き下し文

子曰く、「ようや、もって南面なんめんせしむべし。」
仲弓ちゅうきゅう子桑伯子しそうはくしを問う。
子曰く、「なり、かんなり。」
仲弓曰く、「けいきてかんを行い、もってその民にのぞむ。またならずや? 簡に居りて簡を行わば、からんやたいいに簡ならん。」
子曰く、「雍の言、しかり。」

日本語訳

孔子は言った。「冉雍は君主の器であり、南面(統治)させることができる。」
仲弓が子桑伯子について尋ねた。
孔子は答えた。「彼もよい人物だ。質素な人だ。」
仲弓が言った。「敬意を持ちつつ質素に行動し、民を治めるのはよいことではないでしょうか? しかし、ただ簡素であるだけでは、あまりにも質素すぎませんか?」
孔子は言った。「雍(冉雍)の言うことはもっともだ。」

雍也第六・二

白文

哀公問:「弟子孰爲好學?」
孔子對曰:「有顏回者,好學;不遷怒,不貳過。不幸短命死矣!今也則亡,未聞好學者也。」

書き下し文

哀公あいこう問いて曰く、「弟子、たれ好学こうがくなる?」
孔子対こたえて曰く、「顔回がんかいという者あり、学をこのむ。怒りをうつさず、あやまちをふたたびせず。不幸にして短命にして死せり。今やすなわし、いまだ学を好む者を聞かざるなり。」

日本語訳

魯の哀公が尋ねた。「あなたの弟子の中で、誰が最も学問を愛していましたか?」
孔子は答えた。「顔回という者がいました。彼は学問を愛し、怒りを他に向けず、同じ過ちを二度と繰り返しませんでした。しかし、残念なことに若くして亡くなりました。今では、彼のように学問を愛する者はいません。」

雍也第六・三

白文

子華使於齊,冉子爲其母請粟。
子曰:「與之釜。」
請益,曰:「與之庾。」
冉子與之粟五秉。
子曰:「赤之適齊也,乘肥馬,衣輕裘;吾聞之也:君子周急不繼富。」
原思爲之宰,與之粟九百,辭。
子曰:「毋!以與爾鄰里鄉黨乎!」

書き下し文

子華しかせい使つかいす。
冉子ぜんし、その母のためにぞくう。
子曰く、「これにを与えよ。」
すことを請う。曰く、「これにを与えよ。」
冉子、これにぞく五秉ひょうを与う。
子曰く、「せきせいくや、肥馬ひばに乗り、軽裘けいきゅうる。われこれを聞けり。君子は急をすくうも、富を継がず。」
原思げんし、これがさいたり。これに粟九百を与え、す。
子曰く、「なかれ! もってなんじ隣里りんり郷党きょうとうに与えよ。」

日本語訳

子華が斉に使いに行った。
冉子が彼の母親のために粟(米)を求めた。
孔子は言った。「釜一杯分を与えよ。」
冉子がさらに求めたので、孔子は言った。「庾(貯蔵庫一杯)を与えよ。」
冉子は結局、五秉(大量の米)を与えた。
孔子は言った。「赤(公西赤)が斉に行ったとき、肥えた馬に乗り、軽い毛皮の服を着ていた。私はこう聞いている。『君子は困っている人を助けるが、裕福な人には施しをしない。』」
原思がこの施しを管理し、九百石の粟を与えようとしたが、辞退した。
孔子は言った。「そうするな! それならば、お前の近隣の人々に分け与えよ。」

雍也第六・四

白文

子謂仲弓曰:「犁牛之子,騂且角;雖欲勿用,山川其舍諸?」

書き下し文

子、仲弓ちゅうきゅういて曰く、「犁牛りぎゅうせいにしてつのあり。
これをもちうることからんと欲すといえども、山川さんせんれこれをつるか?」

日本語訳

孔子は仲弓に言った。「犁牛(祭祀に供える牛)の子が赤毛で立派な角を持って生まれた。たとえそれを祭祀に使うのをためらったとしても、山や川の神々はそれを受け入れないだろうか?」

雍也第六・五

白文

子曰:「回也,其心三月不違仁。其餘,則日月至焉而已矣。」

書き下し文

子曰く、「かいや、その心三月さんげつ仁にたがわず。
そのすなわ日月じつげつに至るのみ。」

日本語訳

孔子は言った。「顔回は三ヶ月間、常に仁の心を持ち続けることができる。
しかし、他の弟子たちは、せいぜい一日や一ヶ月程度しか続かない。」

雍也第六・六

白文

季康子問:「仲由可使從政也與?」
子曰:「由也果,於從政乎何有?」
曰:「賜也可使從政也與?」
曰:「賜也達,於從政乎何有?」

書き下し文

季康子きこうし、問いて曰く、「仲由ちゅうゆうをしてまつりごとに従わしむべきか?」
子曰く、「ゆうかんなり。政に従わばなんるか?」
曰く、「をして政に従わしむべきか?」
曰く、「賜やたつなり。政に従わば何の有るか?」

日本語訳

季康子が尋ねた。「子路(仲由)に政治を任せることができますか?」
孔子は答えた。「子路は決断力がある。政治を任せても問題はない。」
季康子がさらに尋ねた。「子貢(賜)に政治を任せることはできますか?」
孔子は答えた。「子貢は通達している。政治を任せても問題はない。」

雍也第六・七

白文

季氏使閔子騫爲費宰。閔子騫曰:「善爲我辭焉。如有復我者,則吾必在汶上矣。」

書き下し文

季氏きし閔子騫びんしけんをしてさいたらしむ。
閔子騫曰く、「われわりてせよ。もし我にまたる者有らば、すなわち吾必ずぶんの上にらん。」

日本語訳

季氏は閔子騫に費(地方)の長官を任せようとした。
閔子騫は言った。「うまく私に代わって辞退してください。もし再び私を迎えに来る者があれば、そのときは私は汶水のほとりにいることでしょう。」

雍也第六・八

白文

伯牛有疾,子問之,自牖執其手,曰:「亡之,命矣夫!斯人也,而有斯疾也!斯人也,而有斯疾也!」

書き下し文

伯牛はくぎゅうやまいあり。
、これをう。まどよりその手をりていわく、
くなるか、めいなるかな!の人にして、斯のしつあるか!斯の人にして、斯の疾あるか!」

日本語訳

伯牛が重病を患っていた。
孔子は彼を見舞い、窓越しに手を取って言った。
「なんということだ! これは天命というものか。このような立派な人物が、こんな病を患うとは! このような人物が、こんな病を患うとは!」

雍也第六・九

白文

子曰:「賢哉回也!一簞食,一瓢飮,在陋巷,人不堪其憂,回也不改其樂。賢哉回也!」

書き下し文

子曰く、「けんなるかな、かいや!
一簞いったん一瓢いっぴょういん陋巷ろうこうるも、人はそのうれえにえざるに、回やそのたのしみをあらためず。
賢なるかな、回や!」

日本語訳

孔子は言った。「なんと賢いことか、顔回は!
わずか一盛りの飯と一瓢の水で、狭い路地に住んでいても、多くの人はその苦しみに耐えられない。しかし、顔回は楽しむ心を変えない。
なんと賢いことか、顔回は!」

雍也第六・十

白文

冉求曰:「非不說子之道,力不足也。」
子曰:「力不足者,中道而廢;今女畫。」

書き下し文

冉求ぜんきゅう曰く、「子の道をよろこばざるにあらず。ちかららざるなり。」
子曰く、「力足らざる者は、中道ちゅうどうにしてすたる。今、なんじかぎれり。」

日本語訳

冉求が言った。「先生の教えを好まないのではありません。ただ、私にはそれを実践する力が足りないのです。」
孔子は言った。「本当に力が足りない者は、途中で力尽きるものだ。だが、お前は最初から自分で限界を決めてしまっている。」

雍也第六・十一

白文

子謂子夏曰:「女爲君子儒,無爲小人儒。」

書き下し文

子、子夏しかいていわく、
なんじ君子くんしじゅたれ。小人しょうじんの儒たることかれ。」

日本語訳

孔子は子夏に言った。
「お前は君子の儒者になれ。小人の儒者になってはならない。」

雍也第六・十二

白文

子游爲武城宰。子曰:「女得人焉耳乎?」
曰:「有澹臺滅明者,行不由徑;非公事,未嘗至於偃之室也。」

書き下し文

子游しゆう武城ぶじょうさいたり。
子曰く、「なんじ、人をたるか?」
曰く、「澹臺滅明たんだいめつめいなる者あり。くにこみちらず。公事こうじあらざれば、いまかつえんしついたらず。」

日本語訳

子游が武城の長官となった。
孔子は尋ねた。「お前は良い人材を得たか?」
子游は答えた。「澹臺滅明という者がおります。彼は歩くときに近道をせず、公務以外では他人の家に立ち寄ったこともありません。」

雍也第六・十三

白文

子曰:「孟之反不伐,奔而殿,將入門,策其馬,曰:『非敢後也,馬不進也。』」

書き下し文

子曰く、「孟之反もうしはんほこらず。はしりて殿しんがりたり。
まさに門に入らんとして、の馬をむちうちていわく、
えておくるにあらず。馬のすすまざるなり。』」

日本語訳

孔子は言った。「孟之反は誇らず、戦の撤退時には殿軍を務めた。
門に入ろうとするとき、彼は馬に鞭を打ちながら言った。
『私は決して遅れたわけではない。馬が進まなかったのだ。』」

雍也第六・十四

白文

子曰:「不有祝鮀之佞,而有宋朝之美,難乎免於今之世矣。」

書き下し文

子曰く、「祝鮀しゅくたべん無くして、宋朝そうちょうらば、今の世にまぬがるることかたし。」

日本語訳

孔子は言った。「祝鮀のような弁舌の才がなく、宋朝のような美貌がある者は、今の世では生き残るのが難しい。」

雍也第六・十五

白文

子曰:「誰能出不由戶?何莫由斯道也!」

書き下し文

子曰く、「たれでてらざらん?
なんの道を由らざるや!」

日本語訳

孔子は言った。「誰が家を出るときに戸口を通らないことがあるだろうか?
それなのに、なぜ正しい道を通らない者がいるのか!」

雍也第六・十六

白文

子曰:「質勝文則野,文勝質則史。文質彬彬,然後君子。」

書き下し文

子曰く、「しつぶんまさればすなわなり。文、質に勝れば則ちなり。文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかのち君子くんしなり。」

日本語訳

孔子は言った。「質実(素朴さ)が礼儀(洗練)に勝れば、粗野になる。礼儀が質実に勝れば、飾り気が多くなりすぎる。質と礼儀が調和してこそ、君子と言える。」

雍也第六・十七

白文

子曰:「人之生也直,罔之生也幸而免。」

書き下し文

子曰く、「人のくるやなおし。まんなる者の生くるや、さいわいにしてまぬかる。」

日本語訳

孔子は言った。「人は正直に生きるのが本来の姿である。不正直な者が生き延びるのは、たまたま運が良いだけだ。」

雍也第六・十八

白文

子曰:「知之者不如好之者,好之者不如樂之者。」

書き下し文

子曰く、「これを知る者は、これをこのむ者にかず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。」

日本語訳

孔子は言った。「学問を知る者は、それを好む者に及ばない。学問を好む者は、それを楽しむ者に及ばない。」

雍也第六・十九

白文

子曰:「中人以上,可以語上也;中人以下,不可以語上也。」

書き下し文

子曰く、「中人ちゅうじん以上はもってじょうを語るべし。中人以下はもって上を語るべからず。」

日本語訳

孔子は言った。「中程度以上の知性を持つ者には、高度な話をしても理解できる。しかし、中程度以下の者には、高度な話をしても理解されない。」

雍也第六・二十

白文

樊遲問知。子曰:「務民之義,敬鬼神而遠之,可謂知矣。」
問仁。子曰:「仁者先難而後獲,可謂仁矣。」

書き下し文

樊遲はんちを問う。
子曰く、「民のつとめ、鬼神きしんけいしてこれを遠ざく。もってうべし。」
じんを問う。
子曰く、「仁者はなんさきにしてかくあとにす。もって仁と謂うべし。」

日本語訳

樊遲が「知(知恵)」とは何かを尋ねた。
孔子は答えた。「民の義務を果たし、鬼神を敬うが、必要以上に関わらないこと。それを知恵と呼ぶ。」
次に「仁」について尋ねた。
孔子は答えた。「仁者は困難を先に受け入れ、利益を後回しにする。それが仁と言える。」

雍也第六・二一

白文

子曰:「知者樂水,仁者樂山。知者動,仁者靜。知者樂,仁者壽。」

書き下し文

子曰く、「知者ちしゃは水を楽しみ、仁者じんしゃは山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿ながし。」

日本語訳

孔子は言った。「知恵のある者は水を好み、仁のある者は山を好む。知恵のある者は活動的であり、仁のある者は穏やかである。知恵のある者は楽しみ、仁のある者は長生きする。」

雍也第六・二二

白文

子曰:「齊一變,至於魯;魯一變,至於道。」

書き下し文

子曰く、「せい、一たび変ぜば、に至る。魯、一たび変ぜば、道に至る。」

日本語訳

孔子は言った。「斉が一度改革すれば、魯のような礼儀正しい国になる。魯がさらに改革すれば、理想の道に到達する。」

雍也第六・二三

白文

子曰:「觚不觚,觚哉!觚哉!」

書き下し文

子曰く、「、觚ならず。觚なるかな!觚なるかな!」

日本語訳

孔子は言った。「觚(角ばった酒器)が角ばっていなければ、もはや觚ではない。觚とは何か? 觚とは何か!」

雍也第六・二四

白文

宰我問曰:「仁者,雖告之曰,‘井有仁焉。’其從之也?」
子曰:「何爲其然也?君子可逝也,不可陷也;可欺也,不可罔也。」

書き下し文

宰我さいが、問いて曰く、「仁者じんしゃは、これにげてわく、『いどじんあり』とすれば、これにしたがわんか?」
子曰く、「なんすれぞしかるや? 君子くんしくべし。つるべからず。あざむくべし。まどわすべからず。」

日本語訳

宰我が尋ねた。「仁者は、誰かが『井戸の中に仁がある』と言えば、本当に飛び込むのでしょうか?」
孔子は答えた。「そんなことはない。君子は進むことはあっても、罠にはまることはない。だまされることはあっても、迷わされることはない。」

雍也第六・二五

白文

子曰:「君子博學於文,約之以禮,亦可以弗畔矣夫!」

書き下し文

子曰く、「君子くんしぶん博学はくがくし、これをれいをもってやくす。またもってそむくことからんか!」

日本語訳

孔子は言った。「君子は広く学問を学び、それを礼によって引き締める。そうすれば、道を踏み外すことはないだろう。」

雍也第六・二六

白文

子見南子,子路不說。夫子矢之曰:「予所否者,天厭之!天厭之!」

書き下し文

南子なんしを見る。子路しろよろこばず。
夫子ふうし、これをちかっていわく、「われいなとする所は、てんもこれをいとう!天もこれを厭う!」

日本語訳

孔子は南子(衛の霊公の夫人)と会見した。
それを見た子路は不満を抱いた。
孔子は誓って言った。「もし私にやましいことがあるならば、天もそれを罰するだろう! 天もそれを罰するだろう!」

雍也第六・二七

白文

子曰:「中庸之爲德也,其至矣乎!民鮮久矣!」

書き下し文

子曰く、「中庸ちゅうようとくるや、そのいたるかな!たみすくなしひさしきかな!」

日本語訳

孔子は言った。「中庸(偏りのない徳)は最も優れたものである。しかし、長い間、それを備えた民はほとんどいない。」

雍也第六・二八

白文

子貢曰:「如有博施於民,而能濟眾,何如?可謂仁乎?」
子曰:「何事於仁,必也聖乎?堯舜其猶病諸!
夫仁者,己欲立而立人,己欲達而達人。能近取譬,可謂仁之方也已。」

書き下し文

子貢しこう、曰く、「もしたみ博施はくしし、しかもしゅうすくう者あらば、何如いかん? これをじんうべきか?」
子曰く、「なんじんこととするや、かならずやせいならんか? ぎょうしゅんも、うれうるか!
仁者じんしゃは、おのれたんと欲して人を立て、己達たっせんと欲して人を達せしむ。ちかたとうるをるは、仁のほうと謂うべきのみ。」

日本語訳

子貢が尋ねた。「もし、広く民に施しを行い、多くの人々を救うことができる人がいたら、それは仁と言えますか?」
孔子は答えた。「どうしてそれを仁と言うだけで済ませるのか? それはむしろ聖人の域に達するものだ。堯や舜ですら、それを完全に実現するのは難しかったのだから。
そもそも仁者とは、自分が立ちたいと思えば人を立たせ、自分が成功したいと思えば人を成功させるものだ。身近な例から学ぶことができる者こそ、仁の道を実践する者と言える。」

述而第七

述而第七・一

白文

子曰:「述而不作,信而好古,竊比於我老彭。」

書き下し文

子曰く、「べてつくらず。まことにしていにしえこのむ。ひそかに我を老彭ろうほうす。」

日本語訳

孔子は言った。「私は、ただ昔のことを伝えるだけで、新しいものを作り出すわけではない。私は誠実に古きを好む者である。ひそかに私は、古代の賢者である老彭に自らを比べている。」

述而第七・二

白文

子曰:「默而識之,學而不厭,誨人不倦,何有於我哉?」

書き下し文

子曰く、「もくしてこれをしるし、学びていとわず、人をおしえてまず。我になんらんや?」

日本語訳

孔子は言った。「黙って考え、学び続けて飽きることがなく、人を教えることにも疲れを感じない。これが私の何よりの特長だ。」

述而第七・三

白文

子曰:「德之不脩,學之不講,聞義不能徒,不善不能改,是吾憂也。」

書き下し文

子曰く、「とくおさまらず、がくこうぜず、きてしたがあたわず、不善ふぜんあらたむること能わざるは、これうれいなり。」

日本語訳

孔子は言った。「自分の徳を修めることができず、学問を深く学ばず、正しい道を聞いてもそれに従うことができず、誤りを改めることができないこと、それが私の憂いである。」

述而第七・四

白文

子之燕居,申申如也,夭夭如也。

書き下し文

子の燕居えんきょ申申しんしんとしてじょたり、夭夭ようようとして如たり。

日本語訳

孔子がくつろいでいるときは、穏やかで落ち着いており、明るく朗らかな様子であった。

述而第七・五

白文

子曰:「甚矣吾衰也!久矣吾不復夢見周公!」

書き下し文

子曰く、「はなはだしきかな、おとろえや! 久しきかな、周公しゅうこうを夢に見ざること!」

日本語訳

孔子は言った。「私はひどく衰えてしまった! もう長いこと、周公の夢を見ていない。」

述而第七・六

白文

子曰:「志於道,據於德,依於仁,游於藝。」

書き下し文

子曰く、「みちこころざし、とくり、じんり、げいあそぶ。」

日本語訳

孔子は言った。「道を志し、徳をよりどころとし、仁を根本とし、芸(六芸:礼・楽・射・御・書・数)を楽しむ。」

述而第七・七

白文

子曰:「自行束脩以上,吾未嘗無誨焉。」

書き下し文

子曰く、「みずかこうして束脩そくしゅう以上いじょうならば、いまおしうることきことあらず。」

日本語訳

孔子は言った。「自ら学びを求めて、束脩(入門の謝礼)を持参した者には、私は必ず教えてきた。」

述而第七・八

白文

子曰:「不憤不啓,不悱不發。舉一隅不以三隅反,則不復也。」

書き下し文

子曰く、「ふんせずんばひらかず、せずんばはっせず。一隅いちぐうげて三隅さんぐうってかえさざれば、すなわまたせざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「学ぶ意欲が十分でなければ、私は教えない。
自ら考え抜いて言葉に詰まるほどでなければ、私は導かない。
一つのことを教えて、それを手がかりにして三つのことを理解できない者には、繰り返し教えることはしない。」

述而第七・九

白文

子食於有喪者之側,未嘗飽也。子於是日哭,則不歌。

書き下し文

ある者のかたわらにしょくすれば、いまかつかざるなり。
子、けば、すなわうたわず。

日本語訳

孔子は、喪中の人のそばで食事をするときは、決して満腹まで食べることはなかった。
また、その日に泣いたときは、決して歌を歌わなかった。

述而第七・十

白文

子謂顏淵曰:「用之則行,舍之則藏。惟我與爾有是夫!」
子路曰:「子行三軍,則誰與?」
子曰:「暴虎馮河,死而無悔者,吾不與也。必也臨事而懼,好謀而成者也。」

書き下し文

顔淵がんえんいていわく、
もちいらるればすなわおこない、てらるれば則ちかくる。だ我となんじのみこれるか!」
子路しろ曰く、「三軍さんぐんひきいるれば、則ちたれともにせん?」
子曰く、「暴虎ぼうこ馮河ひょうがしてき者は、われともにせざるなり。かならずやことのぞみておそれ、はかるをこのみてす者なり。」

日本語訳

孔子は顔淵に言った。
「世に用いられれば活躍し、捨てられれば身を隠す。このようにできるのは、私とお前だけではないか?」
子路が尋ねた。「先生が三軍(大軍)を率いるとしたら、誰を選びますか?」
孔子は答えた。「無謀に虎に素手で挑み、川を徒渉して死を恐れぬ者とは共にしない。必ず、事に臨んで慎重であり、よく計画して物事を成し遂げる者を選ぶ。」

述而第七・十一

白文

子曰:「富而可求也,雖執鞭之士,吾亦爲之;如不可求,從吾所好。」

書き下し文

子曰く、「とみもとむべくんば、むちるのいえども、われもまたこれをさん。もし求むべからずんば、吾がこのむ所にしたがわん。」

日本語訳

孔子は言った。「もし富が正当な手段で得られるのであれば、たとえ馬の鞭を持つ下級の役人の仕事であっても、私はそれをするだろう。しかし、それが正当な手段で得られないのであれば、私は自分の道を行く。」

述而第七・十二

白文

子之所愼:齊、戰、疾。

書き下し文

子のつつしむ所は、せいせんしつなり。

日本語訳

孔子が特に慎重にしていたのは、斉戒(精進潔斎)・戦争・病気の三つであった。

述而第七・十三

白文

子在齊聞韶,三月不知肉味,曰:「不圖爲樂之至於斯也!」

書き下し文

子、せいりてしょうく。三月さんげつ肉味にくみを知らず。曰く、「はからざりき、がくここいたるを!」

日本語訳

孔子が斉に滞在していたとき、「韶(しょう)」という音楽を聞いた。その美しさに感動し、三ヶ月間も肉の味が分からなかったほどだった。
孔子は言った。「まさか、音楽がここまで心を動かすものだとは思わなかった!」

述而第七・十四

白文

冉有曰:「夫子爲衞君乎?」
子貢曰:「諾,吾將問之。」
入曰:「伯夷叔齊,何人也?」
曰:「古之賢人也。」
曰:「怨乎?」
曰:「求仁而得仁,又何怨?」
出,曰:「夫子不爲也。」

書き下し文

冉有ぜんゆう曰く、「夫子ふうしえいの君のために仕えんか?」
子貢しこう曰く、「だくわれまさにこれを問わん。」
りて曰く、「伯夷はくい叔齊しゅくせいいかなる人ぞ?」
曰く、「いにしえ賢人けんじんなり。」
曰く、「うらみたりや?」
曰く、「じんを求めて仁をたり。またなんぞ怨まん?」
でて曰く、「夫子は仕えざるなり。」

日本語訳

冉有が尋ねた。「先生は衛の君主に仕えますか?」
子貢は「では、先生に聞いてみよう」と答え、孔子のもとへ行った。
子貢は尋ねた。「伯夷と叔斉という人はどのような人物ですか?」
孔子は答えた。「昔の賢人である。」
子貢がさらに尋ねた。「彼らは不満を抱いたでしょうか?」
孔子は答えた。「彼らは仁を求め、それを得た。どうして不満があろうか?」
子貢は孔子のもとを出て、冉有に言った。「先生は仕官なさらない。」

述而第七・十五

白文

子曰:「飯疏食,飮水,曲肱而枕之,樂亦在其中矣。不義而富且貴,於我如浮雲。」

書き下し文

子曰く、「疏食そしくらい、みずを飲み、ひじげてこれをまくらとす。たのしみもまたそのうちり。不義ふぎにしてたっときを、我にいて浮雲ふうんごとし。」

日本語訳

孔子は言った。「粗末な食事をし、水を飲み、肘を枕にして寝る。しかし、その中にも楽しみはある。
不義によって得た富や地位など、私にとっては浮雲のようなものだ。」

述而第七・十六

白文

子曰:「加我數年,五十以學易,可以無大過矣。」

書き下し文

子曰く、「我に数年すうねんくわえ、五十にしてえきまなべば、大過たいかかるべし。」

日本語訳

孔子は言った。「私にあと数年あれば、50歳で『易経』を学ぶことができただろう。そうすれば、大きな過ちを犯さずに済んだはずだ。」

述而第七・十七

白文

子所雅言,詩、書、執禮,皆雅言也。

書き下し文

子の雅言がげんする所は、しょ執礼しつれいみな雅言がげんなり。

日本語訳

孔子が普段、特に丁寧な言葉遣いをしたのは、『詩経』・『書経』・礼儀作法に関する話をするときであった。

述而第七・十八

白文

葉公問孔子於子路,子路不對。
子曰:「女奚不曰,其爲人也,發憤忘食,樂以忘憂,不知老之將至云爾。」

書き下し文

葉公しょうこう、孔子を子路しろに問う。子路、こたえず。
子曰く、「なんじなんわざる。ひとりや、発憤はっぷんしてしょくを忘れ、たのしみてうれいを忘れ、いのまさいたらんとするを知らざるのみ、と。」

日本語訳

葉公が子路に「孔子とはどのような人物か?」と尋ねたが、子路は答えなかった。
孔子は言った。「お前はなぜ、こう答えなかったのか?『孔子という人物は、一度何かに打ち込むと食事を忘れ、楽しんで憂いを忘れ、老いが迫っていることにすら気づかないほどの人です』と。」

述而第七・十九

白文

子曰:「我非生而知之者,好古,敏以求之者也。」

書き下し文

子曰く、「われまれながらにしてこれをる者にあらず。いにしえこのみ、びんにしてこれをもとむる者なり。」

日本語訳

孔子は言った。「私は生まれつき知識があったわけではない。古(いにしえ)の教えを好み、熱心に学んで知識を求めたのだ。」

述而第七・二十

白文

子不語:怪、力、亂、神。

書き下し文

かたらず。かいりょくらんしん

日本語訳

孔子は、怪奇なこと・怪力乱神(超自然現象)・政治の混乱・神秘的なことについて語らなかった。

述而第七・二一

白文

子曰:「三人行,必有我師焉。擇其善者而從之,其不善者而改之。」

書き下し文

子曰く、「三人さんにんけば、かなららん。
そのぜんなる者をえらびてこれにしたがい、その不善ふぜんなる者はこれをあらたむ。」

日本語訳

孔子は言った。「三人で道を歩けば、必ずその中に私の師となる者がいる。
良いところを持つ人を選んで学び、良くないところは自らを反省して改める。」

述而第七・二二

白文

子曰:「天生德於予,桓魋其如予何!」

書き下し文

子曰く、「てんとくわれせり。桓魋かんたいれ予を如何いかんせん!」

日本語訳

孔子は言った。「天は私に徳を授けてくれた。桓魋(かんたい=孔子を妨害した人)が何をしようとも、私をどうすることもできない!」

述而第七・二三

白文

子曰:「二三子,以我爲隱乎?吾無隱乎爾!吾無行而不與二三子者,是丘也。」

書き下し文

子曰く、「二三子にさんしわれってかくすとすか?
われなんじに隠すことし!
吾、くしておこない、二三子とともにせざる者は、これきゅうなり。」

日本語訳

孔子は言った。「弟子たちよ、お前たちは私が何かを隠していると思っているのか?
私はお前たちに何も隠し事をしていない!
私は常に自ら行動し、それをお前たちと共にしてきたのだ。」

述而第七・二四

白文

子以四教:文、行、忠、信。

書き下し文

おしえをってす。ぶんこうちゅうしん

日本語訳

孔子は、**「学問」「実践」「忠義」「誠実」**の四つを教えの柱とした。

述而第七・二五

白文

子曰:「聖人,吾不得而見之矣!得見君子者,斯可矣。」
子曰:「善人,吾不得而見之矣!得見有恆者,斯可矣。亡而爲有,虛而爲盈,約而爲泰,難乎有恆矣!」

書き下し文

子曰く、「聖人せいじんわれてこれをることし!
君子くんしを得てることあらば、すなわなり。」
子曰く、「善人ぜんじんわれ得てこれをること無し!
得て有恒ゆうこうなる者を見れば、すなわち可なり。
きにしてるをし、むなしきにしてつるを為し、やくにしてたいを為す。
有恒ゆうこうなることはかたし!」

日本語訳

孔子は言った。「聖人には出会うことはできない! だが、君子に会うことができれば、それで満足だ。」
また言った。「真に善人という人には、なかなか出会えない。
だが、信念を持ち続ける者に会えれば、それでもよい。
何もないのにあるように見せかけ、空虚なのに満ちているように装い、倹約しているように見えて実は贅沢をしている。
信念を持ち続けることは難しいものだ!」

述而第七・二六

白文

子釣而不綱,弋而不射宿。

書き下し文

れどもあみを張らず。よくすれども宿やどれるをたず。

日本語訳

孔子は、釣りをするときも網を使わず、鳥を射るときも寝ている鳥は狙わなかった。
(=道義に反することをしなかった。)

述而第七・二七

白文

子曰:「蓋有不知而作之者,我無是也。多聞,擇其善者而從之,多見而識之,知之次也。」

書き下し文

子曰く、「けだらずしてこれを者有らん。われこれし。
おおきて、そのぜんなる者をえらびてこれにしたがい、多くてこれをしるす。つぎなり。」

日本語訳

孔子は言った。「知らないのに勝手に作り出す者もいるだろう。だが、私はそうではない。
私は多くを聞き、その中から良いものを選んで従い、多くを見て記憶する。これが知識を得る方法だ。」

述而第七・二八

白文

互鄉難與言。童子見,門人惑。
子曰:「與其進也,不與其退也。唯何甚?人潔己以進,與其潔也,不保其往也!」

書き下し文

互郷ごきょうげんともにしがたし。童子どうじる。門人もんじんまどう。
子曰く、「すすむにあたうるも、退しりぞくに与うるにあらず。なんはなはだしきや?
ひとおのれきよめて進む。其のきよきにあたうるも、其のたもつに非ず。」

日本語訳

互郷の人々は、言葉を交わすのが難しい。
童子(子供)が孔子を見て近づいたところ、弟子たちは不思議に思った。
孔子は言った。「人は前へ進む者に手を差し伸べるが、退く者には手を差し伸べない。
しかし、何をそんなに驚くことがあろうか? 人は自らを清めて前へ進むのだ。
その清さには価値があるが、その過去がどうであったかには関係ない。」

述而第七・二九

白文

子曰:「仁遠乎哉?我欲仁,斯仁至矣。」

書き下し文

子曰く、「じんとおきか?
われ仁をほっすれば、すなわ仁至いたる。」

日本語訳

孔子は言った。「仁は遠いものだろうか?
いや、私が仁を求めれば、すぐに仁は私のもとに来る。」

述而第七・三十

白文

陳司敗問:「昭公知禮乎?」
孔子對曰:「知禮。」
孔子退,揖巫馬期而進之,曰:「吾聞君子不黨,君子亦黨乎?
君取於吳爲同姓,謂之吳孟子。君而知禮,孰不知禮?」
巫馬期以吿。
子曰:「丘也幸,苟有過,人必知之。」

書き下し文

陳司敗ちんしはい、問いて曰く、「昭公しょうこうれいるか?」
孔子、こたえて曰く、「礼を知る。」
孔子、退しりぞき、巫馬期ふばきゆうし、これをすすめて曰く、
われく、君子くんしとうせず、と。君子もまた党するか?
きみより妻を迎え、同姓どうせいとし、これを呉孟子ごもうしう。
もし君が礼を知るというならば、誰が礼を知らないというのか?」
巫馬期はこのことを昭公に伝えた。
孔子は言った。「私は幸運なことに、もし過ちがあれば、すぐに人々がそれを指摘してくれる。」

日本語訳

陳司敗が尋ねた。「魯の昭公は礼を知っていましたか?」
孔子は答えた。「礼を知っていた。」
孔子が退いた後、巫馬期が近づき、孔子に問いただした。
「先生は『君子はえこひいきしない』とおっしゃいましたよね? それなのに先生もえこひいきするのですか?
昭公は呉の女性を妃とし、同じ姓であるとして彼女を呉孟子と呼びました。
もし昭公が本当に礼を知っていたなら、礼を知らない者などいるはずがありませんよね?」
巫馬期はこの話を昭公に伝えた。
すると孔子は言った。「私は幸運だ。もし私に過ちがあれば、必ず誰かがそれを指摘してくれる。」

述而第七・三一

白文

子與人歌而善,必使反之,而後和之。

書き下し文

、人とうたいてきときは、かならずこれをかえさしめて、しかのちにこれにす。

日本語訳

孔子は人と歌を歌う際、相手が上手に歌ったときは、必ずもう一度繰り返させてから、自分もそれに合わせて歌った。

述而第七・三二

白文

子曰:「文,莫吾猶人也;躬行君子,則吾未之有得!」

書き下し文

子曰く、「ぶんは、われひとなおし。
ずから君子くんしおこなうは、すなわ吾未いまだこれをざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「学問においては、私は他の人と大差ない。
しかし、自ら君子の道を実践することにおいては、私はまだ十分にできていない。」

述而第七・三三

白文

子曰:「若聖與仁,則吾豈敢?
抑爲之不厭,誨人不倦,則可謂云爾已矣!」
公西華曰:「正唯弟子不能學也!」

書き下し文

子曰く、「もしせいじんとならば、すなわわれえてえんや?
れこれをしていとわず、人をおしえてまず。
則ちこれをうのみ!」
公西華こうせいか、曰く、「まさ弟子ていしこれを学ぶことあたわざるなり!」

日本語訳

孔子は言った。「聖人や仁者になれるとは、私はとても思えない。
しかし、努力し続けることを厭わず、人に教えることに疲れを感じない。
その程度のことならば、私もそうだと言えるだろう。」
公西華が言った。「まさにその点こそ、私たち弟子には真似ができません!」

述而第七・三四

白文

子疾病,子路請禱。
子曰:「有諸?」
子路對曰:「有之。誄曰:『禱爾於上下神祇。』」
子曰:「丘之禱久矣!」

書き下し文

子、疾病しっぺいす。子路しろいのらんことをう。
子曰く、「これるか?」
子路、こたえて曰く、「これ有り。るいわく、『なんじ上下じょうげ神祇しんぎいのる』と。」
子曰く、「きゅう、これを禱ることひさし!」

日本語訳

孔子が病に倒れた。
子路が「先生のために祈りを捧げましょう」と申し出た。
孔子は「そんな習慣があるのか?」と尋ねた。
子路は「あります。弔辞には『天と地の神に祈る』と書かれています」と答えた。
孔子は言った。「私はずっと前から、すでに祈りを捧げ続けている。」

述而第七・三五

白文

子曰:「奢則不孫,儉則固;與其不孫也,寧固。」

書き下し文

子曰く、「しゃなればすなわそんならず。
けんなれば則ちなり。
れ孫ならざるよりは、むしろ固なれ。」

日本語訳

孔子は言った。「贅沢になれば礼を失い、質素になれば頑固になる。
しかし、礼を失うよりは、むしろ質素で頑固な方がよい。」

述而第七・三六

白文

子曰:「君子坦蕩蕩,小人長戚戚。」

書き下し文

子曰く、「君子くんし坦蕩蕩たんとうとうたり。
小人しょうじんつね戚戚せきせきたり。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は心が広く、ゆったりと構えている。
小人はいつもくよくよして、心配ばかりしている。」

述而第七・三七

白文

子溫而厲,威而不猛,恭而安。

書き下し文

おんにしてれいありてもうならず、きょうにしてやすし。

日本語訳

孔子は、温和でありながらも厳格であり、威厳はあるが荒々しくなく、
謙虚でありながらも安心感を与える人物であった。

泰伯第八

泰伯第八・一

白文

子曰:「泰伯,其可謂至德也已矣!三以天下讓,民無得而稱焉。」

書き下し文

子曰く、「泰伯たいはく至徳しとくうべきのみ!
三たび天下をってゆずれども、たみしょうすること無し。」

日本語訳

孔子は言った。「泰伯はまさに至高の徳を持つ者と言える!
彼は三度も天下を譲ったが、民はそれを称賛することすらできなかった(あまりにも自然な行いであったため、言葉にできなかった)。」

泰伯第八・二

白文

子曰:「恭而無禮則勞,愼而無禮則葸,勇而無禮則亂,直而無禮則絞。君子篤於親,則民興於仁。故舊不遺,則民不偷。」

書き下し文

子曰く、「きょうにしてれいければすなわろうし、つつしみにして礼無ければ則ちし、ゆうにして礼無ければ則ちみだれ、なおくして礼無ければ則ちこうす。
君子くんししんあつくすれば、則ちたみじんおこる。
故旧こきゅうわすれざれば、則ちたみとうせず。」

日本語訳

孔子は言った。「礼を伴わない恭(へりくだり)はただの苦労となる。
礼を伴わない慎み深さはただの臆病となる。
礼を伴わない勇気はただの混乱を生む。
礼を伴わない正直さはただの頑なさとなる。
君子が親族との関係を大切にすれば、民も仁の心を持つようになる。
昔からの友人を忘れなければ、民も誠実さを失わない。」

泰伯第八・三

白文

曾子有疾,召門弟子曰:「啟予足!啟予手!詩云:『戰戰兢兢,如臨深淵,如履薄冰。』而今而後,吾知免夫!小子!」

書き下し文

曾子そうしやまいあり。門弟子もんていしして曰く、
われの足をひらけ! 予の手を啓け!
詩にう、『戦戦兢兢せんせんきょうきょう深淵しんえんのぞむがごとく、薄氷はくひょうむが如し』と。
今よりのちわれまぬがるることを知れり!小子しょうしよ!」

日本語訳

曾子が病に倒れ、弟子たちを呼び寄せて言った。
「私の足を広げよ! 私の手を広げよ!
『慎重に慎重を重ね、深い淵に臨むように、薄い氷の上を歩くように振る舞え』と詩にある。
今、私はこれから解放されることを知った! 皆よ、しっかり学びなさい!」

泰伯第八・四

白文

曾子有疾,孟敬子問之。曾子言曰:「鳥之將死,其鳴也哀,人之將死,其言也善。君子所貴乎道者三:動容貌,斯遠暴慢矣;正顏色,斯近信矣;出辭氣,斯遠鄙倍矣;籩豆之事,則有司存。」

書き下し文

曾子、やまいあり。孟敬子もうけいし、これを問う。
曾子、いて曰く、「鳥のまさに死せんとするや、そのくことかなし。人の将に死せんとするや、そのことばし。
君子くんしみちたっとぶ所は三つあり。
容貌ようぼううごかせば、すなわ暴慢ぼうまんとおざく。
顔色がんしょくただせば、斯ちしんちかづく。
辞気じきだせば、斯ち鄙倍ひばいを遠ざく。
籩豆へんとうことは、則ち有司ゆうしそんす。」

日本語訳

曾子が病に伏せたとき、孟敬子が見舞いに訪れた。
曾子は言った。「鳥は死ぬ前に悲しげに鳴く。人は死ぬ前に良い言葉を残す。
君子が道を重んじるためには、三つのことが大切だ。
顔の表情を穏やかにすれば、傲慢を遠ざけることができる。
顔色を正せば、誠実さに近づくことができる。
言葉遣いを整えれば、卑しく偽ることを遠ざけることができる。
祭祀の細かい儀式は、役人が管理すればよい。」

泰伯第八・五

白文

曾子曰:「以能問於不能,以多問於寡,有若無,實若虛,犯而不校。昔者吾友,嘗從事於斯矣。」

書き下し文

曾子曰く、「くして不能ふのうい、おおくしてすくなきに問う。
ることきがごとく、じつなることきょしきが若し。
おかされてこうせず。
むかしともかつてこれに従事じゅうじせり。」

日本語訳

曾子は言った。「能力がある者が能力のない者に教え、多くを知る者が少ししか知らない者に尋ねる。
豊かであっても無欲であるように振る舞い、実力があっても謙虚でいる。
他人に非難されても、争わない。
昔、私の友人は、これを実践していた。」

泰伯第八・六

白文

曾子曰:「可以託六尺之孤,可以寄百里之命,臨大節而不可奪也。君子人與?君子人也!」

書き下し文

曾子曰く、「六尺ろくせきたくすべく、百里ひゃくりめいすべく、大節たいせつのぞみてうばわれざるなり。
君子くんしひとか? 君子の人なり!」

日本語訳

曾子は言った。「幼い子供(六尺の孤)を安心して託すことができ、国家の大事(百里の命)を任せることができ、重大な局面でも節操を曲げない者こそ、君子の人である!」

泰伯第八・七

白文

曾子曰:「士不可以不弘毅,任重而道遠。仁以爲己任,不亦重乎;死而後已,不亦遠乎。」

書き下し文

曾子曰く、「弘毅こうきならざるべからず。にんおもくしてみちとおし。
仁をっておのれのにんすは、また重からずや。してのちむは、また遠からずや。」

日本語訳

曾子は言った。「士(学問を修めた者)は、広い度量と強い意志を持たなければならない。
なぜなら、背負うべき責務は重く、その道のりは遠いからだ。
仁を己の使命とするのは、なんと重いことか。
命を終えるまでその道を歩み続けるのは、なんと遠いことか。」

泰伯第八・八

白文

子曰:「興於詩,立於禮,成於樂。」

書き下し文

子曰く、「おこり、れいち、がくる。」

日本語訳

孔子は言った。「人は『詩経』を学ぶことで感性を養い、礼儀を身につけることで人格を確立し、音楽を学ぶことで心を完成させる。」

泰伯第八・九

白文

子曰:「民可使由之,不可使知之。」

書き下し文

子曰く、「たみはこれにしたがわしむべし。これをしてらしむべからず。」

日本語訳

孔子は言った。「民衆には道を示し、それに従わせることはできるが、全てを理解させることは難しい。」

泰伯第八・十

白文

子曰:「好勇疾貧,亂也。人而不仁,疾之已甚,亂也。」

書き下し文

子曰く、「ゆうこのみてひんにくむは、みだれなり。
人にしてじんならずんば、これを疾むことはなはだしきは、乱なり。」

日本語訳

孔子は言った。「勇敢さを好みながら貧しさを憎む者は、社会を乱す。
また、人として仁がなければならないのに、それを欠いた者を激しく憎むのも、社会を乱す。」

泰伯第八・十一

白文

子曰:「如有周公之才之美,使驕且吝,其餘不足觀也已!」

書き下し文

子曰く、「もし周公しゅうこうさいるも、おごりてりんならば、あまりはるにらざるのみ!」

日本語訳

孔子は言った。「たとえ周公のような才能と美徳を持っていても、驕り高ぶり、けちであるならば、それ以外の長所は見るに値しない!」

泰伯第八・十二

白文

子曰:「三年學,不至於穀,不易得也。」

書き下し文

子曰く、「三年さんねんまなびてこくいたらずは、がたし。」

日本語訳

孔子は言った。「三年間学んでも生活の糧を得ることができない者は、めったにいない。」

泰伯第八・十三

白文

子曰:「篤信好學,守死善道。危邦不入,亂邦不居。天下有道則見,無道則隱。邦有道,貧且賤焉,恥也;邦無道,富且貴焉,恥也。」

書き下し文

子曰く、「篤信とくしんがくこのみ、まもりて善道ぜんどうおこなう。
危邦きほうにはらず、乱邦らんぽうにはらず。
天下てんかみちればすなわあらわれ、道無ければ則ちかくる。
くに道有りてひんいやしければ、はじなり。
邦に道無くしてみ且つたっとければ、恥なり。」

日本語訳

孔子は言った。「誠実に学問を好み、命をかけて正しい道を守る。
危険な国には入らず、混乱した国には住まない。
天下に道があれば世に出て活躍し、道がなければ隠れる。
国に道がありながら貧しく賤しいのは恥であり、国に道がないのに富み、貴いのもまた恥である。」

泰伯第八・十四

白文

子曰:「不在其位,不謀其政。」

書き下し文

子曰く、「くらいらざれば、其のまつりごとはからず。」

日本語訳

孔子は言った。「自分がその地位にいないのなら、その職務について口を出すべきではない。」

泰伯第八・十五

白文

子曰:「師摯之始,關雎之亂,洋洋乎,盈耳哉!」

書き下し文

子曰く、「師摯ししはじめ、関雎かんしょみだれ、洋洋ようようたり、みみつるかな!」

日本語訳

孔子は言った。「師摯が演奏を始め、『関雎』の旋律が展開されると、その響きは壮大であり、耳に満ち溢れるようだった!」

泰伯第八・十六

白文

子曰:「狂而不直,侗而不愿,悾悾而不信,吾不知之矣!」

書き下し文

子曰く、「きょうにしてなおからず、どうにしてげんならず、悾悾こうこうとしてしんならざれば、われこれをらざるなり!」

日本語訳

孔子は言った。「情熱があっても正直でなければならず、素直であっても誠実でなければならない。
ひたすら努力していても、信頼できる人物でなければならない。
それらを欠いた者は、私には理解できない。」

泰伯第八・十七

白文

子曰:「學如不及,猶恐失之。」

書き下し文

子曰く、「まなぶこと、不及およばざるがごとくして、なおこれをうしなうをおそる。」

日本語訳

孔子は言った。「学問は、常に追いつけないと思いながら学び続けるべきであり、それでもまだ失うことを恐れるものだ。」

泰伯第八・十八

白文

子曰:「巍巍乎,舜、禹之有天下也,而不與焉。」

書き下し文

子曰く、「巍巍ぎぎたり、しゅんの天下をたもつや、しかともにせず。」

日本語訳

孔子は言った。「なんと偉大なことか! 舜と禹は天下を治めながらも、私利私欲とは無縁であった。」

泰伯第八・十九

白文

子曰:「大哉,堯之爲君也!巍巍乎,唯天爲大,唯堯則之!蕩蕩乎,民無能名焉!巍巍乎,其有成功也!煥乎,其有文章!」

書き下し文

子曰く、「だいなるかな、ぎょうきみるや!
巍巍ぎぎたり、てんだいなるのみ、ぎょうのこれにのっとるのみ!
蕩蕩とうとうたり、たみなづくること無し!
巍巍たり、その成功せいこうること!
かんたり、その文章ぶんしょう有ること!」

日本語訳

孔子は言った。「なんと偉大なことか! 堯の君主としての徳は。
天が最も偉大であるが、堯はそれに従った。
その徳の広大さは計り知れず、民衆はそれを言葉で表すことができなかった。
彼の成功はまさに壮大であり、その統治の文化は輝かしいものであった。」

泰伯第八・二十

白文

舜有臣五人,而天下治。武王曰:「予有亂臣十人。」
孔子曰:「『才難』,不其然乎?唐虞之際,於斯爲盛,有婦人焉,九人而已。
三分天下有其二,以服事殷,周之德,其可謂至德也已矣!」

書き下し文

しゅんしん五人ごにんたもちて、しかして天下てんかおさまる。
武王ぶおう、曰く、「われ乱臣らんしん十人じゅうにん有り。」
孔子曰く、「『さいかたし』、しからずや?
とうきわいて、ここさかんなることり、婦人ふじんここに有り、九人きゅうにんのみなり。
天下を三分さんぶんして、そのたもち、っていん服事ふくじし、しゅうとくふくす。
至徳しとくうべきのみ!」

日本語訳

舜は五人の優れた臣を得て、天下を治めた。
武王は言った。「私には十人の問題児の臣がいる。」
孔子は言った。「『才能ある者は得がたい』とは、まさにその通りではないか?
唐と虞の時代(堯・舜の治世)は、最も輝かしい時代であり、そこに女性を含めても、賢人は九人しかいなかった。
天下の三分の二を持ちながら、殷に仕え、その後、周の徳に従った。
これはまさに至高の徳と言うべきである!」

泰伯第八・二一

白文

子曰:「禹,吾無間然矣!菲飮食,而致孝乎鬼神;惡衣服,而致美乎黻冕;卑宮室,而盡力乎溝洫。禹,吾無間然矣!」

書き下し文

子曰く、「われ間然かんぜんすること無し!
おろそかにして飲食いんしょくし、しかこう鬼神きしんいたす。
衣服いふくにくみ、而も黻冕ふつべんに致す。
宮室きゅうしつひくくし、而もちから溝洫こうきょくつくす。
、吾間然すること無し!」

日本語訳

孔子は言った。「禹について、私は何も非難することができない!
彼は質素な食事をとりながらも、鬼神に対する孝を尽くした。
衣服にこだわらなかったが、祭礼の際には礼に適った服装を整えた。
宮殿を質素にし、その力を国の治水工事に注いだ。
禹には、私が批判するべき点が何もない!」

子罕第九

子罕第九・一

白文

子罕言利與命與仁。

書き下し文

まれめいじんとをう。

日本語訳

孔子は、「利益」「運命」「仁」については滅多に語らなかった。

子罕第九・二

白文

達巷黨人曰:「大哉孔子!博學而無所成名。」
子聞之,謂門弟子曰:「吾何執?執御乎?執射乎?吾執御矣!」

書き下し文

達巷たっこう党人とうじん、曰く、「だいなるかな孔子こうし
博学はくがくなれども、成名せいめいする所無し。」
、これをきて、門弟子もんていしいていわく、
われなにらん? ぎょを執らんか? しゃを執らんか?
吾、御を執らん!」

日本語訳

達巷の村人が言った。「孔子は偉大な人物だ! しかし、博学でありながら、どの分野にも名を成していない。」
孔子はこれを聞き、弟子たちに言った。
「私は何を専門にしようか? 馬車の御者か? 弓術か? …私は馬車の御者になろう!」

子罕第九・三

白文

子曰:「麻冕,禮也;今也純,儉,吾從眾。
拜下,禮也;今拜乎上,泰也。雖違眾,吾從下。」

書き下し文

子曰く、「麻冕まべんれいなり。いまじゅんもちうるはけんなり。われしゅうしたがう。
しもはいするは、礼なり。今、かみに拝するは、たいなり。
衆にたがうといえども、吾は下に従う。」

日本語訳

孔子は言った。「昔は麻の冠(麻冕)が礼にかなっていた。しかし、今は絹の冠(純)が使われる。これは倹約のためであり、私も世間に従おう。
昔は目上の人に拝礼するときは一段低い場所から行うのが礼であった。今では高い場所から拝礼するのが普通になっているが、これは礼を軽んじる行為だ。
私は世間と違おうとも、本来の礼に従って低い位置から拝礼する。」

子罕第九・四

白文

子絕四:「毋意,毋必,毋固,毋我。」

書き下し文

つをつ。「おもうことく、かならずすること毋く、くすること毋く、すること毋し。」

日本語訳

孔子は四つのことを避けていた。
「独断しない」「断言しない」「頑固にならない」「自己中心にならない」。

子罕第九・五

白文

子畏於匡。曰:「文王既沒,文不在茲乎?
天之將喪斯文也,後死者,不得與於斯文也。
天之未喪斯文也,匡人其如予何?」

書き下し文

子、きょうにておそる。曰く、
文王ぶんおうすでぼつすといえども、ぶんここらずや?
てんまさ斯文しぶんほろぼさんとすれば、のちする者、斯文にあずかるをざらん。
天、いまだ斯文を喪ぼさざれば、匡人きょうひとわれ如何いかんせん?」

日本語訳

孔子は匡の地で危険に遭遇した。そこで言った。
「文王はすでに亡くなったが、その文化(礼と音楽)はまだ私の中に生きているではないか?
もし天がこの文化を滅ぼすつもりなら、これから生まれてくる者は文化を学ぶことができないだろう。
だが、天はまだ文化を滅ぼしていない。ならば、匡の人々が私をどうしようというのか?(つまり、私はここで死ぬことはない)」

子罕第九・六

白文

大宰問於子貢曰:「夫子聖者與?何其多能也?」
子貢曰:「固天縱之將聖,又多能也。」
子聞之曰:「大宰知我乎!吾少也賤,故多能鄙事。君子多乎哉?不多也!」

書き下し文

大宰たいさい子貢しこううてわく、
夫子ふうし聖者せいじゃか? なん多能たのうなるや?」
子貢、曰く、「もとよりてん、これをしたがえたまいてまさせいならんとし、また多能たのうなり。」
、これを聞きて曰く、
大宰たいさいわれるか!
われわかくしていやしきがゆえに、おお鄙事ひじくせり。
君子くんしおおきか? 多からざるなり!」

日本語訳

大宰が子貢に尋ねた。「あなたの先生(孔子)は聖人ですか? どうしてあんなに多才なのですか?」
子貢は答えた。「天が彼を聖人として生まれさせたのです。そして、多才でもあります。」
孔子はこれを聞いて言った。「大宰は私のことを本当に分かっているのか?
私は若い頃、身分が低かったため、多くの雑務をこなす必要があったのだ。
君子が多芸に秀でているか? いや、そうではない。」

子罕第九・七

白文

牢曰:「子云:『吾不試,故藝。』」

書き下し文

ろう、曰く、「わく、『われこころみられず。ゆえげいあり。』」

日本語訳

牢(孔子の弟子)が言った。「先生(孔子)は、『私は試される機会がなかった。だからこそ、多くの技芸を身につけることになったのだ』とおっしゃっていた。」

子罕第九・八

白文

子曰:「吾有知乎哉?無知也。有鄙夫問於我,空空如也,我扣其兩端而竭焉。」

書き下し文

子曰く、「われるか? 無知むちなり。
鄙夫ひふわれう。ること空空くうくうたるがごとし。
我、両端りょうたんたたきてくす。」

日本語訳

孔子は言った。「私は知識を持っているのか? いや、私は無知である。
ある田舎者が私に質問をした。そのとき、私は空っぽの器のような心で聞いた。
そして、私はその問題の両端を叩いて(=多角的に考えて)、答えを導き出したのだ。」

子罕第九・九

白文

子曰:「鳳鳥不至,河不出圖,吾已矣夫!」

書き下し文

子曰く、「鳳鳥ほうちょういたらず、いださず。われみなん!」

日本語訳

孔子は言った。「鳳凰(聖王の出現を象徴する鳥)は現れず、黄河も聖なる図(河図)を示さない。
この世界にはもう、道を正しく導く聖王が現れないのだろうか。私はもう諦めるしかないのか!」

子罕第九・十

白文

子見齊衰者,冕衣裳者,與瞽者,見之,雖少必作,過之必趨。

書き下し文

斉衰さいすいしゃ冕衣裳べんいしょうしゃ瞽者こしゃを見る。
これをれば、わかきといえどかならち、これをぐればかならはしる。

日本語訳

孔子は**喪服を着た人(斉衰者)、礼装を身につけた人(冕衣裳者)、盲人(瞽者)**に会うと、
たとえ相手が年下であっても必ず立ち上がり、
また、その前を通るときは必ず慎み深く早足で通り過ぎた。

子罕第九・十一

白文

顏淵喟然歎曰:「仰之彌高,鑽之彌堅,瞻之在前,忽焉在後!夫子循循然善誘人:博我以文,約我以禮。欲罷不能,既竭吾才,如有所立卓爾,雖欲從之,末由也已!」

書き下し文

顔淵がんえん喟然きぜんとしてなげいてわく、
あおげばいよいよ高く、きわむればいよいよ堅し。
るにまえり、忽焉こつえんとしてうしろにり。
夫子ふうし循循然じゅんじゅんぜんとしてく人をいざなう。
われひろぶんにし、我をやくしてれいにす。
めんとほっすれどもあたわず。
すでさいくすも、
ちて卓爾たくじたる所有らんがごとし。
これしたがわんとほっすといえども、末由まつゆうなり!」

日本語訳

顔淵は深く嘆息して言った。
「先生(孔子)は仰ぎ見るほどに高く、探求するほどに堅固な存在である。
目の前にいると思えば、ふと後ろにいるような気がする。
先生は一歩ずつ丁寧に教え、人を正しく導いてくださる。
私に広く学問を授け、礼によって私を律してくださる。
やめようと思っても、やめられない。
私の才能をすべて使い果たしても、なおそこに何かがあるかのようだ。
先生について行こうと思っても、到底追いつくことはできない!」

子罕第九・十二

白文

子疾病,子路使門人爲臣。病間,曰:「久矣哉,由之行詐也!無臣而爲有臣,吾誰欺?欺天乎?且予與其死於臣之手也,無寧死於二三子之手乎!且予縱不得大葬,予死於道路乎?」

書き下し文

疾病しっぺいす。子路しろ門人もんじんをしてしんさしむ。
やまいえて曰く、
ひさしきかな、ゆう=子路いつわりをおこなうこと!
しんきにして臣をるとす。
われたれをかあざむかん? てんを欺かんか?
われれ臣のするよりは、
無寧むし二三子にさんし=弟子たちの手に死せんか!
且つ予、たと大葬たいそうざるとも、
予、道路どうろせんや?」

日本語訳

孔子が病に倒れたとき、子路は弟子たちを臣下のように仕えさせた。
病が少し回復すると、孔子は言った。
「なんと長くも、子路は偽りを行っていることか!
私は臣下などいないのに、あたかもいるかのように見せるとは。
私は誰を欺くというのか? 天を欺くのか?
それに、私は家臣に看取られて死ぬよりも、弟子たちに看取られて死ぬ方がよいではないか!
たとえ立派な葬儀ができなかったとしても、私が道端で死ぬようなことはあるまい。」

子罕第九・十三

白文

子貢曰:「有美玉於斯,韞櫝而藏諸?求善賈而沽諸?」
子曰:「沽之哉!沽之哉!我待賈者也!」

書き下し文

子貢しこう、曰く、
美玉びぎょくらば、これを韞櫝うんとく=箱おさむるか?
あきない人をもとめて、これをるか?」
、曰く、
るかな! 沽るかな!
われ賈者こしゃ=買い手を待(ま)つなり!」

日本語訳

子貢が尋ねた。「もし素晴らしい宝石があったなら、それを箱に入れてしまっておくべきでしょうか?
それとも、良い買い手を見つけて売るべきでしょうか?」
孔子は言った。「売るべきだ! 売るべきだ! 私は良い買い手(自分を理解してくれる人)を待っているのだ!」

子罕第九・十四

白文

子欲居九夷。或曰:「陋,如之何?」
子曰:「君子居之,何陋之有?」

書き下し文

九夷きゅういらんとほっす。
あるひとわく、「いやし。これを如何いかん?」
子曰く、「君子くんしらば、なんいやしきことらん?」

日本語訳

孔子は「九夷(辺境の地)に住もう」と考えていた。
ある人が言った。「あんな僻地に住んでどうするのです? みすぼらしくはありませんか?」
孔子は答えた。「そこに君子が住めば、どうしてみすぼらしくなることがあろうか?」

子罕第九・十五

白文

子曰:「吾自衞反魯,然後樂正,雅頌各得其所。」

書き下し文

子曰く、「われえいよりかえりて、しかのちがくただされ、しょう各々おのおのそのところたり。」

日本語訳

孔子は言った。「私は衛から魯へ戻った後に、音楽が正しく整えられ、雅楽や頌歌がそれぞれ本来の位置に収まった。」

子罕第九・十六

白文

子曰:「出則事公卿,入則事父兄,喪事不敢不勉,不爲酒困,何有於我哉?」

書き下し文

子曰く、「ずればすなわ公卿こうけいつかえ、れば則ち父兄ふけいに事う。
喪事そうじえてつとめざることく、さけくるしめらるること無し。
なんわれらんや?」

日本語訳

孔子は言った。「私は外に出れば公卿に仕え、家に入れば父兄に仕える。
葬儀には誠実に努め、酒に溺れることはない。
これ以上、私に何が求められるというのか?」

子罕第九・十七

白文

子在川上曰:「逝者如斯夫!不舍晝夜。」

書き下し文

川上せんじょうりて曰く、
く者はごときかな! 昼夜ちゅうやてず。」

日本語訳

孔子が川のほとりに立ち、言った。
「流れゆく水のように、時は昼も夜も止まることなく過ぎ去っていくのだな。」

子罕第九・十八

白文

子曰:「吾未見好德如好色者也。」

書き下し文

子曰く、「われいまとくこのむこといろを好むがごとき者をざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「私はまだ、美しい女性を好むように徳を好む者を見たことがない。」

子罕第九・十九

白文

子曰:「譬如爲山,未成一簣,止,吾止也!譬如平地,雖覆一簣,進,吾往也!」

書き下し文

子曰く、「たとえば山をつくるがごとし。いま一簣いっきさざるにむは、われ止むなり!
譬えば平地へいちおおうが如し。一簣を覆うといえどすすむは、吾往われゆくなり!」

日本語訳

孔子は言った。「山を築くようなものだ。あと一盛りの土を積めば完成するのにやめてしまうのは、自分の怠慢によるものだ。
また、平らな地面に一盛りの土を積んでも、それを積み続けるなら前進できる。私はそのように進んでいく。」

子罕第九・二十

白文

子曰:「語之而不惰者,其回也與!」

書き下し文

子曰く、「これかたりておこたらざる者は、かい=顔回か!」

日本語訳

孔子は言った。「教えを聞いて怠ることのない者は、やはり顔回だけだな!」

子罕第九・二一

白文

子謂顏淵,曰:「惜乎!吾見其進也,未見其止也!」

書き下し文

子、顔淵がんえんいて曰く、
しいかな! われすすむをるも、いまだ其のむを見ず。」

日本語訳

孔子は顔淵について言った。
「惜しいことだ! 彼が学び続ける姿は見てきたが、その歩みを止めるのを見たことがない。」

子罕第九・二二

白文

子曰:「苗而不秀者,有矣夫!秀而不實者,有矣夫!」

書き下し文

子曰く、「なえにしてひいでざる者、り。
秀でてみのらざる者、有り。」

日本語訳

孔子は言った。「芽は出ても成長しない者がいる。
また、成長しても実を結ばない者もいる。」

子罕第九・二三

白文

子曰:「後生可畏,焉知來者之不如今也?四十、五十而無聞焉,斯亦不足畏也已!」

書き下し文

子曰く、「後生こうせいおそるべし。いずくんぞきたる者のいまかざるを知らんや?
四十しじゅう五十ごじゅうにして無聞むぶんなるは、これまた畏るるにらざるのみ!」

日本語訳

孔子は言った。「若者は恐るべき存在だ。どうして彼らが未来において今より劣ると決めつけられようか?
しかし、40歳や50歳になっても名を成せない者は、もはや恐れるに値しない。」

子罕第九・二四

白文

子曰:「法語之言,能無從乎?改之爲貴。巽與之言,能無說乎?繹之爲貴。說而不繹,從而不改,吾末如之何也已矣!」

書き下し文

子曰く、「法語ほうごこれえば、したがわざらんや? 之をあらたむるをたっとしとす。
そんとして之に言えば、能くよろこばざらんや? 之をえきするを貴しとす。
よろこびて繹せず、従いて改めざるは、われすえ如何いかんともすること無し。」

日本語訳

孔子は言った。「正しい言葉を聞けば、それに従うべきだ。しかし、大切なのはそれを実際に改めることだ。
柔和な言葉で説かれれば、それを喜ぶのは当然だ。しかし、大切なのは深く考えることだ。
もし喜ぶだけで深く考えず、従うだけで改めなければ、私はもうどうしようもない。」

子罕第九・二五

白文

子曰:「主忠信,毋友不如己者,過則勿憚改。」

書き下し文

子曰く、「忠信ちゅうしんしゅとし、不如かざる者をともとするかれ。
あやまてばすなわあらたむることをはばかかれ。」

日本語訳

孔子は言った。「忠誠と誠実を大切にし、自分より劣る者を友とするな。
過ちを犯したなら、それを改めることを恐れるな。」

子罕第九・二六

白文

子曰:「三軍可奪帥也,匹夫不可奪志也。」

書き下し文

子曰く、「三軍さんぐんすいうばうべし。
匹夫ひっぷこころざしを奪うべからず。」

日本語訳

孔子は言った。「大軍でさえ将を失うことがあるが、一介の士(志を持つ者)の決意を奪うことはできない。」

子罕第九・二七

白文

子曰:「衣敝縕袍,與衣狐貉者立,而不恥者,其由也與!
『不忮不求,何用不臧?』子路終身誦之。
子曰:「是道也,何足以臧?」

書き下し文

子曰く、「ころもやぶれたる縕袍うんぽうて、ころも狐貉こかくる者とち、しかじざる者は、ゆう=子路か!
そねまずもとめず、なんもっからざらん?』」
子路しろ終身しゅうしんこれをしょうす。
子曰く、「みちや、なんもっしとするにらん?」

日本語訳

孔子は言った。「ボロボロの麻の服を着ていても、豪華な毛皮の服を着た者と並んで立ち、恥じることがない者、それは子路ではないか!
『人を妬まず、むやみに求めず、それでどうして良くないことがあろうか?』」
子路はこの言葉を生涯にわたって唱え続けた。
孔子は言った。「だが、その考えだけで十分だと言えるだろうか?」

子罕第九・二八

白文

子曰:「歲寒,然後知松柏之後凋也。」

書き下し文

子曰く、「としさむくして、しかのち松柏しょうはくのちしぼむをるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「冬の寒さが厳しくなって初めて、松や柏が最後まで枯れないことを知る。
(=困難な時にこそ、人の真価が分かる。)」

子罕第九・二九

白文

子曰:「知者不惑,仁者不憂,勇者不懼。」

書き下し文

子曰く、「知者ちしゃまどわず、仁者じんしゃうれえず、勇者ゆうしゃおそれず。」

日本語訳

孔子は言った。「知恵のある者は迷わず、仁のある者は心を悩ませず、勇気のある者は恐れない。」

子罕第九・三十

白文

子曰:「可與共學,未可與適道;可與適道,未可與立;可與立,未可與權。」

書き下し文

子曰く、「ともまなぶべきも、いまみちかなうべからず。
道に適うべきも、未だつべからず。
立つべきも、未だけんあずかるべからず。」

日本語訳

孔子は言った。「共に学ぶことはできるが、道に適うことができるとは限らない。
道に適うことができる者も、まだ独立できるとは限らない。
独立できる者も、まだ大事を任されるほどの実力があるとは限らない。」

子罕第九・三一

白文

「唐棣之華,偏其反而;豈不爾思?室是遠而。」
子曰:「未之思也,夫何遠之有?」

書き下し文

唐棣とうていはなひとえにる。
あになんじを思わざらんや? しつとおきにあり。」
子曰く、「いまだこれを思わず。なんぞ遠きことのらん?」

日本語訳

詩の一節:
「唐棣の花は風に揺れ、あちこちになびく。
どうしてあなたのことを思わないことがあろうか?
ただ、家が遠く離れているのだ。」
孔子は言った。「思ってもいないのに、どうして遠いなどと言えようか?
(=心があれば、距離は問題にならない。)」

郷党第十

郷党第十・一

白文

孔子於鄉黨,恂恂如也,似不能言者。其在宗廟朝廷,便便言,唯謹爾。

書き下し文

孔子こうし郷党きょうとういて、恂恂じゅんじゅんとしてじょたり、あたわざる者にたり。
宗廟そうびょう朝廷ちょうていれば、便便べんべんとしてい、ただつつしむのみ。

日本語訳

孔子は故郷の村にいるときは、非常に慎み深く、まるで口下手な人のようであった。
しかし、宗廟(祖先を祀る場)や朝廷にいるときは、流暢に話し、ただ慎み深く振る舞った。

郷党第十・二

白文

朝與下大夫言,侃侃如也;與上大夫言,誾誾如也。君在,踧踖如也,與與如也。

書き下し文

ちょうにて下大夫かたいふえば、侃侃かんかんとしてじょたり。
上大夫じょうたいふと言えば、誾誾ぎんぎんとして如たり。
きみいませば、踧踖しゅくせきとして如たり、与与よよとして如たり。

日本語訳

孔子は、下級の大夫(官僚)と話すときは率直であり、上級の大夫と話すときは慎み深かった。
君主の前では、礼儀正しく緊張しながらも、穏やかに落ち着いていた。

郷党第十・三

白文

君召使擯,色勃如也,足躩如也。揖所與立,左右手,衣前後,襜如也。趨進,翼如也。賓退,必復命,曰:「賓不顧矣。」

書き下し文

きみしてひんたらしむれば、いろぼつとして如たり、あしかくとして如たり。
ゆうするところつに、左右さゆうし、ころも前後ぜんごせんとして如たり。
はしりてすすむこと、よくの如し。
ひん退しりぞけば、かなら復命ふくめいし、わく、「賓、不顧かえりみず。」

日本語訳

君主が孔子を召し出し、儀礼の案内役を務めさせると、孔子は顔色を正し、慎重に歩いた。
挨拶するときは、手を左右に広げ、衣服の前後が整っているようにし、
進むときは、まるで翼を広げた鳥のように優雅に動いた。
賓客が退出すると、必ず君主に報告し、「賓客は満足して帰りました。」と告げた。

郷党第十・四

白文

入公門,鞠躬如也,如不容。立不中門,行不履閾。過位,色勃如也,足躩如也,其言似不足者。攝齊升堂,鞠躬如也,屛氣似不息者。出,降一等,逞顏色,怡怡如也。沒階趨進,翼如也。復其位,踧踖如也。

書き下し文

公門こうもんるとき、鞠躬きっきゅうとして如たり、不容ふようなるが如し。
つに中門ちゅうもんけ、おこなうにしきいまず。
くらいぐれば、いろぼつとして如たり、あしかくとして如たり。
そのことば不足ふそくなるごとし。
さいおさめ、どうのぼれば、鞠躬きっきゅうとして如たり、いきおさめてやすまずるが如し。
でて、一等いっとうくだり、顏色がんしょくべ、怡怡いいとして如たり。
きざはしえてすすむに、よくの如し。
くらいかえれば、踧踖しゅくせきとして如たり。

日本語訳

孔子は公の門をくぐるとき、深々とお辞儀をし、まるで身体を縮めるように慎ましく振る舞った。
立つときは正門の中央には立たず、門の敷居も踏まなかった。
地位のある者の前を通るときは、顔色を正し、慎重に歩いた。
話すときは言葉を少なくし、静かに振る舞った。
儀礼の場では、息を殺すようにして慎み深く振る舞い、
退出するときには、一段階ずつ降り、表情を和らげて、穏やかに微笑んだ。
階段を降りるときは、羽ばたく鳥のように優雅に歩き、
元の位置に戻ると、再び礼儀正しく慎重な態度を取った。

郷党第十・五

白文

執圭,鞠躬如也,如不勝。上如揖,下如授,勃如戰色,足蹜蹜如有循。享禮,有容色。私覿,愉愉如也。

書き下し文

けいるとき、鞠躬きっきゅうとしてじょたり、不勝えざるがごとし。
げるはゆうするが如く、くだすはさずくるが如し。
ぼつとして戦色せんしょくの如く、あし蹜蹜しゅくしゅくとしてしたが者有るが如し。
享礼きょうれいには、容色ようしょくり。
私覿してきには、愉愉ゆゆとして如たり。

日本語訳

孔子が儀礼の際に圭(けい=玉の笏)を持つときは、慎み深く、まるで重すぎて持ちきれないような態度をとった。
圭を持ち上げるときは、軽く礼をするような仕草で、下ろすときは、人に渡すような仕草で行った。
表情は厳しく、戦いに臨むような緊張感があり、足元は慎重で、一歩一歩確認しながら進むようであった。
正式な儀礼の場では、落ち着いた表情で臨んだが、私的な場では、和やかに振る舞った。

郷党第十・六

白文

君子不以紺緅飾,紅紫不以爲褻服;當暑,袗絺綌,必表而出之。
緇衣羔裘,素衣麑裘,黃衣狐裘。褻裘長,短右袂。(必有寢衣,長一身有半。)
狐貉之厚以居。去喪,無所不佩。非帷裳,必殺之。羔裘玄冠,不以弔。吉月,必朝服而朝。

書き下し文

君子くんし紺緅こんしゅうってかざらず。紅紫こうしを以って褻服せっぷくさず。
あつきにたりては、しんとして絺綌ちげきかならひょうしてこれをだす。
緇衣しいには羔裘こうきゅう素衣そいには麑裘げいきゅう黄衣こういには狐裘こきゅう
褻裘せっきゅうながく、右袂うゆうみじかし。(必ず寢衣しんいち、けは一身のなかば有り。)
狐貉こかくあつきは、ってきょす。
りては、びざる所無し。
帷裳いしょうあらざるは、かならぐ。
羔裘こうきゅう玄冠げんかん、これを以ってとむらわず。
吉月きつげつには、必ず朝服ちょうふくしてちょうす。

日本語訳

君子は紺や深紅の色で飾ることはせず、紅や紫を普段着として着ることはしなかった。
夏には薄い麻の衣を着るが、下着をつけてから着用した。
黒い服には子羊の毛皮の上着、白い服には子鹿の毛皮の上着、黄色い服には狐の毛皮の上着を合わせた。
普段着の毛皮の上着は丈が長く、右袖は短めだった。(寝るときは、身体の半分を覆う長さの寝巻きを着た。)
厚手の狐や貉の毛皮の上着は、家の中で着用した。
喪が明けると、どんな装飾品でも身につけるようになった。
正装以外の服は、必ず簡素に整えた。
子羊の毛皮の上着に黒い冠をつけるときは、弔問には行かなかった。
吉日には、必ず正式な礼服を着て朝廷に出仕した。

郷党第十・七

白文

齊,必有明衣,布。齊必變食,居必遷坐。

書き下し文

さいすれば、かなら明衣めいいち、ぬのたり。
斉すれば、必ずしょくえ、きょすれば、必ずうつす。

日本語訳

斎戒(祭祀などの前に身を清めること)をするときは、必ず白い衣を着て、それは麻布で作られていた。
また、食事の内容を変え(肉などを避け)、座る場所も変えて心を清めた。

郷党第十・八

白文

食不厭精,膾不厭細。食饐而餲,魚餒而肉敗,不食。
色惡不食,臭惡不食。失飪不食,不時不食。
割不正不食,不得其醬不食。肉雖多,不使勝食氣。
唯酒無量,不及亂。沽酒市脯不食。
不撤薑食,不多食。
祭于公,不宿肉。祭肉不出三日,出三日,不食之矣。
食不語,寢不言。
雖疏食菜羹瓜祭,必齊如也。

書き下し文

しょくせいいとわず、なますほそきを厭わず。
しょくえてあいするもの、うおえてにくやぶるるものはわず。
いろしきをわず。におい悪しきを食わず。
えをうしなえるものを食わず。ときならざるものを食わず。
ることただしからざるものを食わず。しょうざるものを食わず。
にくおおくといえども、しょくまさえしめず。
たださけのみ無量むりょうなり、みだるるにおよばず。
沽酒(こしゅ=市販の酒)、市脯(しほ=市場の干し肉)はわず。
しょうがしょくらず。おおわず。
こうまつるには、にく宿とどめず。
祭肉さいにくは三日をでず。三日を出ずれば、食わざるなり。
しょくにはかたらず。しんにはわず。
疏食そし菜羹さいこううりさいいえども、かならさいするがごとし。

日本語訳

孔子は食事に関して極めて慎重であり、以下のような規則を守っていた。
米は精白され、肉や魚の膾(なます)は細かく刻まれたものを好んだ。
食べ物が腐ったり酸っぱくなったりしたものは食べず、魚が傷んだり肉が腐ったものも口にしなかった。
色や見た目が悪いもの、悪臭がするものは食べなかった。
正しく調理されていないもの、季節外れの食材は食べなかった。
肉を切るときに正しく切られていないものは食べなかった。醬(しょう=調味料)が適切でない場合も食べなかった。
肉が多くても、主食より多くなることはなかった。
酒だけは制限しなかったが、決して酔いが過ぎることはなかった。
市場で買った酒や干し肉は食べなかった。
食卓から生姜を取り除くことはなかったが、大量には食べなかった。
公(公的な場)での祭祀では、その肉を翌日まで持ち越すことはなかった。
祭祀の供え物の肉は、三日以内に食べた。それを過ぎたものは口にしなかった。
食事中には話さず、寝る前にも無駄な会話をしなかった。
たとえ質素な食事(米飯、菜の汁、瓜)であっても、常に祭祀を行うように敬意をもって食した。

郷党第十・九

白文

席不正不坐。

書き下し文

せきただしからざれば、らず。

日本語訳

孔子は、座布団や席がきちんと整えられていないと、そこに座らなかった。

郷党第十・十

白文

鄉人飮酒,杖者出,斯出矣。鄉人儺,朝服而立於阼階。

書き下し文

郷人きょうじん飲酒いんしゅすれば、杖者じょうしゃづれば、すなわち出づ。
郷人きょうじん朝服ちょうふくして阼階そかいつ。

日本語訳

村人たちが宴会で酒を飲むとき、年長者が席を立てば、それに従って孔子も立ち去った。
また、村の儺(鬼払いの儀式)では、正装をして阼階(君主が立つ壇)に立った。

郷党第十・十一

白文

問人於他邦,再拜而送之。康子饋藥,拜而受之,曰:「丘未達,不敢嘗。」

書き下し文

ひと他邦たほうえば、再拝さいはいしてこれをおくる。
康子こうしくすりおくる。はいしてこれをけ、わく、
きゅう=孔子いまたっせず、えてめず。」

日本語訳

孔子は他国に使者を派遣するとき、二度拝礼して見送った。
あるとき、康子が薬を贈った。孔子は拝礼して受け取ったが、
「私はこの薬についてまだ詳しく理解していない。だから、軽々しく試すことはしない。」と言った。

郷党第十・十二

白文

廄焚,子退朝,曰:「傷人乎?」不問馬。

書き下し文

うまやく。ちょうより退しりぞきてわく、
ひとそこなうか?」
うまわず。

日本語訳

孔子の馬小屋が火事になった。
孔子が朝廷から帰ると、まず「人は無事か?」と尋ねたが、馬のことは聞かなかった。

郷党第十・十三

白文

君賜食,必正席先嘗之。君賜腥,必熟而薦之。君賜生,必畜之。
侍食於君,君祭,先飯。疾,君視之,東首,加朝服拖紳。君命召,不俟駕行矣。

書き下し文

きみしょくたまえば、かならせきただし、ずこれをむ。
君、なまものを賜えば、必ずじゅくしてこれをすすめる。
君、なまを賜えば、必ずやしなう。
君に侍食じしょくすれば、君、まつるに、めしす。
やまいすれば、君、これをるに、東首とうしゅし、朝服ちょうふくくわえ、しんく。
君、めいしてせば、たずしてくなり。

日本語訳

君主から食事を賜ると、必ず席を正してからまず一口味わった。
生肉を賜ったときは、必ず火を通してから供えた。
生きた動物を賜ったときは、育てて大切にした。
君主と食事を共にするとき、君主が祭祀をするときは、先に食事をとることが許された。
病気になり、君主が見舞いに来るときは、東の方角に頭を向け、朝服を着て、礼儀を守って対応した。
君主が召し出すときは、馬車の用意を待たずにすぐに駆けつけた。

郷党第十・十四

白文

入太廟,每事問。

書き下し文

太廟たいびょうれば、毎事ことごとう。

日本語訳

孔子は宗廟(祖先を祀る神聖な場所)に入ると、すべてのことについて詳しく尋ねた。
(=礼法を慎重に学び、決して知ったかぶりをしなかった。)

郷党第十・十五

白文

朋友死,無所歸,曰:「於我殯。」朋友之饋,雖車馬,非祭肉,不拜。

書き下し文

朋友ほうゆうして、するところければ、わく、「われいてひんせん。」
朋友ほうゆうおくるもの、車馬しゃばいえども、祭肉さいにくあらざれば、はいせず。

日本語訳

孔子は、友人が亡くなり、葬儀を執り行う者がいない場合、「私のもとで仮埋葬しよう」と言った。
また、友人からの贈り物は、たとえ馬車であっても、祭祀の肉でなければ拝礼して受け取らなかった。

郷党第十・十六

白文

寢不尸,居不容。見齊衰者,雖狎必變。
見冕者與瞽者,雖褻必以貌。凶服者式之。式負版者。
有盛饌,必變色而作。迅雷,風烈,必變。

書き下し文

しんするにせず、きょするにようせず。
斉衰さいすいれば、るといえどかならへんず。
冕者べんしゃ瞽者こしゃを見れば、せついえども必ずぼうってす。
凶服者きょうふくしゃにはしょくす。
負版者ふはんしゃには式す。
盛饌せいせんれば、必ずいろへんじてつ。
迅雷じんらい風烈ふうれつあれば、必ず変ず。

日本語訳

孔子は寝るときは伸び伸びとせず、普段の居住でもだらしなくしなかった。
喪服を着た人に会うと、たとえ親しい間柄でも表情を改めた。
冠をかぶった高貴な人や盲人に会うと、普段着であっても礼儀正しく接した。
喪服を着た人や、罪人のように刑罰の札を背負った人には敬意を示した。
立派な料理が出ると、表情を改め、きちんと席を立った。
雷鳴や強風が吹くと、必ず態度を正した。

郷党第十・十七

白文

升車,必正立,執綏。車中不內顧,不疾言,不親指。

書き下し文

くるまのぼれば、かならただしくち、すいる。
車中しゃちゅうにしてうちかえりみず、疾言しつげんせず、みずかゆびささず。

日本語訳

孔子は馬車に乗るとき、必ず正しい姿勢で立ち、手すりをしっかり握った。
車中では周囲を振り返らず、大声を出さず、他人を直接指さすこともしなかった。
(=礼儀を重んじ、慎み深く振る舞った。)

郷党第十・十八

白文

色斯擧矣,翔而後集。曰:「山梁雌雉,時哉時哉!」
子路共之,三嗅而作。

書き下し文

いろここぐれば、かけりてのちつどう。
わく、「山梁さんりょう雌雉しちときなるかな、時なるかな!」
子路しろこれきょうす。たびぎてつ。

日本語訳

孔子は、雌の雉(キジ)が飛び立ち、しばらく舞ったあと地面に降りる様子を見て、
「あの雉が梁(はし)の上で羽ばたき、舞った後に着地するように、時が巡るのだ。時が来たのだ!」と詠んだ。
子路が近づいて一緒にその雉を見た。
すると雉は三回匂いを嗅ぎ、警戒して飛び立った。
(※ これは孔子が「時機を見極め、行動することの大切さ」を象徴的に述べたものと解釈される。)

先進第十一

先進第十一・一

白文

子曰:「先進於禮樂,野人也;後進於禮樂,君子也。如用之,則吾從先進。」

書き下し文

子曰く、「礼楽れいがくさきんじてすすむは、野人やじんなり。礼楽におくれて進むは、君子くんしなり。
これをもちうるに、すなわわれ先進せんしんしたがわん。」

日本語訳

孔子は言った。「礼や音楽を先に学んだ者は、野人(地方の素朴な人々)であり、
礼や音楽を後から学んだ者こそ、君子である。
もし誰かを用いるなら、私は先に学んだ者(野人)を選ぶだろう。」

先進第十一・二

白文

子曰:「從我於陳蔡者,皆不及門也。」德行:顏淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語:宰我、子貢。政事:冉有、季路。文學:子游、子夏。

書き下し文

子曰く、「われしたがいて陳蔡ちんさいおもむびし者は、みなもんおよばず。」
徳行とくこうには、顔淵がんえん閔子騫びんしけん冉伯牛ぜんぱくぎゅう仲弓ちゅうきゅう
言語げんごには、宰我さいが子貢しこう
政事せいじには、冉有ぜんゆう季路きろ
文学ぶんがくには、子游しゆう子夏しか

日本語訳

孔子は言った。「私と共に陳や蔡の国を旅した者たちは、まだ真の門弟(高弟)には及ばない。
徳のある者は、顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。
言葉に秀でた者は、宰我、子貢。
政治に優れた者は、冉有、季路。
学問に秀でた者は、子游、子夏である。」

先進第十一・三

白文

子曰:「回也,非助我者也!於吾言,無所不說。」

書き下し文

子曰く、「かい=顔回や、われたすくる者にあらざるなり!
ことばいて、よろこばざるところ無し。」

日本語訳

孔子は言った。「顔回は、私を助ける者ではない!(議論の相手にはならない)
なぜなら、彼は私の言葉をすべて喜んで受け入れてしまうからだ。」

先進第十一・四

白文

子曰:「孝哉,閔子騫!人不間於其父母昆弟之言。」

書き下し文

子曰く、「こうなるかな、閔子騫びんしけん
ひと父母ふぼ昆弟こんていことばかんせず。」

日本語訳

孔子は言った。「閔子騫はなんと孝行な人物だろう!
彼の言動に対して、誰も父母や兄弟からの非難を挟むことがないほどである。」

先進第十一・五

白文

南容三復《白圭》,孔子以其兄之子妻之。

書き下し文

南容なんようたび《白圭はっけい》をふくす。
孔子こうしけいってこれにめあわす。

日本語訳

南容は、『白圭(詩経の一節)』の句を三度繰り返して吟じた。
孔子は、彼の人柄を認め、自分の兄の娘を彼に嫁がせた。

先進第十一・六

白文

季康子問:「弟子孰爲好學?」孔子對曰:「有顏回者好學,不幸短命死矣。今也則亡。」

書き下し文

季康子きこうしう、「弟子ていしたれがくこのむ?」
孔子こうしこたえてわく、「顔回がんかいなるものありて、学をこのみしが、不幸ふこうにして短命たんめいせり。
いますなわし。」

日本語訳

季康子が尋ねた。「弟子の中で、誰が最も学問を愛していましたか?」
孔子は答えた。「顔回という者がいた。彼は学問を何よりも愛していたが、不幸にも短命で亡くなってしまった。
今では、彼に匹敵する者はいない。」

先進第十一・七

白文

顏淵死,顏路請子之車以爲之槨。子曰:「才不才,亦各言其子也。鯉也死,有棺而無槨。吾不徒行以爲之槨,以吾從大夫之後,不可徒行也。」

書き下し文

顔淵がんえんす。顔路がんろくるまいてこれをかくさしむ。
子曰く、「さい不才ふさいも、またおのおのうなり。
せし時、かんありて槨無し。
われ徒行とかしてこれを槨と為さず。
吾、大夫たいふのちしたがうをって、徒行すべからず。」

日本語訳

顔淵が亡くなったとき、顔路(顔淵の父)は孔子に「先生の馬車を譲っていただき、それで槨(棺を収める外箱)を作りたい」と頼んだ。
孔子は言った。「親は誰でも、自分の子について語るものだ。
私の息子(孔鯉)が亡くなったときも、棺は用意したが槨は作らなかった。
私は身分上、大夫の列に従っているため、軽々しく馬車を手放して歩くわけにはいかないのだ。」

先進第十一・八

白文

顏淵死,子曰:「噫!天喪予!天喪予!」

書き下し文

顔淵がんえんす。わく、「ああてんわれうしなえり! 天、予を喪えり!」

日本語訳

顔淵が亡くなったとき、孔子は嘆いて言った。
「ああ! 天は私を見捨てたのか! 天は私を見捨てたのか!」
(=最も優れた弟子を失った悲しみを表現している。)

先進第十一・九

白文

顏淵死,子哭之慟。從者曰:「子慟矣!」曰:「有慟乎?非夫人之爲慟而誰爲?」

書き下し文

顔淵がんえんす。、これをこくしていたむ。
従者じゅうしゃわく、「いたみたまう。」
曰く、「慟みるか? の人のために慟まずして、たれの為に慟まん?」

日本語訳

顔淵が亡くなったとき、孔子は悲しみのあまり激しく泣いた。
弟子たちは「先生、あまりにも深く悲しまれています」と言った。
孔子は答えた。「悲しまないことがあろうか? 彼のために泣かずして、誰のために泣くというのか?」

先進第十一・十

白文

顏淵死,門人欲厚葬之。子曰:「不可。」門人厚葬之。
子曰:「回也,視予猶父也,予不得視猶子也;非我也,夫二三子也。」

書き下し文

顔淵がんえんす。門人もんじん厚葬こうそうせんとほっす。
わく、「ならず。」
門人、厚葬す。
子曰く、「かい=顔回や、われることなおちちのごとし。
予、これを視ることなおのごとくするをず。
われあらず、二三子にさんしなり。」

日本語訳

顔淵が亡くなったとき、弟子たちは盛大な葬儀を行おうとした。
孔子は「それは良くない」と止めたが、弟子たちは結局厚葬した。
孔子は言った。「顔回は私を父のように慕っていたが、私は彼を息子のように見てやることができなかった。
(=彼をもっと支えてやりたかったのに、それができなかった。)
これは私の意思ではなく、お前たち弟子の判断である。」

先進第十一・十一

白文

季路問事鬼神。子曰:「未能事人,焉能事鬼?」
「敢問死?」曰:「未知生,焉知死?」

書き下し文

季路きろ鬼神きしんつかうるをう。
わく、「いまひとつかうることあたわずして、いずくんぞを事えん?」
えてう。」
曰く、「いましょうらずして、いずくんぞらん?」

日本語訳

季路が「鬼神を敬うべきでしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「まだ生きている人間をしっかり敬うこともできていないのに、どうして鬼神を敬えようか?」
続いて「では、死後のことについて教えてください」と聞くと、
孔子は言った。「生きることすら十分に理解していないのに、どうして死のことを知ることができようか?」

先進第十一・十二

白文

閔子侍側,誾誾如也;子路,行行如也;冉有、子貢,侃侃如也。子樂。
「若由也,不得其死然!」

書き下し文

閔子びんしそばして、誾誾ぎんぎんとしてじょたり。
子路しろ行行こうこうとして如たり。
冉有ぜんゆう子貢しこう侃侃かんかんとして如たり。
、楽しむ。
ゆう=子路や、の死をざるしかるかな!」

日本語訳

閔子騫は慎み深く、穏やかな態度で孔子のそばに仕えていた。
子路は活発で行動力があり、
冉有と子貢は議論好きで理路整然としていた。
孔子はその様子を見て楽しんでいたが、ふとこう言った。
「しかし、子路はおそらく不遇な死を遂げるだろう」
(※実際に子路は政変に巻き込まれて惨殺されている

先進第十一・十三

白文

魯人爲長府。閔子騫曰:「仍舊貫,如之何?何必改作?」
子曰:「夫人不言,言必有中。」

書き下し文

魯人ろひと長府ちょうふつくる。
閔子騫びんしけんわく、「旧貫きゅうかん=昔のやり方じょうせば、これを如何いかん
なんかなら改作かいさくせん?」
わく、「の人、わずといえども、えばかならあたる。」

日本語訳

魯の国で、新しい行政機関(長府)を作る計画が持ち上がった。
それに対し、閔子騫は言った。「従来の制度を引き継げば良いのではないか?
なぜ新しく作り直す必要があるのか?」
孔子はその意見を聞いてこう言った。
「彼は普段多くを語らないが、一言発すれば的を射ている。」

先進第十一・十四

白文

子曰:「由之瑟,奚爲於丘之門?」門人不敬子路。子曰:「由也升堂矣,未入於室也!」

書き下し文

子曰く、「ゆう=子路しつなんすれぞきゅう=孔子の門にいて?」
門人もんじん子路しろけいせず。
子曰く、「由や、たかどののぼれり、いましつらず!」

日本語訳

孔子は言った。「子路が瑟(しつ=弦楽器)を弾くのを聞いて、私の門下で何をしているのか?」
弟子たちは子路をあまり敬わなかった。
孔子は言った。「子路はすでに大きな道を進んでいるが、まだ完成には至っていないのだ。」
(=子路は学問を修めつつあるが、まだ君子の域には達していない。)

先進第十一・十五

白文

子貢問:「師與商也孰賢?」子曰:「師也過,商也不及。」曰:「然則師愈與?」子曰:「過猶不及。」

書き下し文

子貢しこうう、「し=子張しょう=子夏いずれかけんなる?」
わく、「師はぎ、商はおよばず。」
曰く、「しからばすなわまされるか?」
子曰く、「ぎたるは、なおおよばざるがごとし。」

日本語訳

子貢が尋ねた。「子張(師)と子夏(商)では、どちらが優れていますか?」
孔子は答えた。「子張は行き過ぎるところがあり、子夏は少し足りないところがある。」
子貢はさらに聞いた。「では、行き過ぎた子張のほうが優れているということですか?」
孔子は答えた。「いや、行き過ぎるのも、足りないのも同じように問題だ。」
(=「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という有名な言葉のもと。)

先進第十一・十六

白文

季氏富於周公,而求也爲之聚斂而附益之。子曰:「非吾徒也!小子鳴鼓而攻之,可也。」

書き下し文

季氏きし周公しゅうこうよりもむ。
しかしてきゅう=冉求、これがために聚斂しゅうれん=税の徴収し、これに附益ふえきす。
わく、「ともがらあらざるなり!
小子しょうしつづみならしてこれをむるも、なり。」

日本語訳

季氏(権力を持った大夫の家)が、かつての聖王・周公よりも裕福になった。
そして、弟子の冉求がその財産をさらに増やすために重税を課していた。
これを聞いた孔子は言った。「彼はもう私の弟子ではない!
諸君よ、太鼓を鳴らして非難するがよい!」
(=冉求の行為は、儒家の理念に反するものであると強く批判。)

先進第十一・十七

白文

柴也愚,參也魯,師也辟,由也喭。

書き下し文

さいなり、しん=曾参なり、
し=子張へきなり、ゆう=子路げんなり。

日本語訳

孔子は弟子たちの特徴を述べた。
「柴(子羔)は愚直であり、曾参は質朴で純粋であり、
子張は偏屈であり、子路は荒々しい。」
(=それぞれの性格を端的に表している。)

先進第十一・十八

白文

子曰:「回也其庶乎,屢空。賜不受命,而貨殖焉;億則屢中。」

書き下し文

子曰く、「かい=顔回ちかからんしばしばくうなり。
し=子貢めいけずして、貨殖かしょくす。
おくすればすなわしばしばたる。」

日本語訳

孔子は言った。「顔回は道に最も近づいているが、いつも貧しい。
子貢は私の教えに従わず、商売に精を出している。
しかし、彼の予測はよく当たるものだ。」
(=子貢は商才に優れていたことを示している。)

先進第十一・十九

白文

子張問「善人」之道。子曰:「不踐跡,亦不入於室。」

書き下し文

子張しちょう、「善人ぜんじんの道」をう。
子曰く、「あとまずんば、またしつらず。」

日本語訳

子張が「善人の道とは何ですか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「正しい道を踏まなければ、決してその奥深い境地に達することはできない。」
(=基礎を踏み固めずに大成することはありえない。)

先進第十一・二十

白文

子曰:「論篤是與,君子者乎?色莊者乎?」

書き下し文

子曰く、「ろんあつきはともか、君子くんしなる者か、いろそうなる者か?」

日本語訳

孔子は言った。「学問を熱心に論じる者は、本当に君子なのか?
それともただ真面目な顔をしているだけの者なのか?」
(=見せかけではなく、真の君子であるかが重要。)

先進第十一・二一

白文

子路問:「聞斯行諸?」子曰:「有父兄在,如之何其聞斯行之?」
冉有問:「聞斯行諸?」子曰:「聞斯行之。」
公西華曰:「由也問:『聞斯行諸?』子曰:『有父兄在。』
求也問:『聞斯行諸?』子曰:『聞斯行之。』赤也惑,敢問。」
子曰:「求也退,故進之;由也兼人,故退之。」

書き下し文

子路しろう、「きてこれおこなうべきか?」
わく、「父兄ふけいれば、これを如何いかんぞ聞きて斯を行わん?」
冉有ぜんゆう、問う、「聞きて斯を行うべきか?」
子、曰わく、「聞きて斯を行うべし。」
公西華こうせいか、曰わく、「ゆう=子路や問う、『聞きて斯を行うべきか?』と。
、曰わく、『父兄在れば、これを如何ぞ聞きて斯を行わん?』と。
きゅう=冉求や問う、『聞きて斯を行うべきか?』と。
子、曰わく、『聞きて斯を行うべし。』と。
せき=公西華まどう。えて問う。」
子、曰わく、「きゅう=冉求退しりぞく、ゆえすすむる。
ゆう=子路兼人けんじん、故に退しりぞく。」

日本語訳

子路が尋ねた。「物事を聞いたら、すぐに実行すべきでしょうか?」
孔子は答えた。「父や兄がいるのに、どうして勝手に行動するのか? 相談するべきだ。」
次に冉有が同じ質問をした。「聞いたら、すぐに実行すべきですか?」
孔子は答えた。「聞いたら、すぐに実行せよ。」
公西華は不思議に思い、孔子に尋ねた。
「子路が聞いたときは『父兄がいるのだから、すぐに行動すべきではない』と答え、
冉求が聞いたときは『すぐに行動せよ』と答えました。私は混乱しています。」
孔子は答えた。
「冉求は慎重すぎるので、前進するように勧めた。
子路は勇猛すぎるので、慎重になるように促したのだ。」

先進第十一・二二

白文

子畏於匡,顏淵後。子曰:「吾以女爲死矣!」
曰:「子在,回何敢死?」

書き下し文

きょうにておそる。顔淵がんえんおくる。
子、わく、「われなんじってせんとおもえり!」
曰く、「います。かいなんえて死せん?」

日本語訳

孔子が匡(きょう)の地で危険に遭遇したとき、顔淵は遅れて到着した。
孔子は言った。「お前が死んでしまったのかと思ったぞ!」
顔淵は答えた。「先生がいらっしゃるのに、私が死ぬわけがありません。」

先進第十一・二三

白文

季子然問:「仲由、冉求可謂大臣與?」
子曰:「吾以子爲異之問,曾由與求之問?
所謂大臣者,以道事君,不可則止。今由與求也,可謂具臣矣。」
曰:「然則從之者與?」
子曰:「弒父與君,亦不從也。」

書き下し文

季子然きしぜんう、「仲由ちゅうゆう=子路冉求ぜんきゅう大臣たいしんうべきか?」
わく、「われってなるをうかとおもいしが、
すなわゆうきゅううか?
所謂いわゆる大臣とは、みちってきみつかえ、
不可ふかなればすなわむ。
いまゆうきゅうは、具臣ぐしんうべし。」
曰く、「しからばすなわちこれにしたがうか?」
子、曰わく、「ちちきみしいすとも、また従わざるなり。」

日本語訳

季子然が尋ねた。「仲由(子路)と冉求は大臣と呼べるでしょうか?」
孔子は答えた。「君はもっと特別なことを尋ねるのかと思ったが、結局は子路と冉求のことか。
本当の大臣とは、道義をもって君主に仕え、道義に反すれば辞職するものである。
しかし、子路と冉求は単なる従属する家臣にすぎない。」
季子然はさらに聞いた。「では、君主に忠実に従う者なのですね?」
孔子は答えた。「たとえ君主が父や王を殺しても、決して従ってはならない。」

先進第十一・二四

白文

子路使子羔爲費宰。子曰:「賊夫人之子。」
子路曰:「有民人焉,有社稷焉;何必讀書,然後爲學?」
子曰:「是故惡夫佞者。」

書き下し文

子路しろ子羔しこうをしてさいす。
わく、「夫人ふじんそこなえり。」
子路、わく、「民人みんじんり、社稷しゃしょく有り。
なんかならずしもしょみて、しかのちがくすをもとめん?」
わく、「ここもとねいにくむなり。」

日本語訳

子路は子羔を費(ひ)の国の宰相に任命した。
これを聞いた孔子は、「お前はこの人を台無しにしたな。」と批判した。
子路は反論した。「国には民がいて、社稷(国家)を支えるものがある。
なぜ必ずしも書物を読んで学問を積まなければならないのですか?
実務に励むことで十分学ぶことができるではありませんか。」
孔子は言った。「だから私は、口先だけがうまい者を嫌うのだ。」

先進第十一・二五

白文

子路、曾皙、冉有、公西華侍坐。子曰:「以吾一日長乎爾,毋吾以也。居則曰:『不吾知也。』如或知爾,則何以哉?」
子路率爾而對,曰:「千乘之國,攝乎大國之閒,加之以師旅,因之以饑饉,由也爲之,比及三年,可使有勇,且知方也。」夫子哂之。
「求,爾何如?」對曰:「方六七十,如五六十,求也爲之,比及三年,可使足民;如其禮樂,以俟君子。」
「赤,爾何如?」對曰:「非曰能之,願學焉!宗廟之事,如會同,端章甫,願爲小相焉。」
「點,爾何如?」鼓瑟希,鏗爾,舍瑟而作;對曰:「異乎三子者之撰。」
子曰:「何傷乎?亦各言其志也。」
曰:「莫春者,春服既成。冠者五六人,童子六七人。浴乎沂,風乎舞雩,詠而歸。」
夫子喟然歎曰:「吾與點也!」
三子者出,曾皙後。曾皙曰:「夫三子者之言何如?」
子曰:「亦各言其志也已矣。」
曰:「夫子何哂由也?」
曰:「爲國以禮,其言不讓,是故哂之。」
「唯求則非邦也與?」
「安見方六七十,如五六十,而非邦也者?」
「唯赤則非邦也與?」
「宗廟會同,非諸侯而何?赤也爲之小,孰能爲之大?」

書き下し文

子路しろ曾皙そうせき冉有ぜんゆう公西華こうせいか侍坐じざす。
わく、「われ一日いちじつなんじちょうたり。んぞ吾をてせんや。
ればすなわわく、『吾を者無し』と。
あるいはなんじ者有らば、すなわいかにかせん?」
子路、率爾そつじとしてこたえてわく、
千乗せんじょうの国、大国たいこくかんせっし、これに師旅しりょを加え、これに饑饉ききんす。
ゆう=子路、これをす。して三年さんねんおよばんか、
かならゆうり、ほうらしむべし。」
夫子ふうし、これをわらう。
きゅうなんじ何如いかん?」
対えてわく、「ほう六七十ろくしちじゅうしくは五六十ごろくじゅう
きゅう、これをす。比して三年に及ばんか、
必ずたみらしむべし。
礼楽れいがく君子くんしちてたん。」
せきなんじ何如いかん?」
対えてわく、「くするをわず、まなばんことをねがう。
宗廟そうびょうこと会同かいどうごとし。
章甫しょうほただし、ねがわくは小相しょうしょうらん。」
てんなんじ何如いかん?」
しつつことまれにして、鏗爾こうじたり。
瑟をきてちて、対えてわく、「三子さんしせんことなり。」
わく、「なんそこなわんや? またおのおのこころざしえり。」
わく、「莫春ぼくしゅん春服しゅんぷくすでる。
かんするもの五六人ごろくにん童子どうし六七人ろくしちにん
み、舞雩ぶうき、みてかえる。」
夫子ふうし喟然きぜんとしてなげいてわく、「われてんともなわん!」
三子さんしづ。曾皙そうせきおくる。
曾皙曰く、「三子さんしこと何如いかん?」
子曰く、「またおのおのの志を言えり。」
曰く、「夫子ふうしなんゆう=子路わらいたまいし?」
曰く、「くにおさむるにれいってす。
ことばゆずることし。ここってこれを哂う。」
ただきゅうのみすなわほうあらざるか?」
いずくんぞほう六七十ろくしちじゅうしくは五六十ごろくじゅうて、邦にあらざるをらん?」
ただせきのみすなわち邦にあらざるか?」
宗廟そうびょう会同かいどう諸侯しょこうあらずしてなんぞ?
せき、これをしょうす。たれくこれをだいさん?」

日本語訳

子路、曾皙(そうせき)、冉有、公西華が、孔子のそばに座っていた。
孔子は言った。
「私はお前たちより少し年長なだけだが、それを気にすることはない。
普段、お前たちは『私を理解してくれる人はいない』と言っているが、
もしお前たちを評価してくれる人がいたならば、その人のもとで何をしたいと思うか?」
子路が勢いよく答えた。
「もし私が千台の戦車を持つ国の宰相になり、
その国が大国に挟まれ、戦争に巻き込まれ、さらに飢饉に苦しんでいるような状況ならば、
私は三年のうちにその国を勇敢な兵士で満ち、国の統治の道を知らしめることができます!」
孔子は微笑んで彼の言葉を軽くいなした。
次に冉有が答えた。
「私は、小さな国でも大きな国でも、三年あれば必ず民を豊かにすることができます。
しかし、礼や音楽を整えることは、君子がなすべきことであり、
私はそこまで手を出すつもりはありません。」
公西華が答えた。
「私は、自分が政治を行うほどの才能があるとは思いません。
しかし、宗廟(祖先の祭祀)や諸侯の会合などでは、正式な礼装を整え、
小さな役割であっても、それを学び、しっかりと務めたいと思います。」
最後に曾皙が答えた。
彼は瑟(しつ=琴の一種)をポロンと弾きながら、そしてそれを置いてこう言った。
「私は他の三人とは違います。」
孔子は、「それでいい、思うままに話してごらん。」と言った。
すると曾皙は答えた。
「春の暖かな季節、春服が仕立てられた頃、
五六人の大人と六七人の子供たちと共に、
沂水で沐浴し、舞雩(ぶう=祭壇)の下で涼風に吹かれ、
詩を詠みながら帰る……そんな日々を送りたい。」
孔子は深く感動し、ため息をついて言った。
「私は曾皙と共にありたい!」

三人の弟子が退出したあと、曾皙だけが残り、孔子に尋ねた。
「先生、三人の答えをどう思われますか?」
孔子は答えた。「彼らはそれぞれ、自分の志を述べたのだ。」
曾皙はさらに聞いた。「なぜ子路を笑われたのですか?」
孔子は答えた。「国を治めるには礼が必要だ。
しかし、子路は礼を語らず、自信満々に自分の手腕を誇った。
それが行き過ぎていたので、微笑んだのだ。」
曾皙は続けた。「では、冉有の考えは国のためにならないのでしょうか?」
孔子は答えた。「民を豊かにすることは国の基礎であり、
冉有の考えも立派な国政の一部だ。」
「では、公西華の考えは国政とは関係ないのでしょうか?」
孔子は答えた。「宗廟の儀式や諸侯の会合を取り仕切ることこそ、国政の中心ではないか?
公西華は小さな役割を望んでいるが、それを大きなものとするのは、その人次第なのだ。」

顏淵第十二

顏淵第十二・一

白文

顏淵問「仁」。子曰:「克己復禮爲仁。一日克己復禮,天下歸仁焉,爲仁由己,而由人乎哉?」顏淵曰:「請問其目。」子曰:「非禮勿視,非禮勿聽,非禮勿言,非禮勿動。」顏淵曰:「回雖不敏,請事斯語矣!」

書き下し文

顏淵、仁を問う。子曰く、「己に克ちて禮に復るを仁と為す。一日己に克ちて禮に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而して人に由らんや?」顏淵曰く、「其の目を請う。」子曰く、「禮ならざるものは視ること勿かれ、禮ならざるものは聴くこと勿かれ、禮ならざるものは言うこと勿かれ、禮ならざるものは動くこと勿かれ。」顏淵曰く、「回は敏ならずと雖も、請う斯の語を事とせん!」

日本語訳

顏淵が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「自分の欲望を抑え、礼に従うことが仁である。一日でもそれを実践すれば、天下が仁に満ちる。仁を成すのは自分次第であり、他人に頼るものではない」と答えた。顏淵は「その具体的な要点を教えてください」と尋ねた。孔子は「礼に適わないものを見てはならず、聞いてはならず、言ってはならず、行動してはならない」と述べた。顏淵は「私は愚かですが、この教えを守ることを誓います」と答えた。

顏淵第十二・二

白文

仲弓問「仁」。子曰:「出門如見大賓,使民如承大祭,己所不欲,勿施於人。在邦無怨,在家無怨。」仲弓曰:「雍雖不敏,請事斯語矣!」

書き下し文

仲弓、仁を問う。子曰く、「門を出ずるに大賓を見るが如くし、民を使うに大祭を承くるが如くす。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。邦に在りて怨無く、家に在りて怨無きなり。」仲弓曰く、「雍は敏ならずと雖も、請う斯の語を事とせん!」

日本語訳

仲弓が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「家を出る時には貴賓に会うかのように慎み深くふるまい、人を使う時には重要な祭祀を執り行うように敬意を持つことだ。また、自分がされたくないことを人にしてはならない。国にあっても怨みを買わず、家にあっても怨みを買わないことが大切である」と答えた。仲弓は「私は愚かですが、この教えを守ることを誓います」と答えた。

顏淵第十二・三

白文

司馬牛問「仁」。子曰:「仁者,其言也訒。」曰:「其言也訒,斯謂之『仁』已夫?」子曰:「爲之難,言之得無訒乎!」

書き下し文

司馬牛、仁を問う。子曰く、「仁者は其の言やジンなり。」曰く、「其の言や訒なり、斯れを『仁』と謂うこと已まんや?」子曰く、「これを為すこと難し、言うこと得て訒ならざらんや!」

日本語訳

司馬牛が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「仁者は言葉を慎重に選ぶ」と答えた。司馬牛は「言葉を慎むことが仁なのでしょうか」と聞いた。孔子は「仁を実践することは難しいのだから、慎重に言葉を選ぶのも当然であろう」と答えた。

顏淵第十二・四

白文

司馬牛問「君子」。子曰:「君子不憂不懼。」曰:「不憂不懼,斯謂之『君子』矣夫?」子曰:「內省不疚,夫何憂何懼!」

書き下し文

司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず、懼れず。」曰く、「憂えず、懼れず、斯れを『君子』と謂うこと已まんや?」子曰く、「内に省みてやましからざれば、夫れ何ぞ憂え何ぞ懼れん!」

日本語訳

司馬牛が「君子とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「君子は憂えず、恐れない」と答えた。司馬牛は「憂えず、恐れないことが君子なのでしょうか」と聞いた。孔子は「自らを省みてやましいことがなければ、何を憂え、何を恐れる必要があろうか」と答えた。

顏淵第十二・五

白文

司馬牛憂曰:「人皆有兄弟,我獨亡!」子夏曰:「商聞之矣:『死生有命,富貴在天』君子敬而無失,與人恭而有禮,四海之內,皆兄弟也,君子何患乎無兄弟也!」

書き下し文

司馬牛憂えて曰く、「人皆兄弟有り、我独り亡きのみ!」子夏曰く、「商これを聞けり。『死生は命に有り、富貴は天に在り』と。君子は敬して失うこと無く、人に恭しくして禮あり。四海の内、皆兄弟なり。君子は何ぞ兄弟無きを患えんや!」

日本語訳

司馬牛は嘆いて「他の人には皆兄弟がいるのに、私だけ兄弟がいません!」と言った。子夏は答えた。「私はこう聞いたことがあります。『生死は天命によるものであり、富貴もまた天の定めである』と。君子は慎みを持って過ちを犯さず、人に対しては礼儀正しく接する。そうすれば、天下の人々は皆兄弟のようなものだ。君子は兄弟がいないことを嘆く必要はないのです。」

顏淵第十二・六

白文

子張問「明」。子曰:「浸潤之譖,膚受之愬,不行焉,可謂明也已矣。浸潤之譖,膚受之愬,不行焉,可謂遠也已矣。」

書き下し文

子張、明を問う。子曰く、「浸潤のざん、膚受の、行わざるは、明と謂うべきのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行わざるは、遠と謂うべきのみ。」

日本語訳

子張が「明とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「じわじわと浸透するような中傷や、表面的に受け取った訴えに惑わされず、行動しないことが賢明と言える。また、それらに惑わされないことが、遠大な見識を持つことでもある」と答えた。

顏淵第十二・七

白文

子貢問「政」。子曰:「足食,足兵,民信之矣。」子貢曰:「必不得已而去,於斯三者何先?」曰:「去兵。」子貢曰:「必不得已而去,於斯二者何先?」曰:「去食。自古皆有死,民無信不立。」

書き下し文

子貢、政を問う。子曰く、「食を足らし、兵を足らし、民これを信ず。」子貢曰く、「必ずや已むを得ずして去らば、斯の三者において何をか先にせん?」曰く、「兵を去らん。」子貢曰く、「必ずや已むを得ずして去らば、斯の二者において何をか先にせん?」曰く、「食を去らん。古より皆死有り、民信無くんば立たず。」

日本語訳

子貢が「政治とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「食糧を充実させ、軍備を整え、民の信頼を得ることだ」と答えた。子貢は「もしどうしても何かを捨てるとしたら、まず何を捨てるべきですか?」と尋ねた。孔子は「兵を捨てる」と答えた。子貢はさらに「では、残り二つのうちで捨てるならどちらですか?」と尋ねた。孔子は「食を捨てる。なぜなら、人は古来から皆死ぬものだ。しかし、民の信頼がなければ国家は成り立たない」と答えた。

顏淵第十二・八

白文

棘子成曰:「君子質而已矣,何以文爲?」子貢曰:「惜乎,夫子之說,君子也,駟不及舌!文猶質也,質猶文也;虎豹之鞹,猶犬羊之鞹。」

書き下し文

棘子成曰く、「君子は質のみなり、何ぞ文を為さんや?」子貢曰く、「惜しいかな、夫子の説は君子なり。駟も舌に及ばず!文は猶お質のごとく、質は猶お文のごとし。虎豹のかわごろもは、猶お犬羊の鞹のごとし。」

日本語訳

棘子成が言った。「君子には素朴さがあれば十分だ。何のために飾り(文)を必要とするのか?」子貢は答えた。「惜しいことです。あなたの言葉は君子らしいですが、四頭立ての馬車でも言葉は取り消せません!文(飾り)は本質と同じように重要であり、本質もまた文と共にあるものです。虎や豹の美しい毛皮も、犬や羊の毛皮と同じように、それを持つことで価値が増すのです。」

顏淵第十二・九

白文

哀公問於有若曰:「年饑,用不足,如之何?」有若對曰:「盍徹乎?」曰:「二,吾猶不足,如之何其徹也?」對曰:「百姓足,君孰與不足?百姓不足,君孰與足!」

書き下し文

哀公、有若に問いて曰く、「年饑にして、用足らず。これを如何せん?」有若対えて曰く、「盍ぞ徹せざる?」曰く、「二にして、吾猶ほ足らず。これを如何にしてか徹せん?」対えて曰く、「百姓足らば、君孰れか不足ならん?百姓足らざれば、君孰れか足らん?」

日本語訳

魯の哀公が有若に尋ねた。「今年は飢饉で、財政が不足している。どうすればよいか?」有若は「税を軽減してはどうでしょうか?」と答えた。哀公は「すでに税を二割減らしているが、それでも財政が足りない。どうしてさらに減らせるだろうか?」と反論した。有若は「民が豊かになれば、君主が困ることはない。逆に、民が貧しければ、君主だけが豊かでいられるはずがありません」と答えた。

顏淵第十二・十

白文

子張問「崇德,辨惑。」子曰:「主忠信,徙義:崇德也。愛之欲其生,惡之欲其死;既欲其生,又欲其死:是惑也。」

書き下し文

子張、崇德と辨惑を問う。子曰く、「忠信を主とし、義にうつるは、崇徳なり。之を愛して其の生を欲し、之をにくんで其の死を欲す。既に其の生を欲し、又た其の死を欲す。是れ惑なり。」

日本語訳

子張が「徳を高めることと迷いを区別することについて教えてください」と尋ねた。孔子は「忠義と誠実を基本とし、常に正義に基づいて行動することが徳を高めることだ。人を愛すればその生を願い、人を憎めばその死を願う。しかし、一方で生を望みながら、一方で死を望むような矛盾した考えは迷いである」と答えた。

顏淵第十二・十一

白文

齊景公問「政」於孔子。孔子對曰:「君君,臣臣,父父,子子。」公曰:「善哉!信如君不君,臣不臣,父不父,子不子,雖有粟,吾得而食諸?」

書き下し文

齊の景公、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「君は君たれ、臣は臣たれ、父は父たれ、子は子たれ。」公曰く、「善哉!信ならずんば、君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟有りと雖も、吾れ得てこれを食らわんや?」

日本語訳

斉の景公が孔子に「政治とは何か」と尋ねた。孔子は「君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、父は父らしく、子は子らしくあることだ」と答えた。景公は「素晴らしい!確かに、君主が君主らしくなく、臣下が臣下らしくなく、父が父らしくなく、子が子らしくなければ、どれほど穀物があっても、我々はそれを安心して食べることができるだろうか?」と言った。

顏淵第十二・十二

白文

子曰:「片言可以折獄者,其由也與!」子路無宿諾。

書き下し文

子曰く、「片言もって獄を折るべき者は、其れ由か!」子路は宿諾無し。

日本語訳

孔子は言った。「たった一言で裁きを下せるような人物は、由(子路)ではないか!」子路は翌日に持ち越すような約束をしなかった(すぐに実行する人だった)。

顏淵第十二・十三

白文

子曰:「聽訟,吾猶人也;必也使無訟乎!」

書き下し文

子曰く、「訟を聴くに、吾れ猶お人なり。必ずや訟無からしむるか!」

日本語訳

孔子は言った。「訴訟を裁くことなら、私も他の人と同じようにできる。しかし、最も大切なのは、訴訟が起こらないようにすることだ!」

顏淵第十二・十四

白文

子張問「政」。子曰:「居之無倦,行之以忠。」

書き下し文

子張、政を問う。子曰く、「これにりて倦むこと無く、これを行いて忠を以てす。」

日本語訳

子張が「政治とは何か」と尋ねた。孔子は「政治を行う者は倦むことなく、誠実さをもって実行すべきだ」と答えた。

顏淵第十二・十五

白文

子曰:「博學以文,約之以禮;亦可以弗畔矣夫!」

書き下し文

子曰く、「博く学びて文を以てし、これを約するに禮を以てす。亦た以て畔かざるべきか!」

日本語訳

孔子は言った。「広く学び、文章を通じて知識を深め、それを礼によって統制すれば、道を踏み外すことはないであろう!」

顏淵第十二・十六

白文

子曰:「君子成人之美,不成人之惡。小人反是。」

書き下し文

子曰く、「君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は人の善行を助け、悪行を助けない。小人はその逆を行う。」

顏淵第十二・十七

白文

季康子問「政」於孔子。孔子對曰:「『政』者,正也。子帥以正,孰敢不正?」

書き下し文

季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「『政』は正なり。子、正をもって率いば、孰か敢えて正しからざらん。」

日本語訳

季康子が孔子に「政治とは何か」と尋ねた。孔子は「政治とは正しさである。あなたが正しさをもって人々を率いれば、誰が正しくならないことがあろうか」と答えた。

顏淵第十二・十八

白文

季康子患盜,問於孔子。孔子對曰:「苟子之不欲,雖賞之不竊。」

書き下し文

季康子、盗を患えて孔子に問う。孔子対えて曰く、「いやしくも子これを欲せずんば、賞すと雖もぬすまざらん。」

日本語訳

季康子が孔子に「盗賊が多くて困っている。どうすればよいか」と尋ねた。孔子は「もしあなたが不正を望まなければ、人々もたとえ褒美を与えられたとしても盗みをしないだろう」と答えた。

顏淵第十二・十九

白文

季康子問政於孔子曰:「如殺無道,以就有道,何如?」孔子對曰:「子爲政,焉用殺?子欲善,而民善矣。君子之德,風;小人之德,草;草上之風,必偃。」

書き下し文

季康子、政を孔子に問いて曰く、「無道を殺して有道に就かしむるは如何。」孔子対えて曰く、「子、政を為すに、焉んぞ殺を用いん?子、善を欲せば、民は善ならん。君子の徳は風、小人の徳は草なり。草は風の上にありて、必ずす。」

日本語訳

季康子が「悪人を殺して正しい政治を行うのはどうでしょうか」と尋ねた。孔子は「政治をするのに、なぜ殺す必要があるのか?君主が善を求めれば、民も善を求めるようになる。君子の徳は風のようなものであり、小人の徳は草のようなものだ。風が吹けば、草は自然に靡(なび)く」と答えた。

顏淵第十二・二十

白文

子張問:「士何如斯可謂之『達』矣?」子曰:「何哉,爾所謂『達』者?」子張對曰:「在邦必聞,在家必聞。」子曰:「是『聞』也,非『達』也。夫『達』也者,質直而好義,察言而觀色,慮以下人,在邦必達,在家必達。夫『聞』也者:色取仁而行違,居之不疑。在邦必聞,在家必聞。」

書き下し文

子張問いて曰く、「士は何如なるここをもって『達』と謂うべきか?」子曰く、「何ぞや、なんじの謂う『達』とは?」子張対えて曰く、「邦に在りて必ず聞こえ、家に在りて必ず聞こゆ。」子曰く、「是れ『聞』なり、『達』に非ざるなり。夫れ『達』なる者は、質直にして義を好み、言を察し色を観、おもんばかりて以て人をしたしむ。在邦にして必ず達し、在家にして必ず達す。夫れ『聞』なる者は、色を仁に取りて行いは違い、これに居りて疑わず。在邦にして必ず聞こえ、在家にして必ず聞こゆ。」

日本語訳

子張が「士(立派な人)はどのようであれば『達(成功した人物)』といえますか」と尋ねた。孔子は「君の言う『達』とは何のことか?」と聞き返した。子張は「国にいれば必ずその名が知れ渡り、家にいれば必ず評判が立つことです」と答えた。孔子は「それは『聞(評判が広まること)』であって、『達』ではない。『達』とは、誠実で正直であり、義を重んじ、言葉をよく観察し、人の顔色を読み、周囲に気を配れる人のことだ。こうした人物は国でも家でも成功する。しかし、『聞(評判の立つ人)』とは、見た目は仁徳があるように見せかけるが、実際の行いはそれと違う。そして、その状態に疑問を持たない人のことだ。こうした人は国にいても家にいても評判は立つが、それは本当の『達』ではない」と答えた。

顏淵第十二・二一

白文

樊遲從遊於舞雩之下曰:「敢問崇德,脩慝,辨惑?」子曰:「善哉問!先事後得,非『崇德』與?攻其惡,無攻人之惡,非『脩慝』與?一朝之忿,忘其身以及其親,非『惑』與?」

書き下し文

樊遲、遊びて舞雩の下に従いて曰く、「敢えて崇徳、脩慝しゅうとく、辨惑を問わん。」子曰く、「善き哉、問う!事を先にして得ることを後にするは、『崇徳』に非ずや?その悪を攻めて、人の悪を攻めざるは、『脩慝』に非ずや?一朝の忿いかりにして、その身を忘れ、その親に及ぶは、『惑』に非ずや?」

日本語訳

樊遲が孔子とともに舞雩(雨乞いの祭壇)の下を歩きながら尋ねた。「徳を高めること、悪を正すこと、迷いを見分けることについてお教えください」。孔子は「よい質問だ!まず行動し、利益を後回しにすること、これは『徳を高めること』ではないか?悪いことを正しながらも、人の過ちを責め立てないこと、これは『悪を正すこと』ではないか?一時の怒りに駆られて自分を見失い、さらには親にまで迷惑をかけること、これは『迷い』ではないか?」と答えた。

顏淵第十二・二二

白文

樊遲問「仁」。子曰:「愛人。」問「知」。子曰:「知人。」樊遲未達,子曰:「擧直錯諸枉,能使枉者直。」樊遲退,見子夏曰:「鄉也吾見於夫子而問『知』,子曰:『擧直錯諸枉,能使枉者直』,何謂也?」子夏曰:「富哉言乎!舜有天下,選於眾,擧皋陶,不仁者遠矣。湯有天下,選於眾,擧伊尹,不仁者遠矣。」

書き下し文

樊遲、仁を問う。子曰く、「人を愛す。」知を問う。子曰く、「人を知る。」樊遲達せず。子曰く、「直きを挙げてまがれるにけば、能く枉れる者を直くす。」樊遲退きて、子夏に見えて曰く、「さきに吾れ夫子に見えて知を問えり。子曰く、『直きを挙げて枉れるに錯けば、能く枉れる者を直くす』と。何の謂いぞ?」子夏曰く、「富める哉、言や!舜、天下を有して、衆に選びて皋陶こうようを挙ぐ。不仁なる者は遠ざかれり。湯、天下を有して、衆に選びて伊尹いいんを挙ぐ。不仁なる者は遠ざかれり。」

日本語訳

樊遲が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「人を愛することだ」と答えた。さらに「知とは何でしょうか」と尋ねると、孔子は「人を知ることだ」と答えた。しかし樊遲は理解できなかった。そこで孔子は「正直な人を登用し、曲がった人の上に置けば、曲がった者も正しくなる」と言った。
樊遲は孔子のもとを去り、子夏に尋ねた。「先ほど先生に『知』について尋ねたら、『正直な人を登用し、曲がった人の上に置けば、曲がった者も正しくなる』と言われました。これはどういう意味でしょうか?」子夏は答えた。「これはとても深い言葉だ!舜が天下を治めた時、民の中から賢人を選び、皋陶を用いた。その結果、不正な者たちは遠ざかった。湯王も同様に、民の中から賢人を選び、伊尹を用いた。その結果、不正な者たちは遠ざかったのだ。」

顏淵第十二・二三

白文

子貢問「友」。子曰:「忠吿而善道之,不可則止,毋自辱焉。」

書き下し文

子貢、友を問う。子曰く、「まことをもって告げ、善くこれを導く。しかれども、不可ならば止む。自らはずかしむることなかれ。」

日本語訳

子貢が「友人との関係について教えてください」と尋ねた。孔子は「真心をもって忠告し、善い方向へ導くことが大切だ。しかし、それでも相手が受け入れない場合は、そこでやめるべきだ。無理に続けて自分を辱める必要はない」と答えた。

顏淵第十二・二四

白文

曾子曰:「君子以文會友,以友輔仁。」

書き下し文

曾子曰く、「君子は文をもって友を会し、友をもって仁をたすく。」

日本語訳

曾子は言った。「君子は学問を通じて友を得、友との関係を通じて仁を深めていくものだ。」

子路第十三

子路第十三・一

白文

子路問政。子曰:「先之,勞之。」請益,曰:「無倦。」

書き下し文

子路、政を問う。子曰く、「これに先んじ、これをいたわれ。」すことを請う。曰く、「倦むこと無かれ。」

日本語訳

子路が政治について尋ねた。孔子は「まず自ら先んじて行動し、民を労わることだ」と答えた。子路がさらに問うと、孔子は「決して怠ることなく続けよ」と答えた。

子路第十三・二

白文

仲弓爲季氏宰,問政。子曰:「先有司。赦小過。擧賢才。」曰:「焉知賢才而擧之?」曰:「擧爾所知。爾所不知,人其舍諸?」

書き下し文

仲弓、季氏の宰と為りて、政を問う。子曰く、「先ず有司をして事に当たらしめ、小過を赦し、賢才を挙ぐ。」曰く、「いずくんぞ賢才を知りてこれを挙げん?」曰く、「爾の知る所を挙ぐ。爾の知らざる所を、人其れ諸を捨てんや?」

日本語訳

仲弓が季氏の家宰となり、政治について尋ねた。孔子は「まず役人を適切に配置し、小さな過ちには寛容であり、賢才を登用せよ」と答えた。仲弓は「どうやって賢才を見極め、登用すればよいでしょうか?」と問うた。孔子は「お前が知っている有能な人を推薦すればよい。お前が知らない人物についても、他の人が放っておくわけがない」と答えた。

子路第十三・三

白文

子路曰:「衞君待子而爲政,子將奚先?」子曰:「必也正名乎!」子路曰:「有是哉?子之迂也!奚其正?」子曰:「野哉,由也!君子於其所不知,蓋闕如也。名不正,則言不順;言不順,則事不成;事不成,則禮樂不興;禮樂不興,則刑罰不中;刑罰不中,則民無所措手足。故君子名之必可言也,言之必可行也。君子於其言,無所苟而已矣。」

書き下し文

子路曰く、「衞君、子を待ちて政を為さんとす。子、まさいずれをか先にせん?」子曰く、「必ずや名を正さんか!」子路曰く、「是れ有らんや?子の迂なるや!なんぞそれを正さん?」子曰く、「野なるかな、由や!君子は其の知らざる所において、けだ闕如けつじょたり。名正しからざれば、則ち言順わず。言順わざれば、則ち事成らず。事成らざれば、則ち礼楽興らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中あたらず。刑罰中らざれば、則ち民措手足する所無し。故に君子は名の必ず言うべく、言の必ず行うべきを要す。君子は其の言において、いやしくもする所無し。」

日本語訳

子路が「衛の君主が先生を迎えて政治を行おうとしています。何を最優先されますか?」と尋ねた。孔子は「まず名を正すことだ」と答えた。子路は「そんなことが重要ですか?先生は考えが回りくどいのでは?」と言った。孔子は「子路よ、お前は粗野だな!君子は知らないことについては、軽々しく口を出さないものだ。名が正しくなければ、言葉が通じなくなる。言葉が通じなければ、物事が成り立たない。物事が成り立たなければ、礼楽も興らない。礼楽が興らなければ、刑罰も適切に運用されない。刑罰が適切でなければ、民はどうしてよいかわからなくなる。だから君子は、名が正しく言葉として使われ、それが実際に行動につながるように努めるのだ。君子は言葉を曖昧にしてはならない」と答えた。

子路第十三・四

白文

樊遲請學稼,子曰:「吾不如老農。」請學爲圃,曰:「吾不如老圃。」樊遲出,子曰:「小人哉,樊須也!上好禮,則民莫敢不敬;上好義,則民莫敢不服;上好信,則民莫敢不用情,夫如是,則四方之民,襁負其子而至矣,焉用稼?」

書き下し文

樊遲、を学ばんことを請う。子曰く、「吾れ老農に如かず。」爲圃いほを学ばんことを請う。曰く、「吾れ老圃に如かず。」樊遲出づ。子曰く、「小人なるかな、樊須や!かみ礼を好めば、則ち民敢えて敬せざるし。上義を好めば、則ち民敢えて服せざる莫し。上信を好めば、則ち民敢えて情を用いざる莫し。夫れ是の如くんば、則ち四方の民、おんぶにてその子を負い至らん。焉んぞ稼を用いんや?」

日本語訳

樊遲が「農業を学びたい」と願い出た。孔子は「私は老農には及ばない」と答えた。続いて「園芸を学びたい」と願い出た。孔子は「私は老園芸家には及ばない」と答えた。樊遲が去った後、孔子は言った。「なんと小人物なことよ、樊須よ!君主が礼を重んじれば、民は誰も無礼を働かない。君主が義を重んじれば、民は皆服従する。君主が信を重んじれば、民は誠意を尽くす。このようにすれば、四方の民が幼子を抱えてでも集まってくるのだ。どうして農業を心配する必要があろうか?」

子路第十三・五

白文

子曰:「誦詩三百,授之以政,不達。使於四方,不能專對;雖多,亦奚以爲?」

書き下し文

子曰く、「詩三百をしょうずるも、これを政に授くるに達せず。四方に使いして、能く専ら対えずんば、多しといえども、亦た何を以てかさん?」

日本語訳

孔子は言った。「詩経の三百篇を暗誦していても、それを政治に応用できなければ何の意味もない。各地に使者として派遣されても、自ら判断して対応できないようでは、どれほど知識があっても無用である。」

子路第十三・六

白文

子曰:「其身正,不令而行;其身不正,雖令不從。」

書き下し文

子曰く、「其の身正しければ、れいせずして行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も従わず。」

日本語訳

孔子は言った。「自らが正しくあれば、命令しなくても人々は従う。自らが正しくなければ、命令しても誰も従わない。」

子路第十三・七

白文

子曰:「魯衞之政,兄弟也。」

書き下し文

子曰く、「魯と衞のまつりごとは、兄弟なり。」

日本語訳

孔子は言った。「魯と衛の政治はまるで兄弟のように似ている。」(どちらも混乱しているという意味)

子路第十三・八

白文

子謂衞公子荊,「善居室:始有,曰:『苟合矣;』少有,曰:『苟完矣。』富有,曰:『苟美矣。』」

書き下し文

子、衞の公子荊をいて曰く、「善くしつる。始めて有るときは、曰く『いやしくかなえり』と。少しく有るときは、曰く『苟も完えり』と。富み有るときは、曰く『苟も美なり』と。」

日本語訳

孔子は衛の公子荊について言った。「彼は家計をやりくりするのが上手だ。最初は『何とか暮らしていける』と言い、少し余裕ができると『何とか生活が安定した』と言い、富が増すと『何とか贅沢ができる』と言う。」

子路第十三・九

白文

子適衞,冉有僕。子曰:「庶矣哉!」冉有曰:「既庶矣,又何加焉?」曰:「富之。」曰:「既富矣,又何加焉?」曰:「教之。」

書き下し文

子、衞にき、冉有ぜんゆうぼくたる。子曰く、「おおきかな!」冉有曰く、「既に庶し。又た何をか加えん?」曰く、「これを富ません。」曰く、「既に富めり。又た何をか加えん?」曰く、「これを教えん。」

日本語訳

孔子が衛の国へ向かう途中、冉有が御者を務めていた。孔子は「人口が多い国だな」と言った。冉有が「すでに人口が多いのなら、さらに何を加えるべきでしょうか?」と尋ねた。孔子は「富ませることだ」と答えた。冉有が「すでに富んでいるなら、さらに何を加えるべきでしょうか?」と尋ねると、孔子は「教育を施すことだ」と答えた。

子路第十三・十

白文

子曰:「苟有用我者,期月而已可也,三年有成。」

書き下し文

子曰く、「いやしくも我を用うる者有らば、期月きげつにしてすでに可なり。三年にして成る。」

日本語訳

孔子は言った。「もし私を用いる者がいれば、一か月もすれば目に見える成果が現れる。三年もあれば大きな成果を上げられる。」

子路第十三・十一

白文

子曰:「『善人爲邦百年,亦可以勝殘去殺矣。』誠哉是言也。」

書き下し文

子曰く、「善人、邦をおさむること百年なれば、亦た以て残虐をめ、殺戮を去るべし。」誠なるかな、是の言や。

日本語訳

孔子は言った。「善人が百年間国を治めれば、残虐な行為を無くし、殺戮をなくすことができるだろう。」これはまことに正しい言葉である。

子路第十三・十二

白文

子曰:「如有王者,必世而後仁。」

書き下し文

子曰く、「もし王者有らば、必ず世をりて後に仁ならん。」

日本語訳

孔子は言った。「もし真の王者が現れたとしても、少なくとも三十年(=一世代)を経なければ、仁の政治を完全に実現することはできない。」

子路第十三・十三

白文

子曰:「苟正其身矣,於從政乎何有?不能正其身,如正人何?」

書き下し文

子曰く、「いやしくも其の身を正しくせば、政に従うに何かあらん。其の身を正しくすることあたわずして、人を正しくすること如何いかんせん?」

日本語訳

孔子は言った。「自らを正すことができれば、政治を行うのに何の問題があろうか?自分を正すこともできずに、どうして他人を正すことができるだろうか?」

子路第十三・十四

白文

冉子退朝,子曰:「何晏也?」對曰:「有政。」子曰:「其事也!如有政,雖不吾以,吾其與聞之!」

書き下し文

冉子、ちょうより退しりぞく。子曰く、「何ぞおそきや?」対えて曰く、「政有り。」子曰く、「其れつかうるのみ!し政有らば、吾をもってせずといえども、吾れ其れこれを聞くにあずからん。」

日本語訳

冉子が朝廷から戻ってくるのが遅れた。孔子は「なぜこんなに遅いのか?」と尋ねた。冉子は「政治の仕事があったからです」と答えた。孔子は「それはただの業務にすぎない!もし本当に政治が行われているならば、私が関与していなくても、きっとその話を耳にすることになるはずだ」と言った。

子路第十三・十五

白文

定公問:「一言而可以興邦,有諸?」孔子對曰:「言不可以若是其幾也!人之言曰:『爲君難,爲臣不易』。如知爲君之難也,不幾乎一言而興邦乎?」曰:「一言而喪邦,有諸?」孔子對曰:「言不可以若是其幾也!人之言曰:『予無樂乎爲君,唯其言而莫予違也。』如其善而莫之違也,不亦善乎?如不善而莫之違也,不幾乎一言而喪邦乎?」

書き下し文

定公問いて曰く、「一言をもって邦を興すべきこと有るか?」孔子対えて曰く、「言は以て若是かくのごとくとすべからず。人の言に曰く、『君たるは難しく、臣たるは易からず』と。し君たるの難きを知れば、ほとんど一言をもって邦を興すに非ざらんや?」曰く、「一言をもって邦をうしなうこと有るか?」孔子対えて曰く、「言は以て若是のごとく幾とすべからず。人の言に曰く、『我、君たるを楽しまず、ただその言にして我をたがうことからしめん』と。しその善くしてこれを違うこと莫らば、亦た善からずや?し善からずしてこれを違うこと莫らば、幾ど一言をもって邦を喪うに非ざらんや?」

日本語訳

魯の定公が「たった一言で国を興すことができますか?」と尋ねた。孔子は「言葉とはそんなに単純なものではありません。しかし、人々の言葉に『君主の務めは難しく、臣下の務めも容易ではない』というものがあります。もし君主が自らの務めの難しさを理解すれば、それはほとんど一言で国を興すことに等しいでしょう」と答えた。
定公はさらに「では、一言で国を滅ぼすことはありますか?」と尋ねた。孔子は「同じく、言葉は単純ではありません。しかし、『私は君主の職を楽しむことはない。ただ、私の言葉に誰も逆らわないようにしたい』と言う者がいます。もしその言葉が善であり、誰も逆らわなければ、それは素晴らしいことです。しかし、もしその言葉が誤っていて、誰も逆らわなければ、それは一言で国を滅ぼすことにもなりかねません」と答えた。

子路第十三・十六

白文

葉公問政。子曰:「近者說,遠者來。」

書き下し文

葉公、政を問う。子曰く、「近き者説よろこび、遠き者来たる。」

日本語訳

葉公が政治について尋ねた。孔子は「近くの民が喜び、遠くの民が寄ってくるような政治を行うべきだ」と答えた。

子路第十三・十七

白文

子夏爲莒父宰,問政。子曰:「無欲速,無見小利。欲速,則不達;見小利,則大事不成。」

書き下し文

子夏、莒父きょほの宰と為りて、政を問う。子曰く、「すみやかならんことを欲すること無かれ、小利を見ること無かれ。速やかならんと欲すれば、則ち達せず。小利を見れば、則ち大事成らず。」

日本語訳

子夏が莒父の宰(地方の長官)となり、政治について尋ねた。孔子は「急ぎすぎることなく、目先の小さな利益を追い求めてはならない。急ぎすぎると成果は得られず、小さな利益ばかりを気にすると大きな事業は成し遂げられない」と答えた。

子路第十三・十八

白文

葉公語孔子曰:「吾黨有直躬者,其父攘羊,而子證之。」孔子曰:「吾黨之直者異於是,父爲子隱,子爲父隱,直在其中矣。」

書き下し文

葉公、孔子に語りて曰く、「吾が党に直躬ちょくきゅうなる者有り。その父、羊をぬすみしに、子これを証す。」孔子曰く、「吾が党の直なる者は是に異なり。父は子のために隠し、子は父のために隠す。なおきことその中に在り。」

日本語訳

葉公が孔子に話した。「私の郷里には正直な者がいて、その父が羊を盗んだ際、息子が父の罪を告発しました。」孔子は言った。「私の郷里の正直さはこれとは異なる。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠す。その中にこそ真の正直さがある。」

子路第十三・十九

白文

樊遲問仁。子曰:「居處恭,執事敬,與人忠。雖之夷狄,不可棄也。」

書き下し文

樊遲、仁を問う。子曰く、「居処きょしょに恭しく、事をるに敬し、人与ともに忠なり。夷狄いてきくと雖も、これを棄つべからず。」

日本語訳

樊遲が「仁とは何でしょうか」と尋ねた。孔子は「普段の生活では謙虚にふるまい、職務には敬意を払い、人には誠実であれ。たとえ未開の異民族の地に行こうとも、この態度を捨ててはならない」と答えた。

子路第十三・二十

白文

子貢問曰:「何如斯可謂之『士』矣?」子曰:「行己有恥,使於四方,不辱君命;可謂『士』矣。」曰:「敢問其次。」曰:「宗族稱孝焉,鄉黨稱弟焉。」曰:「敢問其次。」曰:「言必信,行必果,硜硜然,小人哉,抑亦可以爲次矣。」曰:「今之從政者何如?」子曰:「噫!斗筲之人,何足算也!」

書き下し文

子貢問いて曰く、「何如いかなるここをもって『士』と謂うべきか?」子曰く、「己を行うに恥有り、四方に使いして君命を辱めざれば、『士』と謂うべし。」曰く、「敢えて其次を問わん。」曰く、「宗族、これを称して孝とし、郷党、これを称してていとす。」曰く、「敢えて其次を問わん。」曰く、「言必ず信あり、行必ず果たし、硜硜然こうこうぜんたり。小人なるかな、そもそも亦た以て次と為すべし。」曰く、「今の政に従う者は何如いかん?」子曰く、「噫!斗筲としょうの人、何ぞかぞうるに足らんや!」

日本語訳

子貢が「どのような人を『士』(立派な人物)と呼べますか?」と尋ねた。孔子は「自らの行動を恥じる心を持ち、どこへ派遣されても君主の命を汚さない者こそ『士』と呼べる」と答えた。

子路第十三・二一

白文

子曰:「不得中行而與之,必也狂狷乎:狂者進取,狷者有所不爲也。」

書き下し文

子曰く、「中行を得てこれにくみせざれば、必ずや狂狷きょうけんなるか。狂者は進取し、狷者はなす所有らざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「理想的な中庸の道を行く者と共に歩むことができなければ、せめて『狂者』か『狷者』を選ぶべきだ。狂者は進んで物事を成し遂げようとし、狷者は道に外れたことをしない。」

子路第十三・二二

白文

子曰:「南人有言曰:『人而無恆,不可以作巫醫』。「善夫!『不恆其德,或承之羞』」子曰:「不占而已矣。」

書き下し文

子曰く、「南人に言有り。曰く、『人としてつね無くんば、もって巫医をすべからず』と。善きかな!『その徳を恒にせずんば、或いはこれをはずかしめん』と。」子曰く、「うらなわざるのみ。」

日本語訳

孔子は言った。「南の国の人々の言葉に、『人に一貫した信念がなければ、巫医(呪術師や医者)になることはできない』というものがある。これは良い言葉だ!『もし徳が一貫しなければ、いつか必ず恥をかくことになる』というのもまた真理だ。」そしてさらに、「私は占いはしない。ただ真理を学ぶだけだ」と言った。

子路第十三・二三

白文

子曰:「君子和而不同,小人同而不和。」

書き下し文

子曰く、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は調和を大切にするが、何でも同調するわけではない。小人はただ迎合するだけで、真の調和を持たない。」

子路第十三・二四

白文

子貢問曰:「鄉人皆好之,何如?」子曰:「未可也。」「鄉人皆惡之,何如?」子曰:「未可也。不如鄉人之善者好之,其不善者惡之。」

書き下し文

子貢問いて曰く、「郷人皆これを好むは、何如いかん?」子曰く、「未だ可ならず。」曰く、「郷人皆これをにくむは、何如?」子曰く、「未だ可ならず。郷人の善なる者はこれを好み、その不善なる者はこれをにくむにかず。」

日本語訳

子貢が尋ねた。「郷里の人々全員がある人物を好むのは良いことでしょうか?」孔子は「そうとは限らない」と答えた。子貢がさらに「では、郷里の人々全員がある人物を嫌うのはどうでしょう?」と尋ねた。孔子は「それもまた良いこととは限らない。その人物が善人から好かれ、悪人から嫌われるのが最も理想的だ」と答えた。

子路第十三・二五

白文

子曰:「君子易事而難說也;說之不以道,不說也;及其使人也,器之。小人難事而易說也。說之雖不以道,說也;及其使人也,求備焉。」

書き下し文

子曰く、「君子はつかえやすくしてよろこばしがたし。これを説くに道をもってせずんば、説ばざるなり。其の人を使うに及びては、これをとす。小人は事え難くして説ばし易し。これを説くに道をもってせずといえども、説ぶなり。其の人を使うに及びては、備わるを求む。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は仕えるのが容易だが、機嫌を取るのは難しい。道理に基づいて諭されなければ納得しない。また、君子は人を登用する際、それぞれの特性に応じた役割を与える。一方、小人は仕えるのが難しく、機嫌を取るのは簡単である。道理に合わないことでも喜ぶ。しかし、人を使う際には、完全無欠を求めてしまう。」

子路第十三・二六

白文

子曰:「君子泰而不驕;小人驕而不泰。」

書き下し文

子曰く、「君子はたいにしておごらず。小人は驕りて泰ならず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子はゆったりとして落ち着いているが、傲慢ではない。小人は傲慢だが、心に余裕がない。」

子路第十三・二七

白文

子曰:「剛毅木訥,近仁。」

書き下し文

子曰く、「剛毅ごうきにして木訥ぼくとつなるは、仁に近し。」

日本語訳

孔子は言った。「剛毅でありながら、質素で口数が少ない人は、仁の道に近い。」

子路第十三・二八

白文

子路問曰:「何如斯可謂之『士』矣?」子曰:「切切偲偲、怡怡如也,可謂『士』矣。朋友切切偲偲,兄弟怡怡。」

書き下し文

子路問いて曰く、「何如いかなるここをもって『士』と謂うべきか?」子曰く、「切切偲偲せっせつしし怡怡如いいじょたり。これを『士』と謂うべし。朋友に対しては切切偲偲たり、兄弟に対しては怡怡たり。」

日本語訳

子路が尋ねた。「どのような人を『士』(立派な人物)と呼ぶことができますか?」孔子は「心を込めて他人を思いやり、穏やかに接することができる者こそ、『士』と呼べる。友人には親身に接し、兄弟には和やかに接するのがよい」と答えた。

子路第十三・二九

白文

子曰:「善人教民七年,亦可以卽戎矣。」

書き下し文

子曰く、「善人、民を教うること七年なれば、亦た以ていくさくべし。」

日本語訳

孔子は言った。「善良な指導者が七年間民を教育すれば、戦に臨むことも可能になる。」

子路第十三・三十

白文

子曰:「以不教民戰,是謂棄之。」

書き下し文

子曰く、「民を教えずして戦わせるは、これを棄つると謂う。」

日本語訳

孔子は言った。「民に教育を施さずに戦わせるのは、彼らを見捨てるのと同じことだ。」

憲問第十四

憲問第十四・一

白文

憲問「恥」。子曰:「邦有道,穀;邦無道,穀,恥也。」

書き下し文

憲、恥を問う。子曰く、「邦に道有れば、かくす。邦に道無くとも、穀すは、恥なり。」

日本語訳

憲(子路)が「恥とは何ですか?」と尋ねた。孔子は「国に道(正しい政治)があるなら、穀物(生計)を得ることは問題ない。しかし、国に道がないのに、それでも穀物を得ようとするのは恥である」と答えた。

憲問第十四・二

白文

「克、伐、怨、欲,不行焉,可以爲仁矣?」子曰:「可以爲難矣,仁則吾不知也。」

書き下し文

こくばつえんよく、これを行わざれば、もって仁と為すべきか?」子曰く、「もって難しと為すべきなり。仁は則ち吾れ知らざるなり。」

日本語訳

「自分を抑え、他人を誇らず、恨みを持たず、欲望を抑える。これらを実践すれば仁者になれるでしょうか?」と尋ねた。孔子は「それは確かに難しいことだ。しかし、それだけで仁とは言えない」と答えた。

憲問第十四・三

白文

子曰:「士而懷居,不足以爲士矣!」

書き下し文

子曰く、「士にしておもえば、もって士と為すに足らざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「士(立派な人物)でありながら安穏とした生活を求める者は、士とは言えない。」

憲問第十四・四

白文

子曰:「邦有道,危言危行;邦無道,危行言孫。」

書き下し文

子曰く、「邦に道有れば、危言きげん危行きこうす。邦に道無ければ、危行きこうことばしたがう。」

日本語訳

孔子は言った。「国に正しい道があるときは、正直に言い、正しく行動する。国に道がないときは、行動は正しくあっても、言葉は慎重にするべきだ。」

憲問第十四・五

白文

子曰:「有德者必有言,有言者不必有德。仁者必有勇,勇者不必有仁。」

書き下し文

子曰く、「徳有る者は必ず言有り。言有る者は必ずしも徳有らず。仁者は必ず勇有り。勇者は必ずしも仁有らず。」

日本語訳

孔子は言った。「徳のある者は、必ず適切な言葉を持つ。しかし、言葉を持つ者が必ずしも徳があるとは限らない。仁者は必ず勇気を持つ。しかし、勇者が必ずしも仁者とは限らない。」

憲問第十四・六

白文

南宮适問於孔子曰:「羿善射,奡盪舟,俱不得其死然。禹稷躬稼而有天下。」夫子不答。南宮适出,子曰:「君子哉若人!尙德哉若人!」

書き下し文

南宮适なんきゅうかつ、孔子に問いて曰く、「羿げいは射をくし、ごうは舟をうごかすに善くすれど、ともに其の死を得ず。禹・う・しょくは身をもってし、天下を有す。」夫子ふうし、答えず。南宮适出ず。子曰く、「君子なるかな、くの人!徳をたっとぶかな、若くの人!」

日本語訳

南宮适が孔子に尋ねた。「羿(伝説の名射手)と奡(伝説の船乗り)はそれぞれの技を極めたが、不幸な死を遂げました。しかし、禹(治水の王)と稷(農業の神)は自ら働き、天下を得ました。」孔子は何も答えなかった。南宮适が去った後、孔子は言った。「この人こそ君子だ!この人こそ徳を尊ぶ者だ!」

憲問第十四・七

白文

子曰:「君子而不仁者有矣夫!未有小人而仁者也!」

書き下し文

子曰く、「君子にして仁ならざる者有り。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「君子でありながら仁でない者もいる。しかし、小人でありながら仁である者は見たことがない。」

憲問第十四・八

白文

子曰:「愛之,能勿勞乎?忠焉,能勿誨乎?」

書き下し文

子曰く、「これを愛して、能くつかわざらんや。これにまことを尽くして、能くおしえざらんや。」

日本語訳

孔子は言った。「人を愛するならば、その人のために労を惜しまずに尽くすべきだ。人に忠義を尽くすならば、その人に正しく教え導くべきだ。」

憲問第十四・九

白文

子曰:「爲命,裨諶草創之,世叔討論之,行人子羽脩飾之,東里子產潤色之。」

書き下し文

子曰く、「命を為すに、裨諶ひしんは草創し、世叔せいしゅくは討論し、行人子羽こうじんしうは修飾し、東里子產とうりしさん潤色じゅんしょくす。」

日本語訳

孔子は言った。「命令を作る際には、裨諶が草案を作り、世叔が議論し、外交官の子羽が表現を整え、東里子產がより良く仕上げた。」

憲問第十四・十

白文

或問子產,子曰:「惠人也。」問子西。曰:「彼哉彼哉!」問管仲。曰:「人也,奪伯氏騈邑三百,飯疏食,沒齒,無怨言。」

書き下し文

あるひと子產を問う。子曰く、「けいなる人なり。」子西を問う。曰く、「かな、彼の哉!」管仲を問う。曰く、「人なり。伯氏の騈邑へんゆう三百を奪われ、疏食そしくらい、没齒ぼっしに至るも、怨言無し。」

日本語訳

ある人が子產について尋ねた。孔子は「思いやりのある人物だ」と答えた。子西について尋ねると、「あの人か…」と答えた。管仲について尋ねると、「立派な人物だった。伯氏の領地三百を奪われ、粗末な食事をしながら生涯を終えたが、一言も恨みを言わなかった」と答えた。

憲問第十四・十一

白文

子曰:「貧而無怨,難;富而無驕,易。」

書き下し文

子曰く、「貧しくして怨み無きはかたし。富みておごらざるはやすし。」

日本語訳

孔子は言った。「貧しくても不満を抱かないことは難しい。しかし、富んでいても傲慢にならないことは比較的容易である。」

憲問第十四・十二

白文

子曰:「孟公綽,爲趙、魏老則優,不可以爲滕、薛大夫。」

書き下し文

子曰く、「孟公綽もうこうしゃくは、趙・魏のろうたるにおいては優なれども、滕・薛の大夫たいふたるにおいては可ならず。」

日本語訳

孔子は言った。「孟公綽は、趙や魏のような大国の年長の賢者としては優れているが、滕や薛のような小国の大夫(政府高官)としては適していない。」

憲問第十四・十三

白文

子路問成人。子曰:「若臧武仲之知,公綽之不欲,卞莊子之勇,冉求之藝,文之以禮樂,亦可以爲成人矣!」曰:「今之成人者,何必然?見利思義,見危授命,久要不忘平生之言,亦可以爲成人矣!」

書き下し文

子路、成人を問う。子曰く、「臧武仲ぞうぶちゅう公綽こうしゃく不欲ふよく卞莊子べんそうしの勇、冉求ぜんきゅうげい、これをかざるに礼楽を以てすれば、亦た以て成人と為すべし!」曰く、「今の成人者、何ぞ必ずしも然らんや?利を見て義を思い、危うきを見て命を授け、久要きゅうようにして平生の言を忘れざれば、亦た以て成人と為すべし!」

日本語訳

子路が「成人(理想的な人物)とはどのような人でしょうか?」と尋ねた。孔子は「臧武仲の知恵、公綽の欲の少なさ、卞莊子の勇気、冉求の技芸、これらを礼楽で磨き上げれば、まさに理想的な成人といえるだろう」と答えた。
さらに続けて「しかし、現代において成人であるために、それほど完璧である必要はない。利益を見ても義を考え、危険を前にしても命を捧げることができ、長く交わした約束を忘れないならば、それもまた成人といえる」と述べた。

憲問第十四・十四

白文

子問公叔文子於公明賈,曰:「信乎?夫子不言不笑不取乎?」公明賈對曰:「以吿者過也!夫子時然後言,人不厭其言;樂然後笑,人不厭其笑;義然後取,人不厭其取。」子曰:「其然!豈其然乎?」

書き下し文

子、公叔文子を公明賈に問いて曰く、「まことなるか?夫子それがしは言わず、笑わず、取らずと?」公明賈対えて曰く、「これを告ぐる者、過ちなり!夫子は時をもってして然る後に言い、人その言を厭わず。楽をもってして然る後に笑い、人その笑を厭わず。義をもってして然る後に取り、人その取りを厭わず。」子曰く、「其れ然るか!あに其れ然らんや?」

日本語訳

孔子が公叔文子について、公明賈に尋ねた。「本当か?彼は決して言葉を発さず、笑わず、何も受け取らなかったというのは?」
公明賈は答えた。「それを言った者が間違っています。公叔文子は、適切な時に話すので、人々は彼の言葉を嫌がりません。適切な時に笑うので、人々は彼の笑いを嫌いません。正当な理由で物を受け取るので、人々は彼の受け取りを嫌いません。」
孔子は「なるほど、そうだったのか!だが、果たして本当にそうだったのか?」と感嘆した。

憲問第十四・十五

白文

子曰:「臧武仲以防,求爲後於魯,雖曰不要君,吾不信也。」

書き下し文

子曰く、「臧武仲ぞうぶちゅう、防を以て、魯にあとを為さんことを求む。君をもとめずとうといえども、われ信ぜず。」

日本語訳

孔子は言った。「臧武仲は城壁を築いて、魯での地位を確保しようとした。彼が『君主の座は求めない』と言ったとしても、私は信じない。」

憲問第十四・十六

白文

子曰:「晉文公譎而不正,齊桓公正而不譎。」

書き下し文

子曰く、「晋の文公はけつにして正しからず。斉の桓公は正しくして譎ならず。」

日本語訳

孔子は言った。「晋の文公は策略に長けていたが、公正ではなかった。斉の桓公は公正であったが、策略を用いることはなかった。」

憲問第十四・十七

白文

子路曰:「桓公殺公子糾,召忽死之,管仲不死。」曰:「未仁乎?」子曰:「桓公九合諸侯,不以兵車,管仲之力也。如其仁!如其仁!」

書き下し文

子路曰く、「桓公、公子糾を殺し、召忽しょうこつはこれがために死し、管仲かんちゅうは死せず。未だ仁ならざるか?」子曰く、「桓公は九たび諸侯を合し、兵車を以てせず。管仲の力なり。その仁なること如何!その仁なること如何!」

日本語訳

子路が尋ねた。「斉の桓公は、公子糾を殺しました。召忽は忠義を貫いて死にましたが、管仲は生き延びました。これは仁ではないのでは?」
孔子は答えた。「桓公は九度も諸侯をまとめ上げたが、戦争によるのではなく、外交で成し遂げた。これは管仲の力によるものだ。彼の仁について、どう考えるべきか?彼の仁について、どう考えるべきか!」

憲問第十四・十八

白文

子貢曰:「管仲非仁者與?桓公殺公子糾,不能死,又相之。」子曰:「管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下,民到于今受其賜;微管仲,吾其被髮左衽矣!豈若匹夫匹婦之爲諒也,自經於溝瀆,而莫之知也!」

書き下し文

子貢曰く、「管仲は仁者にあらざるか?桓公、公子糾を殺し、管仲は死することあたわず、またこれをたすく。」子曰く、「管仲、桓公をたすけ、諸侯をし、一たび天下をただす。民、今に至るまでそのたまものを受く。くんば管仲、吾れ其れ被髮ひはつ左衽さじんせん!あに匹夫匹婦ひっぷひっぷまことを為して、自ら溝瀆こうとくくびるるがごときにかんや?」

日本語訳

子貢が尋ねた。「管仲は仁者ではなかったのでしょうか?桓公が公子糾を殺した時、彼は死を選ばず、むしろ桓公に仕えて宰相となりました。」
孔子は答えた。「管仲は桓公を支え、諸侯をまとめ、一度は天下を安定させた。その恩恵は今でも人々が享受している。もし管仲がいなかったら、我々は髪をほどいて野蛮な異民族のような格好で暮らしていたことだろう!どうして、ただの一般人が忠義に殉じて命を絶つようなことが、正しいと言えるだろうか?」

憲問第十四・十九

白文

公叔文子之臣大夫僎,與文子同升諸公。子聞之曰:「可以爲文矣!」

書き下し文

公叔文子の臣、大夫のせん、文子と同じく諸公にのぼる。子これを聞きて曰く、「もってぶんと為すべし!」

日本語訳

公叔文子の家臣である大夫の僎が、文子とともに諸侯の前で高い地位を得た。これを聞いた孔子は「彼はまさに学識のある人物だ!」と言った。

憲問第十四・二十

白文

子言衞靈公之無道也。康子曰:「夫如是,奚而不喪?」孔子曰:「仲叔圉治賓客,祝鮀治宗廟,王孫賈治軍旅。夫如是,奚其喪?」

書き下し文

子、衛の霊公の無道を言う。康子曰く、「れ是の如くならば、なんうしなわざる?」孔子曰く、「仲叔圉ちゅうしゅくぎょは賓客をおさめ、祝鮀しゅくたは宗廟を治め、王孫賈おうそんかは軍旅を治む。れ是の如くんば、なんぞそのほろびん?」

日本語訳

孔子は衛の霊公の政治が無道であると批判した。これを聞いた康子が「そんなにひどい政治なら、なぜ国が滅びないのですか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「仲叔圉が外交を取り仕切り、祝鮀が祖先の祭祀を管理し、王孫賈が軍隊を指揮している。だからこそ、まだ国が滅びずに済んでいるのだ。」

憲問第十四・二一

白文

子曰:「其言之不怍,則爲之也難!」

書き下し文

子曰く、「其の言のぢざるは、則ちこれを為すもかたし!」

日本語訳

孔子は言った。「自分の言葉に恥じることがなければ、それを実行するのは難しくない。」

憲問第十四・二二

白文

陳成子弒簡公。孔子沐浴而朝,吿於哀公曰:「陳恆弒其君,請討之。」公曰:「吿夫三子。」孔子曰:「以吾從大夫之後,不敢不吿也!君曰:『吿夫三子』者!」之三子吿,不可。孔子曰:「以吾從大夫之後,不敢不吿也!」

書き下し文

陳成子ちんせいし簡公けんこうしいす。孔子、沐浴してちょうし、哀公にげて曰く、「陳恆ちんこう、その君を弒せり。請う、これを討たん。」公曰く、「の三子に吿げよ。」孔子曰く、「われ、大夫の後に従うを以て、えて吿げざるべからず!君の曰く、『夫の三子に吿げよ』とは!」三子にきて吿ぐも、不可なり。孔子曰く、「吾、大夫の後に従うを以て、敢えて吿げざるべからず!」

日本語訳

陳成子が魯の簡公を殺害した。孔子は身を清め、哀公のもとに出仕して言った。「陳恆が君主を弑しました。討伐をお願いします。」
哀公は「三人の大臣に相談しなさい」と言った。孔子は「私は臣下の一人として、このことを報告しないわけにはいきません。しかし、君主が『三人の大臣に相談せよ』と言われるなら、それに従います」と答えた。孔子は三人の大臣に相談したが、結局、討伐の決定には至らなかった。孔子は「私は臣下の一人として、この件を報告せずにはいられなかったのだ」と嘆いた。

憲問第十四・二三

白文

子路問事君,子曰:「勿欺也,而犯之。」

書き下し文

子路、君につかうるを問う。子曰く、「あざむくことかれ、しかしてこれを犯せ。」

日本語訳

子路が「君主に仕えるにはどうすればよいですか?」と尋ねた。孔子は「君主を欺いてはならない。しかし、間違っている時は正面から諫めるべきだ」と答えた。

憲問第十四・二四

白文

子曰:「君子上達,小人下達。」

書き下し文

子曰く、「君子は上達し、小人は下達す。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は高い理想を追求するが、小人は目先の欲望にとらわれる。」

憲問第十四・二五

白文

子曰:「古之學者爲己,今之學者爲人。」

書き下し文

子曰く、「古の学者は己のためにし、今の学者は人のためにす。」

日本語訳

孔子は言った。「昔の学者は自分の人格を磨くために学んだが、今の学者は他人に見せるために学んでいる。」

憲問第十四・二六

白文

蘧伯玉使人於孔子,孔子與之坐而問焉。曰:「夫子何爲?」對曰:「夫子欲寡其過而未能也。」使者出。子曰:「使乎!使乎!」

書き下し文

蘧伯玉きょはくぎょく、人を孔子に使つかわす。孔子、これとして問いて曰く、「夫子ふうし何をか為す?」対えて曰く、「夫子はそのあやまちをすくなくせんと欲するも、未だあたわざるなり。」使者出づ。子曰く、「使かるかな!使かるかな!」

日本語訳

蘧伯玉が使者を孔子のもとに派遣した。孔子は使者と座り、尋ねた。「蘧伯玉は何をしているのか?」
使者は答えた。「彼は過ちを少なくしようと努力していますが、まだ完全にはできていません。」
使者が去った後、孔子は「なんと立派な人物だ!」と感嘆した。

憲問第十四・二七

白文

子曰:「不在其位,不謀其政。」

書き下し文

子曰く、「その位に在らざれば、そのまつりごとはからず。」

日本語訳

孔子は言った。「自分がその職に就いていないなら、その職務に口出しすべきではない。」

憲問第十四・二八

白文

曾子曰:「君子思不出其位。」

書き下し文

曾子曰く、「君子の思うことは、その位をでず。」

日本語訳

曾子は言った。「君子は自分の立場をわきまえ、分を超えたことを考えない。」

憲問第十四・二九

白文

子曰:「君子恥其言而過其行。」

書き下し文

子曰く、「君子はその言を恥じて、その行をぐ。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は自分の言葉が軽薄であることを恥じ、それよりも行動を重視する。」

憲問第十四・三十

白文

子曰:「君子道者三,我無能焉:仁者不憂,知者不惑,勇者不懼。」子貢曰:「夫子自道也!」

書き下し文

子曰く、「君子の道たる者三つあり。我、くすること無し。仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者はおそれず。」子貢曰く、「夫子、自らうなり!」

日本語訳

孔子は言った。「君子の道には三つある。私はどれも完全にはできていない。仁者は憂えず、知者は迷わず、勇者は恐れない。」
子貢は「先生こそ、まさにその三つを備えています!」と言った。

憲問第十四・三一

白文

子貢方人。子曰:「賜也,賢乎哉?夫我則不暇!」

書き下し文

子貢、人をはかる。子曰く、「や、けんなるか?れ我、則ちいとまあらず!」

日本語訳

子貢が人々を評価していた。孔子は言った。「賜(子貢)よ、お前は本当に賢いのか?私にはそんなことをしている暇はない。」

憲問第十四・三二

白文

子曰:「不患人之不己知,患其不能也。」

書き下し文

子曰く、「人の己を知らざるをうれえず、そのくせざるを患う。」

日本語訳

孔子は言った。「人が自分を理解してくれないことを心配するのではなく、自分が十分に努力できていないことを心配すべきだ。」

憲問第十四・三三

白文

子曰:「不逆詐,不億不信,抑亦先覺者,是賢乎!」

書き下し文

子曰く、「いつわりをむかえず、不信をおもわず、そもそもまた先にさとる者、是れ賢なるか!」

日本語訳

孔子は言った。「人の詐欺を警戒せず、不誠実な人を疑わず、それでいて先を見抜くことができる者、これこそ賢者ではないか!」

憲問第十四・三四

白文

微生畝謂孔子曰:「丘,何爲是栖栖者與?無乃爲佞乎?」孔子曰:「非敢爲佞也,疾固也。」

書き下し文

微生畝びせいぼ、孔子に謂いて曰く、「きゅうよ、何ぞこれ栖栖せいせいたる者たるや?からんやねいを為すこと?」孔子曰く、「えて佞を為すにあらず、にくむなり。」

日本語訳

微生畝が孔子に言った。「孔子よ、どうしてそんなに忙しそうにしているのか?お世辞ばかり言っているのではないか?」
孔子は答えた。「私は決してお世辞を言っているわけではない。ただ、頑固な愚かさが嫌いなのだ。」

憲問第十四・三五

白文

子曰:「驥不稱其力,稱其德也。」

書き下し文

子曰く、「はその力をたたえず、その徳を称うなり。」

日本語訳

孔子は言った。「名馬(驥)はその単なる力ではなく、その品格によって評価される。」

憲問第十四・三六

白文

或曰:「以德報怨,何如?」子曰:「何以報德?以直報怨,以德報德。」

書き下し文

あるひと曰く、「徳をもって怨にむくうるは、何如いかん?」子曰く、「何をもって徳に報いん?直をもって怨に報い、徳をもって徳に報いん。」

日本語訳

ある人が尋ねた。「悪意に対して徳をもって報いるのはどうでしょうか?」
孔子は答えた。「では、善意に対しては何で報いるのか?悪意には公平さで対処し、善意には徳で報いるべきだ。」

憲問第十四・三七

白文

子曰:「莫我知也夫!」子貢曰:「何爲其莫知子也?」子曰:「不怨天,不尤人,下學而上達,知我者,其天乎!」

書き下し文

子曰く、「我を知る者莫しや!」子貢曰く、「何ぞその子を知らざらん?」子曰く、「天を怨まず、人をとがめず、下学して上達す。これを知る者は、其れ天か!」

日本語訳

孔子は言った。「私を理解する者は誰もいないのか!」
子貢は「なぜ誰も先生を理解しないのでしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「私は天を怨まず、人を責めない。ただ学問を積み、真理に近づくのみ。私を理解するのは、おそらく天だけだろう。」

憲問第十四・三八

白文

公伯寮愬子路於季孫,子服景伯以吿,曰:「夫子固有惑志於公伯寮,吾力猶能肆諸市朝。」子曰:「道之將行也與,命也;道之將廢也與,命也。公伯寮其如命何?」

書き下し文

公伯寮こうはくりょう、子路を季孫きそんうったう。子服景伯しふくけいはくもってこれをげて曰く、「夫子ふうしもとより公伯寮に惑志わくし有り。我が力、くこれを市朝しちょうさらす。」子曰く、「道のまさに行わるるや、命なり。道の将にすたるるや、命なり。公伯寮、それ命を如何いかんせん?」

日本語訳

公伯寮が子路のことを季孫に訴えた。子服景伯は孔子にこのことを伝え、「先生が公伯寮に疑念を抱いていたのは確かです。私は彼を公の場で裁くこともできるでしょう」と言った。
しかし孔子は、「道が行われるのも天命であり、道が廃れるのも天命である。公伯寮の行いもまた天命のうちなのだ」と答えた。

憲問第十四・三九

白文

子曰:「賢者辟世,其次辟地,其次辟色,其次辟言。」

書き下し文

子曰く、「賢者は世をけ、其次そのつぎは地を辟け、其次は色を辟け、其次は言を辟く。」

日本語訳

孔子は言った。「賢者はまず俗世を避ける。その次に悪しき土地を避ける。その次に邪なものを避ける。そして最後に、無意味な言葉を避ける。」

憲問第十四・四十

白文

子曰:「作者七人矣。」

書き下し文

子曰く、「す者七人あり。」

日本語訳

孔子は言った。「偉大な事業を成し遂げた者は、七人いる。」

憲問第十四・四一

白文

子路宿於石門。晨門曰:「奚自?」子路曰:「自孔氏。」曰:「是知其不可而爲之者與?」

書き下し文

子路、石門せきもん宿しゅくす。晨門しんもん曰く、「いずこよりか?」子路曰く、「孔氏より。」曰く、「是れ、其の不可なるを知りて、これを為す者か?」

日本語訳

子路が石門で宿泊した。門番が「どこから来たのか?」と尋ねた。
子路は「孔子のもとから来た」と答えた。
門番は「おぉ、あの人は、実現不可能なことだと知りながら、それでもやり遂げようとする人物なのか」と言った。

憲問第十四・四二

白文

子擊磬於衞。有荷蕢者而過孔氏之門者,曰:「有心哉!擊磬乎!」既而曰:「鄙哉,硜硜乎!莫己知也,斯已而已矣!『深則厲,淺則揭。』」子曰:「果哉!末之難矣!」

書き下し文

子、衞にてけいつ。有る荷蕢かけいする者、孔氏の門を過ぎて曰く、「有心なるかな!磬を撃つか!」すでにして曰く、「鄙なるかな、硜硜こうこうたるかな!己を知る者莫し、ここむのみ!『深ければ則ちはげし、浅ければ則ちあらわる。』」子曰く、「たしなるかな!すえを知ることかたし!」

日本語訳

孔子が衛の国で磬(石琴)を叩いていた。すると、草を背負った農夫が孔子の家の前を通りかかり、「志のある者よ!そんなことをしているのか?」と言った。
そして、さらにこう言った。「なんと愚かなことか!がむしゃらに努力しているが、誰も彼を理解しない。だから彼はここで終わるのだ!『深い水ならば勢いよく流れ、浅い水ならば地表に現れる』というものだ。」
これを聞いた孔子は、「なんと的確な言葉だ!物事の結末を見通すことは難しいものだ」と感嘆した。

憲問第十四・四三

白文

子張曰:「書云:『高宗諒陰,三年不言。』何謂也?」子曰:「何必高宗,古之人皆然。君薨,百官總己以聽於冢宰,三年。」

書き下し文

子張曰く、「書に云う、『高宗こうそう諒陰りょういんにして、三年言わず』とは、何のいぞ?」子曰く、「何ぞ必ずしも高宗ならん。いにしえの人、皆然り。君、こうずれば、百官ひゃっかんは己をおさめ、冢宰ちょうさいしたがうこと三年なり。」

日本語訳

子張が尋ねた。「書経に『高宗は父の死後、三年間沈黙した』とありますが、これはどういう意味でしょうか?」
孔子は答えた。「それは高宗だけに限ったことではない。昔の王たちは皆同じだった。君主が亡くなると、百官は自己を律し、国の宰相に従って三年間喪に服したのだ。」

憲問第十四・四四

白文

子曰:「上好禮,則民易使也。」

書き下し文

子曰く、「かみ、礼を好めば、則ちたみ、使いやすし。」

日本語訳

孔子は言った。「君主が礼を好むならば、民は従いやすくなる。」

憲問第十四・四五

白文

子路問君子。子曰:「脩己以敬。」曰:「如斯而已乎?」曰:「脩己以安人。」曰:「如斯而已乎?」曰:「脩己以安百姓。脩己以安百姓,堯舜其猶病諸!」

書き下し文

子路、君子を問う。子曰く、「己をおさめて敬を以てす。」曰く、「ここにしてむか?」曰く、「己を脩めて人を安んず。」曰く、「斯にして已むか?」曰く、「己を脩めて百姓ひゃくせいを安んず。己を脩めて百姓を安んずるは、堯・ぎょう・しゅんも其れおこれをうれう。」

日本語訳

子路が君子について尋ねた。孔子は「まず自分を修め、敬意を持つことだ」と答えた。
子路は「それだけですか?」とさらに尋ねた。
孔子は「次に、自分を修めて人々を安んじることだ」と答えた。
子路はさらに「それだけですか?」と尋ねた。
孔子は「最終的には、自分を修めて百姓(国民)を安んじることだ。しかし、百姓を安んじることは、あの堯や舜ですら悩んだほど難しいことなのだ」と答えた。

憲問第十四・四六

白文

原壤夷俟。子曰:「幼而不孫弟,長而無述焉,老而不死,是爲賊。」以杖叩其脛。

書き下し文

原壤げんじょう夷俟いしす。子曰く、「幼にして孫弟そんていならず、ちょうじてぶること無く、老いて死せざるは、是れぞくなり。」つえを以てそのすねつ。

日本語訳

原壤が足を伸ばして無礼に座っていた。孔子は言った。「幼い頃に目上を敬わず、大人になっても何の功績もなく、老いてもなお死なないような者は、社会の害である。」
そう言って、杖で彼の脛を叩いた。

憲問第十四・四七

白文

闕黨童子將命。或問之曰:「益者與?」子曰:「吾見其居於位也,見其與先生並行也,非求益者也,欲速成者也。」

書き下し文

闕黨けっとう童子どうしめいおさむ。あるひとこれを問いて曰く、「えきする者か?」子曰く、「われ、其の位にるを見、其の先生と並び行くを見たり。益する者にあらず、すみやかに成らんと欲する者なり。」

日本語訳

闕黨の童子が使者の役目を担った。ある人が孔子に「彼は有能な人物でしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「私は彼が身の程をわきまえず、高い地位に立ち、先生と並んで歩くのを見た。彼は学びを求める者ではなく、ただ早く成功したいと焦っている者だ。」

衛霊公第十五

衛霊公第十五・一

白文

衞靈公問陳於孔子。孔子對曰:「俎豆之事,則嘗聞之矣;軍旅之事,未之學也。」明日遂行。在陳絕糧。從者病,莫能興。子路慍見曰:「君子亦有窮乎?」子曰:「君子固窮,小人窮斯濫矣。」

書き下し文

衛の霊公、陳を孔子に問う。孔子対えて曰く、「俎豆そとうの事は、則ちかつてこれを聞けり。軍旅の事は、未だこれを学ばざるなり。」明日、遂に行く。陳に在りてかて絶ゆ。従者病みて、者莫し。子路、いかりてまみえて曰く、「君子もまた窮すること有らんや?」子曰く、「君子はもとより窮す。小人は窮すればすなわみだる。」

日本語訳

衛の霊公が戦術について孔子に尋ねた。孔子は「祭礼に関することは学びましたが、軍事については学んでおりません」と答えた。翌日、孔子一行は旅立ったが、陳の国で食糧が尽きた。弟子たちは病に倒れ、立ち上がることもできなくなった。
子路は憤慨して孔子に尋ねた。「君子でもこのように窮することがあるのですか?」
孔子は答えた。「君子は困難な状況に陥ることがある。しかし、小人は困窮すると道を踏み外してしまうのだ。」

衛霊公第十五・二

白文

子曰:「賜也,女以予爲多學而識之者與?」對曰:「然,非與?」曰:「非也,予一以貫之。」

書き下し文

子曰く、「や、なんじ予を多く学びてこれをる者とすか?」対えて曰く、「然り、あらずや?」曰く、「あらず、予は一を以てこれをつらぬくなり。」

日本語訳

孔子は子貢に尋ねた。「賜よ、お前は私が多くのことを学び、それらを記憶している者だと思っているか?」
子貢は「その通りではないでしょうか?」と答えた。
孔子は「いや、私はただ一つの原則で全てを貫いているのだ」と答えた。

衛霊公第十五・三

白文

子曰:「由,知德者鮮矣!」

書き下し文

子曰く、「ゆうや、徳を知る者はすくなし!」

日本語訳

孔子は言った。「由(子路)よ、徳を本当に理解する者は少ないものだ!」

衛霊公第十五・四

白文

子曰:「無爲而治者,其舜也與!夫何爲哉?恭己正南面而已矣。」

書き下し文

子曰く、「無為にして治むる者は、其れしゅんか!れ何をかせん?己を恭しくして正しく南面なんめんするのみ。」

日本語訳

孔子は言った。「無為にして天下を治めたのは、舜であろう。彼は何をしたのか?ただ自らを慎み、正しく南面(=君主の座に座ること)していただけだ。」

衛霊公第十五・五

白文

子張問行。子曰:「言忠信,行篤敬,雖蠻貊之邦行矣。言不忠信,行不篤敬,雖州里行乎哉?立,則見其參於前也;在輿,則見其倚於衡也。夫然後行。」子張書諸紳。

書き下し文

子張、行を問う。子曰く、「ことば忠信にして、おこな篤敬とっけいなれば、蠻貊ばんばくくににありといえども、行わる。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里しゅうりにありと雖も、行われんや?立てば、則ち其のまじわるを前に見、輿くるまに在れば、則ち其のこうるを見ん。しかる後に行わる。」子張、これをしんに書す。

日本語訳

子張が「正しい行いとは何ですか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「言葉が誠実であり、行いが慎み深ければ、どんな未開の地に行っても受け入れられる。しかし、言葉が不誠実であり、行いがいい加減であれば、身近な共同体の中ですら受け入れられないだろう。
人が立っている時は、その態度を見て判断し、車に乗っている時は、その姿勢を見て判断する。そうして初めて、その人物の行いが正しいかが分かるのだ。」
子張はこの言葉を衣の紐に書き記した。

衛霊公第十五・六

白文

子曰:「直哉史魚!邦有道,如矢;邦無道,如矢。君子哉蘧伯玉!邦有道,則仕;邦無道,則可卷而懷之。」

書き下し文

子曰く、「直なるかな史魚しぎょくにに道有れば、矢のごとく、邦に道無ければ、矢のごとし。君子なるかな、蘧伯玉きょはくぎょく!邦に道有れば、則ちつかえ、邦に道無ければ、則ちこれを巻きていだくべし。」

日本語訳

孔子は言った。「史魚は何と真っ直ぐな人物だ!国に道(正しい政治)がある時も、ない時も、彼の生き方は一貫していた。
蘧伯玉も立派な人物だ。国に道がある時は仕え、国に道がない時は、静かに隠遁するのだ。」

衛霊公第十五・七

白文

子曰:「可與言,而不與之言,失人;不可與言,而與之言,失言。知者不失人,亦不失言。」

書き下し文

子曰く、「言うべき人に言わずば、人を失う。言うべからざる人に言えば、言を失う。知者は人を失わず、また言を失わず。」

日本語訳

孔子は言った。「話すべき相手に話さなければ、大切な人を失う。話すべきでない相手に話せば、自らの言葉を無駄にする。賢者は、適切な人に適切な言葉を使うものだ。」

衛霊公第十五・八

白文

子曰:「志士仁人,無求生以害仁,有殺身以成仁。」

書き下し文

子曰く、「志士仁人は、生を求めて仁を害すること無く、身を殺して仁を成すこと有り。」

日本語訳

孔子は言った。「志を持つ者や仁徳のある者は、生き延びるために仁を損なうことはしない。むしろ、自らの命を捧げてでも仁を全うすることがある。」

衛霊公第十五・九

白文

子貢問爲仁。子曰:「工欲善其事,必先利其器。居是邦也,事其大夫之賢者,友其士之仁者。」

書き下し文

子貢、仁を為すことを問う。子曰く、「たくみ、その事をくせんと欲すれば、必ず先ずその器をぐ。是の邦にれば、その大夫の賢者につかえ、その士の仁者を友とす。」

日本語訳

子貢が「仁を実践するにはどうすればよいでしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「職人が仕事をうまくこなしたいと思うなら、まず道具を整えるべきだ。同様に、一つの国に住むなら、その国の賢明な大夫に仕え、仁徳のある士と友人になるべきだ。」

衛霊公第十五・十

白文

顏淵問爲邦。子曰:「行夏之時,乘殷之輅,服周之冕,樂則韶舞。放鄭聲,遠佞人。鄭聲淫,佞人殆。」

書き下し文

顔淵、邦をおさむることを問う。子曰く、「夏の時を行い、殷のに乗り、周のべんがくは則ち韶舞しょうぶを楽しむ。鄭の声をて、佞人ねいじんを遠ざく。鄭の声はいんなり、佞人はあやうし。」

日本語訳

顔淵が「国を治めるにはどうすればよいでしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。「夏の暦を用い、殷の馬車に乗り、周の冠服を着る。音楽は雅楽(韶楽)を楽しむ。淫らな鄭の音楽は排除し、巧言令色の人間を遠ざけることだ。鄭の音楽は道を乱し、巧言令色の者は国を危うくする。」

衛霊公第十五・十一

白文

子曰:「人無遠慮,必有近憂。」

書き下し文

子曰く、「人、遠慮無ければ、必ず近憂有り。」

日本語訳

孔子は言った。「遠い将来を考えない者は、必ず目先の問題に苦しむことになる。」

衛霊公第十五・十二

白文

子曰:「已矣乎!吾未見好德如好色者也!」

書き下し文

子曰く、「めんかな!吾、未だ徳を好むこと色を好むがごとき者を見ざるなり!」

日本語訳

孔子は言った。「なんということだ!私はまだ、女性を愛するのと同じほどに徳を愛する者を見たことがない。」

衛霊公第十五・十三

白文

子曰:「臧文仲,其竊位者與!知柳下惠之賢,而不與立也。」

書き下し文

子曰く、「臧文仲ぞうぶんちゅう、其れ位をぬすむ者か!柳下恵りゅうかけいの賢を知りて、しかもこれと立つことをゆるさざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「臧文仲は、地位を不当に占めていたのではないか?彼は柳下恵の賢さを知りながら、彼を登用しようとしなかった。」

衛霊公第十五・十四

白文

子曰:「躬自厚,而薄責於人,則遠怨矣!」

書き下し文

子曰く、「を厚くし、人を責むることうすくせば、則ちうらみ遠ざかる。」

日本語訳

孔子は言った。「自らに厳しくし、他人への非難を軽くすれば、人の恨みを買うことはない。」

衛霊公第十五・十五

白文

子曰:「不曰『如之何,如之何』者,吾末如之何也已矣!」

書き下し文

子曰く、「『これを如何いかせん、これを如何せん』と言わざる者は、吾、いまだこれを如何ともすることあたわざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「『どうすればよいか?』と自問しない者には、私もどう教えようもない。」

衛霊公第十五・十六

白文

子曰:「群居終日,言不及義,好行小慧,難矣哉!」

書き下し文

子曰く、「群れ居て終日しゅうじつことば義に及ばず、小慧しょうけいを好んで行うは、難しきかな!」

日本語訳

孔子は言った。「一日中集まって、正しいことについて話さず、ただ小賢しいことを好んでいるようでは、立派な人物になるのは難しい。」

衛霊公第十五・十七

白文

子曰:「君子義以爲質,禮以行之,孫以出之,信以成之。君子哉!」

書き下し文

子曰く、「君子は義を以て質と為し、礼を以てこれを行い、そんを以てこれを出し、信を以てこれを成す。君子なるかな!」

日本語訳

孔子は言った。「君子は義を根本とし、礼によって行動し、謙遜をもって表現し、誠実さによって完成させる。これこそ君子だ!」

衛霊公第十五・十八

白文

子曰:「君子病無能焉,不病人之不己知也。」

書き下し文

子曰く、「君子はくすること無きをうれえ、人の己を知らざるを病えず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は、自分に能力がないことを憂えるが、人が自分を理解してくれないことを気にすることはない。」

衛霊公第十五・十九

白文

子曰:「君子疾沒世而名不稱焉。」

書き下し文

子曰く、「君子はに没して、となえられざるをうれう。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は、自らが死んだ後に、名声が残らないことを憂える。」

衛霊公第十五・二十

白文

子曰:「君子求諸己,小人求諸人。」

書き下し文

子曰く、「君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は自らを省みて努力するが、小人は他人に期待してばかりいる。」

衛霊公第十五・二一

白文

子曰:「君子矜而不爭,群而不黨。」

書き下し文

子曰く、「君子はつつしみて争わず、れてもとうせず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は品位を保ちつつも、無駄な争いをしない。また、人と集うことはあっても、徒党を組んで派閥を作るようなことはしない。」

衛霊公第十五・二二

白文

子曰:「君子不以言擧人,不以人廢言。」

書き下し文

子曰く、「君子はことばもって人をげず、人を以て言を廃せず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は、ただ言葉が巧みだからといって人を評価しない。また、誰が言ったかで判断せず、内容を見極めて言葉を評価する。」

衛霊公第十五・二三

白文

子貢問曰:「有一言而可以終身行之者乎?」子曰:「其恕乎!己所不欲,勿施於人。」

書き下し文

子貢問いて曰く、「一言をもっ終身しゅうしん行うべきもの有るか?」子曰く、「じょか!己の欲せざる所、人に施すことかれ。」

日本語訳

子貢が尋ねた。「生涯を通じて実践できる、一つの言葉はありますか?」
孔子は答えた。「それは『恕(思いやり)』だ。自分がされたくないことを、人にしてはならない。」

衛霊公第十五・二四

白文

子曰:「吾之於人也,誰毀誰譽?如有所譽者,其有所試矣。斯民也,三代之所以直道而行也。」

書き下し文

子曰く、「われの人にいて、たれをかそしり、誰をかめん?し譽る者有らば、れ試みる所有るなり。の民は、三代の所以ゆえん直道ちょくどうにして行わるるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「私は誰かをむやみに非難したり、ほめたりはしない。もし誰かをほめることがあるとすれば、それは私が実際に試し、確かめた結果である。この民こそ、古代の三代王朝(夏・殷・周)が正しい道を歩んできた証である。」

衛霊公第十五・二五

白文

子曰:「吾猶及史之闕文也,有馬者,借人乘之。今亡矣夫!」

書き下し文

子曰く、「われ闕文けつぶんに及べり。馬有る者は、人に借してこれに乗せたり。今はほろびたり。」

日本語訳

孔子は言った。「私は、かつての史官が欠けた記録を補うほどに誠実であった時代を知っている。また、馬を持っている者がそれを他人に貸すという気前の良い世の中であった。しかし、今やそのような精神は失われてしまった。」

衛霊公第十五・二六

白文

子曰:「巧言亂德,小不忍,則亂大謀。」

書き下し文

子曰く、「巧言こうげんは徳を乱し、しょうを忍ばざれば、則ち大謀たいぼうを乱る。」

日本語訳

孔子は言った。「巧みな言葉は人の徳を乱し、小さなことを我慢できなければ、大きな計画が台無しになる。」

衛霊公第十五・二七

白文

子曰:「眾惡之,必察焉;眾好之,必察焉。」

書き下し文

子曰く、「しゅうこれをにくまば、必ず察せよ。衆これを好まば、必ず察せよ。」

日本語訳

孔子は言った。「多くの人が誰かを憎んでいる時は、その理由をよく調べるべきだ。多くの人が誰かを称賛している時も、その理由をよく調べるべきだ。」

衛霊公第十五・二八

白文

子曰:「人能弘道,非道弘人。」

書き下し文

子曰く、「人はく道をひろめるも、道は能く人を弘めず。」

日本語訳

孔子は言った。「道(真理)を広めるのは人であり、道が勝手に人を広めるのではない。」

衛霊公第十五・二九

白文

子曰:「過而不改,是謂過矣。」

書き下し文

子曰く、「過ちて改めざる、是れをあやまちと謂う。」

日本語訳

孔子は言った。「過ちを犯しても、それを改めなければ、それこそが本当の過ちである。」

衛霊公第十五・三十

白文

子曰:「吾嘗終日不食,終夜不寢,以思;無益,不如學也。」

書き下し文

子曰く、「われかつ終日しゅうじつくらわず、終夜しゅうやずしておもえり。えき無し。学ぶにかざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「私はかつて、一日中食事を取らず、一晩中寝ずに考え続けたことがある。しかし、それは何の役にも立たなかった。学ぶことに勝るものはない。」

衛霊公第十五・三一

白文

子曰:「君子謀道不謀食。耕也,餒在其中矣;學也,祿在其中矣。君子憂道不憂貧。」

書き下し文

子曰く、「君子は道をはかりて食を謀らず。耕すも、うこと其の中に在り。学ぶも、ろく其の中に在り。君子は道を憂え、貧を憂えず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は道を追求し、生活の糧を気にするものではない。農業をしていても、飢えることはある。学問をしていれば、自然と俸禄が得られる。君子は道の実践を気にかけ、貧しさを気にするものではない。」

衛霊公第十五・三二

白文

子曰:「知及之,仁不能守之,雖得之,必失之。知及之,仁能守之。不莊以蒞之,則民不敬。知及之,仁能守之,莊以蒞之。動之不以禮,未善也。」

書き下し文

子曰く、「これおよぶも、仁をもって之を守ることあたわざれば、之を得るといえども、必ず之を失わん。知之に及び、仁を以て之を守る。不莊そうを以て之をつかさどらば、則ちたみ敬せず。知之に及び、仁を以て之を守り、莊を以て之を蒞る。之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善からず。」

日本語訳

孔子は言った。「知識を得ても、それを仁で守ることができなければ、手に入れてもすぐに失ってしまう。知識を得て、仁をもって守ることができたとしても、威厳がなければ民は敬わない。だから、知識を持ち、仁をもってそれを守り、さらに威厳をもって治めなければならない。さらに、行動する時には礼によって動かさなければ、決して善い結果は得られない。」

衛霊公第十五・三三

白文

子曰:「君子不可小知,而可大受也。小人不可大受,而可小知也。」

書き下し文

子曰く、「君子はしょうを知るべからずして、大を受くべし。小人は大を受くべからずして、小を知るべし。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は些細なことにはこだわらないが、大きな責任を受け止めることができる。小人は大きな責任には耐えられないが、細かいことには気を回す。」

衛霊公第十五・三四

白文

子曰:「民之於仁也,甚於水火。水火,吾見蹈而死者矣,未見蹈仁而死者也。」

書き下し文

子曰く、「民の仁にけること、水火よりはなはだし。水火は、吾れこれをみて死する者を見れども、未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「民にとって仁は、水や火よりも重要である。私は水や火に足を踏み入れて死ぬ者を見たことがあるが、仁を実践して死んだ者を見たことはない。」

衛霊公第十五・三五

白文

子曰:「當仁,不讓於師。」

書き下し文

子曰く、「仁にあたれば、師に譲らず。」

日本語訳

孔子は言った。「仁を実践する機会があれば、たとえ師であっても遠慮してはならない。」

衛霊公第十五・三六

白文

子曰:「君子貞而不諒。」

書き下し文

子曰く、「君子はていにしてりょうならず。」

日本語訳

孔子は言った。「君子は誠実であるが、ただ盲目的に他人の言葉を信じるわけではない。」

衛霊公第十五・三七

白文

子曰:「事君,敬其事而後其食。」

書き下し文

子曰く、「君につかうるには、其の事をけいし、其の食をおくる。」

日本語訳

孔子は言った。「君主に仕える時は、まず職務を尊び、報酬は後回しにするべきだ。」

衛霊公第十五・三八

白文

子曰:「有教無類。」

書き下し文

子曰く、「教うること有りて、るい無し。」

日本語訳

孔子は言った。「教育には、身分や出自による差別はない。」

衛霊公第十五・三九

白文

子曰:「道不同,不相爲謀。」

書き下し文

子曰く、「みち同じからざれば、あいはかるにらず。」

日本語訳

孔子は言った。「志を同じくしない者とは、共に計画を立てることはできない。」

衛霊公第十五・四十

白文

子曰:「辭,達而已矣!」

書き下し文

子曰く、「ことばは、達するのみ。」

日本語訳

孔子は言った。「言葉とは、相手に伝わればそれで十分だ。」

衛霊公第十五・四一

白文

師冕見。及階,子曰:「階也。」及席,子曰:「席也。」皆坐,子吿之曰:「某在斯,某在斯。」師冕出,子張問曰:「與師言之道與?」子曰:「然,固相師之道也。」

書き下し文

師冕しべんまみゆ。階に及べば、子曰く、「階なり。」席に及べば、子曰く、「席なり。」みな坐す。子、之にげて曰く、「ぼうここに在り。某、斯に在り。」師冕出づ。子張、問いて曰く、「師にものいうのみちか?」子曰く、「しかり、もとよりあいとするの道なり。」

日本語訳

師冕が孔子に謁見した。階段に近づくと、孔子は「これは階段です」と言い、席に近づくと「これは席です」と言った。全員が座ると、孔子は「○○はここにいる、△△はここにいる」と説明した。
師冕が退室した後、子張が「先生、それが師に対する話し方なのですか?」と尋ねた。
孔子は「そうだ、それが本来の礼にかなった話し方なのだ」と答えた。

季氏第十六

季氏第十六・一

白文

季氏將伐顓臾。冉有季路見於孔子曰:「季氏將有事於顓臾。」孔子曰:「求!無乃爾是過與?夫顓臾,昔者先王以爲東蒙主,且在邦域之中矣,是社稷之臣也。何以伐爲?」冉有曰:「夫子欲之,吾二臣者,皆不欲也。」孔子曰:「求!周任有言曰:『陳力就列,不能者止。』危而不持,顚而不扶,則將焉用彼相矣?且爾言過矣!虎兕出於柙,龜玉毀於櫝中,是誰之過與?」冉有曰:「今夫顓臾,固而近於費;今不取,後世必爲子孫憂。」孔子曰:「求!君子疾夫舍曰欲之,而必爲之辭。丘也,聞有國有家者,不患寡而患不均,不患貧而患不安。蓋均無貧,和無寡,安無傾。夫如是,故遠人不服,則修文德以來之。既來之,則安之。今由與求也,相夫子,遠人不服而不能來也;邦分崩離析而不能守也,而謀動干戈於邦內。吾恐季孫之憂,不在顓臾,而在蕭牆之內也!」

書き下し文

季氏きしまさ顓臾せんゆたんとす。冉有ぜんゆう季路きろ、孔子にまみえて曰く、「季氏、将に顓臾に事あらんとす。」
孔子曰く、「きゅうよ!んぞすなわなんじ、是れあやまちならんや?れ顓臾は、むかし先王、これをもっ東蒙とうもうの主とし、邦域ほういきの中にり。是れ社稷しゃしょくの臣なり。何を以てつとすや?」
冉有曰く、「夫子ふうしこれをほっす。われ二臣にしんは、皆欲せず。」
孔子曰く、「求よ!周任しゅうじんの言にいわく、『力をつらねてれつき、あたわざる者はむ』と。危うきをたもたず、たおるるをたすけざれば、すなわいずくんぞ彼のしょうを用いんや?なんじの言、あやまてり!虎兕こじきょうで、龜玉きぎょくとくやぶるるは、是れたれあやまちぞ?」
冉有曰く、「今のれ顓臾は、かたくしてに近し。今取らざれば、後世必ず子孫のうれいとらん。」
孔子曰く、「求よ!君子はれ、これをほっしてこれをすのをことわるるをにくむ。きゅうや、聞けり。国有家有る者は、すくなきをうれえずしてひとしからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う。けだし、均しければ貧しからず、すれば寡からず、安ければ傾かず。れ是のごとくんば、ゆえ遠人えんじんしたがわざれば、すなわ文徳ぶんとくおさめてこれをきたらしむ。既にこれを来らしめば、則ちこれを安んず。今、ゆうきゅうとは、夫子ふうししょうたるも、遠人服わずしてこれをきたらしむるあたわず、くに分崩離析ぶんぽうりせきしてこれを守る能わずして、はからんとす、干戈かんか邦内ほうないに動かすを。われ恐る、季孫きそんうれいは、顓臾にらずして、蕭牆しょうしょううちに在らんことを!」

日本語訳

季氏(魯の大夫)が顓臾(せんゆ)を討伐しようとしていた。冉有と季路が孔子に報告し、「季氏が顓臾に戦を仕掛けようとしています」と伝えた。
孔子は言った。「冉有よ!これはお前たちの過ちではないか?顓臾は昔、先王が東蒙の祭祀を司る土地として認めたものであり、魯の国土の中にある。これは社稷(国家の祭祀)の臣である。どうして討伐しようなどというのか?」
冉有は答えた。「我々二人は反対しましたが、主君がどうしてもやりたがっています。」
孔子は言った。「冉有よ!周任が言った言葉を知っているか?『自分の力をわきまえて職務に就き、できない者は辞退せよ』と。危機にあるのに支えず、倒れそうな者を助けないなら、君主の側近でいる意味があるのか?それに、お前の考え方は間違っている。
虎や犀が檻を破って逃げ出し、亀や宝玉が箱の中で砕け散ったら、それは誰の過ちなのか?」
冉有は言った。「顓臾は防備が固く、しかも費の城に近い。今討たなければ、後世、我々の子孫が必ず悩むことになります。」
孔子は答えた。「冉有よ!君子は、自分が望むことを正当化するために理由をこじつけるのを憎むものだ。私は聞いたことがある。国を治める者は、民の数が少ないことを憂えず、不公平を憂える。貧しさを憂えず、不安定を憂える。公平ならば貧困はなく、調和があれば人口は増え、安定があれば国は傾かない。
だから、もし遠方の民が服従しないならば、徳を修めて彼らを引き寄せるべきであり、来た者は安心させるべきだ。
しかし、今のお前たちはどうか?君主に仕えているのに、遠方の民を従わせることもできず、国内は混乱し、守ることすらできない。それなのに、戦争を起こそうとするのか?私は恐れている。季孫氏の真の危機は、顓臾ではなく、むしろ国内の内乱にあるのではないかと。」

季氏第十六・二

白文

孔子曰:「天下有道,則禮樂征伐自天子出;天下無道,則禮樂征伐自諸侯出。自諸侯出,蓋十世希不失矣;自大夫出,五世希不失矣;陪臣執國命,三世希不失矣。天下有道,則政不在大夫。天下有道,則庶人不議。」

書き下し文

孔子曰く、「天下に道有れば、則ち礼楽・征伐は天子よりづ。天下に道無ければ、則ち礼楽・征伐は諸侯より出づ。諸侯より出づれば、けだし十世にしてまれに失わざるなり。大夫より出づれば、五世にして希に失わざるなり。陪臣ばいしん、国命をらば、三世にして希に失わざるなり。天下に道有れば、則ち政は大夫にらず。天下に道有れば、則ち庶人しょじんは議せず。」

日本語訳

孔子は言った。「天下に道(正しい統治)がある時は、礼楽や戦争の決定は天子(王)によってなされる。しかし、天下に道が失われると、礼楽や戦争は諸侯が勝手に決めるようになる。諸侯が主導すると、おおよそ十世代のうちに秩序が失われる。さらに、大夫が国を支配するようになれば、五世代のうちに失われる。もし陪臣(家臣の家臣)が国を支配するようになれば、三世代のうちに秩序は崩壊する。天下に道があれば、政治は大夫の手に渡らず、また庶民が政治に口を出すこともない。」

季氏第十六・三

白文

孔子曰:「祿之去公室,五世矣。政逮於大夫,四世矣。故夫三桓之子孫,微矣。」

書き下し文

孔子曰く、「ろく、公室を去ること五世なり。政、大夫におよぶこと四世なり。故に、三桓さんかんの子孫はすくなし。」

日本語訳

孔子は言った。「公室(魯国の公家)が俸禄を失ってから五世代が過ぎた。政治が大夫の手に渡ってから四世代が過ぎた。だから、かつて栄えた三桓氏(三家の有力な大夫)の子孫も、今では衰退している。」

季氏第十六・四

白文

孔子曰:「益者三友,損者三友:友直,友諒,友多聞,益矣;友便辟,友善柔,友便佞,損矣。」

書き下し文

孔子曰く、「益する者三友さんゆうあり、損する者三友あり。ともなおきを友とし、友にまことを友とし、友に多聞たもんを友とするは、益なり。友に便辟べんへきを友とし、友に善柔ぜんじゅうを友とし、友に便佞べんねいを友とするは、損なり。」

日本語訳

孔子は言った。「有益な友人には三種類あり、有害な友人にも三種類ある。
正直な友、誠実な友、博識な友は、自分にとって有益だ。
一方で、へつらう友、優柔不断な友、口先だけの友は、自分にとって害となる。」

季氏第十六・五

白文

孔子曰:「益者三樂,損者三樂:樂節禮樂,樂道人之善,樂多賢友,益矣;樂驕樂,樂佚遊,樂宴樂,損矣。」

書き下し文

孔子曰く、「益する者三楽さんらくあり、損する者三楽あり。礼楽れいがくせっするを楽しみ、人の善をうを楽しみ、多く賢友けんゆうを楽しむは、益なり。驕楽きょうらくを楽しみ、佚遊いつゆうを楽しみ、宴楽えんらくを楽しむは、損なり。」

日本語訳

孔子は言った。「有益な楽しみには三つあり、有害な楽しみも三つある。
礼儀に則った音楽を楽しむこと、人の善行を称賛すること、賢い友人と交流することは有益である。
しかし、傲慢な楽しみ、怠けて遊ぶこと、宴会の楽しみにふけることは有害である。」

季氏第十六・六

白文

孔子曰:「侍於君子有三愆:言未及之而言,謂之躁;言及之而不言,謂之隱;未見顏色而言,謂之瞽。」

書き下し文

孔子曰く、「君子にするに三愆さんけんあり。ことば未だ及ばざるに言うは、これをそうと謂う。言及およびて言わざるは、これをいんと謂う。未だ顔色を見ずして言うは、これをと謂う。」

日本語訳

孔子は言った。「君子に仕える際の三つの過ちがある。
話すべき時ではないのに発言するのは、軽率である。
話すべき時なのに発言しないのは、隠し立てしている。
相手の表情を見ずに話すのは、盲目のようなものである。」

季氏第十六・七

白文

孔子曰:「君子有三戒:少之時,血氣未定,戒之在色;及其壯也,血氣方剛,戒之在鬭;及其老也,血氣既衰,戒之在得。」

書き下し文

孔子曰く、「君子に三戒さんかいあり。わかき時は、血気未だ定まらず、戒むるは色にり。其のさかんなるに及びては、血気方まさつよし、戒むるはとうに在り。其のいるに及びては、血気既に衰え、戒むるはとくに在り。」

日本語訳

孔子は言った。「君子には三つの戒めがある。
若い時は、血気が安定せず、色欲に注意すべきである。
壮年の時は、血気が盛んであり、争いに注意すべきである。
老いた時は、血気が衰えるため、物を得ることへの執着に注意すべきである。」

季氏第十六・八

白文

孔子曰:「君子有三畏:畏天命,畏大人,畏聖人之言。小人不知天命而不畏也,狎大人,侮聖人之言。」

書き下し文

孔子曰く、「君子には三畏さんいあり。天命を畏れ、大人たいじんを畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人をれ、聖人の言をあなどる。」

日本語訳

孔子は言った。「君子には三つの畏れるべきものがある。天命を畏れ、大いなる人物を畏れ、聖人の言葉を畏れる。しかし小人は、天命を知らずに畏れず、権威ある人物を軽んじ、聖人の言葉を侮る。」

季氏第十六・九

白文

孔子曰:「生而知之者,上也;學而知之者,次也;困而學之,又其次也。困而不學,民斯爲下矣!」

書き下し文

孔子曰く、「生まれながらにしてこれを知る者は、上なり。学びてこれを知る者は、次なり。くるしみてこれを学ぶ者は、またその次なり。困しみて学ばざれば、民はこれる。」

日本語訳

孔子は言った。「生まれながらにして知恵を持つ者が最上である。学んで知る者はその次である。苦労して学ぶ者はさらにその次である。しかし、苦労しても学ぼうとしない者は、ただの凡庸な民となる。」

季氏第十六・十

白文

孔子曰:「君子有九思:視思明,聽思聰,色思溫,貌思恭,言思忠,事思敬,疑思問,忿思難,見得思義。」

書き下し文

孔子曰く、「君子に九思きゅうしあり。るには明らかならんことを思い、聴くにはさとからんことを思い、いろにはおだやかならんことを思い、かたちにはうやうやしからんことを思い、ことばにはまことならんことを思い、ことにはつつしまんことを思い、疑わしきを問わんことを思い、忿いかるにはかたきを思い、るを見ては義を思う。」

日本語訳

孔子は言った。「君子には九つの心がけがある。
見るときは明瞭であることを心がける。
聞くときは鋭敏であることを心がける。
表情は穏やかであることを心がける。
姿勢は謙虚であることを心がける。
言葉は誠実であることを心がける。
行動は慎重であることを心がける。
疑問があれば質問することを心がける。
怒るときは、その原因が正当かどうかを考える。
利益を得るときは、それが道義にかなっているかを考える。」

季氏第十六・十一

白文

孔子曰:「『見善如不及,見不善如探湯。』吾見其人矣,吾聞其語矣。『隱居以成其志,行義以達其道。』吾聞其語矣,未見其人也。」

書き下し文

孔子曰く、「『善を見ては及ばざるが如くし、不善を見てはさぐるが如くす』と。われ、その人を見ること有り、そのことばを聞くこと有り。『隠居してもってその志を成し、義を行いて以てその道を達す』と。吾、その語を聞くこと有れども、その人を見ることいまだあらざるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「『善を見れば、必死に追いかけるようにし、不善を見れば、熱湯に手を突っ込むように避けるべきだ』という言葉がある。私は、この言葉を実践する人物を見たことがある。
また、『隠遁して志を全うし、義を行って道を広める』という言葉があるが、これを実践する人物にはまだ出会ったことがない。」

季氏第十六・十二

白文

(『誠不以富,亦祇以異。』)齊景公有馬千駟,死之日,民無德而稱焉。伯夷叔齊餓於首陽之下,民到于今稱之。其斯之謂與?

書き下し文

(『誠に富をもってするにあらず、またただことを以てす』)
斉の景公けいこう馬千駟せんしつも、死するの日、たみとくくしてこれをたたえず。伯夷はくい叔斉しゅくせい首陽しゅようの下にうも、たみ今に至るまでこれを称う。れをうか?」

日本語訳

(『富によって尊ばれるのではなく、特別な生き方によって尊ばれるのだ』)
斉の景公は千頭の馬を持つほどの大富豪であったが、死後、民は彼を称えなかった。
一方、伯夷と叔斉は、首陽山のふもとで飢え死にしたにもかかわらず、今でも人々に称えられている。
これこそが、何が真の価値を持つかを示しているのではないか?

季氏第十六・十三

白文

陳亢問於伯魚曰:「子亦有異聞乎?」對曰:「未也。嘗獨立,鯉趨而過庭。曰:『學《詩》乎?』對曰:『未也。』『不學《詩》,無以言。』鯉退而學《詩》。他日,又獨立,鯉趨而過庭。曰:『學禮乎?』對曰:『未也。』『不學禮,無以立!』鯉退而學禮。聞斯二者。」陳亢退而喜曰:「問一得三:聞《詩》,聞禮,又聞君子之遠其子也。」

書き下し文

陳亢ちんこう伯魚はくぎょに問うて曰く、「子もまた異聞いぶん有りや?」対えて曰く、「未だし。かつて独り立ち、はしりて庭をぐ。曰く、『《詩》を学びしや?』対えて曰く、『未だし。』『《詩》を学ばざれば、以て言うこと無し。』鯉、退きて《詩》を学ぶ。他日、また独り立ち、鯉、趨りて庭を過ぐ。曰く、『礼を学びしや?』対えて曰く、『未だし。』『礼を学ばざれば、以て立つこと無し!』鯉、退きて礼を学ぶ。の二つを聞けり。」陳亢、退きて喜びて曰く、「問うて一にして三を得たり。《詩》を聞き、礼を聞き、また君子のその子を遠ざくるを聞けり。」

日本語訳

陳亢が伯魚(孔子の息子)に尋ねた。「あなたは特別な教えを受けたことがありますか?」
伯魚は答えた。「特にはありません。ある日、私が庭を急ぎ足で通った時、父が『詩経を学んだか?』と尋ねました。私は『まだです』と答えました。すると父は『詩を学ばなければ、まともに話すこともできない』と言いました。それで私は詩を学びました。
また別の日、同じように庭を通った時、父が『礼を学んだか?』と尋ねました。私は『まだです』と答えました。すると父は『礼を学ばなければ、社会で立つことはできない』と言いました。それで私は礼を学びました。」
陳亢は喜び、「一つの質問で三つのことを学べた。《詩》を学ぶ大切さ、礼を学ぶ大切さ、そして君子は自らの子にも特別扱いせず厳しく接することを学んだ」と言った。

季氏第十六・十四

白文

邦君之妻,君稱之曰「夫人」,夫人自稱曰「小童」;邦人稱之曰「君夫人」,稱諸異邦曰「寡小君」;異邦人稱之,亦曰「君夫人」。

書き下し文

邦君ほうくんの妻は、君これを称して「夫人ふじん」とう。夫人、自ら称して「小童しょうどう」と曰う。邦人ほうじん、これを称して「君夫人くんふじん」と曰い、もろもろ異邦いほうに称するに「寡小君かしょうくん」と曰う。異邦の人、これを称するに、また「君夫人」と曰う。

日本語訳

諸侯の妻は、君主からは「夫人」と呼ばれる。夫人自身は自らを「小童(つまらない者)」とへりくだって称する。
国内の民は彼女を「君夫人」と呼び、外国に紹介するときは「寡小君(つまらない君主の妻)」と称する。
また、外国の人々も彼女を「君夫人」と呼ぶ。

陽貨第十七

陽貨第十七・一

白文

陽貨欲見孔子,孔子不見,歸孔子豚。孔子時其亡也,而往拜之,遇諸塗。謂孔子曰:「來,予與爾言。」曰:「懷其寶而迷其邦,可謂仁乎?」曰:「不可。」「好從事而亟失時,可謂知乎?」曰:「不可。」「日月逝矣,歲不我與。」孔子曰:「諾,吾將仕矣。」

書き下し文

陽貨、孔子に見えんと欲すれど、孔子見ず。孔子に豚を帰す。孔子、其の亡きを時にして、往きて之を拜す。みちに遇う。孔子に謂いて曰く、「来たれ、予、爾と言わん。」曰く、「其の宝をいだきて其の邦を迷わしむ、仁と謂うべきか?」曰く、「不可なり。」
「事を好みてしきりに時を失う、知と謂うべきか?」曰く、「不可なり。」
「日月は逝き、歳は我をたず。」
孔子曰く、「だく吾将まさに仕えんとす。」

日本語訳

陽貨は孔子に会いたいと願ったが、孔子は会おうとしなかった。そこで陽貨は孔子に豚(供物)を贈った。孔子は陽貨が不在の時を見計らい、その礼を返すために訪れたが、途中で陽貨に出くわした。陽貨は孔子に言った。
「来たれ、君と話がしたい。」
陽貨は問いかけた。「宝を抱きながら自国を混乱に陥れる者は、仁者と言えるか?」
孔子は答えた。「言えない。」
「仕事を好むが、たびたび時機を逃してしまう者は、知者と言えるか?」
孔子は答えた。「言えない。」
「日々は過ぎ去り、時は我々を待ってはくれないぞ。」
すると孔子は言った。「なるほど、私は官職に就こう。」

陽貨第十七・二

白文

子曰:「性相近也,習相遠也。」

書き下し文

子曰く、「性は相い近し、習は相い遠し。」

日本語訳

孔子は言った。「人の生まれ持った本性は互いに似ているが、習慣によって違いが生じる。」

陽貨第十七・三

白文

子曰:「唯上知與下愚不移也。」

書き下し文

子曰く、「ただ上知と下愚とは移らず。」

日本語訳

孔子は言った。「極めて賢い者と極めて愚かな者だけは、変わることがない。」

陽貨第十七・四

白文

子之武城,聞弦歌之聲,夫子莞爾而笑,曰:「割雞焉用牛刀。」子游對曰:「昔者,偃也聞諸夫子曰:『君子學道則愛人,小人學道則易使也。』」子曰:「二三子!偃之言是也,前言戲之耳!」

書き下し文

子、武城にき、弦歌の声を聞く。夫子莞爾として笑い、曰く、「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん。」
子游対えて曰く、「昔者むかしえん也、夫子に聞けり、『君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使いやすし』と。」
子曰く、「二三子よ!偃の言は是なり。前言は戯れなり。」

日本語訳

孔子が武城を訪れたとき、弦楽器の音に合わせて歌う声を聞いた。孔子は微笑み、「鶏を捌くのに、どうして牛刀を使うのかね」と言った。
すると弟子の子游が答えた。「以前、私は先生から、『君子が道を学べば人を愛し、小人が道を学べば扱いやすくなる』と聞きました。」
孔子は言った。「皆よ、偃の言葉は正しい。先ほどの私の言葉は、ただの冗談だったのだ。」

陽貨第十七・五

白文

公山弗擾以費畔,召,子欲往。子路不說,曰:「末之也已,何必公山氏之之也。」子曰:「夫召我者,而豈徒哉?如有用我者,吾其爲東周乎!」

書き下し文

公山弗擾、費を以て叛く。召ぶ。子、往かんと欲す。子路説よろこばずして曰く、「これえんのみ。何ぞ必ずしも公山氏にかん。」
子曰く、「それ我を召ぶ者は、いたずらならんや。し我を用いる者あらば、われ其れ東周を為さんか。」

日本語訳

公山弗擾(こうざんふつじょう)が費(ひ)の地で反乱を起こし、孔子を招いた。孔子は行こうとしたが、弟子の子路は納得せず、「反乱者に関わるのはやめるべきです。どうしてわざわざ公山氏のもとへ行かれるのですか?」と言った。
すると孔子は言った。「彼が私を招いたのは、単なる気まぐれではあるまい。もし私を登用する者がいるのなら、私は東周を再建することもできるかもしれぬ。」

陽貨第十七・六

白文

子張問「仁」於孔子。孔子曰:「能行五者於天下,爲仁矣。」「請問之?」曰:「恭、寬、信、敏、惠。恭則不侮,寬則得眾,信則人任焉,敏則有功,惠則足以使人。」

書き下し文

子張、孔子に「仁」を問う。
孔子曰く、「く五者を天下に行う者は、仁とす。」
れを問わん。」
曰く、「きょうかんしんびんけい。恭なれば則ちあなどられず、寬なれば則ち衆を得、信なれば則ち人任ず、敏なれば則ち功あり、惠なれば則ち人を使うに足る。」

日本語訳

子張が孔子に「仁とは何ですか?」と尋ねた。
孔子は言った。「五つの徳目を実践できる者は、仁者である。」
子張が「その五つとは何でしょう?」と尋ねると、孔子は答えた。
「恭(慎み深さ)、寬(寛容さ)、信(誠実さ)、敏(機敏さ)、惠(慈しみ)である。慎み深ければ侮られることなく、寛容であれば人々を得る。誠実であれば人に信頼され、機敏であれば成果を上げる。慈しみ深ければ、人を動かすことができる。」

陽貨第十七・七

白文

佛肸召,子欲往。子路曰:「昔者由也聞諸夫子曰:『親於其身爲不善者,君子不入也。』佛肸以中牟畔,子之往也,如之何?」子曰:「然,有是言也。不曰堅乎?磨而不磷。不曰白乎?涅而不緇。吾豈匏瓜也哉?焉能繫而不食!」

書き下し文

佛肸ふつきつ、召ぶ。子、往かんと欲す。子路曰く、「昔者むかしゆう也、夫子に聞けり、『其の身に親しみて不善を為す者、君子入らず』と。佛肸、中牟ちゅうぼうを以て叛く。子の往くは、これ如何いかん。」
子曰く、「然り、是の言有り。しからずや、堅しとわずや。みがけどもきずつかず。しからずや、白しと曰わずや。くろつちにしてくろからず。吾豈匏瓜ほうかならんや。いずくんぞつながれて食らわざらん!」

日本語訳

佛肸(ふつきつ)が孔子を招いた。孔子は行こうとしたが、子路が言った。
「以前、私は先生から、『悪事を働く者と親しくすることは、君子のすることではない』と聞きました。佛肸は中牟の地で反乱を起こしています。先生がそこへ行くのは、いかがなものでしょうか?」
孔子は答えた。「確かに、そのような言葉はある。しかし、こうも言うではないか。『堅いものは、磨いても傷つかない。白いものは、泥にまみれても黒くならない。』私はただの瓢箪(ひょうたん)ではない。ただぶら下がっているだけで、何もしないわけにはいかない!」

陽貨第十七・八

白文

子曰:「由也,女聞『六言六蔽』矣乎?」對曰:「未也。」
「居!吾語女。好仁不好學,其蔽也愚;好知不好學,其蔽也蕩;好信不好學,其蔽也賊;好直不好學,其蔽也絞;好勇不好學,其蔽也亂;好剛不好學,其蔽也狂。」

書き下し文

子曰く、「ゆう也、なんじ六言六蔽ろくげんろくへい』を聞けるか。」
対えて曰く、「未だし。」
よ!吾、女に語らん。
仁を好みて学を好まざれば、其のへいは愚なり。
知を好みて学を好まざれば、其の蔽はとうなり。
信を好みて学を好まざれば、其の蔽は賊なり。
直を好みて学を好まざれば、其の蔽はこうなり。
勇を好みて学を好まざれば、其の蔽は乱なり。
剛を好みて学を好まざれば、其の蔽は狂なり。」

日本語訳

孔子は言った。「由よ、お前は『六つの徳とそれに伴う六つの弊害』について聞いたことがあるか?」
子路は答えた。「いいえ、まだ聞いたことがありません。」
孔子は言った。「では、よく聞きなさい。
仁を好んで学ばなければ、愚かになる。
知を好んで学ばなければ、軽薄になる。
信を好んで学ばなければ、人を欺くことになる。
正直を好んで学ばなければ、言葉が厳しくなりすぎる。
勇を好んで学ばなければ、無秩序を生む。
剛を好んで学ばなければ、無謀になる。」

陽貨第十七・九

白文

子曰:「小子!何莫學夫《詩》?《詩》可以興,可以觀,可以群,可以怨;邇之事父,遠之事君;多識於鳥獸草木之名。」

書き下し文

子曰く、「小子しょうしよ!何ぞの《詩》を学ばざるや。《詩》は以ておこすべく、以てるべく、以てくんするべく、以てうらむべし。ちかくは父につかえ、遠くは君に事う。鳥獣草木の名を多く識る。」

日本語訳

孔子は言った。「若者たちよ!なぜ《詩経》を学ぼうとしないのか?《詩経》は人を奮い立たせ、物事を見極める助けとなり、仲間との交流を深め、時には不満を表す手段にもなる。近くは父に仕え、遠くは君主に仕える心得を養うことができる。また、鳥や獣、草木の名前を多く知ることができる。」

陽貨第十七・十

白文

子謂伯魚曰:「女爲周南召南矣乎?人而不爲周南召南,其猶正牆面而立也與!」

書き下し文

子、伯魚はくぎょいて曰く、「なんじ周南召南しゅうなんしょうなんせるか。人として周南召南を為さざるは、其れかきおもてに正しく立つがごときか。」

日本語訳

孔子は伯魚(孔子の子)に言った。「お前は《周南》《召南》を学んだか?人として《周南》《召南》を学ばないのは、まるで壁に向かって突っ立っているようなものだ。」

陽貨第十七・十一

白文

子曰:「禮云禮云,玉帛云乎哉?樂云樂云!鐘鼓云乎哉?」

書き下し文

子曰く、「れいう、礼云う、玉帛ぎょくはくを云うか。がく云う、楽云う、鐘鼓しょうこを云うか。」

日本語訳

孔子は言った。「礼を語るとき、それは玉や絹(贈り物)のことを指すのか?音楽を語るとき、それは鐘や太鼓のことを指すのか?」

陽貨第十七・十二

白文

子曰:「色厲而內荏,譬諸小人,其猶穿窬之盜也與?」

書き下し文

子曰く、「いろはげしくしてうちやわらかなるは、小人にたとうれば、其れ猶お穿窬せんゆとうのごときか。」

日本語訳

孔子は言った。「外見は厳しく見せかけながら、内面は弱々しい者は、小人に例えれば、まるで壁に穴を開けて盗みに入るような盗人と同じではないか?」

陽貨第十七・十三

白文

子曰:「鄉原,德之賊也。」

書き下し文

子曰く、「鄉原きょうげんは、徳の賊なり。」

日本語訳

孔子は言った。「鄉原(表面だけ善良に見える世渡り上手な者)は、徳を害する盗人である。」

陽貨第十七・十四

白文

子曰:「道聽而塗說,德之棄也。」

書き下し文

子曰く、「みちに聴きてみちに説くは、徳のつるなり。」

日本語訳

孔子は言った。「道で聞いたことをすぐに他所で話す者は、徳を捨てる者である。」

陽貨第十七・十五

白文

子曰:「鄙夫!可與事君也與哉?其未得之也,患得之;既得之,患失之。苟患失之,無所不至矣!」

書き下し文

子曰く、「鄙夫ひふ、君につかうべきか?其の未だ得ざるや、之をうれい、既に得れば、之を患う。いやしくも之を患えば、至らざる所無し。」

日本語訳

孔子は言った。「浅ましい者に君主へ仕える資格があるだろうか?まだ地位を得ていない時は、それを得ることを心配し、得た後はそれを失うことを心配する。もし失うことを恐れるならば、どんな手段をもいとわなくなる。」

陽貨第十七・十六

白文

子曰:「古者民有三疾,今也或是之亡也。古之狂也肆,今之狂也蕩;古之矜也廉,今之矜也忿戾;古之愚也直,今之愚也詐而已矣。」

書き下し文

子曰く、「いにしえの民には三疾さんしつあり、今や或いはほろびん。古のきょうなり、今の狂はとうなり。古のきょうれんなり、今の矜は忿戾ふんれいなり。古のは直なり、今の愚はいつわりのみ。」

日本語訳

孔子は言った。「昔の人には三つの欠点があったが、今ではその形が変わってしまった。昔の『狂』は自由奔放だったが、今の『狂』は放縦である。昔の『矜持』は清廉さを伴っていたが、今の『矜持』は怒りと頑なさに満ちている。昔の『愚かさ』は正直であったが、今の『愚かさ』はただの詐欺に過ぎない。」

陽貨第十七・十七

白文

子曰:「巧言令色,鮮矣仁。」

書き下し文

子曰く、「巧言令色こうげんれいしょく仁鮮すくなし。」

日本語訳

孔子は言った。「言葉巧みで愛想が良い者に、仁の心はほとんどない。」

陽貨第十七・十八

白文

子曰:「惡紫之奪朱也,惡鄭聲之亂雅樂也,惡利口之覆邦家者。」

書き下し文

子曰く、「紫の朱を奪うをにくみ、鄭声の雅楽を乱るるを悪み、利口の邦家ほうかくつがえすを悪む。」

日本語訳

孔子は言った。「紫色が朱色の美しさを奪うのを嫌い、鄭の音楽が正統な雅楽を乱すのを嫌い、口先の上手い者が国を覆すのを嫌う。」

陽貨第十七・十九

白文

子曰:「予欲無言!」子貢曰:「子如不言,則小子何述焉?」子曰:「天何言哉?四時行焉,百物生焉,天何言哉?」

書き下し文

子曰く、「われ、言わざらんと欲す。」
子貢曰く、「子、し言わずんば、小子しょうし何をか述べん。」
子曰く、「天、何をか言わん。四時しいじ行われ、百物ひゃくぶつ生ず。天、何をか言わん。」

日本語訳

孔子は言った。「私はもう何も言わずにいたい。」
子貢が尋ねた。「先生が何も語られなければ、私たちは何を学べばよいのでしょう?」
孔子は答えた。「天は何か言うだろうか?春夏秋冬が巡り、万物が生じる。だが、天は何も語らないではないか。」

陽貨第十七・二十

白文

孺悲欲見孔子,孔子辭以疾。將命者出戶,取瑟而歌,使之聞之。

書き下し文

孺悲じゅひ、孔子にまみえんと欲す。孔子、やまいを以て辞す。命をおさむる者、戸を出ずるに、しつを取りて歌い、之をして聞かしむ。

日本語訳

孺悲が孔子に会いたいと願ったが、孔子は病気を理由に断った。使者が門を出ると、孔子は瑟(しつ・琴)を取り、歌を歌って孺悲に聞こえるようにした。

陽貨第十七・二一

白文

宰我問:「三年之喪,期已久矣!君子三年不爲禮,禮必壞;三年不爲樂,樂必崩。舊穀既沒,新穀既升,鑽燧改火,期可已矣。」
子曰:「食夫稻,衣夫錦,於女安乎?」曰:「安!」
「女安,則爲之!夫君子之居喪,食旨不甘,聞樂不樂,居處不安,故不爲也。今女安,則爲之!」
宰我出。子曰:「予之不仁也!子生三年,然後免於父母之懷。夫三年之喪,天下之通喪也。予也,有三年之愛於其父母乎?」

書き下し文

宰我さいが、問うて曰く、「三年のすでに久し。君子、三年、礼をさざれば、礼必ずやぶる。三年、楽を為さざれば、楽必ず崩る。旧穀きゅうこく既に没し、新穀しんこく既にのぼる。鑽燧さんすい火を改む。すればむべし。」
子曰く、「いねを食し、夫のにしきるは、なんじに於いてやすからんか?」
曰く、「安し。」
「女安し。則ち之を為せ。夫れ君子の喪に居るや、食旨しょくし甘からず、楽を聞きて楽しまざる。居処きょしょ安からず。故に為さざるなり。今、女安し。則ち之を為せ。」
宰我、出ず。
子曰く、「われ之を不仁とす!子、生まれて三年、然る後に父母のふところまぬかる。夫れ三年の喪は、天下の通喪つうそうなり。予もまた、三年の愛、父母に於いて有らんか。」

日本語訳

宰我が尋ねた。「三年の喪(親の死後の服喪期間)は長すぎませんか?君子が三年間礼を行わなければ、礼は崩れます。三年間音楽を奏でなければ、音楽は廃れてしまいます。古い穀物が尽き、新しい穀物が実る頃には、火を起こす道具も新しくなる。だから、喪の期間もそこまで長くなくてもいいのでは?」
孔子は言った。「お前はうまい米を食べ、豪華な錦の衣を着ることに満足か?」
宰我は答えた。「はい、満足です。」
孔子は言った。「満足ならば、そうするがよい。しかし、君子は喪に服す間、うまい食事を食べても美味しく感じず、音楽を聞いても楽しめず、生活が落ち着かないものだ。だからこそ、喪の期間を守るのだ。お前がそれでも満足なら、勝手にするがいい。」
宰我が退出した後、孔子は言った。「彼はなんと仁に欠けた者か!人は生まれて三年間、親の懐で育てられる。だからこそ、三年の喪は世の常なのだ。私もまた、親から三年の愛を受けたではないか。」

陽貨第十七・二二

白文

子曰:「飽食終日,無所用心,難矣哉!不有博弈者乎?爲之,猶賢乎已!」

書き下し文

子曰く、「飽食ほうしょくして終日しゅうじつ、心を用うる所無ければ、かたきかな!博弈ばくえきする者有らずや。之をすは、むよりまされり。」

日本語訳

孔子は言った。「一日中ただ満腹で何も考えずに過ごすのは、なんと嘆かわしいことか!せめて博打や囲碁をする者でもいないのか?それでも、何もしないよりはまだましだ。」

陽貨第十七・二三

白文

子路曰:「君子尙勇乎?」
子曰:「君子義以爲上。君子有勇而無義爲亂,小人有勇而無義爲盜。」

書き下し文

子路曰く、「君子はなお勇を重んずるか?」
子曰く、「君子は義をもっじょうす。君子に勇有りて義無くんばみだれ、小人に勇有りて義無くんばとうる。」

日本語訳

子路が尋ねた。「君子は勇敢であるべきでしょうか?」
孔子は答えた。「君子はまず義(正しい道)を重んじるべきだ。君子が勇敢でも義がなければ、世を乱すことになる。小人が勇敢でも義がなければ、ただの盗人になるだけだ。」

陽貨第十七・二四

白文

子貢曰:「君子亦有惡乎?」
子曰:「有惡,惡稱人之惡者,惡居下流而訕上者,惡勇而無禮者,惡果敢而窒者。」
曰:「賜也亦有惡乎?」
「惡徼以爲知者,惡不孫以爲勇者,惡訐以爲直者。」

書き下し文

子貢曰く、「君子もまたにくむこと有るか?」
子曰く、「悪むこと有り。人の悪をしょうする者を悪み、下流げりゅうに居て上をそしる者を悪み、勇にして礼無き者を悪み、果敢かかんにしてちつする者を悪む。」
曰く、「もまた悪むこと有るか?」
曰く、「ぎょうしてと為す者を悪み、不孫ふそんにして勇と為す者を悪み、けつして直と為す者を悪む。」

日本語訳

子貢が尋ねた。「君子にも嫌うことがありますか?」
孔子は答えた。「ある。人の悪を言いふらす者、身分が低いのに上の者をそしる者、勇敢ではあるが礼儀を知らぬ者、決断力はあるが視野の狭い者、これらを私は嫌う。」
子貢がさらに尋ねた。「私にも嫌いなものがあります。知ったかぶりをする者、礼を欠いているのに勇ましいふりをする者、相手を攻撃することを正直さだと勘違いしている者、これらが私の嫌いなものです。」

陽貨第十七・二五

白文

子曰:「唯女子與小人爲難養也!近之則不孫,遠之則怨。」

書き下し文

子曰く、「ただ女子と小人とはやしない難し。之に近づけば則ち不孫ふそんにし、之を遠ざくれば則ちうらむ。」

日本語訳

孔子は言った。「ただ女性と小人(徳のない者)は扱いにくい。近づけば傲慢になり、遠ざければ恨まれる。」

陽貨第十七・二六

白文

子曰:「年四十而見惡焉,其終也已。」

書き下し文

子曰く、「年四十にして悪をあらわす者は、其のおわりなり。」

日本語訳

孔子は言った。「四十歳になっても悪い性質を改められない者は、もう終わりだ。」

微子第十八

微子第十八・一

白文

微子去之,箕子爲之奴,比干諫而死。孔子曰:「殷有三仁焉。」

書き下し文

微子びし、之を去る。箕子きし、之が奴と為る。比干ひかんいさめて死す。孔子曰く、「殷に三仁有り。」

日本語訳

微子は殷(いん)の国を去った。箕子は奴隷とされた。比干は諫言(いさめ)したがために殺された。
孔子は言った。「殷には三人の仁者がいた。」

微子第十八・二

白文

柳下惠爲士師,三黜。人曰:「子未可以去乎?」曰:「直道而事人,焉往而不三黜?枉道而事人,何必去父母之邦?」

書き下し文

柳下惠りゅうかけい士師ししと為りて、三たびしりぞけらる。人曰く、「子、いまだ去るべからざるか。」
曰く、「直道にして人につかうるに、いずくんぞきて三たびしりぞけられざらん。枉道おうどうにして人に事うるに、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。」

日本語訳

柳下惠は士師(司法官)として仕えたが、三度も免職された。
人々が「もう辞めたらどうですか?」と尋ねると、彼は答えた。
「正しい道を貫いて仕えれば、どこへ行こうとも三度は罷免されるものだ。不正な道に従って仕えるくらいなら、なぜわざわざ故郷を去る必要があるのか。」

微子第十八・三

白文

齊景公待孔子,曰:「若季氏則吾不能,以季、孟之閒待之。」曰:「吾老矣,不能用也。」孔子行。

書き下し文

斉景公せいけいこう、孔子を待つに曰く、「季氏のごときはわれあたわず。季孟きもうあいだを以て之を待たん。」
曰く、「吾、老いたり。能く用いざるなり。」
孔子、る。

日本語訳

斉の景公が孔子を迎えて言った。
「季氏のような待遇はできないが、季氏と孟氏の間くらいの待遇で迎えよう。」
しかし、後に彼は「私は老いたので、孔子をうまく用いることができない」と言った。
孔子は斉を去った。

微子第十八・四

白文

齊人歸女樂,季桓子受之,三日不朝。孔子行。

書き下し文

斉人、女楽じょがくおくる。季桓子きかんし、之を受けて、三日朝ちょうせず。孔子、行く。

日本語訳

斉の国から女楽(女の楽人)が贈られた。季桓子はそれを受け取り、三日間政務を怠った。
孔子は彼のもとを去った。

微子第十八・五

白文

楚狂接輿,歌而過孔子,曰:「鳳兮!鳳兮!何德之衰?往者不可諫,來者猶可追。已而!已而!今之從政者殆而!」孔子下,欲與之言。趨而辟之,不得與之言。

書き下し文

楚狂そこう接輿せつよ、歌いて孔子をよぎりて曰く、
ほうよ、鳳よ、何ぞ徳の衰えたるや。
る者はいさむべからず、きたる者はお追うべし。
めよ、已めよ、今の従政じゅうせい者はあやうし!」
孔子、下りて之と言わんと欲す。はしりて之をく。之と言うを得ず。

日本語訳

楚の狂人・接輿が歌いながら孔子の前を通った。
「鳳凰よ、鳳凰よ、どうして徳が衰えてしまったのか。
過去のことはもう変えられないが、未来はまだ挽回できる。
やめろ、やめろ!今の政治家たちは危ういぞ!」
孔子は馬車を降りて彼と話そうとしたが、接輿は走り去り、話すことはできなかった。

微子第十八・六

白文

長沮、桀溺耦而耕。孔子過之,使子路問津焉。
長沮曰:「夫執輿者爲誰?」
子路曰:「爲孔丘。」
曰:「是魯孔丘與?」
曰:「是也。」
曰:「是知津矣!」
問於桀溺,桀溺曰:「子爲誰?」
曰:「爲仲由。」
曰:「是魯孔丘之徒與?」
對曰:「然。」
曰:「滔滔者,天下皆是也,而誰以易之?且而與其從辟人之士也,豈若從辟世之士哉?」
耰而不輟。
子路行以吿,夫子憮然曰:「鳥獸不可與同群!吾非斯人之徒與而誰與?天下有道,丘不與易也。」

書き下し文

長沮ちょうそ桀溺けつできともにしてたがやす。
孔子、之をよぎり、子路をしてわたりを問わしむ。
長沮曰く、「の輿をる者は誰ぞ。」
子路曰く、「孔丘こうきゅうと為す。」
曰く、「是れ魯の孔丘か?」
曰く、「是れなり。」
曰く、「是れ津を知る者なり!」
桀溺に問う。
桀溺曰く、「子は誰ぞ?」
曰く、「仲由ちゅうゆうと為す。」
曰く、「是れ魯の孔丘のともがらか?」
対えて曰く、「しかり。」
曰く、「滔滔とうとうたる者は、天下皆是れなり。しかして誰をかもって之にえん。
且つ、なんじ辟人へきじんの士に従うよりも、辟世へきせいの士に従うにらずや。」
きてめず。
子路、行きてって告ぐ。
夫子、憮然ぶぜんとして曰く、「鳥獣ちょうじゅうともぐんするからず!
われの人のともがらあらずんば、たれともにせん。
天下に道有らば、きゅうえず。」

日本語訳

長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)は、共に畑を耕していた。
孔子は彼らのところを通りかかり、子路に川の渡り方を尋ねるよう命じた。
長沮が尋ねた。「馬車に乗っているのは誰だ?」
子路は答えた。「孔丘です。」
長沮は言った。「あの魯の孔丘か?」
子路は答えた。「そうです。」
すると長沮は皮肉を込めて言った。「なるほど、孔丘ならきっと渡り方を知っているだろうよ!」
次に桀溺に尋ねると、桀溺が聞いた。「お前は誰だ?」
子路は答えた。「仲由(子路)です。」
桀溺は言った。「お前はあの魯の孔丘の弟子か?」
子路は答えた。「そうです。」
すると桀溺は言った。「この世界は混沌としており、誰にも変えることはできない。
それならば、世の中を避ける人に従う方が、人を避ける人に従うよりも良いのではないか?」
そう言いながら、彼は耕作の手を止めなかった。
子路は戻ってこのことを孔子に報告した。
すると孔子は憮然として言った。「鳥や獣とは一緒に生きることはできない。
私がこのような人々と共にしないのであれば、一体誰と共に生きるべきなのか?
もし天下に道があるならば、私は何も変える必要はないのだ。」

微子第十八・七

白文

子路從而後,遇丈人,以杖荷蓧。子路問曰:「子見夫子乎?」
丈人曰:「四體不勤,五穀不分,孰爲夫子?」
植其杖而芸。子路拱而立。
止子路宿,殺雞爲黍而食之,見其二子焉。
明日,子路行以吿。
子曰:「隱者也。」使子路反見之。至則行矣。
子路曰:「不仕無義。長幼之節,不可廢也;君臣之義,如之何其廢之?
欲潔其身,而亂大倫。君子之仕也,行其義也。道之不行,已知之矣。」

書き下し文

子路、従いてのち丈人じょうじんう。杖をってれんになう。
子路、問いて曰く、「夫子ふうしまみえたりや?」
丈人曰く、「四体したいつとめず、五穀ごこくわかたず。たれか夫子とらん。」
其の杖を植え、くさぎる。子路、きょうして立つ。
子路をとどめて宿せしめ、鶏を殺し、しょし、之を食わしむ。
其の二子を見る。
明日、子路、行きてって告ぐ。
子曰く、「隠者なり。」子路をしてかえりて之にまみえしむ。至れば則ちる。
子路曰く、「つかえざるは義無し。長幼ちょうようせつすたるべからず。君臣の義、之を如何いかんぞして廃らん。
其の身をきよめんと欲して、大倫たいりんを乱す。君子の仕うるは、其の義を行うなり。道の行われざるは、すでに之を知る。」

日本語訳

子路が孔子の後についていたとき、一人の老人に出会った。彼は杖を持ち、蓧(みの)を背負っていた。
子路は尋ねた。「あなたは孔子を見ましたか?」
老人は答えた。「自分の手足を動かさず、五穀の区別もつかぬ者が、どうして先生などと呼ばれるのか?」
そう言って、杖を地面に立て、草取りを始めた。子路は手を組んで立ち尽くした。
その老人は子路を家に泊め、鶏を絞めて黍(きび)のご飯を炊き、食事を振る舞った。子路は彼の二人の息子にも会った。
翌日、子路は孔子のもとへ戻り、このことを報告した。
孔子は言った。「彼は隠者である。」そして子路に再び訪ねさせたが、すでにその老人は去っていた。
子路は言った。「仕官しないことは不義です。年長者と年少者の関係は廃れてはならず、君臣の関係もまた、どうして捨て去ることができましょうか。
自分の身を清らかに保ちたいという理由で、大きな道理を乱すとは!君子が仕官するのは、正義を実行するためです。
しかし、今の世の中では、正しい道が行われないことは、すでに分かっています。」

微子第十八・八

白文

逸民:伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連。
子曰:「不降其志,不辱其身,伯夷叔齊與!」
謂柳下惠、少連:「降志辱身矣。言中倫,行中慮,其斯而已矣。」
謂虞仲、夷逸:「隱居放言,身中淸,廢中權。」
我則異於是,無可無不可。」

書き下し文

逸民いつみん伯夷はくい叔齊しゅくせい虞仲ぐちゅう夷逸いいつ朱張しゅちょう柳下惠りゅうかけい少連しょうれん
子曰く、「其の志をくださず、其の身をはずかしめず。伯夷、叔齊しゅくせいなるかな!」
柳下惠、少連にいて曰く、「志を降し、身を辱めたり。言はりんあたり、行はりょに中る。其れここにしてめん。」
虞仲、夷逸に謂いて曰く、「隠居して放言し、身は清にあたり、はいは権に中る。」
我はすなわち是れにことなり。も無く不可ふかも無し。」

日本語訳

世を避けた人々:伯夷(はくい)、叔齊(しゅくせい)、虞仲(ぐちゅう)、夷逸(いいつ)、朱張(しゅちょう)、柳下惠(りゅうかけい)、少連(しょうれん)。
孔子は言った。「自分の志を決して曲げず、身を汚さなかったのは、伯夷と叔齊である!」
柳下惠と少連については、こう評した。「彼らは志を下げ、身を汚した。しかし、その言葉は道理にかなっており、行動も慎重である。これが限界なのだろう。」
虞仲と夷逸については、「隠居して世の中を批判する。彼らは身の清廉さを保ち、秩序の崩壊を防ごうとした。」と評した。
そして孔子は言った。「私は彼らとは異なり、何が良いとも悪いとも決めつけない。」

微子第十八・九

白文

大師摯適齊,亞飯干適楚,三飯繚適蔡,四飯缺適秦。
鼓方叔入於河,播鼗武入於漢,少師陽、擊磬襄入於海。

書き下し文

大師摯たいししせいく。
亞飯干あはんかんに適く。
三飯繚さんはんりょうさいに適く。
四飯缺しはんけつしんに適く。
つづみ方叔ほうしゅくに入る。
播鼗武はとうぶかんに入る。
少師陽しょうしようけいじょう、海に入る。

日本語訳

大師の摯(し)は斉へ赴いた。
亞飯干(あはんかん)は楚へ赴いた。
三飯繚(さんはんりょう)は蔡へ赴いた。
四飯缺(しはんけつ)は秦へ赴いた。
鼓の奏者・方叔(ほうしゅく)は黄河へ渡った。
小さな太鼓を演奏する武(ぶ)は漢水へ渡った。
少師・陽(よう)、磬を奏でる襄(じょう)は海へ渡った。

微子第十八・十

白文

周公謂魯公曰:「君子不施其親,不使大臣怨乎不以。
故舊無大故,則不棄也,無求備於一人。」

書き下し文

周公しゅうこう魯公ろこういてわく、
「君子は其のしんてず。大臣をして不以ふいうらませず。
故舊こきゅう大故たいこ無ければ、すなわてず。一人にそなうるを求むること無し。」

日本語訳

周公が魯公に言った。
「君子は親族を見捨てず、大臣が登用されなかったことで不満を抱かないよう配慮する。
古くからの臣が大きな過ちを犯さない限りは、これを見捨ててはならない。
そして、完璧な人物を求めようとしないことが大切だ。」

微子第十八・十一

白文

周有八士:伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季隨、季騧。

書き下し文

しゅう八士はっし有り。
伯達はくだつ伯适はくせき仲突ちゅうとつ仲忽ちゅうこつ
叔夜しゅくや叔夏しゅくか季隨きずい季騧きか

日本語訳

周の時代に八人の賢者がいた。
伯達はくだつ伯适はくせき仲突ちゅうとつ仲忽ちゅうこつ
叔夜しゅくや叔夏しゅくか季隨きずい季騧きかである。

子張第十九

子張第十九・一

白文

子張曰:「士見危致命,見得思義,祭思敬,喪思哀,其可已矣。」

書き下し文

子張曰く、「あやきを見ては命を致し、るを見ては義を思い、まつりには敬を思い、にはあいを思う。其れむべきか。」

日本語訳

子張は言った。「士(身分のある者)は、危機に際しては命を捧げ、利益を前にしては義を考え、祭祀では敬意を払い、喪に際しては哀しみを示す。これで十分ではないか。」

子張第十九・二

白文

子張曰:「執德不弘,信道不篤,焉能爲有?焉能爲亡?」

書き下し文

子張曰く、「徳をりてひろからず、道を信じてあつからずんば、いずくんぞ有るをし、焉んぞ亡ぶを為さん。」

日本語訳

子張は言った。「徳を持ちながらも広く行き渡らせず、道を信じながらも深く実践しなければ、どうして成功できようか?また、どうして滅びることがないと言えようか?」

子張第十九・三

白文

子夏之門人,問「交」於子張。子張曰:「子夏云何?」
對曰:「子夏曰:『可者與之,其不可者拒之。』」
子張曰:「異乎吾所聞;『君子尊賢而容眾,嘉善而矜不能。』
我之大賢與,於人何所不容?我之不賢與,人將拒我,如之何其拒人也?」

書き下し文

子夏の門人、まじわりを子張に問う。子張曰く、「子夏はいかに云うや。」
こたえて曰く、「子夏曰く、『き者には与え、不可なる者には拒む。』と。」
子張曰く、「が聞く所にことなり。『君子は賢を尊びてしゅうれ、善をよみして不能をあわれむ。』
が大賢ならば、人をれざること何ぞあらん。
我が不賢ならば、人我を拒まん。如何いかんぞ其れ人を拒まん。」

日本語訳

子夏の弟子が、交友について子張に尋ねた。子張は「子夏は何と言っているのか?」と聞いた。
弟子は答えた。「子夏先生は『付き合うべき人とは交わり、そうでない者は拒む』とおっしゃいました。」
子張は言った。「それは私が聞いたこととは異なる。『君子は賢者を尊び、広く人を受け入れ、善行を称賛し、力の及ばない者を憐れむ』というのが正しい。
もし私が大いに賢いならば、なぜ人を受け入れないことがあろうか。
もし私が賢くなければ、人は私を拒むだろう。どうして私が人を拒むことができようか。」

子張第十九・四

白文

子夏曰:「雖小道,必有可觀者焉,致遠恐泥,是以君子不爲也。」

書き下し文

子夏曰く、「小道しょうどういえども、必ず観るべき者有り。遠きをいたすに恐らくはなずまん。ここって君子は為さざるなり。」

日本語訳

子夏は言った。「たとえ些細な技術でも、学ぶべきところはある。しかし、それにのめり込むと、大きな目標へ進む道を妨げることになりかねない。だからこそ、君子はそれを行わないのだ。」

子張第十九・五

白文

子夏曰:「日知其所亡,月無忘其所能,可謂好學也已矣。」

書き下し文

子夏曰く、「日に其のぼうする所を知り、つきに其のくする所を忘るること無ければ、好学こうがくうべきのみ。」

日本語訳

子夏は言った。「毎日、自分が知らないことを新たに学び、毎月、自分ができることを忘れないようにすれば、それが本当に学問を愛する者だと言える。」

子張第十九・六

白文

子夏曰:「博學而篤志,切問而近思,仁在其中矣。」

書き下し文

子夏曰く、「ひろく学びてこころざしあつくし、せつに問いてちかく思えば、仁其の中に在り。」

日本語訳

子夏は言った。「広く学び、志を厚く持ち、熱心に問い、身近なことをよく考えれば、その中に仁が宿る。」

子張第十九・七

白文

子夏曰:「百工居肆以成其事,君子學以致其道。」

書き下し文

子夏曰く、「百工ひゃっこうりて其の事を成し、君子は学びて其の道をいたす。」

日本語訳

子夏は言った。「職人は工房にいて技を極め、君子は学問を修めて道を成す。」

子張第十九・八

白文

子夏曰:「小人之過也必文。」

書き下し文

子夏曰く、「小人しょうじんあやまちは必ずかざる。」

日本語訳

子夏は言った。「小人(徳のない者)は、自らの過ちを取り繕い、美辞麗句で飾ろうとする。」

子張第十九・九

白文

子夏曰:「君子有三變:望之儼然,卽之也溫,聽其言也厲。」

書き下し文

子夏曰く、「君子には三変さんぺん有り。之をのぞめば儼然げんぜんたり。之にけばおんなり。其の言をけばれいなり。」

日本語訳

子夏は言った。「君子には三つの様子がある。遠くから見ると厳かである。近づいて接すると温和である。話を聞けば、言葉は厳しく引き締まっている。」

子張第十九・十

白文

子夏曰:「君子信而後勞其民,未信則以爲厲己也。信而後諫,未信則以爲謗己也。」

書き下し文

子夏曰く、「君子はしんして後に其の民をろうす。未だ信ならざれば、すなわち己をやぶるとす。
信して後にいさむ。未だ信ならざれば、則ち己をそしると為す。」

日本語訳

子夏は言った。「君子は、まず民の信頼を得てから労役を課す。信頼がなければ、民はこれを自分に害をなすものと考えてしまう。
また、君子はまず信頼を得てから諫言(忠告)する。信頼がなければ、忠告はただの悪口と受け取られてしまう。」

子張第十九・十一

白文

子夏曰:「大德不踰閑,小德出入可也。」

書き下し文

子夏曰く、「大徳たいてくかんえず。小徳しょうとくは出入するもなり。」

日本語訳

子夏は言った。「大きな徳は常に規律を守り、逸脱しない。しかし、小さな徳については、多少の変動があっても問題はない。」

子張第十九・十二

白文

子游曰:「子夏之門人小子,當洒掃應對進退則可矣,抑末也;本之則無,如之何?」
子夏聞之曰:「噫!言游過矣!君子之道,孰先傳焉?孰後倦焉?
譬諸草木,區以別矣。君子之道,焉可誣也?有始有卒者,其惟聖人乎!」

書き下し文

子游曰く、「子夏の門人もんじん小子しょうし洒掃さいそう応対おうたい進退しんたいさにすべし。そもそすえなり。もとれ無し。之を如何いかんせん。」
子夏、之を聞きて曰く、「ああことばゆうあやまれり!君子の道、たれか先んじて伝え、孰か後れてまず。
たとえば草木のごとく、してってわかつ。君子の道、いずくんぞうべけんや。はじめ有り、おわり有る者は、其れだ聖人か!」

日本語訳

子游は言った。「子夏の弟子たちは、掃除や礼儀作法の習得には向いているが、それは枝葉末節なことだ。本質的な学問には至っていない。これではどうにもならないではないか。」
子夏はそれを聞いて言った。「ああ!子游の言葉は誤っている!君子の道を誰が先に学び、誰が後から学ぶか、そんなことは問題ではない。
たとえば草木にも種類があり、それぞれが異なる特徴を持つように、人もまたそれぞれの学び方があるのだ。君子の道をどうして一概に断じることができようか?
始まりがあり、終わりがある者、それが聖人だけではないか!」

子張第十九・十三

白文

子夏曰:「仕而優則學,學而優則仕。」

書き下し文

子夏曰く、「つかえてゆうなればすなわち学び、学びて優なれば則ち仕う。」

日本語訳

子夏は言った。「官職に就いて余裕があれば学問をし、学問に励んで余裕ができれば官職に就くべきだ。」

子張第十九・十四

白文

子游曰:「喪致乎哀而止。」

書き下し文

子游曰く、「あいを致してむ。」

日本語訳

子游は言った。「喪においては、最大限に哀しみを表すことが大切であり、それ以上の形式にはこだわる必要はない。」

子張第十九・十五

白文

子游曰:「吾友張也,爲難能也,然而未仁。」

書き下し文

子游曰く、「友張ちょうや、難能なんのうすなり。しかれどもいまだ仁ならず。」

日本語訳

子游は言った。「私の友である子張は、確かに立派な行いをするが、まだ仁の境地には達していない。」

子張第十九・十六

白文

曾子曰:「堂堂乎張也,難與並爲仁矣。」

書き下し文

曾子曰く、「堂堂どうどうたるかなちょうや、ともに仁をすことかたし。」

日本語訳

曾子は言った。「堂々たる風格を持つ子張ではあるが、仁を共に成し遂げることは難しいだろう。」

子張第十九・十七

白文

曾子曰:「吾聞諸夫子:『人未有自致者也,必也親喪乎!』」

書き下し文

曾子曰く、「われこれ夫子ふうしに聞けり。『人、いまだ自らいたす者有らず、かならずや親喪しんそうにおいてなり!』と。」

日本語訳

曾子は言った。「私は先生(孔子)からこう聞いた。『人が最も深く自分を省みるのは、必ず親の死に直面したときである。』と。」

子張第十九・十八

白文

曾子曰:「吾聞諸夫子:『孟莊子之孝也,其他可能也,其不改父之臣,與父之政,是難能也。』」

書き下し文

曾子曰く、「われこれ夫子ふうしに聞けり。『孟莊子もうそうしこうなるは、其のくすること可能かのうなり。其の父の臣を改めず、父の政に従う、かたのうなり。』と。」

日本語訳

曾子は言った。「私は先生(孔子)からこう聞いた。『孟莊子の孝行は、普通のことは誰にでもできる。しかし、父の家臣を替えず、父の政治をそのまま受け継ぐことこそ、真に難しいことである。』と。」

子張第十九・十九

白文

孟氏使陽膚爲士師,問於曾子。曾子曰:「上失其道,民散久矣!如得其情,則哀矜而勿喜。」

書き下し文

孟氏もうし陽膚ようふをして士師ししす。曾子に問う。
曾子曰く、「かみ其の道をうしないて、たみ散ることひさし。
し其の情をば、すなわ哀矜あいきょうしてよろこぶことなかれ。」

日本語訳

孟氏は陽膚を士師(司法官)に任命し、曾子に意見を求めた。
曾子は言った。「上の者が正しい道を失って久しく、民は散り乱れている。
もし裁判で真実を知ることができたならば、哀れみをもって対処し、決して喜んではならない。」

子張第十九・二十

白文

子貢曰:「紂之不善,不如是之甚也。是以君子惡居下流,天下之惡皆歸焉。」

書き下し文

子貢曰く、「ちゅう不善ふぜんは、これはなはだしきにかず。
って君子は下流げりゅうるをにくむ。天下のあくみなここす。」

日本語訳

子貢は言った。「殷の紂王の悪政も、ここまでひどくはなかった。
だからこそ君子は、社会の底辺に身を置くことを嫌う。なぜなら、天下のすべての悪がそこに集まってしまうからだ。」

子張第十九・二一

白文

子貢曰:「君子之過也,如日月之食焉。過也,人皆見之;更也,人皆仰之。」

書き下し文

子貢曰く、「君子のあやまつや、日月じつげつしょくごとし。
あやまつときは、人皆みな之をる。あらたむるときは、人皆之をあおぐ。」

日本語訳

子貢は言った。「君子が過ちを犯すのは、太陽や月の蝕のようなものだ。
過ちを犯せば、誰もがそれを目にする。しかし、それを改めれば、誰もが彼を敬う。」

子張第十九・二二

白文

衞公孫朝問於子貢曰:「仲尼焉學?」
子貢曰:「文、武之道,未墜於地,在人。賢者識其大者,不賢者識其小者,莫不有文、武之道焉。
夫子焉不學?而亦何常師之有?」

書き下し文

えい公孫朝こうそんちょう、子貢に問いて曰く、「仲尼ちゅうじいずくにか学ぶ?」
子貢曰く、「ぶんの道、いまだ地にちず、人にり。
賢者けんじゃは其のたいり、不賢者ふけんじゃは其のしょうを識る。
文、武の道にらざるし。
夫子ふうしいずくにか学ばざらん。
しかまたいずくんぞつね有らん。」

日本語訳

衛の公孫朝が子貢に尋ねた。「仲尼(孔子)は、どこで学んだのか?」
子貢は答えた。「文王や武王の道は、まだ地に埋もれてはいない。人々の中に生きている。
賢者はその大きな部分を学び、そうでない者も小さな部分を学ぶ。
誰もが文王や武王の道を持っているのだ。
だから先生がどこで学んだかなど問題ではない。
そして、特定の師にだけ学んだということもない。」

子張第十九・二三

白文

叔孫武叔語大夫於朝,曰:「子貢賢於仲尼。」
子服景伯以吿子貢。
子貢曰:「譬之宮牆,賜之牆也及肩,闚見室家之好;
夫子之牆數仞,不得其門而入,不見宗廟之美、百官之富。
得其門者或寡矣。夫子之云,不亦宜乎!」

書き下し文

叔孫武叔しゅくそんぶしゅく大夫たいふに語りてちょうに曰く、「子貢しこう仲尼ちゅうじまされり。」
子服景伯しふくけいはくって子貢に告ぐ。
子貢曰く、「之を宮牆きゅうしょうたとうれば、かきおよかたし。
室家しつかこう窺見きけんす。
夫子の牆は数仞すうじん、其の門をずして入り、宗廟そうびょうの美、百官ひゃっかんを見ることず。
其の門をる者、あるいはすくなし。夫子の云う、またむべなるかな。」

日本語訳

叔孫武叔が朝廷で大夫に言った。「子貢は孔子よりも優れている。」
子服景伯がこのことを子貢に伝えた。
子貢は言った。「これを宮殿の塀に例えるならば、私(子貢)の塀は肩の高さほどしかなく、人々は容易に中を覗き、家の美しさを知ることができる。
しかし、先生(孔子)の塀は何メートルも高く、その門を見つけなければ中に入ることができない。
その門を見つけて入れる者は、ごくわずかだ。
だから先生の偉大さが分からないのも当然だ。」

子張第十九・二四

白文

叔孫武叔毀仲尼。子貢曰:「無以爲也,仲尼不可毀也。他人之賢者,丘陵也,猶可踰也;
仲尼,日月也,無得而踰焉。人雖欲自絕,其何傷於日月乎?多見其不知量也!」

書き下し文

叔孫武叔しゅくそんぶしゅく仲尼ちゅうじそしる。
子貢曰く、「ってすこと無し。仲尼はそしるべからず。
他人の賢者けんじゃ丘陵きゅうりょうごとし、なおゆべし。
仲尼は日月じつげつの如し。て踰ゆること無し。
人、たとみずかたんと欲するも、其れなんぞ日月にきずつけん。
おおく其のはかりごとを知らざるをるなり。」

日本語訳

叔孫武叔が孔子を誹謗した。
すると子貢は言った。「そんなことは問題ではない。孔子は誹謗することなどできない。
他の賢者は丘や山のようなもので、努力すれば乗り越えられる。
しかし、孔子は太陽や月のような存在だ。誰もそれを超えることはできない。
人が自ら太陽や月から離れようとしても、それが太陽や月に何の影響を与えるだろうか?
ただ、己の器量を知らないだけなのだ。」

子張第十九・二五

白文

陳子禽謂子貢曰:「子爲恭也,仲尼豈賢於子乎?」
子貢曰:「君子一言以爲知,一言以爲不知,言不可不愼也!
夫子之不可及也,猶天之不可階而升也。
夫子之得邦家者,所謂『立之斯立,道之斯行,綏之斯來,動之斯和。其生也榮,其死也哀』。
如之何其可及也?」

書き下し文

陳子禽ちんしきん、子貢にいて曰く、「きょうすなり。仲尼ちゅうじに子にまされりや?」
子貢曰く、「君子は一言いちげんってと為し、一言を以って不知ふちと為す。ことばつつしまざるべからず!
夫子ふうしおよぶべからざるや、なお天のきざはししてのぼるべからざるがごとし。
夫子、邦家ほうかば、所謂いわゆる、『之をてばすなわち立ち、之をみちびけば斯ちおこなわれ、之をやすんずれば斯ちきたり、之を動かせば斯ちやわらぐ。其のけるやえいなり、其のするやあいなり。』
これ如何いかんぞ其れ及ぶべけんや。」

日本語訳

陳子禽が子貢に言った。「君はとても礼儀正しい。だが、本当に孔子は君よりも優れているのか?」
子貢は答えた。「君子は、一言で賢者とされ、一言で愚者とされる。だからこそ、言葉は慎重に選ばなければならない。
先生(孔子)は、決して到達できない存在だ。それは、天に階段をかけて登ることができないのと同じことだ。
もし先生が国を治めるならば、『彼が立てば、国も立ち、彼が導けば、道は行われ、彼が安定させれば、人々は集まり、彼が動けば、和が生まれる。
生きている間は栄え、亡くなれば人々は深く悲しむ。』
どうして、そんな偉大な人に追いつくことができようか?」

堯曰第二十

堯曰第二十・一

白文

堯曰:「咨!爾舜!天之曆數在爾躬,允執其中!四海困窮,天祿永終。」
舜亦以命禹。曰:「予小子履,敢用玄牡,敢昭吿于皇皇后帝:有罪不敢赦。
帝臣不蔽,簡在帝心!朕躬有罪,無以萬方;萬方有罪,罪在朕躬。」
「周有大賚,善人是富。」
「雖有周親,不如仁人;百姓有過,在予一人。」
謹權量,審法度,脩廢官,四方之政行焉。
興滅國,繼絕世,擧逸民,天下之民歸心焉。
所重:民、食、喪、祭。
寬則得眾,信則民任焉,敏則有功,公則說。

書き下し文

ぎょう、曰く、「ああなんじしゅんよ!天の曆数れきすう、爾のり。まことに其中をれ!
四海しかい困窮こんきゅうすれば、天祿てんろく永く終わらん。」
舜もまためいず。曰く、「われ小子しょうしりょえて玄牡げんぼを用い、敢えてあきらかに皇皇こうこうたる後帝こうていに告ぐ。
罪有れば敢えて赦さず。帝臣ていしんおおわれず、えらばれて帝心ていしんに在り!
ちんに罪あらば、万方ばんぽうってすること無し。
万方に罪あらば、罪は朕の躬に在り。」
しゅう大賚たいらい有り。善人ぜんじんこれを富ます。」
周親しゅうしん有りといえども、仁人じんじんかず。
百姓ひゃくせいあやまち有らば、予の一人に在り。」
権量けんりょうつつしみ、法度ほうどつまびらかにし、廃官はいかんおさめれば、四方しほうまつりごと行わる。
滅びた国をおこし、絶えた世を継ぎ、逸民いつみんぐれば、天下の民、心を帰す。
重きを置くは、民、しょくそうさいなり。
かんなればすなわしゅうを得、しんあれば則ち民、まかす。
びんなれば則ちこうあり、こうなれば則ちよろこぶ。

日本語訳

堯は言った。「ああ、舜よ!天命はそなたの身にかかっている。必ずその中庸を保て!
もし天下の民が困窮すれば、天の福は永遠に失われるだろう。」
舜もまた、禹に命じた。
「私は小さき者ながら、慎み深く黒い牡牛を供え、敬虔なる心をもって皇天上帝に報告する。
罪を犯せば、決して赦さぬ。天の臣たちは隠し立てせず、慎重に選ばれ、天の意志のもとにある!
もし私に罪があれば、それは天下のためではない。
もし天下に罪があれば、その責任は私自身にあるのだ。」
「周の国は大いなる賜り物を持っている。善良な者が富を得るべきだ。」
「血縁の親族がいようとも、仁ある者には及ばない。
民に過ちがあれば、それはすべて私一人の責任である。」
秤を正し、法律を整え、廃れた役職を復興させれば、四方の政治は正しく機能する。
滅んだ国を再建し、断絶した家系を継ぎ、隠れた賢者を登用すれば、天下の人々は心を寄せるようになる。
政治において大切なのは、民の生活、食糧、喪礼、祭祀である。
寛大であれば人々は集まり、誠実であれば民は安心する。
機敏であれば功績を上げ、公正であれば皆が喜ぶのだ。

堯曰第二十・二

白文

子張問於孔子曰:「何如斯可以從政矣?」
子曰:「尊五美,屛四惡,斯可以從政矣。」
子張曰:「何謂五美?」
子曰:「君子惠而不費,勞而不怨,欲而不貪,泰而不驕,威而不猛。」
子張曰:「何謂惠而不費?」
子曰:「因民之所利而利之,斯不亦惠而不費乎!
擇可勞而勞之,又誰怨?
欲仁而得仁,又焉貪?
君子無眾寡,無小大,無敢慢,斯不亦泰而不驕乎?
君子正其衣冠,尊其瞻視,儼然人望而畏之,斯不亦威而不猛乎!」
子張曰:「何謂四惡?」
子曰:「不教而殺謂之虐;不戒視成謂之暴;慢令致期謂之賊;猶之與人也,出納之吝,謂之貪。」

書き下し文

子張しちょう、孔子に問うて曰く、「何如いかなるすなわってまつりごとに従うべきか。」
子曰く、「五美ごびたっとび、四悪しあくしりぞく。ここって政に従うべし。」
子張曰く、「なんぞ五美とうや。」
子曰く、「君子はけいにしてついやさず、ろうしてうらみず、欲してむさぼらず、たいにしておごらず、にしてもうならず。」
子張曰く、「何をか惠にして費やさずと謂う。」
子曰く、「民の利する所にりて之を利せば、すなわち惠にして費やさず。
労すべきをえらびて之を労せば、誰か怨むべき。
仁を欲して仁を得れば、いずくんぞ貪らん。
君子は眾寡ちゅうかを問わず、小大しょうだいを問わず、敢えてまんせず。斯、不亦また泰にして驕らざるか。
君子は衣冠を正し、視線を慎み、威厳を持って人望を得ておそれられる。斯、不亦、威にして猛ならざるか。」
子張曰く、「何をか四悪と謂う。」
子曰く、「教えずして殺すをぎゃくと謂う。戒めずして成を視るをぼうと謂う。命を怠りてを致すをぞくと謂う。人にあたうるにやぶさかなるをたんと謂う。」

日本語訳

子張(しちょう)が孔子に尋ねて言った。
「どうすれば政治に携わることができるのでしょうか?」
孔子は言った。
「五つの善を尊び、四つの悪を取り除けば、政治に携わることができる。」
子張が尋ねた。
「五つの善とは何ですか?」
孔子は言った。
「君子は、恵みを施しても浪費せず、労働をしても怨みを持たず、欲しても貪らず、泰然としていても驕らず、威厳があっても猛々しくない。」
子張が尋ねた。
「恵みを施しても浪費しないとはどういうことですか?」
孔子は言った。
「民の利益となることを行うことで、これこそが恵みを施しながらも浪費しないことではないか!
労するに値することを選んで労するならば、誰が怨むことがあるだろうか?
仁を求めて仁を得るならば、どこに貪欲があろうか?
君子は、人が多かろうと少なかろうと、大きかろうと小さかろうと、決しておごらず怠らない。これこそが泰然としていても驕らないことではないか?
君子は衣冠を正し、視線を尊び、厳かな態度で人々の信頼を集め畏れられる。これこそが威厳がありながらも猛々しくないことではないか!」
子張が尋ねた。
「四つの悪とは何ですか?」
孔子は言った。
「教えずに殺すことを『虐(ぎゃく)』という。
戒めずに成否を問うことを『暴(ぼう)』という。
命令をいい加減に出しながら、期限を厳しく求めることを『賊(ぞく)』という。
人に物を与える際に惜しんで出し渋ることを『貪(たん)』という。」

堯曰第二十・三

白文

子曰:「不知命,無以爲君子也;不知禮,無以立也;不知言,無以知人也。」

書き下し文

子曰く、「めいを知らざれば、って君子とすこと無し。
れいを知らざれば、以ってつこと無し。
言(げん)を知らざれば、以って人を知ること無し。」

日本語訳

孔子は言った。「天命を知らなければ、君子となることはできない。
礼を知らなければ、立身することもできない。
言葉を理解しなければ、人を見抜くこともできない。」

目次に戻る