学問のすゝめ

原著(青空文庫)を、現代の日本語訳に翻訳してあります。

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初編

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。つまり、天が人を生むとき、万人は平等であり、生まれながら貴賤や上下の差別がなく、万物の霊たる身体と心の働きを活用して、天地の間にあるあらゆるものを資源とし、衣食住を満たし、自由自在に、互いに妨げ合うことなく安楽にこの世を渡ることを天は許したのである。
しかしながら、今、人間社会を広く見渡すと、賢い人も愚かな人も、貧しい人も富んだ人も、高い身分の人も低い身分の人もおり、その様子はまるで雲と泥ほどの違いがあるように見える。それは一体なぜだろうか。この理由は明白である。『実語教』には「人、学ばざれば智なし。智なき者は愚人なり」とある。したがって、賢者と愚者の違いは、学ぶか学ばないかによって生じるのである。
また、世の中には難しい仕事と容易な仕事がある。難しい仕事をする人を「身分の重い人」と名付け、容易な仕事をする人を「身分の軽い人」と呼ぶ。すべて、心を尽くし、心配を伴う仕事は難しく、手足を用いる力仕事は容易である。したがって、医者や学者、政府の役人、大商売を営む町人、または多くの奉公人を抱える大地主などは、身分が重く貴い者と言える。
身分が重く貴い人々の家は自然と富み、下層の者から見ると近づき難い存在のように見えるが、その本質を尋ねると、単にその人に学問の力があるかないかによる違いが生じているだけで、天が定めた約束ではない。諺にも「天は富貴を人に与えるのではなく、その人の働きに与える」とある。したがって、人は生まれながらにして貴賤や貧富の差はない。ただ、学問に励み、物事をよく理解する者が貴人となり富人となり、学問を欠いた者が貧人となり下人となるのである。
学問とは、ただ難しい文字を知り、難解な古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世間で実用的ではない文学を指すのではない。これらの文学も人の心を楽しませ、有用ではあるが、古来の儒者や和学者が言うように、過度に尊重すべきものではない。事実、古来の漢学者に世帯をうまく管理する者は少なく、和歌に優れながら商売に成功する町人も稀である。このため、心ある町人や百姓は、子が学問に励む様子を見て「いずれ身代を潰すだろう」と心配することがある。これも無理はない。結局、その学問が実際的でなく、日常の役に立たないからである。
したがって、実益のない学問は後回しにし、人間が日常生活で役立つ実学を重視すべきである。例えば、「いろは四十七文字」を習い、手紙の文書、帳簿の付け方、算盤の技術、天秤の使い方を学ぶ。さらに進んで学ぶべき分野は多岐にわたる。地理学は日本国内はもちろん世界の諸国の地理や道案内を学ぶ。究理学(自然科学)は天地万物の性質と働きを知る学問である。歴史は世界と日本の古今の出来事を探る学問である。経済学は一人の家庭から国家全体の運営を論じる学問である。修身学(倫理学)は自己の行動を修め、人と交わり、世間を渡る自然の道理を述べるものである。
これらの学問を学ぶためには、西洋の翻訳書を調べ、日本語で分かりやすく用い、年少で文才のある者には外国語を学ばせるべきである。そして、一科一学において実際的な事柄に基づき、物事の道理を学び、現代の生活に活かすべきである。これこそ、人として貴賤上下の区別なく修養すべき心得である。この心得を持ち、士農工商の各階層がそれぞれの職分を尽くし、家業に励み、個々が独立し、家庭も独立し、さらに国家も独立すべきである。
学問において重要なことは、自身の分限(限界や範囲)を知ることである。人間の本性は、束縛されず自由であり、一人前の男性は男性、一人前の女性は女性として自由自在であるべきであるが、ただ「自由自在」と唱えるだけでは、分限を知らずにわがままや放蕩に陥ることが多いのである。この分限とは、天の道理に基づき、人情に従い、他人に迷惑をかけずに自身の自由を達成することを意味する。自由とわがままの線引きは、他人の妨げをするかしないかの間にある。例えば、自分の金銭を使って行うことならば、たとえ酒色にふけり放蕩に走るとしても、それは自由であるように見えるが、決してそうではない。一人の放蕩は他人の手本となり、世間の風俗を乱し、教育の妨げとなるため、その金銭が本人のものであっても、その行為は許されない。
また、自由と独立は一人の個人に限らず、一国にも当てはまる。日本はアジアの東に位置する島国で、古来、外国と交わらず自国の産物だけで満足してきた。しかし、嘉永年間にアメリカ人が来航し、外国貿易が始まり、現在に至った。当時、開国後もさまざまな議論が起こり、鎖国や攘夷などと声高に主張する者もいたが、それらは見識の狭い「井の中の蛙」に過ぎない。日本も西洋諸国も同じ天地の下で、同じ太陽の光を浴び、同じ月を眺め、海と空気を共有する人類である。余ったものを互いに交換し、知識を共有し、互いに学び、恥じることなく誇ることなく、便利を追求し幸せを祈り合い、天理と人道に従って国際関係を築くべきである。理に従うならばアフリカの黒人奴隷にも敬意を払い、道に従うならばイギリスやアメリカの軍艦にも恐れることはない。そして、国の名誉を守るためには、日本国中の国民が命を捨ててでも国威を保つことこそ、一国の自由と独立と言えるのである。
しかしながら、中国人のように、自国以外に国がないかのように振る舞い、外国人を「夷狄」と呼び、まるで四足で歩く畜類のように蔑み、自国の力をわきまえずに無闇に外国人を追い払おうとし、その結果、かえって外国人に侮られるような事態は、まさに国の分限を知らないことの表れである。これは、一人の人間で言えば、自由を達成せず、わがままや放蕩に陥る者と同じである。明治維新以降、日本の政治は大いに改まり、国外では万国公法(国際法)に基づき外国と交わり、国内では人民に自由と独立の趣旨を示した。平民に苗字や乗馬を許したことは、開闢以来の偉大な進歩であり、士農工商の身分を平等にする基礎がここに築かれたと言える。
したがって、これからは日本国中の人民に、生まれながらにして固定された身分などというものはなくなり、その人の才徳(才能と徳)と住んでいる環境に応じて地位が決まるようになる。例えば、政府の官吏を敬うことは当然のことであるが、それはその人自身が貴いのではなく、その人が才徳をもって役割を果たし、国民のために重要な国法を扱うからこそ敬われるのである。旧幕府時代には、東海道を通る「お茶壺」や「御用の鷹」「御用の馬」が不必要に尊ばれ、旅人が道を譲ることなどがあったが、これらは政府の虚栄心を満たすための卑怯なやり方であり、実際には何の価値もない。こじみた愚かな風俗は、明治以降、日本国内では完全に廃止されるべきである。
これからは、人民が政府に対して不満を抱いた場合、政府を怨んで何もしないのではなく 、正当な手段に従い、静かに訴え、遠慮なく議論すべきである。もしその訴えが天理や人情にかなうものであるならば、一命を捨ててでも争うべきである。これが一国の人民としての分限である。
先に述べたように、人の自由は天の道理に基づき、束縛されないものである。もしこの自由を妨げようとする者が現れたならば、たとえ世界中の国々を敵に回しても恐れることはない。同様に、一個人の自由を妨げようとする者が現れた場合、たとえそれが政府の官吏であっても恐れる必要はない。まして現在では、四民平等の基盤が確立されたのであるから、安心して天理に従い、心のままに行動すべきである。しかし、人はそれぞれに身分があり、その身分にふさわしい才徳を備えていなければならない。その才徳を備えるには、物事の理(道理)を知らなければならない。そして、その道理を学ぶには文字を学ばなければならない。これが学問の必要性を説く理由である。
現代を見ると、農工商の三民は、その身分が以前に比べて大幅に向上し、士族と肩を並べる勢いである。今日でも、三民の中で能力のある人物は、政府で採用される道が開かれている。そのため、自分の身分を重く受け止め、卑しい行いをしてはならない。世の中で無学無知な民ほど哀れで、また忌むべきものはない。知恵のない者は恥を知らず、自らの無知によって貧窮に陥り、飢えや寒さに苦しむと、自己を責めることなく、他人の富を妬む。さらにひどい場合は、徒党を組んで強訴や一揆などの乱暴な行為に及ぶことがある。これを恥知らずと言うべきか、それとも法を恐れないと言うべきか。
世間の法を頼りにして安全を保ちながら、その法を破るような行いをするのは、前後の道理が通らないことである。たまたま身分がしっかりしていて、財産のある者も、金銭を蓄えることばかり考え、子孫を教育することを怠る。そのため、無学な子孫が放蕩に走り、先祖が築いた家督を一瞬で失うことも少なくない。
こじみた愚かな民を支配するには、道理で諭す方法がなく、威力で畏れさせるしかない。西洋には「愚民の上には苛き政府あり 」という諺はこのことである。これは政府が苛酷なのではなく、愚民が自ら招いた結果である。愚民の上には苛政があり、良民の上には良政があるのが理である。ゆえに現在の日本においても、この人民があってこの政治があるのである。
仮に人民の徳義が今日より衰え、さらに無学無知に陥ることがあれば、政府の法は一段と厳しくなる。一方で、人民が学問に励み、物事の道理を知り、文明の風潮に従うならば、政府の法も寛大で、度量の広い政策が取られるだろう 。法律が苛酷か寛大かは、人民の徳に応じて変わるのである。誰もが苛政を好む者はいないし、良政を悪む者もいない。また、自国の富強を願わない者もいなければ、外国の侮辱に甘んじる者もいない。これこそが人間としての本性である。
したがって、国家に尽くす心を持つ者は、特別な苦労をする必要はない。ただ、この人間の本性に基づき、自らの行いを正し、学問に励み、知識を深め、身分にふさわしい才徳を備えることが大切である。そうすることで、政府は政治を施すのが容易になり、人民は支配を受けることに苦しむことなく、全国の平和を共に守ることができるのである。今、私が勧める学問も、ただこの一事を目的としている。

端書
このたび私が故郷の中津に学校を開設するにあたり、学問の趣旨を記して旧友に示そうと、一冊を綴りました。すると、ある人がこれを見て「この冊子をひとり中津の人々に示すだけでなく、広く世間に布告すればその益もまた広がるであろう」と勧めた。そのため、慶應義塾の活字版を用いてこれを印刷し、同志に広く公開することとしました。
明治四年十二月
福沢諭吉 記
小幡篤次郎

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二編

端書
学問とは広範な意味を持つ言葉で、無形の学問と有形の学問がある。心学や神学、理学などは形のない学問であり、天文学、地理学、自然科学、化学などは形のある学問である。いずれも知識や見聞を広げ、物事の道理を理解し、人としての職分を知るためのものである。知識や見聞を広げるには、人の話を聞き、自ら工夫を凝らし、書物を読むことが必要である。したがって、学問をするには文字を知ることが必須であるが、古来から世の人々が考えているように、単に文字を読むだけを学問とするのは大きな誤解である。
文字は学問をするための道具に過ぎず、たとえば家を建てるために槌や鋸が必要であるようなものである。槌や鋸は家の建築に欠かせない道具であるが、その道具の名前を知るだけで家を建てることができない者を大工と呼ぶことはできない。同じように、文字を読むことしか知らず、物事の道理をわきまえない者を学者と呼ぶことはできない。「論語を読んで論語を知らない」とはまさにこのことである。
たとえば、日本の『古事記』を暗唱していても、今日の米の価格を知らない者は、実生活の学問に疎い男といえる。経書や歴史書に通じていても、商売の方法を知らず正しい取引ができない者は、帳簿の学問に不慣れな人といえる。また、数年かけて多くの資金を費やし洋学を修めたにもかかわらず、一つの生計も立てられない者は、時勢の学問に疎い人である。こじみた人物たちは、文字の問屋と呼ぶべきであり、その能力は食べるためだけの辞書にすぎない。国にとっては無用の長物であり、経済を妨げる食客といって差し支えない。
したがって、生活そのものも学問であり、帳簿をつけることも学問であり、時勢を察知することもまた学問である。和書や漢書、西洋の書物を読むことだけが学問ではない。この書の題名を『学問のすゝめ』と名付けたが、文字を読むことだけを勧めるわけではない。本書に記されている内容は、西洋の書物から一部を直訳したり、意訳したりして、形があることも形がないことも、すべて人が心得るべき事柄を挙げ、学問の大きな趣旨を示したものである。最初に書いたものを初編とし、その意をさらに広げて今回の二編を綴った。これに続き三編、四編へと及ぶ予定である。
人は同等であること
初編の冒頭で「人は万人みな同じ位であり、生まれながら上下の別なく自由自在である」云々と述べた。この義をさらに詳しく述べる。人が生まれるのは天が定めたことであり、人間の力ではない。この人々が互いに敬愛し、各々の職分を尽くし、妨げ合わないのは、もともと同じ人類であり、同じ天の下で生き、天地の間に造られた存在だからである。たとえば、家族において兄弟が仲良くするのは、同じ家族であり、同じ父母から生まれたという大きな倫理があるからである。
ゆえに、人と人との釣り合いを考えると、同等であると言わざるを得ない。ただし、この「同等」とは、生活の様子が等しいことを意味するのではなく、権利と道義が等しいことを指する。生活の様子を見れば、貧富や強弱、知恵のあるなしに大きな差があり、たとえば、大名華族が御殿に住み、美しい衣服や食事を享受している者もいれば、日雇いの労働者が裏長屋に住み、衣食に事欠く者もいる。また、才知に恵まれて役人や商人として天下を動かす者もいれば、知恵のないまま飴やおこしを売り生涯を終える者もいる。強い力士もいれば、か弱い姫君もいる。このように生活には雲泥の差があるが、権利と道義に関しては、すべての人が等しく、一厘一毛の軽重もない。
この権利と道義とは、人々が自身の命を大切にし、自分の財産を守り、自らの名誉を尊ぶという大原則である。天が人を生む際に、体と心の働きを与え、この権利と道義を全うさせる仕組みを設けている。そのため、どじみた場合でも人の力でこれを害してはならない。
大名の命も日雇い労働者の命も、その重さは同じである。豪商が所有する百万両の財産も、飴やおこしを売って得た四文の銭も、それを所有する者にとって守るべき価値は等しいのである。しかし、世の中には「泣く子と地頭には敵わない」や「親と主人は無理を言うもの」といった悪しき諺があり、まるで権利や道義が歪められることを当然のように言う者もいる。しかし、これは生活の様子と権利・道義を混同した間違った考えである。
地頭と百姓は生活の様子こそ異なるが、その権利に違いはない。百姓が痛みを感じることは地頭も同じように痛みを感じるはずである。地頭が口にして甘いものは百姓にとっても甘いものである。痛みを避け、甘いものを求めるのは人の自然な欲求であり、他人に迷惑をかけずにそれを達成することが、人間の権利である。この権利において、地頭も百姓も一厘一毛の軽重もない。ただし、地頭は富み強く、百姓は貧しく弱いという違いがあるだけである。貧富や強弱の違いは人の生活の様子であり、もともと完全に同じというわけではない。
それにもかかわらず、富や強さを理由に、貧しく弱い者に無理を強いるのは、生活の違いを悪用して他者の権利を侵害する行為である。たとえば、力士が自分の腕力を誇示して隣人の腕を折るようなもので、隣人が弱いからといって、その腕を使い便利を享受する権利があるのを妨げることは、迷惑極まりないことである。
この議論を世の中の現実に当てはめてみましょう。旧幕府時代には士族と平民の区別が著しく、士族はしばしば権威を振りかざし、百姓や町人を目下の罪人のように扱いた。たとえば、「切捨御免」の法があり、これによって平民の命はまるで借り物のように扱われた。百姓や町人は士族に対して頭を垂れ、外では道を譲り、内では席を譲り、自分の家にいる馬にさえ乗れないような不便を強いられた。これは理不尽としか言いようがない。
これは士族と平民との一対一の不公平であるが、政府と人民との関係においては、さらに見苦しいことがあった。幕府だけでなく、諸藩でも各領主が小政府を立て、百姓や町人を自由に支配し、慈悲のように見える行為も実際には人民の権利や道義を認めないことが多々あった。
もともと政府と人民の関係は、生活の様子の強弱の違いがあるだけで、権利の違いがあるわけではない。百姓は米を作り、町人は物を売買して世間の便利を実現する。これが百姓や町人の役割である。一方、政府は法令を設けて悪人を抑え、善人を守るのが役割である。この役割には莫大な費用がかかるが、政府自体は米も金も持っていないため、百姓や町人から年貢や運上金を受け取り、それで運営費を賄いる。これは政府と人民の間で取り決めた約束である。
したがって、百姓や町人が年貢や運上金を納め、国法を守れば、彼らは自分たちの役割を果たしたことになる。一方、政府はその年貢や運上金を正しく使い、人民を保護すれば、自らの役割を果たしたことになる。双方が約束を守り、それぞれの役割を果たせば、これ以上の不満はありえない。そして、どちらの権利も妨げられることはないはずである。
ところが、幕府の時代には政府が「お上様」と呼ばれ、「お上の御用」とあれば非常に威圧的な振る舞いを見せた。たとえば、道中の旅籠(宿屋)で食事をただ食いし、川場で代金を払わず、人足に賃金を与えないばかりか、旦那(役人)が人足から酒代を巻き上げるような事態にまで至った。これは言語道断の沙汰である。また、大名の気まぐれで無駄な建築工事を行ったり、役人の勝手な都合で不要なことを始め、多額の金を浪費し、資金が不足すると、さまざまな口実をつけて年貢を増徴し、御用金を命じた。そして、これを「御国恩に報いるため」と称した。
そもそも「御国恩」とは何を指すのだろうか。百姓や町人が平穏無事に家業を営み、盗賊や殺人の心配もなく生活できることが、政府の「御恩」とされているのだろう。確かに、人々が安心して暮らせるのは、政府が法律を設けているからである。しかし、法律を設けて人民を保護することは、もともと政府の役割であり、当然の職務である。それを「御恩」と呼ぶべきではない。
もし政府が人民への保護を「御恩」と称するなら、百姓や町人も、年貢や運上金を納めることを「御恩」と呼ぶべきだろう。また、政府が「人民の訴訟を扱うのはお上の厄介だ」と言うなら、人民も「十俵の米を作り、そのうち五俵を年貢として納めるのは百姓の大きな厄介事だ」と言い返すだろう。これでは「売り言葉に買い言葉」で、話が終わらない。もし、政府と人民の双方が等しく恩を受けているのだとすれば、一方が礼を述べ、もう一方が礼を述べない理由はない。
こじみた悪しき風習が生まれた原因を探ると、その根本は、人間が本来同等であるという大原則を誤解し、貧富や強弱といった生活の違いを悪用して、政府が富強の勢いをもって貧弱な人民の権利や道義を妨害したことにある。したがって、人は常に「同位同等」という趣旨を忘れてはならない。これは人間社会で最も大切なことである。西洋ではこれを「レシプロシティ(相互尊重)」または「エクイティ(公平性)」と言いる。すなわち、初編の冒頭で述べた「万人同じ位」という主張が、この考えに当たる。
この議論は、百姓や町人に偏った主張で、彼らに好き勝手に振る舞わせよというものではない。一方で、別の視点からも論じるべきことがある。おおよそ人を扱うには、その相手の人物や状況に応じて法の適用を加減する必要がある。
もともと政府と人民の関係は、一体であるべきもので、それぞれの職分を分けているに過ぎない。政府は人民の代表として法を施行し、人民はその法を守る義務がある。この関係は、国民が「明治」の年号を奉じている以上、政府の法に従うべきだという約束を結んでいるのと同じである。そのため、ひとたび国法として定められたものは、たとえ個人にとって不便であったとしても、改正が行われるまでは守らなければならない。慎み深く従うのが人民の職分である。
しかし、無学で無知な者は、善悪の理を理解するどころか、法律そのものを知らず、ただ食べて寝ることしか知らないという状況がある。こじみた者たちは無知ゆえに欲深く、目先の利益のために人を欺き、法を巧妙に逃れようとする。また、自らの職分を理解せず、子供を産むだけ産んで教育をしないため、無知な子孫が増え、結果として国に害を及ぼすこともある。
そじみた愚かな者たちには道理を説いても無駄であり、不本意ながら力をもって威圧し、一時的にでも害を抑えるしか方法はない。
これが暴政が生まれる理由である。こじみた状況は、ひとり旧幕府に限らず、アジアの諸国においても古くから見られたことである。 暴政は必ずしも暴君や悪官吏だけが原因ではない。実際には、無知な人民自身がそれを招いているのである。他人に扇動されて暗殺を企てる者、新しい法律を誤解して一揆を起こす者、強訴を名目に富豪の家を壊し、酒を飲み、金を盗む者など、その行動は人間のものとは思えない。そじみた者たちに対しては、釈迦も孔子も有効な策を持ち得ず、厳しい政策を取らざるを得ないだろう。
したがって、人民が暴政を避けたいと望むならば、速やかに学問に励み、自らの才能と徳を高め、政府と対等な立場に立つべきである。これこそ、私が学問を勧める趣旨なのである。

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三編:国は同等なること

およそ、人に名があれば、富む者も貧しき者も、強き者も弱き者も、人民も政府も、その権義において異なることはないということは、第二編に記された通りである〔二編にある「権理通義」の四字を省略し、ここでは単に「権義」と記している。どちらも英語の「ライト」(right)に当たる〕。今、この理を広げて、国と国との間柄について論じようと思いる。国とは、要するに人々が集まったものである。例えば、日本国は日本人が集まったものであり、英国は英国人が集まったものである。日本人も英国人も、共に天地の間に生きる人々であり、互いにその権義を妨げる理はない。一人の人が他の一人に害を加える理がないならば、二人が互いに害を加える理もまたないだろう。百万、千万の人数においても、同様の理由で、物事の道理は人数の多寡によって変わることはない。
今、世界を見渡すと、文明開化を遂げ、文学や武備が盛んなり、富強な国々もあれば、未開の地で文武共に遅れ、貧弱な国々もある。一般に、ヨーロッパやアメリカの国々は富んで強く、アジアやアフリカの国々は貧弱で弱いと言われる。しかし、この貧富・強弱は国の状況に過ぎず、もともと同じであるべきではない。したがって、現在、強大な富を持ち強国となった国が、貧弱な国に無理を強いることは、まるで力士が自分の腕力で病人の腕をねじ切るようなものである。これは、国の権義において許されるべきではない。
近年、日本も、西洋諸国ほどの富強には至らないものの、一国の権義においては、ほんの少しの差異すらもないということを認識すべきである。道理に反して、国の威光が失われる日が来たなら、世界中を敵に回すことも恐れるに足らない。第1編第6葉にも記されている通り、「日本国中の人民が一人残らず命を捨てて国の威光を落とさぬ」ことが、この場合に該当する。それだけでなく、貧富や強弱の状態は、自然の定めではなく、人々の努力や不努力によって変動するものである。今日の愚者が明日は賢者となることもあれば、かつての富強国が今では貧弱な国に転落することもある。過去を振り返ればその例は少なくない。私たち日本人も、今後は学問に励み、気力を養い、一身の独立を目指し、それによって一国の富強を達成することができれば、西洋の国々に対しても恐れることはない。道理を理解する者はこれに従い、道理を欠く者はこれを排除すべきである。「一身独立して一国独立する」とは、こじみたことである。
一身独立して一国独立すること
前条に記した通り、国と国は同等であれども、国中の人民に独立の気力がなければ、一国としての独立の権義を確立することはできない。ここで、第三ヵ条が示されている。
第一条 独立の気力がない者は、国を思う心が深くはない。
独立とは、自分で自分を支配し、他に依存しないことを指する。自ら物事の理非を区別し、判断を誤らない者は、他人の知恵に頼ることのない独立である。また、自分の心身を労して私的な生計を立てる者は、他人の財力に頼ることのない独立である。もし人々がこじみた独立の心を持たず、ただ他人の力に頼るばかりであれば、国民全体が他人の力に依存し、その行動を任せることになる。これを例えるなら、盲目の人々が一列に並んで手引きなしに歩くようなものである。こじみた事態は非常に不都合だろう。
ある人はこう言いる。「民はこれによって導かれるべきであり、民にそのことを教えてはいけない。世の中には、目が見えない千人の中に目が見える一人がいて、その智恵をもって皆を支配し、上の意に従わせるのが最も良い。」この議論は孔子の流儀であるが、実際には非常に誤りである。国中の人々を支配できるだけの才徳を持つ者は、千人に一人しかいない。
仮に、人口が百万の国があったとしましょう。そのうち千人は智者であり、残りの99万人以上は無知な一般の民である。智者の才徳をもって、この無知な民を支配し、子供のように愛し、羊のように養い、威圧し、または慰めて、その行動を示すことができれば、小民たちも知らず知らずにその命令に従い、盗賊や殺人じみた犯罪もなく、国内が安穏に治まることは可能である。
しかし、この場合でも、国の民は二種類に分かれており、智者たちは国を支配し、その他の者は何も知らない客じみた存在である。すでに客分であれば、その心配は少なく、主人の指示に従って生きるだけで、国の運営に関心を持つことはない。その結果、国を守るための力が不足し、実際に国家の独立が危うくなる可能性が高いのである。
したがって、我が国を守るためには、全国民に自由と独立の気風を広め、国民全員、貴賤・上下を問わず、その国を自分自身の身の上と捉え、智者も愚者も、目の見える者も見えない者も、それぞれが自分の国人としての分を果たさなければならない。イギリス人はイギリスを、自分の本国として思い、日本人は日本を、同様に本国として思うべきである。自国の土地は他人の土地ではなく、自国民の土地であり、国のためには財産を失うだけでなく、命を投げ出すことも惜しんではならないのである。これこそが、報国の大義なのである。
もちろん、国を治める者は政府であり、その支配を受ける者は人民であるが、これはあくまで便利のために役割が分かれているだけに過ぎない。国の面目に関わる問題において、人民は単に政府に国を預け、傍観することが理にかなうのだろうか?すでに、誰もがその国に住み、その名で呼ばれるからには、その土地で自由に生活し、自由に権利を行使することが許されるのである。その権利を持つ以上、当然、その義務も負うべきである。
昔、戦国時代に駿河の今川義元が数万の兵を率いて織田信長を攻めようとしたとき、信長の策により桶狭間に伏兵を配置し、今川の本陣に迫って義元の首を取った結果、駿河の軍勢は蜘蛛の子を散らすように戦わずして逃げ、当時名高かった駿河の今川家も一朝に滅び、その痕跡を残すことはなかった。
近年では、二三年前にフランスとプロイセンの戦争があり、その戦の初めにフランス帝ナポレオンはプロイセン軍に捕らえられた。しかし、フランス人たちはこれによって希望を失うことなく、むしろ一層奮起して防戦し、骨をさらし血を流し、数ヶ月にわたる籠城の後、和解に至ったが、それでもフランスは依然として旧来のフランスと変わらなかった。
この両者を比べるなら、同じ時期に語ることはできないほど大きな差がある。その違いは何か?それは、駿河の人民がただ義元一人に頼っていたことにある。彼らは、義元が滅びれば、自らの国がどうなるのか、何も考えず、あくまで義元を主人として仰ぎ、駿河を自分の本国とは思っていなかったからである。一方、フランスでは報国の志を持つ士民が多く、国の難を自分自身のこととして引き受けて、他人の勧めを待たずして自ら進んで本国のために戦う者がいたからこそ、こじみた違いが生じたのである。
このことから考えれば、外国に対して自国を守るためには、その国民に独立の気力があれば、その国民は自国を深く思い、独立心がなければ、その思いも浅薄であることは自明であるといえる。

第二条 国内で独立した地位を得られない者は、外で外国人と接するときにも、独立した権利や義務を発揮することができない
独立の気力がない者は、必ず他人に依存する。他人に依存する者は、必ず他人を恐れる。他人を恐れる者は、必ず他人にへつらうものである。常に他人を恐れ、他人にへつらう者は次第にそれに慣れ、その態度は厚顔無恥となり、恥じるべきを恥じず、論ずるべきを論じず、人を見ればただ腰を屈めるだけである。これをいわゆる「習い性となる」と言い、慣れたことは容易に改め難いものである。
たとえば、現在の日本では平民にも苗字や乗馬が許され、裁判所の態度も改まって、形式上は士族と同等のようになっているが、その習慣は急には変わらず、平民の根性は依然として以前の平民と変わらない。言葉遣いも卑しく、応対も卑屈であり、目上の人に会えば一言半句の理屈すら述べることができず、立てと言われれば立ち、踊れと言われれば踊る。その従順ぶりは家で飼っている痩せ犬のようである。これをまさに無気力無能の厚顔無恥と言うべきである。
昔、鎖国の時代に旧幕府のような窮屈な政治が行われていた頃は、人民が気力を失っていても、その政治に影響を与えることはなく、むしろ便利であったため、わざわざ人民を無知に陥れ、無理に従順にさせることが役人の誇りであった。しかし現在、外国と交流する時代になると、これが大きな弊害となっている。
たとえば、田舎の商人たちが外国との交易を志して横浜などに来ると、まず外国人のたくましい体格に驚き、その財力に驚き、商館の大きさに驚き、蒸気船の速さに驚き、すでに心胆を寒からしめてしまう。さらに、外国人に近づいて取引を行うと、その駆け引きの鋭さに驚き、不条理な主張をされるとただ驚くだけでなく、その威力に震え上がり、不条理と知りつつも大きな損失を被り、大きな恥辱を受けることがある。これは一人の損失ではなく、一国の損失であり、一人の恥辱ではなく、一国の恥辱である。
これは滑稽なようで、実は真剣に考えねばならない問題である。先祖代々、独立心を持たず、町人根性を育んできた人々は、武士には叱責され、裁判所には怒鳴られ、一人扶持取りの足軽に会っても「旦那様」と崇めた経験が心底に染みつき、一朝一夕には洗い落とせない。このような臆病者たちが、大胆不敵な外国人に出会って胆を抜かれるのは無理もないことである。これがすなわち「内に居て独立を得ざる者は、外にあっても独立することができない」という証拠である。
第三条 独立心のない者は他人に依存して悪事を働くことがある
旧幕府の時代には「名目金」と称し、御三家などと呼ばれる権威ある大名の名目を借りて金を貸し、不条理な取引を行うことがあった。そのような行為は極めて非難されるべきである。自分の金を貸し、それが返されない場合は、再三再四努力して政府に訴えるべきである。しかし、この政府を恐れて訴えを知らず、卑劣にも他人の名を借り、その暴力を利用して返金を促す行為は卑怯な行動ではないだろうか。
現在では「名目金」という話は聞かないが、世間に外国人の名目を借りる者はいないだろうか。私にはその確証はないため、明確に論じることはできないが、過去の事例を考えると、今の世にも疑いを持たざるを得ない。この先、万が一にも外国人が雑居する状況になり、その名目を借りて悪事を働く者が出れば、国にとっての災いは計り知れないものとなる。
したがって、人民に独立心がないことを取り扱いが容易だと見て油断してはならない。災いは予想外の場所から起こるものである。国民の独立心がますます希薄になれば、国を売る災いもそれに比例して大きくなる。このことこそ、条の初めに述べた「人に依存して悪事を働く」という例である。
以上の三ヵ条に述べたことは、いずれも人民に独立心がないことから生じる災害である。現代に生まれ、少しでも愛国心を持つ者は、公私を問わず、まず自らの独立を図り、余力があれば他人の独立を助けるべきである。親兄弟は子弟に独立を教え、教師は生徒に独立を勧め、士農工商すべてが独立して国を守らなければならない。
概して言えば、人を束縛して自分だけが苦労するよりも、人を自由にしてともに苦楽を分かち合う方が良いのである。

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四編

学者の職分を論ず
近年、識者たちの話を密かに耳にすると、こういう者がいる。「これからの日本の盛衰は人間の知恵では明確に予測することが難しいとはいえ、果たして独立を失う危険性はないのか。また、現在目にするところの勢いに従い着実に進歩すれば、必ずや文明の繁栄と隆盛の境地に到達するのではないか」と。
また別の者はこう言う。「その独立が維持できるか否かは、今から二十年か三十年を過ぎてみなければはっきりとは言えない」として疑問を投げかける者がいる。
さらには、日本を甚だしく見下した外国人の意見に従い、「どうせ日本の独立は危うい」と非難する者もいる。
もちろん、人の意見を聞いてただちにそれを信じ、自分の希望を失うわけではないが、結局のところこれらの意見は、我が国の独立が維持できるかどうかという疑問に他ならない。そもそも事柄に疑いがなければ、問いが生じる理屈はない。
今、試しにイギリスに行き、「ブリテンの独立は維持できるのか」と尋ねたとすれば、人々は皆笑って答える者などいないだろう。答える者がいないのはなぜか。それは、そのような疑問を抱いていないからである。
そうであるならば、我が国の文明のありさまを、今日と昨日とで比較すれば、進歩したように見える点があるかもしれないが、その結末においては、いまだ一点の疑いを免れることはできない。少しでもこの国に生まれ、日本人という名を持つ者であれば、この状況を心配せざるを得ないだろう。
私たちもこの国に生まれ日本人の名を持つ以上、その名があるからには、それぞれ自分の分を明確にし、全力を尽くさなければならない。もとより、政治という字義に関わることは政府の責任である。しかし、人間の務めの中には、政府が関与すべきでない事柄もまた多く存在する。
したがって、一国全体を整えるためには、人民と政府が共存し、初めてその成功を収めることができる。よって、私たちは国民としての責務を尽くし、政府は政府としての責務を尽くし、互いに助け合い、もって全国の独立を維持しなければならない。
すべて物事を維持するためには、力の均衡がなければならない。たとえば、人の体のようなものだ。これを健康に保つには、飲食が欠かせず、大気や光も必要である。さらに、寒さや暑さ、痛みやかゆみといった外部からの刺激に応じて、体の内部がこれに適応し、一体として調和を保つのである。
もし急にこうした外部からの刺激を取り除き、生きる力の働きにだけ任せて放任するならば、体の健康は一日たりとも保つことはできない。国もまた同じである。政治は一国全体の働きである。国の独立を調和して保つためには、政府の力が内にあり、人民の力が外にある。この内と外が互いに応じ、その力を均衡させることが必要である。したがって、政府は生命力のようなものであり、人民は外部からの刺激のようなものだ。もし急にこの刺激を取り除き、ただ政府の働きに任せて放任するならば、国の独立は一日たりとも保つことはできない。人が自然の原理を探求し、その法則をもって国家経済の議論に応用することを知る者であれば、この理を疑うことはないはずだ。
現在の日本の情勢を見渡し、外国に比べて及ばない点を挙げるならば、学術、商業、法律の三つである。文明は主にこの三つに関係しており、この三つが発展しなければ国の独立は維持できないことは、識者を待たずとも明白である。しかしながら、いまの我が国において、これらのどれもが十分に形を成していない。
明治維新以降、官僚たちは力を尽くしていないわけではなく、その能力も決して劣っているわけではない。しかし、事を行う際にどうしようもない障害があり、思うようにならないことが多い。その原因とは、人民の無知と文盲である。政府はその原因を理解し、学術を奨励し、法律を議論し、商業の発展を図る道を示し、人民に説き諭したり、自ら模範を示したりして、あらゆる手段を尽くしている。それでもなお、今日に至るまで成果が上がっていない。政府は相変わらず専制的であり、人民は相変わらず無気力で愚かな状態にとどまっている。多少の進歩が見られる場合もあるが、それに費やされた労力や資金に見合うほどの成果はほとんどない。なぜか。それは、一国の文明は政府の力だけで進展するものではないからである。
ある人はこう言うかもしれない。「政府は、しばらくこの愚民を一時的な策で制御し、彼らの知性と徳性が進むのを待った後で、自ら文明の境地に導けばよいのだ」と。しかし、この考えは言うのは簡単だが、実行することは不可能である。日本全国の人民は、数千年にもわたる専制政治によって抑圧され、自分の心の中で思うことを表現することができなかった。その結果、欺きによって安全を保ち、詐欺によって罪を逃れることが常態化し、欺瞞や策略が生活の必需品となり、不誠実が日常の習慣となっている。もはや恥じる者もなく、不思議に思う者もいない。一人ひとりの廉恥心はすでに失われ尽くしており、どうして国を思いやる余裕があろうか。
政府は、この悪習を矯正しようとして、ますます虚勢を張り、人民を脅し、叱咤し、無理やり誠実に導こうとする。しかしその結果、かえってさらに不信感を招いている。この状況は、まさに火を使って火を消そうとするようなものだ。ついには、上下の間に隔たりが生じ、双方がそれぞれ無形の独自の気風を形成してしまった。その気風とは、いわゆる「スピリット」というもので、容易に動かせるものではない。
最近になり、政府の外見は大いに変わったように見えるが、その専制と抑圧の気風は今なお残存している。一方、人民も少しは権利を得たように見えるが、その卑屈さと不信の気風は依然として昔と変わらない。この気風は無形無体であり、一個人や一場面を見ただけでは具体的に名状することはできないが、実際にはその力は非常に強大である。そして、その影響は世間全体の事績に現れており、それが虚構ではないことが明らかである。
試しに一例を挙げてみよう。現在、官僚の中に人物が少ないわけではない。個人的にその言動を耳にし、目にする限りでは、多くは開明で寛容な士君子たちであり、私としても彼らを非難することができないどころか、その言行の中には尊敬すべき点もある。また、一般の平民の中にも、必ずしもすべてが無気力な愚民ばかりではなく、万に一人の割合で、公明かつ誠実な良民も存在するだろう。
しかし、これらの士君子が政府に集まり、政治を行う際、その施策の結果を見ると、私たちが喜べる内容は非常に少ない。また、誠実な良民も、政府と接触するとたちまちその信念を屈し、偽りの策を用いて官を欺き、それを恥じる者は一人もいない。なぜ、これらの士君子がこのような施政を行い、良民がこのように堕落してしまうのか。それはまるで一人の体に二つの頭があるようなものだ。個人的には賢明でありながら、公の場では愚かである。散在しているときは明晰でありながら、集まると暗愚になる。政府は、まさに「多くの知者が集まりながらも一人の愚者の仕事をしている」と言うべきであろう。これをどうして奇怪に思わないでいられようか。
結局、そのような事態の原因は、あの「気風」と呼ばれるものによって制約され、人々が自らの能力を十分に発揮することができないためであろう。維新以来、政府が学術や法律、商業などの発展を図ろうとして成果が上がらないのも、その根本的な原因はここにあるのだ。
それにもかかわらず、政府が一時的な策で下層の民衆を統制し、彼らの知性と徳性が進むのを待つという考え方は、結局のところ、力で人々を無理やり文明化させようとするか、または欺いて善へと導こうとするものだろう。政府が威力を用いるならば、人民は偽りをもって応じるだろうし、政府が欺きを用いるならば、人民は表面だけ従ったふりをするに過ぎないだろう。これを最上の策とは言えない。たとえその策が巧妙であっても、文明の実践において益をもたらすことはない。したがって言う、「文明の進歩は、ただ政府の力に依存するべきではない」と。
以上の議論を踏まえると、現在の日本における文明を進展させるには、まず人々の心に深く染み付いている悪しき気風を一掃しなければならない。この気風を一掃する方法は、政府の命令によって成し遂げることはできない。また、単に私的な説諭でも難しい。必ず、他者に先んじて実践を行い、人民が頼るべき模範を示す者が必要である。では、この模範となる人物をどこに求めるべきか。それは農民の中にも、商人の中にも、また和学者や漢学者の中にもいない。その役割を担えるのは、一部の洋学者に限られる。
しかしながら、洋学者に依存することもまた問題がある。近年、この洋学者の流派は徐々に増加し、ある者は西洋の書物を講じ、ある者は翻訳書を読み、まるで尽力しているかのように見える。しかし、実際には彼らの行動に対し、私たちが疑念を抱かざるを得ない点が少なくない。その疑念とは、彼ら学者士君子が皆「官」の存在は認識するが、「私」の重要性を知らないという一点にある。彼らは政府の上で働く術を知っているが、政府の下で働く道を理解していないのだ。結局のところ、漢学者の悪習を免れておらず、まるで「漢学を体にして西洋学を衣服とする」ような状態である。
試しに、その証拠を挙げてみよう。現在の洋学者たちは、ほとんどが官職に就いており、私的に事業を行う者は指折り数えるほどしかいない。これは単に利を貪るためだけではない。幼少期からの教育によって、ひたすら政府に目を向け、政府を離れては何事も成し得ないと考え、その庇護のもとで青雲の志を果たそうとしているのだ。たとえ世間に名声を持つ大物の先生であっても、この範囲を抜け出すことはできない。その行動が卑しいように見える場合でも、実際にはその意図を深く咎めるほどではない。意図そのものが悪いわけではなく、ただ世間の気風に染まり、それに酔いしれていることに気づいていないのである。
名声ある士君子ですらこのような有様であるならば、世の人々がどうしてその気風に倣わざるを得ないことがあろうか。青年の書生はわずかに数冊の書物を読んだだけで官職を志し、志ある町人はわずかに数百円の元手を持つだけで、官の名を借りて商売を始めようとする。学校も官の許可が必要であり、説教も官の許可、牛を牧することも養蚕も官の許可が必要だ。民間の事業のほぼ七割から八割は官の関与なしには成り立たない。このような状況が人々の心をますます官に依存させ、官を慕い、官を頼り、官を恐れ、官に媚びへつらうようにさせている。そこには、少しも独立した精神が見られず、その姿は見るに耐えないものだ。
例えば、現在出版されている新聞や各地で提出される上書や建白の類もその例の一つである。出版に関する規制は極端に厳しいわけではないにもかかわらず、新聞を見ると、政府の不興を買うような内容は一切載せられていない。それどころか、政府にわずかでも称賛すべき点があれば、それを過剰に褒め称え、実態を超えて持ち上げている。まるで娼婦が客に媚びるような有様だ。また、上書や建白文を見ると、その内容は常に卑屈で、政府を鬼神のごとく尊敬し、自らを罪人のように卑下し、同じ人間としての対等な関係を完全に無視した虚飾に満ちた文章が使われている。しかも、それを恥じる者はいない。その文章を読むと、その執筆者が狂人であるかのように思える。しかし、実際にこのような新聞を出版し、あるいは政府に建白を行う者の多くは、いわゆる洋学者たちであり、彼らを私的に見る限りでは、決して娼婦でも狂人でもない。
それにもかかわらず、彼らの不誠実で不実な態度がこれほど甚だしい状態に至るのは、世間に民権を提唱する実例が未だ存在せず、彼らが卑屈な気風に縛られ、それに迎合しているためである。そのため、国民としての本来の姿を見せることができていない。この状況を総括するならば、「日本にはただ政府があり、国民はまだ存在していない」と言うこともできるだろう。ゆえに言う、「人民の気風を一掃し、文明を進展させるには、今の洋学者たちにも依存してはならない」と。
ここまで述べた議論が正しいのであれば、日本の文明を進展させ、その独立を維持することは、政府だけの力でできるものではなく、また現在の洋学者たちにも頼るべきではない。それは必ず、私たち自身が責任を持つべきことであり、まず自ら率先して行動し、愚民に先駆けて模範を示すだけでなく、洋学者たちの先を行き、進むべき道筋を示さなければならない。
今、吾輩(福沢諭吉)の立場を考えてみると、学識はもともと浅く未熟であるとはいえ、洋学に志してから既に長い時間が経ち、この国においては中流以上の地位にいる者である。近年の改革も、もし私たちが主導して始めたものではないとしても、少なくともその影響を受け助けたことは確かである。たとえ直接的な助力がなかったとしても、その改革が私たちの望むところであったのは間違いなく、世間の人々もまた私たちを「改革家流」と見なすのが必然である。すでに改革家としての名声を持ち、また中流以上の地位にいる以上、世の中の人々の中には私たちの行動を模範とする者が現れるだろう。であればこそ、今、人々に先んじて行動を起こすことは、まさに私たちの責務であると言える。
そもそも、何かを成し遂げるにあたって、単に命令することは、説得することには及ばない。そして説得することも、自らその実例を示すことには及ばない。このような理屈からすれば、政府には命じる権限しかない。しかし、説得し、具体的な模範を示すのは、私たち民間人の役目である。したがって、私たちはまず私立の立場を確立し、たとえば学術を講じたり、商業に従事したり、法律について議論したり、本を著したり、新聞を出版するなど、国民としての本分に反しない事業を恐れることなく行うべきである。そして、常に法を守り、正しい道を歩み、もし政府の政令が信頼を裏切り、不正を強いられるような場合があれば、屈服することなくこれを論じ、あたかも政府の要所を指摘する一針のごとく、旧弊を除き、民権を回復することが当面の急務であろう。
もちろん、私立の事業は多岐にわたり、それを行う人々にもそれぞれ得意分野がある。したがって、わずかな学者だけですべてを成し遂げられるものではない。しかし、私たちが目指すのは、事業を巧みに遂行することを示すのではなく、ただ世間の人々に「私立の道筋」を示すことである。百回の説得を試みるよりも、一度の実例を示すほうが効果的だ。今、私たち自身が私立の実例を示し、「人間の事業は政府だけの責任ではない。学者は学者として民間で事を成すべきであり、町人は町人として民間で事を成すべきである。政府もまた日本の政府であり、人民も日本の人民である。政府を恐れずに近づき、疑わずに親しむべきである」という趣旨を世に知らしめるならば、人民は次第に進むべき方向を理解するようになるだろう。
その結果、上下の間に存在する固有の気風も徐々に消え去り、初めて真の日本国民が生まれることになる。国民が政府の玩具ではなく、むしろ政府に刺激を与える存在となり、学術、商業、法律の三つの領域も自然と各々の役割に戻り、国民の力と政府の力が相互に均衡を保つようになるだろう。そして、この均衡が全国の独立を維持する原動力となるのである。
以上述べた論をまとめると、現代の学者がこの国の独立を支えようとする際、政府の枠内に入り官職について働くことと、その枠を離れて私立で行動することの利害得失について論じたものであり、本論は私立の立場を支持するものである。
世の中のあらゆる事物を詳しく論じるとき、利がなければ必ず害があり、得がなければ必ず失がある。利害得失が半々であるということはあり得ない。私たちが私立を主張するのは、何らかの私的な意図があるからではなく、単に日ごろからの見識をもとに、この問題を論じたにすぎない。もし世間の誰かが確かな証拠を挙げてこの論説を否定し、私立の不利を明確に述べる者がいるならば、私たちは喜んでその意見に従い、誤って世に害をなすことは決してしないだろう。

付録
本論に関連して、いくつかの問答が寄せられたため、これを巻末に記す。

その一
問:「事をなすには、有力な政府によるのが便利ではないか。」
答:「文明を進展させるのに、ただ政府の力に依存するべきではないという論拠は、本文にすでに明記している。さらに、政府が事業を行ってきた数年の実績を見ても、未だに目立った成果が見られない。仮に、私立による事業が成功を保証できないとしても、論理上、その可能性が明らかであるならば、試してみるべきである。試みる前から、その成功の可否を疑う者は、決して勇敢な人物とは言えない。」

その二
問:「政府は人材が不足しているのだから、有力な人物が政府を離れれば、官務に支障が出るのではないか。」
答:「決してそうではない。現在の政府は、むしろ官員の多さを問題としている。事務を簡素化して官員を減らせば、事務はよく整理され、その余剰の人員は民間で役立つことができる。一挙両得ではないか。反対に、政府が無駄に事務を複雑にして有能な人材を浪費し、不要な仕事をさせるのは、拙策と言うべきである。さらに、有能な人材が政府を離れるとしても、それは外国に行くわけではなく、日本国内で日本のために働くのだから、心配する必要は全くない。」

その三
問:「政府の外に私立の人々が集まるようになれば、それが新たな政府のようになり、結果として現在の政府の権威を失わせるのではないか。」
答:「このような考えは、小人物の発想である。私立の人も在官の人も、同じ日本人である。ただ、地位が異なるだけで、それぞれが事業を行い、結果として相互に助け合い、全国の利益を図るものである。それゆえ、両者は敵対するものではなく、真の益友である。さらに、私立の人々が法を犯すようなことがあれば、それに対しては罰を与えればよいだけの話であり、全く恐れるに足りない。」
その四
問:「私立を志す人物がいるとしても、官職を離れれば生活の糧を得る道がなくなってしまうのではないか。」
答:「このような言葉は、士君子が口にするべきものではない。すでに自らを学者と称し、天下のことを憂慮する者が、どうして無芸無能であることがあろうか。何らかの技能を持って生計を立てるのは難しいことではない。また、官にあって公務を司ることも、私にあって事業を営むことも、その難易が異なるわけではない。もし官の仕事が簡単で、その報酬が民間の事業による収益よりも多いのであれば、それは報酬が実際の働き以上に過剰であるということになる。働きに対して過剰な利益を貪ることは、君子のするべきことではない。
無芸無能でありながら、僥倖によって官職につき、不当に給料を貪り、それを贅沢の資金としながら、軽々しく天下のことを論じる者は、私たちの友ではない。」

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五編

『学問のすすめ』はもともと民間向けの読本、または初等教育用の教科書として供される目的で書かれたものである。そのため、初編から三編までは、意識的に平易な言葉を用い、文章を読みやすくすることを趣旨としていた。しかしながら、四編に至ってからは文章の形式を少し改め、時折難しい言葉を用いるようになった箇所がある。また、この五編についても、明治七年一月一日に社中の集まりで述べた言葉を文章として記録したものであり、その文体は四編と変わらず、時に理解しにくい箇所があるかもしれない。
結局のところ、四編と五編の二編は学者を相手にして論を展開したものであるため、このような形式になったのである。
世の学者はおおむね気力が乏しく、腰抜けのようなところがある。しかしながら、文章を読む眼力は非常に確かであり、どれほど難解な文章であっても困惑することはない。そのため、この二冊では文章を難しく書き、内容もおのずと高尚なものとなった。その結果、本来民間の読本であるべき『学問のすすめ』の趣旨を失ってしまい、初学者にとっては大変気の毒な状況になってしまった。
しかし、六編以降は再び元の形式に戻り、解りやすさを主眼として初学者の便宜を図るものであり、難しい文章を用いることはないだろう。したがって、この四編と五編をもって全編の難易を評価することは避けていただきたい。
明治七年一月一日の詞
私たちは今日、慶応義塾に集まり、明治七年一月一日の新年を迎えることができた。この年号は、我が国の独立を象徴する年号であり、この塾は私たちの社中の独立を象徴する塾である。独立の塾にいて、独立の新年を迎えられることは、これほど喜ばしいことはないだろう。しかし、得て喜ぶものは、失えば悲しむものである。したがって、今日喜びを感じるこの時に、他日悲しむ日が来るかもしれないことを忘れてはならない。
古来、我が国は治乱を繰り返し、政府がたびたび改まってきた。しかし、今日まで国の独立を失わなかった理由は、国民が鎖国の風習に安住し、治乱興廃がすべて国内の問題に留まっていたからである。外国と関係を持たなかったため、治政も国内の治政、混乱も国内の混乱に過ぎなかった。その結果、これまでの治乱を経ても失われなかった独立も、実際には国内に限られた独立であり、他国に対して鋒(ほこ)を争うようなものではなかった。
これをたとえれば、家の中で育てられ、まだ外の世界を知らない子供のようなものである。そのため、我が国の独立がいかに脆弱であるかは自明である。
ところが、今や急速に外国との交流が始まり、国内の事務は全て外国との関係に影響されている。すべての事柄が外国との比較を前提に処理せざるを得ない状況に至った。これまで日本人の力でかろうじて成し遂げられてきた文明の程度をもって、西洋諸国の現状と比較するならば、ただ「三舎を譲る」どころではなく、追随しようとしても「望洋の歎」(大きな海を望みつつ自らの力不足を嘆くこと)を免れず、ますます我が国の独立がいかに脆弱であるかを痛感するに至っている。
国の文明は、形だけで評価することはできない。学校、工業、陸軍、海軍といったものは、いずれも文明の「形」にすぎない。この形を作ることは難しいわけではない。お金さえあれば、これらは購入することができる。しかし、ここにまた「無形の一物」が存在する。この物は目で見ることも、耳で聞くこともできず、売買することも、貸し借りすることもできない。しかし、これは国民全体に行き渡り、その影響力は非常に大きい。この物がなければ、学校やその他の施設も実際には役に立たず、真に文明の精神と言うべき、極めて重要で偉大なものである。
では、この「無形の一物」とは何か。それは、「人民の独立した気力」である。
近年、我が国の政府は熱心に学校を建て、工業を奨励し、海軍や陸軍の制度も大いに刷新し、文明の形はほぼ整ったといえる。しかしながら、国民は未だに外国に対して我が国の独立を堅固に保ち、競って先を争おうとする気概を持たない。それどころか、外国の事情を知る機会を得た人々でさえ、その詳細を知る前に、まず恐怖心を抱いてしまうのが実情である。
他国に対して恐怖の心を抱いてしまえば、仮に自国に何らかの利得があったとしても、それを外に活用することはできない。結局のところ、人民に独立の気力が欠けていれば、いくら文明の形を整えたとしても、それは無用の長物にすぎないのである。
そもそも、我が国の人民に気力が欠けている原因を探ると、これは数千年もの昔から全国の権力を政府が一手に握り、武備や文学から工業や商業に至るまで、どんな些細な事柄であっても政府が関与してきたことに起因する。人民はただ政府が命じるままに動き回るだけであり、まるで国が政府の私有物であり、人民はその食客であるかのような状態である。すでに、家を持たない食客のような立場となっており、かろうじてこの国に身を寄せ、糧を得るにすぎない存在であるため、国を一時的な宿のようにしか見ず、深い愛着や献身を示すことがなく、また気力を発揮する機会も得られない。このような状況が全国的な気風を形成してきたのである。
それだけではなく、今日ではさらに深刻な事態に至っている。一般的に、世の中の事物は進まなければ必ず退くものであり、進まず退かずに停滞することはあり得ない理屈である。今の日本の状況を見ると、文明の形は進歩しているように見えるが、文明の精神である人民の気力は日に日に衰退している。このことについて論じてみたい。
昔、足利や徳川の政府では、民を治めるのにただ力だけを用いていた。人民が政府に従っていたのは、力が及んでいたからであり、心からの服従ではなく、ただ恐れによる見せかけの従順にすぎなかった。現在の政府は、力を持つだけでなく、その智恵も極めて鋭敏で、事態の変化に対応する速さには遅れがない。維新後わずか十年も経たないうちに、学校や兵備の改革が行われ、鉄道や電信が整備され、石造りの建物が建設され、鉄橋が架けられるなど、その決断の迅速さと成果の素晴らしさは、人々を驚かせるに十分である。
しかし、これらの学校や兵備は政府のものであり、鉄道や電信も政府のものである。石造りの建物や鉄橋もまた政府のものである。では、人民はこれらを見て何を感じるべきだろうか。人々は皆こう言うだろう。「政府は力があるだけでなく智恵もある。私たちには到底及ばない存在だ。政府は雲の上にあって国を司り、私たちはただ下でそれに依存しているだけだ。国の問題は政府が担うものであり、私たち下賤な者が関与することではない」と。
これを概括して言うと、古い時代の政府は力を用いて民を治めていたが、今の政府は力と智恵を用いている。古い時代の政府は民を治める術に乏しかったが、今の政府はそれに長けている。古い時代の政府は民の力を挫いていたが、今の政府は民の心を奪っている。古い時代の政府は民の外部を支配していたが、今の政府はその内部を制御しているのである。
昔の民は政府を鬼のように恐れていたが、今の民は政府を神のように崇めている。昔の民は政府を恐れただけだったが、今の民は政府を拝み奉るようになった。この状況のまま事態の軌道を変えることがなければ、政府が何か事業を始めるたびに文明の形は徐々に整うように見えるだろう。しかし、その一方で人民は気力を失い、文明の精神はますます衰退していくだけである。
今、政府には常備の兵隊がいる。本来なら、人民はこれを国を守るための兵として認め、その存在を誇りとし、意気揚々とするはずである。だが実際には、人民はこれを自分たちを威圧するための道具と見なして恐怖している。また、政府が建てた学校や鉄道も、本来は国の文明の証として誇りに思うべきものである。しかし、人民はこれらを政府の私的な恩恵と捉え、それに依存する気持ちを強めるばかりだ。人民がすでに自国の政府に対して萎縮し、震え上がるような心を抱いている状況では、どうして外国と競争して文明を争う余裕があるだろうか。
だからこそ言うのだ。人民に独立した気力がなければ、いくら文明の形を作り上げたとしても、それは単なる無用の長物にすぎず、かえって民心を萎縮させる道具となってしまうだろう、と。
以上の論を踏まえて考えると、国の文明は政府から始まるものではなく、また小さな民衆の力だけで生まれるものでもない。それは必ず、社会の中間層から興り、庶民が向かうべき方向を示し、政府と並び立つ形で進展して初めて成功するのである。西洋諸国の歴史を調べると、商業や工業の発展は、一つとして政府が創造したものではない。それらの起源は、すべて中等の地位にいる学者たちの発想と努力によるものであった。
たとえば、蒸気機関はワットが発明し、鉄道はステファンソンが工夫した。また、経済の定則を初めて論じ、商業の法則を一変させたのはアダム・スミスの功績である。これらの偉人たちは、いわゆる「ミドル・クラス」(中間階級)に属する人々であり、国家の執政者でもなければ、単なる労働者でもない。彼らは国家の中間層に位置し、その智力をもって時代を導いたのである。
彼らの発明や工夫は、最初は一個人の思考から生まれたものである。しかし、それを広め、実地で役立つものとするには、私立の仲間や協力者とともに事業を拡大し、結果的にその功績が人民に計り知れない幸福をもたらし、さらにそれが後世にまで引き継がれていった。この過程において、政府の役割はただその事業を妨害しないことであり、適切にそれが実行されるようにし、国民の意思や志向を察して保護することにある。したがって、文明を創造し実行する者は私立の人民であり、その文明を守り支える者が政府である。
一国の人民がその文明をまるで自分たちの財産のように感じ、それを競い合い、誇り、他国の進歩を羨む一方で、国内においては一つの偉業が成し遂げられれば、全国の人民が一丸となって手を打ち歓喜し、ただ他国に先を越されることを恐れるのみとなる。その結果、文明に関連する事物はすべて人民の気力を高める道具となり、一つ一つが国の独立を助けるものとなる。このような状況は、まさに現在の我が国の有様とは正反対であると言えよう。
現在の我が国において、西洋の「ミドル・クラス」に相当し、文明の先導者となって国の独立を支えるべき立場にあるのは、ただ一種の学者のみである。しかしながら、この学者たちは、時勢を見極める視野が狭いのか、あるいは国の問題を自らの問題と同じように切実に感じていないのか、それとも世間の気風に影響され、ただひたすら政府に依存して事を成そうと考えているのか、大半がその使命を全うせず、官職に就いて些末な事務に奔走し、身も心も無駄に疲弊させている。彼らの行動は滑稽と言えるものも多いが、本人たちはそれを甘んじて受け入れ、周囲の人々もまたそれを不思議に思わない。有識者の中には、「野に賢者を残さず」として喜ぶ者すらいる。
もとより、この状況は時勢によるものであり、その責任は個々の人間にあるわけではない。しかしながら、国の文明にとってはこれは重大な災難である。文明を育てるべき責任を負った学者たちが、その精神の衰退をただ傍観し、何の憂慮も示さないことは、深い嘆息を誘い、また痛哭に値するものである。
その中で、我が慶応義塾の社中だけは、この災難をかろうじて免れている。数年間にわたり、独立の名を失わず、独立の塾として独立の精神を養い続け、その目標を全国の独立の維持に置いてきた。しかしながら、時勢というものは、急流のように激しく、大風のように強大な力を持つ。この勢いに逆らい、屹立することは決して容易ではなく、並外れた勇気と力がなければ、知らず知らずのうちに流され、または靡いてしまい、足元を失う危険がある。
そもそも、人の勇気と力はただ読書によって得られるものではない。読書は学問の手段であり、学問は事を成すための手段である。実地に触れ、経験を積むことで事に慣れなければ、勇気を養うことは決してできないのである。我が社中においてすでにその術を得た者は、貧困を耐え、困難に立ち向かい、自ら得た知識を文明の実践に役立てなければならない。そのための課題は数え切れないほど多く存在する。
商業を振興しなければならず、法律を議論しなければならず、工業を起こさなければならず、農業を奨励しなければならない。著作、翻訳、新聞の出版、その他文明に関するあらゆる事業を、私たちの手で取り上げ、私有化して実行し、国民の先頭に立って政府と協力するべきである。官の力と私の力とが互いに均衡を保ち、一国全体の力を増強する。そして、現在の薄弱な独立を、動かし得ない確固たる基礎の上に築き上げ、外国と鋒(ほこ)を交えて争い、一歩たりとも譲らないようにするのである。
さらに、今から数十年の新年を迎えたとき、振り返って今日この月この日の状況を思い出し、今日の独立を喜ぶのではなく、むしろそれを憐れみ、微笑むような境地に達することができるのは、まさに一大快事ではないだろうか。学者たちは、自らの進むべき方向を定め、その目標をしっかりと据えなければならない。

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六編

国法の貴きを論ず
政府とは国民の代表であり、国民の意思に従って事を行うものである。その職務は、罪のある者を取り押さえ、罪のない者を保護することに他ならない。この役割は、国民が望むところであり、この目的を達成すれば、一国内に便利がもたらされるだろう。
もともと罪のある者とは悪人を指し、罪のない者とは善人を指す。仮に悪人がやってきて善人に危害を加えようとする場合、善人は自らこれを防ぐのが理に適う。また、誰かが自分の父母や妻子を殺そうとするならば、それを捕まえて処罰することも当然の権利である。自分の家財を盗もうとする者を捕まえて罰することも同様である。これらは理にかなった行動であるが、個人の力で多数の悪人を相手に対処することは、とてもかなうものではない。
たとえ何らかの手当てをして対処しようとしたとしても、それには莫大な費用がかかり、大した効果を得ることはできない。そこで、国民全体の代表として政府を立て、善人の保護をその職務とさせた。そしてその代償として、役人の給料はもちろん、政府のすべての支出を国民が負担することを約束したのである。
さらに、政府はすでに国民全体の代理として行動する権利を持つため、政府が行うことはすなわち国民自身が行うことである。したがって、国民は必ず政府の定めた法に従わなければならない。これもまた国民と政府との間の約束である。つまり、国民が政府に従うのは、政府が作った法に従うということではなく、国民自身が作った法に従うということである。
したがって、国民が法を破ることは、政府が作った法を破るのではなく、自分たち自身が作った法を破ることになる。そしてその結果、刑罰を受けるのは、政府から罰せられるのではなく、自ら定めた法に基づいて罰せられるのである。この趣旨をたとえて言えば、国民とは、1人で2人分の役割を果たすようなものだということになる。すなわち、国民の一つ目の役割は、自分自身の代表として政府を立て、一国中の悪人を取り押さえ、善人を保護することである。二つ目の役割は、政府との約束を厳守し、その法に従って保護を受けることである。
以上のように、国民は政府と約束し、政治の権限を政府に委ねている以上、この約束を破り、法に背くことは許されない。人を殺した者を捕えて死刑に処するのも政府の権限であり、盗賊を縛り上げて牢屋に繋ぐのも政府の権限である。公事や訴訟を裁くこと、乱暴や喧嘩を取り締まることも、すべて政府の権限に属する。これらの事柄について、国民が自ら手を出すことは一切許されない。
もしこれを誤解し、自ら罪人を殺したり、盗賊を捕えて鞭打つなどの行為を行うならば、それは国法を犯すことであり、自ら私的に他人の罪を裁く行為である。これを「私裁」と呼び、その罪は免れ得ない。この点において、文明諸国の法律は極めて厳格である。それは、いわゆる「威ありて猛からざる」姿勢を示しているのである。
一方で、日本では政府の権威が盛んなように見えるものの、人民はただ政府の権威を恐れるばかりで、その法の尊さを理解していない者がいる。ここで、私裁が望ましくない理由と国法の尊い理由を次のように記す。
たとえば、自分の家に強盗が入り、家人を脅して金品を奪おうとする事態を考える。この場合、家の主人としての本来の役割は、まずこの事態を政府に訴え出て、その処置を待つことである。しかしながら、事が急を要し、訴えを出す暇もなく、もたもたしている間に、強盗がすでに土蔵に入り込み、金品を持ち出そうとしているという切迫した状況に陥ることがある。これを阻止しようとすれば、自分の命も危険に晒される場合もある。このような場合、やむを得ず家族が一致団結し、その場で私的に対処し、強盗を取り押さえた上で、後に政府に訴えるという手段を取る。
このようにして強盗を捕える際には、棒を使うこともあれば、刃物を使うこともある。強盗に怪我を負わせる場合や、その足を折る場合もあるだろう。場合によっては鉄砲で撃ち殺すこともあり得る。しかし、これらの行為はすべて、自分の命を守り、家財を守るために緊急の対処を行っただけであり、決して強盗の非礼を咎め、その罪を罰する意図があったわけではない。
罪人を罰するのは、政府の専有する権限であり、私的な役割ではない。したがって、私たちの手によって強盗を捕え、手中に置いた後は、一般市民の立場としてその者を殺したり、打擲(ちょうちゃく)したりすることはもちろん許されず、指一本触れることさえも許されない。ただ、政府に告げてその裁判を待つだけである。もし、捕えた後に怒りに任せてその者を殺したり、打擲することがあれば、その罪は無実の人を殺し、無実の人を打擲することと変わらない。
たとえば、ある国の法律には「金十円を盗んだ者は笞刑百回を科せられる。また、人の顔を足で蹴った者も同じく笞刑百回を科せられる」とある。ここに一人の盗賊がいて、人の家に入り金十円を盗み出そうとして捕まり、縛られた後、家の主人が怒りに乗じてその盗賊の顔を足で蹴ったとする。その場合、この国の法律によれば、盗賊は金十円を盗んだ罪で笞刑百回を受けるが、主人もまた、平民の身で私的に盗賊の罪を裁き、その顔を蹴った罪で笞刑百回を受けることになる。国法がいかに厳しいか、この例からもわかる。これを軽んじて恐れないわけにはいかない。
以上の理屈から考えると、敵討ちが望ましくない理由も理解できるであろう。自分の親を殺した者は、国において一人の人を殺した公的な罪人である。この罪人を捕え、刑に処するのは、政府の専任の職分であり、平民が関わることではない。自分の親を殺された子であったとしても、政府に代わって私的にこの罪人を殺すことに道理はない。それは、単に差し出がましい行動であるばかりか、国民としての職分を誤り、政府との約束に背く行為と言うべきである。仮に政府の処置が不適切で、罪人をえこひいきするようなことがあれば、その不正を政府に訴えるべきであり、自ら手を下すことは断じて許されない。たとえ親の敵が目の前をうろついていても、私的にこれを殺すことに道理はない。
たとえば、徳川時代の出来事である。浅野家の家来たちが、主人の仇討ちとして吉良上野介を殺害したことがあった。世間ではこれを「赤穂の義士」と称しているが、これは大きな間違いである。この時代、日本の政府は徳川幕府であった。浅野内匠頭も吉良上野介も、そして浅野家の家来たちも、みな日本の国民であり、政府の法に従いその保護を受けることを約束していたのである。
一方で、あるとき上野介が浅野内匠頭に無礼を働いた事件があった。このとき、内匠頭は政府に訴えることを知らず、怒りに任せて私的に上野介を斬ろうとし、ついに両者の喧嘩に発展した。これを受けて、徳川政府は内匠頭に切腹を命じ、上野介には何ら刑罰を加えなかった。この裁定は明らかに不公正なものであると言える。
浅野家の家来たちは、この裁判が不公正だと感じたのであれば、なぜ政府に対して訴え出ることをしなかったのか。四十七士たちは協力し合い、それぞれが正当な手続きを踏んで法に従い、政府に対して不正を訴え出るべきだったはずである。たとえ徳川幕府が暴君的な政府であったとしても、最初はその訴えを無視したり、訴えを起こした者を捕えて処刑するようなことがあったかもしれない。しかし、一人が殺されても恐れることなく、次々に代わりの者が訴えを起こし、そうして四十七人全員が命を失うに至ったとしても、最終的にはどのような悪しき政府であれ、その理屈に屈服せざるを得なくなり、上野介にも刑罰を与えて裁判を正すことができたはずである。
このような手段を取らず、私的に復讐を遂げたことは、法の支配を無視し、政府との約束を破る行為であった。彼らの行動が「義」と称えられるのは誤りである。こうしてこそ、初めて真の義士と称えられるべきであったはずだ。それにもかかわらず、この理を理解せず、国民という地位にありながら国法の重みを無視し、軽々しく上野介を殺害したのは、国民としての職分を誤り、政府の権限を侵害し、私的に人の罪を裁いた行為と言える。幸いなことに、当時の徳川政府がこの乱暴者たちを処刑したことで事態は収束した。しかし、もしこれを免責したならば、吉良家の一族が敵討ちとして赤穂の家来たちを殺害することは避けられなかっただろう。そして、赤穂の家来たちの一族がさらに敵討ちとして吉良の一族を攻撃することになったはずだ。
このように、敵討ちと敵討ちが繰り返され、果てしなく続き、最終的には双方の一族やその友人たちが死に絶えるまで止まらなくなる。これこそが、いわゆる無政府・無法状態の世の中というものである。私的裁判が国を害することは、このように甚大であるため、慎重でなければならない。
かつての日本では、百姓や町人が士分の者に無礼を働いた場合、「切捨て御免」という法があり、これは政府が公に私的裁判を許容していた例である。これは大いに問題である。一国の法は、ただ一つの政府が一元的に執行すべきものであり、その権限が多くの主体に分散されれば、それに比例して政府の権力も弱体化するのが道理である。
たとえば、封建時代には全国に三百もの諸侯が存在し、それぞれが生殺の権限を持っていた。その時代の政府の力が弱かったのは、まさにその分権状態によるものである。このような状況では、政府の統治能力は必然的に低下せざるを得なかった。
私的な裁判の中でも最も甚だしく、政治を最も深く害するものは暗殺である。古来、暗殺の事例を見れば、その動機は様々である。例えば、個人的な恨みを晴らすために行う者もいれば、金銭を奪うことを目的とする者もいる。このような暗殺を計画する者は、もともと罪を犯す覚悟を持っており、自らを罪人と認識している。しかし、これとは異なるもう一種類の暗殺が存在する。それは、私的な目的ではなく、いわゆる政敵を憎んで殺害するものである。
世の中の事柄については、それぞれの考え方や見解が異なることがある。だが、自分の考えを基準に他人を罪人と決めつけ、政府の権限を侵害して、勝手に人を殺し、それを恥じるどころか、むしろ誇らしげに天誅を行ったと称する者がいる。さらに、それを英雄的な行動と称賛する人々さえいる。
しかし、「天誅」とは一体何なのか。天に代わって罰を下すというつもりなのだろうか。そのようなつもりであるならば、まず自分自身の立場を振り返らなければならない。そもそも、この国に暮らし、政府とどのような約束を結んでいるのかを考えるべきである。その約束とは、「必ず国法を守り、それに基づいて身の安全を保障される」というものであったはずである。
もし国の政策に不満を抱き、国を害する人物がいると考えるのであれば、冷静にそれを政府に訴えるべきである。それにもかかわらず、政府を無視し、自ら天に代わって行動するとは、まさに本分を忘れた振る舞いであり、「商売違いも甚だしい」と言うべきである。
結局、この種の人々は、性格としては律儀で真面目かもしれないが、物事の理を理解せず、国を憂えることは知っていても、その原因や解決策を知るには至っていない者たちである。
試しに、古今東西の歴史を振り返ってみるがよい。暗殺によって物事を成功させ、世間の幸福を増やした例など、いまだかつて存在したためしがないのである。
国法の尊さを理解しない者たちは、ただ政府の役人を恐れ、その前ではおとなしく振る舞い、表向きには犯罪の名を避けるが、実際には法を破ることを恥じとも思わない。それだけでなく、巧妙に法を破り、罪を免れた者がいれば、むしろその行為を「才覚」として評価し、良い評判を得ることさえある。
現在の世間の日常会話を聞いてみると、「これも上の御大法だ」、「あれも政府の公式の決まりだけど、こうやって内々に取り計らえば、表向きの法には差し支えない」などと話し、表向きの内証話だとして笑いながら語られる。そして、誰もそれを咎める者はいない。さらに酷い場合、小役人と相談してこの内証の手配を進め、双方が便利を享受して、罪のない者のように装うことさえある。
実際のところ、かの「御大法」と呼ばれる法規が、あまりにも煩雑で現実に適用しにくいがために、こうした内証の取り計らいが横行しているのかもしれない。しかし、一国の政治という観点から論じるならば、これは極めて恐るべき悪弊である。
こうして国法を軽んじる風潮が広がることで、人民の間に不誠実な気風が生まれる。そして、本来ならば便利で守るべき法ですら守られなくなり、その結果、最終的には罪を犯し、罰を受ける者が出ることになる。
例えば、往来で小便をすることは政府の禁制である。しかし、人民はこの禁令の重要性を理解せず、ただ巡査を恐れるだけである。ある者は、日暮れなど巡査がいない時を狙って法を破ろうとし、もし運悪く見咎められて罰せられたとしても、本人の心の中では、「貴重な国法を破ったから罰せられた」とは考えない。ただ「恐ろしい巡査に出会ったのは運が悪かった」としか思わないのである。これは本当に嘆かわしいことである。
ゆえに、政府が法を定める際には、なるべく簡明なものとすることが望ましい。そして、いったんそれを法として定めた以上は、その趣旨を徹底して伝えなければならない。人民は政府が定めた法を見て不便であると感じたならば、遠慮なくこれに異議を唱え、訴えるべきである。しかし、一度その法を認め、その下で生活することを選んだ以上、個人の判断でその法を批判したり軽視したりすることなく、謹んで遵守しなければならない。

最近の例として、先月、我が慶応義塾で起こった一件がある。華族である太田資美氏は、一昨年から私費を投じてアメリカ人を雇い、義塾の教員として採用していた。このたび、その雇用契約が終了する時期となり、新たなアメリカ人教師を雇い入れるべく交渉を進め、当人との話がまとまった。そして、太田氏は東京府に書面を提出し、このアメリカ人を義塾の文学・科学の教師として採用したい旨を願い出た。
しかし、文部省の規則により、「私費で私塾の教師を雇い、私的に教育を行う場合であっても、その教師が本国で学科卒業の免状を取得し、所持していない限り、雇い入れを許可しない」との条項が存在する。このたび雇用予定であったアメリカ人は、その免状を所持していなかったため、たとえ語学教師であれば問題はないとしても、文学・科学の教師としての採用は認められないとの回答が、東京府から太田氏に通知されたのである。
福沢諭吉はこの件について、東京府へ書面を提出し、次のように述べた。「この教師は免状を所持していないが、その学力は当塾の生徒を教えるに十分であり、太田氏の願い通りに許可されたい。あるいは『語学の教師』と名目を変えれば願いは通るであろうが、当塾の生徒は文学と科学を学ぶつもりである。語学と偽り、官を欺くことは断じて行わない。」しかし、文部省の規則は変更不可能との理由で、福沢の願書も却下され、返却された。
その結果、すでに内定していたこの教師を雇い入れることができず、教師本人は昨年十二月下旬に日本を離れ、アメリカへ帰国した。これにより、太田氏の計画は一時の水泡に帰し、数百名の生徒たちも希望を失った。この事態は、単に一私塾の不幸にとどまらず、国全体の文学の発展に対しても大きな妨げとなるものである。実に腹立たしく苦々しい事態であるが、国法の尊さには抗し難く、近いうちに再度の出願を行う予定である。

この一件について、太田氏をはじめ、社中が集まって議論した際に、「文部省が定めた私塾教師の規則も、いわゆる『御大法』である。したがって、文学・科学という言葉を削除し、語学教師として申請すれば願いは通り、生徒たちにとっても幸いであろう」と再三検討された。しかし、最終的には、「この件で生徒の学業に退歩があるとしても、官を欺く行為は士君子として恥ずべきことである。国法を厳守し、国民としての職分を誤らないことこそが上策である」との結論に至り、このような処置を取るに至った。
これは一私塾における些細な問題のように思えるが、その議論の趣旨は、広く世間の教育や道徳にも関わる重要なことであると考える。そこで、この機会に本件を巻末に記録するものである。

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七編

国民の職分を論ず
第六編において、国法の尊さを論じ、「国民たる者は一人にして二人分の役目を果たすものなり」と述べた。ここではさらに、その役目や職分について詳しく説明し、第六編の補足とする。
国民たる者は、一人の身にして二つの勤めを持つ。その一つ目の勤めは、政府の下に属する一人の民としての役割であり、これは「客」のような立場である。二つ目の勤めは、国中の人民が申し合わせて「一国」という名の会社を結成し、その会社の法を定め、これを施行することである。これは「主人」としての立場である。
たとえば、ここに百人の町人が集まり、ある商社を結成したとする。社中で相談のうえ商社の法を定め、それを実行している様子を見ると、この百人はその商社の「主人」であるといえる。また、いったん法を定めた後に、社中の誰もがその法に従い、違反しない様子を見ると、この百人は同時にその商社の「客」であるともいえる。
これと同様に、一国もまた商社のようなものであり、人民は商社の構成員に例えられる。一人の国民が「主人」として法を定め、「客」としてその法に従うという二様の職分を担うべき存在なのである。

第一
一国の人民が「客」の立場として考える場合、国法を重んじ、人間は平等であるという趣旨を忘れてはならない。他人が自分の権利や義務を侵害しないことを望むのであれば、自分もまた他人の権利や義務を妨げてはならない。自分が楽しむことは他人も同じように楽しむ権利を持つゆえ、他人の楽しみを奪って自分の楽しみを増やしてはならず、他人の財産を盗んで自分の富とすることも許されない。また、人を殺してはならず、讒言して他人を陥れるようなこともすべきではない。国法を遵守し、彼と我が平等であるという大義に従わなければならない。
また、国の政体に基づいて定められた法は、たとえそれが愚かに思えたり、不便であると感じたとしても、軽々しく破ることは許されない。軍を起こすことや外国との条約を結ぶことは、すべて政府の権限に属する事項であり、この権限はそもそも国民が政府に委ねたものである。したがって、政府の運営に直接関与しない国民が、これらについて勝手に議論し、干渉することは本来許されない。
もし国民がこの趣旨を忘れ、政府の決定が自分の意に沿わないといって勝手に議論を巻き起こし、条約を破ろうとしたり、軍を起こそうとしたり、さらには個人で先走り、刀を手にして行動を起こすような事態に至れば、国家の運営は一日たりとも成り立たなくなるだろう。
これを例えるなら、ある商社において、百人の社員が話し合いの末に十人を支配人として選任したとする。その支配人の決定が他の九十人の社員の意に沿わないとして、それぞれが独自に商法を議論し、支配人が酒を売ろうとすれば、九十人のうちの誰かが牡丹餅を仕入れようと提案し、意見がばらばらになる。さらに酷い場合、誰かが自分勝手に牡丹餅の取引を始め、商社の規則に背いて他社と争いを起こしたとしたら、その商社の事業は一日たりとも継続できず、最終的には商社が解散することになるだろう。その損失は、百人全員が同様に被ることになる。これこそ愚かなことである。
したがって、たとえ国法に不正や不便があったとしても、それを口実として法を破ることは理に適わない。もし実際に不正や不便があるならば、それを一国の「支配人」である政府に対して説得し、冷静にその法を改めるよう求めるべきである。それでも政府が国民の訴えを受け入れない場合は、力を尽くしつつも忍耐を持って時機を待つべきである。

第二
主人としての立場から論じると、一国の人民こそがすなわち政府である。その理由は、一国のすべての人民が政務を直接行うことができないため、政府というものを設けてその国政を任せ、人民の名代として事務を取り扱わせるという約束が成立しているからである。したがって、人民は家元であり、また主人である。政府は名代人であり、また支配人である。
たとえば、商社において百人の社員の中から選ばれた十人の支配人が政府であり、残りの九十人の社員が人民であるようなものである。この九十人の社員は、自ら事務を取り扱うことはしないが、自らの名代として十人の者に事を任せたのである。ゆえに、自らの立場を問い直せば、それを商社の主人と呼ばざるを得ない。また、かの十人の支配人は現在の事務を取り扱う立場にあるが、元々は社員全体の依頼を受け、その意向に従って事務を行うことを約束した者である。したがって、その実態は個人的な事務ではなく、商社の公務を行う者である。
いま世間で、政府の行うことを「公務」や「公用」と呼ぶが、その語の由来を尋ねると、政府の事務は役人の私事ではなく、国民の名代となって一国を支配する公の事務であるという意味に他ならない。
右の次第から考えると、政府は人民から委任を受け、その約束に従って、一国の人民を貴賤や上下の別なく、いずれもその権利と義務を十分に発揮させなければならない。また、法を正しくし、刑罰を厳正に執行し、少しの私的な偏りもあってはならない。
仮にここに一群の賊徒が現れて、他人の家に乱入する事態があったとしよう。この際、政府がこれを見ていながら制止することができなければ、その政府もまた賊の徒党であると言って差し支えない。また、政府が国法の趣旨を達成できず、人民に損害を与えるような事態が生じたならば、その損害の大小や、その出来事が新しいか古いかにかかわらず、必ずその損害を償わなければならない。
たとえば、役人の不手際によって、国内の人民や外国人に損害を与え、三万円の賠償金を支払うことになったとする。政府には元々資金があるわけではないため、その賠償金は必ず人民から徴収されることになる。この三万円を日本全国の約三千万人の人口で割り付けると、一人当たり十文に相当する。もし役人の不手際が十度重なれば、人民一人当たりの負担は百文となり、一家五人の家庭であれば五百文の負担となる。
田舎の小百姓が五百文の銭を持てば、妻子が集まり、山里にふさわしい馳走を用意して一晩の愉快を味わうことができるはずである。それがただ役人の不行き届きのせいで、全日本中の罪なき小民に、この無上の歓楽を失わせることは、実に気の毒の極みである。人民の立場からすれば、このような馬鹿げた金を払う道理はないように思えるが、どうしようもない。なぜなら、その人民こそが国の家元であり主人であり、初めから政府にこの国を任せ、事務を取り扱わせる約束をしており、損得も家元である人民が引き受けるべきものであるからだ。ただ金を失った時だけ役人の不調法をあれこれと議論するべきではない。
ゆえに、人民である者は日頃から心を用い、政府の処置を見て不安を感じることがあれば、深い誠意をもってこれを指摘し、遠慮なく穏やかに論ずるべきである。人民はすでに一国の家元であり、国を守るための費用を支払うのは本来その職分である。したがって、この費用を負担する際には、決して不平を表情に表してはならない。国を守るためには、役人の給料が必要であり、海陸軍の費用が必要である。また、裁判所や地方官の費用も欠かせない。その総額を合算すると大金のように思えるかもしれないが、それを一人当たりに割り付けると、実際にはどれほどの額になるだろうか。日本において歳入の総額を全国の人口で割るならば、一人当たり年間一円か二円にすぎないだろう。
一年間にわずか一円や二円を支払って政府の保護を受けることで、夜盗や押込みの危険もなく、一人旅をしても山賊の恐怖に怯えることもなく、平穏に生活を送れるというのは、非常に大きな恩恵ではないだろうか。世の中において、これほど割の良い取引があるだろうか。税金を払って政府の保護を買うほど安いものは他にない。
世間を見ると、建物の普請に多額の金を費やす者がいる。また、美しい衣服や贅沢な食事に力を尽くす者もいる。中には、酒や色事に金を浪費して身代を傾ける者もいる。このような出費と税金を比較すれば、もはや同じ土俵で論じるべきものではない。不筋な出費であればこそ一銭でも惜しむものだが、道理に基づいて出すべき費用であり、かつそれによって得られる安定という恩恵を考えれば、税金は安い買い物と言える。
ゆえに、考えるまでもなく、気持ちよく税金を支払うべきである。

右のように、人民と政府がおのおのその分限を尽くして互いに調和を保つとき、何ら問題はない。しかしながら、政府がその分限を越えて暴政を行う場合がある。そのような場合において、人民が取りうる行動はただ三つしかない。すなわち、節を屈して政府に従うか、力をもって政府に敵対するか、正理を守って身を棄てるか、この三つである。
第一に、節を屈して政府に従うことは極めてよろしくない。人間たる者は天の正道に従うことを職分とすべきである。それにもかかわらず、その節を屈して政府が人為的に作った悪法に従うことは、人間の本分を破る行為といえる。また、いったん節を屈して不正な法に従えば、その悪例を後世の子孫に残し、天下全体に弊風を広めることになる。
古来日本においても、愚かな民の上に暴虐な政府が存在し、政府が虚勢を張って力を誇示すると、人民はこれを恐れた。あるいは、政府の処置を見て明らかに理不尽であると感じても、そのことを述べれば政府の怒りに触れ、後日に役人たちから陰で迫害を受けることを恐れ、言うべきことを言えなくなっていた。その「後日の恐れ」とは、俗にいう「犬の糞」のようにしつこく厄介なものである。人民はただひたすらこの犬の糞を恐れ、どのような無理であろうと政府の命令に従わなければならないと心得ていた。これが世間一般の気風となり、ついには今日の浅ましい有様に陥ってしまったのである。
これはまさに、人民が節を屈して悪政に従った結果、後世に禍を残した一例と言うべきである。
第二に、力をもって政府に敵対することは、もとより一人でできることではなく、必ず徒党を組まなければならない。これがいわゆる内乱の軍であり、決して上策とは言えない。いったん軍を起こして政府に敵対すれば、事の正邪や理非は一旦脇に置かれ、ただ力の強弱を比較するしかなくなる。しかし、古今の内乱の歴史を振り返れば、人民の力は常に政府の力よりも弱いものである。
さらに、内乱が起これば、その国で長年にわたって行われてきた政治の仕組みが一度に覆されるのは言うまでもない。しかしながら、どれほど悪い政府であったとしても、その政府が全く善政や良法を持たなければ、政府としての名前で年月を渡ることはできなかったはずである。したがって、一時の妄動によって政府を倒しても、暴力を暴力に置き換え、愚かな体制を愚かな体制に置き換えるだけのことになる。
また、内乱の起こる原因を探れば、それはもともと人の非人情を憎んで起こしたものである。しかしながら、人間社会において内乱ほど非人情なものは存在しない。内乱によって、世間の友人関係が壊されるのはもちろんのこと、ひどい場合には親子が互いに殺し合い、兄弟が敵対し合う。そして家を焼き、人を殺し、その悪事は尽きることがない。このような恐ろしい状況において、人々の心はますます残忍になり、ほとんど禽獣のような行動を取るようになる。
それにもかかわらず、そのような状態から旧政府よりも良い政治を行い、寛大な法を施し、天下の人情を厚くしようと考えるのは、不合理な考えと言うべきである。
第三に、正理を守り身を棄てるとは、天の道理を信じて疑わず、どのような暴政の下に置かれ、いかなる苛酷な法によって苦しめられようとも、その苦痛を忍び、自らの志を挫けることなく、一寸の兵器も携えず、片手の力も用いることなく、ただ正理を唱えて政府に訴えることである。以上の三つの策のうち、この第三策が最も優れた上策と言える。
理をもって政府に迫れば、その時、その国に存在する善政や良法には何の害も及ばない。その正論がたとえその場では用いられなかったとしても、理がある限りその論は真実として明らかになる。そして、自然と人々の心がこれに服さないことはない。ゆえに、今年に実現されなくても、また来年を期すべきである。
さらに、力を用いて政府に敵対する場合は、ひとつの利益を得ようとして百の害を被る恐れがあるが、理を唱えて政府に迫る場合は、ただ取り除くべき害を除くだけで、余計な問題を生じることはない。その目的は政府の不正を改めることであり、政府が正しい処置を行えば議論もまた止むのである。
また、力をもって政府に敵対すれば、政府は必ず怒りを生じ、自らの過ちを顧みることなく、かえって暴威を強め、その非道をさらに推し進めようとする勢いに至るだろう。しかし、静かに正理を唱える者に対しては、たとえ暴虐な政府であっても、その役人もまた同じ国の人間であり、正理を守って身を棄てる姿を見れば、必ず同情し、憐れむ心を抱くに違いない。
他者を憐れむ心が生じれば、自らの過ちを悔いるようになり、自然と気力を失い、最終的には必ず改心に至るのである。
このように、世の中の不正を憂いて自らの身を苦しめ、あるいは命を落とす者を、西洋の語でマルチルドム(martyrdom:殉教者)という。その失ったものはただ一人の命に過ぎないが、その効果は、千万人を殺し千万両を費やした内乱の軍よりもはるかに優れている。古来、日本においても討ち死にした者や切腹した者が多く、いずれも忠臣義士として評判が高い。しかし、その命を棄てた理由を尋ねると、大半は二つの政権が争う軍に関わるものであったり、主人の仇討ちにより華々しく命を投げ出した者ばかりである。その行動の形は美しく見えるかもしれないが、その実際は世の中に何の益ももたらしていない。
自らの主人のためといい、「主人に申し訳が立たない」として一命を捨てればそれで良いと考えるのは、まだ未開で曖昧な時代の常識であった。しかし、いま文明の大義からこれを論じれば、これらの人々は命の棄てどころを知らない者であると言わざるを得ない。
そもそも文明とは、人間の知恵や徳を進め、人々がそれぞれ自分の身を支配し、互いに交わりながらも相手を害することもなく、また害されることもなく、各々が自分の権利と義務を達成し、全体として安全と繁栄を実現することである。したがって、戦争であれ仇討ちであれ、その行為が文明の趣旨にかなうものであるならば、例えばその戦いに勝利して敵を滅ぼし、仇討ちを遂げて主人の名誉を立てることで、この世が文明へと進み、商業が発展し、工業が興り、全体の安全と繁栄を促進するという目的があるならば、討ち死にも仇討ちも理にかなった行為であるといえるだろう。
しかし、事実においては、これらの行為がそのような目的を持つことは決してあり得ない。また、かの忠臣義士たちにも、それほどの見通しがあったわけではない。ただ因果によって、主君への申し訳を果たすための行為に過ぎなかったのであろう。もし、主君への申し訳として命を棄てた者を忠臣義士と呼ぶのであれば、今日でも世間にそのような人は多くいることになる。
例えば、権助が主人の使いに出かけ、一両の金を落として途方に暮れ、「旦那に申し訳が立たない」と思い詰め、決心の末、並木の枝にふんどしを掛けて首を縊るという例は、世間では珍しい話ではない。今、この忠実な従者が自ら死を決したときの心情を思いやり、その情を汲み取れば、これもまた憐れむべきことであろう。使いに出てまだ帰らず、その身をまず死で終えるとは、まさに長い間、英雄たちの涙を襟に満たすようなことである。
主人から託された一両の金を失い、それを償うために一死をもって君臣の分を尽くしたこの行為は、古今の忠臣義士たちに対して少しも劣らないものである。その誠実な忠誠心は日月とともに輝き、その功績は天地とともに永遠であるべきはずである。しかし、世間の人々は皆薄情で、この権助を軽蔑し、その功績を称える碑を建てる者もなく、彼を祀る宮殿を建てる者もいないのはなぜだろうか。
人々は口をそろえて言うだろう。「権助の死は、たかが一両の金のためであり、その事柄は極めて些細である」と。しかしながら、物事の軽重は金額の大小や人数の多少で判断されるべきではない。それが世の文明に役立つか否かによって、その価値を定めるべきなのである。
しかるに、かの忠臣義士が一万の敵を殺して討死する場合も、この権助が一両の金を失って首を縊る場合も、その死が文明に何の益ももたらさないのであれば、まさしく同様のことであり、どちらが軽く、どちらが重いとは判断できない。ゆえに、忠臣義士も権助も、共に命の棄てどころを知らない者と言って差し支えない。これらの行為をもってマルチルドムと称することはできない。
余輩の聞くところによれば、人民の権利と義務を主張し、正理を唱えて政府に訴え、その命を棄てて最期を全うし、世界に対しても恥じるところのない人物は、古来ただ一人、佐倉宗五郎のみである。ただし、宗五郎の伝記は世間で伝わる草紙の類に限られ、いまだにその詳細が正史として確認されていない。もしその正確な史料を得ることができれば、将来これを記録し、その功績と徳を世に示して、世間の模範とするべきである。

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八編

わが心をもって他人の身を制すべからず
アメリカのエイランドという人が書いた『モラル・サイヤンス』という本に、人の身体と心の自由について論じた部分がある。その論の大意は次のようなものだ。
人の身体は、他人とは独立した一つの完全な存在であり、自らの身体を管理し、自らの心を使い、自らを支配して、それぞれの務めるべき仕事を果たすものだ。
だから、まず第一に、人はそれぞれ身体を持っている。この身体を使って外界と接し、必要なものを手に入れ、自分の望みを実現することができる。たとえば、種を蒔いて米を作ったり、綿を収穫して衣服を作ったりするようなことだ。
第二に、人にはそれぞれ知恵がある。この知恵によって物事の道理を理解し、間違いのない方法で事を成し遂げることができる。たとえば、米を作るには肥料の使い方を考え、木綿を織るには織機の仕組みを工夫するようなことだ。これらはすべて知恵と分別の働きによるものだ。
第三に、人にはそれぞれ欲望がある。この欲望が心と身体の働きを生み出し、その欲望を満たすことで個人の幸福が成り立つ。たとえば、美しい衣服や美味しい食べ物を好まない人はいない。しかし、それらは自然に天から降ってくるものではなく、手に入れるには人の働きが不可欠だ。だから、人の働きの多くは欲望によって促されるものであり、もし欲望がなければ働くこともなく、働かなければ快適な生活や幸福を得ることはできない。禅僧のように、働きもせず幸福もない者こそ、この点において例外と言えるだろう。
第四に、人はそれぞれ誠実な本心を持っている。 誠の心とは、欲望を抑え、その方向を正しくし、どこで止めるべきかを定めるものである。
たとえば、欲望には限りがなく、美しい衣服や美味しい食べ物も、どれだけあれば十分かという線引きは難しい。もし、やるべき仕事を放棄し、ひたすら自分の欲望を満たすことだけを考えれば、他人を害して自分の利益を得るしか方法はなくなってしまう。それは人間のすることとは言えない。このような時、欲望と道理を区別し、欲望を抑えて道理の中に従わせるものこそ、誠の本心なのだ。
第五に、人はそれぞれ意思を持っている。 意思は物事を成し遂げるための志を立てる力である。たとえば、世の中のことは偶然にうまくいくものではない。善いことも悪いことも、すべて人が「これを成そう」とする意志があってこそ実現するのだ。
以上の五つ――身体・知恵・欲望・誠の本心・意思――は、人にとって欠かすことのできない性質であり、それらを自由に使いこなすことによって、一人の人間として独立することができる。
さて、「独立」というと、世の中の変わり者や孤立した人物のように思われがちだが、決してそうではない。人として生きていく以上、友人を持たないわけにはいかないが、その友人もまた、自分と同じように他者との交わりを求めているのだから、人と人とのつながりは互いの関係によって成り立っているのだ。
ただし、この五つの力を使うにあたっては、天が定めた法則に従い、分を越えないことが重要である。その「分」とは、自分がこの力を用いるのと同じように、他人もまた同じようにこの力を用いることができ、互いにその働きを妨げないことである。
このように、人としての分を誤らずに世の中を生きていけば、他人から咎められることもなく、天から罰せられることもない。これこそが、人間の権利と義務というものである。
以上のことから、人は他人の権利や義務を妨げさえしなければ、自分の身体を自由自在に使うことができるという理屈が成り立つ。自分の好きな場所へ行き、望むところに留まり、働くことも遊ぶことも、自らの意思で決められる。あるいは、この仕事をすることも、別の仕事をすることも、昼夜を問わず勉強に励むことも、また、気が進まなければ何もせず一日中寝て過ごすことも、すべて他人には関係のないことであり、周囲の者がとやかく言う筋合いのものではない。
ところが、これに反して「人間というものは、道理の是非にかかわらず、他人の意見に従って行動するべきであり、自分の考えを持ち出すのはよくない」と主張する者がいたとしよう。この議論は果たして理にかなっているだろうか。もし正しい理屈であるならば、人が住む世界のどこであっても通用するはずである。
それでは、この考えが成り立つかどうか、一つの例を挙げて考えてみよう。
禁裏(天皇)は公方(将軍)よりも高貴な存在である。そのため、もし禁裏の意志によって公方の行動を好き勝手に操り、公方が行こうとすれば「止まれ」と命じ、止まろうとすれば「行け」と命じ、寝ることも起きることも、飲むことも食べることも、すべて禁裏の思い通りにさせることができるのだろうか。
公方もまた、自らの意志で配下の大名を制し、大名の行動を自由自在に支配できるのだろうか。大名はさらに自らの意志で家老を制し、家老は用人を制し、用人は徒士を制し、徒士は足軽を制し、足軽は百姓を制するということになる。
さて、百姓に至ると、その下に支配すべき者がいないために少し困ることになる。しかし、もともとこの議論は人間社会に普遍的に通じる道理に基づいたものであり、何度も理屈を巡らせて考えれば、結局元に戻るしかない。そこで、「百姓も人間であり、禁裏も人間である。特別な遠慮は不要である」と許しを得たとする。もし百姓が自らの意志によって禁裏の行動を好き勝手に操り、天皇が行幸しようとすれば「止まれ」と命じ、滞在しようとすれば「還御せよ」と命じ、日々の生活においても百姓の思うままにし、豪華な衣服や美食をやめさせて麦飯を食べさせるようにすることになったらどうなるだろうか。
このような状態になれば、日本全国の人民が自分自身の行動を制する権利を持たず、かえって他人を支配する権利ばかりを持つという、矛盾した状況に陥ることになる。
人の身体と心は、それぞれまったく別の場所にあるものだ。身体はまるで他人の魂を一時的に宿す旅の宿のようなものにすぎない。もし、下戸(酒に弱い者)の身体に上戸(酒に強い者)の魂を宿らせ、子供の身体に老人の魂を止め、盗賊の魂が孔子の身体を借り、猟師の魂が釈迦の身体に宿ることがあるならば、下戸が酒を酌み交わして楽しむ一方で、上戸は砂糖湯を飲んで満足することになり、老人が木に登って遊ぶ一方で、子供は杖をついて人の世話を焼くことになる。
さらに、孔子が弟子を率いて盗賊行為を働き、釈迦如来が鉄砲を手にして狩猟に出かけるようなことが起これば、まことに奇妙であり、実に不可思議である。
これを天理人情と呼ぶべきなのか、これを文明開化と称するべきなのか。三歳の幼子でも、その答えは容易にわかるはずだ。古来数千年以上にわたり、日本や中国の学者や先生たちは、「上下貴賤の名分」として騒がしく説き続けてきた。しかし、結局のところ、彼らが目指していたのは「他人の魂を自分の身体に入れようとする試み」にすぎないのではないか。
それを教え、説き、涙を流してまで諭し続けた結果、現代に至るころにはその功徳がようやく現れ、「強者が弱者を押さえつけ、大きな力を持つ者が小さな者を制する」という社会の風潮が確立された。これにより、学者たちも得意げな表情を見せ、神代の神々や周の時代の聖賢たちも、あの世で満足していることだろう。
いま、その「功徳」の一端を具体的に示してみよう。
政府が強大な権力を持ち、小民(庶民)を抑圧することについては、前の章でも述べたのでここでは省略する。そこで、まず男女の関係について論じることにする。
そもそも、この世に生まれた者は、男も人間であり、女も人間である。社会を成り立たせるために不可欠な役割を担う点においては、男も女も同等であり、世界は一日たりとも男なしには成り立たず、また女なしにも成り立たない。その役割の重要性は等しいが、ただ異なるのは、男は力が強く、女は力が弱いという点だ。もし大の男がその力をもって女と戦えば、必ず勝つことになる。これが、男女の間における本質的な違いである。
さて、世間を見渡してみると、力づくで他人の物を奪ったり、他人を辱めたりする者は犯罪者とされ、刑罰が科される。しかし、家庭の中では、公然と人を辱める行為が行われても、それを咎める者がいないのはなぜだろうか。
『女大学』という書物には、次のような教えがある。「婦人には三従の道がある。幼い頃は父母に従い、嫁いだ後は夫に従い、老いては子に従うべきである」と。幼い頃に父母に従うのは道理にかなっている。しかし、嫁いだ後に夫に従うとは、いったいどのように従うことを意味するのか、その具体的なあり方を問わねばならない。
『女大学』の教えによれば、夫は酒に溺れ、遊郭に入り浸り、妻を罵り、子を叱り、放蕩と淫乱の限りを尽くしても、妻はこれに従い、このような淫らな夫を天のごとく敬い尊び、機嫌を取り、優しい言葉で忠告するべきであるとされている。しかし、その忠告の効果や結末については何も書かれていない。
つまり、この教えの趣旨は、夫が淫蕩であろうと姦夫であろうと、一度結婚してしまえば、どのような恥辱を受けようとも妻は夫に従わねばならず、ただ内心では不満を抱きながらも、表面上は従順な顔を作って、やんわりと諫めることしかできないということになる。そして、その諫めを聞き入れるかどうかは、淫夫の気分次第であり、妻には夫の心を天命と受け入れるほか、もはや手段はないということになる。
仏教の経典には「罪業深き女人」という言葉がある。まさにこの現状を見れば、女は生まれながらにして大罪を犯した罪人と変わらないかのように扱われている。また、一方で婦人に対する責めは非常に厳しく、『女大学』には「婦人の七去」という教えがあり、「淫乱であれば離縁せよ」と明確に裁きの基準が記されている。これは男子にとっては大いに都合の良い教えであるが、あまりにも一方的で不公平ではないだろうか。
結局のところ、この教えは「男子は強く、婦人は弱い」という力の優劣を根拠として、腕力によって男女の上下関係を定めたものにすぎない。
ここまで述べたのは姦夫と淫婦に関する話であるが、さらにここには「妾(めかけ)」の問題もある。そもそも、世に生まれる男女の数は原則として同じであるはずだ。
西洋の研究によれば、男子の出生数は女子よりも多く、その割合は男子二十二人に対して女子二十人であるという。したがって、一人の夫が二人、三人の妻を持つことは、天理に反していることが明白である。これを禽獣(けだもの)と呼んでも差し支えない。
父と母を共にする者を「兄弟」といい、父母兄弟がともに住む場所を「家」と呼ぶ。しかし、現在の世の中では、兄弟が父を共にしても母が異なるという状況が生じており、ひとりの父が複数の母を持ち、それらの母が群れをなしている。これを「人の家」と呼ぶことができるだろうか。家という言葉の意味をなしていない。
たとえその住居が立派な楼閣であったとしても、その宮殿がどれほど美麗であったとしても、私の目にはそれは人間の家ではなく、まるで家畜の小屋のように映る。
妻と妾が同じ家に暮らして、家庭内が円満に調和している例は、古今を通じていまだかつて聞いたことがない。妾といえども人間の子である。それを、一時の欲望のために禽獣のように扱い、一家の風紀を乱し、子孫の教育を損ない、その悪影響を世の中に広めて後世にまで毒を残すような者を、罪人と呼ばずにいられるだろうか。
ある人はこう言う。「多くの妾を養うことも、その処遇を適切にすれば人情を害することはない」と。これはまさに、自ら妾を抱える者が口にする言葉である。もし本当にそれが正しいのであれば、一人の妻が複数の夫を養い、それを「男妾」と名付け、家族の第二等親の身分に置くことを認めてはどうか。それでもなお家庭が円満に治まり、人間関係の大義に何の支障も生じないのであれば、私もこれ以上何も言わず、議論をやめて沈黙しようではないか。
天下の男子は、自らを省みるべきである。
また、ある人はこう言う。「妾を養うのは後継を残すためである。孟子の教えにも、『不孝には三つの種類があるが、子を残さないことが最大の不孝である』とある」と。
これに対して私は答える。「天理に反することを唱える者は、たとえ孟子であろうと孔子であろうと、遠慮する必要はない。それを罪人と呼んで何が悪いのか」。
そもそも、妻を娶りながら子を生まなかったからといって、それがどうして「大不孝」なのか。これこそ、詭弁というにもあまりにひどい。
人としての心を持つ者ならば、誰が孟子のこのような妄言を信じるだろうか。本来、不孝とは、子が道理に反する行いをし、親の心身を不快にさせることを指すものである。もちろん、老人の心情として孫が生まれることを喜ぶのは当然である。しかし、孫の誕生が遅れたからといって、それを子の不幸とすることはできない。
試しに天下の父母たる者に問おう。もし息子が良縁を得て立派な嫁を迎えたが、すぐに孫が生まれなかったとする。その時、親は怒り、嫁を叱り、息子を鞭打ち、あるいは勘当しようとするだろうか。
世界は広いが、これほど奇妙なことを本気で考える人間がいるとは聞いたことがない。これらの議論は、もともと空論にすぎず、これ以上弁解を重ねる必要もない。人々はそれぞれ、自らの心に問い、自ら答えを見出すべきである。
親に孝行することは、人として当然の義務である。老人に対しては、たとえ血のつながりがなくとも、誰しも丁寧に接するものだ。ましてや、自分の父母に対して情を尽くさないということがあってよいはずがない。孝行は、利益のためでもなく、名誉のためでもなく、ただ自分の親であるという理由から、自然な誠意をもって尽くすべきものである。
古来より、日本や中国では孝行を勧める話が数多く伝えられてきた。『二十四孝』をはじめとして、それに類する書物は数えきれないほどある。しかし、それらの書物を読んでみると、そのうちの八、九割は、人間には到底実践できないことを勧めるか、あるいは愚かしく笑うべき行為を説くか、さらには道理に反することを称賛して孝行とするものまである。
真冬に裸で氷の上に寝そべり、その氷が解けるのを待つような行為は、人間にできることではない。夏の夜に、自らの身体に酒をかけて蚊に刺され、親の近くに寄る蚊を防ぐよりも、その酒を買う金で蚊帳を買うほうが、はるかに賢明ではないか。
また、父母を養うだけの働きもなく途方に暮れ、罪のない我が子を生きたまま穴に埋めようとする心は、人間ではなく鬼とでも言うべきか、あるいは蛇とでも言うべきか。それはまさに天理人情を害する極致である。
先ほどは「不孝には三つあり、子を残さないことが最大の不孝である」と言っていたにもかかわらず、ここではすでに生まれた子を穴に埋めて、子孫を絶やそうとする。いったいどちらを孝行とするのか。前後で矛盾する、まったくもって馬鹿げた説ではないか。
結局、この孝行の教えも、単に「親子の関係をはっきりさせ、上下関係を明確にする」という目的のもとに、無理やり子に責任を押し付けるものにすぎない。その責めの理由として、「母親は妊娠中に苦しみ、子が生まれた後も三年間抱いて育てる。その恩は計り知れない」と説いている。
しかし、子を産み、育てるのは人間だけの話ではなく、すべての禽獣も同じである。ただ、人間の親が禽獣と異なるのは、衣食を与えるだけでなく、子を教育し、社会の中で生きる道を教えるという一点にある。
ところが、世の中の親たちは、子を産むことはできても、子を正しく教育することを知らない。自ら放蕩無頼の生活にふけり、子どもに悪い手本を示し、家庭を乱し、財産を食いつぶして貧困に陥る。そして、ついには気力が衰え、家産も尽きたころになると、今度は放蕩が頑固さへと変わり、子に向かって孝行を求め始める。
これがいったい、どういう心情によるものなのか。どれほど厚かましい鉄面皮があれば、こんなにも破廉恥な行いができるのか。
父は子の財産を貪ろうとし、姑は嫁の心を苦しめる。父母の意志によって子供夫婦の身の振る舞いを勝手に制し、父母の理不尽な言い分はすべて正しいとされ、子供の訴えはまったく認められない。
嫁はまるで餓鬼道の地獄に落ちたかのように、起居・眠食すべてにおいて自由がない。一つでも舅や姑の意にそぐわなければ、すぐに「不孝者」との烙印を押される。そして、世間の人々もその様子を見ながら、内心では理不尽だと感じつつも、自分に直接関係のないことだからと、まず親の側に味方し、無理やり子を責める。あるいは、世間の通人の説に従って、「親の言い分が理不尽なら、親を欺いてでもうまくやり過ごせ」と偽計を教える者もいる。これが人間社会の家庭の道と言えるだろうか。
私はかつてこう言ったことがある。「姑の鑑(かがみ)は遠くにあるのではなく、自分がかつて嫁だったときの姿にある」と。もし姑が嫁を厳しく扱おうとするならば、自分自身が嫁であった頃のことを思い出すべきである。
以上のことは、すべて「上下貴賤の名分」から生じた悪弊であり、ここではその例として夫婦と親子の関係を挙げたにすぎない。しかし、世の中にこの悪弊が広まっている範囲は非常に広く、あらゆる場面で人間関係に浸透し、影響を及ぼしている。
この問題のさらなる例については、次の章で詳しく述べることにする。

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九編

学問の旨を二様に記して
中津の旧友に贈る文

人の心身の働きを細かく観察すれば、それを二つに区別することができる。
第一は、一個人としての身の働きである。
第二は、人間社会の中で交際しながら行う働きである。
まず、第一の働きについて述べると、これは人が自らの衣食住を確保し、安楽に暮らすためのものである。しかし、天地間に存在する万物のうち、一つとして人間の利益にならないものはない。
たとえば、一粒の種を蒔けば、それは二百倍、三百倍もの実をつける。深い山の樹木は、誰かが手をかけて育てなくても自然に成長する。風の力を利用すれば車を動かすことができ、海は運送の手段となる。山から石炭を掘り出し、川や海の水を汲み上げ、火を起こして蒸気を発生させれば、巨大な船や車を自由に動かすことができる。
これらの造化の妙技を数え上げれば、きりがない。人間は、ただこの天地の自然の力を借りて、わずかにその形を変え、自分の利益へと転用しているにすぎない。したがって、人間が衣食住を得るということは、すでに天地の働きによって九十九分まで整えられたものに対し、わずかに人力で一分を加えているにすぎないのだから、「人が衣食住を作り出している」とは言えない。実際には、道端に落ちているものを拾い上げるのと同じことである。
ゆえに、人が自らの衣食住を得ることは、それほど難しいことではない。そして、もしそれを成し遂げたとしても、それは決して誇るべきことではない。
もとより、自立して生計を立てることは人間にとって最も重要な課題の一つである。「汝の額の汗をもって汝の食を食らえ」とは、古人の教えである。しかし、私の考えでは、この教えを実践したからといって、人間としての務めをすべて果たしたとは到底言えない。この教えは、せいぜい人間が禽獣より劣らないようにするためのものにすぎない。
試しに観察してみるとよい。動物も魚も昆虫も、みな自ら食物を得て生きている。しかも、ただその日その時を満たすだけではなく、蟻のように未来を見据えて備えをするものもいる。蟻は穴を掘って住処を作り、冬に備えて食料を蓄えるではないか。
ところが、世の中には、この蟻の行動を真似て満足する人がいる。今、その一例を挙げよう。
ある男子が成長し、ある者は職人となり、ある者は商売を始め、ある者は官吏となる。そしてようやく親族や友人の世話にならずに済むようになり、身なりも整い、他人に借金を踏み倒すような不義理を働くこともない。借家住まいでない者は、簡素ながら自分の家を建てる。家具はまだ揃わないが、とりあえず妻だけは先に迎え、若い女性と結婚する。
その後、生活は安定し、倹約に努めながら暮らす。子供も何人か生まれるが、教育にはさほど金をかけることなく、突然の病気などで三十円や五十円ほどの出費が必要になっても困らない程度の貯えはある。そして、どうにかこうにか一軒の家を守ることを第一に考え、細く長く続く生活の計画を立てる。
こうした者は、「自立した生活を得た」として誇らしげに振る舞い、世間の人々もこれを「束縛されることのない独立した人物」と見なし、まるで偉大な業績を成し遂げたかのように称賛する。しかし、これはまったくの誤りではないか。
このような人間は、単に「蟻の弟子」と呼ぶべきにすぎない。
このような生き方では、生涯の事業が蟻のそれを超えることは決してない。確かに、衣食を求め、家を建てる際には、額に汗を流し、胸を痛め、古人の教えに恥じない努力をしたこともあろう。しかし、その成果を見れば、それが「万物の霊長たる人間が目指すべき目的を達成したもの」とは到底言えない。
もし、このように「ただ一人の衣食住を得ること」に満足するのであれば、人間の一生とは単に「生まれて死ぬ」だけのことであり、死ぬときの有様は生まれたときと何ら変わることがない。
こうして代々同じことを繰り返していけば、何百代を経ようとも、村の様子は昔と変わらず、一つの村は永遠に旧態依然のままとなる。そして、社会のために大きな事業を興す者もなく、船を造る者もなく、橋を架ける者もなく、すべてを自然の成り行きに任せてしまう。
その結果、個人や家族の生活の枠を超えた営みは一切なくなり、人間が生きた証をその土地に何一つ残すことがなくなってしまうだろう。
西洋人がこう言ったことがある。「もし世の人すべてが、自分の現状に満足し、小さな安楽に安住するならば、今日の世界は天地開闢の時代と何ら変わることがないだろう」と。この言葉はまさにその通りである。
もともと、「満足」には二つの異なる種類があり、その違いを誤ってはならない。一つは、一を得ればさらに二を求め、満たされれば満たされるほど、かえって不足を感じ、ついには限りなく欲望を追い求めるものである。これは「欲」と呼ばれ、または「野心」とも称される。
しかし、もう一つの満足は、自らの心身の働きを広げ、達すべき目的に到達しないまま停滞してしまうことである。これは「蠢愚」(無知で愚かなこと)と呼ぶべきものである。
第二に、人間の本性は群居を好み、決して孤立して生きることはできない。夫婦や親子の関係だけでは、この本性を十分に満足させることはできず、さらに広く他人と交わる必要がある。そして、その交際が広がれば広がるほど、一個人の幸福はより大きくなる。このことこそが、人間社会における交際が生まれる理由である。
すでに社会の中に身を置き、その交際の一員となる以上、当然ながらその関係における義務が生じる。世の中に「学問」「工業」「政治」「法律」といったものが存在するのも、すべて人間の交際のためであり、人間社会のつながりがなければ、これらは一切必要のないものとなってしまうだろう。
政府は何のために法律を制定するのか。それは、悪人を抑え、善人を保護し、もって人間社会の秩序を完全なものにするためである。
学者は何のために書を著し、人を教育するのか。それは、後進の知識や見識を導き、人間社会の交際を円滑に維持するためである。
昔、ある中国人が「天下を治めることは、肉を分けるように公平であるべきだ」と言い、また「庭の雑草を取り除くように天下を掃除しよう」と言った。これらの言葉もすべて、人間社会に利益をもたらそうとする志を表したものである。
そもそも、どんな人間であれ、少しでも能力や知識を得たならば、それを世の中の役に立てたいと考えるのは、人情の常である。たとえ自分自身に世のため人のためという意識がなくとも、無意識のうちに後世の人々や子孫がその恩恵を受けることもある。人間にこのような性質があるからこそ、社会における義務を果たすことができるのである。
もし、昔からこのような志を持つ人物がいなかったとしたら、私たちが今日この時代に生まれて、現在の文明の恩恵を受けることもできなかったであろう。
親から財産を譲り受けたとすれば、それは「遺物」と呼ばれる。しかし、この遺物とはせいぜい土地や家財といったものであり、一度失えば跡形もなく消えてしまう。しかし、世の中の文明というものは、そのようなものではない。
世界中の古人を一つの存在と見なし、その古人たちが、今の世界に生きる私たちに譲り渡したものが文明という「遺物」である。その偉大さは、土地や家財といった物質的な遺産とは比較にならないほど広大である。
しかしながら、私たちはこの恩恵を誰に向かって感謝すべきか、具体的な相手を見出すことができない。これは、人生に必要な日光や空気を手に入れるのに金銭を必要としないのと同じようなものである。それらは非常に貴重なものではあるが、特定の所有者が存在するわけではない。ただこれを「古人の陰徳による恩恵」と呼ぶほかない。
天地開闢の時代、人間の知恵はまだ発達していなかった。その様子を例えるならば、まるで生まれたばかりの幼児が、まだ知識を持たない状態のようなものである。たとえば、麦を栽培し、それを粉にするために、最初は天然の石を使って麦を搗き砕いたことであろう。
しかし、その後、ある人物の工夫によって、二つの石を円く平らに削り、その中央に小さな穴を開けることを考えついた。そして、一方の石の穴に木や金属の軸を通し、下の石を固定し、その上にもう一つの石を重ねる。下の石の軸を上の石の穴にはめ込み、その間に麦を入れて上の石を回すことで、石の重みを利用して麦を粉にする方法が生み出された。これが「挽碓(ひきうす)」の発明である。
古代では、この挽碓を人力で回していたが、時代が進むにつれて改良が重ねられた。次第にその構造が変化し、水車や風車の力を利用するようになり、さらには蒸気の力を使うようになり、次第に生活の利便性が増していったのである。
何事も同様であり、世の中の様相は次第に進歩していく。昨日まで便利とされていたものも、今日はすでに時代遅れとなり、昨年の新しい工夫も、今年にはすでに陳腐なものとなる。
西洋諸国の発展の勢いを見ると、その進歩は日進月歩である。電信や蒸気機関、あらゆる機械が次々に発明され、それらが普及するたびに社会の様相は一変し、日ごと月ごとに新しい技術が生み出される。
しかし、新しくなるのは有形の機械だけではない。人間の知恵がますます開かれれば、人々の交際範囲も広がり、交際が広がることで人情はますます和らいでいく。その結果、万国公法の考えが発展し、戦争を軽々しく起こすことはなくなる。また、経済の議論が活発になり、政治や商業のあり方が一変する。
学校制度の改革、書籍の形式の変化、政府の商業政策、議会での政治討論なども、改められるたびにより洗練され、より高度なものへと進化していく。その進歩の最終的な到達点を予測することは不可能である。
試しに、西洋文明の歴史を読んでみよう。天地開闢の時代から紀元一六〇〇年代までの記録を読み、そこで一旦巻を閉じた後、一気に二百年後の一八〇〇年代の記録を開いてみれば、その長足の進歩に驚かない者はいないだろう。まるで同じ国の歴史とは思えないほど、信じがたい変化が生じているのである。
まさにその通りであり、こうして文明の進歩を遂げてきた根本を探れば、それはすべて「古人の遺物」、すなわち先人の功績によるものである。
日本の文明も、その最初の発端は朝鮮・中国からもたらされたものであり、それ以来、日本人自身の努力によって研鑽を重ね、今日の状態に至っている。洋学に関しても、その源は遠く宝暦年間にさかのぼる〔『蘭学事始』という書物を見れば、その歴史が分かる〕。
近年、外国との交流が始まると、西洋の学説が次第に広まり、洋学を教える者が現れ、洋書を翻訳する者も出てきた。その結果、日本人の意識も一変し、これによって政府の体制まで改められ、藩制度も廃止され、今日の新たな体制が生まれた。そして、ここに再び文明の扉が開かれたのである。しかし、これもまた「古人の遺物」、すなわち先人たちが築き上げた恩恵によるものだと言える。
このように、古代から多くの優れた人物が、心身を尽くして世のために尽力してきた。彼らの志を想像するに、決して単なる衣食住の充足をもって満足した者ではない。彼らは、人間社会における義務を重んじ、その志は極めて高遠なものであった。
今の学者たちは、こうした先人たちから文明の遺産を受け継ぎ、まさしく進歩の最前線に立っている以上、その進むべき道に限界があってはならない。
今から数十年が経ち、さらに文明が発展した未来において、後の世の人々が、私たちの功績を称え、私たちの遺したものの恩恵を受けるようにならなければならない。まさに、私たちが今、古人の功績を崇めるように、未来の人々もまた私たちを仰ぎ見るようにすべきである。
要するに、私たちの使命は、今日この世界に生き、私たちの生きた証を後世に残し、それを子孫へと伝えていくことにある。その責任は極めて重大であると言わねばならない。
まさか、ただ数冊の教科書を読み、商人となり、職人となり、小役人となり、年に数百円の収入を得て、わずかに妻子を養うことをもって満足とすべきであろうか。それでは、ただ「他人に害を与えない」というだけであり、「他人に利益をもたらす者」とは言えない。
さらに、何か大きな事業を成し遂げるには、時勢の好機が必要である。どれほど有能な人物であっても、時に恵まれなければ、その能力を存分に発揮することはできない。これは古今を通じて少なからぬ例がある。
近い例を挙げれば、私の故郷にもかつて優れた才能を持つ士君子がいたことは、明らかに私たちの知るところである。
もちろん、今の文明的な視点から彼らの言動を評価すれば、あるいは進む方向を誤ったものも多かったかもしれない。しかし、それは時代の風潮によるものであり、その人物自身の罪ではない。実際には、彼らには物事を成し遂げるだけの気力が十分にあった。ただ、運悪く時流に恵まれなかったために、その才能を生涯埋もれさせることとなり、ある者は世を儚んで死に、ある者は年老い、ついには社会に大いなる恩恵をもたらすことができなかったのは、まことに残念なことである。
しかし、今の時代はもはやそのようではない。
前にも述べたように、西洋の学説が次第に広まり、ついには旧政府を倒し、諸藩を廃止するに至った。この変革を単なる戦争による政変と見なしてはならない。
文明の力というものは、決して一度の戦争によって終わるものではない。したがって、この変革は戦争によるものではなく、文明の発展によって促された人心の変革である。
あの戦争による変動はすでに七年前に終わり、その痕跡はなくなったが、人心の変化はいまだに続いている。
そもそも、何かが動かなければ、それを導くことはできない。したがって、学問の道を唱え、天下の人々の意識を導き、それをより高尚な境地へと押し上げるには、まさに今この時こそが好機である。そして、この機会を得ているのが、まさに今の学者たちである。
ゆえに、学者は世のために努力しなければならない。
以下、次の十編へと続く。

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十編

前編のつづき、中津の旧友に贈る
前編では、学問の意義を二つに分けて論じ、その要旨をまとめると、「人は単に自分自身や家族の衣食を満たして満足するべきではない。人間の本性には、それ以上に高尚な使命があり、社会の一員として世のために尽くさなければならない」という趣旨を述べたものである。
したがって、学問をするには、その志を高く広く持たなければならない。飯を炊くことや風呂を沸かすことも学問であり、天下の政治を論じることもまた学問である。しかし、一家の生計を立てることは容易であり、天下の経済を運営することははるかに難しい。
世の中の事物において、「得ることが容易なもの」は価値が低く、「価値のあるもの」はそれを得る手段が困難であるからこそ貴重なのだ。
私の考えでは、今の学者たちは、この困難な道を避け、容易な道を選ぶという弊害があるように思われる。
かつて封建時代には、学者がいくら学問を修めても、それを社会で発揮する場がほとんどなく、結局のところ、さらに学び続けるほかないという状況であった。そのため、学問のあり方としては決して理想的とは言えなかったが、それでも読書に励み、膨大な知識を蓄えることができた。その博識ぶりは、今の学者には到底及ばないものである。
しかし、今の学者は事情がまったく異なる。学ぶにつれて、すぐにその知識を実践する機会がある。
例えば、洋学を学ぶ者が三年ほど修業すれば、ひととおり歴史や物理学の書を理解することができる。そして、すぐに「洋学教師」と名乗り、学校を開くことができる。また、誰かに雇われて教授を務めることもできるし、政府に仕えて大いに活躍することもできる。
さらに、それよりも容易な道もある。時流に乗った翻訳書を読み、世間を駆け回って国内外の新聞に目を通し、好機を見計らって官職に就けば、立派な官吏としての地位を得ることができる。
このような風潮が世の中に定着すれば、学問は決して高尚な境地へと進歩することはできない。私の筆が少し辛辣になり、学者に向かって言うべきことではないかもしれないが、ここでは金銭の勘定をもって説明しよう。
学塾に入り、学問を修めるには、一年の費用は百円ほどである。三年間で三百円を投じた後、月に五十円から七十円の収入を得ることができるのが、現在の洋学者の実情である。
一方で、世間には「耳学問」で官吏になる者もいる。この者たちは、学問のために三百円の元手すら費やしていないのに、そのまま官職につき、得た月給はまるごと利益となる。
果たして、世の中のあらゆる商売の中で、これほどの高利益を生むものがあるだろうか。 高利貸しですら、この利益率には到底及ばないだろう。
もちろん、物価というものは社会の需要と供給の関係によって変動する。現在、政府をはじめとして各方面で洋学者の需要が急激に高まっているために、このような市場価値が生じているのは理解できる。したがって、こうした者たちを「奸物(ずる賢い者)」と非難するつもりはないし、それを採用する側を「愚か」と罵るつもりもない。
ただ、私の考えとしては、こうした者たちがさらに三年から五年の苦労を耐え忍び、真に実学を修めた後に職務につけば、大いに偉業を成し遂げることができるのではないかと思うだけである。
このようにして、日本全国に学問と道徳の力を広く浸透させ、初めて西洋諸国の文明と対等に競い合うことができるようになるのだ。
今の学者は何を目的として学問に従事しているのか。それは、不覊独立(他に縛られず自由であること)の大義を求めるためであり、自主自由の権利を回復するためではないのか。
すでに「自由独立」という言葉を掲げるのであれば、その言葉の意味の中に、必然的に「義務」の概念も含まれていなければならない。
独立とは、単に一軒の家に住み、他人に衣食を頼らずに生活することだけを指すのではない。それは、あくまで「内の義務」にすぎない。そこからさらに一歩進んで「外の義務」を考えるならば、日本という国に生きる以上、日本人としての名誉を汚さず、国中の人々とともに力を尽くし、この日本という国を自由独立の地位にまで高めることこそが、本当の独立の完成である。そうなって初めて「内外の義務を果たした」と言えるのだ。
したがって、単に一家の主として家に住み、わずかに衣食を得る者は、せいぜい「一家独立の主人」とは呼べるが、「独立した日本人」とは言えない。
試しに、今の世界の情勢を見てみよう。文明という名目こそ存在しているが、その実質はまだ確立されていない。外見の形こそ整っているが、その内なる精神は衰えている。
今の日本の陸軍や海軍をもって、西洋諸国の軍隊と戦うことができるだろうか。決して戦えるものではない。
今の日本の学術をもって、西洋人に教えを施すことができるだろうか。決して教えられるものではない。
むしろ、こちらが彼らから学ぶべきことはまだ多く、学び尽くしてもなお、彼らに及ばないことを恐れねばならないのが現状なのだ。
現在、日本には外国へ留学する者が多く、国内には外国人教師を雇っているところが数多くある。政府の各省庁や学校、さらには全国の府や港に至るまで、ほとんど例外なく外国人を雇っているのが実情である。さらに、私立の会社や学校であっても、新たに事業を興す者は、まず外国人を雇い、非常に高い給料を支払って、その知識や技術に頼ることが多い。
「彼らの長所を取り入れ、我々の短所を補う」というのが世間一般の考えであるが、今の状況を見る限りでは、まるで「日本にはすべて短所しかなく、外国人にはすべて長所しかない」かのように思えてしまう。
もちろん、数百年にわたる鎖国を解き、突然文明国と接することになったのだから、その影響はまるで「火と水がぶつかる」ようなものである。この急激な交流の衝撃を和らげるためには、外国人を雇ってその力を借り、また彼らの器具や機械を買って不足を補い、文明の衝突による混乱を鎮めることがどうしても必要であった。したがって、現在のように一時的に外国の助けを求めることは、決して国としての失策とは言えない。
しかしながら、外国の力を借り続けることは、決して恒久的な方策ではない。 ただの一時的な処置であり、「これは一時的なものだ」と自らに言い聞かせ、納得しているにすぎない。
だが、「一時的」とは、いったいいつまでのことなのか。 いつになれば、外国の供給に頼らず、自国の力でまかなうことができるのか。それを実現する方法を見出すことは、非常に難しい問題である。
ただ、今の状況を打開するためには、現在の学者が成熟し、学問を成し遂げ、国内で必要なことを自ら賄うようになるほか、手段はない。 これこそ、学者が自ら背負った職責であり、その責任は極めて重大であると言える。
現在、日本国内で外国人を雇っているのは、日本の学者がまだ未熟であり、一時的にその代役を務めさせているにすぎない。 また、国内で外国の器具や機械を購入しているのも、日本の工業技術がまだ未発達であり、一時的に金銭と引き換えに利便性を得ているだけのことである。
つまり、外国人を雇い、外国製品を購入するために日本の財貨を費やすということは、要するに、日本の学術がまだ外国に及ばないがゆえに、自国の富を海外へ投げ捨てているのと同じことである。
これは国のためには惜しむべきことであり、学者にとっては恥ずべきことである。
さらに、人間として生きる以上、将来への希望を持たなければならない。希望がなければ、何かを成し遂げようと努力する者はいなくなってしまう。「明日の幸福を信じることで、今日の不幸にも耐えることができる。」 また、「来年の安楽を期待することで、今年の苦しみを忍ぶことができる。」
過去の日本では、すべての事物が古い体制に縛られており、たとえ志のある士であっても、将来に希望を持てるような環境がなかった。しかし、今の時代は違う。
かつての制約がすべて取り払われた今は、まるで学者のために新たな世界が開かれたようなものである。
今の日本において、学者が活躍できる場がない場所など、どこにもない。
農業に従事し、商業を営み、学問を修め、官吏となり、書を著し、新聞を執筆し、法律を講じ、芸術を学び、工業を興し、議会を開くこと――これらあらゆる事業を行わなければならない。そして、これらの事業を成し遂げることによって、国内で兄弟が争うのではなく、知恵の戦いの相手は外国人となる。この知的戦いに勝てば、日本の地位は向上し、敗れれば日本の地位は低下する。その目標は壮大であり、目指すべき方向は明確であると言える。
もちろん、国の事業を実際に施行するには、前後の順序や緩急の調整が必要である。しかし、この国にとって不可欠な事業は、人々がそれぞれの得意分野に応じて、今から研究を始めなければならない。 まともに社会の義務を理解する者であれば、この時代の変化をただ傍観することは許されない。学者はひたすら研鑽を積まねばならない。
このことを考えれば、今の学者は決して尋常学校の教育を受けるだけで満足してはならない。その志を高く持ち、学問の本質を極め、不覊独立の精神をもって他人に頼ることなく、たとえ同志がいなくとも、一人でこの日本を支えるだけの気概を養い、世のために尽くさなければならない。
私は、もとより和漢の古学者たちが、人を統治することばかりを説きながら、自らを修めることを知らない姿勢を好まない。だからこそ、この書の冒頭から「人民同権」の考えを主張し、人々が自ら責任を負い、自らの力で生きることの重要性を論じてきた。しかし、「自らの力で生きる」という一点だけで、学問の意義がすべて尽きるわけではない。
これを例えるならば、ここに酒色に溺れ、放蕩無頼に生きる若者がいるとする。この者を正しい道へ導くには、どのようにすべきだろうか。まず、その飲酒を禁じ、遊興を制限し、その後に適切な職業につかせることが必要である。
もし飲酒や遊興を禁じなければ、まだ家業について語る段階には至らない。しかし、人が酒や色事に溺れなかったからといって、それをもってその人の徳義とすることはできない。ただ「社会に害をなさない」だけであり、それだけでは無用の長物であることに変わりはない。
飲酒や遊興を控えた上で、さらに職業に就き、自らの身を養い、家のために利益をもたらしてこそ、初めて「十人並みの若者」と言えるのである。
自らの力で生計を立てることの重要性を説くことも、これと同じである。
わが国の士族以上の身分の者たちは、数百年にわたる旧習に慣れ、そもそも衣食とは何かを考えたこともなく、富の本質を理解しようともしなかった。彼らは傲然と何もせずに食べることを「天から与えられた権利」であると思い込んでいる。その様子は、まるで酒に溺れ、色事にふけり、現実を忘れ去っている者のようである。
では、このような人々に対して、今どのように説得すべきだろうか。ただ「自らの力で生計を立てよ」という主張を唱え、彼らの夢を覚まさせるほかに手段はない。
このような人々に対して、いきなり高度な学問を勧めることができるだろうか。社会に貢献することの大義を説くことができるだろうか。たとえそれを説いても、彼らは夢の中で学ぶようなものであり、その学問自体が単なる夢のまた夢になってしまうだけである。
これこそ、私がまず「自らの力で生計を立てる」ことを主張し、まだ本格的な学問を勧めなかった理由である。したがって、この考えは、世の中で徒食する者たち全般に向けたものであり、本来学者に向けて語るべきものではない。
ところが最近の話を聞くと、かつての同志であり、学問に励んでいた者の中には、まだ学業が半ばにも達していないうちから、すでに生計を立てる道を求め始める者がいるという。
生計を立てることは決して軽視すべきではない。人にはそれぞれ才能の長短があり、将来の進むべき道を早めに定めるのも理解できる。しかし、もしこの風潮が広まり、お互いに倣って、ただ目先の生計を争うような流れになってしまえば、才能ある若者たちが未熟なままで終わる危険がある。
これは本人にとっても悲しむべきことであり、天下にとっても惜しむべきことである。
また、生計を立てることが難しいとはいえ、家庭の生活をよく考えれば、今すぐに金を手にして、それを費やし、目先の安楽を得ようとするよりも、苦労を惜しまず、倹約を守りながら、大成の時を待つほうがはるかに良い。
学問を志すのであれば、徹底的に学問に励むべきである。農業に従事するならば、大農となるべきであり、商業を営むならば、大商を目指すべきである。学者は小さな安楽に満足してはならない。
粗衣粗食を受け入れ、寒さや暑さをものともせず、米を搗き、薪を割ることを厭わずに学問を続けるべきである。学問とは、米を搗きながらでも十分にできるものなのだ。
人間の食事は、西洋料理に限られるものではない。麦飯を食べ、味噌汁を啜りながらでも、文明を学ぶことはできる。

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十一編

名分をもって偽君子を生ずるの論
第八編では、身分の上下や貴賤の違いによって、夫婦や親子の関係に生じる弊害の例を示し、「このような害は他にも多く存在する」と述べている。そもそも、この名分によって生じる問題を考えると、その形は強者が弱者を支配するという点で異なるものではないが、その本来の目的は必ずしも悪意から生じたものではない。
結局のところ、世の中の人々をすべて愚かでありながらも善良なものと考え、彼らを救い、導き、教え、助けようとする意図が根底にある。そして、人々はひたすら目上の者の命令に従い、決して自分の考えを持たせないようにする。目上の者は、たいてい自らの判断で最善と思われる方法を取り、国家の政治も、村の統治も、商売の経営も、家庭の運営も、すべて上下が心を一つにして、あたかも人間関係全体を親子関係のようにしようとする趣旨なのである。
例えば、十歳前後の子供を扱う際には、もともと自分の意見を持たせるべきではなく、たいてい親の判断で衣食を与える。子供はただ親の言うことを聞き、その指示に従っていれば、寒い時にはちょうど綿入れが用意され、空腹の時にはすでに食事の支度が整っている。衣服や食事は、まるで天から降ってくるように、自分の望む時に手に入り、何一つ不自由することなく安心して家にいることができる。
親は自分の身を削ってでも愛する子を大切にし、これを教え、諭し、褒めることも叱ることも、すべて真の愛情から出たものである。親子の間は一体となり、その幸福感は比べようもないほど大きい。つまり、これは親子の関係であり、この場合には上下の身分の区別が成り立ち、何の問題も生じることはない。世の中で名分を重んじる者は、この親子の関係をそのまま人間社会の関係に当てはめようと考える。それは一見すると面白い工夫のように思えるが、そこには大きな問題がある。
親子の関係は、知力が成熟した実の父母と、十歳ほどの実の子供との間でのみ成り立つものだ。他人の子供に対しては当然ながら実現が難しい。たとえ実の子供であっても、二十歳を過ぎるころには次第にその関係を改めざるを得なくなる。ましてや、すでに成長し、大人となった他人同士の間では、なおさらこの親子のやり方を適用することはできない。そもそも、これを実現しようとしても不可能なのだ。つまり、「望ましいとはいえども、実行することが難しいもの」とはこのことを指すのである。
さて、今考えるに、一国であれ、一村であれ、政府であれ、会社であれ、人間の交際と呼ばれるものはすべて大人同士の関係である。他人同士の付き合いである。このような関係に、実の親子のやり方を持ち込もうとすることは、極めて困難である。しかし、たとえ実際には実行が難しいことであっても、それを行えば非常に都合がよいと想像する者がいる。その者が、その想像を現実のものにしようとするのもまた、人間の性である。こうして、世の中に「名分」という概念が生まれ、専制が行われるようになるのである。
だからこそ、「名分」というものの本質は、悪意から生じたのではなく、想像によって無理に作り出されたものだと言える。アジア諸国では、国君のことを人民の父母と呼び、人民のことを臣子や赤子と呼び、政府の仕事を「牧民の職」と称してきた。また、中国では、地方官を「〇〇州の牧」と呼んだこともある。この「牧」という字は、もともと家畜を養うという意味を持つ。つまり、一州の人民を牛や羊のように扱うという考えのもとで、その名称を堂々と掲げたものだ。これはあまりにも失礼なやり方ではないか。
このように人民を子供のように、あるいは家畜のように扱うといっても、前にも述べたとおり、その初めの本意は必ずしも悪意から出たものではない。それは、まるで実の父母が実の子を育てるかのような発想から始まっている。まず、国君を聖明なる存在として定め、賢明で正直な士を選び、その補佐をさせる。そして、一片の私心もなく、わずかな我欲も持たず、清廉で水のように澄み、まっすぐに矢のような心を持って、己の誠意を民に及ぼそうとする。
民を慈しみ、愛情をもって治め、飢饉のときには米を支給し、火事のときには金を与え、扶助し、保護し、衣食住の安定を図る。そうすれば、上の徳が下に及ぶのは、ちょうど南風がそよぎ、草が自然とそれに靡くようなものだ。民は柔らかく綿のように従順になり、心を持たぬ木や石のように無心である。こうして上下が一体となり、共に太平の世を謳歌するという理想を描いたのだ。まさに極楽の光景を模倣したようなものである。
しかし、よく事実を考えてみると、政府と人民とはもともと血縁関係にあるわけではなく、単なる他人同士の関係に過ぎない。他人と他人との付き合いにおいては、感情に流されるべきではない。必ず規則や約束を設け、それを互いに守り、細かい差異までもきちんと争い、双方が納得する形で物事を収めるのが本来の姿である。これこそが、国法が生まれた理由なのだ。
また、先に述べたように、聖明なる君主と賢良な臣下、そして従順な民という理想の形があるとしても、一体どのような学校に入れば、このような非の打ちどころのない聖賢を育てることができるのか。また、どのような教育を施せば、このように完璧な民を生み出せるのか。
中国でも、周の時代以来、この問題にひたすら悩んできた。しかし、今日に至るまで、一度たりとも理想通りに治まったことはなく、結局は現在のように外国勢力に押し付けられる始末となってしまったのではないか。それにもかかわらず、この道理を理解せず、効かない薬を何度も服用するかのように、小手先の仁政を繰り返し施し、神でもない身で聖賢のふりをしながら、その仁政に無理を重ね、無理やりに恩恵を施そうとする。
しかし、その「恩」は変じて「迷惑」となり、仁政は苛酷な法へと転じてしまう。それでもなお、太平の世を謳歌しようというのか。謳おうというのならば、一人で謳っていればよい。これに和する者などいるはずがない。その考えはあまりにも現実離れしており、隣で見ていても、笑いを堪えきれないほど滑稽なものである。
この風潮は政府だけに限らず、商家にも、学塾にも、神社にも、寺にも、至るところで見られる。今、その一例を挙げよう。
商家では、店の主が最も物知りとされ、帳簿を扱うのは主だけである。番頭や手代がいて、それぞれの職務を果たしてはいるが、彼らは商売全体の仕組みを知ることはない。ただ、口うるさい店主の指示に従うだけであり、給金も指示次第、仕事も指示次第である。商売の損得は元帳を見ても分からず、朝夕店主の顔色を窺い、その顔に笑みがあれば商売がうまくいったと判断し、眉間に皺が寄っていれば損をしたのだろうと推し量る程度のことである。
彼らには何の心配もない。ただ一つの心配は、自分が担当する帳簿を間違いなく記入し、与えられた範囲内の仕事を忠実にこなすこと、それだけなのだ。
鷲のように鋭いとされる店主の眼力も、実際にはそこまで及ぶことはなく、ただひたすら律儀な忠助(従業員)を信頼している。しかし、思いがけず忠助が駆け落ちするか、急死するかし、その後で帳簿を改めてみると、大穴が空いていることに気づき、そこで初めて「人は頼りにならないものだ」と嘆息するばかりである。
しかし、これは「人が頼りにならない」のではなく、「専制が頼りにならない」のだ。店主と忠助は、もともと血縁関係のない他人であり、しかも大人同士ではないか。その忠助に対し、商売の利益配分についての約束も交わさず、ただ子供のように扱ったのは、店主の見識のなさによるものだと言うべきである。
このように、身分の上下や貴賤をただ名目として強調し、それを理由に専制を行おうとすることが、その弊害を生む原因である。そして、この弊害の行き着く先は、人々の間に欺瞞や策略が横行することである。この病にかかった者を「偽君子」と呼ぶ。
例えば、封建時代において、大名の家臣たちは表向きは皆、忠臣を気取っていた。その振る舞いを見ると、君臣の関係を厳格に守り、礼儀作法も細かくこなし、敷居の内と外をめぐって上下関係を争い、亡き主君の命日には精進潔斎を守り、若殿の誕生には礼服を着用し、新年の挨拶や菩提寺への参詣も一人として欠席することがなかった。
彼らの口ぶりは、「貧しさは武士の常」「忠義を尽くし国に報いるべし」といった立派な言葉で満ちており、また「その俸禄を食む者はその務めに命を懸けるべし」と勇ましく言いふらし、今にも討ち死にする勢いを見せていた。そのため、一見しただけでは、こうした言動に欺かれる者もいるかもしれない。
しかし、こっそり別の視点から観察してみると、彼らこそがまさしく「偽君子」であることが分かる。例えば、大名の家臣の中で重要な役職を務める者がいるとする。その家が金を蓄えているのは、果たして何の理由によるものだろうか。家禄や役職の給与は定められており、それ以上の余財が生じるはずはない。それにもかかわらず、収支を計算すると余剰が出ているのは、まったくもって不審なことではないか。
この余剰金が「役得」であろうと「賄賂」であろうと、それは店主、すなわち主君の財産を横取りしたにほかならない。その中でも特に顕著な例を挙げるならば、普請奉行が大工に対して賄賂を要求し、会計役人が取引のある町人から付け届けを受け取るといったことは、三百諸侯のほぼすべての藩において、まるで決まりごとのように行われていた。
主君のためならば御馬前で討ち死にすることさえ辞さないと言い張っていた忠臣や義士が、実際には商取引の際に不正な利益を得ていたとは、あまりにも不誠実ではないか。これこそ、金箔を施された偽君子と言うべきである。
まれに正直な役人がいて、賄賂を受け取らない者がいると、それだけで「前代未聞の名臣」などと一藩の評判になることもあった。しかし、実際のところ、その者は単に金を盗まなかっただけのことであり、それがさほど褒められることではない。人として盗みを働かないのは当然のことだ。ただ、偽君子が大勢を占める社会において、普通の人間が混じることで際立って見えるだけの話である。
結局、この偽君子が多くなったのも、その根本をたどれば、昔の人々の誤った考え方に由来する。すなわち、世の人民をすべて素直で扱いやすいものだと決めつけた結果、その弊害が専制政治へと発展し、最終的には、まるで飼い犬に手を噛まれるような状況に陥るのである。
つまるところ、世の中でもっとも頼りにならないものは「名分」であり、最も害を及ぼすものは「専制と抑圧」である。これほど恐ろしいことがあるだろうか。
ある人が言う。「確かに、人民の不実な悪例を挙げれば際限がないかもしれないが、すべての者がそうではない。我が日本は義を重んじる国であり、古来より義士が身を捨てて君主に忠義を尽くした例は数多く存在する」と。
それに対して答える。「まったくその通りだ。古来、義士がいなかったわけではない。ただ、その数があまりにも少なく、統計的に見ても取るに足らないほどなのだ。例えば、元禄年間は義侠心が最も盛んだった時代とされる。この時、赤穂藩七万石の領地において、義士と呼ばれた者は四十七人にすぎなかった。七万石の領地にはおよそ七万人の人口がいたはずである。七万人のうち四十七人ならば、七百万の人口に換算すれば、わずか四千七百人しかいない計算になる。
時代が移り変わり、星の運行が変わるように、人情は次第に薄れ、義侠心もまるで散りゆく花のように衰えていく。これは世間の人々が常に言っていることであり、決して間違いではない。
したがって、元禄年間に比べて人々の義侠心を三割減らし、七割にすると仮定すれば、七百万人のうち義士の数は三千二百九十人となる。さらに、現在の日本の人口を三千万人とすると、義士の総数は一万四千百人となる計算だ。
さて、この数で日本という国を守ることができるだろうか。こんな計算は、三歳の幼子でもできることであろう。
この議論に従えば、名分など完全に無意味なものとなるが、念のためにここで一言付け加えておこう。名分とは、虚飾にすぎない名目のことである。虚名である以上、上下貴賤を問わず、すべて無用のものである。しかし、もしこの虚飾の名目と、実際の職務を混同せず、職務をきちんと果たすのであれば、名分自体には何の問題もない。
つまり、政府は国家の会計を管理する場であり、人民を統治する職務を持つ。人民は国家の資金を供給する役割を担う。文官の職務は政治と法律を議論し決定することであり、武官の職務は命令に従い戦場へ赴くことである。このほかにも、学者、商人、それぞれに定められた職務があり、誰もがその役割を果たすべきである。
ところが、中途半端な知識を持った軽薄な者が、「名分など不要である」と聞きかじり、早々に自らの職務を忘れてしまう。そして、人民の立場にありながら政府の法律を破り、政府が命じたわけでもないのに人民の産業へ干渉し、兵士が政治を議論して勝手に軍を興し、文官が腕力に屈して武官の指示に従うといった事態が起これば、これはまさしく国家の大混乱を引き起こすことになる。
これは自主・自由という考えを中途半端に理解した結果、生じる無政府状態であり、無法の騒動となる。名分と職分は文字こそ似ているが、その意味はまったく異なるものである。学者たちは、この点を誤解しないように十分に注意すべきである。

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十二編

演説の法を勧むるの説
演説とは、英語で「スピーチ」といい、多くの人々を集め、その場で自分の考えを伝える方法である。我が国には古くからそのような方法があったとは聞かないが、寺院での説法などは、これに類するものといえるだろう。
西洋諸国では演説の文化が非常に盛んであり、政府の議会、学者の集会、商業の会合、市民の集まりだけでなく、冠婚葬祭や開業・開店などの細かい場面でも、十数人が集まれば必ずその会の趣旨を述べたり、各自の持論を展開したり、即興で思いついたことを話したりして、その場の人々と意見を共有する習慣がある。この方法がいかに大切かは、説明するまでもない。
例えば、日本でも議会を設置する話が出ているが、仮に議会を開いても、そこで演説をする技術がなければ、議会自体が機能しないだろう。演説によって物事を伝えると、たとえその内容が重要であるかどうかはさておき、話し方そのものに力が生まれる。文章に書けば大した意味のないことでも、口で語れば分かりやすく、人の心を動かすことができるものだ。
たとえば、古今の名詩や名歌といわれるものも同様である。その詩や歌を普通の文章に訳せば、まったく面白みのないものになるが、詩や歌の形式を保つことで、計り知れない風情が生まれ、多くの人の心を感動させる。したがって、一人の考えを多くの人に素早く伝えるには、その方法が非常に重要である。
学問は単なる読書ではないということは、すでに広く知られているので、ここで改めて議論するまでもない。
学問の目的は、それを活用することにある。活用できない学問は、学問がないのと同じだ。
昔、朱子学を学ぶある書生が、江戸で長年修業し、多くの学者の説を書き写し、日夜努力を重ね、数年の間に何百巻もの写本を作った。そして、学問を修めたと思い、故郷へ帰ろうとした。しかし、彼が書き写した本はすべて葛籠(つづら)に詰め、大型の船で輸送することにしたところ、不運にも遠州灘で船が難破し、すべて海の底へ沈んでしまった。結果として、彼自身は生き延びたが、学問はすべて失われ、結局のところ、彼の学識は何一つとして身についていなかったのだ。この愚かさは、船が沈む前日と何ら変わりなかったという話がある。
現代の西洋学者にも、このような問題がないとは言えない。都会の学校で読書や講義を受ける姿を見れば、一見、学者と呼ぶにふさわしい。しかし、もし突然、彼から原書を取り上げて田舎に送り返したら、彼は親戚や友人に「自分の学問は東京に置いてきた」と言い訳をするかもしれない。
つまり、学問の本質は、単に本を読むことではなく、精神を鍛え、実際に活用することにある。そのためには、さまざまな工夫が必要である。
「オブザベーション」とは、事物を観察することであり、「リーズニング」とは、物事の道理を推究し、自分なりの理論を構築することである。この二つだけでは学問の方法として不十分であり、さらに本を読み、著作をし、人と議論し、そして人前で語ることが必要である。これらをすべて実践して初めて、真に学問に励む人と言える。
視察、推論、読書は知識を蓄積する手段であり、談話は知識を交換する手段であり、著作や演説は知識を広める手段である。これらの中には、一人でもできるものもあるが、談話や演説は必ず他人と行う必要がある。だからこそ、演説会の重要性を理解すべきなのだ。
今の日本において最も憂うべきことは、国民の見識が低いことである。これを向上させることは、学者の務めであり、少しでもその方法を知っているならば、全力で取り組むべきである。
学問において、談話や演説がいかに大切であるかは明白である。それなのに、現在、それを実践する者がいないのはなぜか。それは、学者たちの怠慢にほかならない。
人間の営みには、内面的なものと外面的なものの両方があり、どちらも努力しなければならない。しかし、今の学者の多くは、内面にこもり、外の務めを知らない者が多い。これは大いに考えるべき問題である。
理想的な学者とは、思索が深く、まるで底なしの淵のように物事を考え抜く一方で、人と接する際には飛ぶ鳥のように活発であるべきだ。そして、内面では限りなく思慮深く、外面では果敢に行動する人こそ、真の学者と称されるのである。
見識や品行を高めるには、単に難解な理論を語るだけでは不十分である。禅僧のように玄妙な理論を説く者がいても、その実際の行動を見れば、現実と乖離していて、何の役にも立たない者もいる。
また、単に多くの書物を読み、多くの人と交流したからといって、見識が高まるわけでもない。膨大な書を読んでも、古い考えに固執するだけの漢学者もいる。これは洋学者にも共通する問題である。
西洋の経済学を学んでも、自分の家計を営むことを知らず、道徳を講じても、自らの徳を修めることを知らない者が多い。彼らの言論と行動を比べれば、まるで別人のようであり、結局のところ、学問が本当に身についているとは言えない。「医者の不養生」「論語読みの論語知らず」といったことわざも、まさにこれを指している。
ゆえに、見識や品行を高めるには、ただ理論を学ぶだけでも、ただ多くの経験を積むだけでも足りない。では、どのようにすれば見識を高め、品行を向上させることができるのか。その秘訣は、事物を比較し、より高い水準を目指し、自らの現状に満足しないことにある。
しかし、物事を比較するとは、単に一つの事柄を別の事柄と比較するだけではない。全体の状況を並べて、それぞれの利点と欠点を徹底的に観察しなければならない。
例えば、ある若い学生が、酒や色欲に溺れることなく、謹慎して勉学に励んでいるとしよう。そうすれば、親や年長者に咎められることはなく、本人も誇らしい気持ちになるかもしれない。しかし、その満足感は、ただ放蕩無頼な者と自分を比較しているに過ぎない。
そもそも、謹慎して勉強するのは人間として当然のことであり、特に賞賛するほどのことではない。人生には、もっと高い目標があるはずだ。過去と現在の偉人を広く見渡し、自分の行いが誰の功績に匹敵するのかを考えなければならない。常に優れた人物を目指して努力すべきなのだ。
自分に一つの長所があったとしても、他人に二つの長所があれば、それに甘んじて満足する理由はない。ましてや、後進の者は先人を超えるべき運命にあるのだから、過去の偉人を単に賛美して終わるのではなく、自らの目標とすべきである。
今の時代に生きる人々の責任は非常に大きく、重いものである。それなのに、ただ「謹慎して勉強すること」だけを人生の目的とするのは、あまりにも浅はかである。
酒や色欲に溺れる者は、極端な異常者に過ぎない。この異常者と比べて自分が優れていると満足するのは、たとえば、自分に目が二つあることを誇り、盲人に対して得意になるようなものだ。ただ自らの愚かさを晒しているに過ぎない。
だからこそ、酒や色欲について議論し、それを否定したり肯定したりすること自体が、低俗な話題なのだ。人の品行が少しでも向上すれば、このような話はすでに乗り越えたものであり、話題にすることすら人々に嫌がられるようになるだろう。
現在の日本では、学校の評価について、「この学校の風紀はこうだ」「あの学塾の管理はどうだ」といったことにばかり親たちが気を取られている。しかし、そもそも「風紀の管理」とは何を指しているのか。それは、学則を厳しくし、生徒が放蕩無頼に走るのを防ぐことを指しているのだろう。そして、それを「学問所の美徳」として称賛するのかもしれない。しかし、私はむしろそれを恥ずかしいことだと思う。
西洋諸国でも、風紀が決して美しいとは言えず、中には目を覆いたくなるような醜悪な事例もある。しかし、その国々で学校の名誉が「風紀の良さ」と「厳しい管理」によって決まるという話は聞いたことがない。学校の名誉は、学問の水準が高いこと、教育方法が優れていること、人物の品行が高く、議論が低俗でないことにかかっているのだ。
だからこそ、現在の学校を運営する者も、学ぶ者も、他の低俗な学校と比較するのではなく、一流の学校を見て、何が足りないのかを理解しなければならない。
風紀が良く、管理が行き届いていることも、学校としての一つの長所とは言えるだろう。しかし、それは学校の本質的な価値ではなく、むしろ最も取るに足らない部分に過ぎない。それを誇るべきものとする必要はまったくない。世界の一流校と比較するならば、もっと別の部分で努力しなければならない。
したがって、学校の緊急課題として「管理の徹底」ばかりを議論することは、たとえその管理が完璧だったとしても、決して満足してはならない。
これは、一国の発展についても同じことが言える。
例えば、ある政府が、優れた官僚を選び、政治を任せ、民衆の苦楽を察知して適切な政策を実施し、賞罰を厳正にし、恩恵と威厳をしっかりと保ち、国民が安心して暮らし、太平の世を謳歌するようになったとしよう。これは、確かに誇るべきことのように思える。
しかし、それでもその政策や制度は、結局のところ一国の中だけの話であり、わずか数人の見解によって作られたものに過ぎない。つまり、国の発展を評価するにあたっては、過去の自国の状況や他の悪政と比較するのではなく、世界の優れた国と徹底的に比較するべきなのだ。
もし、国を一つの独立した存在としてとらえ、他の文明国と比較し、数十年にわたる発展の過程を計算し、双方の長所と短所を分析し、その実際の影響を考察するならば、「誇るべき」と思っていたものが、実は何の価値もないと気づくことになるだろう。
例えば、インドの歴史は決して浅くなく、その文化は西洋の紀元前数千年から発展し、哲学や理論の精密さでは、現代の西洋科学にも劣らぬものがあった。また、かつてのトルコ政府も、強大な権力を誇り、礼楽や軍事の制度も整い、賢明な君主と誠実な官僚を擁し、人口も多く、兵士の勇敢さは近隣諸国に比類なかった。ある時期には、その名声が世界中に輝いたこともあった。
このように考えると、インドは文化的に優れた国であり、トルコは武勇の国として高く評価されるべきであった。
しかし、今現在のインドを見てみると、すでにイギリスの植民地となり、その国民は英国政府の奴隷のような立場にある。今のインド人の仕事といえば、阿片を栽培して中国人を毒殺し、それによってイギリスの商人が利益を得るだけである。
トルコの政府も、名目上は独立しているものの、貿易の権利はすでにイギリスやフランスに握られ、自由貿易の影響で国内産業は衰退し、織物や機械の製造も衰え、国民はただ土地を耕すか、無為に日々を過ごすだけになってしまった。すべての製品はイギリスやフランスから輸入し、国内の経済を自らの手で運営することができなくなっている。かつて勇猛だった兵士たちも、貧困のために戦う力を失ったという。
このように、インドの文化も、トルコの武勇も、結局のところ国の繁栄には寄与しなかった。その原因は、国民の視野が狭く、国内の状況に満足し、一部分だけを見て他国と比較し、それで満足してしまったからだ。
西洋の商人たちは、アジアを相手にしても敵はいない。これを恐れずにいられるだろうか。もし、この強大な敵を恐れつつも、その文明を学ぼうとするならば、国の内外の状況をしっかりと比較し、学ぶべきところを学び、成長しなければならない。
現在のインドとトルコの状況を見ると、かつての繁栄は見る影もない。インドはすでにイギリスの植民地となり、その人民は英国政府の支配下に置かれ、ほとんど奴隷同然の扱いを受けている。今のインド人の主な仕事は、阿片を栽培し、それを中国に輸出して人々を毒し、その利益をイギリスの商人が独占することだけになってしまった。
一方、トルコの政府は名目上は独立国であるが、実際には経済の主導権をイギリスやフランスに握られ、自由貿易の名のもとに国の産業は衰退している。国内で織物を作る者も、機械を製造する者もほとんどおらず、国民はただ土地を耕して汗を流すか、何もせずに時を浪費するしかない。あらゆる製品はイギリスやフランスからの輸入に依存し、自国の経済を自らの手で運営することができない状況に陥っている。
かつては勇敢だったトルコの兵士も、貧困のために力を発揮できず、もはや戦うことすらままならないという。
このように、インドの高度な文化も、トルコの強大な軍事力も、結局は国の繁栄にはつながらなかった。その理由は何か。それは、国民の視野が狭く、一国内の状況だけを見て満足してしまったからである。
彼らは、自国の一部分を他国と比較し、それによって優劣を判断し、問題がないと思い込んでしまった。その結果、議論もそこに止まり、政治的な派閥もそこに止まり、国際的な視野を持つことなく、気づかぬうちに国の主導権を失っていったのである。
国民が「万民太平」と謳う間に、あるいは国内で派閥争いを続けている間に、外国の商人たちは着々とその国の商業を支配し、最終的には国全体を衰退に追いやったのだ。
現在の状況を見るに、西洋の商人たちがアジアへ進出したとき、それを防ぐ力はアジアにはない。これは恐れるべきことである。
しかし、もしこの強大な敵を恐れつつも、同時に彼らの文明を学び、彼らの成功の本質を理解しようとするならば、道は開ける。

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十三編

怨望の人間に害あるを論ず
第十三編 現代語訳
人間には多くの不徳があるが、他者との交際において最も害をなすものは怨望である。貪欲や吝嗇、奢侈、誹謗といったものも顕著な不徳ではあるが、それらの本質が必ずしも悪であるとは限らない。それが行われる場面や程度、方向性によっては、不徳とは見なされないこともある。
例えば、金銭を好んで際限なく求めることを貪欲と呼ぶが、そもそも金銭を求めるのは人間の本性である。したがって、その本性に従い、十分に満足しようとすること自体は非難されるべきではない。ただし、正当な手段を逸脱してまで金銭を得ようとし、無制限に欲を膨らませ、道理を無視するようになれば、それは貪欲という不徳となる。よって、金銭を好むという心の働きを見ただけで、すぐに不徳と断じるべきではない。節度を持って金銭を扱い、経済を適切に管理することは、むしろ人間が身につけるべき美徳の一つである。
奢侈も同様であり、身の程をわきまえずに贅沢をすれば不徳となるが、適度に良い衣服を着て快適な住まいに住むことは人の自然な欲求であり、それ自体が不徳ではない。必要な場面で適切に使い、浪費しすぎないことが大切であり、それができる者は人間の模範とされるべきである。
また、誹謗と弁駁の違いは極めて微妙である。他人に虚偽の罪を着せることを誹謗と呼び、他人の誤解を解き、自分の信じる正しさを主張することを弁駁と呼ぶ。世の中に絶対的な真理が確立していない間は、どちらが正しく、どちらが誤っているかを明確に判断するのは難しい。仮に多数派の意見を「公道」と見なしたとしても、その公道がどこにあるのかを正確に知ることは容易ではない。したがって、誰かが他人を批判したからといって、すぐにその人を不徳者と決めつけるべきではない。それが本当に誹謗なのか、あるいは正当な弁駁なのかを判断するためには、まず世の中の公道を探し求めなければならない。
このほかにも、驕慢と勇敢、粗野と率直、頑固と誠実、軽薄と聡明といったものは、それが行われる場面や程度、方向によって、徳ともなり不徳ともなる。しかし、怨望だけは本質的に不徳の側に偏り、どんな場面でも善とされることはない。
怨望は消極的な感情であり、自ら努力して何かを得ようとせず、他人の境遇を見て不満を抱き、自分の状況を振り返ることなく、ただ他人のものを欲しがる。そして、その不満を解消する手段は、自分が向上することではなく、他人を引きずり下ろすことにある。
例えば、他人の幸せと自分の不幸を比較し、自分が満足する方法を模索するのではなく、他人を不幸にして平等にしようとする。これは、まさに「憎しみのあまり、相手の死を望む」ということにほかならない。
このような者の不満を解消しようとすれば、社会全体の幸福を損なうだけで、何の利益も生まれない。
ある人が、「欺瞞や虚言といった悪事も、その本質は悪であるから、怨望とどちらがより悪いかを区別することはできないのではないか」と言った。
これに対し、私はこう答える。「確かに一見するとそう思えるが、原因と結果を区別すれば、それらを同列には扱えない。欺瞞や虚言は確かに大悪事だが、それが必ずしも怨望から生じるわけではなく、むしろ怨望が原因となって引き起こされることが多い。怨望はあたかもあらゆる悪の母のようなものであり、人間の悪行のほとんどは怨望から生じる。疑心暗鬼、嫉妬、恐怖、卑怯といった感情はすべて怨望から生じ、それが形として現れるのが、陰口や密談、秘密の計略である。そして、それがさらに発展すると、派閥争い、暗殺、暴動、内乱となる。こうなれば、国家全体に災いが及び、誰一人としてその被害を免れることはできない。まさに、公の利益を犠牲にして、私欲を満たそうとする行為である。」
怨望が人間関係に及ぼす害はこれほどまでに大きい。その原因を探れば、それはただ「窮すること」、すなわち行動の自由が奪われることにある。ただし、ここでいう「窮」とは、困窮や貧困のことではなく、人の発言を封じ、仕事を妨害するなど、人間の本来の活動を制限することである。
もし貧困や低い身分が怨望の原因だとすれば、世の中の貧しい者は皆不満を抱き、裕福な者はすべて憎まれるはずであり、人間関係は一日たりとも維持できないことになる。しかし、実際にはそうではない。どれほど貧しい者でも、自分の境遇の理由を理解し、それが自分自身の結果であると納得できれば、他人を怨望することはない。この証拠はわざわざ挙げるまでもなく、世界には貧富や身分の違いがあっても、円満に社会生活が営まれている事実を見れば明らかである。
したがって、裕福であることが憎しみの対象になるわけではなく、貧しいことが不満の原因になるわけでもない。怨望は、ただ人の自由な活動を妨げ、運命がすべて偶然に左右されるような環境において、最も広がるものである。
孔子が「女子と小人は扱いにくい」と嘆いたことがある。これは、彼自身が作り出した環境の弊害を指摘したに過ぎない。人の性質は、男性も女性も本質的に変わらない。また、「小人」とは身分の低い者を指す言葉だが、彼らが生まれつきその地位に固定されるわけではない。それにもかかわらず、女子や下級の者が扱いにくいと言ったのはなぜか。それは、常日頃から「へりくだること」を教え込み、弱い者を束縛して自由を奪っていたからである。その結果、怨望の風潮を生み出し、最終的には孔子自身もそれを嘆くことになったのだ。
人は自由に活動できなければ、必ず他人を妬むようになる。この因果関係は、麦を蒔けば麦が生えるように、誰の目にも明らかである。孔子ほどの聖人がこの理を理解せず、ただ嘆いているだけだったというのは、なんとも頼りない話である。
そもそも孔子の時代は、明治より二千年以上も昔のことであり、まだ文明が発達していない時代であった。そのため、彼の教えも当時の風俗や人々の心情に基づいたものであり、天下の秩序を維持するためには、あえて人々を束縛する手法を用いることもやむを得なかった。しかし、もし孔子が真の聖人であり、後の時代まで見通す見識を持っていたならば、そのような束縛の手法に満足することはなかっただろう。したがって、後世において孔子の教えを学ぶ者は、その教えを当時の時代背景とともに考え、取捨選択するべきである。
二千年前の教えをそのまま現代に適用しようとする者は、事物の価値や相場を考える能力がない者と同じである。例えば、怨望が流行し、人間関係に悪影響を与えた例として、封建時代の大名の御殿女中の世界が挙げられる。
御殿とは、学問や知識のない女性たちが集まり、教養も徳もない主人に仕える場所である。そこでは、努力しても褒められることはなく、怠けても罰せられることはない。進言すれば叱られることもあれば、何も言わずにいても叱られることもある。何を言っても正しいとは限らず、嘘をついても罰せられるとは限らない。ただ、主人の寵愛を得ることだけが全てであり、その運命はまるで狙いの定まらない的に矢を射るようなものであった。当たれば運が良かっただけであり、外れてもそれが実力不足というわけではなかった。まるで人間の世界から切り離された特殊な空間である。
このような環境にいると、人間の感情も自然と変化し、通常の社会とは異なる心理が生まれる。もし仲間の中から出世する者が現れても、その出世の方法を学ぶことができないため、ただ羨むだけで終わる。羨む気持ちが募れば、やがて嫉妬へと変わる。仲間を嫉妬し、主人を怨望することに忙しく、家のために尽くそうとする気持ちは生まれない。
「忠義や節義」といった言葉は、表面上の挨拶にすぎず、実際には畳に油をこぼしても誰も見ていなければ拭きもせずに放置するような態度が横行する。ひどい場合には、主人が病に倒れ命が危ぶまれる状況でも、日頃の嫉妬や対立が邪魔をして、まともな看病すらできない者も多かった。さらに、怨望や嫉妬が極限に達すると、毒を使って害を及ぼすような事件も決して珍しくはなかった。
もしこのような悪事の統計があり、御殿で行われた毒殺の件数と、一般社会での毒殺の件数を比較することができれば、御殿において悪事がどれほど盛んであったかは明白であろう。怨望の害はまさに恐るべきものである。
この御殿女中の例を見れば、社会全体のあり方も推測することができる。人間にとって最大の災いは怨望であり、その原因は自由を奪われることにある。したがって、人々の言論を封じてはならず、またその仕事を妨げてはならない。
もし、イギリスやアジア諸国の状況と日本の現状を比較し、人間関係の健全さを問う者がいるならば、私は「今の日本は完全に御殿のような状態ではないが、それに近い部分が多い」と答えるだろう。英亜諸国は、日本よりもはるかにこの状態から脱している。
イギリスやアジアの人々も、貪欲や奢侈を避けているわけではなく、粗暴な者もおり、欺く者もいる。したがって、彼らの風俗が必ずしも善良であるとは言えない。しかし、怨望や陰湿な妬みといった点においては、日本とは明らかに異なっている。
近年、民選議院の設立や出版の自由についての議論がなされているが、その是非はさておき、そもそもこうした議論が生じた理由を考えると、それは日本を封建時代の御殿のようにしないためであり、人民を御殿女中のようにしないためである。怨望に代わるものとして活動の場を提供し、嫉妬の念を相互の競争意識へと転換し、すべての人が自らの力で幸福や名誉を得られるようにしようとするのが、これらの制度の趣旨である。
人々の言論を封じ、仕事を妨げることは、政府の問題として考えられがちである。しかし、実際にはこれは政治に限った問題ではなく、一般社会の中でも広く行われており、その害はむしろ社会の方が深刻である。したがって、政治だけを改革しても、この問題の根本を解決することはできない。
さらに考察を加えるならば、人間は本来、交際を好む生き物である。しかし、習慣によっては、むしろ交際を嫌うようになることもある。世の中には、世間との関わりを避けるために山奥や僻地に住む者がいる。これを「隠者」と呼ぶ。また、真の隠者ではなくとも、世間の交際を嫌い、家に閉じこもって「俗世を避けている」と得意げに振る舞う者もいる。
彼らの心理を考えれば、単に政府の政策が気に入らないから世間から離れるのではない。むしろ、自らの気力が弱く、他人と接する勇気がなく、心が狭いために、人との関係を築くことができないのだ。人を受け入れられない者は、やがて人からも受け入れられなくなる。そして、お互いが一歩ずつ距離を置き、ついには他人同士ではなく、敵対するような関係になり、最終的には怨望へと発展するのである。これは社会にとって大きな禍である。
また、人は相手の人物を直接見ずに、その行動や発言だけを伝え聞き、それが自分の意にそぐわないものであれば、共感するどころか、嫌悪や憎しみを抱くことが多い。そして、その感情はしばしば過剰に膨れ上がる。
物事の相談をする際、手紙や伝言ではうまくいかないことも、直接会って話せば円満に解決することがある。また、人はよく「本当はこういう事情だが、面と向かってはさすがにそうも言えない」と言う。これは、人間の本能的な感情であり、相手を思いやる気持ちの表れである。この気持ちがある限り、互いに理解し合うことで怨望や嫉妬は自然と消えていくものである。
よって、人間の活力は、他者と関わることで生まれる。言論の自由を保障し、仕事の自由を認め、富も貧もすべて本人の努力によるものとし、他人がそれを妨げることのない社会を作らなければならない。

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十四編

心の中の計算と人が生きる様子を見てみると、思っているよりも悪を行い、思っているよりも愚かなことをし、思い描いたよりも成功を収めることができないものである。どんな悪人であっても、一生を通じて悪事だけを行おうと決意する者はいない。しかし、いざ事に直面すると、ふと悪念が生じ、自ら悪と知りながら、都合のよい理屈をつけて自己を慰める者もいる。
また、ある場合には、何かを行う際にそれを決して悪事とは思わず、全く恥じることもなく、むしろ良いことと信じて疑わず、他人が異議を唱えれば怒り、怨むことさえある。しかし、年月が経ち、後になって振り返ってみると、自らの至らなさに気づき、大いに恥じ入ることもある。
さらに、人には賢愚や強弱の違いがあるとはいえ、自分が獣以下の知恵しか持たないとは思う者はいない。世の中のさまざまな仕事を見渡し、この仕事なら自分にもできると思い、それ相応のものを引き受ける。しかし、いざ実際に行ってみると、予想外の失敗が多く、最初の目的を果たせず、世間から笑われ、自分でも後悔することがしばしばある。
世の中で事業を企てて失敗する者を傍から見れば、まるで滑稽なほどの愚行に思える。しかし、その人自身が特別に愚かであるわけではなく、その事情をよく調べれば、それなりにもっともな理由があるものだ。
結局のところ、世の中の出来事は生きたものであり、簡単に予測できるものではない。そのため、どんなに賢い者でも予想外の失敗をすることがある。また、人の計画は常に大きなものであり、事の難易度や時間の長短を正確に比較することは非常に難しい。
フランクリンはこう言っている。「十分だと思ったとしても、実際に取り組めば必ず不足を感じるものだ。」これはまさにその通りである。大工に建築を依頼し、仕立屋に衣服を注文したとしても、約束の期限通りに仕上がることはほとんどない。これは、大工や仕立屋がわざと遅らせているのではなく、最初に仕事と期限を慎重に比較しなかったために、結果として約束を守れなくなっただけである。
世間では、大工や仕立屋に対して期限を守らなかったことを責めることは珍しくない。そして、それには一定の理もある。しかし、そうやって責める旦那自身が、自分の請け負った仕事を本当に期限通りに果たしたことがあるだろうか。
田舎の書生が、故郷を出る際に苦労を覚悟し、「三年のうちに学業を修めよう」と決意した者が、その約束を果たせた例がどれほどあるだろうか。渇望して手に入れた原書を、三ヶ月で読破すると誓った者が、果たしてそれを守れたか。有志の士が「自分が政府に出仕すれば、この事務をこう処理し、この改革をこう進め、半年で政府の面目を一新する」と何度も建白し、ようやく念願叶って官職に就いたとして、その者は果たして前日の決意通りに行動できたか。
貧しい書生が「もし私に万両の金があれば、日本全国の町に学校を建て、不学の者をなくす」と豪語した者が、もし幸運にも三井や鴻ノ池の養子となったとして、本当にその言葉通りの行動をするだろうか。こうした夢想を挙げればきりがない。これはすべて、事の難易度や時間の長短を慎重に考えず、時間を甘く見て、事を軽く考えた結果である。
また、世間で計画を立てる人の話を聞くと、「生涯のうちに」「十年のうちに」と言う者が最も多く、「三年のうちに」「一年のうちに」と言う者はやや少ない。「一ヶ月のうちに」「今日このことを始めて今すぐ実行する」と言う者はほとんどいない。そして、「十年前に計画したことを今すでに成し遂げた」と言う者に至っては、私はまだ一度も見たことがない。
このように、期限が長い将来のことを語るときは大きな計画を立てるように見えるが、その期限がいよいよ近づき、今月や今日という具体的な段階に入ると、その計画を明確に説明できなくなる。これは、計画を立てる際に時間の長短を考慮に入れなかったために生じる不都合である。
このように、人間の行動は、道徳においても思いがけず悪事をなし、知恵においても思いがけず愚行をなし、事業においても思いがけず成功を収めることができないものである。
この不都合を防ぐ手段は様々あるが、ここで一つ、人があまり意識していない方法を挙げる。それは、事業の成功や失敗、利益や損失について、時折、自分の心の中で計算を行うことである。商売における「棚卸し」の総決算のようなものだ。
商売において、最初から損をすることを前提にする者はいない。自分の資本や能力を顧み、世間の景気を考慮して事業を始める。そして、様々な状況の変化に応じて成功することもあれば失敗することもある。仕入れに損をし、販売で利益を得ることもある。
一年や一ヶ月の終わりに総決算を行うと、見込み通りの結果が得られることもあれば、大きく違っていることもある。たとえば、売買が活発な時期に、この商品は必ず利益が出ると思ったものが、決算の際に損失をもたらしていたり、仕入れ時に不足していると思った商品が、決算時には売れ残りとなっていたりする。
そのため、商売において最も重要なのは、日頃の記録を正確にし、決算の時期を誤らないことである。人間の人生もまた同じである。
人間の生涯という商売は、十歳前後で知性が芽生えた時から始まるものである。だからこそ、日頃から知恵や道徳、事業の帳簿を精密に整理し、努めて損失を避けるように心掛けなければならない。
「過去十年間で何を失い、何を得たのか。今はどのような仕事をしていて、その繁盛の様子はどうか。今は何を仕入れ、どの時期にどこで売るつもりなのか。これまで自分の心の店を適切に管理し、怠け者や遊び人のような従業員に穴を開けられてはいないか。来年も同じ商売を続けて確かな見込みがあるのか。さらに知恵や徳を高めるための工夫はないのか。」こうした問いを立て、日々の帳簿を点検し、総決算を行うことで、過去と現在の行動の中に必ず不都合な点が見つかるはずである。
例えば、「貧は士の常、尽忠報国」などと唱えて、無計画に百姓の米を食い潰していた者が、現実に直面して困窮するのは、まるで海外の新式銃の存在を知らずに、刀剣を仕入れて一時の利を得たものの、後に後悔するのと同じである。
また、和漢の古典ばかりを研究し、西洋の新しい学問を顧みず、過去を信じて疑わなかった者は、まるで過ぎ去った夏の気候を忘れられず、冬の到来に備えずに蚊帳を買い込むようなものである。
学問が未熟なまま、急いで小官を求め、一生の間に低い地位に留まり続ける者は、仕立て途中の衣服を質に入れて流すようなものである。
地理や歴史の基礎も知らず、日常の手紙すらまともに書けないのに、高尚な書物ばかり読もうとして、五、六ページ目で投げ出し、また別の書物を求める者は、元手もなしに商売を始め、日ごとに業種を変える商人のようである。
和漢洋の書物を読んでも、天下国家の形勢を知らず、個人や家庭の生計すら苦しむ者は、算盤を持たずに万屋の商売をするようなものだ。
天下を治める術を知りながら、自らの身を修めることを知らない者は、隣家の帳簿を助言しながら、自宅が盗賊に荒らされることを知らないのと同じである。
流行の新しい思想を口にしながら、自らの信念を持たず、自分が何者であるかを考えない者は、売る品の名は知っていても、その値段を知らない商人のようなものだ。
こうした不都合な事例は、今の世の中に珍しいものではない。その原因は、ただ漫然と日々を過ごし、自らの立場や行動を振り返ることがないことにある。「自分は生まれてから今日まで何をしてきたか。今は何をしているのか。これから何をすべきか。」こうした問いを自らに発し、自身の状況を見つめ直さないことが、このような失敗を招くのである。
だからこそ、商売において、現在の状況を明確にし、将来の見通しを立てるために帳簿の総決算を行うように、一人の人間もまた、自らの知恵や道徳、事業の棚卸しを行い、将来の方向を定めなければならない。
「世話」という言葉には二つの意味がある。一つは「保護」であり、もう一つは「指図」である。
「保護」とは、人の事を外から見守り、助け、財を与えたり、時間を割いたりして、その人が利益や名誉を損なわないようにすることである。
「指図」とは、その人のために考え、便利になると思うことを勧め、不都合になると思うことを戒め、誠意をもって忠告することである。
このように、「世話」には保護と指図の二つの意味があり、両方が適切に機能すれば、世の中は円満に治まる。
例えば、親が子供を育てる際に、衣食を与えて保護の世話をし、子供は親の指図に従うことで、親子関係は円満に保たれる。
また、政府が法律を定め、国民の生命や財産、名誉を保護し、国の安全を図れば、人民は政府の指図に従い、社会は円満に治まる。
だからこそ、保護と指図は同じ範囲に及ぶものであり、その境界を誤ってはならない。保護が及ぶところには必ず指図も及ぶべきであり、指図が及ぶところには必ず保護も伴うべきである。
もしこの二つの関係がわずかでも食い違えば、たちまち不都合が生じ、禍の原因となる。世間にはこの例が数多くあるが、その理由は、世の人々が「世話」の意味を誤解し、保護だけに偏る者もいれば、指図だけに偏る者もいるためである。
例えば、親が道楽息子の言うことを聞かずに、無計画に金銭を与え、彼の放蕩を助長するのは、保護の世話は行き届いているが、指図の世話がなされていない。
逆に、子供が親の言うことを聞き、勉学に励んでいるにもかかわらず、親が衣食の面倒を見ず、無学で貧困の状態に追いやるのは、指図の世話だけを行い、保護の世話を怠っている。前者は不孝であり、後者は不慈であり、ともに人間の悪行と言える。
また、「朋友に屡(しばしば)すれば疎(うと)んぜらるる」という教えがある。その意味は、「忠告を受け入れない友に対して、余計なおせっかいをし、相手の気持ちを考えずに意見を押し付けると、やがて嫌われ、恨まれ、馬鹿にされてしまう。だから、ほどよく距離を取るべきである。」というものである。
これはまさに、「指図の世話が行き届かない相手には、保護の世話をすべきではない」という教えである。
昔気質の人には、田舎の老人が古い本家の系図を持ち出して、別家の家の中をかき乱したり、あるいは金も持たない叔父が実家の姪を呼びつけて、その家の家事をあれこれ指図し、薄情であると責めたり、不行き届きを非難したりする者がいる。さらにひどい場合には、知らない祖父の遺言などと称して、姪の家の私有財産を奪い去ろうとすることもある。このような行為は、指図の世話ばかりが過剰で、保護の世話の痕跡すら見られないものである。
ことわざにいう「大きにお世話」とは、まさにこのことを指している。
また、世間には貧民救済という名目で、人の性格や行いを問わず、その貧困の原因も調べずに、ただ貧しいという理由だけで金銭や食糧を与えることがある。
鰥寡孤独(かんかこどく) で本当に頼る者のいない者に救助を施すことは当然のことである。しかし、五升の救済米をもらい、そのうち三升を酒に変えて飲んでしまう者もいる。禁酒を指導することもできず、ただ米を与えるのは、指図の世話を行わずに保護だけを施しすぎた例である。
これはまさに「大きに御苦労」と言われる類のものである。
イギリスなどでも貧困救済の法について苦慮しているが、その原因はまさにこの問題にあるという。
この理をさらに広げて国家の政治について考えれば、人民は租税を納め、それによって政府の財政を支え、国の運営を維持する。しかし、専制政治においては、人民の意見を一切聞かず、また意見を述べる場も存在しない。これは、保護の役割だけが果たされ、指図の道が閉ざされているということになる。
このような状況に置かれた人民のありさまは、まさに「大きに御苦労」と言わざるを得ない。
このような事例を挙げていけば、枚挙にいとまがない。
この「世話」という言葉の意味は、経済論の中でも極めて重要な概念である。人間が生きる上で、職業の違いや事柄の大小に関わらず、常にこの点に注意しなければならない。
この議論は、一見すると単なる計算ずくの冷淡な考え方に思われるかもしれない。しかし、薄くすべきところを無理に厚くし、また実際には内容が薄いものを、表面的に立派に見せようとすると、かえって人間の真の情愛を損ない、社会の交際を不自然で苦しいものにしてしまう。これは、名声を得ようとして本質を失うことに他ならない。
ここまで議論を述べてきたが、世間の誤解を恐れて、最後にいくつか補足しておきたい。
修身道徳の教えと、経済の原理が相反することがある。
しかし、一個人の道徳が、すべて国家の経済に影響を与えるわけではない。例えば、見ず知らずの乞食に金銭を与えることや、貧しい人を見て、その人の過去を問わずに多少の施しをすることは、経済の理論から見れば無駄に思えるかもしれない。
しかし、これを行うことはすなわち保護の世話である。そして、この保護は必ずしも指図と共に行われる必要はない。経済の原理だけに囚われてこの行為を論じれば、不合理に見えるかもしれないが、個人の道徳としては、施しの心は最も尊く、最も好ましいものである。
例えば、国家として乞食を禁止する法律を設けることは、当然ながら公正で理に適ったものといえる。しかし、個人が私的に乞食に施しをすることを批判するのは適切ではない。
人間の行動すべてを計算だけで決めることはできない。重要なのは、計算を用いるべき場面と、用いるべきでない場面を正しく区別することである。
世の学者たちは、経済の公論にばかり夢中になり、人の情愛や仁恵の精神を忘れないようにしなければならない。

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十五編

事物を疑いて取捨を断ずること
私はまだ学問が浅く、知識も乏しいため、物事の取捨について細かく論じ、その正否を一つひとつ挙げることはできない。これについては、自ら恥じるべきことである。しかし、世の移り変わりの大きな流れを見渡せば、人々の心はこの勢いに流され、信じるものは過剰に信じ、疑うものは過剰に疑い、信じることも疑うことも、それぞれ適度なところを見失っている様子が明らかに見て取れる。そこで、次にその詳細を述べよう。
東洋と西洋の人民は風俗が異なり、考え方も異なり、千年以上の長い年月の間に、それぞれの国土で独自の習慣を築いてきた。たとえ利害関係が明確な事柄であっても、それを突然他国のものとして取り入れ、ただちに自国の制度に移し替えることはできない。ましてや、その利害がまだ明らかでない事柄についてはなおさらである。
もし新たに何かを採用しようとするならば、何年もの熟考を重ね、さまざまな試みを行い、その本質を明確にした上で、慎重に取捨の判断を行わなければならない。
ところが、近頃の世の中を見渡すと、少しでも中流以上の知識を持つ者や、いわゆる改革者と称する人々、あるいは「開化先生」と自らを名乗る輩は、口を開けば西洋文明の美しさを称え、一人が唱えれば万人がそれに賛同し、知識や道徳の教えから国家の政治、経済、衣食住の細かい部分に至るまで、すべて西洋の風習を慕い、これに倣おうとしない者はいない。
中には、西洋の実情について一部分すら知らないにもかかわらず、ただひたすら古いものを捨て、新しいものだけを求めようとする者もいる。
なんと軽々しく物事を信じ、また粗雑に疑おうとすることか。
西洋の文明が我が国よりも優れている点が多々あるのは疑いない。しかし、それが完全無欠の文明であるわけではない。その欠点を挙げれば、数え切れないほどある。
西洋の風習がすべて美しく、無条件に信じるべきものとは限らず、日本の慣習がすべて醜く、疑うべきものとも限らない。
たとえば、ある少年が学者の先生と出会い、その学識に心を惹かれ、その風格に倣おうとして急に心を入れ替え、書物を買い、文房具をそろえ、日夜机に向かって勉強することは、決して責められるべきことではない。むしろ、立派なことだと言える。
しかし、この少年が先生のやり方を模倣しようとするあまり、先生が夜遅くまで談話を楽しむ習慣にまで倣い、それによって朝寝坊をする癖がつき、ついには健康を損なうようになったとしたら、果たしてそれを賢い行いと言えるだろうか。
この少年は、先生を完全な学者だと思い込み、その行動の良し悪しを判断せずに、すべてを真似しようとした結果、不幸に陥ったのである。
中国のことわざに、「西施の顰みに倣う」というものがある。
美人の西施が眉をひそめると、それが風情あるものとして見えたため、人々がそれに倣った。しかし、それはもともと美しい顔立ちの中に自然な趣があったからこそ成り立つことであり、無闇に真似たところで、決して美しくはならない。
ましてや、学者の朝寝に一体どんな趣があるというのか。朝寝は朝寝でしかなく、怠惰で健康を損なう悪習である。人を慕うあまりに、その悪習まで真似るとは、あまりにも滑稽ではないか。
しかし、今の世の中で「開化者」と称する人々の中には、この少年と同じような者が決して少なくない。
仮に今、東洋と西洋の風俗習慣を交換し、いわゆる開化先生の批評にかけたとしたら、どのような言葉が出てくるかを想像してみよう。
西洋人は毎日湯に入るのに対し、日本人の入浴は一か月にわずか一、二回であるとする。この場合、開化先生はこう評するだろう。
「文明開化した人民は、よく湯に入ることで皮膚の蒸発を促し、衛生の法を守っている。しかし、日本の野蛮な人民は、この理を理解していない。」
また、日本人は寝室の中に尿瓶を置き、そこに小便を貯めるか、あるいは便所に行っても手を洗わない。一方、西洋人は夜中でも必ず便所に行き、どのような場合でも手を洗う習慣があるとする。この場合、開化先生はこう言うだろう。
「開化した人々は清潔を重んじる風習がある。しかし、未開の日本人は不潔が何たるかを知らず、まるで幼児のように、汚いものと清潔なものを区別する知識すら持たない。この人民も、もし文明の道を進んでいけば、いずれは西洋の美しい風習に倣うようになるだろう。」
さらに、西洋人は鼻をかむ際に毎回紙を使い、すぐに捨てる。一方、日本人は布を使い、それを洗濯して再利用する習慣があるとする。この場合、開化先生はまた違った論理を持ち出して、こう言うだろう。
「資本の乏しい国においては、人民が知らず知らずのうちに倹約の道を選ぶことがある。もし、日本全国の人民が西洋人と同じように鼻紙を使うようになったら、国全体の財産の一部が浪費されることになる。しかし、日本人は不潔を我慢し、布を再利用することで、資本の不足を補い、倹約の道に進んでいると言える。」
日本の婦人が耳に金の輪をかけ、小腹を締め付けて衣装を飾るようなことがあれば、論者は人間の生理の道理を持ち出して憤慨し、次のように言うだろう。
「なんとひどいことか。開化していない人民は、理をわきまえず、自然に従うことを知らないだけでなく、わざわざ自らの肉体を傷つけ、耳に荷物を掛け、婦人の体の中で最も重要な部分である小腹を締め付けて蜂の腰のようにし、妊娠の妨げとなり、出産の危険を増し、その害が小さければ一家の不幸を招き、大きければ全国の人口増加の根源を損なうことになる」と。
西洋人は家の内外に錠をかけることが少なく、旅の途中で荷物を運ぶ人を雇ったとしても、その行李に確かな錠前がないこともあるが、たいてい物を盗まれることはない。また、大工や左官のような職人に建築工事を請け負わせるときも、厳密な契約書を交わさず、後日になって契約のことで裁判を起こすこともまれである。しかし、日本人は家の各部屋に鍵をつけ、手元の手箱に至るまで錠を下ろし、建築請負の契約書には一字一句を争い、紙に細かく記しても、それでもなお物を盗まれたり、契約違反をめぐって裁判所に訴えることが多い。このような状況を見て、論者はまた嘆息して言うだろう。
「なんとありがたいことか、キリストの聖なる教えよ。なんと気の毒なことか、異教の野蛮な人民よ。日本の人々はまるで盗賊と共に暮らしているかのようだ。これを西洋諸国の自由で誠実な風俗と比べると、その違いは比較にならない。まさに聖教が広まる国では、道に落ちた物を拾うことさえないのだ」と。
日本人が煙草を噛み、巻き煙草を吸い、西洋人が煙管を使うことがあれば、「日本人は道具の技術に乏しく、まだ煙管を発明することもできない」と言うだろう。
日本人が靴を履き、西洋人が下駄を履くことがあれば、「日本人は足の指の使い方を知らない」と言うだろう。
もし味噌が舶来品であれば、これほどまでに軽蔑を受けることもなかっただろう。
もし豆腐が西洋人の食卓にのぼれば、一層の評判を得るに違いない。
鰻の蒲焼きや茶碗蒸しなどは、世界一の美味として特別に賞賛されることになるだろう。
こうした例を挙げていけば、際限がない。
少し高尚な話に進んで、宗教の問題に及ぼう。
もし四百年前の西洋に親鸞聖人が生まれ、日本にマルティン・ルターが生まれたならば、親鸞聖人は西洋で仏法を改革し、浄土真宗を広め、ルターは日本のローマ宗教に対抗してプロテスタントの教えを開いたことだろう。すると論者は必ずこう評するだろう。
「宗教の大きな趣旨は衆生を救済することにあり、人を殺すことではない。この趣旨を誤れば、その他のことは論ずるに足らない。
西洋の親鸞聖人は、この真理をよく理解し、野に伏し、石を枕にし、千辛万苦を乗り越え、生涯の力を尽くしてついにその国の宗教を改革し、今日では国民の大半を教化した。その教化の広がりはこのように大きい。しかし、聖人の死後、その門徒たちは宗教問題で他宗の人を殺すこともなく、また殺されることもなかった。これはただひたすら宗教の徳によって人々を感化したからである。
これに対し、日本の様子を顧みると、ルターが一度世に出てローマの旧教に対抗したものの、ローマの信徒は容易に服従しなかった。旧教は虎のごとく、新教は狼のごとく、互いに争い、血を流した。ルターの死後、その宗教をめぐって日本の民衆が殺し合い、日本の財産を消耗し、ついには軍隊が起こり、国が滅びた。その災いは筆にも口にも尽くし難いほどである。
なんと殺伐なことか。野蛮な日本人は、衆生を救済するべき宗教をもって生きる者を苦しみに陥れ、敵を愛すべき教えによって無実の同胞を殺した。今日になってその結果を問えば、ルターの新教はまだ日本国民の半分をも教化することができていない。
東西の宗教はこのように異なっている。
私はこの問題について長く疑問を抱いているが、いまだにその原因を明確に知ることができない。
私が密かに考えるに、日本のキリスト教も西洋の仏法も、その本質は同じであるが、野蛮な国土で広まれば、自然と殺伐な気風を助長し、文明国で広まれば、自然と温和な風習を保つのかもしれない。または、東方のキリスト教と西方の仏法とは、そもそもその根本の性質が異なっているためかもしれない。あるいは、宗教改革の先駆者である日本のルターと西洋の親鸞聖人とでは、その徳義に優劣があったためかもしれない。
これは軽々しく浅薄な見解で推測してはならない。ただ後世の博識の学者による確かな説を待つのみである」と。
そうであるならば、今の改革者たちが日本の旧習を嫌い、西洋の事物を信奉するのは、まったくもって軽信軽疑の非難を免れることはできないと言わざるを得ない。
すなわち、古きを信じる信仰心をそのまま新しきものへ向け、西洋の文明を慕うあまり、ついでにその欠点や悪習まで学んでしまうということである。
さらにひどいことには、まだ新しいものの信ずべき点を見極める前に、すでに旧来のものを捨て去ってしまい、自身の立場がまるで空虚になり、安心して生きるための拠り所を失い、その結果、ついには発狂する者まで現れるに至った。
なんとも哀れむべきことではないか。
(医者の話によると、近ごろは神経病や発狂の患者が増えているという。)
西洋の文明は、もとより慕うべきものである。これを慕い、これに倣おうとしても、一生の時間を費やしても足りないほどである。しかし、軽々しくこれを信じることは、むしろ信じないことよりも劣ると言える。
彼らの富と強さは、確かに羨むべきものである。しかし、その一方で、西洋社会に見られる貧富の格差の弊害まで真似するべきではない。
日本の租税が特に寛大であるとは言えないが、イギリスの庶民が地主に虐げられ、苦しめられている実情を考えれば、かえって日本の農民の境遇を喜ぶべきであろう。
西洋諸国において、婦人を重んじる風習は、人間社会における美しい事柄の一つである。しかし、その風習が行き過ぎて、無頼の妻が夫を抑えつけ、親に不従順な娘が父母を軽蔑し、不道徳な行為を助長するような風俗には、決して心酔すべきではない。
それゆえ、今の日本で行われている事柄は、本当にこのままで適当なものと言えるのか。
商売や会社の制度は、今のままで良いのか。
政府の仕組みは、今の形のままで良いのか。
教育制度は、今の制度のままで良いのか。
著作のあり方は、今の風潮のままで良いのか。
さらには、私たちが行っている学問の方法も、今のやり方のままで良いのか。
これらのことを考えれば、次々と疑問が湧き上がり、まるで暗闇の中で物を探るような心地になる。
この混沌とした状況の中で、東洋と西洋の事物を冷静に比較し、信じるべきものを信じ、疑うべきものを疑い、取るべきものを取り、捨てるべきものを捨て、信じることと疑うこと、取ることと捨てることの適切なバランスを見極めることは、実に難しいことである。
しかし、今、この責務を担うべき者は、他ならぬ、私たち学者の一種族のみである。
学者は、努め励まなければならない。
思索することは、学ぶことには及ばない。
幾多の書を読み、数多くの事物に接し、虚心平気で活眼を開き、真理のあるところを求めるならば、信じるべきものと疑うべきものは、たちまち明確に分かれるであろう。
昨日まで確信していたことが、今日は疑問となり、今日疑っていたことが、明日には氷が解けるように明らかになることもあるだろう。学者は努め励まなければならないのである。

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十六編

手近く独立を守ること
不覊独立という言葉は、近ごろ世間の話でもよく聞くようになったが、世の中の話には多くの誤りがあるため、それぞれがその趣旨を正しく理解しなければならない。
独立には二つの種類があり、一つは有形のものであり、もう一つは無形のものである。さらに簡単に言えば、品物に関する独立と精神に関する独立の二つに分けられる。
品物に関する独立とは、世間の人々がそれぞれに財産を持ち、それぞれに家業に励み、他人に世話をかけずに一家の暮らしをやりくりすることである。一言で言えば、人から物をもらわないという意味である。
有形の独立は目に見えるものであり理解しやすいが、無形の精神の独立に至っては、その意味が深く、またその関係が広いため、一見すると独立とは無関係に思われることの中にもその本質が含まれている。しかし、それを誤解する者が多い。
ここで、細かいことではあるが、一つの例を挙げて説明しよう。
「一杯は人が酒を飲み、三杯は酒が人を飲む」ということわざがある。
このことわざの意味を解釈すれば、「酒を好む欲望が人の本心を抑え、本心が独立を保てなくなる」ということである。
今日の世の中の人々の行動を見ると、本心を抑えるものは酒だけではなく、無数の物事があり、本心の独立を妨げる要因は非常に多い。
この着物には合わないからといって羽織を仕立て、この衣装には相応しくないからといって煙草入れを買い、衣服が整えば住まいが狭く感じられ、住まいを新しく建てれば宴会を開かねばならないと思うようになり、鰻飯は西洋料理の前触れとなり、西洋料理は金の時計を持つきっかけとなり、一つの欲望が次の欲望を生み、一つの購入が次の購入へとつながり、果てしなく続いていく。
この様子を見ると、一家の中には主人がいないかのようであり、一身の内には精神がないかのようであり、物が人に物を求めさせ、主人は品物に支配され、まるで奴隷のようになってしまっていると言える。
これよりさらにひどい例もある。
前述の例では、品物に支配されているとはいえ、それらは自分の持ち物であり、一身一家の中での奴隷状態に過ぎない。しかし、他人の持ち物にまで影響を受ける例もある。
あの人が洋服を仕立てたから自分も作る、隣の家が二階建てにしたから自分は三階建てにする、友人の持ち物が自分の買い物の参考となり、同僚の話が自分の注文の下書きとなる。
手の大きな男が黒い肌の指に金の指輪をはめるのは少し不釣り合いだと自分でも思いながら、西洋の風習だからと無理に納得し、金をはたいて買い求める。
猛暑の夕暮れ、風呂上がりには浴衣と団扇が最も心地よいと思いながらも、西洋人の真似をするために筒袖を着て汗をかきながら我慢する。
ひたすら他人の趣向と同じにしようと気を配るのみである。
他人の趣向に合わせるだけならまだ許される。しかし、さらに滑稽なのは、他人の持ち物を誤って認識することである。
隣の奥方が御召縮緬の着物に純金の簪を挿していると聞き、大いに心を悩ませ、急いで同じものを注文したが、後になってよくよく吟味してみると、なんと隣の品物は綿縮緬の着物に鍍金の簪であった。
このようなことを考えると、自分の本心を支配しているものは、自分の持ち物でもなく、他人の持ち物でもなく、まるで煙のような夢幻の妄想に過ぎない。
一身一家の暮らしが、まるで妄想の往来に振り回されているようなものであり、精神の独立とはほど遠い状態である。
その距離の遠さは、人それぞれに測るべきものである。
このような夢中の暮らしに心を悩ませ、身をすり減らし、一年に千円の収入があっても、一月に百円の給料を得ても、すべて使い果たしてその跡形もなくなり、不運にも家産の収入源を失うか、あるいは給料の縁が切れてしまえば、まるで気が抜けたようになり、間の抜けたようになり、家に残るのは無用の雑物ばかりであり、身に残るのは贅沢の習慣のみ。
なんと哀れなことではないか。
財産を築くことは、一身の独立を求める基礎であると考えて心身を労しながら、いざその財産を管理する段になると、かえって財産に縛られ、精神の独立を失ってしまうとは、まさに独立を求める手段によって独立を失うことに他ならない。
私は決して守銭奴の行為を称賛するわけではない。ただ、金の使い方を工夫し、金を支配して金に支配されることなく、少しも精神の独立を害することがないようにしたいと願うだけである。
議論と実業は共に重要であり、両者のバランスを保たねばならないということは、広く人々が口にするところである。しかし、それを実際に行動に移す者は極めて少ない。
そもそも議論とは、心に思うところを言葉として発し、文章として記すものである。あるいは、まだ言葉や文章に表れていない場合には、それをその人の「心事」と言い、またはその人の「志」と言う。したがって、議論というものは外部の物事に関係なく、内に存するものであり、自由であり、制限を受けないものと言える。
一方、実業とは、心に思うことを外部に現し、外の物事と関わり、それに対して処置を施すことである。ゆえに、実業には必ず制限があり、外部の物事によって制約を受けるため、自由に行えるものではない。
古人がこの二つを区別する際に、「言と行」と言い、あるいは「志と功」と言った。また、今日の俗間においても「説と働き」と言うことがある。
「言行齟齬する」とは、議論で述べることと、実際に行うことが一致しないという意味である。
「功に食ましめて志に食ましめず」とは、「実際の仕事によって報酬を与えるのであって、心の中で何を思おうとも、形のない考えに対しては賞を与えるべきではない」ということである。
また俗間では、「某の説は立派だが、元来働きのない人物である」と言って軽蔑することがある。これも議論と実業が一致しないことを咎める言葉であろう。
したがって、議論と実業は寸分の狂いもなく均衡を保たねばならない。
ここで、初学の者にも理解しやすいように、「人の心事」と「人の働き」という二つの言葉を用いて、それらが互いに助け合い、均衡を保つことで人間の利益を生み出す道理と、その均衡を失うことで生じる弊害について論じていこう。
第一に、人の働きには大小や軽重の違いがある。
芝居も働きであり、学問も働きである。人力車を引くのも働きであり、蒸気船を操縦するのも働きである。鍬を持って農業をするのも働きであり、筆を執って著述するのも働きである。
しかし、役者になることを好まずに学者を志し、車夫の仕事に従事せずに航海術を学び、農業に満足せずに著作業に従事する者がいる。これは、働きの大小軽重を弁別し、些細な仕事を捨て、より重要な仕事に従う者であり、人間としての美徳と言える。
では、この選択を促すものは何か。それは本人の心事、つまり志である。
このような志を持つ者を「心事高尚なる人物」と呼ぶ。したがって、「人の心事は高尚でなければならない。心事が高尚でなければ、働きもまた高尚にはなり得ない」と言うのである。
第二に、人の働きは難易に関係なく、その有用性の大小がある。
囲碁や将棋といった技芸も決して簡単なものではない。これらの技芸を研究し、工夫を凝らす難しさは、天文学、地理学、機械学、数学などと変わらない。しかし、その有用性を比べれば、まったく同列に論じることはできない。
今、この有用無用を明確に区別し、有用なことに従事する者こそ、「心事の明らかなる人物」である。
したがって、「心事が明らかでなければ、人の働きは徒労に終わり、何の成果も得られない」と言うのである。
第三に、人の働きには規則がなければならない。
働きをなすには、場所と時節を考慮しなければならない。
例えば、道徳の説法は価値あるものだが、宴会の最中に突然これを唱えれば、単に人々の嘲笑を買うだけである。
書生の激論も時には面白いが、親戚や子供たちが集う団欒の場でこれを聞かされれば、発狂者としか思われないだろう。
このように、場所と時節を見極め、適切な規則に従う者こそ、「心事の明らかなる人物」である。
働きが活発であっても、明智がなければ、蒸気があるのに機関のない機械のようなものであり、船に舵がないのと同じである。ただ無駄に動くだけで、利益を生むどころか、かえって害をなすことが多い。
第四に、前述した条理とは逆に、心事ばかり高尚であって、働きが伴わないのも、また甚だ不都合なことである。
心事が高尚でありながら働きに乏しい者は、常に不平を抱かざるを得ない。
世の中を見渡し、仕事を求める際に、自らの手に適した仕事を探そうとするが、それはすべて自分の心事に比べて価値が低いものと見なしてしまう。
そのため、どの仕事にも満足できず、かといって自分の理想を実現するほどの実行力もない。結果として、自らの無能を反省することなく、すべてを他者のせいにし、「時勢が悪い」「天命が至らない」などと嘆き、まるでこの世に自分が従事すべき仕事が何もないかのように思い込み、ひたすら悶々と悩むのみである。
このような者は、口では不平を述べ、顔には不満を表し、周囲の人々を敵視し、世間全体を不親切なものと見なすようになる。
この心情を形容すれば、「かつて他人に金を貸したこともないのに、返済が遅いと文句を言う者」と言えるだろう。
儒者は「自分を評価する者がいない」と嘆き、書生は「自分を助ける者がいない」と嘆き、役人は「出世の道がない」と嘆き、商人は「商売が繁盛しない」と嘆き、士族は「生活の手段がない」と嘆き、華族は「自分を敬う者がいない」と嘆く。
こうした不平が、今日の世間には溢れているように見える。
もし証拠を得たいのであれば、日常の人々の表情をよく観察すればよい。快活で胸の内に喜びが溢れているような人物は、世の中にほとんどいない。
このように不平不満が充満しているのは、心事と働きが適切に均衡を保たれていないからである。
口に不平を述べ、顔にも不満を表し、身の周りのすべてを敵視し、世間全体が自分に対して不親切であるかのように感じる。
この心の状態を例えるならば、一度も人に金を貸したことがないのに、返済の遅れを恨む者のようなものだ。
儒者は「自分を理解してくれる者がいない」と嘆き、書生は「自分を助けてくれる者がいない」と嘆き、役人は「立身出世の機会がない」と嘆き、商人は「商売が繁盛しない」と嘆き、廃藩の士族は「生計の道がない」と嘆き、官職を離れた華族は「自分を敬う者がいない」と嘆く。
こうした嘆きが、朝に夕に繰り返され、日々の生活の中に楽しみを見出すことができない。
今の世間には、このような不平不満が非常に多いと感じる。
その証拠を求めるならば、日常の交際の中で、人々の表情をよく観察すればよい。
言葉や顔つきが明るく、心の中から楽しさが溢れ出るような人は、世の中にはほとんどいない。
私自身の経験から言えば、人々が楽しんでいる様子を見ることは稀であり、むしろ憂いに沈んでいる様子ばかりが目につく。もし彼らの顔を借りて、不幸な知らせを伝えることがあれば、まさにその場にふさわしい表情をしていると言えるほどである。
なんとも気の毒な状況ではないか。
もしこれらの人々が、それぞれ自分の能力に応じて仕事に励むことができれば、自然と生き生きと働く楽しみを見出し、次第に事業を発展させ、やがては心の志と実際の仕事が釣り合う状態に至るはずである。
しかし、彼らはそのことに気づかず、実際の仕事の水準は一のまま、心の志は十の高さにとどまり、一にいて十を望み、十にいて百を求める。そして、それを求めても得られず、ただいたずらに不満を抱えるのみである。
これを例えるならば、石の地蔵に飛脚の魂を入れるようなものであり、中風の患者に神経の鋭敏さを増したようなものである。
その不平不満がどれほど大きなものになるかは、容易に推測できる。
また、志が高くても実際の働きが伴わない者は、周囲から疎まれ、孤立することがある。
自分の働きと他人の働きを比較すれば、もともと及ばないことは明らかである。しかし、自分の志の高さを基準として他人の働きを評価すると、それに満足できず、ついには内心で軽蔑するようになってしまう。
軽々しく他人を軽蔑する者は、必ずまた他人からも軽蔑されるものである。
互いに不満を抱き、互いに軽蔑し合い、最終的には「変人」「奇人」として世間から嘲笑され、人付き合いができなくなってしまうのだ。
今の世の中を見渡すと、傲慢で無礼な態度をとるために人から嫌われる者がいる。
また、人に勝ちたいと思うあまりに、人から疎まれる者がいる。
さらには、他人に過剰な要求をするために、敬遠される者がいる。
また、他人を誹謗中傷するために、嫌われる者もいる。
いずれも、他人との関係において適切な比較をせず、自分の高尚な志を唯一の基準として、それに照らして他人の働きを見下し、その結果、ますます世間と隔絶し、自ら人を避けて孤独の世界へと陥るのである。
試みに言う。後進の若者たちよ、もし他人の仕事を見て「これは満足できない」と思うならば、自らその仕事を実際に行って試すべきである。
もし他人の商売を見て「下手だ」と思うならば、自分でその商売に従事し、その難しさを経験すべきである。
もし隣の家の家計管理を見て「ずさんだ」と思うならば、自分の家でそれを試し、より良い管理法を実践すべきである。
もし他人の著作を批評しようとするならば、自ら筆を執って書を著し、その困難さを理解すべきである。
もし学者を批評しようとするならば、自分自身が学者となり、学問の道に従事すべきである。
もし医者を批評しようとするならば、自ら医学を学び、医療の実務を担うべきである。
大きなことから小さなことに至るまで、もし他人の仕事について口を挟もうとするならば、まずは自らその仕事を実際に行い、その立場を経験しなければならない。
もし職業がまったく異なるのであれば、その仕事の難易度や重要性をよく考え、異なる分野であっても、自分と他人の働きを適切に比較するならば、大きな誤りはないであろう。

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十七編

人望論
世の中には、「あの人は信頼できる」「頼もしい」「この人に任せれば間違いない」「必ず成功させるだろう」と、周囲の人々があらかじめ期待し、その人物に責任や仕事を託すことを当然と考える者がいる。このように、人々から信頼を集める人物を「人望を得る人物」と呼ぶ。
人間社会において、人望の大小や軽重はさまざまだが、少しでも他人に期待されることがなければ、何の役にも立たない人間になってしまう。例えば、わずか十銭を預けられ、買い物を頼まれるような者であっても、その十銭分だけは信用されているわけであり、それなりに人望があるといえる。これが一円、千円、さらに何百万円という大金を動かす銀行の支配人や、国や地方の行政を司る官僚の立場になれば、もはや単なる金銭の管理ではなく、国民の暮らしや財産、さらには名誉や恥辱までも左右する責任が生じる。したがって、そうした重責を担う者は、普段から人望を得て、周囲の信頼を勝ち取っていなければ到底務まるものではない。
人が他人を信用しないのは、その人物を疑っているからである。しかし、人を疑い始めると際限がない。監視役を置いたと思えば、その監視役を監視する者が必要となり、さらにその者を監視する者が求められる。こうして取り締まりばかりが増え、肝心の仕事は何も進まなくなるという奇妙な話は、古今東西にいくらでも例がある。
また、世の中には「三井・大丸の商品なら間違いない」と値段も確認せずに買う者や、「馬琴の作品なら面白いはずだ」と題名を聞いただけで注文する者が多い。その結果、三井・大丸の商売はますます繁盛し、馬琴の書物も広く売れる。これはすなわち、人望を得ることの重要性を示している。
「十六貫の力を持つ者に十六貫の荷を運ばせ、千円の財産を持つ者に千円を貸せ」と言うならば、人望や評判など不要で、実力や資産だけを頼りにすればよいということになる。しかし、現実の社会はそう単純ではない。十貫の力もない者が何百万貫の荷を動かし、千円の財産すらない者が何十万もの金を運用することもある。試しに、名の通った大商人の帳簿を一斉に調べてみれば、計算上は何百、何千円もの赤字を抱えている者もいるだろう。しかし、彼らが貧乏人のように扱われないのは、彼らに人望があるからである。
したがって、人望とは単なる力や財産の有無に基づくものではなく、その人物の知恵や誠実さによって築かれるものである。これこそが当然の理屈なのだが、歴史を振り返ると、しばしば逆の例も見受けられる。藪医者の診療所が繁盛し、売薬商が派手な看板で大儲けし、山師が空の金庫を立派な帳場に飾り、学者の書斎に読めない原書が並び、人力車の中で新聞を読む者が帰宅して昼寝をする。また、日曜日に教会で涙を流す者が、月曜日の朝には夫婦喧嘩をしている。このように、善悪が入り混じり、真偽が分かりにくい世の中では、人望があるかどうかで人物の真価を判断するのは危険なこともある。
そこで、見識のある立派な人々の中には、世間の栄誉を求めず、それを虚名として意図的に避ける者もいる。しかし、物事を極端に論じると、どんな事柄も弊害を伴う。栄誉を求めるか否かを論じる前に、まず栄誉とは何なのかを明らかにすべきだ。それが単なる虚名、すなわち派手な玄関や金の看板のようなものであれば、避けるのが賢明だろう。しかし、社会は虚構だけで成り立っているわけではない。人の知恵や徳は木のようなものであり、人望や名声は花のようなものである。木を育てて花を咲かせるのに、わざわざ花を摘んでしまう必要はない。名誉を避けることが賢明な場合もあるが、それを一概に捨て去るのは、木の存在そのものを隠してしまうようなものだ。それでは、人々に役立つことはできない。
では、栄誉や人望は求めるべきものなのか?結論としては、努力して得るべきものである。ただし、その求め方には適切な分をわきまえることが大切だ。ちょうど、一升の米を正しく量るように、人の才徳も適正に評価されるべきである。巧みに量る者は一斗の米を一斗三合に見せ、下手な者は九升七合しかないように扱う。しかし、才徳の評価に関しては、その誤差は二、三分では済まされず、正しく評価される者は本来の実力の二倍、三倍の働きを見せ、誤って低く評価される者は半分の力も発揮できなくなる。
孔子は「君子は人の己れを知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う」と説いた。しかし、この言葉を誤解した者たちが、極端に内向的になり、無口で感情を見せない人物を「奥ゆかしい先生」として崇めるようになったのは、人間社会の奇妙な現象である。
もしこの閉鎖的な風潮を改め、活発に世の中と関わり、多くの人々と交際し、自らの能力を社会のために発揮しようとするならば、まず言葉を学ぶべきである。文章を書いたり、書簡を交わすことも重要だが、直接相手と対話する力に勝るものはない。ゆえに、言葉はできるだけ流暢で活発であるべきだ。近年、演説会が開催されるようになったが、これは有益な情報を得るだけでなく、話し手も聞き手も言語能力を鍛える機会となる。
また、人と交わる際には、表情や態度が重要である。媚びへつらうのは論外だが、終始無表情で、まるで喪に服しているかのような態度も、人間関係を損なう。表情が明るく、快活であることは、人徳のひとつであり、良好な交際を築く上で欠かせないものである。
人の顔つきは、家の門のようなものである。広く人と交際し、自由に人を迎え入れるためには、まず門を開き、入り口を掃除し、訪れる人が気持ちよく入れるように整えることが重要である。にもかかわらず、現代の人々は、人と交わろうとするにもかかわらず、表情を和らげることに無関心であるどころか、偽善者を真似て、わざと陰鬱な表情を作る者すらいる。これは、家の門前に骸骨を吊るし、棺桶を置くようなものであり、誰も近づこうとはしないだろう。
世界でフランスが文明の中心とされ、知識の普及が進んでいるのも、その国民が活発で気軽な性格を持ち、言葉や表情が親しみやすいことが理由の一つとされている。しかし、人によっては「言葉や表情は生まれつきのものであり、努力で変えることはできない」と主張するかもしれない。だが、人の知性の発達には限界がなく、努力すれば進歩しないものはない。手足の筋肉を鍛えるのと同じように、言葉や表情も磨くことができるのだ。
それなのに、日本では古くからこの大切な心身の働きを軽視し、改善しようとしないのは、大きな誤りではないか。だからこそ、私は、特別に「言葉や表情の学問」を設けようとは言わないが、これらを人間の徳の一つと見なし、日々心掛けるべきだと提案する。
また、「表情を良くするというのは外見を飾ることに過ぎず、人間関係の本質にはならない」と反論する者もいるかもしれない。その意見には一理あるが、虚飾は交際の弊害であって、本質ではない。過剰な装飾や見栄は、人間関係に悪影響を及ぼすこともある。しかし、だからといって、すべての飾りを排除すればよいというものでもない。たとえば、食事の目的は栄養を取ることだが、食べ過ぎれば健康を害する。それでも、だからといって「食事そのものが害だ」とはならないのと同じである。
本当に大切なのは、交際において真心を持ち、誠実であることだ。親子や夫婦ほど親密な関係はないが、その関係を支えるのは、まさに誠実さと率直さである。表面上の飾りを排し、真心だけで結びつく関係が理想だ。だからといって、一般的な人間関係において、親子や夫婦のような深い絆を求めるのは非現実的だ。しかし、人と交わる際に、率直で誠実であることを心掛けることは十分可能である。
世間では、「あの人は気さくな人だ」「遠慮がない」「さっぱりしている」「男らしい」「おしゃべりだが楽しい」「口数は少ないが親切」といった評がよく聞かれる。これらは、実は家族関係に見られる特徴を社会の中で評価している証拠であり、交際における誠実さが重要であることを示している。
次に、「道が異なれば交わることはできない」という言葉があるが、これを誤解し、学者は学者と、医者は医者とだけ交わるべきだと考える者もいる。同じ学び舎で過ごした仲間でも、一人が商人になり、もう一人が役人になれば、急に距離を取ることがある。これは大きな誤りである。
人と交わるには、旧友を忘れないだけでなく、新しい友人を積極的に求めるべきだ。人と関わらなければ、お互いの考えを知ることもできず、人物を理解する機会もない。世の中を見渡せば、偶然の出会いが一生の友となることが珍しくない。十人と会えば、一人は生涯の友となるかもしれない。二十人と交われば、その機会は二倍に増える。人を知り、人に知られることの始まりは、こうした広い交際の中にある。
世間での評判や名声の話は一旦置いておくとしても、交友関係が広ければ、日常生活でも何かと便利である。例えば、かつて船で同席した人と、後日銀座で偶然再会し、助け合うことがあるかもしれない。今年、出入りしている八百屋の店員が、来年旅先で病気になったときに助けてくれることもあるだろう。人は鬼でも蛇でもなく、特に自分を害しようとする者などほとんどいない。恐れることなく、率直に人と接するべきである。
交際を広げるには、多方面にわたる関心や趣味を持つことが重要だ。学問で交わるもよし、商売を通じて関係を築くもよし、書画を愛する者と集うもよし、囲碁や将棋を楽しむもよし。悪事でなければ、どんな手段でも友を増やす手立てとなる。何の才能もない者であれば、一緒に食事をするだけでもよいし、茶を飲むのでもよい。さらには、力自慢の者同士であれば、腕相撲や角力(すもう)を楽しむのも一つの方法だ。
一見すると、腕相撲と学問では「道が違う」と思われるかもしれない。しかし、世界は広く、人間関係は多種多様である。井戸の中で日々を過ごす魚のように、限られた世界に閉じこもるのではなく、積極的に外へ出て人と関わるべきだ。どんな相手であれ、無理に遠ざけるようなことはしないほうがよい。

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