日本語訳を記しています。
原著:岩波書店版「二宮翁夜話」
著者:福住正兄 筆記
佐々井信太郎 校訂
翁は言った 、誠の道とは、生まれつき人が自然に知り、身につけるものであり、学ぶことや習うことによらず、自ずと身に備わるものである。この道には書物や記録がなく、師匠もいない。それにもかかわらず、人はその道を自ら理解し、決して忘れることがない。これこそが誠の道の本質である。
喉が渇けば水を飲み、腹が減れば食事をとり、疲れれば眠り、目覚めれば活動を再開する。これらはすべてその例だ。古い歌に「水鳥が行き帰りする跡は消えても、その道は忘れることがない」とあるように、この道には記録も書物も必要ない。学ばず、習わずして明らかでない道は、誠の道ではない。
自分が説く教えでは、書物を重んじない。天地そのものを経文と見なすからである。自作の歌にも「音もなく、声もなく、天地は常に書かれざる経文を繰り返している」と詠んだ。このように、日々天地が繰り返し示す経文の中に、誠の道は明確に現れている。この尊い天地の経文を差し置いて、書物に道を求める学者たちの議論には価値がない。
人は目を開き、天地の経文を拝し、それをもとに誠の道を求めるべきである。世界の水平は水面によって極まり、垂直は垂らした糸によって極まる。このように、万古不変の基準があるからこそ、地球の測量が可能になる。この基準を無視して測量の術を施すことなどできない。
また、暦道で天体の動きを測る方法や、算術の九九のようなものもすべて、自然の規範に基づいており、万古不易のものである。これらがあるおかげで、天文を考え、暦法を算出することができるのだ。もしこれを外すならば、どれほどの知者であっても、術を施すための基準を持てないだろう。
誠の道も同じである。天が言葉を発することなく、四季が巡り、あらゆるものが成り立つのは、書かれざる経文、不言の教えによるものだ。たとえば、米を蒔けば米が実り、麦を蒔けば麦が実るように、それは万古不易の道理である。この道理に基づき、誠の道をもとにして誠を尽くすことに努めなければならないのである。
翁は言った、世界は絶えず旋転し、止まることがない。寒さが去れば暑さが訪れ、暑さが去れば寒さが訪れる。夜が明ければ昼となり、昼が過ぎればまた夜となる。また、万物は生じては滅び、滅んでは生じる。これは、たとえば銭を使えば品物が手に入り、品物を使えば銭が得られるのと同じことである。
眠っても目覚めても、座っても歩いていても、昨日は今日になり、今日は明日になる。田畑も海も山も、すべてこの法則に従う。この場所で薪を燃やして減らした分は、山林で新たな木が生える。また、この場所で消費しただけの穀物は、田畑で新たに育つ。野菜や魚類にしても同じで、世の中で減る分だけ、田畑や川、海、山林で新たに生育する。
生まれた子どもは、時を経て成長し、築かれた堤は時とともに崩れる。掘られた堀は、日々夜々のうちに埋まり、葺かれた屋根は日々夜々に腐る。これが天理の常である。しかし、人道はこれとは異なる。
なぜか。それは、風雨が不規則に変わり、寒暑が巡るこの世界で、人は毛も羽もなく、鱗や殻もない裸体で生まれてくるからだ。家がなければ雨や露をしのぐことができず、衣服がなければ寒さや暑さをしのぐことができない。そこで、人道というものが立てられ、米を善しとし、雑草を悪しとし、家を造ることを善とし、壊すことを悪とする。これらはすべて、人のために立てられた道であり、ゆえに人道というのだ。
天理から見れば、そこに善悪はない。その証拠に、天理に委ねられた世界では、すべて荒地となり、開闢の昔の状態に戻る。なぜなら、これこそ天理の自然の道だからだ。天には善悪の区別がない。したがって、稲と雑草を区別することなく、種があればすべてを生育させ、生気があるものはすべて発生させる。
人道は天理に従うと言っても、その中でさまざまな区別を設ける。たとえば、稗や雑草を悪とし、米や麦を善とするように、すべて人の都合に便利なものを善とし、不便なものを悪とする。この点において、人道は天理と異なる。なぜなら、人道は人が立てたものであるからだ。
人道はたとえば料理のようなものであり、三杯酢のようなものだ。歴代の聖主や賢臣が、塩梅を工夫して作り上げてきたものなのである。ゆえに、人道はしばしば破れそうになる。そのため、政治を立て、教えを立て、刑法を定め、礼法を設ける。こうして、煩雑で手間のかかる世話を焼き、ようやく人道は成り立つのだ。
これを天理自然の道だと思うのは、大きな誤りである。よく考えるべきである。
翁は言った、人道とはたとえば水車のようなものだ。その形は半分が水の流れに従い、半分が水の流れに逆らって回転する。もし水車全体が完全に水中に沈めば回転せず、そのまま流されるだけになる。また、水から完全に離れれば回転することはできない。
仏家で言う「知識」のように、世間を離れ、欲望を捨て去るのは、水車が水を離れたのに似ている。また、凡庸な人が教義を聞かず、義務を知らず、私欲にのみとらわれるのは、水車が丸ごと水中に沈んだのに似ている。どちらも社会の役に立たない。
したがって、人道は中庸を重んじるべきである。水車の中庸とは、水に適度に入り、半分は水に従い、半分は水流に逆らって回転し、その運転が滞りなく続く状態である。人の道もこれと同じで、天理に従って種を蒔き、天理に逆らって草を取り除き、欲望に従って家業に励み、欲望を抑えて義務を思うべきである。
翁は言った、人道とは人が作り出したものであり、自然に行われる天理とは別のものである。天理とは、春には万物が生じ、秋には枯れる。火は乾燥したものに付着し、水は低い方へ流れる。昼夜が循環し、万古不変であるのが天理である。
人道は、日々夜々にわたり人の力を尽くし、保護して初めて成り立つ。ゆえに、天道の自然に任せていれば、人道はたちまち衰えて行われなくなる。したがって、人道は、情欲のままに任せると成り立たない。
たとえば、広大な海の上に道がないのと同じである。船道を定め、それに従わなければ、岩にぶつかる。道路も同様で、自分の思うままに進むと、行き止まりに突き当たる。言語についても同じで、好き勝手に言葉を発すれば、たちまち争いを生む。こうしたことから、人道とは、欲望を抑え、感情を制御し、努めに努めて成り立つものなのだ。
たとえば、美食や美しい服を欲するのは天性の自然である。しかし、それを堪え忍び、家産の範囲内に収めなければならない。また、身体の安逸や贅沢を願うのも同様だ。好む酒を控え、安逸を戒め、望む美食や美服を抑え、限られた分限を見直して余裕を生じさせる。そしてその余裕を他者に譲り、将来に備えるのが人道というものである。
翁は言った、人々が卑しむところの畜道は、天理自然の道である。一方で、尊ぶところの人道は、天理に従っているようでありながらも、実際には人の作為による道であって自然ではない。なぜなら、畜道とは、雨に濡れ、日光に照らされ、風に吹かれ、春には青草を食べ、秋には木の実を食べる。有るときは満足するまで食べ、無いときは食べずに過ごす。このあり方こそが自然の道である。
一方で、居宅を作り風雨をしのぎ、蔵を作って米や粟を貯え、衣服を作って寒暑を防ぎ、四季を通じて米を食べるというのは、まさしく作為の道である。このように見れば、人道が自然の道ではないことは明白である。
自然の道は万古不変であり、廃れることはない。しかし、作為の道は、人が怠ればたちまち廃れる。それにもかかわらず、人々が自らの作為の道を誤り、これを天理自然の道と錯覚するがゆえに、願いは叶わず、思いも実現しない。そしてついには「我が世は憂世なり」と嘆くに至るのだ。
たとえば、人道とは、荒々しい原野の中から土地が肥沃で草木が繁茂する場所を田畑とし、その地に草が生えないことを願うことである。一方で、土地が痩せて草木が繁茂しない場所を秣場(まぐさ場)とし、そこで草が繁茂することを願う。このように、人道は作為の道であり、自然の道ではない。自然の道とは遠く隔たった理であることを理解しなければならない。
翁は言った、天理と人道の違いをよく弁別する者は少ない。人に身があれば欲があるのは天理であり、それは田畑に草が生えるのと同じである。また、堤が崩れ、堀が埋まり、橋が朽ちるのも天理である。
ゆえに、人道は私欲を制御することを道とし、田畑の草を取り除くことを道とし、堤を築き直し、堀を掘り直し、橋を掛け替えることを道とする。このように、天理と人道は全く異なるものであるため、天理は万古不変であるが、人道は一日でも怠ればたちまち廃れてしまう。
そのため、人道は勤めることを尊び、自然に任せることを尊ばない。人道において勤めるべきことは「己に克つ(おのれにかつ)」という教えである。「己」とは私欲のことであり、私欲は田畑にたとえれば草にあたる。「克つ」というのは、田畑に生える草を取り除くことを指す。己に克つというのは、自分の心の田畑に生じる草を削り捨て、取り除き、心の中の米や麦を繁茂させるために努めることである。これこそが人道というものだ。
『論語』にある「己に克ちて礼に復る」とは、この勤めのことである。
翁は常々仰った、人間界に生きながら、家の屋根が漏るのをただ見過ごし、道路の破損を傍観し、橋が朽ちるのを憂いもしない者は、人道における罪人である。
翁は言った。世の中における誠の大道はただ一本の筋である。「神」と呼び、「儒」と言い、「仏」と称するのは、すべて同じ大道に入るための入り口の名にすぎない。また、「天台」や「真言」、「法華」、「禅」などと呼ばれるものも、同じく入り口の小道の名前にすぎない。
いかなる教えや宗旨というものも、 たとえば、清らかな水があり、その水で藍を溶かして染めることを「紺屋」と呼び、同じ水で紫を溶かして染めることを「紫屋」と呼ぶようなものだ。その源は一つの清水である。しかし紫屋の者は「我が紫の妙なること、この水で染まる反物で紫ならざるものはない」と誇り、紺屋の者は「我が藍の徳たるや、広大無辺である。一度この瓶に入ればすべて紺となる」と言うようなものだ。
そのため、紺に染まった宗派の者は「我が宗の藍より尊いものはない」と思い、紫の宗派の者は「我が宗の紫ほど尊いものはない」と言う。これらは皆、「三界城内(この世の迷いの中)」で立ち止まり、抜け出せない者たちである。
しかし、紫も藍も、大地にこぼれ落ちれば、元の清水に戻り、紫も藍も脱して本然の清らかな水に帰る。これと同じように、「神」「儒」「仏」から始まり、「心学」「性学」など数多くの名が挙げられるが、これらはすべて大道の入り口の名にすぎない。この入り口がいくつあっても、至る先はただ一つの誠の道である。これを別々に道があると思うのは迷いであり、別々であると教えるのは邪説である。
たとえば富士山に登るようなものだ。先達に従い、吉田口から登る者もいれば、須走口から登る者もいるし、須山口から登る者もいる。しかし、その登り切った絶頂に至れば、皆が同じ場所にたどり着く。このようでなければ、真の大道とは呼べない。
しかし、「誠の道に導く」と称しながら、誠の道には至らず、無益な枝道に誘うものがある。これを邪教と言う。また、誠の道に入ろうとして、邪説に欺かれ枝道に入り、さらに自ら迷い邪道に陥る者も少なくない。慎重でなければならないのだ。
越後国の生まれで、笠井亀蔵という者がいた。ある事情で二宮先生の下僕となった。そこで二宮先生は亀蔵に説いて言った。
「汝は越後の出身だな。越後は上国(優れた国)と聞いている。どうしてその上国を去り、他国に来たのだ?」
すると亀蔵は答えた。
「越後は上国ではありません。田畑の値段が非常に高く、田地の収穫(田徳)が少ないのです。それに比べて江戸は大都会であり、金を得るのも容易であると考え、江戸に出てきました。」
翁はこれに対して言った。
「汝は過ちを犯している。越後は土地が肥沃であり、そのため食物が多い。食物が多いので人が多く集まり、人が多いので田畑の値段が高い。田畑の値段が高いから利益が薄い。こうした理由で『田徳が少ない』と言うが、これは間違いだ。少ないのではなく、むしろ田徳が多いのだ。田徳が多く、土地の恵みが大きいからこそ田畑が高価になるのだ。
それを下国(価値の低い国)と見なして故郷を捨て、他国に流浪するのは大きな過ちである。この過ちに気づいたならば、すぐにそれを改めて帰国すべきだ。越後に匹敵する上国は他にほとんどない。それを下国と見たのは汝の誤りだ。これを例えるならば、暑い時期に蚯蚓(みみず)が土中の熱さに耐えかねて、『土中はひどく熱い。外に出れば涼しい場所があるだろう。土中にいるのは愚かだ』と考え、地上に出て日光に照らされて死んでしまうようなものだ。
蚯蚓は土中にいるべき性質であり、土中にいるのが天から与えられた分なのだ。だからどれほど土中が暑くても外を望まず、本性に従って土中に潜んでいれば無事安穏でいられる。それを心得違いして地上に出たのが運の尽きであり、迷いから災いを招いたのだ。
汝もそれと同じである。越後という上国に生まれながら、『田徳が少なく、江戸に出れば金を得るのは容易だろう』と考え違いをし、故郷を捨てたのが迷いの元だ。そして、その迷いが自ら災いを招いたのだ。
だからこそ、今この過ちを改めて速やかに国に帰り、小さな努力を積み重ねて大きな成果を得る道を努めるほかはない。心が誠にこのことを理解すれば、おのずと安堵の地を得るのは間違いない。
しかし、もしも迷い続けて江戸で流浪を続ければ、結局は蚯蚓が土中を離れて地上に出たのと同じ結果になるだろう。この理をよく悟り、自らの過ちを悔い改め、安堵の地を求めよ。それができなければ、たとえ今千金を与えようとも何の役にも立たないだろう。私の言うことは決して間違いない。」
翁は言った。親が子を育てること、農民が田畑を耕すことは、私の道と同じだ。親が子を育てても、その子が無頼者になる場合もあるが、それでも養育費を惜しむことはできない。また、農民が田を耕しても、不作の年には肥料代や仕立ての費用がすべて損失になることもある。
この道を歩もうとする者は、この理(ことわり)をよく理解しなければならない。私が最初に小田原から下野の物井陣屋に至り、己の家を捨てて四千石の復興にすべてを賭けたのも、この理に基づいてのことだ。
釈迦の教えでは「生者必滅」(生きているものは必ず滅びる)の理を悟り、この理を拡大して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日に至るような道を広めてきた。ただこの一理を悟っただけのことである。
人は生まれた以上、必ず死ぬことは避けられない。長寿といっても百年以上生きるのは稀であり、その命には限りがあるのは明らかだ。若死にであろうと長寿であろうと、それはささいな違いにすぎない。たとえば蝋燭の大きさに大中小があるようなものだ。大きな蝋燭であっても、火が灯れば四時間か五時間で燃え尽きるだろう。
したがって、人は生まれたからには必ず死ぬものだと覚悟すべきだ。一日生きればその分一日分の利益、一年生きれば一年分の益を得たことになる。元来、この身も我が家も本来は何もないものだと覚悟すれば、その後はすべてが儲けである。
私が詠んだ歌に、「仮の身を元の主に貸し渡し、民が安らかであることを願うこの身である」とある。この世は人も私も一時的な仮の世であり、この身が仮のものであることは明白だ。元の主とは天を指している。この仮の身を自分のものだとは思わず、生涯を世のため、人のために捧げ、国や天下のために益あることだけに努める。
一人でも一家でも一村でも困窮を免れ、富み栄えるようにする。土地を開き、道や橋を整え、人々が平穏に暮らせるようにすることだけを日々の務めとし、朝夕願い祈り続ける。このような覚悟で私の身は成り立っているのだ。
これこそ私の生涯をかけた覚悟である。この道を歩もうとする者は、この覚悟を知らなければならない。
ある儒学者が言った。「孟子は易しく、中庸は難しい」と。これに対し、翁は言った。
「私は文字上のことは詳しくは知らない。しかし、これを実地の正しい仕事に移して考えると、孟子は難しく、中庸は易しい。その理由を述べよう。
孟子の時代には、道が行われず、異端の説が盛んだった。そのため、孟子は弁明に努めて道を開こうとしたに過ぎない。だから、仁義を説きながらも仁義から遠い状況であったのだ。卿たちが孟子を易しいとし、孟子を好むのは、それが自分たちの心に合うからだ。
卿たちが学問をする目的は、仁義を実際に行うためではなく、道を実践するために修行するわけでもない。ただ書物上の議論に勝ちさえすれば、それで学問の道は十分だと考えている。議論が達者で人を言い伏せることができれば、それで儒者の務めは果たされたと思っている。しかし、聖人の道がそのようなものであるはずがない。聖人の道は、仁を実践することにあり、五倫五常を行うことにある。どうして弁論で人に勝つことを道としようか。どうして人を言い伏せることを務めとしようか。それが孟子のあり方である。このようなものを聖人の道とするならば、非常に難しい道となる。簡単には行うことはできない。だから私は孟子を『難しい』と言うのだ。
一方、中庸は通常の平易な道である。一歩ずつ二歩三歩と進むように、近くから遠くへ、低いところから高いところへ、小さいことから大きいことへと至る道であり、本当に行いやすい道だ。たとえば、百石の資産を持つ者が勤倹を励み、五十石で暮らし、残りの五十石を譲って国の益を図るのは、実に行いやすいことだ。愚かな男や女にもできないことではない。
この道を行えば、学ばずとも、仁であり義であり忠であり孝となる。また、神の道や聖人の道も、一挙に実践されるだろう。極めて行いやすい道なのだ。だから『中庸』と呼ばれるのである。
私は人々に教える際に『私の道は分限を守ることを本とし、その分の内から譲ることを仁とする』と説いている。これこそまさに中庸であり、行いやすい道ではないか。」
翁は言った。
「道を行うことは難しい。道が行われていない状況が長く続いている。その才があっても、その力がなければ道は行われない。その才と力があっても、徳がなければまた道は行われない。その徳があったとしても、位がなければさらに道は行われない。
しかし、これは大道を国や天下に行き渡らせることについての話である。それが難しいのは当然のことである。そうであるならば、なぜそのような人材がいないことを嘆くのか。なぜその位がないことを嘆くのか。茄子を育てるのは茄子作りができる者が行えばよい。馬を肥えさせるのは馬士が行えばよい。一家を整えるのはその家の主人が行えばよいのだ。
ある場合には兄弟や親戚が力を合わせて実行することもできるし、または朋友や同志が協力して行うこともできるだろう。それぞれの人がこの道を尽くし、それぞれの家がこの道を行い、それぞれの村がこの道を行えば、どうして国家が興隆し、復興しないことがあろうか。」
翁は言った。
「世の中に何事もないと言っても、変化がないことはあり得ない。これが恐れるべき最も重要なことである。変化があっても、それを補う道があれば、あたかも変化がなかったかのように見える。しかし、変化があってそれを補うことができなければ、大変な事態に至る。
古い言葉に『三年分の蓄えがなければ、それは国とは言えない』とある。兵隊がいても、武具や軍用の備えがなければ何もできない。これは国だけの問題ではなく、家についても同じことが言える。
あらゆることにおいて、余裕がなくなれば必ず支障が生じ、家を維持することはできない。それを言うならば、国や天下においてはなおさらである。人々は私の教えを『倹約を専らにしている』と言うが、それは倹約を目的としているのではなく、変化に備えるためである。また、人々は私の道を『財を積むことを勧めている』と言うが、それも積財を目的としているのではなく、世を救い、世を開くためなのである。
古い言葉※に、『飲食を質素にして孝心を祖先や神に尽くし、衣服を粗末にして美を礼冠に費やし、住まいを質素にして力を用水路や灌漑に注ぐ』とある。この理をよく味わって考えれば、吝嗇(けち)や倹約について議論する必要もなく、その意義は明白であろう。」
※「菲飮食而致孝乎鬼神、惡衣服而致美乎黻冕、卑宮室而盡力乎溝洫。」
(論語 泰伯第八・二一)
翁は言った。
「大きな事を成し遂げたいと思うならば、小さな事を怠らずに勤めるべきである。小さな積み重ねがやがて大きなものとなるからだ。一般に、小人(しょうじん、凡人)は、大きな事を求めるあまり、小さな事を怠けてしまう。また、実現が難しいことを憂う一方で、実現が容易なことには手をつけない。こうしたために、結局大きな事を成し遂げることができなくなる。
それは、大きな成果というものが、小さな努力の積み重ねによって成り立つことを理解していないからである。たとえば、百万石の米といっても、米粒が特別大きいわけではない。万町の田を耕す仕事も、実際には一鍬ずつの労働によるものだ。千里の道も、一歩ずつ歩むことでたどり着く。山を作るのも、一かごの土を積み上げるところから始まるのだ。
これらのことをよく理解し、小さな事に励精して勤めれば、大きな事を必ず成し遂げることができるだろう。逆に、小さな事を軽んじる者が、大きな事を成し遂げることは決してないのだ。」
翁は言った。
「たとえ万巻の書物があったとしても、学びのない者には何の役にも立たない。隣の家に金貸しがいても、自分に借りる力がなければどうしようもない。向かいに米屋があっても、銭がなければ米を買うことはできない。
だからこそ、書物を読もうと思うならば、まずは『いろは』から学び始めるべきだ。家を興そうと思うならば、小さな努力を積み重ねることから始めなければならない。この他に方法はないのだ。」
翁は言った。
「多く稼ぎ、銭を少なく使い、多くの薪を取っても焚くことを控える。これこそが富国の大本であり、富国の達道である。それにもかかわらず、世間の人々はこれを吝嗇(けち)と言い、また強欲と批判する。これは物事を誤解している。
人道というものは、自然に任せるのではなく、勤勉によって成り立つ道であるからこそ、貯蓄を重んじるのである。この貯蓄とは、今年の収穫を来年に譲るという、一つの譲る道である。親が自身の財産を子に譲るのも、貯蓄という法に基づいているのだ。
人道を突き詰めて言えば、それはすべて貯蓄という一つの方法に尽きる。だからこそ、これを富国の大本であり、富国の達道と呼ぶのである。」
翁は言った。
「米はたくさん蔵に蓄え、少しずつ炊くようにする。薪は多く小屋に積みながら、できるだけ少なく焚く。衣服は使えるように整えておき、できるだけ着ないで仕舞っておく。これこそが家を富ませる術であり、それが国家経済の根本でもある。
天下を富有にする大道も、実際のところ、この他には存在しないのだ。」
翁は、宇津氏の邸内に仮住まいをしていた。その邸内の稲荷社で祭礼があり、大道芸の神楽が来て建物の上で芸を披露していた。それを見て、先生は次のように仰った。
「すべての事をこの芸のように行うならば、どんなことでも成し遂げられないことはないだろう。彼らが舞台に出るとき、少しも騒がず、まず自分の体を落ち着け、両目を澄ませて棹(さお)の先に集中する。脇目も振らず、一心に見つめ、器具の揺れを心と腰で受け止めながら、手は笛を吹き、扇を持って舞い、足は三番叟(さんばそう)の拍子を踏む。それでも、器具の傾きを見極めて腰で調整している。その技術はまさに極め尽くされたものだ。
手が舞っていても、それは手だけで終わらず、全身に響いている。足が拍子を踏んでいても、それは足だけでなく、腰にも影響している。舞うときも、踊るときも、両目は鋭く見つめ、心を鎮め、体を安定させている。この姿にこそ、『大学』や『論語』に説かれる真理や、聖人の教えの秘訣がすべて含まれているのだ。
ところが、この神楽を見る者たちは、聖人の道とはかけ離れたものと見なし、この技術を軽んじる。儒者たちがこうした芸術を見下しているようでは、どうして国家の役に立てようか。嗚呼、技術というものは恐るべきものである。たとえば綱渡りの者が綱の上で寝たり起きたりしても決して落ちないのも、これと同じ理である。深く考えるべきことである。」
三番叟(さんばそう)は、日本の伝統芸能。式三番(能の翁)で、翁の舞に続いて舞う役、あるいはその舞事。能楽では狂言役者が演ずる。
翁は言った。
「松明が燃え尽き、手に火が近づいてきたときは、速やかにそれを捨てるべきだ。火事が起こり、危険なときには荷物を捨てて逃げ出さなければならない。大風で船が転覆しそうになったときには、船の上の荷物を投げ捨てるべきだ。さらに深刻な場合には、帆柱さえも切り倒す必要がある。
この理を理解せず、状況に応じた行動を取れない者を、至愚(きわめて愚かな者)と言うのだ。」
川久保民次郎という者がいた。彼は二宮先生の親戚であったが、貧しく、先生の僕を務めていた。あるとき、民次郎が国へ帰ろうとして暇を願い出た。その際、二宮先生は次のように仰った。
「空腹のとき、他所に行って一膳の飯をもらい、『その代わりに庭を掃除しよう』と言っても、決して飯を振る舞う者はいないだろう。しかし、空腹を堪えてまず庭を掃除すれば、あるいは一膳の飯にありつけるかもしれない。これは自分を捨てて人に従う道であり、どんな困難な状況に至っても行うべき道だ。
私が若い頃、初めて家を構えたときのことだ。一枚の鍬を壊してしまい、隣家に行って『鍬を貸してくれないか』と頼んだ。すると隣家の主人が言った。『今、この畑を耕し、菜を蒔こうとしているところだ。蒔き終わらなければ貸すのは難しい』と。
仕方なく家に戻ったものの、他にやるべき仕事がなかった。そこで私は言った。『その畑を耕して差し上げます。それから菜の種を出してください。一緒に蒔いて差し上げます』と。そして畑を耕し、種を蒔いてから鍬を借りた。その後、隣家の主人が言った。『鍬に限らず、何か困ることがあれば遠慮なく言ってくれ。必ず力になる』と。
このようにすれば、どんなことでも支障なく進むものだ。汝が国に帰り、新たに一家を持つならば、この心得を忘れてはならない。汝はまだ壮年であり、たとえ一晩寝ないとしても問題はないだろう。夜の眠る時間を使って草鞋(わらじ)を一足、あるいは二足作り、翌日それを開拓場に持ち出して、草鞋が切れたり破れたりして困っている人に渡すがよい。
もし受け取る人が礼を言わなかったとしても、元々寝る暇を使って作ったものなのだから、それで十分だ。もし礼を言う人がいれば、その分だけ徳が積まれる。また、わずかでも銭を払ってくれる者がいれば、それが利益となる。この理を深く感じ、連日怠らずに行えば、どうして志を貫けないことがあろうか。何事も成し遂げられない理由はない。私が幼少の頃に行っていた勤めも、これ以外のものではなかった。このことを肝に銘じ、忘れるな。
また、『損料(費用)を出して不足を補うのは大損だ』という人がいるが、それは間違いだ。それは事足りた人にとっての話である。新たに一家を持つときには、百事に不足がある。そのすべてを損料で補うべきだ。世の中に損料ほど便利なものはなく、また安価なものもない。決して損料を高いもの、損なものと思ってはならない。」
若者が数名いるところで、二宮先生は次のように諭された。
「世の中の人々をよく見てみるがよい。一銭の柿を買うにしても、二銭の梨を買うにしても、人々は形が真っ直ぐで傷のないものを選んで取るではないか。また、茶碗を一つ買うにも、色が好みで形の良いものを選び、手で撫でて確かめ、鳴らして音を聞き、何度も選び抜いて買うものだ。世の中の人はみなそうしている。
柿や梨は、たとえ買った後で気に入らなければ捨てることもできる。それほど些細なものであってもこのように選ぶのだ。だからこそ、人に選ばれて婿や嫁になる者や、仕官して立身出世を願う者が、自分の身に瑕(きず)があれば、人に選ばれないのは当然である。その上、瑕の多い自分を棚に上げて、『選ばれないのは上の者に見る目がないからだ』などと上司や他人を非難するのは、大きな間違いである。
自らを振り返ってみよ。きっと自分の身に瑕があるからこそ選ばれないのだ。では、人の身の瑕とは何だろうか。たとえば、酒が好きだとか、酒癖が悪いとか、放蕩癖があるとか、賭け事が好きだとか、怠惰で弱々しいとか、何の芸も持たないとか、こうした一つ二つの欠点が瑕である。そのような者を誰も買い取らないのは当然のことだ。
柿や梨にたとえれば、形が曲がり、渋そうに見えるものと同じで、買い手がつかないのは無理もない。これをよく考えるべきだ。
古い言葉に『内に誠があれば、必ず外に現れる』とある。傷のない真っ直ぐな柿が売れないということはあり得ないのだ。どれほど草深い場所にあっても、薯蕷(じょよ、自然薯)があれば、人はすぐに見つけて捨て置かない。また、泥深い水中に潜む鰻やドジョウも、人に見つけられ捕まるものだ。
だから、内に誠があって、それが外に現れない道理はない。この道理をよく理解し、自分の身に瑕がないよう心がけるべきである。」
翁は言った。
「山芋掘りをする者は、山芋の蔓を見て芋が良いか悪いかを見分ける。鰻釣りをする者は、泥土の様子を見て鰻がいるかどうかを知る。優れた農夫は、草の色を見て土地が肥えているか痩せているかを判断する。これらはすべて同じことだ。
いわゆる『至誠神の如し』といわれるものであり、長年にわたる刻苦と経験を重ねて得られる知恵と洞察である。こうした技術や芸の中には、このような奥深い理が多く含まれている。それを軽んじてはならない。」
翁は多田某に次のように仰った。
「私は徳川家康公の御遺訓というものを見たことがある。その中で家康公はこう記していた。『私は敵国に生まれ、ただ父祖の仇を討つことだけを願いとしてきた。しかし、祐誉上人の教えによって、国を安定させ民を救うことが天理にかなうものであると悟り、それ以来この道を歩んできた。子孫たちは長くこの志を継ぐべきである。もしこの志に背く者がいれば、それは私の子孫ではない。民は国の本であるからだ』と。
これを思えば、汝が遺言すべきことも明らかだ。汝はかつて、新金銀の引替御用を勤める中で、自然と増長し、驕奢(きょうしゃ)に流れた。その結果、御用の種金を使い込んで大きな借金を抱え、身代が破滅に至るところであった。しかし、報徳の方法により莫大な恩恵を受け、このように安穏に家を相続できるようになった。
この恩に報いるためには、子孫たちは代々、驕奢や安逸を厳しく禁じ、節倹を尽くし、財産の半分を世の益に推譲して、貧しい人々を救い、村里を豊かにすることに努めるべきである。もしこの遺言に背く者がいれば、それはたとえ子孫であっても子孫ではない。すぐにその者を放逐し、婿や嫁であれば速やかに離縁すべきである。我が家の株や田畑は、本来報徳の方法によるものであるからだ。
このように子孫に遺言を残せば、それは家康公の思し召しと同じであり、孝であり忠であり、仁であり義である。その子孫が徳川二代公や三代公のようにその遺言を守るならば、その功績は計り知れないだろう。また、汝の家の繁栄や長久も限りないものとなる。これをよく思考すべきである。」
翁は言った。
「農家であれ商家であれ、富家の子弟には勤めるべき仕事がない。貧しい家の者は生計を立てるために勤めざるを得ないし、富を望むがゆえに自ら勉強して努力する。一方、富家の子弟は、たとえるならば山の頂上にいるようなもので、登るべき場所がなく、前後左右がすべて眼下に見える状態だ。このため、分不相応な望みを抱き、士の真似をし、大名の真似をするようになり、増長に増長を重ね、ついには滅亡してしまう。天下の富者は皆このような道を辿る。
富貴を長く維持し、保ち続けるためには、我が道である『推譲の教え』を行うしかない。富家の子弟がこの推譲の道を実践しなければ、どれほど千百万の金を持っていようとも、馬糞茸(ばふんたけ)と何ら変わらない。
馬糞茸は季節の気候によって生じるが、長くもたずすぐに腐敗し、世の中の役には立たない。ただ無駄に生じて、無駄に滅びるだけだ。世に『富家』と呼ばれる者たちがこのような状況であるのは、なんと惜しいことではないか。」
翁は言った。
「何事も『決定』と『注意』が肝要である。なぜならば、あらゆる事柄はこの二つによって成り立つからだ。どんなに小さな事であっても、決定を怠り、注意を払わなければ、すべてが破綻する。
一年は十二ヶ月あるが、毎月米が実るわけではない。ただ初冬の一ヶ月だけ米が実り、その米を十二ヶ月間食べることができるのは、人々がそうすることを決定し、そのように注意を払っているからだ。このことから考えれば、二年に一度、三年に一度しか米が実らなかったとしても、同じように決定し、注意すれば問題は生じない。
あらゆる不足は、すべて予期していないことから生じる。したがって、人々は平常の暮らし方について、『このくらいの生活をすれば年末には余りが出るだろう』とか『不足するだろう』と予測できるはずである。それにもかかわらず、この点に気を配らず、うかうかと暮らして年の瀬になって驚くのは、愚かさの極みであり、不注意の極致である。
ある飯炊き女が言ったことだ。『毎日一度ずつ米櫃の中をかき混ぜて平均して見ていれば、急に米が不足するということは決してない』と。これは飯炊き女の見事な注意である。この米櫃をならして確認するという行為は、一家の店の帳簿を整理することに等しい。
よく決定し、注意を払うべきである。」
翁は言った。
「善悪の議論は非常に難しい。本来を論じれば、善も悪も存在しない。善という概念で物事を分けたからこそ、悪というものが生まれるのだ。善悪とは人間の私的な視点から生まれたものであり、人道の上に成り立つものだ。したがって、人がいなければ善悪は存在せず、人がいて初めて善悪が生じる。
たとえば、人は荒れ地を開拓することを善とし、田畑を荒らすことを悪とする。しかし、猪や鹿にとっては、開拓が悪であり、田畑を荒らすことが善となるだろう。世間の法では盗みを悪とするが、盗人たちの間では、盗みを善とし、それを取り締まる者を悪と見なすだろう。このように考えれば、何が善で何が悪なのかを明確に定めることは非常に難しい。
善悪を考える理で最も分かりやすいのは『遠近』の例だ。遠近や善悪の理は同じものだ。たとえば、杭を二本立て、一方に『遠』、もう一方に『近』と記す。そして、その二本をどちらが遠く、どちらが近いか判断せよと言えば、すぐに答えが出るだろう。しかし、善悪については、人間の私情が深く関わるため、このように簡単には分からない。
たとえば工事で直線か曲線かを望む場合でも、あまり目に近すぎるとその形が見えず、遠すぎると眼力が及ばない。古い言葉に『遠山には木が見えず、遠海には波が見えない』とあるように、遠近の理はその場から離れて初めて分かるのだ。これを善悪の判断にも応用するのである。
遠近という概念も、まず自分の位置が定まらなければ成り立たない。たとえば『大阪は遠い』と言えば、それは関東の人であることを示すだろう。逆に『関東が遠い』と言えば、それは上方の人であることを示す。これと同じように、禍福や吉凶、是非、得失もみな同じであり、根本的には一つのものだ。
禍と福、吉と凶、得と失は、一つの物の半面にすぎない。福を喜ぶならば、禍も受け入れざるを得ない。生を喜べば、死の悲しみが付きまとうのは避けられない。咲いた花が必ず散るのと同じであり、生えた草が必ず枯れるのと同じ理である。
『涅槃経』にこのような譬え話がある。ある家に美しく端正な女性が訪れた。主人がその正体を尋ねると、彼女は『私は功徳天です。私の来るところには吉祥と福徳が無限に訪れます』と言う。主人は喜んで彼女を迎え入れた。すると彼女が言った。『私には付き従う妹がいて、必ず後からやってきます。その妹も迎え入れてください』と。
やがて妹が現れたが、彼女は非常に醜く見苦しい姿をしていた。主人が正体を尋ねると、『私は黒闇天です。私の来るところには災害と不運が無限に訪れます』と答えた。主人は怒り、追い返そうとしたが、黒闇天は言った。『前に来た功徳天は私の姉です。姉と私は決して離れることができません。姉を留めるなら私も留めるべきです。私を追い出すなら姉も連れて行きます』と。主人は考えた末、二人とも追い出すことにした。すると二人は揃って去っていった。
これは『生者必滅』『会者定離』を説く譬えであり、禍福や吉凶、得失も同様である。生と死、禍と福、吉と凶は表裏一体であり、根本的には一つの円環である。たとえば通勤するときには『近くて良い』と言い、火事が起きれば『遠くて良かった』と言う。このように、すべては相対的である。この理をよく理解すべきである。」
翁は言った。
「禍と福は二つのものではなく、元来一つのものである。身近な例で言えば、包丁を使って茄子や大根を切るとき、それは福である。しかし、誤って指を切れば、それは禍となる。ただ、柄を持って物を切るか、誤って指を切るかの違いにすぎない。
柄だけあって刃がなければ、それは包丁とは呼べない。刃があって柄がなければ、これもまた使い物にならない。柄と刃の両方が揃って初めて包丁である。柄と刃が揃うのは包丁の本質であるが、指を切れば禍となり、菜を切れば福となる。このように、禍福とは私的な物の見方にすぎないのではないか。
水もまた同じである。畦を作り水を引けば、田地を肥やし福となる。しかし、畦を作らずに水を引けば、肥えた土を流して田地を痩せさせ、大きな禍となる。同じ水でありながら、畦があるかないかの違いで、福とも禍ともなる。
富もまた、人々が欲するものである。しかし、自分のためだけに使えば、そこには禍が付きまとい、世のために使えば福が伴う。財宝も同じであり、積み上げてそれを散じれば福となり、積み上げて散じなければ禍となる。
これらは、人々が知らなければならない理(ことわり)である。」
翁は言った。
「何事にも変通(状況に応じた柔軟な対応)というものがある。これを知らなければならない。これはいわゆる『権道』(臨機応変の道理)というものだ。
たとえば、困難なことを先に行うのは聖人の教えであるが、それは『まず仕事をしてから賃金を受け取れ』というような教えである。しかし、農家に病人が出たり、耕作や草取りが遅れたりする場合には、特別な対応が必要だ。そのような時には、草が多い場所を先に片付けるというのが一般的だが、この場合に限っては、草が少なく、手がつけやすい畑から手入れを始めるべきだ。草が非常に多く、手間のかかる場所は後回しにするのが最も重要である。
もし草が多くて手間のかかる畑から始めれば、大きな手間を取られる間に、草の少ない畑も草が茂り、結局どの畑も手がつけられなくなる。草が多く手間のかかる畑は、五畝(ごせ)や八畝(はっぽ)の面積が荒れ地になっても構わないと覚悟し、一時的に放置して、草が少なく手軽な場所から順に片付けるべきだ。そうしないで手間のかかる場所から始め、時間を費やせば、ほんのわずかな畑のために全体の田畑が順々に手遅れとなり、大きな損失を招くことになる。
国家を興復する場合も、この理と同じである。この考えを知らなければならない。
また、山林を開拓するとき、大きな木の根はそのまま放置しておき、周りを切り開くべきだ。そして三、四年が経てば、木の根は自然に朽ちて、ほとんど力を使わずに取り除くことができる。これを開拓の際に一度に掘り取ろうとすれば、労力ばかりがかかり、得られる成果は少ない。これはあらゆる事柄に共通する理である。
村里を興復しようとする場合も、必ず反対する者がいる。このような人々を処理する際にも同じ理を用いるべきだ。決して固執して争わず、障害とせず、度外視して自らの勤めに励むべきである。」
翁は言った。
「今日は冬至である。夜が長いのは天命である。夜の長さを憂いて短くしようと思っても、どうにもならない。これが天というものだ。しかし、この行灯の皿に一杯の油があるのもまた天命である。この一皿の油では、この長い夜をすべて照らすことはできない。これもまたどうすることもできない。どちらも天命である。
しかし、人事を尽くして灯心を細くすれば、夜半で消えるはずの灯も暁まで持つだろう。これが人事を尽くすべき理由である。
たとえば、伊勢参りをする者が東京から伊勢まで向かう場合、道中百里として路用に十円を用意し、往復二十日で一日五十銭と見積もるのは天命の範疇だ。しかし、もし一日に六十銭を使えば二円の不足が生じる。反対に、一日四十銭でやりくりすれば二円の余りが出る。これは、人事によって天命を伸縮できる道理の例である。
この世界は自転運動の世界であり、決して一所に留まることはない。人事の勤怠によって天命もまた伸びたり縮んだりする。たとえば、今朝焚く薪がないのは天命だ。しかし、明朝に薪を取りに行けば薪は得られる。今、水桶に水がないのも天命だが、汲みに行けば水は得られる。
あらゆることがこの理に通じるのだ。」
翁が常陸国青木村のために力を尽くされたことは、兄の大沢勇助が烏山藩の菅谷某と協力して起草し、小田某に漢文に仕上げさせた青木村興復の起案に基づくものである。この詳細についてはすでに知られているのでここでは省く。
その後、年を経て先生が近隣の灰塚村の興復方法に取り組まれた際、青木村の住民たちは、以前受けた恩に報いるため、「冥加人足」と称して、各戸から一人ずつ無賃で労働を提供することを決めた。先生はこれを確認した後、次のように仰った。
「今日ここに来て働いている人足の多くは、次男や三男であり、私がかつて特に厚く撫育した者たちではない。表面上は恩を報いる道を飾っているように見えるが、その内情はどうであるか分からない。だから私は、この『冥加人足』の提供を喜ばない。」
これを聞いた青木村地頭の用人が「私が説得しましょう」と申し出たが、先生はこれを止めて次のように仰った。
「それは道ではない。たとえ内情がどうであろうとも、彼らが旧恩に報いるためと言って無賃で数十人の人足を出しているのは事実だ。内情は問わず、その行為を称賛しないわけにはいかない。薄い恩義には厚いもので応えるべきだ。それが道というものだ。
冥加として遠路はるばる来て、無賃で私の仕事を助けてくれている彼らの行為は、実に特筆すべきことである。」とし、集まった人夫たちを丁重に称え、感謝を述べたうえで、過分な賃金を支払って帰村を命じられた。
その翌日、一日も置かずに、青木村の村民たちは老若男女を問わず、明け方から働きにやってきた。彼らは終日休むことなく懸命に働き、賃金を辞退して去ろうとしたが、先生はさらに金銭を贈り、再び感謝の意を表された。
こうした先生の厚情と行動は、村民たちの心を深く打ち、その後も協力と感謝の輪が広がった。先生の「薄に応じて厚をもって報いる」という教えが実践された場面であった。
翁は言った。
「人は一言を聞くだけで、その者が勤勉か怠惰かを見分けることができるものだ。たとえば、『東京は水さえ銭がかかる』と言う者は、怠惰な人間である。一方で、『水を売ることで銭が稼げる』と言う者は、勤勉な人間である。
また、夜がまだ九時であるのに『もう十時だ』と言う者は、寝たがる怠け者であり、『まだ九時前だ』と言う者は、勤勉な心を持つ者だ。すべての事において、下を見て比較する者は、必ず下向きで怠惰である。たとえば、『碁を打って遊ぶのは酒を飲むよりましだ』『酒を飲むのは博打よりましだ』と言うような者がそうである。
反対に、上を見て比較する者は、必ず上向きである。古い言葉に『一言以て知とし一言以て不知とす (一言でその人が知者であるか、無知であるかを見極めることができる)三二 翁曰、聖人も聖人にならむとて、聖人になりたるにはあらず、日々夜々天理に随ひ人道を尽して行ふを、他より称して聖人といひしなり、堯舜も一心不乱に、親に仕へ人を憐み、国の為に尽せしのみ、然るを他より其徳を称して聖人といへるなり、諺に、聖人々々といふは誰が事と思ひしに、おらが隣の丘が事か、といへる事あり、 誠にさる事なり、 我昔鳩ヶ谷駅を過し時、同駅にて不士講に名高き三志と云者あれば尋しに、三志といひては誰もしるものなし、能々問尋しかば、夫は横町の手習師匠の庄兵衛が事なるべし、といひし事ありき、是におなじ』とあるが、まさにその通りだ。」
翁は言った。
「聖人も、聖人になろうとして聖人になったのではない。日々夜々、天理に従い、人道を尽くして実践していく中で、その行いを他の人が称えて聖人と呼んだだけのことだ。堯や舜もまた、一心不乱に親に仕え、人々を憐れみ、国のために尽くしたにすぎない。それを他の人々がその徳を称え、聖人と呼んだのだ。
諺に、『聖人、聖人と言うが、それは誰のことかと思えば、私たちの隣の丘の人のことか』という言葉があるが、まさにその通りである。
私が昔、鳩ヶ谷駅を通りかかった際、同駅で『不士講』という名高い人物がいると聞き、尋ねてみたことがある。ところが、『三志(さんし)』と呼ばれているその人物を誰も知らなかった。さらに詳しく問うと、『それは横町の手習い師匠である庄兵衛のことではないか』という答えが返ってきたことがあった。これもまた同じような話である。」
翁は次のような出来事を語られた。
下館藩の宝蔵が火災に遭い、重宝である「天国の剣」が焼けてしまった。藩の官吏が城下の富商である中村某にこう告げた。
「たとえ焼けてしまったとはいえ、当藩にとって第一の宝物である。これを丁寧に研ぎ直し、白鞘に収めて宝蔵に納めようと評議している。どう思うか?」
中村は焼けた剣を見て言った。
「その意見は尤もですが、無益です。この剣は焼けていなくても、これほど細身では何の役にも立ちません。それに加えて焼けてしまったものを研いでも、なおさら用をなさないでしょう。そのまま保管しておくのがよいのではないでしょうか。」
これを聞いて先生は声を張り上げて仰った。
「汝(なんじ)は大家の子孫に生まれ、祖先の徳により格式を与えられ、人々の上に立ち、敬われている。その汝がこのようなことを言うのは大きな過ちだ。汝が人々に敬われるのは、太平の恩恵によるものである。今は太平の世だ。剣が実際に役立つか否かを論じる時ではない。
汝自身を省みよ。汝が用に立つ者だと思うか?汝はこの焼けた天国の剣と同じで、実際には用に立つ者ではない。ただ、先祖の積徳と家柄、格式によって用立つ者のように見え、人々に敬われているだけだ。焼けた剣でも細い剣でも宝と尊ばれるのは、太平の恩恵があればこそだ。汝が中村氏として人々に敬われるのも、また太平の恩徳と先祖の余光によるものだ。
もし用に立つかどうかを問題にするならば、汝のような者こそ捨てられるべきだ。たとえ用に立たなくとも、これは当家の先祖の重宝であり、古代の遺物だ。それを大切にするのは、太平の今日において至極当然のことである。
私はこの剣のために言っているのではない。汝のために言っているのだ。よく考えよ。
往時、水戸藩が寺社の梵鐘を取り上げて大砲に鋳直したことがあった。私はその処置を非難するつもりはないが、まだ太平の時期に行うのは少し早いと感じた。太平の間は鐘や手水鉢を鋳直し、寺社に納めて人々に平和を祈らせるべきである。そして、いざ事が起こった際にはそれを取り上げて大砲にする。そうすれば、誰も異議を唱えず、寺社も喜んで差し出すだろう。そのようにして国は保たれる。
敵が迫ってから大砲を造るというのは、いわゆる『盗人を捕らえて縄をなう』ようなものだ。しかし、通常の敵を防ぐ備えは今のところ十分である。仮に新たな脅威が現れ、大砲のために鐘を鋳直すとしても、間に合わないことはないだろう。それほどの余裕もないほど緊迫した状況なら、大砲があっても守りきれないはずだ。
このように、用に立たない焼けた剣であっても宝とするのだから、ましてや役に立つ剣であればなおさらのことだ。しっかりと研ぎ上げ、白鞘に納め、元通り二重の箱に包んで重宝とするべきだ。これは汝に帯刀を許し、格式を与えるのと同じことだ。よく心得よ。」
中村は深く頭を下げて謝罪した。その年の九月のことである。
翌朝、中村は発句を作り、それをある人に見せた。その句は次のようなものであった。
「じりじりと照りつけられて実法る秋」
その人がこの句を先生に見せたところ、先生は大いに喜び、次のように仰った。
「昨夜、中村を厳しく教戒したので、きっと不快な思いを抱いているだろうと案じていた。怒りが内心に満ちているかもしれないとも思った。しかし、彼の家柄や地位におもねる者ばかりで、誰も彼を磨く者がいなかった。それが彼を増長させ、やがて家を保つことも危うくなるのではないかと懸念し、止むを得ず厳しく戒めたのだ。
それにもかかわらず、怒りも不快感も抱かず、虚心平気でこの句を詠むとは、私の想像を超えた器量である。彼は大いなる度量を持っており、彼がこの家の主であることに恥じるところはない。彼の家は間違いなく繁栄を続けるだろう。
古い言葉に、『私を正してくれる者は私の師である』とあり、また『大禹(だいう)は良い言葉を拝んで受け入れた』ともある。汝らもこの教えを肝に銘じよ。富家の主人は、周囲から何を言われても『御尤も』とばかり言われ、研がれることも磨かれることもなく錆びついてしまう。その結果、慢心が生じるのだ。
たとえば、ここに正宗の名刀があっても、研がれもせず、磨かれもせず、ただ錆びついた物と一緒に置かれていれば、やがて腐って紙さえも切れなくなるだろう。それと同じように、三味線引きや太鼓持ちとばかり付き合い、何を言われても『御尤も』と諂われて過ごしていれば、争友(建設的な批判をする友)が一人もいない状況では、その身は危うくなるばかりだ。」
翁は高野某に次のように諭された。
「すべての物には命があり、数(さだめ)がある。猛火が近づき難いほど激しく燃え盛るものであっても、薪が尽きれば火は消える。矢や弾丸もその勢いがある間は、当たるものを必ず破壊し、殺傷する。しかし、弓の勢いが衰え、火薬の力が尽きれば、茂みの中に落ちて、誰かに拾われるだけのものになる。
人もこれと同じだ。自らの勢いが世に行き渡っているように見えるときであっても、それを自分の力だと思ってはならない。それは親や先祖から受け継いだ位や禄の力、あるいは任命された官職の威光によるものであるからだ。
もしも先祖から伝わった位禄の力や、職の威光がなければ、どれほどの人物であっても、その勢いは弓の勢いが衰えた矢や、火薬の力が尽きた弾丸のように失われるだろう。そして、茂みに落ちて拾われる矢や弾丸のように、無力なものとなる。
したがって、己の勢いがある間に、それを自分の力だと思い込むのは大きな誤りだ。その勢いや力は、先祖の積徳や任命された職務によってもたらされたものであり、自分一人の力ではないのだ。これを深く理解し、感謝の念を持ちながら行動すべきである。」
この言葉は、高野某に自分の立場とその背景を振り返り、驕らずに勤めを果たすべきことを強く諭すものであった。
翁は、相馬領内で抜きん出た存在であり、仕法(経済的復興の方法)の実践を熱心に願い出た同氏に対して語られた。同氏は預かり地である成田村と坪田村で開業し、仕法を行った。その成果はわずか一年で、分度を超える四百十俵の米を産出するという見事なものであった。同氏はその米を蔵に収め、凶作の備えにしようと考えた。
これに対し、二宮先生は次のように諭された。
「村里の復興を図る者は、米や金を蔵に収めることを重視してはならない。それらを村里のために使い尽くすことを専務とすべきである。この使い方の巧拙によって、復興の進み具合に差が出る。これは極めて重要なことである。
凶荒(飢饉や不作)への備えは、仕法が成就した後に考えるべきことである。今、汝が預かる村里の仕法は昨年始めたばかりだ。この時点から、村全体が復興し、永遠に安穏でいられる規模を立てるべきである。
まず、この村にとって急務とされる事業が何かを、十分に協議しなければならない。それが開拓であるか、道路や橋梁の整備であるか、困窮している人々の救済であるか、急務を優先して取り組むべきである。そして、村里にとって利益の多い事業に着手し、同時に害のある事柄を除く方法に資金を使うべきだ。
急務の事業がすべて完了したならば、次は山林を整備するのも良いし、土地の性質を改善するのも良い。また、飢饉や疫病といった非常事態への備えをするのも大いに良いだろう。汝らはこれをよく考え、行動に移すべきである。」
翁は、何事にも過剰になりがちな癖のある某氏に次のように諭された。
「すべての物事には『度』(ほど)というものがある。飯を炊くにしても、料理をするにしても、すべて適切な加減こそが重要だ。我が法(報徳の方法)もまた同じである。世話をしなければ物事は進まないのは当然だが、世話を焼き過ぎると人に嫌われ、どのように振る舞えば良いのか分からなくなり、時には『しばらく放っておこう』などと避けられるようになってしまうものだ。
古人の句に、『先が過ぎると、これさえ嫌われる梅の花』という言葉があるが、これは実に的を射ている。すべてのことにおいて、過ぎることは不足することよりも劣るのだ。このことを心得ておくべきである。」
浦賀の人、飯高六蔵は多弁の癖があり、暇を乞うて国に帰ると申し出た。これに対して二宮先生は次のように諭された。
「汝が国に帰るならば、決して人にあれこれ説こうとするのをやめよ。人に説くのをやめ、汝自身の心で自らを省みるのだ。自分の心で自分の心に異見することは、木の枝を使ってその枝を伐るようなもので、非常に簡単だ。元来、それは自分自身の心だからだ。
異見する心とは、汝の中の道心(正しい心)であり、異見される心とは、汝の中の人心(私欲や感情)である。寝ても覚めても、座っても歩いても、道心と人心は離れることがない。だからこそ、行住坐臥(ぎょうじゅうざが:あらゆる状況)において油断なく自分に異見し続けるべきだ。
たとえば、もし汝が酒を好むならば、多飲を止めるよう自分に異見せよ。そしてすぐに止められれば良いが、止められない時は何度でも異見せよ。他にも驕奢(おごり)や安逸(楽をしたい心)が湧く時も同様だ。すべての事柄についてこのように自らを戒めれば、これが無上の修行となる。
この修行を積み重ねて、自分自身を修め、家を整えることができれば、その時初めて、汝が説を聞く者が現れるだろう。これは、自分を修めることで人にも影響を及ぼすからである。もし自分の心で自分を戒め、それを自分自身が聞き入れられないならば、決して他人に説こうとしてはならない。
また、汝が国に帰ったならば、商売に従事するだろう。土地柄や累代の家業から見ても、それは極めて適切だ。しかし、売買をする時に金を設けようなどと考えるべきではない。ただ商道の本意(商売の道理)を勤めることに専念せよ。
商人が商道の本意を忘れた時には、目先の利益を得たとしても、結局は滅亡を招くことになる。商道の本意を守り、勉強に励むならば、財宝は求めなくとも自然と集まり、富と繁栄は計り知れないものとなるだろう。これを決して忘れてはならない。」
嘉永五年正月、二宮先生は自身の家の温泉に数日間入浴された。その際、兄である大沢精一も共に入浴した。湯桁(湯船の縁)に座った先生は次のように語り始めた。
「世の中の富者たちは、汝たちのように多くの財を持ちながらも満足を知らず、際限なく利を貪り、不足を嘆いている。その様子は、湯船の中に立ち、自分の体を屈めずに『この湯船は浅すぎて、膝にも満たない』と罵る大人のようだ。
もし湯をその望みに合わせれば、小人や童子のような者は入浴することができなくなってしまうだろう。湯船が浅いのではなく、自ら屈むことをしないことが問題なのだ。もしこの過ちに気づいて体を屈めるならば、湯は肩に満ち、自ずと十分だと感じられるだろう。どうして他に求める必要があるだろうか?
世の富者が不足を嘆く様子はこれと何ら変わらない。分度を守らなければ、たとえ千万石の米があっても不足に感じるだろう。一度過剰な望みの誤りに気づき、分度を守れば、自然と余りが生まれ、それを使って他者を救う余裕ができる。
湯船は、大人は屈んで肩まで湯を浸し、小人は立って肩まで浸るのが中庸である。これと同じように、百石の者は五十石に生活を屈めて五十石の余りを譲り、千石の者は五百石に生活を屈めて五百石の余りを譲るのが中庸というものだ。
もし一つの郷内で一人でもこの道を実践する者が現れれば、人々は皆その模範を見て、自らの分を超える誤りに気づくことだろう。そして皆がその誤りを悟り、分度を守り、譲り合うならば、その郷全体は富み栄え、調和と順序が保たれることは疑いない。古語に『一家仁なれば一国仁に興る』とある通りだ。これは深く考えるべきことである。
仁とは人道の極みである。儒者の説く仁義は難解すぎて実用にはならないが、近い例で示すならば、この湯船の湯のようなものだ。湯を自分の方にかき寄せると、一見自分の方に来るように思えるが、結局向こうに流れ戻る。逆に、湯を向こうに押すと、一見向こうに行くように思えるが、湯はまた自分の方へ戻ってくる。少し押せば少し戻り、強く押せば強く戻る。これが天理である。
仁や義というものは、湯を向こうに押すときの行為に例えられる。自分の方にかき寄せると、それは不仁や不義となる。この道理を軽んじてはならない。
古語に『己に克(か)ちて礼に復れば天下仁に帰す』『仁を成すのは己によるのであって人によらない』とある。ここでの『己』とは、自分の方に湯をかき寄せる心を指し、『礼』とは、湯を向こうに押しやる心を指す。自分に向けて手を伸ばすばかりでは、仁を説き義を実践してもすべて無益だ。これを深く考えなければならない。
さらに、人間の体のつくりを見てみよ。人の手は自分の方に向いており、自分にとって便利なようにできている。しかし、手は他人の方にも向けられ、押し出すこともできるようになっている。これが人道の根本だ。鳥や獣の手はこれとは逆で、自分の方にしか向かず、自分だけに便利なようにできている。
したがって、人である者が、自分だけのために手を向け、他人のために押し出すことを忘れてしまうならば、それはもはや人ではなく、禽獣と同じだ。なんと恥ずべきことではないか。それだけでなく、天理に背くため、ついには滅亡に至るだろう。
だからこそ私は常に教えるのだ。『奪うことに益はなく、譲ることに益がある。譲ることに益があり、奪うことに益はない。』これが天理なのである。よくこの理を噛みしめ、味わうべきである。」
翁は言った。
「学問はその活用を重視するべきである。いくら万巻の書を読んでも、活用しなければ意味がない。論語に『里は仁を良しとする。選んで仁の村に住まないなら、どうして智を得ることができようか』とある。これは誠に名言である。
しかしながら、遊歴する人や店を間借りしている人であれば、仁のある村を選んで住むこともできるだろう。しかし、田畑や山林、家屋を所有している『何村の何某』という者が、仁義のある村を見つけたからといって、その村に簡単に引っ越すことができるだろうか。もちろん、仁義のない村に住み続けて不快な思いをしながら生きるのも、智者とは呼べない。
では、もし断然として不仁の村を捨て、仁義のある村に移り住む者がいたとしても、私はその者を智者とは呼ばない。書を読んで活用を知らない愚者と呼ぶべきである。なぜなら、田畑や山林を持つ者がそのすべてを引っ越し先に移すことは容易ではなく、その費用も莫大だからだ。この莫大な費用を捨て、住み慣れた古郷を捨てることは、愚行以外の何ものでもない。
人には道があり、その道は蛮貊(ばんばく)の地であっても行うことができるものである。どのような不仁の村であっても、道が行われないことはない。その道を実践し、不仁の村を仁義の村に変え、先祖代々その地に住むようにすることこそが、智である。このような方法でなければ、決して智者とは言えないのだ。
不仁の村を仁義の村に変えるのは、それほど難しいことではない。まず自分自身が道を実践し、自分の家を仁にすることから始めるのだ。自分の家が仁でないのに村全体を仁義の村にしようとするのは、白い砂を炊いて飯を作ろうとするようなもので、不可能である。自分の家が誠に仁を実践すれば、村全体が仁義の村にならないはずがない。
古語に『一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興る』とある通りだ。また『誠に仁を志せば悪はない』ともある。これは決して疑うべきではない。
たとえば、竹や木が本末入り交じり、縦横に乱れた状態であっても、一本ずつ整理して本を本に、末を末にすれば、最終的には整然と揃うようになる。古語に『直を挙げれば、曲がった者を正すことができる』とある通りだ。善人や正しい人を挙げて厚く褒め称えれば、四、五年も経たないうちにその村は整然とした仁義の村になるだろう。これに疑いはない。
世間の富者たちは、この理を知らず、書を読んでも活用できず、自分の家を仁義にすることも知らない。ただ徒に村の不仁を悪しとし、村人の義を知らないことを嘆き、人気や風儀の悪さを非難し、他所に移ろうとする者がいる。これを愚行と言うべきだ。
村の人気や風俗を一新するのは難しいことである。しかし、誠心を持ち、適切な方法を用いれば、それほど困難なことではない。まず衰えた貧困を挽回し、荒廃を興復することから始め、漸次的に人気や風俗を改めていくべきだ。
たとえば、一邑に百戸があり、そのうち四十戸が衣食に困らず、六十戸が貧窮しているとする。このような状況では、村全体が貧しさを恥とせず、租税を納めないこと、借財を返さないこと、役を怠ること、質屋に通うこと、粗暴な言動を恥としない。こうなれば、法令も里正の権威も行われず、悪行が蔓延してしまう。
一方で、百戸のうち六十戸が衣食に困らず、四十戸が貧窮している場合には、教育によって人々に恥の心を生じさせることができる。恥の心が生じれば義心が芽生え、租税を納めないことや借財を返さないことを恥じるようになる。こうなれば、法令や教導が行われ、善道に人々を導くことができる。
このような機会を逃さず、人気や風俗を改めるのだ。村を興復するためには、このような機を捉えることが重要である。
いかなる良法や仁術があっても、村中すべての家が貧しさを免れることは不可能だ。なぜなら、人には勤怠や強弱、知恵や愚かさの違いがあり、家には積善の有無がある。そして、さらに前世の宿因(過去の行いの報い)も関わるため、完全に取り除くことはできない。そのような貧者には、時々の不足を補い、没落しないよう助けるのが道理である。」
翁は言った。
「入るというのは、出したものが戻ってくることであり、来るというのは、他に譲ったものが返ってくることである。たとえば、農民が田畑のために精力を尽くし、人糞を撒き、干鰯を肥料として用い、作物のために尽力すれば、秋には豊かな実りを得られることは確実だ。
しかし、菜を蒔いて芽が出たらその芽を摘み、枝が出れば枝を切り、穂が出れば穂を摘み、実がなればその実を取る、ということを繰り返していれば、収穫が得られることは決してない。商売の道もまた同じである。もし自分の利益ばかりを追い求め、買い手の利益を顧みずに貪欲に行動すれば、その店が衰退するのは目に見えている。
古語に『人心はただ危うし、道心はただ微なり。精誠一心にその中庸を守れ。もし四海が困窮すれば、天禄は永く失われるであろう』とある。これは、舜や禹が天下を授受する際の心得である。この教えの通り、上に立つ者が下から多く取り過ぎれば、下は困窮し、その結果、上が得るべき天禄(天から授かった富や権威)も永続しなくなる。つまり、それは天から賜ったものを天によって取り上げられることを意味している。この理は非常に明白であり、金言と言うにふさわしい。
しかし、儒者のように講義するだけでは、今日の実生活には何の役にも立たない。だから、私は汝たちに分かりやすく説明しよう。これをただの古い中国の話と思わず、よく心に刻むべきである。
『人心は危うし、道心は微なり』とは、自分勝手に行動するのは危険なことであり、他人のために行動することは嫌になるものだ、という意味だ。『精誠一心にその中庸を守れ』とは、精力を尽くし、一心堅固に、二百石を持つ者は百石で暮らし、百石を持つ者は五十石で暮らし、その余りを譲ることで、一村が衰えず、ますます富み栄えるように努力せよ、という意味である。
『四海困窮すれば天禄永く終わる』とは、一村が困窮している時には、どれだけ多くの田畑を持っていても、その徳(収穫)は得られない、ということだ。これは帝王の話として四海や天禄と表現されているが、汝たちは四海を一村と読み、天禄を作徳(収益や成果)と読み替えて考えるべきである。
この理をよく肝に銘じよ。」
翁は言った。
「吉凶、禍福、苦楽、憂歓などは、すべて相対するものだ。どういうことかというと、猫が鼠を捕らえた時、それは猫にとっては最高の喜びだが、捕らえられた鼠にとっては極限の苦しみである。蛇が喜びに満ちる時、蛙は苦しみに沈む。鷹が悦ぶ時、雀は苦しむ。猟師が楽しいと思う狩猟は、鳥獣にとっては苦しみであり、漁師が喜ぶ漁は、魚にとっての苦しみだ。
このように、この世の事象はすべて同じで、誰かが勝って喜ぶ時には、他の誰かが負けて嘆く。ある人が田地を買って喜ぶ時、別の人は田地を売って憂う。ある人が利益を得て喜ぶ時、他の人は利益を失って憂う。これが人間社会の現実である。
まれに、この相対する苦楽の理を悟る者がいて、これを嫌い、山林に隠れて世間を捨てることがある。しかし、そうした生き方は世の中の役には立たない。その志や行いが立派なように見えても、世のためにならない以上、賞賛には値しない。
私は戯れにこんな歌を詠んだことがある。
『ちうちうと 嘆き苦む声聞けば 鼠の地獄 猫の極楽』
これを聞いて一笑すべきである。
しかし、ここで考えるべきは、『彼が悦び、これも悦ぶ』という道がないわけではない、ということだ。それは天地の道、親子の道、夫婦の道、農業の道という四つの道に見いだすことができる。これらは法則として尊ぶべき道であり、よく考えるべきである。」
翁は言った。
「この世界において、法則として従うべきものは、天地の道、親子の道、夫婦の道、農業の道の四つである。この四つの道は、真に両者を満たし、完全なるものだ。どんな事柄であっても、この四つを法とすれば誤ることはない。
私が詠んだ歌に、『おのが子を恵む心を法とせば 学ずとても道に到らん』とあるが、これはこの心を詠んだものである。
天は生々の徳(万物を育む力)を下し、地はそれを受け取って万物を発生させる。親は子を育て、損得を忘れ、ただ子の成長を喜びとする。子は育てられた恩に報いようと親を慕う。夫婦もまた互いに喜び合い、子孫をつなぎ育む。農夫は勤労し、作物の成長を喜び、草木もまた楽しげに茂る。これらはすべて、双方に苦情がなく、ただ喜びがある関係だ。
この道を基準として商売を考えれば、商法は売って喜び、買っても喜ぶようにしなければならない。売り手が喜び、買い手が喜ばなければ、それは道ではない。また、貸借においても同じである。借り手が喜び、貸し手も喜ぶようにしなければならない。借り手だけが喜び、貸し手が不満であれば、それは道ではない。貸し手だけが喜び、借り手が不満であっても、やはり道ではない。すべての事柄がこのようにあるべきなのだ。
私たちの教えは、この法則を基本としている。そのため、天地の生々の心を心とし、親子と夫婦の情を基礎として、損益を超えたところに立ち、国民の助けと土地の復興を楽しむものである。これを忘れては、この道を行うことはできない。
たとえば、無利息金貸付の道も、この理念に基づいている。ここでは元金の増加を徳とはせず、貸付高の増加を徳とする。つまり、利を利とせず、義を利とするという考えだ。元金の増加を喜ぶのは利己的な心であり、貸付高の増加を喜ぶのは善心である。仮に元金が百円に留まるとしても、六十年間繰り返し貸し続ければ、その貸付高は一万二千八百五十円に達する。元金は百円のままでありながら、国家や人民に与える利益は計り知れないほど大きい。これはまさに、万物を生育する太陽が、何万年を経てもただ一つの太陽であるのと同じだ。
古語に、**『敬するところの物は少なく、喜ぶ者は多い。これを要道という』**とあるが、これはまさにこの教えに近い。私がこの法を立てた理由は、世間で金銀を貸し出し、さまざまな催促をした末に裁判となり、最終的に無利息年賦になるという状況を見て、この理を事前に取り入れたからだ。
さらに、無利息で一定期間据え置き貸しをする方法も定めた。こうした仕組みを整えなければ、国を興し世を潤すことができないからである。
すべての事柄は、先に行くべき方向を定めておかなければならない。人は生まれた以上、必ず死を迎える運命にある。この事実を前もって理解していれば、生きている間の一日はすべて利益として受け止められる。これこそが私の道の悟りである。
生まれた以上、死があることを決して忘れてはならない。夜が明ければ、必ず暮れることを忘れてはならないのだ。」
翁は言った。
「村里の興復は、正しい者を挙げることにあり、土地の開拓は肥沃な土を見つけて利用することにある。しかし、善人というものは往々にして引っ込みがちで、退き籠もる癖がある。積極的に引き出さなければ、決して出てこない。肥沃な土もまた、低く窪んだ場所に隠れており、掘り出さなければ姿を現さない。
この理に気づかず、ただ土地を平らにならしてしまうと、肥沃な土は永遠に地中に埋もれたままとなり、姿を現すことがない。これ以上に村里にとっての損失はない。村里の興復もこれと同じ理であり、善人を挙げて隠れないようにする努力が必要だ。
土地の改良を行おうとするならば、肥沃な土を掘り出し、それを田畑に加えるべきである。村里の興復においても、善人を引き立て、働き者や品行の良い者を評価し賞賛することが重要である。
善人を評価し賞賛する方法としては、投票を用いて行うとよい。耕作に精を出し、品行が良く、心掛けが立派な者を選び、無利息の金を貸し付け、旋回貸付法を実施するべきである。
この旋回貸付法は、米を臼で搗くようなものである。杵はただ臼の中央を搗くのみで、臼の中の米は全て均等に白米となる。これと同じ道理で、返済さえ滞らなければ、社中の人々全員が自然と富み栄えることになる。
しかし、返済が滞ることは、この方法において最大の問題である。たとえるならば、臼の中で米が返らずに詰まると、全体の動きが止まり、米が砕けてしまうようなものだ。同じように、この仕法でも返済が滞ると、全体の仕組みが萎縮し、振るわなくなってしまう。
貸付を取り扱う際には、十分に注意し、返済の重要性について丁寧に説諭することが必要である。」
翁は言った。
「世間の人々は『運』というものについて誤解しているようだ。たとえば、柿や梨を籠から取り出した時、自然に上になったり下になったり、表を向いたり裏を向いたりする。それを『運』だと思い込んでいる。しかし、もし運がこのようなものだとすれば、そんなものは頼るに値しない。なぜなら、それは人事を尽くして得られるものではなく、偶然の産物だからだ。再び籠に戻して取り出せば、前回とは異なる配置になるだろう。このようなものは博奕(ばくち)のようなものであり、本当の『運』とは異なる。
本来の『運』とは、『運転』の運であり、いわゆる『巡り合わせ』を意味するものだ。この運転は、世界全体の運転に基づいており、天地に定められた規則がある。そのため、**『積善の家には余慶あり、積不善の家には余殃あり』**という格言が成り立つ。いかに多く回転しようとも、この定規から外れることなく巡り合う。これが真の運である。
たとえば、灯明の火が消えたことで災難を免れたり、履物の緒が切れたことで災害を避けたりすることがある。これらは偶然ではなく、本当の『運』によるものだ。仏教で言うところの『因果応報』の道理こそこれである。
儒教が説く『積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃あり』は、天地の定規として古今にわたって貫かれる格言だ。しかし、この理を完全に理解するには仏教の視点が必要であり、それがなければ明確には分からない。
仏教には『三世の説』があり、この理は過去、現在、未来の三世を通じて見なければ、決して疑いなく理解することはできない。三世を知らなければ、天を怨み、人を恨むまでに至ることがある。しかし、三世を観通すれば、この疑念は消え、雲や霧が晴れて青空を見るように、すべてが自業自得であることがわかる。だからこそ、仏教は三世因縁を説くのである。これこそ、儒教では及ばない部分である。
たとえば、一本の草があるとしよう。この草は現在、若草である。しかし、過去を振り返れば、それは種であった。未来を考えれば、花が咲き、実を結ぶだろう。茎が高く伸びているのは肥料が多かった因縁の結果であり、茎が短いのは肥料が足りなかった応報である。この理は、三世を見通せば明白になる。
世間ではこの因果応報の理を仏教の説とするが、それは書物上の議論に過ぎない。私の教えでは、この理を『不書の経』に見る。不書の経とは、私の詠んだ歌にあるように、**『声もなく、臭もなく、常に天地は書かざる経を繰り返しつつ』**という天地の運行と真理を指している。四季が巡り、百物が生成することこそが、この不書の経である。
この経を見るには、肉眼を閉じ、心眼を開かなければならない。そうでなければ見えない。肉眼で全く見えないわけではないが、物事の真理が徹底して見通せないのである。
因果応報の理とは、米を蒔けば米が生え、瓜の蔓に茄子がならないという道理である。この理は天地開闢の時から今日まで変わることがなく、我が国だけではなく万国共通のものである。このように、天地の真理であることは議論を待たずして明らかなのである。」
翁は言った。
「天地の真理というものは、書かれた経文によらず、不書の経文によってしか見ることができない。この不書の経文を読むためには、まず肉眼で一度全体を見渡し、その後に肉眼を閉じ、心眼を開いてよく見るべきである。こうすれば、どんなに微細な理でも見通すことができる。なぜなら、肉眼で見える範囲には限りがあるが、心眼で見える範囲には限りがないからだ。」
これに対して、大島勇助が言った。
「師の教えはまことに深遠です。おこがましいながら一首を詠ませていただきます。」
その歌はこうである。
『眼を閉ぢて 世界の内を 能見れば 晦日の夜にも 有明の月』
先生はこれを聞いて仰った。
「これは、卿の生涯における最高の作品と言えるだろう。」
加茂社の神官である梅辻という神学者が東京に来て、神典や天地の功徳、造化の妙用について講義を行った。ある夜、二宮先生はその講義をひそかに聞きに行かれ、次のように仰った。
「その人物の人柄は、弁舌が爽やかで飾り気がなく、立ち居振る舞いも落ち着いており、何事にも執着しないように見える。確かに達人と呼ぶにふさわしい。しかし、その説く内容には、まだ尽きていない部分が多く見受けられる。あの程度の話では、一村どころか、一家すら衰えた状況を復興させることはできないだろう。
なぜなら、彼の話には明確な目的がない。ただ倹約を重んじよと言うばかりで、その倹約が何のためなのか、どこに至るのかを全く説明していない。『善をなせ』と言いながら、その善とは何であるかを説かず、善を行う方法についても語らない。彼の話を実行すると、上下の分別もなく、上国と下国の区別もなくなるだろう。このように一般的に倹約を行っても、何の楽しみも生まれず、国家のためにもならない。
その他の説もただ議論が巧みなだけである。
私が倹約を尊ぶのは、それを用いるべき目的があるからだ。宮室を質素にし、衣服を簡素にし、飲食を控えめにするのは、資本を蓄え、それを使って国家を豊かにし、万民を救済するためである。彼が目標もなく、ただ倹約せよと言うのとは全く異なる。誤解してはならない。」
翁は言った。
「遠い将来を見据えて計画を立てる者は富み、近い将来だけを考える者は貧しくなる。遠い将来を考える者は、百年後のために松や杉の苗を植える。ましてや、春に植えて秋に実がなる作物であればなおさらだ。だからこそ、そのような者は豊かになる。
一方、近い将来だけを考える者は、春に植えて秋に収穫できるような作物すら『遠すぎる』と感じて植えようとしない。ただ目の前の利益に迷い、種を蒔かずに収穫し、植えずに刈り取ることだけに集中する。その結果、貧窮してしまうのだ。
蒔かずに収穫し、植えずに刈ることは、一見すると目の前の利益があるように見える。しかし、それは一度収穫すれば次の収穫は二度と得られない。一方で、種を蒔き、苗を植えて育てた者は、毎年欠かさず収穫を得ることができる。これが『無尽蔵』と呼ばれる理である。
仏教で言う『福聚海』(福が集まる海)もまた、この理と同じである。」
翁がある村を巡回された際、怠惰で掃除もせず、家が汚れている者を見て仰った。
「汚穢(おわい)が極まっている。このような状態では、お前の家は永遠に貧乏神の住処となるだろう。貧乏から抜け出したいのなら、まず庭の草を取り除き、家屋を掃除するのだ。不潔さがこのようにひどいと、疫病神までもが住み着くようになるだろう。心を入れ替え、貧乏神や疫病神が住み着けないよう、家を清潔に保つべきだ。
家の中に汚物があれば、汚れた蠅が集まるように、庭に草が茂っていれば蛇や蝎がその場所を見つけて住み着くものだ。肉が腐れば蛆(うじ)が生じ、水が腐れば孑孒(ぼうふら)が湧く。同じように、心や体が穢れれば罪や咎が生じ、家が汚れれば疾病を招く。これは非常に恐ろしいことだ。」
さらに、別の家を訪れた際、家は小さいが内外が清潔に保たれている家庭を見て先生は仰った。
「あの家の住人は、怠惰で信用がなく、賭博などに手を出しているのではないか。家の中を見れば、米俵もなく、良い農機具も備わっていない。彼らは農家の罪人に違いない。」
村役人たちは先生の鋭い洞察力に驚嘆した。
両国橋付近で仇討ちがあり、周囲の人々はそれを「勇士だ」「孝子だ」と称賛していた。これを聞いた翁は言った。
「復讐を尊ぶのは、真理を尽くしていない考え方である。徳川家康公も敵国に生まれたことで、父祖の仇を討つことだけを願っていた。しかし、酉誉上人の説法により、復讐の志は小さく、益がなく、人道に背くものであるという理を知り、国を治め、万民を安んじることこそ天理に基づく大きな道理であると教えられた。家康公は初めてこの理に感じ入り、復讐の念を捨て、国を安定させ、民を救う道に力を尽くした。この道は偉大であり、多くの人々を苦難から救った。
この道理は家康公に限らず、一般の人々にも同じことが言える。こちらから敵を討てば、相手も必ず報復を試みるだろう。その結果、怨恨が結ばれ、解けることはない。互いに復讐を繰り返し、恨みを積み重ねるだけになる。これこそ仏教で言う『輪廻』であり、永遠に修羅道に陥り、人としての道を踏むことができなくなる。これは大いなる愚かさであり、非常に悲しいことだ。
さらに、仇討ちを行った者が逆に返り討ちに遭うこともある。それは痛ましいことであり、これが道でない証拠である。復讐をするのであれば、政府に訴えるべきである。政府は悪人を探し出して正しく裁く責務がある。一方で、自らは『恨みに報いるには直(正義)をもってすべし』という聖人の教えに従い、復讐をやめるべきだ。そして家を修め、立身出世を目指し、親や先祖の名を顕し、世の中の役に立ち、人を救う天理に従うことこそが、子としての道であり、人としての道である。
しかし、現代の習慣や風潮は人道ではなく、修羅道である。
天保の飢饉の際、相州大磯駅で川崎某という者が乱民により家を打ち壊された。官は乱民を捕えて投獄したが、川崎某自身も投獄され、三年を過ごした。川崎某は憤怒に耐えられず、上も下も恨み、復讐を誓っていた。私は彼に対し、復讐は人道に背く理を説き、富者は貧者を救い、地域を安定させることが天理に適う道であると教えた。
川崎某はすぐには納得できず、鎌倉の円覚寺で淡海和尚に相談した結果、悔悟し決心して初めて復讐の念を断ち切った。そして財産をすべて投じて駅内を救済した。すると駅内はたちまち和解し、川崎某を父母のように敬うようになった。官もまた彼を厚く賞した。
私はただ復讐は人道ではなく、世を救い、世のために尽くすのが天理であると教えただけだ。しかし、それによってこのような好結果が得られた。もし過ちを犯して復讐の計画を立てていたならば、どのような修羅場を生むことになっていたか知れない。これは恐れなければならないことである。」
翁は床のそばに不動明王の像を掛けていた。これを見た山内董正が尋ねた。
「先生は不動明王を信仰しているのですか?」
先生は答えた。
「私は若い頃、小田原藩主の命を受けて、下野国物井(ものい)に赴いた。当時、その地は人民が離散し、土地は荒廃しており、手の施しようがない状態だった。しかし、私はその場で『功績の成否にかかわらず、生涯ここを動かない』と決意した。たとえ背中に火が燃えつくような緊急事態が起きたとしても、決してその場を動かないと、死を覚悟して誓ったのだ。
不動明王は、『動かないからこそ尊い』と解釈される。その名の意味と、猛火が背を焼いても動かないという像の姿に共感し、この像を掲げてその心を妻子にも示している。不動明王がどのような霊験を持つかは知らないが、私が今日まで至ったのは、ただ一心に不動の決意を守り通してきたからにほかならない。だから今もなお、この像を掛けて、妻子にその心を示しているのだ。」
翁は言った。
「百人一首にある『秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我衣手は 露にぬれつつ』という御歌について、歌人たちが講義するのを聞いてみると、言葉だけの解釈で、深い意味には触れないように思える。何事も自分の心の深さに応じてしか理解できないものだからだろう。
春や夏には、様々な草木が芽を出し、成長して枝葉を広げ、花が咲き乱れる。秋や冬になると、葉が落ち、実が熟し、すべての草木が枯れていく。これは植物の生命の終わりを象徴している。すべての事物の終わりには、奢る者は滅び、悪人は災厄に遭い、盗人は刑に処される。人が一生の業の結果を受ける様子が、秋の田の景色に重ねられているのではないか。
『苫をあらみ』とは、政(まつりごと)が荒れて行き届かない様子を嘆かれているのだ。そこには深い慈悲と憐れみが言外に表れている。この者はこうして獄門に処される。『我衣手は露にぬれつつ』、その者は火炙りに処される。『我衣手は露にぬれつつ』。ある者は家事を怠った罪で蟄居を申し付けられる。『我衣手は露にぬれつつ』。
悪事を働いて刑に処される者も、政(まつりごと)が行き届かなかった故に奢りを助長して滅びた者も、いずれも教えが届かなかったためであり、御慈悲の涙で御袖を濡らされたという心情が込められている歌だ。深く心に刻むべきである。
私が初めて下野国物井を訪れ、村落を巡回したときのことだ。そこは人民が離散し、家だけが残り、あるいは崩れかけた家が並び、石垣や屋敷跡、井戸だけが残っていた。見るも哀れで、いたたまれない光景だった。この家にはきっと老人がいたのだろう、婦女や子どもも暮らしていたのだろうと思いを巡らせた。ところが今では萱(かや)や葎(むぐら)が生い茂り、狐狸の住処と化してしまっている。その様子を目の当たりにしたとき、まさに『我衣手は露にぬれつつ』の御歌を思い出し、私自身も涙で袖を濡らした。
京極黄門が百人一首の巻頭にこの御歌を載せてくださり、多くの人々に知られるようになったのは誠に喜ばしいことである。この御歌に感謝し、深く拝するべきだ。」
ある日、道路の普請に多くの人々が出て働いている中、小荷駄馬が驚いて騒ぎ立ち、なかなか静まらなかった。人々がさらに慌てふためいていると、馬方がそれを制して「静かに、静かに」と言いながら、手拭いで馬の目を覆い、額から顔を撫でた。すると、馬は静かになり、そのまま通り過ぎた。
これを見た翁は言った。
「馬方のやり方は実に正しい。論語に『礼の用は和を尊しとす、小大これに因る』とあるが、まさにこれに適っている。私が初めて野州物井を治めたときも、この道理を用いた。騒ぎ立つものを静めるのは、この理に基づいている。
私が物井を治めた時、金は無利息で貸し、返済しない者がいても催促せず、無道な行いをしている者をあえて咎めることもなかった。また、年貢についても、難儀であれば免除する方針を取った。だが、同時にこうも伝えた。『勤労して糞を施さなければ、米も麦も手に入らない。仕方なくでも勤労すれば、芋や大根を食べられるようになる。難儀だと思いながらも年貢を納めることで田畑は自分のものとなり、耕作もできるのだ』と。この理を説き、自分の分度を定め、自分の務めを全うするように指導しただけだ。このようにすれば、行えないことは何一つない。この道理は草木や禽獣にも通じるものだ。
なぜなら、果物が熟し、自然と落ちるのを待つ道理と同じだからだ。重要なのは、『我』という一文字を捨てることだ。自分の畑で自分が植えた茄子であっても、自分が強制的に実らせることはできない。理屈だけでは必ず実らないものだ。この時、理屈をやめて『我』を捨て、ただ肥を施すだけで、言わずとも実るし、言わずとも成る。我が教えは、この道理を理解しなければ、決して実行できるものではない。」
ある者が尋ねた。
「老子の言う『道の道とすべきは常道にあらず云々』というのは、どういう意味ですか?」
翁は答えた。
「老子が言う『常』とは、天地自然、万古不易のものを指している。聖人の道は人道を元にしているが、その人道は自然に基づいているとはいえ、自然とは異なるものだ。なぜなら、人は米や麦を食物とするが、米や麦は自然に存在するものではない。田畑を作らなければ得られないものだ。その田畑もまた自然にあるものではなく、人間が開拓して初めて生まれたものだ。
田を開拓するには、堤を築き、川を堰き止め、溝を掘り、水を引き、畦を立てて、初めて水田ができる。これらは自然に基づいていると言えども、自然そのものではなく、人間の手によるものだ。つまり、人道とはこのようなものである。
そのため、法律を立て、規則を定め、礼楽や刑政、規格や式といった複雑で面倒な仕組みを設けることで、国家の安寧を辛うじて保つことができる。これは、米を得るために堤を築き、溝を掘り、畦を立てて田を開くことに似ている。この聖人の道が尊ばれるのは、米を食べたいと願う米食文化の人々の論理に基づいている。
老子がこれを見て『道の道とすべきは常の道にあらず』と言ったのは、『川の川とすべきは常の川にあらず』と言うのと同じだ。堤を築き、堰を張り、水門を立てて引いた川は人間が作ったものであり、自然の常の川ではない。だからこそ、大雨が降れば破れることがある。老子は自然そのものの理を語っているが、この理は人道とは大きく異なるものだ。
人道では、堤を築き、堰を張った川であれば、毎年手入れをし、大洪水が来ても破損しないように力を尽くす。また、もし破れたら速やかに修復し、元通りにするよう努める。これが人道だ。もともと築いた堤であれば崩れるのは当然、開墾した田が荒れるのも当然のことだ。言わずともわかることだ。
老子は自然を道とするが、これは悪いという意味ではない。しかし、人道には大きな害がある。老子の道は『人は生まれたものだから死ぬのは当たり前、それを嘆くのは愚かだ』という立場だが、人道はこれと異なる。他人の死を聞けば『ああ、気の毒だ』と嘆くのが人道だ。ましてや、それが親子兄弟や親戚であればなおさらである。
これらの理を理解すれば、老子の道と聖人の道の違いが明らかになるだろう。」
翁は言った。
「太閤の陣法には、『敵を以て敵を防ぎ、敵を以て敵を打つ』という計略があると聞くが、これは実に優れた策だ。また、水防でも『水を以て水を防ぐ』という方法がある。これを知らなければならない。」
町田亘が答えた。
「近年、富士川に『雁がね堤』というものを築いたそうです。これがその方法ではないでしょうか。」
先生は言った。
「それが事実であれば、その者は水を治める法を得た者と言える。我が仕法もまた同じだ。荒地は荒地の力をもって開拓し、借金は借金を返済する費用をもって清算し、金を蓄えるには金をもって蓄える。また、教えも同様だ。仏教では『この世はわずかな仮の宿であり、来世こそが大事だ』と教える。これもまた、欲望をもって欲望を制する教えだ。来世のことは目に見えないため、すべて想像による説である。しかし、草を例に取ると、その理がうっすらと見える。今ここに一本の草があるとしよう。この草に向かって説法するとしよう。
『お前は現在、草として生まれ、露を吸い、肥料を吸い、大いに喜んでいるようだが、これはすべて迷いの中にあるものだ。この世は、春風に促されて生まれた仮の宿に過ぎない。明朝にも秋風が立てば、花は散り、葉は枯れる。風雨の艱難を耐え抜き成長したとしても、それはすべて無益である。この秋風こそ「無常の風」と呼ばれるものだ。早くこの世が仮の宿であることを悟り、一日でも早く実を結び、種となって、火にも焼かれない蔵の中に入って安心しなさい。この世で肥料を吸い、露を吸い、葉を伸ばし、花を咲かせるのはすべて迷いだ。早く種となり、草の世を捨てなさい。その種となって向かう先には、無量の楽しみが待っている。』
このように説くのだ。これは、欲望の制し難い性質を知った上で、欲望を用いて善を勧め、悪を戒める教えとしたものだ。しかし、末世の法師たちはこの教えを利用し、米や金を集める計略としている。それは悲しいことでないか。」
門人の一人が、常々「笛吹かず大鼓たたかず獅子舞の跡足になる胸の安さよ」という古歌を好んで口ずさんでいた。これを聞いた二宮先生は言った。
「この歌は、国家を経綸する大きな才能を持ち、功績を成し名を遂げ、その業績を後進に譲った者が詠むのであれば許される。しかし、卿のような者がこれを口ずさむのは非常に宜しくない。卿のような者は、笛を吹き、大鼓をたたき、舞う者がいて初めて、不肖の我らも跡足となって世を渡ることができるのだ。そのようなことを辱ずべきことと感じ、『人の支えを受ける身である』という意識を持つ歌を詠むべきである。それをしなければ、この歌は道理にかなわない。
人の道というものは、親から養育を受けて子を養育し、師から教えを受けて子弟を教え、人から世話を受けて人に世話をする。これが人道だ。この歌の意を押し極めると、受けることも施すこともしない態度に陥ってしまう。そんな人がこの歌を口ずさむのは、国賊と言って差し支えない。
『論語』にはこうある。『幼い頃、孫弟(目上の人を敬う心)がなく、成長しても自ら述べることをせず、老いても死なない者を賊という』と。ましてや、卿らがこの歌を口ずさむのは、大いに道理を害する。前に進んで笛を吹き、大鼓をたたき、舞う者がいなければ、どうして跡足になることができるのか。上には文武百官がおり、政道があるからこそ、私たちは安楽に世を渡ることができるのだ。このように国家の恩徳に浴しながら、こんな寝言を言うのは、恩を忘れるも同然だ。
そこで私は、卿のためにこの歌を作り直して与えよう。これからはこの歌を口ずさむがよい。」
先生が詠んだ歌は次の通りである。
「笛を吹き大鼓たたきて舞えばこそ不肖の我も跡足となれ」
東京深川原木村に、嘉七という者がいた。彼は海辺の寄り洲(河川や海岸に自然に形成される砂地や干潟)を開拓し、成功すれば売り、完成すれば売るということを家業としており、地域の人々から「原嘉の親方」として知られていた。ある日、開拓に関する決定が難しい事案について、二宮先生に実地見分を依頼した。先生はその現場を訪れた際に、彼の案内で海岸を見て回られた。そこには、開拓可能な寄り洲が四町や五町歩にわたって点在していた。
嘉七が言った。
「寄り洲は自然に形成されるものですが、実はこれを寄せる方法があるのです。地形を見極めて『勢子石(せこいし)』や『勢子杭(せこぐい)』を使用すれば、速やかに寄り洲を作ることができます。」
すると先生が尋ねられた。
「その勢子石というのはどういうものか。」
嘉七はその方法について説明した。
先生はその説明を聞き、次のように言った。
「なるほど、良い方法のようだ。」
さらに嘉七が付け加えた。
「寄り洲は本当に自然の賜物です。」
先生はこれに対してこうお答えになった。
「いや、それは天然の賜物ではない。その根本は人為によるものだ。」
嘉七はその意味を問うた。先生は次のように答えられた。
「川に堤防があるからこそ、山々の土砂が遠くこの場所まで運ばれ、寄り洲や附洲(砂や土が集まってできる地形)が形成されるのだ。もし川に堤防がなかったなら、洪水が縦横に乱流して土砂が一箇所に集まることはなく、寄り洲も附洲もできなかったであろう。つまり、その根本は人の働きによるものではないか。」
この説明に嘉七は返す言葉もなく黙ってしまった。
先生はその場にいる人々に向かってこう述べられた。
「嘉七は才子と言えるだろう。これほどの大きな才能を持ちながら、もう少し志を高く持ち、国家のためを考えるならば、大きな業績を成すことができるはずだ。しかし、開拓屋として一生を終えるのは、惜しいことだ。」
正兄の言葉
先生の弟子である正兄(著者)が次のように付け加える。
「私は佐藤信淵氏の著書を読んだことがあります。その中に『内洋経緯記』や『勢子石用法図説』といった内容が記されていました。今になって思えば、嘉七は佐藤氏の門人だったのではないでしょうか。『経済要録』の序文にも関連することが書かれていたと記憶しています。一度開いて確認してみるべきです。」
三河国吉田の郷士、高須和十郎という人物が、舞坂駅と荒井駅の間に湊を造る計画を立て、絵図面を携えてその成否を問うた。そこで二宮尊徳先生はこう答えた。
「あなたの説明を聞く限りでは、特に問題がないようにも思えます。しかし、大洋に関する事業は、簡単に測り知ることはできません。過去の例を見れば、象潟(きさかた)は地震によって地形が変わり、かつての景観を失いました。また、大坂の天保山は、一夜のうちに現れたものです。これらはいずれも近年の出来事です。
このような大事業を実際に行おうとする際には、現場に臨んだとしても成否を容易に断定することはできません。ましてや絵図面上での判断など、到底不可能です。このような大事業を計画するのであれば、万が一失敗した場合にどう対処するか、いわゆる『堤を叩いて安全を確認する』ような慎重な工夫が必要です。また、いかなる異変が起こったとしても失敗しない対策が不可欠です。
そのような工夫がなければ、たとえ賛同者が集まったとしても、誰一人として安心できる保証はありません。最悪の場合、山師(投機師)と非難される結果になるかもしれません。私もかつて印旛沼の堀割を見分するよう命じられた際、あらゆる異変に対応できるよう、失敗を回避する工夫をしました。たとえ天災がなかったとしても、水脈や土脈を堀り進める際には、必ず予期せぬ事態が起こるものです。
古くからの教えに、『事前に準備が整っていれば、途中でつまずくことはない』と言われています。私が異変の発生をあらかじめ想定したのは、それによって異変を恐れる必要がなくなり、また異変による障害にもつまずかないためです。これこそ、大事業を成功させる秘訣です。
あなたも、このような工夫を事前に整えなければなりません。そうしなければ、まずあなた自身が安心できないでしょう。古語に、『内に省みて疚しからざれば何をか憂ひ何をか懼れん (自らを内省し、やましいところがなければ、何を恐れ、何を憂うことがあろうか)』とあります。したがって、天変地異をも恐れず、安心して事業に臨むためには、事前に十分な工夫を凝らすべきです。」
駿河国元吉原村の住人が柏原沼の水を海岸に流し出し、土地を開拓しようと出願して許可を得た。その帰路に私の家に立ち寄り、一泊した際に地図や書類を見せながら、「計画は進んだが、適切な資金提供者はいないものか」と話した。私は「今は居ない」と答えつつも、何か思うところがあり、その地図を「明朝まで貸してほしい」と言って預かった。
その時、二宮尊徳先生が私の家で入浴していたので、私はこっそりと地図を広げ、計画の成否について先生に意見を尋ねた。
尊徳先生はこう答えた。
「実地で確認しなければ、可否を断じることはできない。しかし、沼が浅く、三面が畑であるならば、沼水を切り崩して埋め立てるのがよいだろう。この水を海へ切り落としたとしても、水が思うように流れるかどうかは予測が難しい。また、大風雨の際には砂が巻き上げられたり、潮が溜まったりする可能性もある。こうした点を考えれば、埋め立ての方が賢明だ。
埋め立て作業は一見すると愚かなことのように見えるかもしれない。しかし、一反分を埋めれば一反分の土地が出来上がり、二反分を埋めれば二反分の土地が完成する。間違いも後戻りもなく、手違いや見込み違いもない。この方法を最良と考えるべきだ。」
さらに私は「埋め立ての方法はどうすればよいか」と尋ねた。
先生は答えた。
「実地を見ない限り、特別な工夫は言えないが、基本的には小車で土を押すか、牛車で引くかのどちらかだろう。車道には仮に板を敷くとよい。案外、効率よく進むものだ。また、一反分の土地を埋め立てる際には、土を取った跡地も二畝三畝(にせぼさんせぼ)ほどの新たな土地として利用できる。一反分の埋め立ては、容易な場所ならそれほど労力を要せず、手間のかかる場所でも、鍬や道具を少し長く使う覚悟があれば、すでにある熟田を購入するよりもはるかに利益が多い。」
この助言を得て、私は先生の教えを元に計画を工夫し、元吉原村の人物に伝えた。ところが彼はその内容を聞き、ただ笑うばかりで、何も答えなかった。
弘化元年八月、日光神領の荒地を起こし返す方法について調査し、仕法書を提出するようにとの命令が下され、尊徳翁にその任が託された。私の兄、大沢勇助はこの命令を恐悦して江戸に赴き、翁に報告した。私もこれに同行した。
尊徳翁はこう言われた。
「私の本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓し、天から授かった善種、すなわち仁・義・礼・智を培養してその善種を収穫し、さらに蒔き返し、それを国家全体に広めることである。それにもかかわらず、今回の命令は土地の荒蕪を開拓するというものであり、私の本願に反していることは汝も知っているだろう。それなのに、この命令を喜ぶとはどういうことか。本意に背く命令ではあるが、命令である以上、受け入れざるを得ない。私も及ばずながら手伝いをさせてもらうつもりだ、と言うのならば喜ばしい。しかし、そうでなければ喜ぶべきではない。
私の道は、人々の心の荒蕪を開くことを本義としている。一人の心の荒蕪を開くことができれば、地の荒蕪が何万町あろうとも、それは憂慮すべきことではない。汝の村を例にとると、汝の兄一人の心の開拓が成っただけで、一村の様子がたちまち一新したではないか。大学に『明徳を明らかにする』『民を新たにする』『至善に止まる』とあるが、明徳を明らかにするというのは心の開拓のことを指している。汝の兄がわずかに明徳を明らかにしただけで、村人たちはすぐさま新たな人々となった。徳が流行する速度は、置郵して命を伝えるよりも速いとは、まさにこのことだ。
帰国したならば、早く至善に止まるための方法を立てて父祖の恩に報いるのが、汝の専務である。」
小田原藩にて、報徳仕法について「良法であることには相違ないが、やむを得ぬ事情があるため、今後しばらく中止する」との布告が出された。この知らせを聞いて憂慮した領民が、尊徳翁のもとを訪れ、手作りの芋を持参して嘆き悲しんだ。
尊徳翁は彼らを諭してこう言った。
「この芋のような作物は、腹を満たし、生活に欠かせない大切なものである。だからこそ、この芋を広く植え、収穫を増やそうと願うのは当然のことだ。しかし、天運はすでに冬に向かい、雪や霜が降り、地面も凍りついている。この状況下で無理に植えようとすれば、芋は霜や凍結で損なわれ、種までも失うことになる。これは仕方のないことだ。芋が大切な作物であるからといって、自然の寒さに耐える力があるわけではない。一方、食料にもならない粗末な草木は、逆に寒さや霜にも耐えられる。これが自然の摂理というものだ。
今は寒気と雪に覆われた冬の時期だ。そこで、芋の種を土中に埋め、藁でしっかりと囲い、深く納めておくのだ。そして、春になり、雪や霜が消えるのを待て。いくら寒さが厳しく、雪や氷に閉ざされたとしても、いずれ必ず春が来て、草木が芽吹く時期が訪れる。その時に、囲っておいた芋の種を取り出し、田畑に植えれば、たちまち一面に繁茂し、豊かな実りが期待できるだろう。
しかし、春の陽気が戻ってきても、今、種を囲っておかなければ植えられるものがない。農事というものは、春になり草木が芽吹き始めたら種を植え、秋風が吹き草木が枯れ落ちる前に、種を土中に埋めて次の春に備えるものだ。道が行われるか否かもまた天の運命に左右される。人の力でどうこうできるものではないのだ。この時期においては、どんな才智も、どんな弁舌も、どんな勇気も役に立たない。ただ、芋の種を土中に埋めるのが最善の策だ。
小田原の仕法もまた然り。先君の命により始まり、当君の命により畳まれる。それはこれまでのことであり、天地間の万物の生死もまた同じ。天地の命令によるものであって、私心でどうこうできるものではない。春風が万物を育て、秋風が万物を枯らす。それも天地の命令であって、私たちがどうこうできるものではないのだ。
曾子が死に臨んで『私の手を開き、私の足を開け』と言ったように、私もまた然り。私の日記や書簡を見ればわかるだろう。私がいかに深淵に臨むような心境で、薄氷を踏むような思いでこの道を進んできたか。報徳仕法が畳まれることとなり、私が免れることになったのも、ただ天命によるものだ。さあ、汝らは早く家に帰り、芋の種を囲って春を待ち、新たに植え広めよ。決して心を違え、焦ったり嘆いたりすることのないように。慎むのだ、慎むのだ。」
下館藩に高木権兵衛という人物がいた。報徳信友講の結社が結成され、発会の際に投票が行われた。その時、高木氏は自分の投票札にこう書いた。
「私は不仕合で借金が家中でも第一である。また、確実で誠実なことも第一である。しかし、自分自身に票を入れることはできない。」
そこで札には「鈴木郡助」と書いて投票した。
それから年月が経ち、高木氏は家老職に就き、鈴木氏は代官役に昇進した。
尊徳翁は次のように語った。
「今日になって、あの時の投票のことを思い出す。自藩の中で『第一に誠実な者』と記したことに恥じるところがなく、また、自分ではなく鈴木某と記したことにも恥じるところがない。これは真に我欲を捨てた、他に並ぶ者のいない人物と言うべきである。」
尊徳翁は次のように語った。
「大道とは、水のようなものだ。世の中を潤し、停滞することがないものだ。しかし、その尊い大道も、文字として書き記し、書物にした時には、もはや世の中を潤す力を失い、世の中で役立つものとはならない。これはちょうど水が凍りついた状態と同じである。凍ったものも水には違いないが、少しも潤すことはなく、水本来の役割を果たさない。
さらに書物の注釈というものは、氷からさらに氷柱ができたようなもので、凍ったものが溶けずにまた形を変えて固まったようなものだ。注釈もまた世の中を潤さず、水本来の役割を果たさないのは同じことだ。
こうして、氷のようになった経書を世の中で役立てるには、胸中の温かな心をもって氷を溶かし、元の水に戻して使わなければならない。しかし、その温かな心が胸中になければ、氷のまま使おうとしても、元の水のようには役立たない。これは非常に愚かなことだ。世の中に神儒仏の学者がいながら、その学問が世の役に立たないのは、このためである。よく考えなさい。
だから、私の教えでは実行を尊ぶ。経文や経書というものは、本来、機織りの縦糸のようなものである。縦糸だけでは何の役にも立たない。日々の実行という横糸を織り込んで初めて、役に立つ布になるものだ。横糸として実行を織り込まず、ただ縦糸だけでは、無益であることは明らかだ。」
尊徳翁は次のように語った。
「神道とは、天地開闢以来の大道であり、皇国の本源の道である。豊芦原を瑞穂の国として安らかに治められた、まさにその大道が神道である。この国を開いた道、それが真の神道である。我が神道が盛んに行われるようになってから、儒教も仏教も我が国に伝来したのだ。我が神道である開闢の道がまだ盛んでなかった頃に、儒教や仏教が入り込む道理はない。
神道という開闢の大道が先に存在し、それが十分に満たされた後にこそ、儒教や仏教が必要とされるようになったのだ。この理は疑いようがない。譬えば、嫁がいないのに夫婦喧嘩が起こることはない。子が幼いうちに親子喧嘩が起こることもない。嫁がいて初めて夫婦喧嘩が生じ、子が成長して初めて親子喧嘩が起こる。この時になって初めて、五倫五常の教えや、悟道治心の学びが必要とされるようになる。
しかし、世の人々はこの道理に暗く、儒教や仏教といった治国治心の道を、本元の道と誤解している。これは大いなる誤りである。本元の道とは、開闢の道であることは明白だ。私はこの誤りを正すために次の歌を詠んだ。
『古道につもる木の葉をかきわけて天照す神の足跡を見ん』
よく味わいなさい。天照大神の足跡のあるところこそが、真の神道である。
現在、世にいう神道というものは、神主の行う道にすぎず、神そのものの道ではない。さらにひどいことには、巫女や祝が神札を配り米銭を乞う行為まで神道だと言う者がいる。神道とは、どうしてこのような卑しいものになり果てたのか。よく考えるべきである。」
綾部の城主九鬼侯が、所蔵する神道の書物十巻を翁に送り、読んでほしいと願い出た。しかし、翁は多忙を理由にその封を解かず、二年間そのままにしておかれた。ある日、翁が少し体調を崩され、病床にてその書を開き、予に読ませて語られた。
翁はこう述べられた。
「この書はすべて、神に仕える者の道について述べたものであり、神そのものの道ではない。このような書物が万巻あったとしても、国家の役には立たぬ。そもそも、神道というものが国家のために、今日何の用もなさぬものであるはずがない。
中庸にも『道は須臾も離るべからず、離るべきは道にあらず』とあるように、本来の道は、日々の生活から離れることはあり得ない。だが、世間で道を説く書籍のほとんどは、このように道から外れたものである。こうした書があっても益はなく、無くても損はない。
予の歌にもこう詠んだ。
『古道に積る木の葉をかき掻分けて天照す神のあし跡を見む』
古道とは、皇国固有の大道のことである。そして積もる木の葉とは、儒教や仏教をはじめとする諸子百家の書籍の多さを指す。
皇国固有の大道は、今もなお存在している。しかし、儒教や仏教、諸子百家の書籍という木の葉がそれを覆い隠し、目に見えなくしているのだ。真の神道を見出そうとするならば、この木の葉に例えられる書籍をかき分け、大御神の足跡がどこにあるのかを探し求めなければならない。
汝らが積もり重なった木の葉に目を奪われるのは、大きな過ちである。その木の葉を掻き分け捨てて、大道を得ることに努めよ。さもなくば、真の大道にたどり着くことは決してできない。」
翁はこう語られた。
「仏書に、『光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨』とある。ここでいう光明とは太陽の光を指し、十方とは東西南北、乾(北西)、坤(南西)、巽(南東)、艮(北東)の八方に天地を加えた十の方向を表している。念仏衆生とは、この太陽の恩恵を念じ慕う一切の生物を指す。
天地間に生育するもの、有情蠢動するものはもちろん、無情の草木すら、すべて太陽の徳を慕い、その恩恵を念じる。これが仏国において念仏衆生と呼ばれる所以だ。神国ではこれを念神衆生と読むべきであろう。ゆえに、この念を持つ者は漏らされることなく、生育がかなえられ、見捨てられることはない。この言葉は、太陽の大いなる徳を述べたものであり、すなわち我が国の天照大神の徳を表している。
このように、太陽の徳は広大であるが、芽を出そうとする念慮や育とうとする気力がないものはどうすることもできない。芽を出そうとする念慮、育とうとする生気があるものに対してこそ、太陽はその芽を出させ、育てる。このことが太陽の大徳なのである。
私の無利子金貸付の法は、この太陽の徳を象って作られたものだ。どれほどの大借であっても、人情を失わず、利子もきちんと支払い、元金も滞りなく返済しようとする者。また、ぜひともすべてを済ませて他に迷惑をかけまいとする念慮を持つ者は、ちょうど芽を出したい、育ちたいという生気を持つ草木と同じである。そうした者には無利子金を貸して引き立てるべきである。
しかし、無利子の金を借りながら、人情もなく、利子も払わず、元金さえ踏み倒そうとする者は、すでに生気を失った草木と同じだ。いわゆる縁のない衆生であり、そうした者に対しては、どうすることもできない。これを捨て置くほか道はない。」
ある人が翁に尋ねて言った。
「仏経に『色即是空、空即是色』とあるが、これはどういう意味でしょうか。」
翁は答えて言われた。
「たとえば、『二と一を足せば三』とか、『二五は十』と言うのと同じだ。ただその言い回しが妙なだけで、深い意味があるように聞こえるが、特別に深い意味があるわけではない。
そもそも天地間の万物において、目に見えるものを『色』と言い、目に見えないものを『空』と呼んでいる。『空』というと、何もないように思えるが、すでにそこには気が存在する。気があるからこそ、直ちに『色』が現れるのだ。たとえるならば、氷と水の関係のようなものだ。氷は寒気によって固まり、暖気によって溶ける。水は寒気によって『死』して氷となり、氷は暖気によって『死』して元の水に戻る。
つまり、生じれば滅し、滅すれば生じる。有常(変わらないもの)も本当は有常ではなく、無常(変わるもの)も本当は無常ではない。この道理を『色即是空、空即是色』と説いているのだ。」
翁が僧弁算に問われた。
「仏が一代に説かれた教えは無量である。しかしながら、そこに多様な意図があるとは思えない。一切経蔵に題名を付けるとすれば、どのようなものになるか。」
弁算は答えて言った。
「経には『諸悪莫作、衆善奉行(もろもろの悪をなすなかれ、すべての善を行え)』とあります。この二句で、万巻の一切経を覆うことができるでしょう。」
翁はうなずいて言われた。
「その通りだ。」
翁曰、仏教に極楽世界の事を説いて、赤色には赤光あり、青色には青光ありと言う。極楽といえども、特に珍しいことがあるわけではない。人は皆、それぞれの家、株、田畑は自分の作徳の結果であり、自分の商売や職業は自分に利益をもたらすものとする。己の家屋敷は自分にとって安宅となり、家財は自分の生活の便宜になる。
己の親兄弟は自分にとって親しい存在であり、妻子は自分の楽しみとなる。また田畑は美しく、米麦や百穀を産出し、山林は繁茂して良材を供給する。これこそが、「赤色には赤光あり、青色には青光あり」という意味である。このようになれば、現世そのものが極楽となる。
この極楽を得る道は、各自が受け取った天禄の分度を守ることにある。一度でもこの天禄の分度を失えば、己の家や株、田畑は自分の作徳とはならず、商売や職業も利益を生まない。
安住すべき家屋敷は安宅ではなくなり、家財は生活に役立たず、妻子や親族も楽しみとはならない。さらに田畑は荒れ、米麦を生じず、山林は藤蔦に覆われ、野火で焼け、材木を供給しなくなる。これを「赤色には赤光なし、青色には青光なし」と言うのである。これ以上の苦患はなく、まさに所謂地獄である。
餓鬼界に落ちる者は、飢えて食べようとしても食物が火となり、渇いて飲もうとすれば水が火となるとされる。これは、天から授かった天禄を利息で取られ、賄賂に費やし、己の衣食が足りなくなる状況と何ら変わらない。これこそ、苦患の極みではないか。
我が仕法は、経を読まず、念仏や題目を唱えることもなく、この苦罪を消滅させ、極楽を得させる。青色をして青色あらしめ、赤色をして赤色あらしむるのが、この大道である。
翁曰、
世界万般、すべて一理に通ずるものである。予は一草を通じて万理を究めることを試みる。儒書に次のように記されている。
「その書は始めに一理を述べ、中途で万事に散じ、末には再び一理に合する。これを放てば六合に広がり、これを巻けば密に蔵される。その味わいは尽きることがない。」
ここで試みに一草を通してこれを読んでみよう。
「この草は始めに一つの種であった。蒔けば発芽し、根葉となり、実を結べば再び一つの種となる。これを蒔き植えれば六合に広がり、これを蔵すれば密に収められる。これを食すれば、その味わいは尽きることがない。」
また仏語には次のようにある。
「本来、東西はなく、どこに南北があるというのか。迷うがゆえに三界という城があり、悟るがゆえに十方が空である。」
これも一草を通じて読んでみると次のようになる。
「本来、草に根葉はなく、どこに根葉があるというのか。植えるがゆえに根葉という草となり、実を結ぶがゆえに根葉が消える。」
呵々(かか)。※
※:「大声で笑うさま」を指し、ここでは翁が理を読み解いたことへの満足感や滑稽味を表現しています
或道を論じて条理無し、 翁曰、卿が説は悟道と人道と混ず、悟道を以て論ずるか、人道を以て論ずるか、悟道は人道に混ずべからず、如何となれば、人道の是とする処は、悟道に所謂三界城なり、悟道を主張すれば、人道蔑如たり、其相隔るや、天地と雲泥とのごとし、故に先其居所を定めて、然して後に論ずべし。居所定らざれば、目のなき秤を以て軽重を量るがごとく、終日弁論するといへども、其当否を知るべからず。
夫悟道とは、譬ば当年は違作ならんと、未耕さゞるの前に観ずるが如きを云、是を人道に用ひて違作なるべき間、耕作を休んと云は、人道にあらず。田畑は開拓するとも又荒るゝは自然の道なりと見るは悟道なり、而て荒るればとて開拓せざるは人道にあらず。川附の田地洪水あれば流失すると云事を平日に見るは悟道なり、然して耕さず肥しせざるは人道にあらず。
夫悟道は只自然の行処を見るのみにして、人道は行当る所まで行くべし。古語に「父母に事る機く諌む、志の随はざるをみて、敬して違ず、労して恨ず」とあり、是人道の至極を尽せり。発句にも「いざゝらば雪見にころぶ所まで」と云り、是又其心なり。
故に予常に曰、親の看病をして、最早覚束なしなどゝ見るものは、親子の至情を尽すことあたはじ。魂去り体冷て後も、未全快あらんかと思ふ者にあらざれば、尽すと云べからず。故に悟道と人道とは混合すべからず、悟道は只自然の行く処を観じて、然して勤むる処は人道にあるなり。
夫人倫の道とする処は、仏に所謂三界城裏の事なり。十方空を唱る時は、人道は滅すべし。知識を尊み娼妓を賎しむは迷なり、左はいへども、如レ此迷はざれば人倫行はれず。迷ふが故に人倫は立なり。故に悟道は人倫に益なし。
然といへども、悟道にあらざれば執着を脱する事能はず、是悟道の妙なり。人倫は譬ば繩を索ふが如し、よりのかゝるを以てよしとす。悟道は縷を戻すが如し、故によりを戻すを以て善とす。人倫は家を造るなり、故に丸木を削りて角とし、曲れるを揉て直とし、長を伐りて短とし、短を継て長くし、穴を穿ち溝を掘り、然して家作を為す。
是則迷故三界城内の仕事也。然るを本来なき家なりと破るは悟道なり。破て捨る故に十方空に帰するなり。然りといへども、迷と云悟と云は、未徹底せざる物なり。其本源を極れば迷悟ともになし。
迷といへば悟と言ざる事を得ず、悟といへば迷と言ざる事を得ず、本来迷悟にて一円なり。譬ば草木の如き、一種よりして、或は根を生じて土中の潤沢をすひ、或枝葉を発して大虚の空気を吸ひ、花を開き実を結ぶ。是を種より見ば迷と云べし。
然といへ共、忽秋風に逢へば枯果て本来の種に帰す。種に帰するといへども、又春陽に逢へば忽枝葉花実を発生す。然らば則、種となりたるが迷か草となりたるが迷か、草に成りたるが本体か種になりたるが本体か。
是に因て是を観るに、生ずるも生ずるにあらず枯るゝも枯るるに非ず。されば、無常も無常にあらず有常も有常にあらず。皆旋転不止の世界に住する物なればなり。
予が歌に「咲けばちりちれば又さく年毎に詠め尽せぬ花のいろいろ」、一笑すべし。
七一
俗儒が翁の愛護を受けて儒学を教えていたが、ある日、近村で大飲酒をし、酔って路傍に倒れ、醜態をさらした。これを見た弟子の一人が、翌日から教えを受けるのをやめた。儒者は憤り、翁に訴えた。
儒者:「私の行いに少しの不善があったとしても、私が教えるのは聖人の書です。私の行いを理由に、聖人の道までも捨てる理がありましょうか。どうか説得して、弟子を再び学に就かせてください。」
翁はこれを聞いて言った。
翁:「君、憤ることはない。譬え話で解こう。ここに米がある。これを炊いて飯にし、糞桶に入れたとしよう。君はこれを食べるか?もともと清らかな米飯に疑いはない。ただ、糞桶に入れられたというだけだ。それでも食べるのは犬くらいのものだ。君の学問もこれと同じだ。聖人の教えはもと赫々たるものである。しかし、君という『糞桶』を通じて説かれるがゆえに、弟子たちはそれを聞かないのだ。これを不合理といえようか。
さらに問うが、君は中国の出身と聞くが、何のためにこの地に来たのか?また、誰に頼まれて来たのか?学問を教えることが聖人の道であるなら、なぜ国を離れたのか。君は私の客分となっているが、これもなぜだ。もしもただ口腹を養うためならば、農業や商業をしていればよいではないか。君は何のために学問をしたのか?」
儒者は答えた。
儒者:「私は過ちを犯しました。ただ人に勝ちたいという欲望から読書をしていただけです。私が間違っていました。」
そう言って、儒者は謝罪して去った。
ある人が論語の曾点の章について質問した。
翁曰く「この章は、特に難しく解釈する必要はない。三子(曾点のほか、三人の弟子)が述べた志が、理屈に偏りすぎているため、孔子は曾点の質朴な志を評価し、一転して曾点を支持したというだけのことであろう。もし三子が同じように、舞雩に出て風に吹かれ詠じて帰ろう、といった内容を述べていたなら、孔子はまた別の観点から、例えば『用を節にして人を愛し、民を使うには時を見計らうべきだ』とか、『言葉は忠信をもって語り、行いは誠実さをもって敬う』などと返していただろう。
別段、深遠な意味が込められているわけではなく、前の言葉に対して遊び心を交えて反応したようなものだと思われる。」
翁は、道端で売卜者(占い師)の看板に太陽と月の絵が描かれているのを見ておっしゃいました。
「あの売卜者の看板に日月の絵を描く発想は、仏寺が金箔を施した仏像を安置するのと同じ発想だ。ただ、仏寺の仏像は巧妙を極めており、売卜者の看板は拙劣を極めている。
太陽は赤く丸く、三日月は細く白いものだ。それをそのまま絵に描くのは正直ではあるが、非常に愚かで未熟だ。だから、人々にとって尊ぶべきものにはならない。
一方で、仏教ではこれを人体に写し、さらに人々が最も尊ぶ黄金の輝きを使って、仏の尊さを示している。この発想の巧妙さは、売卜者のような者には到底及ばないものだ。」
予が暇を乞い、帰国しようとすると、二宮先生は仰いました。
「次男や三男に生まれる者が他家の相続人となるのは、それ自体が天命である。その天命に従い、養家に入るとき、その家の身代を多少なりとも増やしたいと願うのは、人情であり、誰もが理解できる自然な道理だ。しかし、それだけではない、もう一つ見えにくい道理がある。
それは、他家を相続するべき道理があってその家に入るとき、その家で果たすべき役割があるということだ。その務めを果たすのは当然だが、さらに一歩進んで、養父母を安心させ、祖父母の気持ちに逆らわないよう心を尽くし努力することで、養家に『安心の場』を築くことができる。これによって養父母の心を得る。これが養子としての徳の第一歩だ。
親を養うのは子の常であり、頑固者でも、野人であっても親を養う者はいる。しかし、親を養う際に、単に世話をするだけでなく、親が心から安心し、満足するように気を配り、力を尽くすと、親は心穏やかになり、何事も子に任せるようになる。それが養子にとってこの上もない徳であり、積徳の結果といえるのだ。この理は、普通の人には見えにくい。
これを農業にたとえると、米や麦、雑穀などは、通常肥料を二度与え、草取りを三度行うと決まっている。しかし、それ以上にもう一度肥料を施し、草をさらに取り除き、ひたすら作物がよく育つことだけを願い、手間を惜しまなければ、作物は思うままに育つ。そして秋の収穫期には、願わずしても実りが多くなり、家が豊かになるのだ。この理は人々が家産を増やしたいと思う気持ちと同じだが、心のある者でなければ理解しがたい。これこそが、いわゆる難解な理である。」
翁はさらに次のように仰いました。
「茶道の利休の歌に『寒熱の地獄に通ふ茶柄杓も心なければ苦もなし』とあります。しかし、この歌にはまだ不足があります。なぜなら、無心を尊ぶことを説いているものの、ただ無心であるだけでは人間は国家の役に立ちません。ここでいう心とは、自分勝手な心、つまり『我心』のことです。ただ我を捨て去るだけでは十分ではありません。我を捨てた上で、一心を定め、微塵も心が揺らがない境地に達しなければ、真に尊ぶべき姿とは言えません。ですから私は常々この歌は未完成だと言い、もし詠み直すなら『茶柄杓の様に心を定めなば湯水の中も苦みはなし』とすべきだと考えています。
人間が尊ばれるのは、一心を定めて心を揺らさないときです。もともと、人が富貴安逸を好み、貧賤勤労を嫌うのは普通の感情です。しかし、婿や嫁として養家に入った者にとって、養家は夏の火の中のように暑苦しく、冬の寒野に出たように厳しいものです。それに比べて実家に帰ると、夏の氷室のように涼しく、冬の火のそばにいるように快適だと感じるのが常です。
しかし、そのようなときにこそ、自分に課せられた天命を理解し、天命に従って安住すべきことを悟るべきです。そして養家を我が家と覚悟し、心を揺らさないことが重要です。不動尊の像のように、背に猛火を浴びても動じないと決めて、養家のために心力を尽くせば、実家に帰りたいと思っても、その暇すらないでしょう。このように励めば、心力や勤労も苦にならないものです。
これは、単に『我』を捨てるだけでなく、一心に覚悟を決め、それを徹底することが肝要です。例えば農夫が、暑さ寒さの中で田畑を耕し、風雨の中で山野を駆け回る。あるいは車夫が車を押し、米搗きが米を搗く様子を他人が見れば、苦労の多さに気の毒だと思うでしょう。しかし、本人にとっては覚悟が定まっており、労働に慣れているので苦に感じません。同じく、武士が戦場で野に伏し、山に潜んで命を君のために捨てるのも、一心が決定しているからこそ可能なのです。
ですから、人は自らの天命を弁え、それに安じて我を捨て、一心を決定し、揺らがない姿勢を持つことが尊いのです。」
翁は次のように仰いました。
「『論語』には、大舜の政治を論じて、『己を恭くして正く南面するのみ』とあります。汝が国に帰り、温泉宿を生業とするなら、この言葉を『己を恭して正く温泉宿をするのみ』と読み替えて、生涯忘れることがないようにせよ。そうすれば利益が多く得られるであろう。また、『こうすれば利得がある』などと世間の流行に流され、本業の本質的な理を誤ってはならない。
己を恭くするとは、自らの品行を敬い、それを堕さないようにすることを言う。その上で、業務の本質的な理を間違えることなく、『正しく温泉宿を営むのみ』、『正しく旅籠屋を営むのみ』と決めて心に深く刻み込むのだ。この理はすべての人に共通している。
農家であれば、己を恭くして正しく農業を行うのみ。商家であれば、己を恭くして正しく商売を行うのみ。工人であれば、己を恭くして正しく工事を行うのみ。このようにすれば必ず道を踏み外すことはない。
『南面するのみ』とは、国政に専心し、一心に努めることで、外部のことを考えたり手を出したりしないことを意味している。ただ単に南を向いて座っている、ということではない。この理は非常に深遠であるから、よく考え、深く心得るようにせよ。
身を修めることも、家を斉えることも、国を治めることも、この一つの理に尽きる。この理を忘れることなく、また怠ることがないようにせよ。」
山内董正氏の所蔵に、次のような図がありました。
翁はそれを見て次のように仰いました。
「この図や説は確かに面白い。しかし、『満』という字の解釈が明確でない。また、『満を持する』という説も不十分に感じる。『論語』や『中庸』に見られる語調や論旨とは若干隔たりを感じる。これはどの書にあるものだろうか。」
門人が尋ねました。
「どうか『満』の字の解釈と、『満を持する』方法を教えていただけませんか。」
二宮先生は次のように答えました。
「世の中で、何をもって『満』とするのかは定義しづらい。たとえば、百石を満とすれば五百石や八百石の者もいる。千石を満とすれば五千石や七千石の者もいる。万石を満とすれば五十万石や百万石の者もいる。このように、どこを基準に『満』と定めるのかは非常に難しい。それが世人が迷い惑う原因だ。
世間の書籍で言われることは、たいていは言うに容易いが、実際に行うには困難なことばかりである。そこで私は、人々に次のように教えている。『百石を持つ者は五十石で生活を立て、千石を持つ者は五百石で生活を立てるようにし、すべての者がその半分で暮らし、残り半分を他者に譲るべきだ』と。このように各々が分限を守り、その中道を実践することが重要である。それぞれの『中』は異なるため、一律ではなく各自の状況に応じた形が望ましい。これが『允に其中を執れ』の教えに基づくものだ。
このように教えれば、誰にとっても明確で迷いがなく、疑いも生じない。このように教えなければ実際には役立たない。私の教えでは、これを『推譲の道』と呼び、人道の極みとする。『中であれば正しい』という教えに叶ったものだ。
また、この『推譲』には段階がある。今年の収穫を来年に譲ることも譲りであり、これは貯蓄を意味する。子孫に譲ることもまた譲りであり、家産の増殖を指す。そのほか、親戚や朋友に譲ることも必要であり、村里や国家に譲ることも避けられない。資産を持つ者は分度を確固として定め、そのうえで譲るべきである。」
(山内氏蔵幅之縮図)
孔子が魯桓公の廟を訪れた際、欹器(きき)と呼ばれる器を見つけました。孔子が守廟者に尋ねて言いました。
「これは何の器ですか?」
守廟者は答えました。
「これは宥坐(ゆうざ)の器です。」
孔子は言いました。
「私は宥坐の器について聞いたことがあります。それは、虚(から)のときは欹(傾)き、中(ちゅう)のときは正(ただ)しく、満ちると覆(こぼ)れるものです。明君はこれを至誠の象徴として考え、常に座の傍らに置いておくのです。」
孔子は弟子たちに向かい、言いました。
「試しに水を注いでみなさい。」
弟子が水を注ぐと、果たして、水が中ほどにあるときは器が正しく立ちましたが、満ちると器は倒れました。
これを見て孔子は深いため息をつき、言いました。
「嗚呼、万物で満ちても覆らないものがあるだろうか。」
子路が進み出て、尋ねました。
「満ちるを保つ道はありますか。」
孔子は答えました。
「聡明睿智であっても、それを愚で守り、功が天下に及んでも、それを譲で守り、勇力で世に振るっても、それを怯で守り、富が四海に及んでも、それを謙で守ることだ。これこそ、いわゆる『損之又損之(減らしてまた減らす)』の道だ。」
山内氏蔵幅之縮図
孔子観於魯桓公之廟有欹器焉夫子
問於守廟者曰此謂何器対曰此蓋為
宥坐之器孔子曰吾聞宥坐之器虚則
欹中則正満則覆明君以為至誠故常
置之於坐側顧謂弟子曰試注水焉乃
注之水中則正満則覆夫子喟然歎曰
嗚呼夫物悪有満而不覆者哉子路進
曰敢問持満有道乎子曰聡明睿智守
之以愚功被天下守之以譲勇力振世
守之以怯富有四海守之以謙此所謂
損之又損之之道也
七八 二宮先生は仰いました、「世間では人々が貧富や驕奢、倹約について口にするが、一体何をもって貧とし、富とするのか。また、何を驕奢(おごり)とし、何を倹約とするのか、その理を詳しく考えない。元より天下には大も限りがなく、小も限りがない。たとえば、十石(収穫高)を貧しいとすれば、無禄(収入のない者)がある。逆に、十石を富めるとすれば、百石を持つ者もいる。百石を貧しいとすれば、五十石の者があり、百石を富とすれば、千石や万石を持つ者もいる。
千石を大きいとすれば、世人はそれを小旗本と呼び、万石を大きいとすれば、それを小大名という。そうであるならば、何を基準にして貧富や大小を論じるべきだろうか。
たとえば、売買においては、物の価値とその価格を比較して初めて高い安いを論じることができる。物だけを見て高い安いを論じることもできないし、価格だけを見ても同じく判断はできない。それと同じように、貧富や大小についても、具体的な基準を設けずに議論するのは無意味だ。
詳しく述べると、千石の村に一〇〇戸があり、一戸あたり一〇石が平均であるとすれば、これが自然の基準といえる。これは、貧しくもなく、富めるわけでもなく、大でも小でもない、不偏不倚(中庸)な状態といえる。これを基準として、それ以下の状態を『貧』と呼び、これを超える状態を『富』と呼ぶ。
さらに、一〇石の家が九石で生活を営むのを『倹約』といい、一一石を費やすのを『驕奢』と呼ぶ。私は常々こう言っている。『中(平均)は増減の源であり、大小、貧富という概念が生じる起点である』と。
貧富は村々の石高の平均を基準にして定め、驕奢や倹約はそれぞれの人の分限(身分や収入)を基準にして論じるべきである。分限に応じて、朝夕膏粱(上等な食事)に飽き、錦繡(きんしゅう、豪華な衣服)をまとい、玉堂(立派な家)に住まうことも驕奢ではない。一方で、分限に応じて米飯すらも驕奢となる場合があり、茶や煙草ですらも奢りにあたることもある。
したがって、安易に驕奢や倹約を論じるべきではない。理をもって判断することが肝要である。」
ある人が問うた。「推譲の論がまだ理解できない。一石の収穫しかない者が五斗で生活し、残りの五斗を譲るとか、十石の収穫がある者が五石で生活し、残りの五石を譲るとかいう話は、どうにも実行困難ではないか」と。
翁は答えた。「そもそも譲るという行為は人間としての道である。今日のものを明日に譲り、今年のものを来年に譲るという行いを怠る者は、人間でありながら人間ではない。十銭を得て十銭を使い、二十銭を得て二十銭を使い、宵越しの銭を持たないというのは、まさに鳥や獣の生き方であり、人間の道ではない。鳥や獣には、今日のものを明日に譲り、今年のものを来年に譲るという道がない。しかし人間はそうではない。今日のものを明日に譲り、今年のものを来年に譲る。さらに、自らの子孫に譲り、他人に譲るという道がある。
雇われて給金を得、その半分を使い、残りの半分を将来のために蓄える者もいる。あるいは田畑を購入し、家を建て、蔵を構える者もいる。これらはすべて子孫に譲るための行いだ。世間の人々は気づかぬうちに、これを行っている。これがすなわち譲る道である。したがって、一石の収穫のうち五斗を譲るということも、決して不可能なことではない。なぜなら、それは自分自身のための譲りだからだ。このような譲りは、教えがなくても自然と行われる。しかし、これよりも高い次元の譲りは、教えがなければ実行が難しい。
では、その高次の譲りとは何か。それは親戚や友人のために譲ることだ。郷里のために譲ることだ。さらに難しいのは、国家のために譲ることである。このような譲りも結局は、自らの富や名誉を保つための行為にすぎないのだが、目の前で他者に譲る行為であるがゆえに、難しいのである。家産を持つ者は努めて家の規律を定め、推譲を実践すべきである。」
またある人が問うた。「そもそも譲るという行為は、富者の道ではないか。たとえば千石の収穫がある村に百戸の家があるとして、各戸の収穫が十石の場合、これは貧しくもなく富ともいえない家だ。そのため譲る必要はないだろう。しかし、もし十一石の収穫がある家は富者の範疇に入るとし、十石五斗を標準と定め、五斗を譲る。また二十石の収穫がある家は同じように五石を譲り、三十石の収穫がある家は十石を譲ると定めるのはどうか。」
翁は答えた。「それでよい。しかし譲りの道は人間としての道である。人間に生まれた以上、譲りの道を行わずに済ますことはできないのだ。このことは議論を待つまでもない。ただし、人によって、家によって、老若の人数や病人の有無、厄介な事情などさまざまな事情があるため、全戸に法を設けて厳格に行わせることは難しい。
そこで、主に富者に教え、有志の者に勧めて実践させるべきだ。そして、この道を実践する者には、富や名誉が帰ってくる。この道を怠る者には、富や名誉はすべて離れていく。少し行えば少し帰り、多く行えば多く帰る。私が述べることに間違いはないだろう。世の富者たちに最も教えたいのは、この推譲の道である。ただし、これは富者だけに限らない。金銭や穀物だけに限るものでもない。道を譲らなければならず、土地の境界も譲らなければならない。言葉も譲らなければならず、功績も譲らなければならない。二三人の若者たちよ、この道をよく務めよ。」
翁が言った。「世の人々が富や名誉を求め続けて止まることを知らないのは、凡俗の共通した病である。このため、永続的に富や名誉を保つことができないのだ。では、『止まるべき処』とは何であろうか。それは、日本人であれば日本が自らの止まるべき処である、ということだ。同じように、この国はこの国の人々が止まるべき処であり、その村はその村の人々が止まるべき処である。ゆえに、千石の収穫がある村も、五百石の収穫がある村も同じであり、海辺の村も山谷の村もすべて同じ理である。
千石の収穫がある村に家が百戸あれば、一戸あたり十石の収穫があることになる。これが天命であり、まさに人々が止まるべき処なのだ。それなのに、先祖の恩恵によって百石や二百石を保っている者たちが、それをありがたく思わず、止まるべき処を知らずに際限なく田畑を買い集めようとするのは、なんと浅ましいことか。たとえるならば、山の頂上にすでに登りながら、さらに登ろうとするようなものである。すでに絶頂にいるのに下を見ず、ただ上だけを見ているのは危険である。
絶頂にいる者が下を見れば、すべてが眼下に広がる。その眼下の者たちを憐れみ、恵むべき道理が自ずとあるのだ。それなのに、天命によって富を得ている者がさらに自分を利することばかりを求めるならば、下の者たちがどうして貪ることをやめられるだろうか。もし上下が互いに利益を争えば、奪わなければ満たされない状況に至るのは必然であり、それが災いを引き起こす原因となる。これは非常に恐るべきことである。
また、海辺に生まれた者が山林を羨み、山里に住む者が漁業を羨むなどというのは、まったく愚かしいことである。海には海の利があり、山には山の利がある。それぞれが天命に安じて、それ以上のものを願ってはならない。」
矢野定直が訪れ、「私は今日、このような思いがけない結構なお言葉をいただき、まことにありがたく存じます」と言った。
翁が答えて言った。「卿が今述べたその一言を忘れず、一生を通じて今日という一日と同じ心持ちであれば、卿の身分はますます高くなり、繁栄もますます増すことに疑いはないだろう。卿が今日の心を基準として分度を定め、それを土台とし、この土台を踏み外さず一生を全うすれば、仁であり忠であり孝である。その成果がどれほどのものになるかは計り知れない。
おおよそ人々が何かを成し遂げた後、すぐに過ちを犯してしまうのは、結構なお言葉を与えられたことを、自分の内側の事柄として受け取らず、その結構を土台として踏み行わないからである。この初めの違いがこのように生じれば、その末には千里もの差異に至ることは必然である。
人々の財産についてもまた同様である。分限を超えたものを分内に取り込まずに別途貯えておけば、臨時の出費や予期せぬ必要が生じても、困ることはない。さらに売買においても、分外の利益を分外として扱い、分内に取り込まなければ、分外の損失を被ることもない。分外の損失とは、分外の利益を分内に取り込むことによって生じるものなのだ。
したがって、我が道が分度を定めることを大本とするのは、このためである。一度分度が定まれば、譲ることや施すことの徳功も努めることで必ず成し遂げられるだろう。卿が今日述べた『思いがけず結構なお言葉をいただき、ありがたく存じます』との一言を、生涯忘れてはならない。これが、私が卿のために心から祈ることである。」
翁が言った。「かつて、ある藩の某氏がその藩の老臣であった頃、私は彼に礼譲と謙遜を勧めたが、彼はそれを用いなかった。その結果、最終的にその職を退けられることとなり、今や困窮甚だしく、今日をしのぐことすらできない状況にある。
そもそも某氏は、その藩が衰退し危機に瀕していた時に功績を立てた人物であった。しかし、今このように窮しているのは、登用された際に自分の分限を守らなかった過ちにほかならない。官職にある者がその権勢が盛んで富を自由に得られる立場にいる時には、礼譲と謙遜を尽くすべきだ。そして、官職を退いた後に遊楽や驕奢にふけるのは構わない。そのように振る舞えば、人々に少しの非難もされず、その官職を妬まれることもないだろう。
進んで勤労に励み、退いて遊楽にふけるというのは、昼に働いて夜に休むようなもので自然なことである。しかし、進んでいる間に遊楽や驕奢に耽り、退いた後に節倹に努めるというのは、昼に休んで夜に苦労するようなもので不自然だ。進んでいる間に遊楽する者を、誰が羨ましく思わないだろうか。誰が妬まないだろうか。
そもそも、荷物運びの雲助が重い荷を背負うのは、好きな酒や食事を思う存分楽しむためである。同じように、遊楽や驕奢を楽しむためだけに国家の重職に就く者がいるならば、それは雲助と大差ない行いだ。そのような者が国家の重職に居座りながら、どうして長く安泰を保つことができるだろうか。
彼が職を退けられたのは当然のことであり、不幸なこととは言えないのだ。」
※雲助:人や物、駕籠の輸送に携わった人足。かつては善良な人足に混じって、悪質な者が相当数いたため、現代では蔑称となっており使用は忌避すべき言葉。
翁はさらに言った。「世に忠諫というものがあるが、大抵の場合、君主の好みに従って甘言を進め、忠言のように装いながら、実際には媚びへつらい、自分が寵愛を得ようとして君主を損なう者が少なくない。主たる者はこれを深く見抜き、注意を払わなければならない。
ある藩の老臣であった某氏は植木を好み、多くの植木を所有していた。あるとき、一人の者が某氏に語ってこう言った。『ある人の父は植木を好み、多くの木を植えましたが、その息子は漁猟だけを好み、植木を愛することはなく、すでに木を抜き取って捨てようとしています。私はこれを惜しんで思いとどまらせました』と。ただ、雑談の一環としてこの話を語っただけであった。
某氏はこれを聞いて言った。『その者はなんと無情なことか。樹木のようなものを植えたところで何の害があるというのか。それを抜き取って捨てるとは、実に惜しいことではないか。もし彼が捨てるというなら、私が拾おう。お前が適切に計らえ』と。そして最終的に、その植木を自分の庭に移植させた。
実はこの話をした者は、老臣である某氏に取り入ろうとする策略を巡らせており、某氏はその策略にまんまと引っかかったのだ。そして某氏は、この者を『忠義ある者』『信頼できる者』と称えた。こうした事例を見るに、節操を持つ人物であっても、知らず知らずのうちに不義に陥ることがある。
国を興し、民を安んじる法に従事する者たちは、こうしたことを恐れずにいられるだろうか。」
翁が言った。「太古の時代における交際の道は、互いに信義を通じ合うことに心と力を尽くし、自らの体を労して交わりを結んだものであった。なぜそのようであったかといえば、金銀貨幣が少なかったからである。
しかし、後世になり金銀の通用が盛んになると、交際において音信や贈答にも金銀を用いるようになり、通信が自由自在となり非常に便利になった。その結果として、賄賂というものが生じた。礼を行う、信義を通じると言いながら、最終的には賄賂に陥るようになったのだ。これにより、物事の曲直が不明瞭になり、法度が正しく行われなくなり、信義が廃れて賄賂が盛んに行われるようになった。そして、あらゆる事柄が賄賂なしには処理できないという状況に至った。
私が初めて桜町に赴いたとき、当地の奸民たちが争うようにして私に賄賂を贈ろうとした。しかし、私は塵や芥一つとして受け取らなかった。これにより、善悪や邪正がはっきりと区別され、信義を重んじ貞実を守る者が初めて現れるようになった。
この賄賂というものこそ、最も恐れるべきものである。卿たちは誓って、このようなものに汚されることがないようにしなければならない。」
伊東発身、斎藤高行、斎藤松蔵、紺野織衛、荒専八らが共に侍坐していた。いずれも中村藩の士であった。翁は諭して言った。
「草を刈ろうとする者が草に相談する必要はない。まず自分の鎌をよく研ぐべきだ。髭を剃ろうとする者が髭に相談する必要はない。自分の剃刀をよく研ぐべきだ。砥石に当てずに刃がつかない刃物が、そのまま放置して刃がついた例はない。
古語にこうある。『教えを孝によって行うのは、天下の父たる者を敬うためである。教えを悌によって行うのは、天下の兄たる者を敬うためである』と。これを刃物に置き換えれば、『鋸の目を立てることを教えるのは、天下の木を伐るためであり、鎌の刃を研ぐことを教えるのは、天下の草を刈るためである』ということになる。鋸の目をうまく立てれば、天下に伐れない木はない。鎌の刃をうまく研げば、天下に刈れない草はない。
したがって、鋸の目をうまく立てることができれば、天下の木はすでに伐り終わったも同然であり、鎌の刃をうまく研げば、天下の草はすでに刈り終わったも同然である。秤があれば、天下の物の軽重を知ることに困ることはない。桝があれば、天下の物の数量を知ることに困ることはない。
これゆえに、私の教えの大本は、分度を定めることを知ることにある。それができれば、天下の荒れ地はすべて開拓されたも同じであり、天下の借財はすべて返済されたも同じである。これが富国の基本だからだ。
私は往年、貴藩のためにこの基本を確固たるものとして定めた。それを守り抜くことができれば、その成果は計り知れないだろう。卿たちよ、しっかり学び、勤めよ。」
翁はさらに言った。「ここに物があるとする。それを売ろうと思うときは、飾らざるを得ない。たとえば芋や大根のようなものでも、売ろうと思えば根を洗い、枯れ葉を取り除き、田畑にある時とはその見た目を変えるものだ。これは売ろうとするからこそ、そのようにするのだ。
卿たちがこの道を学ぶとしても、この道を用いて世に出て立身しようなどと思ってはならない。世に用いられたい、立身出世したいと願うときは、本来の意図から外れ、本質を失うに至る。それによって過ちを犯した者はすでに数名いる。これは卿たちも知っていることだろう。
ただこの道を学び、自分自身で勤めることができれば、富や名誉は天から自然にやってくるものである。決して他人からそれを求めてはならない。
さて、古語に『富貴は天にあり』という言葉があるが、これを誤解して、寝ていても富や名誉が天から降ってくるものだと思う者がいる。それは大いなる勘違いだ。『富貴は天にあり』とは、自らの行いが天理にかなっているとき、求めなくても富や名誉が訪れるという意味である。誤解してはならない。
天理にかなうとは、一刻も間断することなく、天の道が循環するように、日月が運行するように、絶えず勤めて怠らないことをいうのだ。」
翁が言った。「世の中には道を説いた書物が無数に存在するが、一つとして癖がなく完全なものはない。なぜなら、釈迦も孔子も人間であり、経書や経文といわれるものもすべて人間が書いたものであるからだ。
ゆえに私は、不書の経、すなわち言葉を持たずして四季が巡り、万物が成り行く天地そのものを経文とし、その中で矛盾しないものを取り、矛盾するものは採用しない。だから私が説く道には、決して誤りがないのだ。
たとえば、灯皿に油があれば火は消えないことを知れ。もし火が消えれば、それは油が尽きたからだと知れ。大海に水がある限り、地球も太陽も変動しないことを知れ。しかし万一、大海の水が尽きることがあれば、世界はその時点で終わる。地球も太陽も散り散りになるだろう。だが、その時までは、私の説くこの大きな道は決して誤ることがない。
私の道は天地を経文としているのだから、太陽に光がある限り、行われないこともなく、誤ることもない大いなる道なのだ。」
翁が言った。「家屋のことを俗に『家船』または『家台船』と言うが、これは面白い俗言だ。家というものを、まさに船と心得るべきである。もしこれを船と見立てるならば、家の主人は船頭であり、一家の者はすべて乗り合いの乗客である。そして世の中は大海だと考えればよい。
この場合、家船に何か問題が起きても、また世の大海で何か事が起きても、すべて逃れられない事態である。だからこそ船頭である主人はもちろんのこと、この船に乗り合ったすべての者が一心協力して、この家船を維持すべきなのだ。
さて、この家船を維持するためには、二つの専務がある。一つは楫(かじ)の取り方であり、もう一つは船に穴が開かないようにすることである。この二つに十分気を配れば、家船の維持は間違いない。しかし、楫の取り方に心を用いず、家船の底に穴が開いても、それを塞ごうともしないようなことがあれば問題だ。
主人が働かずに酒を飲み、妻が遊芸を楽しみ、子息が碁や将棋に耽り、次男が詩や歌を作って安閑と日々を送る。その結果、ついには家船が沈没してしまうような事態に陥るのだ。これはなんとも嘆かわしいことではないか。
たとえ大きな穴でなくても、小さな穴が開いたならば、すぐに乗り合った一同が力を尽くして穴を塞ぎ、朝夕ともに穴が開かないように心を尽くさなければならない。これが船に乗る者としての肝要な務めである。
それなのに、すでに大きな穴が開いてしまったのに、それを塞ごうともせず、各自が自分の好きなように安閑と暮らし、誰かが塞いでくれるのを待っているようでは済むものではない。助け船だけを当てにしていても解決にはならない。
船中の乗り合い一同が、身命をも投げ出して働かなければならない時があるのだ。」
ある村に、貧しい若者がいた。困窮は非常に甚だしかったが、その心がけは立派であった。その若者はこう言っていた。「我が貧窮は宿世の因縁によるものだろう。これはどうしようもないことだ。どうにかして田畑を再興し、老いた父母を安心させたい」と。そして昼夜を問わず農業に励んでいた。
ある人がその両親の意を汲んで、嫁を迎えるよう勧めたが、その若者はこう答えた。「私はまったく愚かで、能力も技術もない。金を得る方法を知っているわけでもない。ただ農業に励むだけだ。だから考えた末に、ただ妻を持つ時期を遅らせること以外に良い策はないと決めた」と言い、固く断った。
翁はこれを聞いて言った。「なんと素晴らしい志であろうか。何かを成し遂げようとする者はもちろんのこと、一つの技芸に専念しようとする者にとっても、これは良い策である。なぜなら、人の生涯は限りがあり、年月を延ばすことはできないからだ。ゆえに、妻を持つことを遅らせる以外に利益を得る策はない。まことに立派な志である。
神君の遺訓にも、『自らが好むことを避けて、嫌うことに専念せよ』とある。我が道は、このような者をこそ賞賛すべきであり、軽んじてはならない。世話役を担う者は、このような者を心得て然るべきだ。
そもそも、世の中では好むことを先にすれば、嫌なことがすぐにやってくる。嫌なことを先にすれば、好むことは求めずしてやってくるものだ。たとえば盗みをすれば追手がくる。物を買えば代金を取りにくる。金を借りれば返済の期限がくる。返さなければ差し押さえがくる。これらはすべて目の前に起きることだ。」
門人のある者に、過ちを認めて改めることができない癖があり、さらに多弁で、常に自らの過ちを飾り立てて正当化しようとする者がいた。翁は彼を諭して言った。
「人間で過ちを持たない者がいるだろうか。もし過ちに気づいたならば、自分自身に問い直し、速やかに改めるべきだ。これが道である。過ちを改めず、それを飾り立てたり、押し通したりすることは、一見すると知恵や勇気があるように見えるかもしれないが、実際には智でもなく勇でもない。お前はそれを知勇だと思っているかもしれないが、これは愚かさと不遜さの現れにほかならず、君子が最も忌み嫌うものである。しっかりと改めるべきだ。
さらに、若い時には言動の両方に十分注意を払うべきである。『ああ、馬鹿なことをしてしまった。しなければよかった』『言わなければよかった』と後悔するようなことがないよう心がけよ。そうしたことがなければ、富や名誉は自然とその中にあるのだ。
戯れにも嘘を言ってはならない。偽りの言葉は大きな害を引き起こす。一言の過ちから大きな過失が生じることは往々にしてある。だからこそ古人は『禍は口より出づ』と言ったのだ。
人を誹謗したり、落としめたりすることは不徳である。たとえ誹謗が至当なことであったとしても、人を誹謗することは良いことではない。また、人の過ちをさらけ出すことは悪行である。虚偽を事実のように言いなし、鷺を烏と言い、針ほどのことを棒ほどに言うのは大悪である。
人を褒めることは善行だが、過剰に褒めることは正しい道ではない。また、自分の善行を人に誇り、自分の長所を他人に語ることは極めて悪いことだ。さらに、人が忌み嫌うようなことは決して口にしてはならない。それは自ら災いの種を蒔くようなものである。これを慎むべきだ。」
翁が詠んだ歌に、「むかしより人の捨ざるなき物を拾ひ集めて民に与へん」というものがあった。これを見た山内董正氏が、「これは『人の捨たる』と言うべきではないか」と述べた。
翁は答えて言った。「確かにそのように解釈することもできる。しかし、人が捨てない限り拾うことはできないという考えは、非常に狭いものである。それに、人が捨てたものを拾うのは僧侶の道であり、我が道ではない。古歌にも『世の人に欲を捨よと勧めつつ跡より拾ふ寺の住職』とあるではないか。」
董正氏がさらに問うた。「では、『人の捨ざる無き物』とは何を指すのか。」
翁は答えた。「世の中には人が捨てないけれども、存在しないかのように扱われているものが非常に多い。それを挙げて数え上げることは難しいが、いくつか例を挙げるならば、次のようなものがある。
第一に荒地だ。一見すると捨てられているように見えるが、いざ開拓しようとすると必ず持ち主が現れ、容易に手を付けられない。これは存在しているが、捨てられているものではない。
第二に借金の利息や借り替え、雑費や暇つぶしなども同じだ。これも捨てられているわけではなく、無に近いものである。
第三に富者の驕奢の費用や、第四に貧者の怠惰に使われる費用も同様だ。これらも世の中で捨てられているわけではなく、放置され、無に属するものだ。
世の中にはこのように捨てられているわけではないが、廃れて無に近い状態になっているものが無数に存在する。これらを拾い集め、国家を興す資本とするならば、民を広く救うことができ、それでもなお余るだろう。
『人の捨ざる無き物』を拾い集めることは、私が幼少の頃から努めてきた道であり、今日に至る理由でもある。これこそが、私の仕法金(経済運用)の基本である。心を尽くして拾い集め、世を救うことを成し遂げるべきだ。」
翁が言った。「我が道は、荒蕪(あれ地)を開墾することを勤めとする。しかし荒蕪にもいくつかの種類がある。
第一に、実際に荒れている田畑という荒地がある。
第二に、借金が膨らんで家禄(家の収入)が利息に取られ、収入があっても利益がない状態に陥るものがある。これは国にとっては生産的な土地であるが、本人にとっては荒地である。
第三に、土地が痩せて粗悪であり、年貢だけが高く設定されているため、やっとのことで年貢分を取るだけで利益を生まない田地がある。これは上(支配者)にとっては生産的な土地であるが、下(農民)にとっては荒地である。
第四に、資産や財力がありながら国家のために何もしないで、ただ驕奢(贅沢)に耽り、財産を浪費する者がいる。これは国家にとって非常に大きな荒蕪である。
第五に、知恵や才能がありながら学問もせず、国家のことも考えず、琴棋書画などの趣味にふけって生涯を終える者がいる。これも世の中にとって非常に惜しい荒蕪である。
第六に、身体が強壮でありながら、仕事をせず、怠惰や博打に明け暮れる者がいる。これもまた、自他双方にとって荒蕪である。
これらの数種の荒蕪の中でも、特に心田の荒蕪、つまり心や精神の荒廃による損失が国家にとって最も大きい。次に、田畑や山林の荒蕪が続く。これらすべてを勤めて立て直さなければならない。
この数種の荒蕪を再生し、すべてを国家のために役立てることを、我が道の勤めとするのだ。『むかしより人の捨ざる無き物を拾ひ集めて民に与へん』というのが、私の志である。」
翁が言った。「孝経には、『孝と悌が極まれば、神明に通じ、四海に光り、行き届かないところがない。また、東からでも西からでも、南からでも北からでも、思いさえすれば服さないことはない』とある。この言葉は俗儒たちの説では何のことか理解しにくいが、これを解釈しやすく引き下ろして言うならば、次のようになる。
そもそも孝とは、親の恩に報いる勤めのことだ。悌とは、兄の恩に報いる勤めのことだ。世の中すべてが、恩に報いずして成り立つことはないという道理をしっかりと理解すれば、すべての事柄が思いのままになる。
恩に報いるとは、借りた物には利を添えて返し、感謝の言葉を述べることだ。世話になった人には礼を尽くして謝儀をし、買い物の代金は迅速に払い、日雇いの賃金はその日のうちに払うことだ。要するに、恩を受けたことをよく考え、それに応えて報いるならば、この世の物事はまるで自分の物のように、何事も望む通り、思い通りになる。
この境地に達した時、『神明に通じ、四海に光り、西から東から、南から北から、思うだけで服さないことはない』という言葉の意味が現れるのだ。ある歌に『三度たく飯さへこはしやはらかし思ふまゝにはならぬ世の中』とあるが、これは甚だしく誤っている。このような歌は、勤めることも知らず、働くこともせず、人の飯をもらって食べる者などが詠んだものであろう。
そもそもこの世の中は、先に述べたように、恩に報いることを深く心がければ、すべてが思うままになるものである。それにもかかわらず、『思うままにならない』と言うのは、代金を払わずに品物を求めたり、種を蒔かずに米を得ようとするからだ。これでは当然、世の中が思う通りになるわけがない。
この歌の初句を『おのがたく』(自分で炊く)と直し、自分の行いに帰するものとするならば、まだ許せるものになるだろう。」
翁が言った。「子貢は『紂王の不善はここまで甚だしいものではなかった。それゆえ君子は下流に居ることを嫌う。天下の悪がすべて自分に帰されるからだ』と言っている。この『下流に居る』とは、心が下劣な者と共にいることを指す。
そもそも紂王も、天子として上流の人物、すなわち徳のある者や立派な人物を友とし続けていれば、国を失い悪名を得ることもなかっただろう。しかし実際には、婦女子や佞悪(こびへつらう悪人)を友としたために、国を滅ぼし、悪事のすべてが彼に帰される結果となったのだ。
これは紂王だけの話ではない。人々すべてに当てはまることである。常に太鼓持ちや三味線弾きのような者たちとだけ交わり続けていれば、たちまち滅亡に至るのは必然である。彼らが『それも良い』『これも良い』と、耳障りの良いことばかりを言うような者と交わっていると、たとえ正宗の名刀のように優れた者であっても、錆びついて使い物にならなくなってしまうだろう。
子貢はさすがに聖門の高弟である。彼は『紂王の不善は、後世に伝えられるような甚だしいものではなかった』と言い、『だからこそ君子は下流に居ることを嫌う』と教えているのだ。おそらく、紂王の不善も、後世に語り継がれているほど甚だしいものではなかったのであろう。
汝らも自らを戒め、決して下流に居ることのないようにしなければならない。」
翁が言った。「堯(ぎょう)は仁の心をもって天下を治めた。その時代の民は歌ってこう言った。『井戸を掘って水を飲み、田を耕して食べ物を得る。帝の力が我々に何の影響を及ぼすというのか』と。これは堯が堯たる所以であり、仁政が天下に行き渡り、その跡を感じさせないほど自然であったからだ。
子産(しさん)に至っては、孔子が『恵み深い人』と称えたほどである。」
翁が言った。「『論語』には、孔子が問われて『知らない』と答えることがしばしばある。この『知らない』は、本当に知らないという意味ではない。教えるべき状況ではない時や、教えても益がない場合である。
これは、今日でいえば金持ちの家に借金を頼みに行った時、相手が『折悪く金がない』と言う場合と同じだ。その言葉の裏には深い含みがある。『知らない』と言う中に、大きな味わいが含まれている。この意味をよく味わい、その真意を理解するべきだ。」
翁が言った。「『論語』に、哀公が孔子に問うた。『今年は飢饉で物資が足りないが、どうすればよいか』と。有若が答えて言った。『なぜ税を軽減しないのですか』と。この答えは、実に面白い道理である。
私は常に人々にこう諭している。『一日に十銭を得ても足りないならば、九銭を得るべきだ。九銭を得ても足りないならば、八銭を得るべきだ』と。そもそも、人の暮らしや財産というものは、得るものが多ければ多いほど不足を生じ、少なく得たとしても不足がないものである。これこそ理の外にある理である。」
翁が言った。「君子とは、食事に飽きることを求めず、安楽な暮らしを求めることもない。骨を折って仕事に励み、無益な言葉は口にせず、その上で道理に従って正しい行いをする。これならば、かなり称賛に値する人物だと思いそうなものだが、『学を好む人』と称するだけで終わる。聖人の学びは、それほど厳しいものである。
今日の言葉で例えるなら、『酒を飲まず、仕事をきちんとこなし、無益なことをしない』というのが、通常の人に過ぎない、というようなものだ。」
翁が言った。「儒学には『大極』や『無極』という議論があるが、これはただ、思慮の及ぶ範囲を『大極』と呼び、思慮の及ばない範囲を『無極』と呼んでいるにすぎない。思慮が及ばないからといって、それを『無』と言うべきではない。
たとえば、遠い海に波が見えず、遠い山に木が見えないとしても、それは波や木が存在しないわけではない。我々の目の力が及ばないだけのことだ。それと同じことである。」
翁が言った。「『大学』に『安じて而して後に能く慮り、慮りて而して後に能く得る』とあるが、まことにその通りだ。世の人々は、多くの場合、苦し紛れに種々のことを思い悩み、計画を立てるため、すべてがうまくいかないのだ。
まず心を落ち着け、安らぎの中で思慮を巡らせれば、過ちを犯すことなく事を成すことができる。そしてその後に得るべきものを得られる。この言葉は、実に妙理を突いている。」
翁が言った。「才智に優れた者は、おおよそ道徳から遠いものだ。文学の才があれば申不害や韓非を唱え、文学の才がなければ『三国志』や『太閤記』を引用する。しかし『論語』や『中庸』といった書物には一言も及ばないのが実情である。なぜなら、道徳の本理というものは、才智によって理解できるものではないからだ。
このような傾向のある者たちは、必ずや実践が容易な中庸を困難であると感じるものだ。『中庸』には『賢者はこれを過ぐ』とあるが、まさにその通りだ。世間の人々は『太閤記』や『三国志』といった俗書を好むが、これは非常によろしくない。特に、争いや偽りの心が芽生え始める若者たちにこれらの書物を読ませるのは悪いことである。
世間では『太閤記』や『三国志』をよく読めば知恵がつくと言うが、それは誤りだ。このことを十分に心得るべきである。」
翁が言った。「仏教の修行者であれば釈迦が有難く思われ、儒者であれば孔子が尊く見える間は、修行に励むことができる。その地位に到達した時には、国家に利益を与え、世の中を救う以外に道はなくなる。世の中に益をもたらすことに勤めるほか、道はないのだ。
たとえば山に登るようなものだ。山が高く見える間は、努力して登ろうとする。しかし、頂上に登り詰めれば、それ以上高い山はなく、四方すべてが眼下に広がるようになる。この地点に至れば、仰ぎ見るべきはただ天のみである。この境地に達することを修行というのだ。
天の外にさらに高いものがあるように見える間は、努力して登り続け、学び続けるべきである。」
翁が言った。「どれほど勉強し、どれほど倹約しても、年の暮れに支障をきたすようでは、その勉強も勉強とは言えず、倹約も倹約とは言えない。先手を打てば人を制し、後手に回れば人に制されるということがある。倹約も先手を打たなければ効果がなく、後手では無益である。世の人々はこの理に暗い。
たとえば、千円の財産が九百円に減ったとする。初めの一年は借金で暮らしを賄うため、次の年には財産が八百円に減る。そこで初めて倹約し、九百円の生活に合わせようとするが、結局は七百円に減る。その後も改革と称して八百円の生活を目指すが、年々この繰り返しとなり、労しても成果が得られず、ついには滅亡に至る。この時に、『自分は運が悪い』などと言う者もいるが、それは不運なのではなく、後手に回り、借金に支配された結果である。
ただ、この問題は一つの行動で解決できる。それは、先手を打つか後手に回るかの違いにある。千円の財産が九百円に減ったならば、すぐに八百円の生活に引き下げるべきだ。八百円に減ったなら、七百円の生活にさらに引き下げる。これを先手を打つと言うのだ。
たとえば、治りにくい腫物ができたとき、手でも足でも断固として切り捨てるようなものだ。姑息な対応に流れたり、ぐずぐずと先延ばしにしていると、ついには死に至り、後悔しても及ばない。これを恐れるべきだ。」
翁が言った。「国家の盛衰や存亡は、人々が利を争うことが甚だしいところに起因する。富者は満足を知らず、世を救う心を持たず、すでに富を持ちながらさらに求め続け、自分の都合だけを考える。天の恩も知らず、国の恩も思わない。
一方で、貧者もまた、どうにかして自分を利したいと思うが、工夫がないため、村費の支払いを滞らせ、作徳(人徳を積む行い)として出すべきものを出さず、借りたものを返さない。こうして、貧富ともに義を忘れ、願いや祈りではどうにもならない工夫ばかりに走り、利を争う。
その結果、目論見が外れたときには『もう身代が尽きた』と嘆き、大河の激流に沈むような有様となる。この大河も、覚悟を持って入れば、溺れ死ぬことなく、再び浮かび上がったり、向こう岸に泳ぎ着くこともできる。しかし、覚悟のないままこの川に陥った者は、二度と浮かび上がれず、ついには命を失うことになる。これはなんとも哀れなことである。
我が教えは、このような世の悪弊を除き、人々が安楽の地を得られるようにすることを勤めとするのだ。」
翁が言った。「天下や国家における真の利益というものは、実は利が最も少ないところに存在するものだ。利が多いところには、必ずしも真の利益があるわけではない。
もし家のため、土地のために利益を生み出そうと思うならば、深く思慮を尽くさなければならない。」
翁が言った。「財宝を生み出し、利を得るのは農業や工業である。財宝を運用して利を得るのは商人である。このように、財宝を生み出し運用する農工商の大道に努め、それによって富を願うことは、たとえるならば、水門を閉じて水を分け合うことを争うようなものであり、真に智者のすることではない。
しかしながら、世間で智者と呼ばれる者たちの行いを見ると、農工商に勤しむように見えながら、実際には小賢しい智や狡猾な才能を振るって、ただ財宝を得ようとする者が多い。これは誤りと言うべきであり、迷いと言うべきである。」
翁が言った。「千円の資本で千円分の商売をする場合、それは他人から見て『危うい身代』と見なされるものだ。これに対して、千円の資本で八百円分の商売をする場合、それは他人から見て『小さいが堅実な身代』と見なされる。この『堅実な身代』と評価される状態には、深い味わいがあり、実際に利益もあるのだ。
それにもかかわらず、世間では百円の元手で二百円分の商売をする者を『働き者』と称している。これは大きな誤りだと言わざるを得ない。」
翁が言った。「普通の人々の願いというものは、もともと成し遂げることができない。なぜなら、叶うはずのないことを願っているからだ。常人はみな金銭の少なさを嘆き、ただ多くなることだけを願っている。しかし、もし金銭が人々の願う通りに増えたならば、金銭は砂や石と変わらないものになるだろう。
もし金銭が溢れるほど多ければ、草鞋一足の代金に銭一把、旅の宿泊一夜の代金に銭一背負が必要になるだろう。金銭が多すぎることは、むしろ不便と混乱を極める状況を招くと言える。普通の人々の願望には、このように叶わないものや、叶っても何の利益もないものが多いのだ。
世の中というものは、むしろ金銭が少ないからこそ面白いのである。」
翁が言った。「仏教の教えは興味深いものだ。これを身近な例で譬えるなら、次のようなものだ。『豆の前世は草であり、草の前世は豆である』というような話である。
たとえば、豆粒に向かってこう語る。『お前はもともと草が化身したものだ。もし信じられないなら、お前の過去を語って聞かせよう。お前の前世は草であって、ある国のある村の、誰それの畑に生まれた。そして雨風に耐え、炎暑を嫌いながら、他の草に覆われたり、兄弟を間引かれたりして、多くの苦難を乗り越えた末に、豆粒となったのだ。この畑の主人の大恩を忘れず、また草としてお前を支えた恩をよく思い出し、早くこの豆粒としての世を捨てて、元の草となり、茂り広がることを願え。この豆粒の世は仮の宿りであり、未来の草の世こそが重要なのだ』と。
また、草に向かってはこう語る。『お前の前世は種であった。その種の大恩によって、お前は今こうして草として生まれ、枝を伸ばし葉を茂らせ、養分を吸収し、露を受け、花を咲かせるに至った。この恩を忘れず、早く未来の種となることを願え。この世は苦しみの世界であり、風雨や寒暑の患いがある。早く未来の種となり、風雨や寒暑を知らず、水火の災いもない穀倉の中に安住できる身となれ』と。
私は仏道を詳しくは知らないが、おおよそこのようなものではないだろうか。
世界のすべての草は、種となれば芽生える萌芽があり、芽生えれば育つ萌芽があり、育てば花が咲く萌芽があり、花が咲けば実を結ぶ萌芽があり、実を結べば落ちる萌芽があり、落ちればまた芽生える萌芽がある。このことを『止まず転ぜず循環する理』と呼ぶのだ。」
宮原瀛洲が問うた。「一休の歌に『坐禅する祖師の姿は加茂川にころび流るゝ瓜か茄子か』とありますが、この歌の意図は何でしょうか。」
翁は答えて言った。「この歌は、盆祭が終わった後に精霊棚を川に流す光景を見て詠まれたものだろう。表面的には坐禅をする僧を嘲笑しているように見えるが、実際には大いに称賛しているのである。
瓜や茄子が川を流れる様子を見てみると、石にぶつかり岩に触れても傷つくことがなく、沈んでもすぐに浮かび上がり、決して沈んだままにはならない。これを通じて、仏者がいかなる世の変遷に遭遇しても、障害なく滞りなく過ごせることを称え、世俗の人々が世の変化によって浮き沈みする様を卑しめている。また、この歌には、この世の事象だけでなく来世のことも含めた意味が込められているのだ。
たとえば、鎌倉を見てみると、源氏も北条氏も上杉氏も滅び、今やその跡形もない。しかし、その時代に建立された建長寺、円覚寺、光明寺といった諸寺は、現在もなお存在している。これがまさにこの歌の意図を表している。
仏はもともと世俗を超越した存在であるため、世の海の風波に浮き沈みすることはない。この道理を詠み込んだ歌であり、他に特別な意図があるわけではない。」
翁が言った。「天に暴風雨があると、それを防ぐために四方の壁に沿って大木を植え、水の勢いが向かう堤には牛枠や蛇籠を設置し、海岸の家には乱杭に柵を掛けるものだ。これらは普段の日には無用のものだが、暴風雨が起こる時のために、費用を惜しまずに準備するのである。
しかし、暴風雨は天地にのみ起こるものではない。往年、大磯駅やその他の場所で起こった暴徒や乱民は、まさに土地における暴風雨と言える。この暴風雨は、必ずその地の大家(財産や地位のある家)に強く降りかかるものだ。それは、風が大木に強く当たるのと同じ理である。地方の豪家と呼ばれる者が、この暴徒への防備を怠るのは危険ではないだろうか。」
ここで瀛洲が問うた。「では、この予防の方法はどのようなものでしょうか。」
翁は答えた。「普段から心がけて米や金銭を蓄え、非常災害が起こりそうな時には、それを施与する以外に道はない。」
瀛洲がさらに問うた。「では、この予防のために備える金額は、家の分限(財産の程度)によるとしても、大凡どの程度が相当なのでしょうか。」
翁は答えた。「その家の状況によるが、第一等の親類一軒分の交際費程度を、年々この予防のためとして別途に割り当て、米や麦、稗(ひえ)、粟(あわ)などを蓄えておき、慈善の心をもってそれを表せば、暴徒の害を免れることができるだろう。しかしながら、これはあくまでも暴徒への予防であり、慈善そのものではない。たとえるならば、雨天の時に傘を差し、蓑を着るようなものであり、それはただ濡れないためにする行為に過ぎない。」
翁が言った。「暴風で倒れた松は、すでに雨露が入り込み、倒れかけていた木である。大風で破れた籬(まがき)も、杭が朽ち、縄が腐り、もはや破れる寸前の籬であった。
そもそも風というものは、平等かつ均一に吹くものであり、特別に松を倒そうとして吹くわけでも、籬を壊そうとして吹くわけでもない。風がなくとも倒れるべき木が、風を待って倒れ、破れるべき籬が、風によって破れただけのことだ。
天下の事象もすべてこれと同じである。鎌倉幕府の滅亡も、室町幕府の滅亡も、また個々人の家の滅亡も、すべてこの理に従っているのだ。」
翁が言った。「この世界の花は、咲けば必ず散る。しかし散ったとしても、また来る春には必ず花が咲く。春に生まれる草は、秋風に吹かれて枯れる。しかし枯れたとしても、再び春風に出会えば必ず芽吹く。万物すべてがこの理に従っている。
ゆえに、『無常』と言っても本当に無常ではなく、『有常』と言っても本当に有常ではない。種だと思う間に草に変わり、草だと思う間に花を咲かせ、花だと思う間に実を結び、実だと思う間にまた元の種となる。
そうであるならば、種となるのが本来の姿なのか、草となるのが本来の姿なのかはわからない。この理を仏教では『不止不転の理』と呼び、儒学では『循環の理』と呼ぶ。万物すべてが、この道理から外れることは決してないのだ。」
翁が言った。「儒学では『至善に止まる』と言い、仏教では『諸善奉行』と言う。しかし、その『善』というものが何であるかが明確でないため、人々は善を行うつもりでありながら、その実行が全て誤っていることが多い。
そもそも、善と悪は一つの円環のようなものである。たとえば盗人の仲間内では、巧みに盗むことが善とされ、人を害してでも盗むことができれば、それが善とみなされるだろう。しかし、世法では盗みは大悪とされる。このように、善悪の捉え方にはこれほどの隔たりがある。
さらに言えば、天には善悪という区別は存在しない。善悪は、人間の道理の中で立てられたものである。たとえば草木に善悪があるだろうか。人間の立場から見て、米を善とし、莠(雑草)を悪とするのは、それが食物になるかならないかによるものである。天地がこのような区別を持つわけではない。
莠草は、生長が早く、茂るのも早い。これは天地の生々(せいせい)の道に従う速さゆえに、むしろ善草と呼んでも差し支えないだろう。一方、米や麦のように人間の手を借りて育つものは、天地の生々の道に従う速さが鈍いため、悪草と呼んでもよいはずだ。しかし、人間は食べられるものと食べられないものを基準にして善悪を分ける。これは人間の都合による偏った道理であり、天や地の道理とは無関係だ。
この理を知らなければ、正しく善悪を理解することはできない。
上下貴賤の違いはもちろんのこと、貸す者と借りる者、売る人と買う人、人を使う者と使われる者など、あらゆる立場において、よく思考を巡らせるべきだ。世の中の万事万般が同じ理に基づいている。彼にとって善であれば、こちらにとっては悪であり、こちらにとって悪であれば、彼にとっては善である。
たとえば、生き物を殺して食べる者にとってはそれが良いことであっても、食べられる側にとっては非常に悪いことである。しかしながら、すでに人間という存在がある以上、生き物を食べなければ生き延びることはできない。この問題をどうすることもできない。米や麦、野菜であっても、すべて生き物ではないだろうか。
私はこの理を尽くし、『見渡せば遠き近きは無かりけり己々が住処にぞある』と詠んだ。この歌は、理を述べたにすぎない。
人間は米を食べる生物であり、この『米食虫』の仲間として成立する道は、衣食住に必要なものを増やすことを善とし、これらを損なうことを悪と定める。この人間の道理における善悪は、この基準を定規としているのだ。
この基準に基づいて、あらゆる人々にとって便利であることを善とし、不便であることを悪と立てている。これらは人間の道理であり、天道(自然の理)とは別のものであることは言うまでもない。しかし、これらが天道に逆らっているわけではなく、天道に従いながらも異なる部分がある道理を示しているだけなのだ。」
翁が言った。「世の中で用をなす材木は、すべて四角に加工されている。しかし、天(自然)は人間のために四角い木を生み出すことはない。だからこそ、満天下の山林に四角い木など存在しない。また、皮も骨もなく、鎌鉾のように半分だけの魚がいれば、人間にとって非常に便利だろうが、天はそのような魚を生み出さない。だから、広大な大海にもこのような魚は一尾もいない。
さらに、籾も糠もなく、白米のような米があれば、人間にとってこれ以上ない利益となるだろうが、天はそのような米を生み出さない。だから、全国の田地にそのような白米は一粒も存在しない。このことから、天道(自然の道)と人道(人間の道)が異なるものであるという道理を悟るべきだ。
たとえば、南瓜を植えれば必ず蔓が生える。米を作れば必ず藁が生じる。これもまた自然の理である。糠と米は一身同体であり、肉と骨もまた同じ関係にある。肉の多い魚には、大きな骨も必ずある。それなのに、糠や骨を嫌い、米や肉だけを求めるのは、人間の私心に過ぎない。天に対してこれを正当化する理由はない。
しかしながら、これまで食べてきた飯も、糠を混ぜてしまえば食べられなくなるのが人間という存在だ。これは仕方のないことだ。だからこそ、この理をしっかりと理解しておかなければならない。この理を明確に弁えなければ、我が道を理解することも、実践することも難しくなるだろう。」
翁が言った。
「『咲けば散り、散ればまた咲く、年毎に詠み尽くせぬ花の色々』とあるように、世の中の景色は変化を繰り返す。困窮に陥り、どうしようもなく物を売り出す者がいれば、それを安いと喜んで買う者もいる。不運の極みに家を売り、裏店に引っ込む者がいれば、逆に表店に移り『めでたい』と喜ぶ者も絶えないのがこの世の常だ。
『増減は器傾く水と見よ、こちらに増せばあちら減るなり』というように、物価が上がれば大きな利益を得る者もいれば、大損をする者もいる。損をして悲しむ者がいれば、利益を得て喜ぶ者がいる。苦楽、存亡、栄辱、得失のすべてが、このように一方が増せば他方が減るという形で成り立っている。これは、自分と他人を見極めることができない『半人足』たちが集まって行っている仕事の結果だ。
『食べれば減り、減ればまた食う。忙しいことよ、この身の長く保てぬさまよ』というように、屋根を銅板で葺いたり、蔵を石で作ったりすることはできても、一度に三度分の飯を食べておくことはできない。寒さを見越して先に着物を着込むこともできないのが人間という存在だ。したがって、長く生きられないのは天命である。
『腹満ちて、食べ物を探す女子たちは、仏をも超える悟りなりけり』というように、腹が満たされると、すぐに次の食べ物を準備し始める。これは、未来の明日の重要性を深く悟っているからだ。この悟りこそが人間にとって必須の悟りであり、この理を理解すれば人間としてはそれで十分である。これが我が教えの悟道の極意である。
悟道者流の悟りというものは、悟るも悟らないも、知るも知らないも、どちらでも害も益もない。ただ実生活の中で、腹が満たされ、衣服が備わることが本質である。
『我というその大元を尋ねれば、食べることと着ることの二つなりけり』というように、人間世界の政事も教法も、すべてこの二つの安全を図るために行われるものであり、それ以外はすべて枝葉であり飾りにすぎない。」
翁が言った。
「世の中では、増減についてとにかく騒がしいことが多いが、世間で言う増減というものは、たとえるならば水を入れた器が、こちらやあちらへと傾くようなものだ。こちらが増せばあちらが減り、あちらが増せばこちらが減るだけで、水そのものの量には増減はない。
たとえば、ある場所で田地を買って喜ぶ者がいれば、その裏で田地を売って嘆く者がいる。ただ、こちらとあちらの違いがあるだけで、本来の意味での増減はないのだ。私の歌に『増減は器傾く水と見よ』と詠んだのは、まさにこの理である。
しかし、我が道が尊ぶ『増殖の道』はこれとは異なる。天地の化育を直接賛成し支える大道である。たとえば、米五合でも、麦一升でも、芋一株でも、それは天つ神が無尽蔵に積み置かれた恵みの宝庫から、鍬や鎌という鍵を使って、この世に取り出すという行為なのだ。これこそが真の増殖の道であり、尊ぶべきであり、努めるべき道である。
『天つ日の恵積置無尽蔵鍬でほり出せ鎌でかりとれ』と詠んだように、この理をよく理解し実践するべきだ。」
翁が言った。
「日月が清明であり、風雨が時節に適って吹き降ることを祈る念は、天下の祈願所に仕える神官や僧侶であっても、忘れることが多いのではないだろうか。しかし、入作(田植え)や小作に従事し、その作徳(農業の成果)に生活を頼る賤女賤男(身分の低い人々)にとっては、苗代の準備が始まってから刈り取りの日まで、その祈りを片時も忘れる暇がない。その心情は、まことに憐れむべきものである。
私はこの心情を歌に詠もうと思ったが、その思いを十分に表現することができなかった。言葉が足りなければ、伝わりにくいかもしれない。
『諸共に無事をぞ祈る年毎に種かす里の賤女賤の男』
この歌に、その情を述べたのである。」
翁が言った。
「善い原因には善い結果があり、悪い原因には悪い結果がある。このことは、誰もが知っている理である。しかし、それが目前に芽を出し、目に見える形で現れるものであれば、人々はそれを恐れ、慎み、善い種を蒔き、悪い種を除くことができるだろう。
だが、今日蒔いた種の結果は、すぐに芽を出すわけでも、目に見えて現れるわけでもない。それが現れるのは、十年、二十年、あるいは四十年、五十年後のことである。このため、人々は迷い、恐れることをしないのだ。これはなんとも嘆かわしいことである。
さらに言えば、前世の宿縁というものもある。それはどうすることもできない。この宿縁もまた、人々が迷う原因の根本である。
しかし、世の中の万事万物には、もともと原因がないものは存在せず、結果がないものも存在しない。一国の治乱、一家の興廃、一人の禍福に至るまで、すべて同じである。この理をよく理解し、恐れ慎んで、迷うことがないようにしなければならない。」
翁が言った。
「現代の世の中は、たとえ虚(うそ)であっても、特に問題がないように見える。それは、相手もまた虚であるからだ。虚と虚が相対しているため、隙間なく物事が滞りなく進んでいるように見える。これは、たとえるならば、雲助(荷役労働者)仲間の取引のようなものだ。
しかし、もし虚が実と対峙することになれば、すぐに問題が生じるだろう。たとえば、百枚の紙から一枚を取ったとしても、最初は気づかない。しかし、九十九枚目に至って、初めて不足が明らかになる。同様に、百間の縄を五寸切り取った場合も、九十九間目に達してようやくその不足が露見する。
人の身代(生計)も同じだ。一日十銭を稼ぎながら十五銭を使う、あるいは二十銭を稼ぎながら二十五銭を使うという生活をしていると、年の暮れまでは不足が明らかにならないかもしれない。しかし、大晦日を迎えると、その不足が如実に表れるのだ。
このように、虚は決して実に対抗することはできない。この理を理解するべきである。」
翁が言った。
「貧しくなることや富むことは、偶然ではない。富には富の、貧には貧の原因がある。人々はみな、貨財は富者のもとに集まると思っているが、実際にはそうではない。貨財は節倹する場所と、勤勉に働く場所に集まるのだ。
たとえば、百円の身代(資産)を持つ者が、百円で生活していれば、富が来ることもなければ、貧が来ることもない。しかし、百円の身代で八十円や七十円で生活すれば、富はそこに集まり財産も増える。一方で、百円の身代で百二十円、百三十円の生活をすれば、貧がそこに訪れ、財産は去っていく。ただ、それは分限を超えるか、分限内に収まるかの違いにすぎない。
ある歌に『有と言えば有とや人の思ふらむ 呼ば答ふる山彦の声』とあるように、世間の人々は、今「ある」ものについて、その「ある」原因を知らない。また『無と言えば無しとや人の思ふらん 呼ば答ふる山彦の声』とあるように、今「ない」ものについても、その「ない」理由を知らない。
今「ある」ものが「なくなる」のは、たとえば物を買ったからであり、今「ない」ものが「ある」ようになるのは、勤勉に働いたからである。たとえば、縄を一房綯(な)えば五厘が手に入り、一日働けば十銭が手に入る。だが、この手に入れた十銭も、酒を飲めばたちまち無くなる。この理は明白であり、疑いのない世の中である。
『中庸』に『誠なれば則ち明なり、明なれば則ち誠なり』とあるように、これは自然の理である。縄を一房綯えば五厘が得られ、五厘を使えば縄一房が手に入る。これが晴天白日の理であり、この世の中の動きなのだ。」
翁が言った。
「山の畑で粟や稗が実ると、猪や鹿、小鳥までもやってきてそれを食べる。彼らには礼もなく、法もなく、仁義もない。ただ自分の腹を満たすために粟や稗を食べるだけだ。粟を育てるために肥料を施す猪もおらず、稗を実らせるために草を取る鳥もいない。もし人間に礼法がなければ、彼らと何が違うというのだろうか。
私が戯れに詠んだ歌に、『秋来れば山田の稲を猪と猿、人と夜昼争ひにけり』というものがある。地方官が検見(収穫量の調査)に来るのは、米を徴収するためであり、田主が検見を受けるのは、作徳(農作物の成果)を得るためである。作主(農民)がそれを収めるのは当然のことである。しかし、これらすべてには仁義があり、法があり、礼があるからこそ、心の中では争いがあっても、乱れに至ることはない。
もしこの三者のうち一人でも仁義礼法を忘れ、私欲を押し通せば、たちまち秩序は乱れてしまうだろう。世界が平穏でいられるのは、礼法こそが尊ばれているからである。」
ある人が問うた。「地獄や極楽というものは本当にあるのでしょうか。」
翁は答えて言った。
「仏教者は地獄や極楽があると言うが、それを取り出して人に見せることはできない。一方、儒者は地獄や極楽はないと言うが、彼らもまた、実際に行って確かめたわけではない。つまり、『ある』と言うのも『ない』と言うのも、どちらも空論に過ぎない。
しかし、人が死んだ後に、生前の行いに応じた果報が全くないというのも、道理に反する。儒者が地獄や極楽はないと言うのは、彼らが三世(過去世、現在世、未来世)を説かないからであり、仏教では三世を説く。この三世という概念は、説かない者がいれば説く者もいるが、必ず存在するものである。したがって、地獄や極楽がないとは断言できない。また、見ることができないからといって、それが存在しないと決めつけることもできない。
さて、地獄や極楽があるとしても、念仏宗では『念仏を唱える者は極楽に行き、唱えない者は地獄に落ちる』と言い、法華宗では『妙法を唱える者は救われ、唱えない者は沈む』と言う。また、極端な例では、寺に金銭や穀物を納める者は極楽に行き、納めない者は地獄に落ちるという説もある。このような理屈は、決して成り立たない。
そもそも、地獄とは悪事を行った者が死後に行く場所であり、極楽とは善事を行った者が死後に行く場所であることに疑いはない。地獄や極楽は、勧善懲悪のために存在するものであって、宗派の信仰や不信仰のために存在するものではないことは明らかだ。迷ってはならず、疑ってはならない。」
翁が言った。
「鐘には鐘の音があり、鼓には鼓の音があり、笛には笛の音がある。それぞれ音は異なっているように聞こえるが、音そのものは一つである。ただ、その音がそれぞれの物に触れて響きが異なるだけだ。これを別々の音として聞くのを仏教では『迷い』と呼び、ただ一つの音として聞くのを『悟り』と呼ぶようなものだ。
しかし、この音をすべて異なるものとして聞き、その中でさらに細分化して音を聞き分けなければ、五音六律を明確に理解することができず、調和した音楽を生み出すことはできない。
また、水が朱に染められれば赤くなり、藍に混ぜられれば青くなる。しかし、その水を地に戻せば、元の清らかな水に戻るのと同じである。音もまた、空に広がり、打たれれば響き、打たれなければ止む。音が空に消えるのは、打たれた響きが尽きるからに他ならない。
だから、神道、儒教、仏教と言っても、その本質はもともと一つである。一つの水が、酒屋では酒と呼ばれ、酢屋では酢と呼ばれるのと同じような違いに過ぎないのだ。」
翁が言った。
「衣服は寒さを凌ぐためのもの、食事は飢えを凌ぐためのもので、それだけで十分である。それ以上のものはすべて無用のことである。官服は貴賤を分けるための目印にすぎず、男女の服装もただの飾りでしかない。婦女子の紅や白粉と何が違うというのだろうか。紅や白粉がなくとも、婦人がいれば結婚に支障はない。
飢えを凌ぐための食事と、寒さを凌ぐための衣服は、智者であろうと愚者であろうと、賢者であろうと不肖者であろうと、学者であろうと無学者であろうと、悟っていようと迷っていようと、誰にとっても必要不可欠なものである。この必要不可欠なものを備える道こそが人道の根本であり、政治の根源である。
私が詠んだ歌に、『飯と汁 木綿着物ぞ身を助く 其余は我をせむるのみなり』とあるように、これが私の道の悟りの入口である。この理をよく徹底して理解するべきである。
私は若い頃から、食事は飢えを凌ぎ、衣服は寒さを凌ぐだけで足りると考えてきた。ただこの覚悟一つで、今日までやってきたのだ。我が道を修行し、実践しようとする者は、まずこの理をしっかりと悟らなければならない。」
翁がある駅の旅舎に宿泊された際、床の間に「人常に菜根を咬み得ば則百事做すべし」と書かれた掛け軸があった。
翁はこれを見て言った。「菜根にどのような効能があって、このように言われるのだろうか、と考えてみた。これは、粗末な食事に慣れ、それを不足だと感じないようになれば、物事はすべて成就する、という意味であろう。私が歌に『飯と汁 木綿着物』と詠んだのと同じ教訓である。実に優れた教えだ。」
また、その傍には「かくれ沼の藻にすむ魚も天伝ふ日の御影にはもれじとぞ思ふ」と書かれた短冊が掛けられていた。翁は言った。
「この歌は実に興味深い。米は地から生じるように見えるが、その本質は天から降り注ぐ力と同じである。太陽が日々、天から照らすことで、その温かい気が地に入り、その力によって米や穀物が実るのだ。
春分から耕し始め、秋分に実が熟すまでの間を、尺や杖のように図にして考えてみよ。十日照れば十日分、一月照れば一月分、地には米や穀物となるべき温気が蓄えられていく。このため、その期間に雨や冷気があったとしても、すでに照り込んでいる分だけ実りがあるのだ。
しかし、人力を尽くさなければ、収穫は少なくなる。耕し、鋤き、掻くといった努力が多ければ多いほど、太陽の温気が地に多く入り込み、豊かな実りをもたらすからだ。
地上のすべての万物は、一つとして天日の恵みから漏れるものはない。海底の水草ですら、雨や冷気が続く年には繁茂しないと言われる。確かにその通りだろう。この歌は、普通の人々が詠む歌の中では、実に珍しい視点を持ったものだ。」
翁が言った。
「富と貧は、もともと大きく隔たったものではなく、ほんの少しの差にすぎない。その本源はただ一つの心得にある。
貧しい者は、昨日の不足を埋めるために今日働き、昨年の不足を埋めるために今年働く。このため、一生苦労しても成果を得ることができない。一方、富める者は、明日のために今日働き、来年のために今年働く。このため、安楽で自由な生活を送り、何事も成し遂げられる。
しかしながら、世間の人々は、今日飲む酒がないと借金して飲み、今日食べる米がないとまた借金して食べる。このような行為が、貧窮に陥る根本的な原因である。
今日のうちに薪を集めておけば、翌朝安心して飯を炊ける。今夜のうちに縄を編んでおけば、明日籬(まがき)を結うことができる。このように明日のために備えることで、心が安らぎ、何の支障もなく過ごせるのだ。」
翁は続けて言った。
「しかし、貧しい者のやり方は、明日取るはずの薪で今晩の飯を炊こうとし、明夜に編むはずの縄で今日籬(まがき)を結おうとするようなものである。そのために苦労はしても成果を得られない。
私は常にこう言う。『貧者が草を刈ろうとする時、鎌を持っていないので、隣から借りて草を刈るのが常だ』と。これこそが、貧窮から抜け出せない根本的な原因なのだ。鎌がないのであれば、まず日雇いで働いて賃銭を得るべきだ。そして、その賃銭で鎌を買い求め、それから草を刈るべきなのである。
この道理は、天地開闢の元初から続く大道に基づくものであり、決して卑怯や卑劣な心ではない。これは、神代の昔、豊葦原に天降りした時の神々の御心そのものである。この心を持つ者こそが富と貴を得ることができ、この心を持たない者は富と貴を得ることはできない。」
翁が言った。
「我が教えは、徳に対して徳で報いる道である。天地の徳から始まり、君の徳、親の徳、祖先の徳、その恩恵を受ける範囲は、すべての人に広大に及んでいる。この恩に報いるために、自らの徳行をもって対応することを教えとしている。君恩には忠を、親恩には孝を尽くすといったことがこれに当たる。これを『徳行』という。
さて、この徳行を立てるためには、まず自分自身の天禄、すなわち分(分限)を明確にして、それを守ることが第一である。だから私は、教えを受け入れる者には、最初に分限を調べさせ、よく理解させることを行っている。
なぜそうするかと言えば、富裕な家の子孫の多くは、自分の家の財産がどの程度あるのかを知らない者が多いからである。
『論語』にこうある。
「師冕がやって来て、みなが座っている場で、孔子が言った。『某(し)はここにおります』と。師冕が去った後、子張が問うた。『師を助ける道とは何ですか?』と。孔子は答えて言った。『その通り、もともと師を助けるための道である』と。」
これは、自分の立場を明確にし、その場における分限を理解することの大切さを説いたものであり、私の教えの基礎にも通じる。
私が人を教えるとき、まずその人の分限を明確に調べる。そしてこう言うのだ。『汝の家の資産は、株田畑が何町何反何歩であり、その収益が金額で何円である。そのうち、借金の利子としてどれだけを差し引き、残るのがいくらかである。これが汝が一年間暮らすための天禄であり、これを超えて得るものはなく、また他に入るものもない。この範囲内で勤倹を尽くして暮らしを立て、どれだけ余財を作り、譲ることができるかを努力するべきである。これが道であり、汝の天命であり、天禄である』と。このように教えるのだ。これはまた、心の盲目である者を助ける道でもある。
収入を計算し、それに基づいて天分を定め、音信や贈答、義理や礼儀もすべてその中で行うべきである。それができなければ、それらはすべてやめるべきだ。これを吝嗇(けち)だと言う者もいるかもしれないが、それは言う側の誤解にすぎない。気にする必要はない。なぜなら、それ以上に得る手段も、収入もないのだからだ。
したがって、義理や交際を成し得ないなら、それを行わないことこそが礼であり、義であり、道なのだ。この理をよく理解し、迷うことのないようにせよ。これが徳行を立てる第一歩である。自分の分度を立てなければ、徳行は立つことができないということを知るべきである。」
翁が言った。
「人生において最も尊ぶべきものは、天禄(天から与えられた分け前)である。武士が一命を捨てるのも、この天禄を守るためだ。天下の政治も、神儒仏の教えも、その根本は衣食住の三つの事柄に過ぎない。民衆が飢えず、寒さに苦しむことがない状態こそが王道である。だからこそ、人として天禄を慎んで守らなければならない。
しっかりと天禄を守れば、困窮や艱難の患いは起こらない。しかし、ほんの一瞬でも自らの天禄を軽んじる心が生じれば、たちまち困窮や艱難が襲いかかる。天禄がいかに尊いかは、言うまでもないことだ。日々の衣食住、さらには履物や笠、傘、鼻をかむ紙に至るまで、すべてが天禄の分内のものなのである。
嫁は他家から来る者であるが、その養いが天禄から出る以上、『天禄の中から来る』と言っても間違いではない。
私の教えの方法は、天禄を持たない者に天禄を授け、破れようとする天禄を補い、衰えた天禄を盛んにし、さらに天禄を分外に増殖し、永遠に維持するためのものである。この教えが尊いことは、論を待つまでもない。
古語に『血気ある者、尊信せざる事なし』とあるが、これはまさに私の道について述べた言葉である。」
翁が言った。
「某藩士の某が、東京に詰めて顕職(高位の官職)を務めていたが、一朝にして退勤の命を受け、帰国することになった。私は彼のもとに赴いて暇乞いをするとともに、こう告げた。
『卿がこれまでの驕奢な生活ぶりは、まことに意外のことであったが、それが職務上のことであれば致し方ない。しかし、今帰国しようとしているところで、これまで使っていた衣類や諸道具は、すべて分不相応なものである。もしこれらを持ち帰れば、卿の驕奢な態度は変わらず、妻子や家族までも同じく奢侈をやめることはないだろう。そうなれば、卿の家は財政的に滅亡に至ることは間違いない。これを恐れずにいられるだろうか。
刀については、折れることも曲がることもない良刀であり、外装が派手でないものを一振り残し、それ以外の衣類や道具はすべて、これまで使用していた品々を親戚や朋友、懇意にしている者たちに形見として贈り、一切を手放すべきである。そして、普段着と寝巻きだけを身に着け、ただ妻子のみを伴って帰国することだ。一品も国に持ち帰ることはしてはならない。これこそが、奢侈を退け、驕りの心を断つ秘伝である。
もしこれを実行しなければ、妻子や厄介な親族までもが染みついた奢侈を絶対にやめることはなく、ついには卿の家は破滅に至るだろう。その光景は、鏡に掛けて見ているように明らかである。迷ってはならない。』
私はこのように懇々と説いたが、某は私の言葉を受け入れることができなかった。そして、これまでの道具を一品も残さず船に積み込み、持ち帰ってしまった。結果として、これらの物品を売りながら生活を立てたが、ついにはすべて売り尽くし、言葉では表せないほどの困窮に陥ってしまった。まことに嘆かわしいことだ。
これは、自らの分限を忘れ、奢侈に慣れ、天をも恐れず、人をもはばからなかった過ちの結果である。もし、私の言葉に心を留めて、『我が驕奢はまことに分を超えたものである』と気づいていたならば、同じ藩の者に対しても恥じることがなかっただろう。しかし、驕奢に慣れてしまったことで、それが自らの驕奢だと認識できなかったのである。これがまことに嘆かわしい。」
高野丹吾が帰国しようとしていた際、翁が語った。
「伊勢国の鳥羽の湊から、相模国の浦賀の湊までの間には、大風雨の際に船が避難できる湊は、伊豆国の下田湊だけである。そのため、下田湊には燈明台が設けられており、大風雨の際には、この燈台の明かりを目標にして、往来する船が下田湊に避難するのである。
ところが、その近くに妻良子浦(めらこうら)という場所がある。この地域は岸壁が非常に高く、大きな岩が多い船路のない危険な場所だ。そこに悪民がいて、風雨の夜になると、この岸の上で火を焚き、下田湊の燈台の明かりと見間違えるように仕掛けたのだ。そのため、難風を避けようとして燈台を目標に進んできた船が、この偽の燈台の火を本物と見誤り、勢いよく近づいてしまい、大岩に衝突して破船することが何度もあった。
これらの破船から流出した積荷や物品を、悪民たちは奪い取って隠し、分配していたという。その悪事がついには発覚し、彼らは全員処罰されたと聞いている。
わずかな私欲のために船を破壊し、人命を損ない、物品を流失させるとは、なんと悪い仕業ではないか。
私の仕法にも、先ほどの燈台の話に似た事例がある。烏山藩の燈台たる存在は菅谷氏であり、細川家の燈台たる存在は中村氏であった。しかし、この二氏が精神の半ばで方針を変え、以前の立場や姿勢を失ったために、二藩の仕法はその目的を失い、現在の困難に陥ったのだ。仮にも、人の師表たるべき者が、このような失態を恐れず、慎みを欠くようなことがあってはならない。
貴藩においては、草野氏や池田氏といった大燈明が上にあって、皆が安心しているが、卿自身もまた成田村と坪田村にとっては大燈明である。もし万が一、卿の心が揺らぎ、立場や方針を変えるようなことがあれば、これら二村の仕法は破綻し、船が岩に衝突するような事態になるだろう。
二村の盛衰や安危は、卿一人の行動にかかっている。この事実をよく肝に銘じるべきである。二村のため、そして卿自身のためにも、これはこの上ない大事なことである。
もし卿が決心を固め、不動仏のように、猛火が背を焼こうとも動じない心を保つならば、二村の成業(成功)は袋の中の物を探るよりも容易いものとなる。卿の心さえ揺らがなければ、村民たちは卿を目標とし、船頭が船路を見ながら『おも柁取柁(かじとれ)』と声をかけるように、驕奢に流れないよう修正し、遊惰に流れないよう進路を保つだろう。
そうすれば、興国安民の宝船である卿が所有する『成田丸』と『坪田丸』は、必ず成就の岸に安全に到着するだろう。そのとき、君主たる君公の御悦びはいかばかりか。草野氏や池田氏の満足もまた計り知れないだろう。
努めよ、努めよ。心を定め、大事を成し遂げるのだ。」
高野氏が旅の支度を整え、翁に暇乞いをしたとき、翁はこう語った。
「卿に安全の守りとなる教えを授けよう。それは、私が詠んだ歌、『飯と汁 木綿着物は身を助く 其余は我をせむるのみなり』である。この歌を拙いと侮ってはならない。もし卿が自らの身の安全を願うなら、この歌を守り通すべきである。
一朝にして何か変事があったとき、我が身の味方となるのは、飯と汁、そして木綿の着物以外にない。これらは鳥獣の羽毛と同じで、どこまでも自分の身方となる。これ以外のものは、すべて我が身の敵だと認識すべきである。これ以外のものが内に入るのは、敵が内側に入り込むようなものであり、恐れて除き去らねばならない。
人が過ちを犯すのは、『これぐらいのことは』と自分を許してしまうところから始まる。初めは害がなくとも、年を経るうちに思わず知らず、いつしかそれが敵となり、後悔しても及ばない状況に陥ることがある。この『これぐらいのことは』と自分を許す小さな過ちが、猪や鹿の足跡のように隠しようもなくなり、最終的にはその足跡を追う猟師に捕らえられるような結果を招くのだ。
内に余計なものがなければ、暴君も汚吏もどうすることもできない。進んで我が仕法を実践する者は、この理をよく心に留め、慎重であらねばならない。決して忘れることがあってはならない。」
高野氏は深く頭を下げて感謝し、傍にいた波多八郎が口を開いて言った。
「古い歌に、『かばかりの事は浮世の習ひぞと ゆるす心のはてぞ悲しき』というものがあります。この教えを受けて、ふと思い出しました。私も心に深く刻み、生涯忘れないよう誓います。」
このように語り、皆深く感銘を受けた。
翁が言った。
「人の神魂(たましい)に関して、生じる心を『真心』と呼ぶ。これがすなわち道心である。一方、身体に関連して生じる心を『私心』と呼び、これが人心である。
人心は、たとえるならば田畑に生える莠草(雑草)のようなものだ。それを丁寧に取り除く努力をしなければならない。もし放置すれば、莠草が作物を害するように、人心は道心を荒らすことになる。
私心という雑草を勤勉に取り除き、米や麦を育てるように、仁義礼智という徳性を養い、育てるために工夫を凝らすべきである。この努力こそが、身を修め、家を整えるための勤めである。」
翁が言った。
「怠惰が極まり、汚れた風俗に深く染まった村里を新しくすることは、極めて難しいことである。なぜなら、法をもって戒めることもできず、令を徹底させることもできず、教えを施すこともできない。そのような状況下で、人々を精励の道に向かわせ、正義に従わせるのは、いかに難しいことか。
私がかつて桜町陣屋に来たとき、配下の村々は極度に怠惰であり、風俗も汚れていた。どうにも手の施しようがない状況だった。そのため私は、深夜や未明に村々を巡行した。怠惰を戒めるためではなく、朝寝を禁ずるためでもなく、ただ自らの勤めとして行ったのだ。寒さや暑さ、風雨にかかわらず、一日も怠ることはなかった。
一、二か月が経ち、ようやく村人たちが私の足音を聞いて驚き、足跡を見て怪しみ、さらには実際に私に遭遇して驚くようになった。それをきっかけに、村人たちは自ら戒める心を持つようになり、私を畏れる気持ちを抱くようになった。数か月が経つと、夜遊び、博奕、争いごとはもちろん、夫婦間や使用人とのやりとりでも叱咤の声がなくなるほど、村の風紀が改まった。
諺に『権平種を蒔けば烏之を掘る。三度に一度は追わねばならぬ』と言う。この言葉は一見、田舎者の戯言に聞こえるが、役人たる者はこの意味を知らなければならない。烏が田を荒らすのは烏の罪ではなく、それを追わない田守りの怠慢が原因である。同様に、政道を犯す者がいるのも、官がそれを追わないことが原因である。
さらに、追う方法も重要である。権平が烏を追うのを仕事とし、烏を捕まえることを目的とはしないように、政事においてもそのようであるべきだ。この諺は、実は政事の本意にかなうものであり、たとえ戯言のように聞こえても、理解しなければならないものである。」
翁が言った。
「田畑が荒れる罪を怠けた農民に帰し、人口の減少を子どもを育てない悪弊に帰するのは一般的な論である。しかし、どれほど愚かな民であっても、故意に田畑を荒らし、自ら困窮を招く者がいるだろうか。人は禽獣ではないのだから、親子の情がないはずはない。それにもかかわらず、子どもを育てないのは、食物が乏しく、生育を続けることが困難だからである。この事情をよく察すれば、憐れみの念が湧いてくる。このような状況を引き起こす原因は、以下の三つにある。
第一に、重い賦税に耐えられず、田畑を放棄して耕作をしなくなること。
第二に、民政が行き届かず、堤防、溝渠(こうきょ)、道や橋が破壊され、耕作が困難になること。
第三に、博奕が盛んに行われ、風俗が頽廃(たいはい)し、人心が荒んで耕作をしなくなること。
耕作が行われないために食物が減少し、食物が減少するために人口が減少する。食物があれば人々は集まり、食物がなければ人々は散っていくのだ。古い言葉に『重んずるべきは民の食と葬祭である』とあるが、最も重んじるべきは民の米櫃(こめびつ)である。
たとえば、この場に蠅を集めようとして、どれほど捕まえて放そうとも、追い集めようとしても、決して集めることはできない。しかし、食物を置けば、何の工夫もなくたちまち集まってくる。さらに追い払おうとしても、蠅は決して逃げ去らない。これは目の前で誰でもわかることである。
だからこそ、聖人は『食を足す』と言っている。重んじるべきは人民の米櫃である。汝らもまた、自分たちの米櫃の大切さを決して忘れてはならない。」
ある者が翁を訪ねてきた際、翁が尋ねた。
「某の家は無事であろうか?」
訪ねてきた者は答えた。
「某の父親は稼穡(かしょく:農業)に勤労すること、村内でも他に並ぶ者がいないほどでした。そのため、作物の収穫が多く、家業も豊かに営まれていました。しかし、その子は特に悪いことをしているわけではありませんが、稼穡に力を入れず、耕耘や培養が行き届いていません。ただ種を蒔いて刈り取るだけで、良い肥料を使うのは損だなどと言い、田畑を肥やすことの重要性を理解していないのです。
その結果、父親が亡くなってからわずか四、五年のうちに、かつての良田は劣田になり、良い畑も荒れてしまい、収穫が激減しました。現在では家業の経営にも支障をきたす状況に陥っています。」
これを聞いて翁は左右を見渡し、こう言った。
「卿たちも聞いただろう。これは一農家の話にすぎないが、これは自然の大道理そのものであり、天下国家の興廃や存亡にも通じるものだ。田畑を肥やして作物を育てるのと同じく、財を散じて領民を撫育し、民政に力を尽くすことが国を守る道なのだ。
国が廃れ滅ぶのは、民政が行き届かなくなるからである。民政が行き届かない村里では、まず堤防や溝渠(こうきょ:排水施設)が破損し、その次に道路や橋梁が壊れる。そして最後には野道や橋、作場道(農道)などの通行が不可能となってしまうのだ。
堤防や溝洫(こうきょく)が破損すれば、川沿いの田畑は真っ先に荒蕪(あれた地)となる。用水や排水路が破壊されれば、高田も低田も耕作が不可能になる。道路が悪化すれば牛馬の通行が困難となり、肥料の運搬が行き届かず、たとえ精農(熱心な農民)であっても、その努力を全うすることができず、耕作しても収穫が上がらない。
このため、人家から遠く、不便な土地は捨て置かれ、耕作されなくなってしまう。耕作しなければ食物が減少し、食物が減少すれば人々はその地を離れて散り散りになる。人々が去り、田畑が荒れ果てれば租税は減少する。この結果は目の前で誰の目にも明らかではないか。租税が減れば、諸侯が窮するのは当然のことである。これは先ほど話した農家の興廃と少しも変わるところがない。
卿たちよ、これを心に留めて考えよ。たとえて言えば、上国(肥沃な土地)の田畑は温泉のようなものであり、下国(痩せた土地)の田畑は冷水のようなものである。上国の田畑は、耕耘が行き届かなくても収穫が上がる。それは温泉が自然と温かいのと同じである。一方、下国の田畑は、冷水を温めて温湯にするようなものであり、人力を尽くせば収穫が得られるが、人力を尽くさなければ収穫はない。
下国や辺境で人民が離散し、田畑が荒蕪するのは、まさにこれが理由なのである。」
翁が語った。
江川県令が訪ねてきて、こう尋ねた。
「卿が桜町を治めて数年で、長年の悪習を一掃し、人民が精励の道に進み、田野が開かれ、人々が集まるようになったと聞いている。まことに感服の至りだ。私は支配所のために長く心を砕いてきたが、少しも成果を得られない。卿は一体どのような術を用いているのか?」
これに対して、私は答えた。
「君には君の御威光があるので、事を成すのは非常に容易なことだ。私には特別な能力や術など何もない。しかし、御威光や理解が行き届かないところで、茄子を実らせ、大根を太らせるための道理を、私はしっかりと心得ている。その理を法として、ただ怠らずに勤めているだけなのだ。
例えば、草野を耕して変えれば米になり、米がさらに変われば飯になる。この飯を出せば、無心の鶏や犬ですら走り寄ってくる。そして、尾を振れと言えば尾を振り、回れと言えば回り、吠えよと言えば吠える。鶏や犬のような無心な存在ですらこのようである。私はこの理をもって下の者たちに接し、至誠(真心)を尽くしてきただけだ。特別な術があるわけではない。」
こう答えた後、私は自分が長年、実地で行ってきたことを語り、その談話が六、七日にわたった。江川県令は飽きることなく熱心に耳を傾けてくれた。きっと支配所のために全力を尽くされるつもりであろう。」
翁が語った。
「我が道の根本は、至誠(真心)と実行の二つだけだ。だからこそ、鳥獣、虫魚、草木にまでもその効果を及ぼすことができる。ましてや人間に対しては、なおさらである。したがって、私は才智や弁舌を尊ぶことはしない。才智や弁舌は、人に説得するためには有用かもしれないが、鳥獣や草木に説得を試みることはできないからだ。
鳥獣には心があるため、場合によっては欺くことも可能かもしれないが、草木は欺くことができない。私の道が至誠と実行によって成り立っているからこそ、米や麦、野菜、瓜や茄子、さらには蘭や菊までもが繁栄するのである。仮に知謀で孔明を欺き、弁舌で蘇長(弁舌に長けた人物)を欺けたとしても、弁舌によって草木を繁栄させることは決してできない。
だからこそ、才智や弁舌を尊ぶのではなく、至誠と実行を尊ぶのである。古い言葉に『至誠は神のごとし』とあるが、至誠をもって神と呼ぶことも不適切ではないだろう。
世の中の物事は、智があっても学問があっても、至誠と実行が伴わなければ決して成し遂げられないものだということを、よく心得るべきである。」
翁が語った。
「朝夕に善を思うとしても、善事を実行しなければ、その人を善人とは呼べない。それは、昼夜に悪を思うとしても、実際に悪事を行わなければ、その人を悪人とは呼べないのと同じだ。
だからこそ、人は悟道や心を治める修行などに時間を費やすよりも、小さな善事でもよいので、実際に行うことを尊ぶべきである。善心が生じたら、速やかにそれを行動として表さねばならない。親がいる者は親を敬い養うべきであり、子や弟がいる者は教育に励むべきである。飢えた人を見て哀れに思うなら、すぐに食べ物を与えるべきだ。
また、悪事を行い、過ちを自覚したとしても、それを改めなければ意味がない。飢えた人を見て哀れに思う心があっても、実際に食べ物を与えなければ何の功績にもならない。
だから、我が道は実地と実行を何よりも尊ぶ。世の中の物事は、実行が伴わなければ成り立たないものなのだ。
たとえば、菜虫は小さすぎて、それだけを探そうとしても見つけることはできない。しかし、菜を作れば、菜虫は自然に生じる。孑孒(ぼうふら)も小さく、直接探しても得られないが、桶に水を溜めておけば自然に生じる。同様に、この席で蠅を集めようとしても、決して集まらないし、捕まえてきて放しても、すぐに飛び去ってしまう。しかし、飯粒を置けば、集めようとしなくても自然に蠅が集まるものだ。
この道理をよく理解し、実地と実行に励むべきである。」
翁が語った。
「すべての物事において、根元となるものは必ず低い位置にあるものだ。低いからといって、根元を軽んじるのは大きな過ちである。たとえば家屋において、土台があるからこそ、その上に床や書院が築かれる。同じように、土台は家の基盤であり、これは民が国の基盤であることの証拠でもある。
さらに、あらゆる職業の中でも農業を基盤とするのは、自ら作ったもので食を満たし、自ら織ったもので衣を得る道を担うからである。この道は、一国のすべての人々が従事しても何の支障もない事業であるため、まさに国の大本(基盤)といえる。
しかし、このような大本の業が賤(いや)しいと見なされるのは、それが根元であるがゆえである。何かを置くとき、最初に置いたものは必ず下になり、後から置いたものが必ず上になるのと同じ道理だ。これゆえに、農民が国の基盤であるがゆえに賤しいとされるのだ。
すべての事柄において、天下の人々が一様に従事して何の支障もない業こそが、大本たるべきものである。官員が顕貴であるのは確かだが、もし全国民が官員となれば、国は成り立たない。同様に、兵士が貴重なのも事実だが、国民すべてが兵士になれば、これもまた国は成り立たない。工業が欠かせない職業であるのは疑いないが、全国民が工業に従事すれば、やはり国は成り立たない。商業も同様である。
しかしながら、農業はどうだろうか。農業が国の大本であるからこそ、全国民が農業を営むことになったとしても、支障なく国は成り立つだろう。このことから、農業が万業の大本であることは明らかである。
この理を究めれば、古来より人々が抱いてきた誤解が払拭され、大本(基盤)が定まることで末業(枝葉の職業)も自然と役割を知るようになるだろう。ゆえに、全国民が一様に従事しても支障がある職業を末業とし、支障がない職業を本業とする。この考えこそ、公明正大な論理ではないだろうか。
ゆえに農業は国の本である。それを厚く扱わなければならないし、しっかりと養わなければならない。その基盤を厚くし、根本を養えば、枝葉は自ずと繁栄することは疑いようがない。
ただし、枝葉であるからといって、むやみに折ってはならない。しかし、根本が衰えたときには、枝葉を切り捨ててでも、根を肥やすべきである。これこそが正しい培養の方法なのである。」
翁が語った。
「創業は難しく、守ることは安易だと言われるが、守ることの安易さは言うまでもないとしても、満たされた身代を平穏に維持することもまた容易な業ではない。これはたとえるならば、器に水を満たして、それを平らに持ち続けろと命じるようなものだ。器そのものは無心であるため、傾くことはない。しかし、それを持つ人の手が疲れたり、空腹になったりすれば、永く平らに持ち続けることは不可能に近い。
この満たされた状態を維持するためには、至誠(真心)と推譲(他人への譲り合い)の道が必要であると言われるが、心が正しく平らでなければ、それを実践する際に手違いが生じてしまう。そうなれば、せっかくの至誠や推譲の努力も水泡に帰してしまうことがあるのだ。
『大学』にはこうある。
『心に忿懥(ふんし:怒りや憤り)、恐懼(きょうく:恐れ)、好楽(こうらく:過度な喜びや楽しみ)、憂患(ゆうかん:悩みや苦しみ)があれば、その心の正しさを得られない』と。まさにその通りだ。
これをよく心得るべきだ。たとえどれほど磨かれた鏡であっても、中央が凹んでいれば顔は痩せて見え、中央が凸んでいれば顔は太って見える。鏡面が平らでなければ、どれだけ磨いても無駄であり、顔が歪んで見えるのと同じだ。心が正しく平らでなければ、見ることも聞くことも考えることもすべてが歪んでしまう。
慎重でなくてはならない。」
翁が語った。
「世の中において、刃物を人に渡す際、刃の方を自分に向け、柄の方を相手に差し出すのは、道徳の本意を示す行いである。この心を広く押し広めることができれば、道徳は完全なものとなるだろう。そして、人々が皆このような心を持つならば、天下は平穏に保たれるだろう。
刃先を自分に向けて相手に差し出す行為には、万が一の過ちがあった場合でも、自分が傷を負うことがあっても、相手を傷つけないようにするという心が込められている。このように、すべての事柄において、己の身に損が及ぶことがあっても、他人に損を掛けないように心掛ける。また、己の名誉を損じることがあっても、他人の名誉に傷をつけないようにするという精神である。
このような心を持つことで、道徳の本質が全うされるのだ。これをさらに広げていくことが道徳を深める第一歩である。」
翁が語った。
「人の身代というものは、大凡において限りがあるものである。たとえるならば、鉢植えの松のようなものだ。鉢の大きさによって松の大きさも決まり、それ以上に緑を伸ばそうとすれば、たちまち枯れてしまうものだ。年ごとに緑を剪定し、枝を間引くことで初めて美しく栄えることができる。この理をよく心得なければならない。
この理を知らず、春には遊山に興じて緑を伸ばし、秋には月見にかこつけて緑を伸ばし、さらには理由のない交際という名目で枝を伸ばし、親類との付き合いという名目で梢を伸ばす。こうして分限を超えて枝葉を次々と増やしていけば、身代の松の根は徐々に衰えていき、やがて枯れ果ててしまうだろう。
したがって、鉢(身代)の大きさに応じた枝葉だけを残し、不相応な枝葉は毎年剪定して間引いていかなければならない。これこそ、極めて肝要なことである。」
翁が語った。
「樹木を植え替える際、根を切るなら必ず枝葉も切り捨てるべきだ。根が少なくなると水を吸い上げる力も減るため、そのままでは枯れてしまう。大きく枝葉を剪定して、根の力に応じた姿に整えなければならない。そうしなければ、木は枯れる運命にある。
これは人の身代にも同じことが言える。稼ぎ手が減ったり、家産が減少するのは、植え替えた木の根が少なくなり、水を吸い上げる力が弱まったのと同じである。このような状況では、仕法を立て直し、大いに生活を切り詰める必要がある。稼ぎ手が少ないのに生活を贅沢に続ければ、身代は日ごとに減少し、やがて滅亡に至る。根が少なく枝葉が多い木が枯れてしまうのと全く同じだ。
このような状況ではどうすることもできない。しかし、たとえ暑中であっても、木の枝を大きく剪定し、葉をすべて取り除き、幹を菰(こも)で包み、そこに時々水を注げば木は枯れない。このようにすれば、根が弱くても木を育てることができるのだ。
人の身代も同じ理である。心を用い、よく考えて対処しなければならない。」
翁が語った。
「樹木は老木となると、枝葉が美しくなくなり、痿縮(いしゅく)して衰えていくものだ。しかし、このような時に大いに枝葉を剪定すれば、翌春には瑞々しく美しい枝葉が新たに生えてくる。人々の身代もこれと同じである。
初めて家を興した者は、他の常人とは異なる努力をするため、百石の身代で五十石の生活をしても周囲はそれを認めるだろう。しかし、その子孫となると話は別である。百石の家は百石相応の暮らし、二百石の家は二百石相応の交際をしなければ、家族も奴婢も周囲の人々もそれを受け入れないものである。
こうしてやがて生活が分限を超え、不足を生じる。そうした時に分限を引き下げることを知らなければ、必ず滅亡の道をたどる。これは自然の成り行きであり、避けることはできない。
だからこそ、私は常に推譲の道を教えている。推譲の道とは、百石の身代の者が五十石で生活を営み、残りの五十石を譲ることである。この推譲の法こそ、私の教えの最も重要な法であり、家産を維持し、さらに漸次増殖させる方法である。家産を永遠に守り続ける道は、この方法以外にない。」
大和田山城が楠公の旗文とされる以下の文を持ち帰り、その真偽を尋ねた。
楠公旗文
非は理に勝つことあたはず
理は法に勝つことあたはず
法は権に勝つことあたはず
権は天に勝つことあたはず
天は明らかにして私なし
翁が答えた。
「この旗文は、理・法・権といった世の中のことを順序立てて示したものだ。『非理法権天』という言葉は珍しいものだが、この文が示している道理はまさに世の中の真理である。どれほどの権力者であっても、天には決して勝つことはできない。
たとえば、理が正しいとしても、時にはそれが権力に押さえつけられることがある。理が曲げられても法が立つことがあり、さらに権力があれば法すらも抑え込むことが可能だ。しかし、天が存在する以上、いかなる権力もその前では無力である。
俗歌にこうある。
『箱根八里は馬でも越すが馬で越されぬ大井川』
これと同じように、人と人との間では智力、弁舌、威権が通用することもある。しかし、天の前では、どれだけの智力、弁舌、威権があっても決して通ることはできない。これが天の道理だ。
仏教ではこれを『無門関』と呼んでいる。だからこそ、平氏も源氏も長久せず、織田氏や豊臣氏も二代以上続かなかったのだ。
されば本当に恐るべきは天である。そして、人が勤めるべきは、天の道理に従うことである。世の中の強欲な者たちは、この理を知らず、どこまでも際限なく身代を大きくしようと智を振るい腕を振るう。しかし、さまざまな手違いが起こり、思うように進むことができない。また、権謀術数や威力に頼ってひたすら利を計ろうとする者も同じく、失敗を重ねて志を遂げることができない。これはすべて、天が存在するためなのだ。
だからこそ、『大学』では『止まるべきところを知れ』と教えている。止まるべきところを知れば、徐々に進むことができる。しかし、止まるべきところを知らなければ、必ず退歩を免れない。徐々に退歩していけば、ついには滅亡することになるだろう。
また、この旗文にある『天は明らかにして私なし』という言葉が示す通り、天には私心がない。私心がないからこそ、それは誠である。『中庸』にはこうある。
『誠であれば明らかであり、明らかであれば誠である。誠は天の道であり、これを誠にするのは人の道である』と。
ここで言う『これを誠にする』とは、私心を取り除くことを指している。つまり、自分自身に克つことであり、それは決して難しいことではない。この理はよく理解できることだ。
ただし、この旗文の真偽については、私の知るところではない。」
ある人が尋ねた。
「『春は花、秋は紅葉と夢うつつ、寝ても醒めても有明の月』とはどのような意味でしょうか。」
翁が答えた。
「これは『色即是空、空即是色』という真理を詠んだものである。ここで言う『色』とは、肉眼で見える現象、すなわち天地間の森羅万象を指す。『空』とは、肉眼で見えない根本の理であり、いわゆる『玄のまた玄』とも言われる存在だ。
世界は循環と変化の理によって成り立っており、『空』は『色』を現し、『色』は再び『空』に帰る。この循環と変化は天道そのものである。例えば、今は野も山も青々としていても、春になると梅や桃、桜が咲き乱れ、その美しさは目を見張るものがある。しかし、それもすぐに散り失せ、秋になれば山麓は色づき、紅葉が山を錦に染めるように美しい。だが、一夜木枯らしが吹けば、その紅葉も跡形もなく散り果てる。
人もまた同じだ。子供は成長し、若者はやがて老い、老人は死に至る。そして死んだ者は再び生まれ、新たな命が循環していく。
しかし、この循環は悟りや迷いによって変わるものではない。悟ったからといって花が咲くわけではなく、迷ったから紅葉が散るわけでもない。同様に、悟りによって人が生まれるのではなく、迷いによって人が死ぬのでもない。悟ろうが迷おうが、寒い時は寒く、暑い時は暑い。死ぬ者は死に、生まれる者は生まれる。ただそれだけであり、そこに人間の思いや行為は少しも影響しないのだ。
これを『寝ても覚めても有明の月』と詠んでいる。特別な意味があるわけではなく、ただ悟りというものも、実際にはさして益のないものだということを詠んだのである。」
翁が語った。
「神儒仏の教えを記した書物は数万巻も存在する。それらをいくら研究し、深山に籠もり坐禅をしても、もしその道を極めたのであれば、結局たどり着く先はただ一つ、世を救い、世を益する以外に道はない。もしこれに反する道があるというのなら、それは邪道である。正しい道は必ず世の中を益するものでなければならない。
たとえ学問をし、道を追い求めても、その果てが世を益するものでない限り、それは葎(むぐら)や蓬(よもぎ)のように無用な存在となり、むしろ広がるほどに世に害をなすだけだ。こうした無用のものは尊ぶべきではなく、いずれ聖君が現れて、これらの無用な書物を焼き捨てることもあり得るだろう。それを焼かないとしても、荒れた土地を開墾するように、無用な葎や蓬を刈り捨て、有用な道が広まる時が訪れるかもしれない。
どちらにせよ、人の世に益のない書物は読むべきではない。また、自分や他人に益のない行いもすべきではない。時間は矢のごとく過ぎていくものだ。人生は六十年とされているが、その中には幼少期や老年期があり、病気や事故もある。実際に事をなせる時間はきわめて少ないのだから、無駄なことに時間を費やしてはならない。」
青柳又左衛門が言った。
「越後の国では、弘法大師の法力によって、水や油が地中から湧き出し、今でも絶えず続いていると聞きます。」
これに対し、翁が答えた。
「確かに奇妙な話ではあるが、ただその一箇所のみの現象では、特別に尊ぶには足りない。我が道はそれとは異なり、より奇妙で素晴らしいものだ。どこの国であっても、荒地を開墾し、菜種を蒔いて、その実りを得れば、それを油屋に送ることで、種一斗から二升の油が急速に搾り出される。そしてこれは永遠に絶えることがない。
これは皇国固有の、天祖伝来の大道であり、肉食、妻帯、暖衣、飽食といった人間の基本的な生活を支え、智愚、賢不肖を問わず、すべての人に行わせるべき普遍的な道である。この道は、天地開闢以来、代々伝えられてきたものであり、日月が照り続ける限り、この世界が存続する限り、間違いなく実践できる普遍の道である。
ゆえに、弘法大師の法よりも、我が道は何倍も優れていると言えるのではないか。さらに我が道には大いなる奇特がある。一銭の財産も持たずして、四海の困窮を救い、広く施して国中を豊かにし、それでもなお余裕が生じる方法である。その実現方法はただ一つ、『分度を定める』ということに尽きる。
私はこの方法を相馬、細川、烏山、下館などの諸藩に伝えた。しかし、これは諸侯や大家でなければ実行が難しい術でもある。だが、それ以外にも術はある。荒れた原野を田畑に変え、貧しい村を豊かな村に変える術。そして、愚夫愚婦であっても皆に実行させることのできる術だ。
山奥に住む者が海の魚を釣り、海辺に住む者が深山の薪を取ることができるようになり、草原から米や麦を得る術もある。争いにおいては必ず勝つ方法だ。しかも、これはただ一人にのみ可能な術ではなく、智愚を問わず、天下のすべての人々が実行できるものである。
なんとも妙術ではないか。この道をよく学び、国へ帰って勤め励むがよい。」
翁がまた語った。
「杣(木こり)が深山に入って木を伐るのは、木材が好きだから伐るのではない。炭焼きが炭を焼くのも、炭が好きだから焼いているのではない。
そもそも、木こりや炭焼きも、自らの職業をしっかりと勉強し励むことで、白米は自然と山へ運ばれてくる。海の魚や里の野菜、さらには酒や油までもが、自ずと山に集まるようになるのだ。
まさに、奇々妙々な世の中と言うべきである。」
翁が語った。
「この世界において、人はもちろんのこと、禽獣、虫魚、草木に至るまで、天地の間に生きるすべてのものは、みな天の分身と呼ぶべきである。なぜなら、孑孒(ぼうふら)や蜉蝣(かげろう)、さらには草木でさえ、天地の造化の力を借りずに、人間の力だけで生育させることは決してできないからだ。
そして、人はその万物の長として存在している。ゆえに「万物の霊」と呼ばれるのだ。その証拠に、人は禽獣や虫魚、草木を自分の思うままに支配し、生かしも殺しもするが、それについて咎められることはない。その力は極めて広大である。
しかし、本来は、人も禽獣も草木も何ら違いはない。みな天の分身であるがゆえに、仏道では「悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」と説く。また、我が国は神国であるから、「悉皆成神(しっかいじょうじん)」といえるだろう。
それにもかかわらず、世の人々は、生きている間は人間であり、死後に仏となると考えるが、これは誤りである。生きている時点で仏であるからこそ、死して仏となるのだ。生きている間は人間であり、死後に突然仏となる理屈は存在しない。
たとえば、生きた鯖の魚が死んで鰹節になることはなく、松の木が林にある時は松であり、伐られた後に杉になることもない。同様に、生前仏であるからこそ、死後も仏であり、生前神であるからこそ、死後も神であるのだ。
世には人が死んだ後、その者を祭り、神とすることがある。これもまた、生前に神であったからこそ、死後も神となるのである。この理は明白ではないか。
神と仏という言葉は、名は異なるが、実は同じものだ。国が異なるために、その呼び名が異なるだけである。この心を詠んだ歌がこれだ。
『世の中は草木もともに神にこそ
死して命のありかをぞしれ』
『世の中は草木もともに生如来
死して命の有かをぞしれ』
呵々。」
翁が語った。
「儒学では『循環』と言い、仏教では『輪転』と言う。これらはつまり天理を指している。循環とは、春が秋になり、暑さが寒さに変わり、盛んさが衰えに移り、富が貧に移ることを言う。輪転も同様の理である。
仏教では、この輪転を脱して安楽国に往生することを願い、儒学では天命を畏れ、天に仕えて泰山の安定を願う。私が教えるところは、貧を富に変え、衰えを盛んにし、そしてこの循環や輪転を脱して、富み盛んな地に安住する道である。
たとえば果樹は、今年大きく実を結ぶと、翌年は必ず実が少なくなる。これを世では『年切り』と言うが、これは循環や輪転の理に従った自然なことである。しかし、人為をもってこの『年切り』をなくし、毎年同じように実を結ばせることも可能である。その方法は、枝を間引いてすっきりさせたり、蕾の時点で摘み取って花を減らしたり、肥料を適切に数回施すことである。こうすれば、年切りを避けて毎年安定した収穫を得ることができる。
人の身代においても、盛衰や貧富の移り変わりがあるのは、まさにこの『年切り』のようなものだ。親が勤勉でも子が怠惰であったり、親が節約しても子が贅沢であったりと、二代三代と続かないのは、いわゆる年切りであり、循環や輪転に従った結果である。
この年切りをなくしたいと願うなら、果樹を手入れする方法にならって、私が教える推譲の道を勤めるべきである。」
翁が語った。
「人の心から見れば、米は最上で無類の清浄なものと思える。けれども、その米の心からすれば、糞水こそが最上で無類に好ましいものだと感じているに違いない。
これもまた、循環の理である。」
ある人が尋ねた。「『女大学』は貝原益軒の著作と聞きますが、女子をあまりに抑圧する内容ではありませんか?」
翁が答えた。
「そうではない。『女大学』は婦女子の教訓として至れり尽くせりの内容であり、婦道の真髄を示した至宝といえる書である。これに基づいて生きれば、女子にはまるで自由がないように思えるかもしれないが、それはあくまで女子のための教訓書だからである。もし婦女子がこの道理をよく理解し実践すれば、調和の取れない家庭などないであろう。
舜が盲目の父瞽瞍(こすう)に仕えたのは、子としての道の極致を示したものであり、これと同じ理である。しかしながら、男子が『女大学』を読んで『婦道とはこういうものか』と思い込むのは、まったくの誤解である。『女大学』は女子の教訓書であり、貞操や道徳心を鍛練するためのものである。たとえば鉄も十分に鍛えなければ、折れず曲がらない名刀にはならないように、教訓もまた同じである。
したがって、『女大学』は男子が読むべきものではない。誤解してはならない。この種の心得違いは世間にしばしば見られる。教育というものはそれぞれに異なるものであり、『論語』を読めばそのことがわかる。君主には君主の教えがあり、民には民の教えがある。親には親の教えがあり、子には子の教えがある。君主は民の教えを学んではならず、民も君主の教えを学んではならない。親も子の教えを学ぶべきではなく、子も親の教えを学ぶべきではない。君民、親子、夫婦、兄弟のすべてにおいてこの原則が当てはまる。
君主は仁愛を明らかにし、民は忠順を道とすべきである。親は慈愛を、子は孝行を実践する。それぞれが自らの道を守れば天下は泰平となり、それに反すれば乱れる。このことから、男子は『女大学』を読むべきではないのである。教訓というものは病に対処する薬方のようなもので、その病に応じて適切に施すものなのだから。」
翁の家に親しく出入りするある者の家で、嫁と姑の仲が悪かった。一日、その姑が翁のもとを訪れ、嫁の非を並べ立てて喋り続けた。
これを聞いた翁は、こう答えた。
「それは因縁の結果であって、是非を論じる問題ではない。ただ堪忍するほか道はないのだ。そもそも、お前も若いころ、自分の姑を大切にしなかった報いではないか。いずれにせよ、嫁の非を数えても何の益もない。まずは自分を省みて堪忍するのがよい。」
そう言い放ち、あっさりと帰らせた。
その後、翁が言った。
「これは善道というものだ。このように言い聞かせると、姑には必ず反省するところが出てくる。それによって、嫁との関係が幾分か改善されるだろう。逆に、こんなときに姑の愚痴に同調し、共に嫁を非難するようなことを言えば、姑はますます嫁との仲を悪くするものだ。
そもそも、このような問題は、父子の関係を損なったり、嫁と姑の親しみを失わせたりする原因となる。これらのことについては、よく心得ていなければならない。」
翁が語った。
「『郭公鳴つる方をながむれば只有明の月ぞ残れる』という歌の趣旨はこうである。例えば、かつての鎌倉は栄華を極め、華やかな場所であったが、今ではその跡だけが残り、物寂しい様子となっている。その情景を感慨深く詠んだものである。
しかし、この歌は鎌倉だけを指しているわけではない。人々の家も同じことだ。今日、家々が立ち並び、人が多く住んで賑わっていても、一度何か不幸があれば、たちまち身代が尽き、屋敷だけが残る状況になってしまうだろう。これを恐れずにいられるだろうか。慎まなくてよい理由があろうか。
総じて、人が作ったものは、何か事が起これば皆失われる運命にある。しかし、天が作ったものだけは残る。そうした理を含んで詠まれた歌である。
よくこの歌の深意を味わい、そこに込められた教訓を知るべきである。」
翁が語った。
「すべての万物は、一つだけでは相続ができないものである。例えば、父母がいなければ人は生まれない。それは草木も同様であり、草木は地上に半分、幹や枝を伸ばし、地中に半分、根を張って生きているからだ。地を離れては相続できないのだ。
地を離れて相続するものは、男女二つが結びついて人倫を成すものである。この関係は、網を作る糸のようなものだ。網は二筋の糸を寄せて結び、寄せては結びして形ができる。人倫もそれと同じで、男と女が結びついて相続が成り立つ。これは人だけでなく、すべての動物にも共通する。
また、植物も同じである。一粒の種が二つに割れて、その中から芽を出す。一粒の中に陰と陽があるように見える。そして、天の火気(日光)を受け、地の水気を得て成長し、地中に根を張り、空に枝葉を伸ばして生育する。これはまさに天地を父母とするようなものだ。
世の人々は、草木が地中に根を張り、空中に枝葉を広げることは知っている。しかし、空中に枝葉を伸ばすことと地中に根を張ることが、同じ理によって成り立っていることを理解していない。枝葉を広げることと根を張ることの両方が、互いに依存し合う一理であることをよく考えるべきである。」
翁が語った。
「世の中は、貧富や苦楽といった違いで騒がしく思えるが、実際には大海のようなもので、これに善悪や是非を問うことはできない。ただ、その大海をどう泳ぐかの術が上手いか下手か、それだけの違いがある。
水は、舟を使えば便利な道具となり、時に命を運ぶ助けともなるが、一方で泳ぎ方を知らなければ、溺れて命を失うこともある。同じ水であっても、その利用の仕方次第で役割が変わるのだ。また、海はいつも同じではなく、時に順風に乗り、時に逆風に抗うことが求められる。さらに、穏やかな日もあれば荒れる日もあり、それが自然の理というものだ。
このような世の中で溺死を免れるために必要なのは、泳ぎの術を身につけることである。そして、人生という海を無事に渡るための術は、『勤労』『倹約』『推譲』という三つの心得に尽きる。
これらを守り実行する者は、いかなる波にあっても、大海を穏やかに渡ることができるだろう。」
翁が語った。
「世の中の万事は、陰だけが重なっていても成り立たず、陽だけが続いても同じことだ。陰と陽が交互に並び、調和しながら進んでいくことが、自然の定則である。
たとえば、寒さと暑さ、昼と夜、水と火、男女の関係のように、対立するように見えるものが互いに交じり合って成り立つものだ。人が歩く姿を見ても、右足を一歩出せば次は左足を出し、交互に進む。尺蠖(しゃくとりむし)も、屈んでは伸び、屈んでは伸びを繰り返して進む。蛇でさえ、左に曲がり右に曲がりしながら、【~】※のように進む。
また、畳の表や莚(むしろ)の編み目のように、素材が下に入り込んでは上に出て、上に出てはまた下に入り込む。麻布のような粗い布も、羽二重のように細かい布も、編み目の原理は同じで、交互に織りなされている。
これらはすべて天理、すなわち天地自然の理によるものである。この循環と交互の原則をよく理解すれば、物事の成り立ちを知ることができるだろう。」
※原著にも【~】のような図がある。蛇や尺取り虫が歩くさまを図にしたものらしい。
翁が語った。
「火を抑え制するものは水であり、陽を保ち続けるためには陰が必要である。世の中に富者が存在するのは、貧者がいるからこそ成り立つものだ。この貧富の関係は、寒さと暑さ、昼と夜、陰と陽、水と火、男女といった、すべてのものが互いに支え合い、バランスを保ちながら存続するのと同じである。
これはすなわち、循環の道理であり、自然界の不変の法則である。この理をよく理解することで、物事の本質を見極めることができるだろう。」
翁が語った。
「飲食店に行き、人々に酒や食事を振る舞ったとしても、代金を支払わなければ、それをもって馳走したとは言えない。同様に、不義の財産を用いてどれほど日々三牲(牛、羊、豚などの生け贄)を供えたとしても、それを孝行と呼ぶことはできない。『禹王が飲食を薄くし、衣服を粗末にした』という故事のように、行いの出所が確かなものでなければ、孝行にはならないのだ。
ある人が詠んだ発句に、『和らかにたけよことしの手作麦』というものがある。この一句にはその情愛がよく表れている。『和らかに』という言葉には孝心が現れており、一家が和睦している姿が目に浮かぶようだ。また、『手作麦』という表現には、親を安心させようとする心が言葉の奥から感じ取れる。これは素晴らしい発句であると言えるだろう。」
翁が語った。
「世の中には大きなものも小さなものもあり、その限りは果てしない。例えば浦賀港では、米を量る際に大船で一艘、二艘と数える。一方、蔵前では三蔵、四蔵といった単位で話される。これでは俵に入った米の粒を数えることなど、まるで考えも及ばないように見える。しかし、その米が特別に大粒であるわけではなく、普通の米粒である。一升の米粒を数えれば、実に六、七万粒にもなる。たった一握りの米粒ですら、その数は無量と言える。ましてや、それがもたらす功徳の大きさを考えてみてほしい。
春に種を蒔いてから、稲が生え、風雨や寒暑を耐え抜き、花が咲き、実を結ぶ。そして収穫した稲を脱穀し、搗いて白米に仕上げるまで、そこに込められる丹精は容易なものではない。それこそ一粒一粒に込められた労苦は『粒々辛苦』そのものだ。そのような米を私たちは日々無量に食べて命をつないでいる。この功徳が無量でなくて何だろうか。よく考えてみるべきだ。
だからこそ、人は小さな善行を積み重ねることを尊ぶのだ。
私が日課として行う縄索のような方法は、人々が疑念を抱かず素直に勤しむことができる。それは、小さな努力を積み重ねて大きな成果を得るという理にかなったものだからだ。一房の縄であれ、一銭の金であれ、それは施しや無益な慈善ではなく、平等に利益を生む正当な職業であり、国家を再興する手本とすべきものである。
大きな事業は人々の耳目を驚かせるだけで、ほとんどの人がその実行に及ばず、やがて退いてしまえば何の意味もない。たとえ退かずに進んだとしても、その成功を収めるのは難しいものである。一方、今、ここに数万金の富を持つ者がいるとしても、その祖先はきっと一鍬の努力から始め、小さな努力を積み重ねて富を築いたに違いない。
大船の帆柱や永代の橋の杭といった大木も、一粒の木の実から生じたものだ。それが成長するまでには何百年もの歳月を経て、寒暑や風雨といった艱難を凌ぎ、日々夜々と精気を取り込みながら大木へと成長したのだ。だが、これは昔の木の実に限ったことではない。今の木の実もまた、将来、大木となることに間違いない。
昔の木の実が今の大木であり、今の木の実が未来の大木となる。この理をよく理解し、大きなものをただ羨むのでも、小さなものを恥じるのでもなく、結果を急がず日々怠らず努めることが肝要だ。
『むかし蒔く 木の実大木と 成にけり
今蒔く木の実 後の大木ぞ』」
ある者が言った。
「一食ごとに米を一勺ずつ減らせば、1日で三勺、1か月で九合、1年で一斗余りの節約となる。これを百人で行えば十一石、万人で行えば百十石の節約になる。この計算をもとに、人民に節約を説き、富国の基盤を築こうと考えています。」
これを聞いて翁が答えた。
「その教えは、凶作の年には適しているかもしれない。しかし、平年においては、そんなことを言うべきではない。なぜなら、凶作の年には食物を増やすことができないため仕方がないが、平年には農業を奨励し、一反あたり一斗ずつ収穫を増やすことができる。そうすれば、一町で一石、十町で十石、百町で百石、万町で万石の増収となる。富国の道とは、農業を奨励して米穀の生産を増やすことにある。どうして減食のことを口にする必要があるのか。
特に、下層の人民は普段の食事ですら十分ではなく、心の中では満足に食べたいと願っているのが常だ。だからこそ、日々の飯の盛り方が少ないだけでも、不快に思うものだ。それなのに、一食につき一勺ずつ減らせなどという話を聞かされたら、彼らはその話を嫌悪し、忌々しく思うだろう。
仏家の施餓鬼供養において「ホドナンパンナムサマダ」と繰り返し唱えるのは、「十分に食べ給え、たっぷりと食べ給え」という意味だと聞いている。したがって、施餓鬼供養の功徳とは、十分に食べることを勧めることにある。下等の人民を諭す際には、「たっぷり食べて精一杯働け、たくさん食べて力の限り稼げ」と教え、土地を開墾し、米穀を増やし、物産を繁殖させる努力をすべきである。労力を増やせば土地が開け、物産が繁栄する。物産が繁栄すれば商業や工業もまたそれに伴って発展する。これが国を富ます本来の意義である。
人はしばしば「土地を開発するといっても、もう開くべき土地はない」と言う。しかし、私の目から見れば、どの国もまだ半分しか開かれていない。人々は現在耕作している土地をすべて田畑だと考えるが、湿地や乾地、不平の土地や粗悪な土地など、まだ田畑と言えない場所がたくさんある。全国を平均して見れば、現在の土地をさらに三回も開発しなければ、真の田畑とは言えない。今日の田畑は、ただ耕作が差し支えなく行われているに過ぎないのである。
翁曰、凡そ何事を成し遂げようとするならば、まず始めにその終わりを詳しく考え定めるべきである。たとえば、木を伐る場合に似ている。まだ伐らぬうちに、その木がどの方向に倒れるかを詳しく決めておかねばならない。そうでなければ、倒れ始めてからでは、いかなる対策も講じることができなくなる。
私が印旛沼を見分した際も、仕上げの見分までを一度に行い、どのような異変があっても失敗しないような方法を工夫した。また、相馬侯より興国の方法について依頼されたときには、着手する以前に過去180年分の収穫量を調べ上げ、その上で分度の基礎を築いた。これは荒地を開拓し、完成した後のことを見据えた備えであった。
私の方法では、分度を定めることを根本としている。この分度を確固たるものとして立て、それを厳格に守ることができれば、荒地がどれほど広大であろうと、借財がいかに大きかろうと、恐れる必要も、悩む必要もないのである。私が説く富国安民の法は、この「分度を定める」ことの一点に尽きるのである。
我が皇国は、皇国としての範囲に限られている。それを超えて広げることは、決して叶うものではない。したがって、十石は十石、百石は百石、その分度を守るほか道はない。百石を二百石に増やし、千石を二千石に増やすことは、一家内で相談して実行することは可能かもしれない。しかし、一村や一藩全体でこれを行うことは、決してできるものではない。これは一見簡単なようで、実は非常に難しい事柄である。
ゆえに、分度を守ることを我が道の第一としている。この理をよく理解し、分度を守ることができれば、心は実に安穏となり、杉の実を採り、苗を仕立て、山に植え、その成長した木を楽しむことができるようになる。分度を守らない場合、先祖より受け継いだ大木の林を一度に伐り払ってしまい、それでもなお事が足りなくなるような事態に陥ることは目に見えている。分度を超えるという過ちは、実に恐ろしいことである。
財産を有する者は、一年の衣食に足る分を明確に定め、それを分度とすべきである。その際、多い少ないを問わず、分度を超えた分は譲り、世のために用いることを心掛けるべきである。そして、それを長年にわたり続けるならば、その功徳は無量であろう。
釈迦は世を救うために、国家をも妻子をも捨てたとされる。世を救う志を持つならば、自分の分度を超えたものを譲ることが、なぜできないはずがあろうか。
翁曰、ある村の富農が、聡明な一人息子を東京の聖堂に入学させて学問を修めさせようとし、父子で私のもとを訪れてその旨を告げた。私はこれに対し、誠心誠意説いて諭した。
「それは善いことだ。しかしながら、汝の家は富農であり、多くの田畑を所有していると聞いている。ゆえに、その家株は農家として尊いものだ。その家株を大切に思い、祖先の大きな恩をありがたく受け止め、道を学んで近郷近在の村々の人々を教え導き、この土地を豊かにすることで国恩に報いるために修行に出るのであれば、それは大いに適ったことだといえる。
しかし、もしも先祖から伝わった家株を『ただの農家』として軽んじ、六つかしい学問を学んで世に誇ろうという心があるのであれば、それは大きな間違いである。農家には農家の務めがあり、富者には富者の務めがある。農家である者は、どれほど大きな家柄であろうとも、農事をよく心得ていなければならない。富者である者は、たとえどれほどの富を持とうとも、勤倹して余財を譲り、郷里を豊かにし、土地を美しく整えて国恩に報いなければならない。
このように農家の道と富者の道を全うするために学問をするのであれば、それは誠に立派なことである。しかし、そうではなく、もしも祖先の恩を忘れ、農業を拙いものと見なし、農家を賤しいものと思う心で学問を学ぶのであれば、その学問はますます心を迷わせる助けとなり、ついには汝の家は滅亡するに違いない。
今日の決心は、汝の家の存亡にかかっている。決して迂闊に聞き流してはならない。私が言うことに間違いはない。汝が一生学問に励んだとしても、この道理を発明することは決してできまい。また、このように教え諭してくれる者も他にはおるまい。聖堂に積まれている万巻の書物よりも、私が今ここで語るこの一言の教訓の方がはるかに尊いものである。
私の言葉に従えば、汝の家は安泰である。もし従わないのであれば、汝の家の滅亡は目前にある。したがって、私の言葉を用いるならば良いが、用いることができないのであれば、二度と私の家に来ることはやめるがよい。私はこの地の荒廃を復興するためにここにいるのであって、滅亡の話など聞くだけでも忌々しい。だから、再び来ることは避けるがよい。」
そう厳しく戒めた。しかしその子は私の言葉を用いずに東京へ出て行った。学問を修め終えないうちに、田畑はすべて他人の所有となり、ついには子は医者となり、親は手習いの師匠をしながら、その日暮らしをしていると聞いた。なんとも痛ましいことではないか。
世間には、このような心得違いが往々にしてあるものだ。あの時、私は口ずさむように詠んだものだ。
「ぶんぶんと障子にあぶの飛びみれば明るき方へ迷ふなりけり」
これは、光明だと思って迷い込んだ先が、かえって災いを招くものであるということを示している。なんとも痛ましい話である。」
門人の一人が、若気の至りで所持品を質に入れ、そのまま放置して退塾してしまった。これを見かねたその兄が再入塾を願い出て、金を用意して質入品を受け戻し、本人に返そうとしたところ、翁は次のように述べた。
「質を受け戻すこと自体は、その場の措置としては妥当であろう。しかし、彼は富家の子であり、生涯にわたって質屋に物を入れるようなことをするべき身ではない。その行為が極めて不束であるのは言うまでもないが、それは心得違いから来るものだ。今後改める気持ちがあるのなら、質入品は潔く捨て去るべきである。
一度でも質屋に入れられた衣服を身に付けないというくらいの精神を確立しなければ、生涯その性分は改まらないだろう。過ちと知れば、速やかに改めるべきだ。悪いと思う物は、すぐに手放すのが良い。汚れた物を手にしたならば、速やかに洗い落とすのが世の常ではないか。どうして質に入れた衣服を受け戻し、それを身に付けようとするのか。
質に入れた品を改心して受け戻すのは、困窮する家の子弟のすることだ。しかし彼は、忝(かたじけな)くも富貴の大徳を授かり、この世に生を享けた大切な存在である。『君子は窮しても堅忍する』とある通り、小遣いがなければ使わずに済ませ、ただ生まれながらの大徳を守り抜けば良い。それさえ守れば、やがて富家の婿となり、安穏な生活を送ることができるであろう。
このような富貴の大徳を、生まれながらにして授かっているにもかかわらず、自らその大徳を捨て、失ってしまえば、それを再び取り戻すことはできない。そうなれば、芸を身に付けて生計を立てるか、自ら稼がなければ生活の糧を得る術がなくなるであろう。長芋ですら、腐りかけた部分を囲っておくためには、まだ腐っていない部分を切り捨てなければ、腐敗を止めることはできない。同様に、一度質屋に入れた衣類は、再び身に付けないという精神を奮い立たせ、生まれながらに備わる富貴の徳を失わないよう努めることが肝要である。
また、悪友に貸した金についても、同じように断固として打ち捨てるべきだ。たとえ返すと言ってきても、それを受け取ることなく、さらに再び貸すことも避けよ。悪友との縁を断ち、彼らに近づかないことを最優先とするべきである。これが、しっかりと心得ておくべき重要な事柄である。
彼のような者が、自らの身分を慎み、生まれながらの徳を失わない限り、生涯を安穏に過ごし、財宝は自然と集まってくるであろう。それどころか、他人の窮状をも救うことのできる大徳を、生まれながらに備えているのだ。この理をしっかりと諭し、誤った道に進ませてはならない。」
翁曰く、山や谷は寒気に閉ざされ、雪が降り、氷が張るが、柳の芽が一つ開き始めると、それを境に山々の雪も谷々の氷もすべて解けていく。また秋になり、桐の葉が一枚落ち始めると、世の中の青葉もそれを最後に枯れ始める。世の中は常に自転し続け、止まることがない。だからこそ、時機を得たものは成長し、時機を得られないものは衰えていくのである。
例えば、午前中には東向きの家が陽を受けるが、西向きの家は影となる。一方、午後になると西向きの家が陽を受け、東向きの家は影となる。こうした道理を理解しない者たちは、自らの境遇を「不運だ」と嘆いたり、「世の中は末期だ」と歎くが、それは誤りである。
ここにたとえ、数万金もの負債があろうと、何万町もの荒れ地が広がっていようと、もし賢明な君主がいて、この道理に則った施策を行えば、何も憂う必要はない。なんと喜ばしいことではないか。しかし逆に、いくら何百万金もの貯蓄や広大な領地を持っていたとしても、暴君が治め、道理を無視し、「これでも足りない、あれでも足りない」と奢り高ぶり、慢心を増長させていけば、その繁栄もやがては消え去るであろう。そうなれば、秋の嵐に散り乱れる落葉のように一瞬で滅びることは間違いない。これを恐れずにいられるだろうか。
予が詠んだ歌に、 「奥山は冬気に閉ぢて雪ふれどほころびにけり前の川柳」
翁曰く、仏教には悟道についての論がある。それは興味深いものではあるが、人の道を害する場合がある。その一例が「生ある者は必ず滅し、会う者は必ず離れる」といった教えである。これらは物事の根源を明らかにするために説かれるが、その悟道とはたとえば、草の根の様子を一つひとつ具体的に示して人に見せるようなものである。理としては確かにその通りだが、それを実地で行おうとすれば、すべて枯れてしまうのだ。
儒教の教えはこれとは異なり、草の根について細かく述べることはない。「草の根は目に見えなくてもよいものであり、根があるからこそ草木が生育するのだ」という前提を定め、「根こそ重要であり、これを培い養うことこそ大切だ」と説く。松の木が青々としているのも、桜の花が美しく香っているのも、土の中にしっかりと根が張っているからである。蓮の花が芳香を放ち、花菖蒲が美しく咲き誇るのも、泥の中に根を下ろしているからに他ならない。
質屋の倉が立派であるのは、そこに質草を持ち込む貧しい人々が多いからであり、大名の城が広大であるのは、その領地に多くの人民がいるからである。松の根を切れば、すぐに緑の葉先が弱り、二、三日も経てば枝葉はすべて萎んでしまう。民が窮乏すれば君主もまた困窮し、民が富めば君主もまた富む。これは極めて明白で、わずかでも疑う余地のない道理である。
翁がある寺を訪れた際、灌仏会が行われていた。翁は語った。「天上天下唯我独尊」という言葉を、まるで侠客や任侠者が豪語するように、「天下は広いが、俺に並ぶ者はいない」といった釈迦の自慢話だと思う者がいるが、それは誤解である。この言葉は釈迦だけのものではなく、この世界のすべてに当てはまるものである。すなわち、「我も人も、ただこの我こそが、天上にも天下にも尊い存在であり、我に勝る尊いものは絶対に存在しない」という教訓の言葉なのだ。
これを解釈すれば、それぞれの人々が皆、この自分自身こそが天地間で何にも勝る尊い存在なのだと自覚すべきである。なぜならば、天地の間に自分がいなければ、その世界には何もないのと同じだからである。したがって、各人それぞれが「天上天下唯我独尊」であると言える。犬もまた独尊であり、鷹もまた独尊である。猫も杓子も独尊と言ってよいのである。
翁曰く、仏道の伝来は代々厳密である。しかしながら、昔と今とでは、その外見と内実に大きな違いがある。昔の仏者は鉄鉢一つを持って生涯を送り、質素に暮らしていた。今の仏者は日々豊かな食事に満ち足りている。昔の仏者は「糞雑衣」といって、人々が捨てた破れ布を継ぎ合わせて衣服として身を覆っていた。今の仏者は綾羅錦繍(美しい絹織物)を常に身に纏っている。昔の仏者は山林や岩穴で暮らし、常に草の上に座していたが、今の仏者は高堂に安坐している。これらはすべて仏教の遺教に説かれる教えと比べて、天地の差、雲泥の違いではないか。
しかしながら、これもまた自然の成り行きである。なぜならば、遺教には「田宅を持つことを許されない」とあるが、それに反して上から朱印地を与えられる。「財宝を火の穴を避けるように遠ざけよ」とあり、「蓄積してはならない」とも説かれるが、それに反して世の人々が競うように財物を寄付する。「貴人との親密な関係を結ぶことを避けよ」とも説かれるが、それに反して貴人たち自らが従い、弟子を名乗る有様である。
これは例えるならば、大河の流れるところでは砂や石が集まらないのに対し、水が流れない場所にそれらが集まるようなものである。これもまた、自然の勢いによるものである。
ある人が語った。「恵心僧都の伝記に、『今の世の仏者たちが申す仏道が真の仏道であるならば、仏道ほど世に悪いものはないだろう』と言われているのを見た。実に面白い言葉ではないか。」翁はこれに答えた。「まことに名言である。ただし、このことは仏道だけに限らない。儒道も神道もまた同じことであろう。もしも今時の儒者たちが実践する儒道が真の儒道であるならば、儒道ほどつまらないものはないだろう。もしも今時の神道者たちが語る神道が真の神道であるならば、神道ほど無用なものはないだろうと、私も思うのだ。」
神道というものは、天地開闢以来の大道であり、豊葦原を瑞穂の国として、安国として治めた道であることは、説明を要せず明らかである。どうして当世の巫祝者たちが、神札を配りながら米銭を乞うようなやり方で、その本質を理解していると言えようか。川柳にも「神道者身にぼろぼろを纏ひ居り」と詠まれているように、現代の神道者が貧困に窮している様はこの通りだ。これは、真の神道を知らないからに他ならない。
神道というものは、豊葦原を瑞穂の国とし、漂う国土を安国としてしっかりと形作る道である。そのような大道を知る者が、決して貧窮に陥る道理はない。それゆえ、今の神道者が貧困に陥っているのは、神道の本質を知らない証拠である。これは実に嘆かわしいことではないか。
翁曰く、『庭訓往来』に記された「注文に載られずといえども進じ申す処なり」という言葉は、人情を尽くした見事な表現である。あらゆる事柄はこのようにあるべきである。俳句で言えば、「馳馬に鞭打て出る田植かな」の馳せ馬は「注文」にあたり、鞭打つ行為は注文には載られないが、必要な行いである。同様に、「影膳に蠅追う妻のみさをかな」の影膳は注文の中であるが、蠅を追うことは注文には載られないが尽くすべき行いである。
忠義を尽くすのは注文に含まれるが、過ちを補うのは注文に載られないながらも努力するべきことである。諌言するのは注文の範囲内だが、敬意を払い、反抗せず、苦労を怨まないのは注文には載られないが、人が尽くすべきことである。菊花を贈ることは注文に含まれるが、根をつけて贈ることは注文外の心遣いである。
このように、すべての事柄をこの精神で行うならば、志が貫かれないことも、事が成し遂げられないこともないだろう。ここに至れば、孝行や友愛の心が極まって神明にも通じ、西から東、南から北のどこにおいても、その心に服従しない者はなくなるという境地に至るのだ。
家僕が芋の種を土に埋め、その上に「芋種」と記した木札を立てた。これを見て翁は言った。「お前たちは、大道というものが文字の上にあるものだと思い込み、文字だけを研究して学問だと思っているが、それは間違いだ。文字とは道を伝えるための道具であり、それ自体が道ではない。それなのに、書物を読んでそれを道だと思うのは誤りではないか。道とは書物の中にあるのではなく、行いの中にあるのだ。
今あそこに立てられている木札の文字を見てみよ。この木札の文字を頼りにして、芋の種を掘り出し、それを畑に植えて育てるからこそ食物が得られる。道も同様で、書物に記された目印をもとにして、道を求め、自らの行いとして初めて道を得ることができるのだ。それを行わなければ、それは学問とは呼べず、ただの本読みでしかない。」
翁曰く、「現在の憂いは村里の困窮と、それによる人々の気風の悪化である。この気風を正そうとするには、まず困窮を救わなければどうにもならない。しかし、これを救うために財を施し与えるとすれば、財力がいくらあっても足りないであろう。そこで無利息での金銭貸付の方法を考案した。この方法は、実に恩恵を施しながらも、財を浪費することのない道である。
さらに、この方法には一年ごとの『酬謝金』を付ける仕組みも設けた。これは恩恵を施しながら浪費しないだけでなく、欲深く貪ることを避けるための方法である。この仕組みは、貸し手と借り手の双方にとって利益をもたらす道であると言える。」
翁曰く、「経済には天下全体の経済があり、一国や一藩の経済があり、一家の経済もある。それぞれ異なり、同じ基準で論じるべきものではない。たとえば、博打や娼妓屋を営むことも、一家や一身上の視点では経済活動とみなすかもしれない。しかし、政府がこれらを禁じ、むやみに許さないのは、国家に害があるからである。このようなものは、真の意味での経済とは言えない。それは目前の一己の利益だけを見て、将来を顧みず、他者のためを考えない行為だからである。
諸藩においても同様だ。たとえば、駅宿で娼妓を許可する場合、藩内や領内の者がそれに興じることを厳しく禁じている。これは一藩の経済政策である。このような措置を取らなければ、藩や領内の風紀を害し、結果的に一藩そのものを損なうことになるからだ。
たとえば米沢藩では、年が少し凶作であれば酒造を半減し、大きな凶作の際には酒造を厳禁し、他藩からの酒の輸入も認めなかった。また、大豆の不作の際には豆腐の製造も禁じたと聞く。これは、自国の金が他国へ流出するのを防ぐための策であり、これもまた一国の経済政策である。
しかし、天下の経済というものはこのような小規模な策だけでは成立しない。それには公明正大であることが不可欠だ。『大学』に『国は利をもって利とせず、義をもって利となす』とある。この言葉こそ国家経済の格言である。農業や商業を一家の経済として営む者も、この考えを決して忘れてはならない。世間の富裕者であれば、この道理を知らずには済まされないのだ。
翁曰く、「万国共通して、開闢の初めには人類は存在しなかった。幾千年もの時を経て初めて人が現れ、それとともに人道が生まれた。禽獣は欲する物を見れば、即座にそれを取り食べる。手に入るだけの物を遠慮なく取り、他者に譲るということを知らない。草木もまた同様であり、根が張れるだけの土地に何処までも根を張り、遠慮という概念を持たない。これが彼らの道理である。
もし人間が禽獣のような行いをすれば、それは盗賊と同じである。しかし、人はそうではない。米が欲しければ田を耕して収穫し、豆腐が欲しければ銭を使って手に入れる。禽獣が直接的に物を取るのとは異なる方法をとるのだ。人道というものは天道とは異なり、譲る道によって成り立つものである。この譲るということは、今年の収穫物を来年に譲り、親が子のために譲るという行為から成り立っている。
天道には譲るという概念は存在しない。しかし、人道は人々の便宜を図るために作られたものであり、時にそれが奪い合いの心を生む。禽獣には決して譲り合いの心が芽生えることはない。これが人間と禽獣との違いである。
田畑は一年でも耕さなければ荒蕪となる。荒蕪地が百年経っても自然に田畑には戻らないように、人道もまた自然に生じるものではなく、作為によって成り立つものである。人倫や社会で用いられる物品には、何一つとして作為によらずに生まれたものは存在しないのだ。
故に、人道とは物を作ることに努めることを善とし、それを破ることを悪とするものである。あらゆる事柄を自然に任せれば、すべてが荒廃してしまう。これを荒廃させないように努めることが人道である。たとえば、人が使う衣服や家屋に使う四角い柱、薄い板、さらには白米や搗いた麦、味噌、醤油などは、自然に田畑や山林からそのまま生じるものではない。だからこそ、人道は努力して物を作ることを尊び、自然に任せて荒廃することを悪とするのだ。
虎や豹のような獣については論じるまでもない。熊や猪のような獣が木を倒し、根を掘り返す姿を見れば、その力強さは言うまでもなく、労力もまた計り知れない。しかし、それほどの労働をしても、彼らは一生安定した居場所を得ることができない。なぜならば、彼らには譲るということを知らず、生涯を自分のためだけに費やすからである。結果として労働しても何も成し得ないのだ。
仮に人間であっても、譲るという道を知らず、努力を怠れば、安定した生活の場を得ることは禽獣と同じように叶わない。だからこそ、人間である者は、たとえ知恵がなくとも、たとえ力が弱くとも、今年の収穫を来年に譲り、子孫に譲り、他人に譲るという道を知り、それを行うことができれば、その労苦は必ず成果を生む。そしてさらに、恩に報いるという心がけを持つことも必要である。これもまた知らずに済ませられるものではなく、また努力せずには得られない道である。
翁曰く、「交際は人道において必要不可欠なものであるが、世間の人々は交際の道理を知らない。交際の道は、碁や将棋の道に倣うのがよい。将棋の道においては、強い者が駒を落として相手の力量と釣り合いをとり、それに応じた勝負をするものである。力の差が甚だしい場合には、さらに『腹金』や『歩三兵』といったハンデを設けることさえある。これが交際においても必須の理なのである。
たとえば、自分が富み、才や芸があり、学問を備えている場合に、相手が貧しいならば、その富を表に出さないようにすべきである。相手が不才であれば、自分の才を控えるべきであり、無芸であれば、自分の芸を見せつけるべきではない。相手が無学であれば、自分の学問を誇示してはならない。これはまさに将棋の駒を落として指す方法と同じである。このようにしなければ、交際は成り立たない。
また、自分が貧しく、不才で、芸も学問もない場合には、碁を打つ際の心得を持つべきである。相手が富み、才や学問があり、芸を備えている場合には、自分は何目も置くつもりで交際に臨むべきである。これが碁の道理である。この理は、碁や将棋に限ったことではなく、人と人が向き合うときの道にも従うべきものである。」
翁また曰く、「礼法とは人間社会における筋道である。人間界に筋道があることは、碁盤や将棋盤に筋があるのと同じである。人はこの世に生きる上で、筋道に従わなければ、人の道は成り立たない。碁や将棋も、盤面の筋道に従うからこそ、その技術が活かされ、勝敗が決まるのである。この盤面の筋道を無視すれば、まるで小児が碁や将棋を弄ぶようなもので、碁は碁でなくなり、将棋も将棋でなくなってしまう。
ゆえに、人間の社会においては礼法を尊ぶべきである。」
翁曰く、「お前たち、よくよく考えてみよ。恩を受けても報いないことが多くあるだろう。徳を受けても返さないことが少なからずあるだろう。徳を返すことを知らない者は、将来の栄華だけを願い、本来の根本を捨てるがゆえに、自然と幸福を失う。徳を返すことを知る者は、将来の栄えを後回しにして、過去の労苦を思い感謝するため、自然と幸福を得て、富や地位がその身を離れることがない。
徳を返すということは、すべての行いの中で最も尊いものであり、すべての善の先にあるものだ。この根本をしっかりと見極めてみよ。人の身体の根元は、父母による生育にあり、父母の存在は祖父母の労苦によるものだ。そして、祖父母の存在はさらにその父母の労苦によるものである。このように辿っていけば、すべては天地の命令に行き着く。天地は大いなる父母であり、これを『元の父母』と呼ぶのである。
私が詠んだ歌にこうある。
『きのふより知らぬあしたのなつかしや 元の父母ましませばこそ』
人も我も、一日でも命が長く続くことを願う心は、惜しむ心、執着する思いとして天下のすべての人に共通している。それはなぜか。明日も明後日も、太陽が昇り続け、永遠に変わらないだろうと思うからである。もし仮に、明日から太陽が昇らないと定められたならば、人々はどうするだろうか。そのときには、すべての私心も執着も、惜しむ心も存在しなくなるだろう。
ゆえに、天の恩がいかに有難いことであるかは、実に明白ではないか。これをよく考えよ。」
翁曰く、「自然に行われること、これが天理である。天理に従うといっても、それを人為によって行うのが人道である。人体というものは非常に柔弱であり、雨や風、雪や霜、寒暑や昼夜が止まることなく循環する世界に生まれながら、羽毛や鱗で守られておらず、飲食を一日でも欠くことはできず、爪や牙も鋭利ではない。ゆえに、身を守り安らかにするためには、便利な道を作らなければならない。そうでなければ、この身体を保つことはできない。
だからこそ、この道を尊び、その起源が天にあるとし、これを天性と呼び、善とし、美とし、大とするのである。この道が廃れることのないよう願うのは当然である。老子がその隙間を見て『道を道とするべきものは常の道ではない』などと言ったのも、無理のないことではある。しかし、それでもなお、この身体を保つためには、それ以外の選択肢がないのも事実である。身は米を食べ、衣を着て、家に住む。この状態でそのような主張をするのは、老子らの誤りであるとも言えるだろう。
ある人が問うた。『そうであれば、仏の教えも誤りと言えるのではないか?』と。翁は答えた。『仏は生があれば滅があると言い、有があれば無があると説き、また「色即是空」と言い、「空即是色」とも説く。これらは老子や荘子の思想とは異なるものである。』」
翁曰く、「天道は自然である。人道は天道に従うとはいえ、人為の働きによるものである。人道を尽くし、その上で天道に任せるべきである。人為を怠り、天道を恨むことがあってはならない。
たとえば、庭前の落葉は天道である。落葉は無心で日々夜々積もるものであり、それを掃かないのは人道ではない。しかし、掃いてもまた落ちる。そのことで心を煩わせ、葉が一枚落ちるたびに箒を手に取って立ち上がるようでは、塵や落葉に支配されているようなものであり、愚かであると言える。木の葉が落ちるのは天道だが、人道としては、毎朝一度は掃くべきである。そして再び落葉しても、それに振り回されることなく、無心の落葉に支配されてはならない。また、人道を怠り、落葉を放置して積もらせるようなことも避けるべきである。これが人道である。
愚かな者や悪い行いをする者でも、教えることは可能である。教えても聞かない場合、これに心を労してはならない。聞かないからといってすぐに諦めず、幾度も教えるべきである。教えを受け入れない場合にも怒りを覚えることはしてはならない。聞かないからといって放置するのは不仁であり、受け入れないことに憤るのは不智である。不仁と不智は、徳を持つ者が恐れるべきことである。
仁と智、この二つを心がけ、自己の徳を全うするべきである。」
ある寺に「廿四孝図」の屏風があった。これを見て翁は言った。「聖門(儒教)は中庸を尊ぶものである。しかし、この『廿四孝』というものは、中庸の精神から外れたものばかりだ。ただ、王裒や朱寿昌のように、数名だけは奇異でもなく、異常でもない。それ以外は奇異に過ぎる。たとえば、虎の前で泣いて危害を免れたというような話に至っては、私には理解しがたい。『論語』における孝の教えとは、大きくかけ離れていると感じる。
孝というものは、親の心を自分の心とし、親の心を安らかにすることにある。子として平常の身持ちや心がけが確かであれば、たとえ遠国で奉公していて、親に安否を尋ねることがなくても、もしその子が褒賞を受けたと聞けば、親は『あれは我が子であろう』と喜び、逆に罪を犯したと聞けば、『あれは我が子ではあるまい』と不安を感じないものである。これが孝というものである。
反対に、もし罪を犯したと聞けば『あれは我が子ではないか』と不安になり、褒賞を受けたと聞いても『あれは我が子ではあるまい』と喜ばないような親であれば、たとえ子が日々通い、安否を尋ねても、それは不孝である。古語にこうある。『親に仕える者は、上にあって驕らず、下にあって乱れず、俗悪な環境にあっても争わない』と。また『親に背かないことが孝であり、親の病を自分の病として患うことが孝である』とも。ここに親子の情が見て取れる。
世間の親たる者の深い情愛は、子のために無病長寿と立身出世を願うこと以外にはない。したがって、子たる者はその親の心を自分の心とし、親を安らかにすることこそが、至孝である。『上にあって驕らず、下にあって乱れず』というのも当然のことであるが、『俗悪な環境にあっても争わない』という点には特に注意すべきである。俗悪な者たちと交わるとき、どれほど堪忍しても忍びがたいことが多くあるだろう。しかし、その場において争わないというのは、まさに至孝と言うべきである。」
翁曰く、「人の子として、たとえ極めて不孝であったとしても、もし他人がその親を非難すれば、必ず怒りを覚えるものである。これは父子の道が天性によるものであり、その本能的な感情によって怒るのである。
詩に『汝の祖を思うことがないだろうか』とあるが、まさにその通りである。」
翁曰く、「深く悪習に染まった者を善に導くことは非常に難しい。時に恩恵を与えたり、諭したりして、一時的に改まることがあったとしても、やがて元の悪習に戻ってしまうことが多い。これはどうしようもない。しかし、それでもなお幾度も恩恵を施し、教え続けるべきである。
悪習を持つ者を善に導くことは、例えるならば渋柿の台木に甘柿の接穂を継ぐようなものだ。少しでも油断すれば、台木の芽が元の性質を発して接穂の善性を損なう。だからこそ、接穂をした者は細心の注意を払い、台木の芽をかき取るように努めなければならない。もしそれを怠れば、台木の芽の影響で接穂は枯れてしまうだろう。
私が預かる土地にも、このような者が数名いる。私はこの数名のために心血を注ぎ、非常に苦心している。お前たち二、三人、このことをよく理解してほしい。」
翁曰く、「富裕な者で小道具にこだわる者は、大きな事業を成し遂げることができない。貧しい者で履物や足袋を飾り立てる者は、立身出世は叶わないものである。
また、多くの人が集まり雑踏する場所では、良い履物を履いて行ってはならない。良い履物は紛失することがあるからだ。粗末な履物を履いて行き、それが紛失した場合は、わざわざ探し回ることなく新たに買い求め、それを履いて帰ればよい。混雑の中で履物を探し回り、人々を煩わせるのは、粗末な履物を履いていた場合よりも、はるかに見苦しい行為である。」
翁曰く、「聖人は中庸を尊ぶ。しかし、この中庸というものは、物ごとによって異なる性質を持つ。一つの物の中に中庸がある場合もあれば、片寄って初めて中庸となる場合もある。たとえば、物差しのようなものにはその物の中に中庸がある。一方で、天秤の垂直に下がる針や均衡の取れた状態は、片寄りを制して初めて中庸となる例である。
また、湯が熱くも冷たくもない状態が温湯の中庸であり、甘くも辛くもない状態が味の中庸である。損得のない公平なやり取りは取り引きの中庸である。盗人が盗むことを称賛し、世間の人々が盗むことを咎めるような場合は、どちらも中庸ではない。盗まず盗まれずという状態が中庸である。この理は明白である。
忠と孝もまた、中庸を考える際に重要である。忠孝は他者と自分との関係によって生じる道であり、親がいなければ孝を尽くそうと思っても尽くすことはできず、君がいなければ忠を尽くそうとしても尽くすことはできない。ゆえに、片寄らずに中途半端な状態では、至孝や至忠とは言いがたい。君に対して徹底的に片寄って忠を尽くす、親に対して徹底的に片寄って孝を尽くす、これが至忠至孝である。
たとえば、大舜が盲目の父・瞽瞍に対して示した孝、楠木正成が南朝に対して示した忠は、いずれも片寄りが極まった例であり、まさに至れり尽くせりと言える。このような状態になれば、まるで鳥黐(とりもち)で埃を取るかのように、天下のすべての父母や君主に対しても矛盾なく対応できる。この時、忠孝の道は真の中庸に至るのである。
もし忠孝を中分し、均等にすることが中庸であるとするならば、それは忠とも孝とも言えないだろう。たとえば、君や親のために百石を捧げるべきところを五十石しか捧げず、それを中庸だとするのは、大いなる過ちである。なぜなら、君臣の関係は一体のものであり、親子の関係もまた一体のものだからである。
君と言う時には必ず臣があり、親と言う時には必ず子がある。子がなければ親とは言えず、君がなければ臣とは言えない。したがって、君も臣も、親も子も、それぞれ半分ではなく、一体であり、徹底した片寄りが至れり尽くせりとされる理由である。この理を理解するために、左の図を見て悟るべきである。」
救荒について詳しく記し、草木の根や幹、皮、葉など、食べられるものを数十種類調べ、さらにその調理法まで記した小冊子を送ってきた人がいた。これを見て翁は言った。
「草の根や木の葉など、普段少しずつ食べて試している時は害がないものも、それを大量に食べ、日を重ねて摂取するようになると病を引き起こすものがある。軽率にこれらを食べるのは非常に危険なことである。だからこそ、私は天保の二度の飢饉の際、郡や村に諭す時に『草の根や木の葉を食べよ』などとは決して言わなかった。これは病を引き起こすことを恐れたからだ。
飢えた民が自ら草木を食べるのはやむを得ないが、牧民(領主や役人)の職にある者が、飢えた民に向かって『草の根や木の皮を食べよ』と言い、それを実際に食べさせるのは極めて悪い行いである。これらを食べれば一時の飢えをしのぐことはできるかもしれないが、もし病が発生すれば救うことができない。これを恐れずに済むだろうか。これでは人を殺すのに杖や刃物を使うのと何ら変わりないではないか。まさに深く恐れるべき事態である。
とはいえ、食べ物がなければ生き延びることはできない。これをどうすればよいか。これは深く考えなければならない問題である。そこで私は、飢えた民を救いながら、病を引き起こす恐れがない方法を考え出し、烏山、谷田部、茂木、下館、小田原などの領内で実行した。だから、このような救荒書は私の行った方法とは異なるものであり、私は受け取らないことにしている。」
翁曰く、「世の学者たちは、草の根や木の葉などを調べ、『これも食べられる、あれも食べられる』と口々に言う。しかし、私はその話を聞きたくはない。なぜなら、それらを実際に食べて十分に経験を積んだわけではないからであり、非常に信頼しがたいものだからだ。さらに、こうしたものを頼りにするようになれば、凶作の年に備える努力を怠り、社会に害を及ぼすことになる。
それよりも、凶作や飢饉の惨状を詳しく述べることのほうが重要である。まるで僧侶が地獄の様子を絵に描いて老婆を諭すように、飢饉の恐ろしさを懇切丁寧に説き、人々に理解させるべきだ。そして、村ごとに穀物を蓄えることを勧めることが、最も効果的な方法である。
そのため、私は『草の根や木の皮を食べるべきだ』と決して言わない。飢饉の恐ろしさを説き、穀物の備蓄を怠ってはならないことを訴え、穀物を備蓄させることを務めとしているのだ。」
翁曰く、「私が烏山やその他の地域で実施した飢饉救助の方法は、まず村々に諭し、飢渇に迫られた人々を引き分け、老人や幼い子ども、病身の者など力仕事が難しい者、また、女性や働きが十分にできない者をすべて調べ上げた。その後、寺院や大きな家を借り受け、これらの人々を男女に分けて収容し、三十人から四十人ごとに一組とした。一つの組には世話人を一人か二人配置し、各人に対し、一日に白米一合を支給することを定めた。
たとえば四十人の場合、一度に一升の白米に水をたっぷり加え、粥を炊き、塩を入れて均等に四十椀に分け、甲乙なく一椀ずつ与える。さらに、一回は菜を少し加え、味噌を入れた薄い雑炊とし、同様に四十椀に分けて、一人一椀ずつ提供する。これを朝から夕方まで、一日四度繰り返すことを定めた。つまり、一回に二勺五才(約9グラム)の米を粥にして与える計算である。
この粥を与える際には、次のように懇切丁寧に諭した。『お前たちが飢えと渇きに苦しむ状況を深く察している。実に憐れむべきことだ。しかし、今与えているこの一椀の粥は、一日に四度しか与えることができず、空腹を十分に満たすものではない。大勢の飢えた人々に十分な量の米麦を与えられるほどの余裕は、この国にはない。この少量の粥では飢えをしのぐには足りず、耐えがたい思いをするだろう。しかし、現在の世の中では、米穀が市場で手に入らず、金銀があっても買うことができない状況だ。
その中で、領主君公のご厚意によって倉が開かれ、救いとして与えられたこの米で作った粥である。一椀とはいえ、決して容易に得られたものではない。この恩を厚く感謝して、不足を訴えてはならない。また、世間では草根木皮を食べさせることもあるが、これは非常に危険であり、病を引き起こし、多くの死者を出している。決して世話人に隠れて草根木皮を少しでも食べてはならない。
この一日四回与える白米の粥は、飢えをしのぐために十分ではないが、健康を害することはない。新麦が熟するまでの間、この粥を頼りに耐えることだ。運動は控え、なるべく空腹が進まないよう心がけよ。命さえ続けば、それだけで感謝すべきことである。新麦の収穫を天地に祈り、寝たければ寝、起きたければ起きればよい。何かをしようとせず、ただ腹を減らさないよう努め、空腹を耐えることを一日の仕事と心得よ。新麦さえ実れば十分な量を与えることができる。それまでの間、命さえ続けばそれでありがたいと覚悟するのだ。そして、草木の皮葉を決して食べてはならない。たとえ毒がないと言われても、胃腸が慣れていないため、多量に摂取すれば病を引き起こし、命を失うことがある。これを厳重に守らなければならない。』
このように懇切丁寧に諭し、空腹に慣れさせ、病気を防ぐことこそ、救荒の上策である。この方法に従い、一日一合の米粥を支給し、草木の皮葉を食べることは絶対に奨励せず、また許さない。これが私の救荒方法の大要である。」
「さらに、体が壮健な男女には別の方法を設け、十分に説き諭した。通常、五厘の縄一房を七厘に、また、一銭の草鞋を一銭五厘に、三十銭の木綿布を四十銭で買い上げるようにし、日雇い賃金も通常の十五銭から二十五銭に引き上げた。これにより、村中の者が一丸となって奮起し、働いて得た金で自らの生活を支えられるようにした。縄、草鞋、木綿布などは、いくらでも買い取ることができ、また仕事についても協議と工夫を重ねることで、いくらでも人手を雇う必要がある。したがって、老若男女問わず、体の健康な者は昼は外で日雇いの賃金を稼ぎ、夜は家で縄を編んだり、草鞋を作ったりして生活を支えた。
具体的な仕事としては、道や橋の修理、用水路や悪水の堀の浚渫(しゅんせつ)、ため池の掘削、川の堤防の修理、沃土を掘り出して下田や下畑に入れる作業、田畑の畔(あぜ)の修正、狭い田を統合して広げるなど、その土地ごとに工夫すればいくらでも仕事はある。
これらの施策は、たとえば私が十円の金を損しても、相手に五十円や六十円の利益を得させるようなものだ。また百円の損失で四百円、五百円の利益をもたらすようなものである。それだけでなく、その村里に永遠の幸福をもたらし、さらに美名を遺す方法でもある。単に施しをして終わるのではなく、少しの施しで大きな利益を生み出す優れた方法である。
このようにして、窮地にある人々を救う最善の方法は、これ以上のものはないと考える。これが私が実地で実行した救荒の大略である。」
翁また曰く、「天保七年、烏山侯の依頼により、同領内で前述の方法を実施した。その大略として、まず村ごとに諭し、特に困窮している者の中で、力仕事に従事できる者とできない者の二つに分けた。力仕事ができない老幼や病身の者など千余人を烏山城下の天性寺の禅堂、講堂、物置、その他の寺院に収容し、さらに新たに小屋を二十棟建設して収容した。一人あたり白米一合を支給し、前述の方法に従って食事を与えた。そして同年十二月朔日(初日)から翌年五月五日まで救済を続けた。
また、飢えた人々の鬱々とした気分を晴らすために、藩士たちの武術稽古をこの場所で行わせ、見学を許したり、折々に空砲を鳴らして鬱気を散らした。その間、病気の者は自宅に帰らせるか、別に設けた病室で療養させた。そして、五月五日の解散時には、一人につき白米三升と銭五百文を渡して帰宅させた。
力仕事ができる健全な者には鍬を一枚ずつ渡し、一反歩(約300坪)の荒地を起こすごとに、起し料金三分二朱、植付料二分二朱、合わせて一円半を支給し、さらに肥料代として一分を支給した。一村ごとに努力して成果を上げる者を人選し、入札により高札でその世話役を任命し、荒れ地を起し、植付を行わせた。この結果、わずか一春の間に五十八町九反歩(約570ヘクタール)の荒田が水田に変わり、数十日で実りある田となった。秋にはその収穫が貧しい人々の食料を補うものとなった。
さらに、草鞋や縄などの製造も大規模に行われ、飢えに苦しむ者は一人も出ることなく、安穏に暮らすことができた。領主君公の仁政に感謝し、農事に励む人々の姿を見ることができた。これがどうして喜ばしいことでないだろうか。」
翁また曰く、「前述の方法は、単に窮状を救うための良策であるだけでなく、産業を奨励する優れた方法でもある。この方法を実行すれば、一時的に窮状を救うだけでなく、怠惰な者を自然と勤勉へと導き、知らず知らずのうちに職業を覚え、習慣として身につけることができる。これにより、弱者は強者となり、愚かな者も職業に慣れ、幼い者でも縄を編むことや草鞋を作ることを覚える。また、そのほかさまざまな稼業を覚え、遊んでばかりの者や何もせずに食べている者がいなくなり、人々は遊んでいることや働かずに食べることを恥じ、各自が熱心に働くようになる。
ただ施しを与えて消費しないようにすることは、窮状を救うための良い方法である。しかし、前述の方法は、それをさらに上回る優れた方法であると言える。飢饉や凶作の時でなくても、救済を志す者は、深く注意を払わなければならない。世間で救済を志す者が、むやみに金銭や穀物を施すのは、非常によろしくない。それは、人民を怠惰に導くことになるからである。このような施しは、ただ消費を生むだけである。
施しが無駄にならないように注意を払い、人民を奮い立たせ、勤勉に向かわせるようにすることが重要なのである。」
翁曰く、「長期間にわたって貯蔵してもほとんど損失がなく、最も優れている穀物は稗(ひえ)である。皆で申し合わせて、できるだけ多く積み置くべきである。
稗を食料として用いる際、凶作の年には糠を取り除いてはならない。殻つきの稗一斗に対して小麦四、五升を混ぜ、水車の石臼で挽き、絹篩(きぬふるい)でこして、団子にして食べるのが良い。俗に「餅草」と呼ばれる蓬(よもぎ)の若葉を加えれば、さらに味が良くなる。この方法は、凶作時の稗を用いた食料として、最も効果的である。
稗をそのまま飯として炊くのは無駄が多い。ただし、上等の食事として用いる場合には、稗を二昼夜水に漬けておき、取り出して蒸籠(せいろ)で蒸した後、よく乾かす。それを臼で搗いて糠を取り除き、少量の米を混ぜて飯として炊く。この方法では稗が大きく膨らむため、水を多めに入れて炊くべきである。上等の食事として用いるには、この方法が最良である。
ゆえに、富裕な者は自分のためにも、稗を多く貯蔵しておくのが良い。この方法は非常に適しているため、努力して稗を蓄えるべきである。」
翁曰く、「人の世における災害のうち、凶作や飢饉ほど恐ろしいものはない。そして昔から、六十年に一度は必ずこうした災害が起こると言い伝えられている。それは確かにその通りかもしれない。飢饉だけではなく、大洪水、大風、大地震、その他の非常な災害も、六十年に一度くらいは必ず起こるものであろう。たとえそのような災害が実際には起こらないとしても、必ずあるものと想定しておき、有志の者たちが申し合わせて金銭や穀物を貯蓄すべきである。
穀物の貯蓄については、籾(もみ)と稗(ひえ)を第一とするべきである。水田がある村では籾を蓄え、畑作が中心の村では稗を囲い置くのが良い。」
翁曰く、「窮状の中でも最も緊急を要するのは、飢饉や凶作にまつわる問題であり、これほど重大なものはない。一日たりとも遅らせてはならない。もしこれを放置すれば、人命にかかわる重大な事態を引き起こすことになる。その重大な事態とは何か。それは暴動である。
古語に『小人窮すれば乱す』とある通り、飢えに苦しみ餓死するくらいならば、たとえ刑罰を受けることになろうとも、暴力を振るって一時的にでも飲食を得て快楽を尽くし、その後死を迎えようとする者が現れるだろう。彼らは富裕な家を打ち壊し、町や村に火を放つなど、言語に絶する悪事を引き起こす。これらの事態は古来より繰り返されてきたことである。どうしてこれを恐れずにいられようか。
このような暴徒や乱民は、必ずその土地の有力者や富裕者に矛先を向ける。それはちょうど、大風が大木を狙うようなものである。ゆえに、富裕者である者は、このような事態を防ぐ手立てを持たずに済ませることはできない。」
翁曰く、「天保四年と七年、二度の凶作があったが、特に七年は甚だしく厳しかった。早春から続いて天候が不順であり、梅雨から土用にかけても雨が降り続いた。気候は寒冷で、曇天や陰雨ばかりであり、晴れ間はごく稀だった。晴れるかと思えば曇り、曇るかと思えば雨が降るという有様だった。
私は土用に入る前からこの状況を憂い、心を配っていたが、土用に差しかかる頃、空の様子が何となく秋めき、草木に触れる風も秋風のように感じられた。ちょうどその時、他所から新しい茄子が届いたので、糠味噌に漬けて食べてみたところ、自然と秋茄子の味がした。これにより、凶作の年になるだろうと確信し、その日の夕方から凶作への備えに心を注ぎ、人々に説いて用意をさせることにした。
その夜、私は一晩中書状を作成し、各方面へ使者を送り、凶作に備えるための準備に全力を尽くした。その方法としては、空地や明き地はもちろんのこと、木綿を栽培している畑を潰し、荒地や廃地を起こして、蕎麦、大根、蕪、菜、胡蘿葡(にんじん)などを十分に蒔かせた。また、粟、稗、大豆など、食料となる作物を耕作し、細かく手入れするよう精一杯取り組ませた。
さらに、穀物が売りに出された場合には、種類を問わず全て買い入れた。その際、借金の抵当として貸金の証文を担保に金を借り、この飢饉対策の準備を進めた。
この飢饉対策について各地に通知したところ、特に谷田部と茂木の領内では、通知を受けるや否や信じて実行に移した。使者とともに郡奉行が自ら馬を鞭打って急ぎ来訪し、私の方法を尋ねた。郡奉行は急いで帰り、代官や属官たちを率いて村々を巡り、懇切丁寧に説諭した。まず木綿畑を潰し、荒地や廃地を起こして、食料となる蕎麦や大根を大量に蒔かせた。説得は徹底して行われ、堂寺の庭にさえ蕎麦や大根を蒔かせたと聞いている。
下野国真岡の近郷では、真岡木綿の産地であり、木綿畑が特に多かった。その木綿畑を潰して蕎麦に作り替えたことに対し、愚かな民がひどく嘆き、苦情を訴える者もいた。そのため愚民を納得させるために、所々で特に良好な木綿畑を一畝ずつ残しておいた。しかし、そこでは秋になっても綿実は一つも実らず、ようやく私の言葉が正しかったことを彼らは理解したという。愚民を説得することの難しさにはほとほと困り果てた。
また、秋に稲を刈り取った田に大麦をできるだけ多く蒔き、さらに畑に蒔いておいた菜種の苗を田に移して植え替え、食料を補助した。凶作の年には油断せず、手を尽くして食物を多く作り出すべきである。これが私が飢饉を救った方法の大略である。」
翁曰く、「天保七年の十二月、桜町支配下の四千石の村々に対し、次のように諭した。各家が所有している米麦や雑穀の俵数を調べさせ、米はもちろん、小麦や大麦、大豆や小豆など、何であっても、一人あたり五俵の割り当てを基準として貯蔵させることとした。それ以外の余剰分については、各自の自由で売り出して構わないとした。
この時期ほど穀物の価格が高いことは、二度とないであろう。まさに売るべき時は今である。早急に売却して現金化するべきである。もし現金が不要であれば、適切な利息を付けて預けることもできる。また、この時期に穀物を売ることは、平年に施しをするよりも功徳が大きい。どこへでも売り出すべきである。
一人五俵の割り当てに満たない者、また全く貯えのない者については、私が確実にその分を用意するので安心するように。決して隠し持つ必要はない。詳細に調べて正確に届け出るよう指示した。こうして、四千石の村々では余剰分を売り出し、不足分は郷蔵に積み立てた。さらに、その余剰分を徐々に倉から放出し、烏山領をはじめ、他領や他村へも分け与えて救助を行った。
他の地域の窮状を救うには、まず自分が支配する村々を安心させる仕組みを整えたうえで、初めて他に救いの手を伸ばすべきである。」
駿州駿東郡は富士山の麓に位置し、雪解け水の影響を受ける土地であるため、天保七年の凶作では特に被害が甚大であった。このため、領主である小田原侯は救助の方法を東京で翁に命じ、米や金の手配については家老の大久保某に指示を伝え、小田原で受け取るよう命じた。
翁は即刻出発し、夜通しで小田原に向かい、到着後すぐに米と金を請求した。しかし、家老や年寄たちの評議が未決のままであり、翁は長く待たされることになった。正午になると、皆が弁当を食べてから議論を始めようとした。
これに対し、翁は言った。「飢えた民は今まさに死に瀕している。この人々を救うための議論が未決のままである。それにもかかわらず、弁当を先にし、この至急の議論を後回しにするとは、公の議論を後にし、私を優先する行為である。今日の事態は平時とは異なり、数万の民の命に関わる重大な問題である。まずこの議論を決定し、その後で弁当を食べるべきだ。この議論が決まらない限り、たとえ夜になろうとも、弁当を取ることは慎むべきだ。謹んでこの議論の決定をお願いする。」
この言葉を聞いた家老や年寄たちはもっともだと納得し、弁当を取るのを止めて議論に入った。その結果、速やかに米蔵を開くべきと決定し、その旨が倉奉行に伝えられた。
しかし倉奉行は、「蔵を開く定日は月に六回と決まっており、それ以外の日に漫然と開蔵する例はない」として、すぐに開蔵しようとしなかった。これに対し再び大きな議論が起きたが、倉奉行が家老たちの席で「弁当云々の議論」の話を聞き、翁の真摯な姿勢に心を動かされた結果、速やかに蔵を開くこととなった。
これらすべては、翁の誠実な心から生じたものである。
翁曰く、「私は不幸にも十四歳の時に父と別れ、十六歳の時に母とも別れた。家が所有していた田地は洪水によってすべて流されてしまい、幼少期には困窮と苦難を味わった。その経験はまさに心に深く刻まれ、骨の髄まで染みついており、今日になっても決して忘れることができない。このため、何としても世を救い、国を豊かにし、苦境に沈む人々を助けたいと思い、努力を続けてきた。
そのように勉強している中で、さらに天保の二度の飢饉に直面することとなった。この時、私は心を砕き、身体を粉にするような思いで、広くこの飢饉を救おうと努めた。その方法として、まず『今年は天候が悪く、凶作の年になるだろう』と確信した日から、一同で申し合わせて、非常に勤倹を実践した。飲酒を厳しく禁じ、他のあらゆる事を断然放棄して、この準備に全力を尽くした。
具体的には、まず明地や空地を開拓し、木綿畑を潰して、瓜哇薯(サツマイモ)、蕎麦、菜種、大根、蕪、菜など食料になる作物を蒔きつける準備を整えた。また、土用が明けるまでは隠元豆(インゲン豆)も遅くないので、種を取り寄せ、多く蒔かせた。その後、早稲を刈り取り、干田を耕して麦を蒔き、金銭を惜しまず元肥を入れて培養した。そして、畑に蒔いた菜種の苗を抜き取り、田に移植して食料の助けとした。
このように、その土地ごとに油断せず勉強して取り組めば、意外にも十分な食料を得ることができる。凶作や飢饉の兆しがあれば、決して油断せず、食料を確保するための工夫を尽くすべきである。」
翁曰く、「世間の人々の常の心情として、明日の食べ物がない場合には、誰かに借りようとか、救いを求めようという気持ちが起こる。しかし、いよいよ明日も食べ物がなくなると分かると、釜や膳椀を洗う気力すらなくなると言う。これは人情としてもっともでありながら、非常に恐ろしいことである。しかし、この心が困窮から抜け出せない根本原因である。
なぜかと言えば、日々釜を洗い膳椀を洗うのは、明日食べ物を口にするためであり、昨日までそれを用いて命を繋いだことへの感謝からではない。これは心得違いである。たとえ明日の食べ物がなくても、釜を洗い膳や椀をきれいにして餓死すべきだ。それは、これまで使い続けて命を繋いできた道具に対する恩があるからだ。この恩を思う心がある者は、天意にかなうため、長く富を離れることがないだろう。
富と貧には大きな隔たりがあるわけではない。明日の助けだけを考え、今日までの恩を思わないか、あるいは明日の助けを考えると同時に昨日までの恩を忘れないか、その二つの違いに過ぎない。この道理は極めて重要である。よく心得なければならない。
仏教では『この世は仮の宿であり、来世こそが重要である』と教える。来世が重要であることは当然だが、今の世を仮の宿として軽視するのは誤りである。一例として草を例に挙げよう。草にとって、来世に実を結ぶことが重要であるのは言うまでもない。しかし、来世に良い実を結ぶためには、現世の草の時期に、芽を出し、露や肥料を吸収し、根を伸ばし葉を広げ、風雨を凌ぎ、昼夜の精気を運び、根を太らせ、枝葉を茂らせ、良い花を咲かせるために丹精を尽くさなければならない。そうしなければ、来世に良い実を結ぶことはできない。ゆえに草にとって現世が重要である。
人間も同じであり、来世が安穏であることを願うなら、現世において邪念を断ち、身を慎み、道を歩み、善行に励むべきである。現世で人の道を踏まず悪行を行った者が、どうして来世で安穏を得られようか。地獄は悪行を為した者が死後に送られる場所であり、極楽は善行を行った者が行く場所であることは明白だ。来世の善悪は現世の行いにかかっている。だからこそ、現世を大切にし、過去を振り返るべきなのである。
まず、この身がどのようにして生まれてきたのかを振り返ることが大切だ。それを理解すれば、『性』とは天から与えられた命令であり、『身体』は父母から授かった賜物であることが分かる。つまり、我々の根本は天の命令と父母の丹精から生じたものである。この理をまず理解し、天徳に報い、父母の恩に報いる行いを立てるべきである。
『性』に従い、『道』を歩むことが人の務めである。この務めに励むとき、来世は願わずとも安穏となることに疑いはない。どうして現世を仮の宿と軽んじ、来世だけを大切にしようとするのか。現実には、君主があり、父母があり、妻子がいる。これが現世が大切である所以である。
釈迦は現世を捨てて世外に立ったが、それは衆生を済度(救済)するためであった。世を救うには、世外に立たなければ広く救うことが難しいからだ。それはまるで、自分が座っている畳を上げようとする時、自分がその畳から外れなければ上げることができないのと同じ理屈である。しかし、世間において一身を善くしようとするために君主や父母、妻子を捨てるのは、誤った道である。
ただし、僧侶は仏法を伝える者であり、世外の人であるため、別である。これを混同してはならない。ここに君子と小人の分かれるところがある。我々の道の安心立命はここにある。迷ってはならない。」
翁曰く、「私は飢饉の救済のために野州(栃木)、常州(茨城)、相州(神奈川)、駿州(静岡)、豆州(伊豆)の各地の村々を巡行し、見聞した。すると、凶作の年であっても、平素から丹精込めて働いている人々の田畑は、それなりに実りがあり、飢えや渇きに至ることはなかった。私が詠んだ歌にあるように、
『丹精は誰しらねどもおのづから 秋の実法のまさる数々』
と、まさにその通りだった。
また、『論語』に『苟(いやしく)も仁に志さば悪なし』とあるが、これは至極の理である。この理を押し広げれば、『苟に農業に志せば凶作なし』と言ってもよい。ゆえに、『苟に商法に志せば不景気なし』とも言えるだろう。
お前たちもよく勤勉に励むがよい。」
桜町陣屋の近くに住む翁の家に出入りしていた畳職人、源吉という者がいた。源吉は口が達者で才もあったが、大酒を飲み、遊惰な生活をしていたため困窮していた。年末になると源吉は翁のもとを訪れ、餅米を借りたいと願い出た。
これに対し、翁は次のように諭した。
「お前のように、一年中家業を怠けて勤めもせず、手に入った銭を酒に使うような者が、正月だからといって、一年間丹精込めて働いた者と同じように餅を食べようとするのは、甚だ心得違いである。正月は突然やって来るものではなく、米も偶然に得られるものではない。正月は三百六十日の積み重ねの末に訪れるものだ。米は、春に耕し、夏に草を取り、秋に刈り取って、初めて得られるものだ。お前が春に耕さず、夏に草を取らず、秋に刈り取らなかったのだから、米がないのは当たり前のことだ。だから正月だからといって餅を食べる道理などあるはずがない。
もし私が今お前に餅米を貸したとして、どうやって返すつもりだ? 借りたものを返すあてがないのならば、罪人となるだけだ。正月に餅を食べたいと思うならば、今日から遊惰を改め、酒を断ち、山林に入って落ち葉を集め、肥料を作り、来春には田を耕して米を得よ。そして再来年の正月には餅を搗いて食べるがよい。だから来年の正月は、自らの過ちを悔い、餅を食べることをやめるべきだ。」
翁の言葉を聞き、源吉は深く反省し、自分の遊惰な生活を悔い改めた。そしてこう言った。「私は確かに怠けて家業を放り、酒ばかり飲んでいました。それでいて、一年間勤勉に働いた人と同じように正月に餅を食べ、春を迎えようと思っていたのは完全な心得違いでした。来年の正月には餅を食べることなく、自分の過ちを反省しながら年を越します。そして今日から遊惰を改め、酒を断ちます。年が明けたら二日から家業を始め、刻苦勉励して再来年の正月には人並みに餅を搗いて祝うつもりです。」
源吉は翁の懇切な教えに深く感謝し、辞去しようとした。その時、翁の門弟の一人が密かに次の狂歌を口ずさんでいた。
「げんこうが 一致ならねば 年の暮 畳重なる 胸や苦しき」
門を出て行く源吉を見送っていた翁は急に彼を呼び戻し、こう尋ねた。「私の教えが心にしみたか?」
源吉は「誠に感銘しました。一生忘れません。酒を断ち、勤勉に生きます」と答えた。それを聞いた翁は、すぐに白米一俵、餅米一俵、金一両、大根や芋などを添えて源吉に与えた。
これをきっかけに、源吉はまるで生まれ変わったかのように勤勉になり、生涯を全うしたという。翁の教えの懇切さ、心を尽くす姿勢がこのように現れている。このような話は数え切れないほどあるが、ここでは一例を記す。」
翁曰く、「山の裾や池のほとりなどの低地には、昔の池や沼が自然に埋まり、田畑となった場所があるものだ。このような土地には、一般的に良質な肥えた土が多く含まれている。その土を掘り出し、荒れた田畑に投入すれば、大きな利益を得ることができる。
こうした場所を探し、土を掘り出して利用することは、天に対し、また国に対する勤めである。これに励み、勤勉に取り組むべきである。」
下野国のある郷村では、風俗が甚だしく頽廃していた。葬地が定められておらず、山林や原野、田畑、宅地などに埋葬しても、それを忌むことがない。数年経つと墓が崩され、その場所に菽(まめ)や麦が植えられ、これもまた忌まない。このため、荒地の開拓や堀割り、畑の掘り起こしなどの作業中に、骸骨がしばしば掘り出されることがあった。
翁はこれを見て言った。
「骸骨が腐朽しても、頭骨と脛骨(すねぼね)は必ず残る。それはなぜか。頭は体の上にあり、特に功労の多い頭脳を守り、寒暑に晒されて多大な働きをするからだ。脛は体の下にあり、全身を支え、特に多くの役割を担っている。このように、その人が生前に功労の多かった部分は、没後百年経ってもその骨が朽ちない。これは感銘を受けるべきことである。
お前たちも、頭骨や脛骨のように、永く朽ちない存在となるよう努めるべきである。古歌に
『滝のおとは絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて猶聞えけれ』
とある通りだ。本朝の神聖な人々はもちろん、孔子や釈迦のような聖人も、世を去って三千年が経つ。しかし、今なお彼らを『大成至聖文宣皇帝孔夫子』や『大恩教主釈迦牟尼仏』と称え、その名は我が国にまで流れ、今なお聞こえている。このことを感ずるべきである。
人の勲功(手柄や功績)は、心と体という二つの骨折りによって成り立つものだ。この骨折りを惜しまずにやめないならば、必ず天の助けがある。古語に
『これを思い思いてやまざれば天これを助く』
とあり、これを勤め勤めてやめないならば、また天が助けてくれるだろう。世間で心力を尽くし、私欲を持たない者が必ず功を成すのは、この理によるものである。
現代の世の中で、勲功が残り、世界のために有用であり、後世にも滅びることなく、人々に称讃されているものは、すべて前代の人々が骨を折った結果である。今日のように国家が富み栄え、盛大であるのも、前代の聖賢君子が遺した賜物であり、彼らの骨折りの結果なのだ。
お前たちも骨を折れ、二、三の子らよ。勉強せよ、二、三の子らよ。」
翁曰く、「たとえどれほど富貴であっても、家の規範は節倹を基に立て、驕りや奢侈に慣れることを厳しく禁じるべきである。奢侈は不徳の源であり、滅亡の原因となるものである。それはなぜか。奢侈を求めることによって利を貪る心が増長し、慈悲や善意の心が薄れ、自然と欲深い性格になり、やがて吝嗇(けち)に陥る。さらに知らず知らずのうちに、職業や行いも不正になっていき、災いを招くことになるからである。これは非常に恐ろしいことである。
『論語』にも、『たとえ周公のような美しい才能があっても、奢り、けちな性格であれば、その余の部分は見るに値しない』とある。家の規範は節倹を基に立て、自らがこれを守り、驕りや奢侈に馴染むことがないようにすべきである。『飯と汁、木綿の着物は身を助く』という真理を忘れてはならない。
いかなる事も習慣となり、馴染んで当たり前になると、もはや取り返しがつかないものだ。遊楽に慣れれば楽しみが薄れ、甘い物に馴れれば甘さも感じなくなる。これは結局、自分の楽しみをも減少させることになる。日々勤労する者にとっては、朔望(月の節目ごとの休日)が喜びとなり、盆や正月は大きな楽しみとなる。これは、普段の勤労に馴れているからこそ味わえる理である。この道理をよく理解し、滅亡の原因を断ち切らなければならない。
さらに若者は、酒を飲むことや煙草を吸うことも、月に四、五度に限り、酒好きや煙草好きになってはならない。これらが習慣となり、癖となれば、生涯にわたる大きな損失となる。慎まなければならない。」
翁曰く、「『大学』にある『仁者は財を以て身を起こす』という言葉はよい表現である。しかし、『不仁者は身を以て財を起こす』というのはどうであろうか。たとえ志がある者であっても、仁心を持つ者であっても、親から譲られた財産を持たない者は、身を以て財を起こすしか道はない。志があっても財がなければどうすることもできない。
発句に、『夕立や知らぬ人にももやひ傘』とあるが、これこそ仁心の芽生えである。身を以て財を起こしていても、このような志があるならば、不仁者とは呼ばれない。身を以て財を起こすのは貧者の道であり、財を以て身を起こすのは富者の道である。貧者が身を以て財を得て富者となり、その後さらに財を以て財を増やそうとするならば、その時こそ不仁者と言えるだろう。
善を行わなければ善人とは言えず、悪を行わなければ悪人とも言えない。したがって、不仁を行わなければ、不仁者とは呼べない。どうして身を以て財を起こす者を一概に不仁者と呼ぶことができるだろうか。だから私は常々、聖人は大尽の子であると言っている。大尽の子とは、袋の中に自分の銭があると思い込んでいる者たちだ。しかし、自分の銭がある袋など、決して存在するはずがない。このような話は、すべて大尽の子らが言うことである。
また、『人あれば土あり』と言うが、実際には『土あれば人あり』というのが本来の理であることは明らかである。それにもかかわらず、『人あれば土あり』と言う場合、その土とは、肥えて良い耕土を指しているのである。烈公(徳川斉昭)の詩に
『土有て土なし常陸の土、人有て人なし水府の人』
とあるが、これはまさにその意味を示している。」
硯箱の中の墨が曲がっていた。これを見た翁は言った。
「物事を行う者は、心を常に正しく平らに保とうと心がけるべきである。たとえば、この墨のようなものだ。誰も最初から曲げようと思って擦る者はいない。しかし、手の力が自然と偏るために、このように曲がってしまうのだ。今これを直そうとしても、容易には直らないだろう。
どんな事柄もこれと同じで、喜びや怒り、愛や憎しみといった感情も、自然と偏ってしまうものだ。偏れば、心も曲がってしまうだろう。だからこそ、よく注意して、心を常に正しく平らに保つことを心がけるべきである。」
ある人が質問した。「『三年父の道を改めざるを孝と為す』とありますが、もし父の行いが不善であれば、改めなければならないのではないでしょうか。」
これに対して翁は答えた。
「もし父の行いが本当に不善であるならば、生前に諫めるべきである。また、必要であれば他人に頼んででも改めさせるのが道理である。もし生前に諫めても改まらなかった場合、それは不善と言っても、重大な不善ではないことが明らかである。これに対して、父が亡くなってからその行いを改めるのは、不孝ではないだろうか。
もし父が亡くなってすぐにその道を改めるのであれば、なぜ生前に諫めて改めなかったのか。また、生前に諫めることもせず、改めることもしなかったのに、どうして亡くなってからその行いを改める理由があるのか。これは理にかなっていない。」
翁曰く、「大久保忠隣が小田原城を拝領した際、家臣の一人が諫言してこう述べた。
『この城は北条家が築き上げ、代々の居城としてきた場所です。拝領となったとはいえ、この城を守る立場としてお考えになるべきです。本丸を住居とすることについては慎重になるべきでしょう。もし拝領したものだとただ思い、拝領品として振る舞われるのであれば、後々どのような問題が起こるか分かりません。また、城の内外についても、むやみに手を加えず、そのままの状態で維持されるべきです』と。
しかし、忠隣は剛強な性格であったため、こう答えた。
『たとえこの城が北条の居城であり、北条が築いたものであったとしても、今や忠隣が拝領した城である。本丸を住居とするのに何の問題があるというのか。城を修理することに何の遠慮が必要だというのか』と。そしてこの諫言を聞き入れなかった。
その後、忠隣には不利な状況が重なり、改易の命が下された。これは嫌疑によるものとされているが、そもそもの原因は、彼の剛強すぎる気質と、慎重さに欠けた振る舞いにあるのだ。
熊本城においても、本丸を住居として使用しないと聞いているし、水戸城でも佐竹丸を住居としていないと聞く。こうした事例にも理がある。何事においても、このような慎重さを心得ておくべきである。」
翁曰く、「すべての物事には、一得があれば一失があるのが世の常である。たとえば、人が着る衣服については、非常に面倒な部分が多い。夏の暑い時も冬の寒い時も、糸を紡ぎ、機を織り、裁縫し、すすぎ洗濯を繰り返し、常に休む間もない。
一方で、禽獣にはもともと羽毛が備わっており、寒暑をしのぎ、生涯にわたって損傷することもなく、自然と彩色されているため、染める必要もなく、世話いらずのように見える。しかし、羽毛の間に蚤(のみ)や虱(しらみ)、羽虫などが生じ、それらを追い払うのに暇がないのを見ると、人の衣服は脱ぎ着が自在であり、すすぎや洗濯が自由である点で、禽獣の羽毛には遠く及ばない優れた利便性を持っている。
世の中で他者を羨むような事柄というのは、おおよそこのようなものである。」
ある時、翁が日光温泉に入浴した際、次のような話があった。「この山中では他国の魚鳥を食べることを禁じているが、山中の魚鳥を捕って殺すことは禁じられていない。他の神聖な山や霊地では、境内に近い沼地や山林で魚鳥を殺すことを禁じており、これは台所から遠ざけるための意図がある。耳目の及ぶ場所で命を奪うことを忌むためだ。しかし、日光温泉の規制はこれと反対であり、山中での殺生を禁じず、他国の魚鳥を食べることを禁じている。これは山神の意向だと言われているが、その理は理解しがたい。」
これに対して翁は次のように述べた。
「仏教では殺生戒を説いているが、実際にはこれは矛盾を孕む不都合なものだ。天地のすべては生きており、死物ではない。万物もまた生きていて、死物ではない。ゆえに、生きる世界に生きている我々が殺生戒を立てたとして、どうやって生命を維持することができるのか? 生を保つのは、生物を食することによるものであり、死物を食べてどうして生命を維持できようか。
人々は禽獣や虫、魚、飛ぶもの、蠢くものを殺すことを殺生と呼びながら、草木や果実、穀物を殺すことを殺生と認識していない。飛ぶものや蠢くものを生き物と呼び、草木や果実、穀物を生物ではないとするのだろうか? 鳥獣を屠ることを殺生とし、果実や穀物を煮ることを殺生でないとするのか?
木食行者(木の実や草で生きる行者)といえども、秋の山の落葉を食べてどうやって命を保つというのか? 結局のところ、殺生戒というのは、単に自分と近い種類のものを殺すことを戒めているだけであり、自分と異なる種類のものを戒めていない。だからこそ、この戒めは不都合であり、本来は『殺類戒』と呼ぶべきものである。
そもそも人道というものは、私的な感情に基づいて成り立つものである。深くその本質を探っていくと、すべてがこのような類のものに帰結する。したがって、このような理を不思議がる必要はない。
さらに、日光温泉のような深山では、往古の習慣や遺法が残っているものである。それらの遺法もまた、私的な価値観に基づいて立てられたものである。深山は食糧が乏しく、四方八方と交通の便がよい場所とは異なる。古の人々は、食料を得ることを何よりも善しとしていたため、このような規制や慣習が生じたのだろう。
したがって、このような規則や慣習を不思議に思う必要はない。」
翁曰く、「学者は書物を講じることに熱心ではあるが、それを実際に活用する術を知らない。ただ徒に『仁とは…』『義とは…』と語るばかりであり、これでは社会の役に立たない。ただ本を読むだけであり、道心法師が経を誦むのと同じである。
古語に『権量を謹み、法度を審にす』とあるが、これは非常に大切なことである。しかし、これを天下の事柄にのみ当てはめて考えるから、実際の役に立たないのだ。天下のことは一旦置いておき、それぞれが自分の家の権量を謹み、法度を審にすることこそが肝要である。これが道徳と経済の根本である。
家々の権量とは、たとえば農家であれば、その家が保有する田畑が何町何反歩あるのか、そしてその収穫がいくらの価値を持つのかを調べ、分限を定めることである。また、商家であれば、前年の売上金を調べて、本年の分限を予算として立てることである。これがその家の権量であり、法度である。
この権量と法度を審にし、それを守り越えないように慎むことが、家を整える根本である。もし家に権量がなく、法度も定められていなければ、どうして長く繁栄を保つことができようか。」
老中某侯の家臣が市中で横行し、不正を働いた件について、横山平太がこれを非難した。これに対し、翁は次のように述べた。
「老中という職は、政事を執り行い、国家を正し、不正を無くすための役目を負う立場である。しかし、その家臣や家僕がその威光を借り、不正を行うことがしばしばある。これは、たとえば町奉行の奴僕たちが両国や浅草に出て、『俺の主人の権威を見よ』などと傍若無人に振る舞うのと同じことである。
国を正す者が自分の家を正せないのではないかと思うかもしれないが、それは家政の行き届かなかった結果ではない。むしろ、勢いというものがそうさせてしまうのだ。たとえば川の水を見てみればよい。水は自然に低きに流れるが、その流れは非常に速く、置郵伝命(古代の伝令)よりも速いくらいだ。そして、水流が急な場所では、岩や石倉にぶつかり、その流れが逆流となることがある。
老中の権威もまた、この急流のようなものであり、その勢いは防ぎようがない。同様に、その家僕たちが法を犯すのは、急流が岩に当たって逆流するようなものである。これは自然の成り行きであり、避けられないことである。これを非難しても仕方がない。」
翁は時折、疲労を癒すために酒を用いることがあった。その際、次のように述べた。
「各自が自分の酒量に応じて、大きさの異なる盃を選び、自分の好きなように飲むべきである。つまり、自分の盃で自分で酒を酌み、飲むのがよい。互いに酒を注ぎ合ったり、勧め合ったりすることは控えるべきだ。これは宴会を開いて楽しむためではなく、ただ疲労を補うためのものであるからだ。」
これを聞いたある人が言った。
「私たちの社中でも、このやり方を酒宴の規範とするべきではないか。」
翁曰く、「『九』の字に一点を加えると『丸』の字になる。これは非常に興味深いことだ。○はすなわち十を表し、十はすなわち一を表す。俳句に、
『元日や うしろに近き 大卅日』
というものがあるが、これも同じ意味を含んでいる。
また、禅語にはこのような趣旨の言葉が多く見られる。この句の『うしろに近き』を『うしろをみれば』に変えてみたら、さらに面白いものになるのではないか。」
翁曰く、「世の人々は、聖人とは無欲であると思っているが、実際はそうではない。聖人の本質は大いなる欲望を持っていることにあり、その欲望は正しく大きく、正大である。これに次ぐのが賢人であり、その次が君子である。凡夫のような者は、小さな欲望を持つに過ぎず、その欲望は極めて小さいものである。
学問とは、この小さな欲望を正大な欲望へと導く術を教えるものである。では、大いなる欲望とは何か。それは、万民の衣食住を充足させ、人々に大きな福をもたらそうとする願いである。そのためには、国を開き、物資を開発し、国家を整え、民衆を救済することが必要である。
したがって、聖人の道を深く探究していくと、国家を経済的に発展させ、社会の幸福を増進させることにあるのだということが分かる。『大学』や『中庸』にもその意図が明確に記されている。その欲するところは、まさに正大ではないだろうか。このことを深く考えるべきである。」
門人の一人に居眠りの癖があるのを見て、翁は次のように語った。
「人間の本性は『仁・義・礼・智』であり、たとえ愚かであるとされる者でも、この性質を持たない者はいない。したがって、お前たちのような者にも必ずこの性質が備わっており、智が全くないということはあり得ない。にもかかわらず智が無いように見えるのは、それを磨いていないからだ。まず、道理の一端でも理解しよう、覚えようという心を起こすべきである。この心を起こすことを『願を立てる』という。この願が立てば、人の話を聞いて居眠りをするようなことはなくなるだろう。
『仁・義・礼・智』を家に例えるならば、仁は棟(むね)、義は梁(はり)、礼は柱、智は土台に当たる。家を建てる話として言えば、まず土台を据え、柱を立て、梁を組み、最後に棟を上げるように、学問を講ずる際には『仁・義・礼・智』の順で語るのがよい。しかし、これを実際に行う場合には、『智・礼・義・仁』の順に進むべきだ。まず智を磨き、礼を行い、義を踏み、最終的に仁に至るのが正しい道である。このため、『大学』では智を追求することを初歩と位置付けているのだ。
もちろん、瓦をいくら磨いても玉にはならない。しかし、磨けば幾分かの光を放ち、滑らかにもなる。それが学ぶことによる徳の表れである。また、智がない者であっても、常に注意して愚かなことをしないようにすべきだ。生まれつき愚かであったとしても、愚かなことさえしなければ愚か者ではない。反対に、どれほど智がある者でも、愚かなことをすれば愚か者となる。」
ある村で、名主が押領(不当に財産を奪うこと)を行っているとのことで、村民が集まり、口が達者な者に訴えを委ねて出訴しようと騒ぎ立てていた。これを受けて翁は、その村の重鎮である二、三名を呼び寄せて話を聞いた。
翁が「押領された米はどれほどか」と尋ねると、彼らは「二百俵余りになるだろう」と答えた。
これを聞いて翁は次のように述べた。
「二百俵の米は少なくはないが、これを金に換えたとしても八十円程度に過ぎない。村民九十余戸に分けると、一戸あたり九十銭にも満たない。村の収穫高に応じて分けると、一石あたり八銭ほどになるだろう。
さらに考えれば、名主や組頭のような持高の多い者がいる一方で、十石以上の収穫高を持つ者はせいぜい三十戸ほどで、他の者は三石や五石程度、無高の者もいるだろう。無高の者に至っては、受け取るものはなく、仮に受け取ったとしてもわずかな金額でしかない。それなのに、こうして騒ぎ立てるのはかえって大きな損失ではないか。
たとえこの件に確証があるとしても、地頭の用役に関係するとの話を聞く限り、簡単には勝ち目がないだろう。仮に勝訴できたとしても、訴訟にかかる費用は莫大だ。これまでの寄り合いや下調べに費やした金額も少なくない上、時間の浪費や銘々の内々の損失を考えれば、目の前に大損があるのは明らかだ。
また、現在の名主は旧来の地位にある者だが、これを解任した後で名主に相応しい人物を選ぶとなると、適任者がいるのかどうか。私が見渡す限り、これといった者は見当たらない。よく考えるべき問題である。
したがって、今後は押領ができないように厳格な対策を設けるべきである。すべての取り立てを通い帳によって記録し、役場の帳簿の管理方法を改正する必要がある。その上で、名主の地位をそのまま維持するほうがよいだろう。
ただし、名主をそのままにするならば、給料を半減させ、その半分を村のために還元させるべきだ。このようにすれば、名主に対する不満を和らげることができ、村の秩序も保たれるであろう。
私は別に償いの方法を考えている。村内の某所にある荒蕪地についてだ。あの場所には、云々川から水を引けば田にすることができる。その地に村全体の共有地を設定し、約二町歩の良田を作るべきだ。この地を開拓すれば、一村全体の利益となるだろう。
一同で出訴をやめ、その代わりに賃銭を受け取ることを決めよ。その上で、寄り合いに費やしていた時間を使い、共同でその地を耕作せよ。そうすれば、秋には七、八十俵の米が収穫できることを請け負う。来年の秋には八、九十俵、さらに翌年には百俵を得ることができるだろう。この収穫は、初めの三年間は一同で分け合い、四年目から開拓に要した費用を返済する計画とせよ。返済がすべて完了した後は、この土地を村全体の永続的な基盤とするための法を立てるべきだ。」
翁のこの懇切な説諭により、一同は提案を了承したとの報告があった。そこで翁自ら集会場に赴き、説得に応じた村民を称賛して、酒と肴を振る舞った。また、開拓については次のように告げた。
「この開拓作業は、明朝早朝から始めること。一人ずつ賃銭を支払うが、作業に遅れて参加することがないように心がけるべきだ。」
村民一同は感謝の意を示し、喜びながら散会した。また、押領をした名主も、「五年間無給で精勤する」と自ら申し出た。
翁はこう述べた。
「一村にとっての大きな困難を、わずかな金で買い取った。なんと安いものだ。このような災難があれば、卿たちも早めにこれを買い取るようにすべきだ。一村が修羅場に陥るところを、一挙にして安楽の地に引き止めた。このような対応は、大いなる知恵の功徳に勝るものだ。」
翁は自らの資金を投じ、無利子で金を貸与して、このような紛争を解決した事例が他にも数多くある。ここではその一例を記す。」
翁曰く、「汝たちよ、勤勉に励め。今日、永代橋の上から眺めれば、肥取船が川の水を汲み入れ、肥料を増やしているところだ。人々が最も嫌うような肥料を取るだけでなく、このような汚物ですら、手を加え、増やすことで利益を生む世の中である。なんと妙ではないか。
すべての万物は、不浄に極まれば必ず清浄に帰り、清浄に極まればまた不浄に帰るものだ。これは寒暑や昼夜が交互に巡り、止まることがないのと同じであり、天理そのものである。万物がそうであるならば、この世に無用なものなど存在しない。
農業とは、不浄を清浄に変える妙術である。しかし、人々はそれに慣れてしまい、何とも思わなくなっているだけだ。よく考えれば、農業はまさに妙術と呼ぶべきものであり、尊ぶべきものである。
私の方法もまた同じである。荒地を熟田に変え、借金を無借金にし、貧しさを富に変え、苦しみを楽しみに変えるのだから。」
ある人が言った。「親鸞は、末世の比丘(僧侶)が戒律を守ることが困難であることを洞察し、肉食や妻帯を許した。これは卓見であると言えるのではないか。」
これに対して翁は次のように述べた。
「恐らくそれは誤りであろう。私は仏教について詳しくは知らないが、それを例えるならば、田地の用水堰のようなものではないだろうか。用水堰は、本来米を作るべき土地を犠牲にして水路を作るものである。それと同じように、人が欲するものを犠牲にして法の水路を作り、衆生を救済するための教えであることは明らかだ。
人は男女がいてその関係が相続していくことは、天理自然のことである。しかし、法の水を流すために、男女の欲を犠牲にして堰路としたのだ。同様に、肉体を持つ以上肉を食べることも天理に適っているが、それもまた欲として捨て去り、法水の堰路としたのである。
男女の欲を捨てることができれば、『惜しい』『欲しい』といった欲念や、『憎い』『かわいい』といった妄念もすべて自然に消え去るだろう。このように、人情の中で最も捨てがたいものを捨て去り、それを堰の代わりとするからこそ、法水が流れるのだ。
だからこそ、肉食や妻帯をしないという戒律が守られる場所でこそ、仏法は万世に伝わるものである。仏法が流布するのは、肉食妻帯をしない生活が実践されるところにあるはずだ。それにもかかわらず、肉食や妻帯を許して仏法を伝えようとするのは、水路を潰して稲を植えようとするようなものだと私は思う。それは本当に正しいのか、密かに疑念を抱いている。」
ある人が語った。「毛利元就は、『すべてのことは、思う通りには半分も成就しないものだ。中国地方の主となろうと思えば、やっと一国の主になれる。天下の主となろうと願えば、ようやく中国地方の主となれる』と言っている。まことにその通りではないか。」
これに対し、翁は次のように述べた。
「理は確かにその通りかもしれない。しかし、それは乱世の大将が抱く志であり、我々の門が称賛するところではない。舜や禹が帝王となった時を考えてみると、彼らは帝王になろうと願ったのではなく、ただ一途に、自分が成すべき事に勤めたのだ。親に仕える時は親のために尽くし、君に仕える時は君のために尽くし、耕し、種をまき、陶器を作り、漁をする際も、その仕事に全力を尽くしていただけだ。
舜が歴山にいた時も、禹が舜に仕えていた時も、どうして帝王になりたいなどと願っただろうか。彼らは自分自身のことを顧みることはなく、ただ君や親の存在を意識し、そこに尽くしていただけだった。古書に記された舜や禹の行いを読めば、このことがよく分かるだろう。このような姿勢でなければ、一家や一村であっても人々の信頼を得ることは難しく、治めることも難しい。
たとえば、家を取ろうと願い、家を取る。村長になりたいと願い、村長になる。このようなやり方では、その家や村を治めることはできない。なぜなら、そのような願いのもとで行動すれば、謀計や策略を用いることになるからだ。謀計や策略は、多くの恨みを招くものであり、たとえ一時的に力や知恵で成功したとしても、それを長く維持することはできず、安定や平和を得ることもできない。これが我々の門が常に戒めているところだ。
徳川東照公(徳川家康)は、国を治め民を安んじることが天理にかなうと知り、ただ一途に勤めたと伝えられている。乱世であってもそのようにしたのだから、敬服せざるを得ない。
また、富商の番頭が忠実にその主家に尽くし、最終的に婿養子となって主人となる例は多い。商家における家への愛情は、まるで堯や舜が天下を愛するようなものである。それゆえ、このような結果になるのだ。」
翁曰く、「『論語』に次のような問答がある。哀公が孔子に尋ねた。
『飢饉が起きて必要な物資が足りない。どうすればよいか。』
孔子は答えた。『なぜ租税を減らさないのですか?』
哀公は言った。『二割にしているが、それでもまだ足りないのだ。どうしてそれをさらに減らすことができようか?』
孔子は答えた。『民が足りていれば、君主であるあなたが誰と共に不足を感じることがありましょうか?民が足りていなければ、君主であるあなたが誰と共に満たされることがありましょうか?』
この問答は、一見して理解しにくい理ではある。しかし、これを例えるならば、鉢植えの松の木を育てている時に養分が足りず、枯れそうな場合のようなものだ。『どうすればよいか』と問われた際に、こう答えるのと同じだ。
『なぜ枝を剪定しないのですか?』
もし再び問われたとして、『このままでも枯れそうなのに、どうして枝を剪定する必要があるのですか?』と反論されると、こう答える。
『根が枯れなければ、木全体が枯れることはありません』と。
これは疑いの余地のない答えである。日本は六十余州からなる大きな鉢のようなものだ。この鉢植えの松が十分に養分を得られない時には、無用な枝葉を剪定しなければならない。それ以外に道はない。
また、個々の暮らしもそれぞれが一つの小さな鉢のようなものだ。もし暮らしが足りなくなれば、すぐに無駄な枝葉を剪定しなければならない。その際に、『これは先祖代々から受け継いだしきたりだ』『家風だ』『これは親が心を込めて建てた別荘だ』『これは特別に愛着のある品だ』などと言い、不要な枝葉を剪定することを知らなければ、やがて木全体が枯れてしまう。いったん枯れてしまえば、枝葉を切り落としてももう間に合わない。
これは特に富裕な家の子孫が心に刻むべき教えである。」
翁曰く、「村里の衰退を立て直すには、まず財を投じなければ人は動かない。しかし、財を投じるには正しい道がある。受け取る側がその恩に感謝しなければ、効果は得られない。天下は広く、善人は少なくないにもかかわらず、汚れた風俗を改めたり、衰えた村を復興することができないのは、皆その道を得ていないからである。
一般に、里長や村の事業の中心に立つ者は、その邑の富者であることが多い。たとえその者が善人であり、惜しみなく施しをする人であったとしても、自らが驕奢な生活をしていれば、受け取る者はその恩を恩と感じることはなく、ただその者の贅沢さを羨むだけである。その結果、彼ら自身の驕奢な振る舞いを改めることもなく、自分の分限(身の丈)を忘れる過ちも直さない。だからこそ、効果がないのだ。
ゆえに、村長となる者は、自ら謙虚であり、驕らず、倹約を守り、贅沢を慎むべきである。そして分限を守りつつ、余財を譲り、村の害を取り除き、村の利益を育み、困窮している者を助けるべきである。こうしてその誠意を示せば、村人たちはその誠意に心を打たれ、贅沢を求める気持ちや、富や地位を羨む気持ち、他人に救いを求めて怠惰に過ごそうとする気持ちがすべて消えていくだろう。そして勤労を厭わず、粗末な衣服や食事を厭わず、自分の分限を超える行動を恥じ、分限の中で生きることを楽しむようになる。
このような状態にならなければ、廃れた村を再興し、汚れた風俗を改めることはできないのだ。」
翁曰く、「村里の衰退を立て直すには、まず財を投じなければ人は動かない。しかし、財を投じるには正しい道がある。受け取る側がその恩に感謝しなければ、効果は得られない。天下は広く、善人は少なくないにもかかわらず、汚れた風俗を改めたり、衰えた村を復興することができないのは、皆その道を得ていないからである。
一般に、里長や村の事業の中心に立つ者は、その邑の富者であることが多い。たとえその者が善人であり、惜しみなく施しをする人であったとしても、自らが驕奢な生活をしていれば、受け取る者はその恩を恩と感じることはなく、ただその者の贅沢さを羨むだけである。その結果、彼ら自身の驕奢な振る舞いを改めることもなく、自分の分限(身の丈)を忘れる過ちも直さない。だからこそ、効果がないのだ。
ゆえに、村長となる者は、自ら謙虚であり、驕らず、倹約を守り、贅沢を慎むべきである。そして分限を守りつつ、余財を譲り、村の害を取り除き、村の利益を育み、困窮している者を助けるべきである。こうしてその誠意を示せば、村人たちはその誠意に心を打たれ、贅沢を求める気持ちや、富や地位を羨む気持ち、他人に救いを求めて怠惰に過ごそうとする気持ちがすべて消えていくだろう。そして勤労を厭わず、粗末な衣服や食事を厭わず、自分の分限を超える行動を恥じ、分限の中で生きることを楽しむようになる。
このような状態にならなければ、廃れた村を再興し、汚れた風俗を改めることはできないのだ。」
翁曰く、「『己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す』という言葉がある。これは道の核心を表している。人が自分勝手な行動をせず、私欲を捨て、自分の分限をわきまえつつ、余分を他人に譲る道を行うならば、村長であればその一村が服従し、国主であればその一国が服従する。また、馬飼いであれば馬が肥え、菊を育てる者であれば菊が美しく咲くであろう。
たとえば、釈迦は王子でありながら王位を捨て、鉄鉢一つの生活を選んだからこそ、今日このように仏教が天下に広まり、賤しい山林や貧しい村々でさえ尊信されるようになったのである。これは、私が説く『分を譲る道』の最も大きな実例であり、『己に克つ』という行いの功徳によって、天下がそれに帰依した結果なのである。
したがって、人の上に立つ者は、必ずこの道を実践すべきである。だから私は常々こう言っている。『村長や富裕な者は、たとえ粗末な服を身につけるだけでも、その功徳は無量である』と。それは、人々が羨む心を抑えることにつながるからだ。ましてや、自分の分限を守りながら、さらに余分を譲る者であれば、その徳は計り知れない。」
伊藤発身が言うには、翁の病状が重く、門人たちが左右に付き添っていた。その中で、翁は次のように述べた。
「私の死が近いであろう。私を葬る際には、決して分を超えることをしてはならない。墓石を建てることも、碑を立てることもしてはならない。ただ土を盛り上げ、その傍に松か杉を一本植えるだけで十分だ。必ずこの私の言葉に反することをしてはならない。忌明けに際しても、必ずこの遺言に従うべきである。」
しかし、門人たちは議論を交わした。
「たとえ翁が遺言としてこのように述べたとしても、それをそのまま実行するのは弟子として忍び難い。分に応じて墓石を建てるべきではないか。」と意見する者もいた。その結果、意見はまとまらず、最終的には未亡人の意向を支持する者が多かったため、墓石を建てることとなった。
翁曰く、「仏家では、『この世は仮の宿であり、来世こそが大切である』と言う。しかし、現在においては君親があり、妻子がある。この事実をどうすればよいのか。たとえ出家し、遁世して君親や妻子を捨てたとしても、この身体はどうするのか。身体がある限り、食と衣の二つがなければ生きていけない。また、船賃がなければ海も川も渡ることができない世の中だ。
西行の歌に、
『捨て果てた身は無いものと思っても、雪の降る日は寒くこそあれ』
とある。これが現実だ。
儒教では、『礼に反することであれば、見てはならず、聞いてはならず、言ってはならず、動いてはならない』と教えている。しかし、それだけでは日常の生活には対応できない。そこで私は、『自分のためにもならず、人のためにもならないことは、見てはならず、聞いてはならず、言ってはならず、動いてはならない』と教えている。
自分にも他人にも利益のないことは、たとえ経書や経文に書かれていたとしても、私はそれを取らない。だから、私の説くことには、神道にも儒道にも仏道にも違う点があるかもしれない。しかし、それは私がそれらに背いているのではない。これをよく深く考え、味わうべきである。」
翁が山林に入り、材木を検分していた時のことだ。挽き割られた材木の真が曲がっているのを指して、次のように諭した。
「この木の真(中心線)は、いわゆる天性というものだ。このように曲がっているが、曲がった内側には多くの肉が付き、外側には少なく付いている。その結果、成長するにつれて、概ね直木になっていく。これは空気の圧力によるものであり、人間が世間の法や習慣に押されて生まれつきの性質を表さないのと同じだ。
だから、材木を取る際には、この木の真を表に出さないように墨を引いて挽く。もし真をそのまま出すと、必ず反ったり曲がったりしてしまう。だからこそ、腕の良い木挽きは、材木の真を目立たせずに加工する。これと同じように、才能ある人間は、人の性を直接顕さないように配慮するべきだ。そうすれば、世の中の誰もが役に立つ存在となる。
真を顕さないようにするとは、佞人(おべっか使い)が佞を顕さず、奸人(悪人)が奸を顕さないようにし、その本質を包み込むことだ。そして、直線の部分を柱に、曲がった部分を梁に、太いものを土台に、細いものを桁に、美しいものを造作材に使うなどして、一切無駄にしない。人を使う時もこのようにすれば、まさに棟梁の器と呼べるだろう。
さらに、山林を育てるには、苗木を多く植えるべきだ。苗木が茂ると、お互いに影響し合い、成長が早くなる。そして成長に伴い、木の善し悪しを見て間伐を行うと、山全体が良材で満たされるようになる。
この間伐には心得が必要だ。特に、他の木より抜きん出て成長しすぎた木と、他の木より遅れて育たない木を伐り取ることが重要だ。世の人は、育たない木を伐ることは知っているが、抜きん出た木を伐ることを知らない。仮に知っていても、伐ることができない場合が多い。
また、間伐を行う際には、遅れないように早めに伐ることが肝要だ。遅れると大きな害が生じる。一反歩に苗木が四百本あるとすれば、まず三百本に間引き、次に二百本に間引き、大木になればさらに間伐を進めるべきである。」
翁曰く、「天地は一つのものであり、太陽も月もまた一つである。それゆえ、至高の道(至道)は二つあるはずがなく、至理もまた万国共通のものである。ただし、その理を極めきれない、尽くしきれないことがあるだけだ。
にもかかわらず、諸道がそれぞれ異なる道を掲げ、互いに争うのは、各々が区域を狭く区切り、垣根を巡らせて互いを隔てているからである。このように、三界という城の中に立てこもり、垣根で自らを囲っている者たちは、『迷える者』と呼んでよいだろう。
まずこの垣根を打ち破った後でなければ、道について語るべきではない。この垣根の内に閉じこもった議論は、聞いても無益であり、説いても無益である。」
翁曰く、「老仏(仏教)の道は非常に高尚である。それを例えるならば、日光や箱根などの峨々とそびえる山岳のようなものだ。雲や水を愛で、風景を楽しむには素晴らしいが、一般の人々の生活にはあまり直接的な役立ちは少ない。
これに対して、私の説く道は平地の村落のような素朴なものである。美しい風景を愛することもなく、雲や水を楽しむこともないが、そこから百穀が生まれるため、国家の富の源はまさにここにある。
仏家の知識が清らかである様子は、たとえるなら浜辺の真砂(細かく清らかな砂)のようなものである。一方で、私たちの道は泥沼のようなものだ。しかし、蓮の花は浜辺の砂には育たず、汚れた泥沼にこそ咲くものである。
立派な大名の城や市中の繁栄する商業地も、その財源はすべて村落にある。これによって、至道(最も尊い道)は高遠なところにあるのではなく、身近なところにこそあることがわかる。また、実際の徳も遠い高尚なものではなく、身近なところにある。卑近(身近で素朴なもの)は決して卑しく低俗なものではないという道理を悟るべきである。」
翁曰く、「私は長い間考えてきた。神道とは何を道としており、何に優れ何に欠けているのか。儒道は何を教えとしており、何に優れ何に欠けているのか。そして仏教は何を宗としており、何に優れ何に欠けているのか。それぞれに長所と短所があることが分かった。
私の歌にある、
『世の中は捨て足代木の丈くらべ それこれ共に長し短し』
というのは、まさにこの状況を嘆いて詠んだものだ。
これらの道がそれぞれ専門とすることを簡潔に言えば、神道は開国の道、儒学は治国の道、仏教は治心の道である。そこで私は、高尚なものだけを尊ばず、また身近で素朴なものを嫌うことなく、この三道の『正味』(本質的に役立つ部分)だけを取ることにした。正味とは、人間社会に直接役立つものを指す。それを選び取り、役立たないものは捨て、人間界における無上の教えを立てた。それを私は『報徳教』と名付けた。そして戯れに、『神儒仏正味一粒丸』とも呼んでいる。この丸薬の効果は広く、数え切れないほどである。
たとえば、国に用いれば国の問題が癒え、家に用いれば家の問題が癒える。さらに、荒地が多いことを悩む者がこれを用いれば開拓が進み、負債を抱えて苦しむ者が用いれば返済が可能となる。資本がないことを嘆く者が用いれば資本を得ることができ、家がない者が用いれば家を得ることができる。農具が足りない者が用いれば農具を揃えることができ、その他にも貧窮病、驕奢病、放蕩病、無頼病、遊惰病など、あらゆる問題を癒すことができるのだ。
ある日、衣笠兵太夫が私に問うた。『神儒仏三味の配分量はどれくらいですか』と。それに対して私は答えた。『神が一匕、儒と仏がそれぞれ半匕ずつである』と。
すると傍らにいた者が、それを図※に描いて『このような配分でよいのですか?』と尋ねた。私は笑って言った。
『世間にこんな寄せ物のような丸薬があろうか。丸薬と言うからには、完全に混ざり合って、何が何か分からなくなるのが理想なのだ。それでこそ、口に入れたとき舌に触ることもなく、腹に入れたとき腹を害することもない。完全に混和し、何が何か分からない状態であるべきなのだ』と。」
翁はこの後、呵々と笑いを漏らしたという。
ある人が尋ねた。「因果と天命の違いはどのようなものですか?」
翁曰く、「因果の道理が最も分かりやすい例は、種を蒔き、それが生長する様子だ。だから私は人に諭すとき、この歌を用いる。
『米蒔けば米の草生え米の花 咲きつつ米の実のる世の中』
仏教では、種を蒔くことから生じる結果を見るために、これを因果と呼んでいる。しかし、種を蒔いても地に蒔かなければ芽は出ない。また、蒔いたとしても天候や天気の影響を受けなければ育たない。したがって、種があっても天地の命令(天命)によらなければ、成長もせず、花も咲かず実も結ばない。儒教では、この天地からの影響を見る立場から、それを天命と呼んでいる。
たとえば、悪人が罰を逃れる様子を見て、仏教では『因縁がまだ熟していない』と言い、儒教では『天命がまだ降りていない』と言う。これは、米を蒔いてもまだ実らない状態を示している。同じように、悪人がついに捕縛される場面では、仏教では『因縁が熟した』と言い、儒教では『天命が下った』と言う。そしてその悪人を捕らえる者は『上意を受けた』と言う。これも天命と同じである。
借りたものを期限通りに返すのが世間の通則である。したがって、規則通りに行動するのは当然の理だが、それを守らない時には貸主が請求し、上命によって規則を守らせる。この場合、身代が尽きてしまうこともあるだろう。この様子を仏教では、『借りたという因によって、身代が尽きるという果が生じた』と言い、儒教では『借りて返さなかったから、身代が尽きるという天命が下った』と言う。両者の言葉に多少の違いはあるが、その理においては全く同じである。
また別の人が尋ねた。『因縁とは何ですか?』
翁曰く、『因は例えるなら蒔かれた種である。それを耕し、草を取って育てるのが縁だ。この因である種と、それを養う縁によって、秋の実りが得られる。これを果というのだ。』」
翁曰く、「昔、堯帝は国を深く愛し、刻苦して精力を尽くし国家を治めた。すると、人民たちはこう謡った。
『井を掘って水を飲み、田を耕して食べる。帝の力がどうして我々に関係あるのか。』
堯帝はこれを聞いて、大いに喜んだと伝えられている。もしこれが常人であれば、人民が恩を知らないと怒るところだろう。しかし、堯帝がその言葉を聞いて喜んだのは、堯が堯たるゆえんなのだ。
そもそも、『私の説く道は、堯舜でさえも悩んだものだ』と言われるように、これは大道の一端である。だから、私の道に従い、刻苦して勉励し、国を興し村を興し、窮状を救うことがあったとしても、人民はきっとこう謡うだろう。
『報徳の力がどうして我々に関係あるのか。』
このように謡うのを聞いて、喜ぶことができない者であれば、私の門下ではない。深く慎むべきである。慎め、慎め。」
翁が言うには、天道とは自然に行われる道であり、人道とは人が定めた道である。
元々この二つは明確に区別されているものであり、それを混同するのは誤りである。
人道とは、人間の力を尽くしてこれを維持し、自然の流れである天道によって押し流されないようにすることである。
天道に身を任せた場合、堤防は崩れ、川は埋まり、橋は朽ち、家は建物ごと腐ってしまう。
これに対して人道とは、堤防を築き、川を浚渫(しゅんせつ)し、橋を修理し、家の屋根を葺き替えて雨漏りしないようにすることである。
人の行いもまた同じことだ。天道とは、眠ければ眠り、遊びたければ遊び、食べたければ食べ、飲みたければ飲むといった類のことである。
人道とは、眠たくても勤労に励み、遊びたくても戒めを守り、美味しいものを食べたい欲望を堪え、酒を飲みたい衝動を抑えて、明日のために蓄えをすることだ。
よく考えるべきである。
翁が言うには、定九郎が「地獄の道は八方にある」と言ったように、確かに地獄の道は八方にあるのだろう。
しかし、それは地獄の道だけではない。極楽の道もまた八方に存在するはずである。念仏という一つの道のみが極楽への道であるはずがない。どの方向から入っても、辿り着く先は必ず同じ極楽である。
八方にある極楽の道には、平坦な道もあれば、険しい道もあるだろう。また、遠い道もあれば、近い道もあるはずだ。
自分が教える道は、平坦でしかも近い道である。学問がない者や気力の乏しい者は、この平坦で近い道から入るべきだ。
翁が言うには、身体の一部に悩みや病があれば、全身がその影響を受けて苦しむことは誰もが知っていることだ。脳であれ、胃であれ、肺であれ、すべて同じであり、病が深刻になると死に至ることさえある。これは身体が一つの統一体であるためだ。
国家もまた同じことである。一つの家が負債を抱えれば、そのことで一家は悩み、国全体で凶作が起これば国全体がその苦しみに巻き込まれる。これもまた誰もが理解していることである。
だからこそ、身体も家も国も悩みがない状態を目指すことを「衛生」と呼び、また「勤倹」とも言う。そして、「泰平を祈る」ということでもある。
しかしながら、一家に負債が多ければ、それは家の人々に影響を及ぼし、神経をも悩ませるに至ることは誰もが知るところである。
現在の世の中では、奢りや贅沢が蔓延しているために、このような悩みが多い。これらの悩みが深刻になると、ついには家を失い、身をも滅ぼす事態に至る。これは痛ましいことだ。
これを「自業自得」と言ってしまえばそれまでだが、自業自得の責任が戸主にあるとしても、老若男女すべてがその影響を受けて苦しむことになる。このような状況は本当に痛ましいものだ。
この問題を救う道を考えると、私が立案した「報徳金貸付の制度」が最も有効だと考える。なぜなら、この報徳金の貸付制度は、太陽の神徳と同じように作用するからだ。この制度の功徳がいかに広大であるかは、私が長年にわたって心を尽くして考え、また実際に運用して経験したことで確信している。
この制度は、天地がすべての万物を生育し、何一つ恩恵を与えないものがないという天地の徳に倣ったものである。
翁が言うには、官職や家柄があることで世間に知られ、人に用いられるのは、それが官職や家柄の力によるものだ。しかし、それがなくても世間に知られ、人に用いられる者がいる。たとえその者が賎業に従事していても、侮ってはならない。それは生まれつき卓越した資質を持つ者であるからだ。たとえば、六尺手廻(木場で働く人足)の頭や、雲助(駕籠かき)の頭領などがそれに当たる。
以前、火事があったときのことだ。私が火の見櫓に上がって火事を見ていると、当時江戸で名高く、男伊達として知られていたある人物が、湯上りの姿でぶらぶらとやって来た。そのとき、火消しの大勢がどやどやと駆けつけ、その中の一人が水溜まりに飛び込み、泥を跳ね上げてその男伊達に浴びせて過ぎ去って行った。
するとその男伊達は莞爾として微笑みながら、「今日だからそうするのだな」と言い、少しも怒る様子を見せず、近くの天水桶で泥を洗い流し、静かに立ち去った。その態度は静かで穏やかであり、堂々としながらも威圧感がなく、敬意を持ちながら安らかな雰囲気をまとっていた。その姿には言葉では表せない品格があった。私は心から感服した。
『論語』に「君子に三変あり」という言葉がある。それは、「君子を遠くから見ると威厳があり、近づくと温和であり、その言葉を聞くと鋭い」という子夏の言葉であるが、この男伊達の振る舞いはまさにその通りだった。
このように、たとえ賎民とされる者であっても、その行動が並外れて際立つことがある。賎民だからといって侮るべきではなく、また、賎業だからといって軽んじるべきではないのだ。
翁が言うには、一つの村で千石の石高があり、戸数が百戸ならば、一戸あたり十石に相当する。これはその村に住む者の天命である。この基準を超えて多くの富を得る者を「富者」と呼ぶべきだ。そして、富者の務めは「譲」であると。
門人の一人が進み出て言った。「私の村では、自分が天命に適した生活をしていると思います。私は足ることを知り、この天命に満足して、勤倹を守り、毎年不足なく生活を営んでいます。そして、これで十分だとして金を積むこともせず、田畑を買うこともありません。これこそ譲道に当たるのではないでしょうか」と。
すると、翁は答えた。「それは『不貧』と言うべきであり、『譲』とは言えない。こうした考えは、老仏者のような学派に多いもので、悪いわけではないが、さらにもう一段階上らなければ国家の役に立つことはできない。そうでなければ、どうやって天恩や四恩に報いることができるのか。
勤倹によって財を積み、田畑を買い求め、家産を増やしていくことは重要である。しかし、天命があることを知らず、道を志さず、ひたすら増殖だけを求めたり、自分の贅沢に費やすだけの者は、取るに足らない小人であり、その心の志は利己的でしかない。
勤倹によって財を積み、田畑を買い求め、家産を増やすまでは同じでも、そこで天命をよく理解し、道を志し、譲道を実践することが重要だ。その譲道とは、土地を改良し、新しい土地を開発し、国民を助けることである。このようにしてこそ、譲道を行うと言えるのだ。
このような行いこそが国家の役に立ち、報徳の精神にもかなうものだ。どうして前述の『不貧』である者を譲道の実践者と呼ぶことができるだろうか。」
翁が言うには、我が道は「譲道」を尊ぶものである。「譲道」とは、富貴を永遠に保持する道であり、富貴である者が決して怠ってはならない道である。したがって、我が道は富貴を永遠に維持するための道であると言っても差し支えないであろう。
だからこそ、富貴者である者は必ず我が道に入り、誠心をもってこれに励み、永遠に富貴を祈るべきである。
翁が言うには、若い者はしっかりと家道を研究すべきである。家道とは、自分の分限に応じて家を維持する方法のことである。家の維持の仕方は、一見簡単そうに見えるが、実際には極めて難しいものだ。まずは早起きを習慣とし、勤倹に身を馴染ませることから始めるべきである。そのうえで、農業や商業など、家業の方法をしっかりと学ばなければならない。
家業の方法を学ばずに家を相続することは、将棋に例えれば、駒の並べ方すら知らずに指し始めるようなものである。指すたびに敗北し、最終的には失敗することは目に見えている。もし何らかの事情で十分な修業ができないまま家を相続することになった場合は、親類や後見人など有能な人物を師として、ことあるごとに指示を仰ぎ、それに従うべきである。これは、将棋で一手ごとに教えを受けて指すことと同じであり、そうすれば間違いはない。
しかし、慢心して人に相談せず、自分勝手に金銀を使えば、たちまち金銀を他人に取られることになる。例えるなら、父親が築いた家を相続することは、他人に並べてもらった将棋の駒を受け取るようなものである。将棋の道を知らないまま、自分の思うままに駒を動かせば、失敗するのは明らかだ。
『中庸』に「愚かでありながら自己流にこだわる者、身分が低いのに独断専行を好む者、現代に生まれながら古の道に逆らう者は、必ず自分自身にその報いが及ぶ」とある。この「現代に生まれながら古の道に逆らう者」とは、後世の子孫として生まれながら、先祖が数代にわたって築いてきた家を不満に思い、伝来の家具や遺産を不足だと考え、先祖の家を軽蔑する者のことを指す。そして、勤倹の道に背いて奢りや贅沢にふけることを言うのである。
古人はこのようなことを非常に懇切丁寧に戒めている。十分に慎むべきである。
翁が言うには、「毫厘(ごうり:ごくわずかなこと )の差が千里の違いとなる」という言葉があるが、多くの人はこれをたとえ話だと思っている。しかし、これは実際の事実である。
私が利倍帳(複利計算の帳簿)を調べた際、二年目の利子に永一文の差が生じていることに気づいた。その結果、百八十年後には、このわずかな差が、一百四十一万九千八百九十五両永二百九十四文九分五厘という巨大な差となっていた。
これはまさに「毫厘の差が千里の違い」となる例であり、たとえ話ではなく実際の出来事である。非常に恐るべきことである。
翁が言うには、肉眼では見ることのできない場所があるが、心の眼で見れば見えないものは何もない。肉耳では聞くことのできない音があるが、心の耳で聞けば聞こえないものは何もない。これは禅の教えなどで主張されている考え方である。
世を治めることや人を治めることについても同じことが言える。徳によって治めるのと、法によって治めるのとの差もまたこれと同じである。
翁が言うには、財を惜しむ者は、どれほど哀れむべき人々を見ても、それを助ける行動を取ることができない。命を惜しむ者は、君主の過ちを見ても強く諫めることができず、また馬前で命を投げ出して死ぬ覚悟も持つことができない。このような者は、農事ですら十分に取り組むことはできないだろう。
農業とは、天候の変化や凶作、風雨を恐れていては、十分に肥料を使い、全力を尽くすことができないものだ。農人は、損害を天に任せる覚悟を持って農業に従事している。ましてや、仕官して君主に仕える者であればなおさらである。ましてや、累代にわたって仕官してきた家柄の者であればなおさらのことだ。
翁が言うには、君主を諫めてその意見が採用されなかったことを憤るのは、諫言ではなく、ただの憤りによる争いである。真の忠諫とは、一度君主の意に背いて退けられることがあっても、その原因を君主の不明さに求めるのではなく、自らの諫言の至らなさに原因を求めることである。
「正鵠を失えばこれを自らに求めよ」という金言を手本とし、君主を不明だと非難することなく、自らの忠心が十分でなかったことを責め、そこから敬意を生じさせ、忠誠を新たにするべきである。このように、憤りも怨みも抱かず慎重に行動するならば、やがて君主に用いられないということはないであろう。
しかしながら、君主を諫める者の中には、意見が採用されないと君主を怨み、不満を抱え、ついには君主を「不明」と非難する者がいる。これでは、どうして忠臣と言うことができようか。
翁の家に出入りしている者が言った。「今日、真岡で聞いた話だ。同町と久下田町の間の道は、敷地の幅が十一間あるとのことだ。その道は公地なので、久下田町に米を運んだ帰りに、路傍の草を刈り取って持ち帰るのはどうだろうと考えた」と。
すると翁は答えた。「お前の屋敷の本来の広さは五畝歩だ。それが実際には一反以上あるだろう。もし誰かがやって来て、お前の屋敷の竹や木を取ったらどうするのか。お前は黙っているのか。よく考えるべきだ。
たとえ道が敷地であっても、自村と他村の区別がある。そのようなことを言うべきではない。たとえば、隣家の屋敷が広いとしても、余分な土地の竹木を勝手に伐り取ることが許されるわけではない。それは無道というものだ。もし隣家が『私の屋敷には余分な土地がある。竹木が必要なら遠慮なく伐り取ってもらって構わない』と言うならば、それは実に立派なことだ。同様に、路傍の草についても、久下田町の人々が『道敷地は十一間あるから、他村の人であっても、馬を引いて空っぽで帰るのは損だろう。草を刈って持ち帰るのは構わない』と言うなら、それは非常に良いことである。
だが、こちら側から勝手に草を刈り取るのは問題だ。それは無作法というものだ。よく考えるべきことだ。」
翁が言うには、芭蕉の句「古池や蛙飛び込む水の音」の「水の音」は、単なる音として聞いてはならない。この音は、有の世界から無の世界へと入る瞬間の音であると観じて聞くべきである。
たとえば、木が折れるときの音や、鳥や獣が死ぬときの声と同じように、何かが変化し、消え去る瞬間の響きである。これをただの水の音と捉えるならば、この句の中に称賛すべき価値は何も見出せないであろう。
ある者が言った。「私は借金が千円あり、貸金も千円あります。どうすればよいでしょうか。」
翁は答えた。「これは実に興味深いことだ。お前が借り手に対して話す心構えを、そのまま貸し手に向けて話し、逆に、お前が貸し手に対して話す心構えを、借り手に向けて話し合えばよい。そうすれば、双方にとって最善の結果が得られるだろう。」
宇津氏の馬が厩を離れて邸内を駆け回り、人々が大騒ぎしているとき、別当がやって来て「静かにせよ」と言い、飼葉桶を叩きながら小声で馬を呼んだ。すると、あれほど荒々しく走り回っていた馬が急に落ち着き、飼葉桶のところへ向かった。
これを見て翁は言った。「お前たちはよく心得ておけ。世の中には何一つとして難しいことはない。たとえば犬も、ただ『来い、来い』と言うだけでは来ないが、時々餌を与えて呼べばすぐに来る。茄子も、ただ『なれ、なれ』と言っただけでは実をつけることはないが、肥料を施せば必ず実をつける。
猫も、背中を順方向に撫でれば何も気にせず眠ったふりをするが、逆方向に撫でれば一撫りで爪を立てる。このように、物事には順序と理がある。
私が桜町を治めたときも、この理を法として、絶えず努め続けて怠らなかっただけだ。」
翁が言うには、人々の紛争を解決することは道徳の一つであり、世を救う手段の一つでもある。しかしながら、もう一つ心得ておかなければならないことがある。それは、訴訟を内済や示談で解決することについてだ。これが実に双方にとって最善の方法である一方で、弊害も少なくない。
私が桜町にいたとき、近郷ではこのような内済を扱うことが盛んに行われており、訴訟が非常に多かった。これが習慣化して誰も問題視しなくなっていたが、法を厳しく適用してこれを抑えれば、現在の訴訟はかなり減るだろう。なぜなら、この内済を扱う者たちの中には、必ず智力や弁才に優れ、白を黒にし、黒を白にするような奸人がいるからだ。こうした者は外面を飾り、内済を業務のようにしている。表向きは、弱者を助け、強者を抑え、訴訟を内済によって解決し、人々の困難を救っているように見える。
しかし、その内情をよく観察してみると、実際にはこの紛争の原因そのものが、このような奸人によって引き起こされていることが多い。村里で一つの紛議が起きるとき、彼らは時に激しい言葉で争いを煽り、また時に穏やかな言葉で和解を演出し、その間に立ち回って利益や名声を自分のものとするのだ。世間の人々はそれに気づかず、このような者を尊び、用いる。
かつて桜町にも奸人がいたが、私はまずこの者を排除した。すると、訴訟の問題はたちどころに収まり、穏やかで善良な者が里正(村の長)となることができた。ある里正がその任に就いたときには、流れ者や貧民、鰥寡孤独の者に至るまで、すべての人々がその恩恵を受けることができたのである。
およそ国家を治める者は、先に述べたような奸民を排除し、良民を慈しむことを本分とすべきである。人道というものは本来、作為による道であるため、農夫が努力して雑草を取り除くように、悪民を排除し、良民を養わなければならない。良民が育たなければ、物事を成し遂げることはできない。良民が事を成し遂げることができなければ、国家の衰退は目に見えている。
奸民は、たとえるならば雑草のようなものである。それが茂り生い茂れば、田畑が荒れ果ててしまう。同様に、奸民が力を得れば、村里は衰退する。良民は稲のようなものであり、雑草を取り除かなければ稲は育たない。したがって、奸民を退けなければ良民は苦しむことになる。雑草を取り除いて稲を助けるのが農業であり、奸民を排除して良民を育てるのが政治である。
農業に励むのは下の者の職務であり、政治に努めるのは上の者の職務である。下がその職務を怠らなければ国は豊かになり、上がその職務を全うすれば国の財政には余裕が生まれる。上下がそれぞれの職分を尽くせば、天下は平穏となるであろう。
古人もまた、「政治を行うことは、農夫が田を耕すことに似ている」と言っている。農業の目的は雑草を抜き、稲を育てることである。同様に、上の職務は奸民を排除し、良民を育てることである。そして農夫が雑草を忌み嫌い、それを取り除くことに努めるように、政治を行う者も奸民を退けることを心掛けるべきである。
しかし、奸民をむしろ愛し、重んじるのは行き過ぎである。このような奸民は、才能や弁舌が人々に勝り、さらに世の中の事柄に熟練し、上下の関係に通じて、始終にわたって物事を操る。紛争を起こしてはこれを鎮め、その過程で利益を自らのものとするのである。それにもかかわらず、人々はこれを知らずに尊重し、用いるのだ。これは誤りである。
このようなことは、雑草を善しとし、美しいものと見なし、それに肥料を与えるようなものだ。このような状態で、国家が衰えないということがどうしてあり得るだろうか。
翁が言うには、真菰(まこも)で俵を作ると、虫に食われないものとなる。これを木綿を入れるために使うとよい。塵も付かず、非常に適している。
翁が言うには、ある村の某は強欲で財を積むことに励み、隣人が困難に陥っても救おうとせず、貧困に苦しむ者を憐れむこともない。金を貸すときも極めて酷で、高利をむさぼり、村里に恨みを買っても意に介さない。その行いは、実に非難されるべきもののように見える。
しかしながら、彼がその力を農事に尽くしている様子を見ると、近郷には比類がないほどである。耕作や作物の手入れは時機を逃さず、春には原野で草を刈り、秋には山林で落ち葉を掻き集め、夏の炎暑を厭わず、冬の雪や霜に耐えながら、早朝に起き、夜半に寝るまで農事に力を尽くしている。その勤勉ぶりは実に見事であり、これ以上ないと言えるだろう。
もし聖賢に農業をさせても、これを超えることはできないだろう。彼が作物のために尽力する姿は、秋に実りを得るための道理を完全に理解しているものであり、その熱心さは仏門の修行者にさえ勝ると言ってもよい。
もし彼がこの理を人間関係に応用し、自分が勤勉に励んで身につけた農業の技術を人々に教え、郷里のために誠心を尽くしたならば、聖賢に匹敵する人物となっただろう。
惜しいことに、この地の賢人と呼ばれるべき人物であったはずだが、私がいくら諭しても彼が悟ることはできなかった。なんとも惜しいことである。
翁が言うには、大雨のときに井戸の水が溢れるようであれば、洪水が発生すると知るべきである。洪水のときは、雨が天から降るだけではなく、地面からも湧き出るかのように井戸の水が溢れるものだ。
また、川の流れに沿って風が吹いているときは、大雨であっても洪水は少ない。しかし、川の流れに逆らって風が吹き上がるときには、必ず洪水が発生する。このことを心得ておくべきである。
ある者が言った。「彼岸という言葉は、儒者の書物から出たものだと『梧窓漫筆』に書かれている。」
これに対して翁は答えた。「文字の出所については知らないが、その意味は仏教の思想に基づいていると言える。なぜなら、彼岸とは『この岸を離れて向こうの岸に到る』という考え方だからだ。
寒さから暖かさに至るのを春の彼岸と呼び、暑さから寒さに至るのを秋の彼岸と呼ぶ。同じように、これを草にたとえて説明するなら、春の彼岸は種の岸を離れて草の岸に到ることであり、秋の彼岸は草の岸を離れて種の岸に到ることである。
すべての事象は、この岸を離れなければ彼の岸に到ることはできない。草から草が直接生じることはなく、種から種が直接生じることもない。草となることもあれば、種となることもあり、無数の草が循環していく。このようにして物事は連続していくのであり、これを『循環の理』と呼ぶ。
したがって、彼岸という考え方が仏教の理念に基づくものであることは明らかだ。この季節に先祖を祭る習慣が始まったのは、儒教でも仏教でも同じ感覚に基づいていると言えるだろう。」
ある者が言った。「私は運が薄いのか、神明の加護がないのか、何をやってもうまくいかず、考えることもことごとく齟齬してしまう。」
これに対し、翁は諭して言った。「お前は誤っている。運が薄いのではないし、神明の加護がないのでもない。それどころか、これこそ神明の加護であり、厚い運そのものだ。ただ、お前の願うことと実際に為すことが食い違っているだけだ。
お前の願いというのは、瓜を植えて茄子を得ようとするようなものだ。また、麦を蒔いて米を得ようとするようなものだ。願うことが間違っているわけではないが、実現不可能なことを願っているのだ。それなのに、神明の加護がないとか、運が薄いとか言うのは、お前の誤りではないか。
瓜を蒔いて瓜が熟し、米を蒔いて米が実るのは、天地日月の加護によるものだ。同じように、悪を行って刑罰を受け、不善を行って災いを被るのもまた、天地神明の加護によるものだ。これも、米を蒔いて米を得るのと同じ道理である。
それにもかかわらず、神明の加護がないと言うのは、お前の誤解ではないだろうか。」
天保三年、翁は桜町の陣屋下にある畑の租税を免除し、壱町歩につき二反歩ずつの割合で稗を蒔かせ、それを常備の穀物とした。翌天保四年には、稗が通常の作物とは異なる用途で活用され、蓄積するまでもなく役立った。
また、天保六年にも同様に稗を蒔かせたところ、翌天保七年には大凶作が発生した。このような状況にもかかわらず、稗が備蓄されていたことで対応することができた。それ以降、囲穀(備蓄穀物)の命令を出すことはなかったが、弘化二年に突然、夫食(非常時の食料)の備えとして囲穀の命令を再び下し、稗を蒔かせた。その年も稗が常作ではなく他の用途で活用され、再び蓄積するまでもなく役立った。
その先見の明はまさに神のごときものであった。
翁が言うには、世の人々の中には、家業と欲望を混同し、その区別がつかない者がいる。そのため、家業に精を出すことを欲深いことだと思ってしまうのだ。これは大きな誤りと言える。
家業とは、精を出さなければならないものであり、怠って済むものではない。一方で、欲望は家業とは異なり、抑えなければならないものである。
人は皆、それぞれの家業を持っている。たとえば、官吏が国家のために尽力するのは家業に精を出すことであり、教師が教育に励むのも家業に精を出すことである。僧侶が戒律をよく守るのも家業に精を出すことであり、医師が病人に心を尽くすのも家業に精を出すことである。農業や商業、工業に従事する者も同様である。このことをよく心得て、家業と欲望を混同してはならない。
翁が言うには、自分の生涯の業は、すべて荒れ果てた土地を開墾することを勤めとしてきた。しかし、この「荒蕪」(あれ地)にはいくつかの種類がある。
まず、田畑が荒れている場合がある。これは国家にとっての荒地である。
また、負債が多いために家禄が利息の支払いに取られ、禄があるにもかかわらず、それが実質的に役立たない状態に陥っている場合がある。これは国家にとっての生地である一方、その人にとっては荒地となる。
さらに、収穫がわずかで公租や村費だけが取られ、利益が出ない田畑もある。これは上(国家や村)のためには生地となるが、下(農民)にとっては荒地である。
また、身体が強壮でありながら怠惰に日々を過ごす者がいる。これも自他にとっての荒地である。
資産や財力がありながら、国家のためになることをせず、ただ贅沢に耽り、財宝を浪費する者がいる。これこそ世の中にとっての大きな荒蕪である。
さらに、知恵や才能がありながら、遊芸にふけり、琴や棋、書画などでただ遊び、世の中の役に立つことを考えずに生涯を終える者もいる。これも世の中にとっての荒蕪である。
これらの様々な荒蕪は、すべて心の荒れた田畑、すなわち「心田荒蕪」に由来するものだ。したがって、私の道は、まず心田の荒蕪を開くことを第一とすべきである。心田の荒蕪を開墾した後に、田畑やこれら数種の荒蕪に取り組み、それを肥沃な土地に変えるならば、国の富強は手のひらで操るように容易く実現できるだろう。
翁が言うには、若者は毎日よく勤勉に励むべきである。それは自らの身に徳を積むことだからだ。怠けることを得だと思うのは、大きな誤りである。徳を積めば、天からの恵みがあることは目の前で明らかになる。
例えば、雇い人を例に挙げよう。よく働き、誠実であれば、「来年も我が家で雇おう」と言われる。また、さらに勤勉であれば、「婿に迎えよう」と言われることさえある。一方、これとは逆に怠ける者については、「今年はすでに雇ってしまったから仕方ないが、来年は断ろう」となるのは目に見えていることだ。
たとえ知識や才能が不足していても、よく慎み、自分を省みて、身に過ちがないようにすべきである。過ちは自らの傷となるものだ。古い言葉に「身体、髪、皮膚はこれを父母から受けたものであり、これを傷つけないことが孝行の始まりである」とある。
人は過ちを犯せば、それが自分の身の傷となることを知らない。ただ傷を負わなければよいと思うのは誤りである。さらに、過ちは自分の傷となるだけでなく、父母や兄弟の顔をも汚すことになるのだ。慎まないわけにはいかないだろう。
翁が言うには、凡庸な者は、あまりにも多くのことを正確に記憶することはできないものだ。例えば、茶碗が十個や二十個であれば、誰でも数えることは簡単だ。しかし、それが四百や五百となると、正確に数えるのは難しくなる。
同様に、多くの物に番号をつける場合、二十や三十までは間違えることはないが、三百や四百となれば、知らず知らずのうちに間違いが生じるものだ。
だからこそ、私は一つの理を明らかにすることを重んじている。一つの理が明確であれば、それが万理に通じるからだ。この天地の間で最も理解が難しい道理というのは、結局のところ、言論が強く、雄弁な者が勝つようなものである。だから孔子も「一を以てこれを貫く」と言ったのである。
君たちも、この「一理」をしっかりと考え抜けば、世界のあらゆる道理が自然と分かるようになるだろう。私の歌にも、「古道につもる木の葉をかきわけて、天照す神の足跡を見ん」と詠んだ。足跡を見ることができれば、万理が一つに貫かれる。
これをせず、ただ「仁とは何か」「義とは何か」と空論を語り続けるのでは、それを聞くことも、語ることも、ともに無益である。無駄な言葉を語る価値はなく、それを聞く価値もないのだ。
ある門人が、日頃から悟道論を好み、「大悟すれば小さなことには拘泥しないものだ」と語っていた。これに対して翁は言った。
「儒者の中には『大いなる行いをする者は細かいことを気にしない』と言って放漫な態度を取り、仏者の中には『大悟した者は小さな節に拘らない』と言って無責任な振る舞いをする者がいる。こうした者たちは、道を犯す罪人と言えるだろう。
なぜなら、彼らは無用なことにかこつけて、古い言葉を引き合いに出しながら、自分には大いなる行いもなく、大悟を夢にさえ見たことがないにもかかわらず、それを忠言を遮る垣根として使い、自らの過ちを飾る道具としているからだ。そして人前で傲慢になり、大言を吐いても恥じることがない。これは、大道を汚す大罪人である。
お前たちは太鼓を鳴らしてでも、このような者を糾弾すべきだと言えるだろう。」
ある門人が、日頃から悟道論を好み、「大悟すれば小さなことには拘泥しないものだ」と語っていた。これに対して翁は言った。
「儒者の中には『大いなる行いをする者は細かいことを気にしない』と言って放漫な態度を取り、仏者の中には『大悟した者は小さな節に拘らない』と言って無責任な振る舞いをする者がいる。こうした者たちは、道を犯す罪人と言えるだろう。
なぜなら、彼らは無用なことにかこつけて、古い言葉を引き合いに出しながら、自分には大いなる行いもなく、大悟を夢にさえ見たことがないにもかかわらず、それを忠言を遮る垣根として使い、自らの過ちを飾る道具としているからだ。そして人前で傲慢になり、大言を吐いても恥じることがない。これは、大道を汚す大罪人である。
お前たちは太鼓を鳴らしてでも、このような者を糾弾すべきだと言えるだろう。」
翁が言うには、気候が悪く、その年が凶作になるかもしれないという兆しがあるならば、食料となるジャガタラ芋(ジャガイモ)を早めに掘り取って、すぐに明畑に肥料を施し植え直すべきである。その次に植えるべきは大根や蕪であり、さらにその後には蕎麦を蒔くとよい。
蕎麦を蒔く際には、蕎麦の種に油菜(菜種)の種を混ぜて蒔くのがよい。こうすることで、蕎麦が実り刈り取るころには、菜も大きく成長している。蕎麦と一緒に刈り取っても、根や茎が残っていれば害はない。蕎麦を刈り取った後に直ちに肥料を施し、中耕や手入れをすれば、すぐに菜畑となり、豊かに育つものである。この方法は、特に山畑などにおいて必ず役立つものである。
翁が言うには、方位によって禍福を論じたり、月日によって吉凶を説くことは古くからあるが、これに道理があるわけではない。禍福や吉凶は方位や日月によるものではなく、それを信じるのは迷いに過ぎない。
悟道家は「本来、東西はない」とさえ言うものだ。禍福や吉凶というものは、自らの心や行いが招くものであり、あるいは過去の因縁によってもたらされる場合もある。ある智識が強盗に遭遇したときに詠んだ歌、「前の世の借りを返すか今貸すか、何れ報いは有とこそしれ」という言葉の通りである。だから、決して迷ってはならない。
盗賊は鬼門から入ってくるわけではなく、悪日だけに現れるわけでもない。締まりを忘れれば賊は入ってくると心得よ。火の用心を怠れば火災が起こるのも当然だ。試しに戸を開けて放置してみれば、犬が入って食べ物を探すだろう。これが目の前の現実である。
古い言葉に「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃あり」とあるが、これは万古を貫く真理であり、決して疑うべきではない。これを疑うのが迷いというものだ。
米を蒔いて米が実り、麦を蒔いて麦が実るのは目の前の現実であり、年々変わらず繰り返される天理である。世間では「不成日」(物事が成就しない日)というものを言うが、実際にはこの日に行ったことでも十分に成就する。逆に「吉日」とされた日だからといって、必ず成功するわけではない。吉日に行われた婚姻が離縁に至ることもあれば、日を選ばず結婚して長く添い遂げる夫婦もいる。
このような迷信を決して信じてはならない。信じるべきは「積善の家に余慶あり」という金言である。ただし、余慶も余殃もすぐに回ってくるものではない。百日で実を結ぶ蕎麦もあれば、秋に蒔いて翌夏に実を結ぶ麦もある。諺に「桃栗三年柿八年」とあるように、因果や応報にも遅速があるということを忘れてはならない。
翁が言うには、「本来東西なし」「また過不及なし」というのは、平らな器を見て語られる言葉であり、それは本来の天理を表している。しかし、一つの器が存在し、そこに「己」というものがあると、どうしても傾きが生じる。その傾きによって、器の中の水は必ず前後左右に増減する。これを世間では「某は厚運」「某は薄運」などと言うのである。これは「己」が存在するがゆえの現象だ。
もし「己」がなければ、東西も遠近も過不及もなく、それが本然の天理というものだ。古い言葉に「天運循環して往きて復らざるなし」とあるが、これは傾いた器の中で水が増減する様子を言い表したものである。「某は厚運」「某は薄運」と言われることも、まさにこれに当たる。
私の歌に「増減は器傾く水と見よ、あちらにませばこちらへるなり」と詠んだが、これもすべてこの道理に基づいている。たとえ器に蓋をしても、水の増減が見えないだけで、その変化が起きていることには疑いがない。
例えば、薪を手に入れて自分で使わず売った者は、見た目には卑しい行為のように見えるが、その分だけ運を増している。そして、そのお金で酒を飲めば、またすぐにその分だけ運を減らしている。田畑に肥料を施す者は、目の前では利益がないように見えるが、秋になれば実りが多くなる。このとき、運を増すのである。一方、遊び怠けて田畑を粗雑に扱う者は、秋になって収穫が少なくなり、そのときに運が減ることを知るだろう。
この道理は非常に明白であり、愚かな人々でさえ理解できるはずだ。この道理を知って勤勉に励む者は、それは道を悟ったのと同じであり、何を行っても利益を生む。これに反して怠ける者は、何を行っても損失を生む。
これはまさに明白な理である。
翁が言うには、この世界には本来、吉凶や禍福、苦楽や生滅は存在しない。それは私が示した一円図のようなものである。しかし、それが存在するように見えるのは、その円の中に「己」という存在を置いて、物事を隔てて見ているからである。
人はよく「万物は土から生じ、土に帰る」と言うが、これは完全に尽くされた議論ではなく、目に見える範囲の論に過ぎない。それは、江戸の人が「旅人は品川から出発する」と言うのと同じである。その旅の出発地は人それぞれで異なるものだ。
草木が春に生い茂り、秋に枯れるのを見て、秋を「無常」と呼ぶことがある。しかし、農家から見れば秋は収穫の時期であり、実りを得て喜ぶ季節である。草木の立場から見れば確かに無常に思えるが、種の視点から見れば、それは変わらぬ法則、すなわち「有常」となる。
したがって、「無常」とされるものは本当に無常ではなく、「有常」とされるものもまた本当に有常ではない、と言えるだろう。
ある藩の重臣である某氏が、藩の財政を改善する方法について翁に尋ねた。翁は答えた。
「ここに十万石の諸侯がいるとしよう。これを木に例えるなら、百姓は土際から木に生える根のようなものであり、幹や枝葉は藩全体にあたる。つまり、『十万石』と言うとき、その領地内のすべて、神主や僧侶、乞食に至るまで、すべてがその中に含まれるのだ。この十万石を『四公六民』とするならば、藩が四分、民が六分を分け合うことになる。
しかし、どこから相談を受けても、みな藩の財政だけを改革しようとし、領内全体の状況に目を向ける者はいない。古い言葉に『その本が乱れて末が治まることはない』とある。根本を放置して末端だけを改善しようとしても、順序が間違っていれば、どれほど努力しても成果は得られない。
もし本当に藩の疲弊を救おうとするならば、民政も同時に改革しなければならない。さもなければ、木の根を放置して枝葉に肥料を施すようなものだ。これこそ、あなたが最も心を尽くすべきことであり、あなたの職務でもある。帰藩した後、よくよく考慮されるがよい。」
某氏は深く感服し、「感服、感服」と言って翁のもとを去った。
翁が言うには、内に実があれば外に現れるというのは、天理自然の道理である。内に実がありながら外に現れないということは、決してあり得ない。
例えば、日暮れに灯火を点ける様子を見ればわかるだろう。付木に火が点くやいなや、障子にその火影が映り、外からでも家の中に灯火があることがすぐに知られるようになる。
また、深山に咲く花や、泥の中にいる鰌(どじょう)を例に取ってもよい。花木や鰌自身は、自分が知られていないと思っているつもりかもしれないが、人々は早々に「あの山には花が咲いている」「この泥の中には鰌がいる」と気づいてしまうものだ。
この道理をよく考えないわけにはいかない。
翁が言うには、商業が繁栄して大きな商家となるのは、高利を貪るのではなく、安価に売ることを旨とするからだ。その高利を求めない姿勢のために、国内の多くの買い手が自然と集まってくるのは当然のことだが、売る側もまたその商家に集まるというのは、実に妙なことである。
商人が買い手と売り手の間に立ちながら、高く仕入れて安く売ることは続けられるものではない。安く売るためには、仕入れもまた安くなければならない。安く買う商家に売り手が集まるのは、これもまた不思議な現象と言える。だが、これは双方が高利を貪らないことで実現されるのだ。
高利を貪らないことで、買い手も売り手もともに集まり、次第に商家は富を築いていく。これもまた妙な理である。商家ですら高利を求めなければこのようになるのだから、ましてや私の方法のように「無利足」であれば、なおさら尊ばれるべきであろう。
翁が言うには、仏教の教えは実に妙なるものである。例えば、太陽が朝に東の空から昇るときの功徳を「薬師」と名付け、中天で輝くときの功徳を「大日」と呼び、夕陽となるときの功徳を「阿弥陀」と言う。このように、「薬師」「大日」「阿弥陀」と言うが、それらが実際にそのような仏として存在するのではない。これらはすべて太陽のもたらす功徳を表したものに過ぎないのだ。
また、大地が持つ功徳を「地蔵」と呼び、空中の功徳を「虚空蔵」と名付け、世の中の音や出来事を観じる功徳を「観世音」と言うのである。
ある者が質問した。「大地の功徳は非常に大きい。虚空の功徳もまた大きいだろう。しかし、『世音を観じる功徳』とはどのようなものか。」
これに対して翁は答えた。「商売の方法など、世の中の音信をよく考え、そこから利益を生み出す行いが、観世音の力を念ずるということなのだ。『観』という字は、目で見ることを意味しているのではなく、心眼で見ることを指しているのだ。よく考えるべきである。よく考えるべきである。」
翁が言うには、農家は作物のためだけに朝から晩まで力を尽くし、心を込めて働くと、自然と願わなくても穀物が蔵に満ちるようになる。穀物が蔵にあれば、魚売りも呼ばずにやって来るし、小間物屋もやって来る。すべてが安楽で自在な暮らしとなる。
また、村里を見渡すと、丈夫な籬(まがき)で囲われ、住居の掃除が行き届き、肥料がたくさん積み重ねられている家には、何となく福々しい雰囲気が漂っている。その家の田畑は隅々まできちんと手入れがされており、稲穂が平らに揃い、見事な出来栄えをしている。
これに反して、田畑の出来が不揃いで、稲穂が揃わず、稗や雑草が目立つような田畑の持ち主の家は、籬が壊れていたり、住居が不潔であったりするものだ。また、別の一種の例として、不精者で困窮しているが家だけは清潔にしている者もいる。そのような家では、籬やその周りは整っていても、家の中には俵も農具もなく、庭にも肥料が積まれておらず、何とも寂しい雰囲気が漂っている。
さらに、人々の気持ちが和やかでない村では、四方の竹木が不揃いで、道路は悪く、堰や用水路には笹が茂っていて見苦しい様子になっているものだ。おおよそこの道理に違いない。
翁が言うには、因果の理をこの柿の木を例にして説明しよう。柿の実を見てみよ。これが人の食べ物となるのか、鳥の食べ物となるのか、それとも地に落ちて腐るのか、その将来はまだ誰にも分からない。しかし、実が枝葉の陰にあった時期に、どのように精気を吸収し育ったかという過去の因縁によって、熟したときの行く末が決まる。
熟して市に出されるときには、三厘になったり五厘になったり、一銭になったりと、その値段が異なる。同じ柿の実でも、熟すまでの間にどのように精気を運んだかという因縁が、それぞれの価値の違いを生むのである。天地の間にある万物も、同じように隠れたところで生育し、人に得られてその徳を現すものである。
人間もまたこれと同じだ。親のもとにいる間に身を修め、諸芸を学び、勤勉に励んだ徳によって、その後の一生の仕事が成り立つ。
凡人が成長してから、「若いころにもっと学んでおけばよかった」と後悔する心が起こるのは、ちょうど柿が市に出てから「もっと精気を運んでいれば、太く甘くなって高値がついたのに」と思うのと同じであり、後悔は先には立たないのである。古人が「前もって悔いよ」と教えたのはこのことだ。若者たちはよく考えるべきである。
したがって、修行や学びが役に立つか立たないかが分からないうちに、しっかりと学んでおくべきだ。そうしなければ、いざというときに役に立たないものだ。それは、柿も枝葉の間にあるときに十分に太らなければ、市に出たときにどうしようもないのと同じである。これこそが因果の道理なのだ。
翁が言うには、仏教では「諸行無常」と説いている。つまり、この世のあらゆる営みは、常に変わらないものではなく、すべて移ろいゆくものである。それを有るものと見るのは迷いである。
お前たちの命も、お前たちの体も、すべてそのようなものだ。長い短い、遅い速いといった違いはあるが、それらが本当に「有る」と思うのは迷いに過ぎない。本来は長短もなければ、遅速もなく、遠近もなければ、生死もない。蜉蝣(かげろう)の一瞬を短いと見たり、鶴や亀の千年を長いと見るようなことが、すべて迷いなのである。
しかしながら、この理を見抜くのは難しい。凡人には遠近という違いで示すしかない。これが私の悟道への入り口である。「見渡せば遠き近きは無かりけり、己々が住処にぞよる」という歌のように、遠近の違いもまた己の立場によるものに過ぎない。
同様に、見渡せば生死も生滅も存在しない。見渡せば善も悪もない。見渡せば憎しみも愛しさもない。この歌の意味を深く感じるとき、その道理が理解されるだろう。
生と死というものも、共に無常であり、頼りになるものではないことは明白である。
翁が言うには、氷と水を見てみよ。何を「生」と呼び、何を「死」と呼ぶべきなのか。水は寒気を受けて氷となり、氷は暖気を受けて水となる。今朝は寒く氷が固まっているとしても、暖気が訪れればすぐに溶けてしまう。この現象をどう捉えるべきだろうか。水が氷になったのか、氷が水になったのか、生が死なのか、死が生なのか、一体何を「生」と呼び、何を「死」と呼ぶべきなのだろうか。
これを考えれば、諸行が無常であることがよく理解できるだろう。しかし、さらに進んで考えれば、「無常ですら無常ではなく、有常ですら有常ではない」ということに気づく。惜しい、欲しい、憎い、愛しいといった感情、彼も自分も、すべてが迷いなのである。
このように迷うがゆえに、「三界城」という堅固な囚われが生まれる。それが人々に恨み、妬み、嫉み、憤りを抱かせ、さまざまな悪い結果を生み出すのだ。しかし、これを「諸行無常」と悟ったとき、心は十方空(全方向に何もない状態)となり、恨みも妬みも悪意も憤りも、すべてが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
この境地に至れば、自然と怨念や死霊も退散する。この境地を悟りと呼び、悟ることを成仏と言うのである。この道理をよく味わい、悟りの門に入るべきである。
翁が言うには、古い言葉に「功成り名遂げて身を退くは天の道なり」とある。この天の道理は誠にその通りである。しかし、これを人道に当てはめて行うとき、その者は智者と呼ぶことはできても、仁者とは呼べないだろう。
なぜなら、「完全に尽くしきった」という境地には至っていないからである。仁者というのは、ただ成果を上げて退くだけでなく、全力を尽くして人々のために奉仕し、その結果に自らを全うする者である。したがって、天道と人道はその点で異なるのだ。
斎藤高行が言った。「儒者が仏者に尋ねて、『地獄の釜は誰が作ったのか』と問うたところ、仏者は『郭公(かっこう)が掘り出した黄金の釜と同じ作りである』と答えた。面白い話ではありませんか。」
これを聞いた翁は答えた。「確かに面白い話だ。しかし、これは智者の言葉であって、仁者の言葉ではない。したがって、称賛するには値しない。」
翁が言うには、『論語』に「己に如かざる者を友とする事勿れ」とあるが、これを誤解する人がいる。この言葉の意味は、人々は皆、それぞれに長所も短所もあるという事実を前提として理解すべきだ。誰しも短所を持たない人などいない。
したがって、この言葉の正しい解釈は、その人の長所を友とし、短所を友としないようにする、ということである。例えば、その人の短所には目をつぶり、その長所を重んじて友とするという意味だ。
世の中には、才能の乏しい人であっても手書きの巧みな者がいるだろう。世事に疎い人でも学者である場合がある。無学な者でも、世事に賢い者がいるかもしれない。無筆の者であっても、農事に優れた技術を持つ者がいる。
要するに、すべての人の長所を友とし、その短所を友としないというのが、この言葉の意図なのである。
翁が言うには、心が狭く閉ざされていると、真の道理を見抜くことはできない。世界は広大であり、だからこそ心を広く保つべきである。しかし、その広い世界も、「己」という私利私欲を一つ置いて見ると、世界の道理はその「己」に遮られ、見る範囲は半分に限られてしまう。
「己」という私欲に囚われていると、借りた物を返さない方が都合が良いとか、人の物を盗むのが最も得策だと思うようになる。しかし、この私欲を捨てて広い視野で物事を見ると、「借りた物は返さなければならない」「盗むことは悪事である」という道理が明らかに見えてくる。
したがって、「己」という私欲を取り除く工夫が重要となる。儒教も仏教も、この私欲を取り捨てることを教えの中心としている。たとえば『論語』では「己に克て礼に復れ」と説き、仏教では「見性」「悟道」「転迷」といった言葉で、私欲を取り除く修行を表している。
この私欲を取り除くことができれば、「万物は生まれず滅びず、増えもせず減りもしない」という道理もはっきりと理解できる。
しかし、このような明白な世界であっても、「己」という私欲を間に置くと、たちまち得失、損益、増減、生滅といった無数の境界が現れ、混乱が生じる。これは恐ろしいことである。
とはいえ、この現象自体に善悪や是非はない。たとえば、豆の草が育つときには豆の実を見ることはできず、豆の実ができたときには草が枯れるようなものだ。この法則は、人間のように万物の霊である存在であっても逃れることができない。
この「逃れられない状態」を免れることを悟りと呼び、逃れられないままでいることを迷いと呼ぶ。
私が戯れに詠んだ歌にこうある。
「穀物の 夫食となるも味も香も 草より出でて艸(くさ)になるまで」
「百の草 根も葉も枝も花も実も 種より出でて種になるまで」
この歌が示す通り、この道理を見抜くことこそが悟りへの一歩である。
翁が言うには、我が道は「勤」「倹」「譲」の三つに基づいている。
勤とは、衣食住に必要な物品を努力して産出することを指す。
倹とは、産出した物品を無駄に費やさないことである。
譲とは、この三つの成果を他者へ及ぼすことである。
譲には様々な形がある。今年得た物を来年のために蓄えることも譲であり、それをさらに子孫に譲ること、親戚や朋友に譲ること、郷里に譲ること、さらには国家に譲ることも譲に含まれる。それぞれの身分や立場に応じて、適切にこれらを実践すべきである。
たとえ一季や半季の雇人であっても、今年得た物を来年のために譲ることや、子孫に譲ることは必ず行わなければならない。この「勤」「倹」「譲」の三つは鼎(かなえ)の三足のようなもので、一つでも欠けてはならない。必ずこの三つを同時に実践すべきである。
ある者が質問した。「今日、『中庸』の講釈を聞きましたが、非常に難解な内容で、聞いても理解できませんでした。特に、『喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と云う』とは、どのような道理なのでしょうか。」
これに対して翁は答えた。「それは確かに非常に難しい道理だ。しかし、これを別のものに例えて説明すれば理解できるようになる。例えば、草木に例えるとよいだろう。根や幹、枝葉がまだ発していない状態、これを『種』と呼ぶのだと考えてみるべきだ。
草木に置き換えて考えた後で、『中』というものが何であるかを再び考えるのが理解への近道である。」
この説明を受けて、質問者は深く感服し、感謝して帰っていった。
翁が言うには、世の人々はしばしば小さなことを嫌い、大きなことばかりを求める。しかし、本来、大きなものとは小さなものの積み重ねによって成り立つものである。したがって、小さなことを積み重ねていく以外に、大きなことを成す術はないのだ。
例えば、国中に広がる田畑は広大で数えきれないほどである。しかし、その田畑も、一鍬ずつ耕し、一株ずつ植え、一株ずつ刈り取ることで成り立っている。一反の田を耕すためには、鍬を振る回数は三万回以上に及び、その田に植える稲の株数は一万五千株ほどである。それらはすべて、一株ずつ手で植え、一株ずつ刈り取るのである。
さらに、その田から収穫された米一升に含まれる米粒の数は六万四千八百余りになる。その米を白米にするには、杵で千五百から千六百回以上も臼を搗かなければならない。その手間と労力を思い浮かべてみるべきである。
このように、小さな勤めを怠ることができないという道理を、よく理解すべきである。
翁が言うには、学者たちは皆『大学』の三綱領について語り、「至善に止まる」という教えを重んじている。しかし、この「至善に止まる」とは何を指すのかが明確ではない。私は密かに、この三綱領は実際には二綱領であると愚考している。
なぜなら、「明徳を明らかにする」というのは、道徳の究極の目標であり、「民を新たにする」というのは、国家を治めるうえでの究極の目標である。この二つに加えて、「至善に止まる」というものが示されているが、明徳と新民以外に至善として指すべきものが存在するとは考えにくいからである。
したがって、三綱領と言われているものの、実際には二綱領と理解するのが妥当であると考えるべきだ。
翁が、日光御神領の興復法について記された数十巻の帳簿を指しながら言った。
「この興復法の計算は、日光御神領だけのためのものではない。これは国家全体の興復の計算である。日光御神領に関する記録は、誠に見事なものであり、これを世界全体の事象として見るべきだ。したがって、この帳簿を単なる計算帳と見てはならない。一つ一つが悟道であり、天地自然の理を表しているのだ。
天地は昼夜を繰り返し、満ち欠けも偽りなく変化する。そして算術もまた同じだ。だからこそ、算術を用いて世界の変化を捉えることには道理があり、決して油断してはならない。」
翁はさらに戒めながら言った。「この帳簿を開くときには、まず最初の『一』を何かしらに定めて考えよ。それが善であれ、悪であれ、正であれ、邪であれ、直であれ、曲であれ、何であっても構わない。その『一』を基準にして、そこから利益が生まれ、利益がまた基となり、繰り返し繰り返し続いていく。これは仏教で言うところの『因果因果』が絶えず続いていく姿そのものであり、年々歳々こうした流れが繰り返されているのだ。
たとえば、毎朝自分が先に目を覚まし他人を起こすのか、それとも毎朝他人に起こされるのか。この一事だけでも因果の道理を知ることができる。
人の世というものは、一刻働けばその分だけの成果が得られ、一時勤めればその分だけの実りがあり、半日励めばその分だけ報いがある。善であれ悪であれ、正であれ邪であれ、直であれ曲であれ、すべてこの計算と同じである。一厘の違いがあれば一厘分の差が生じ、五厘の違いがあれば五厘分の差が生じる。多ければ多い分だけ、少なければ少ない分だけ、それが返ってくるのだ。この通り、私は八十年間のすべてを細かく調べ上げてきたのだ。
朝早く起きた因縁によって麦の収穫が多くなり、麦が多く収穫できた因縁によって田を増やすことができた。田を多く作った因縁によって馬を買うことができ、馬を買った因縁によって田畑の出来が良くなった。田畑の出来が良くなった因縁によってさらに田が増え、田が増えた因縁によって金を貸すことができるようになり、金を貸した因縁によって利を得るようになる。
こうして年々このような流れを繰り返し、ついには富有の者となるのだ。そして逆に、富有であった者が貧困に陥るのもまた、同じ道理によるものである。
原野の草や山林の木の生長も、同じ道理に基づいている。春に成長した力によって秋に根を張り、秋に根を張った力によって春にまた成長する。去年成長した力によって今年太り、今年太った力によって来年さらに太る。このように、天地間の万物はすべてこの理に従っているのだ。
これを理論で説明すると種々の異論が生じて面倒になるので、私は算術を借りてこの理を示した。算術で示すときには、どんな悟道者や論者も反論できる余地はない。天地開闢の昔、人も禽獣もまだ存在しなかった時代から変わらない道理を、これを証拠として示しているのだ。
したがって、この帳簿を単なる計算と見てはならない。数というものからは逃れることはできない。この数理をもとに道理を悟るべきである。これこそ悟道の捷径(近道)である。」
その場にいた弁算和尚がこれを聞いて言った。「これこそ真の一切経である。仰ぎ尊ぶべきものだ。」
翁が言うには、国には上中下の区別があり、上国の土にも上中下があり、下国の土にもまた上中下がある。
たとえ同じ「上田」「下田」という名前で呼ばれていても、場所が異なればその実態も大きく異なる。例えば、下国で「上田」と呼ばれる土地であっても、それは上国の「下田」にも及ばない。ましてや上国の「中田」や「上田」とは比べるべくもない。反対に、上国の「下田」は、下国の「上田」に比べて遥かに優れており、ましてや下国の「中田」や「下田」に比べれば、圧倒的な差がある。
それにもかかわらず、下国の「上田」に課せられる租税は、上国の「下田」の租税の倍近くに設定されており、上国の「上田」の租税に近い水準になっている。一方で、上国の「下田」に課せられる租税は、下国の「上田」の租税の半分ほどであり、下国の「下田」の租税に近い。
諸役銭や高掛りなどの負担も、同様の基準で定められている。この仕組みのために、上国の民はますます富み栄え、下国の民は貧困に追いやられ、離散や逃亡を免れない状況に陥っている。
例えば、野常の土地は痩せていて利益が少ない。その「上田」ですら、上国の「下田」に匹敵する程度である。それにもかかわらず、上国の「下田」に基づいて下国の「上田」の租税が設定され、その基準に合わせて中田や下田の租税が定められている。この状況では、下国が上国ほど富栄することはないにしても、衰亡や崩壊に至るのは当然である。
上に立つ者が、この不公平な仕組みについて深く心を尽くさなければ、下国の没落を防ぐことはできない。この点について、上位者は特に注意を払うべきである。