白文、書き下し文、日本語訳を併記しています。
天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。道也者,不可須臾離也,可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹,恐懼乎其所不聞。莫見乎隱,莫顯乎微。故君子慎其獨也。喜怒哀樂之未發,謂之中;發而皆中節,謂之和;中也者,天下之大本也;和也者,天下之達道也。致中和,天地位焉,萬物育焉。
天命之を性と謂い、性に率う之を道と謂い、道を修むる之を教と謂う。道なる者は、須臾も離るべからず。離るべきは道に非ざるなり。是を故に、君子は其の見えざる所に戒慎し、其の聞こえざる所に恐懼す。隠るるより見わるるは莫く、微なるより顕るるは莫し。故に、君子は其の独りを慎むなり。
喜・怒・哀・楽之の未だ発せざるを中と謂い、発して皆節に中るを和と謂う。中なる者は、天下の大本なり。和なる者は、天下の達道なり。中和を致せば、天地位を得、万物育つなり。
天から授かった本性を「性」といい、その性に従うことを「道」といい、その道を修めることを「教」と呼ぶ。道というものは、ほんのわずかの間も離れてはならない。もし離れてしまうなら、それはもはや道ではないのである。だからこそ、君子は、人が見ていないところでも慎みを持ち、人が聞いていないところでも恐れ慎む。隠れていることほど明らかになるものはなく、小さなことほど顕著に表れるものはない。したがって、君子は独りでいるときこそ、特に慎重に行動するのである。
喜び・怒り・悲しみ・楽しみがまだ表に現れていない状態を「中」といい、それらの感情が表に現れてもすべて適切な節度を保っていることを「和」と呼ぶ。「中」は、天下の根本となるものであり、「和」は、天下の普遍的な道理である。中庸を極めて中和を成すならば、天地はそれぞれの位置を保ち、万物は健やかに成長するのである。
仲尼曰:「君子中庸,小人反中庸。君子之中庸也,君子而時中;小人之中庸也,小人而無忌憚也。」
仲尼曰く、「君子は中庸にし、小人は中庸に反く。君子の中庸なるは、君子にして時に中るなり。小人の中庸なるは、小人にして忌憚無きなり。」
孔子は言った。「君子は中庸を守るが、小人は中庸に背く。君子の中庸とは、君子としてその時々に応じて適切な行動を取ることである。しかし、小人の中庸とは、小人が何の慎みもなく好き勝手に振る舞うことである。」
子曰:「中庸其至矣乎!民鮮能久矣!」
子曰く、「中庸は其の至る矣!民は能くする者鮮なし矣!」
孔子は言った。「中庸こそ、最も優れた道である!しかし、それを実践し続けられる者は、世の中にほとんどいないのだ!」
子曰:「道之不行也,我知之矣:知者過之,愚者不及也。道之不明也,我知之矣:賢者過之,不肖者不及也。人莫不飲食也,鮮能知味也。」
子曰く、「道の行われざるや、我之を知る矣。知者は之を過ぎ、愚者は及ばざるなり。道の明らかならざるや、我之を知る矣。賢者は之を過ぎ、不肖者は及ばざるなり。人、飲食せざる莫し、能く味を知る者は鮮なし。」
孔子は言った。「道が世に広まらない理由は、私にはわかっている。賢い者はそれを行き過ぎ、愚かな者はそれに達しないからだ。道が明らかにならない理由も、私にはわかっている。優れた者はそれを行き過ぎ、愚劣な者はそれに達しないからだ。人は誰しも飲み食いをするが、本当にその味を理解している者はほとんどいないのと同じことである。」
子曰:「道其不行矣夫。」
子曰く、「道は其の行われざるかな。」
孔子は言った。「道はやはり世に行われないのだなあ。」
子曰:「舜其大知也與!舜好問而好察邇言,隱惡而揚善,執其兩端,用其中於民,其斯以為舜乎!」
子曰く、「舜は其の大いに知あるかな!舜は好みて問い、好みて邇言を察す。悪を隠し、善を揚ぐ。其の両端を執り、其中を民に用うる。其れ斯を以って舜と為すか!」
孔子は言った。「舜は実に偉大な知恵を持っていたのだろう!彼はよく質問をし、身近な人々の言葉をよく観察した。また、悪を隠し、善を広めた。彼は極端な二つの考えをうまく調和させ、その中庸を民に適用した。まさにこのことによって、舜は舜たる人物となったのだ!」
白文
子曰く、「人皆『予知る』と曰うも、驅りて之を罟擭・陷阱の中に納れ、之を辟くるを知る莫し。人皆『予知る』と曰うも、中庸を択びて、期月も守る能わず。」
孔子は言った。「人は皆『私は知っている』と言うが、実際には罠や落とし穴へと自ら進んで入り込み、それを避ける方法を知らない。人は皆『私は知っている』と言うが、中庸の道を選びながらも、一か月も継続して守ることができないのである。」
子曰:「回之為人也,擇乎中庸,得一善,則拳拳服膺而弗失之矣。」
子曰く、「回の人と為るや、中庸を択び、一つの善を得ば、則ち拳拳として服膺し、之を失わざるなり。」
孔子は言った。「顔回は人として、中庸の道を選び、一つの善を得ると、それを心から大切にし、胸に刻み、決して手放さなかった。」
子曰:「天下國家可均也,爵祿可辭也,白刃可蹈也,中庸不可能也。」
子曰く、「天下・国家は均すべきなり。爵禄は辞すべきなり。白刃は蹈むべきなり。中庸は能うべからざるなり。」
孔子は言った。「天下や国家の秩序を整えることはできる。地位や報酬を辞退することもできる。鋭い刃の上を踏み越えることもできる。しかし、中庸を実践することは非常に難しく、容易にはできないのだ。」
子路問強。子曰:「南方之強與?北方之強與?抑而強與?寬柔以教,不報無道,南方之強也,君子居之。衽金革,死而不厭,北方之強也,而強者居之。故君子和而不流,強哉矯!中立而不倚,強哉矯!國有道,不變塞焉,強哉矯!國無道,至死不變,強哉矯!」
子路、強きを問う。子曰く、「南方の強きか、北方の強きか、抑れ而た強きか。寛柔にして以って教え、無道に報いずるは、南方の強きなり。君子之に居る。金革を衽き、死して厭わざるは、北方の強きなり。而して強者之に居る。
故に、君子は和して流されず、強きかな矯けよ!中に立ちて倚らず、強きかな矯けよ!国に道有れば、変塞せず、強きかな矯けよ!国に道無ければ、死に至るまで変ぜず、強きかな矯けよ!」
子路が「強さとは何か」と尋ねた。孔子は答えた。
「南方の強さとは何か?北方の強さとは何か?あるいは、それ以外の強さとは何か?
寛容で穏やかに人を導き、不正には報復しないのが南方の強さであり、君子はこれを実践する。武具の上に身を横たえ、死を恐れず戦うのが北方の強さであり、武勇を誇る者がこれを好む。
だからこそ、君子は調和を保ちながらも流されず、強いのだ、なんと毅然としていることか!中立を保ち、どちらにも偏らず、強いのだ、なんと毅然としていることか!国に道があるときは、ひたすら誠実に守り、強いのだ、なんと毅然としていることか!国に道がないときでも、死ぬまで信念を貫く、強いのだ、なんと毅然としていることか!」
子曰:「素隱行怪,後世有述焉,吾弗為之矣。君子遵道而行,半涂而廢,吾弗能已矣。君子依乎中庸,遁世不見知而不悔,唯聖者能之。
子曰く、「素隠し行怪すれば、後世に述ぶる者有らん。吾は之を為さざるなり。君子、道を遵いて行い、半涂にして廃る。吾は能く已むことを弗し。君子は中庸に依りて、世を遁れ、見られずとも悔いず。唯聖者の能くする所なり。」
孔子は言った。「奇妙な行動や隠遁生活をすれば、後の世に語り継がれるかもしれない。しかし、私はそんなことはしない。君子は正しい道を守りながら進むが、途中で挫折することもある。それでも、私は決して道を途中でやめることはできない。
君子は中庸を守り、世を避けて隠れても、それを嘆いたり後悔することはない。これを成し遂げられるのは、ただ聖人のみである。」
君子之道費而隱。夫婦之愚,可以與知焉,及其至也,雖聖人亦有所不知焉;夫婦之不肖,可以能行焉,及其至也,雖聖人亦有所不能焉。天地之大也,人猶有所憾,故君子語大,天下莫能載焉;語小,天下莫能破焉。《詩》云:『鳶飛戾天,魚躍于淵。』言其上下察也。君子之道,造端乎夫婦,及其至也,察乎天地。」
君子の道は費くして隠る。夫婦の愚なるも、以って与に知るべし。其の至るに及べば、聖人と雖も亦知らざる所有り。夫婦の不肖なるも、以って能く行うべし。其の至るに及べば、聖人と雖も亦能くせざる所有り。
天地の大いなるも、人猶憾むる所有り。故に、君子語ること大なれば、天下も能く載せざるなり。語ること小さければ、天下も能く破ること莫し。
《詩》(し)に云う、「鳶飛びて天に戾り、魚淵に躍る」と。其の上下察するを言うなり。君子の道、端めを夫婦に造り、其の至るに及べば、天地を察するなり。
君子の道は広大でありながらも、奥深く隠れている。たとえ夫婦のような愚かな者であっても、その道の入り口には到達することができる。しかし、究極の境地に至ると、聖人ですら知ることのできない領域がある。また、どんなに愚劣な者であっても、その道を実践することは可能である。しかし、その究極の境地に至ると、聖人ですら成し遂げることができないものがある。
天地は広大であるが、それでもなお人の満たされない部分がある。だからこそ、君子が語ることが大きすぎれば、天下はそれを受け止めることができない。また、語ることが小さければ、天下の誰もそれを打ち破ることはできない。
『詩経』にはこうある。「鳶は空高く舞い上がり、魚は深淵に躍る。」これは、上下の動きを鋭く観察することを意味する。君子の道は、夫婦の関係から始まり、その究極の境地に至ると、天地の理をも見極めることができるのである。
子曰:「道不遠人。人之為道而遠人,不可以為道。《詩》云:『伐柯伐柯,其則不遠。』執柯以伐柯,睨而視之,猶以為遠。故君子以人治人,改而止。忠恕違道不遠,施諸己而不愿,亦勿施於人。君子之道四,丘未能一焉:所求乎子以事父,未能也;所求乎臣以事君,未能也;所求乎弟以事兄,未能也;所求乎朋友先施之,未能也。庸德之行,庸言之謹,有所不足,不敢不勉,有餘不敢盡;言顧行,行顧言,君子胡不慥慥爾!
子曰く、「道は人に遠からず。人之を道と為して人を遠ざくは、以って道と為すべからず。《詩》(し)に云う、『柯を伐る、柯を伐る、其の則遠からず』と。柯を執りて柯を伐るに、睨して之を視れば、猶遠きを為すと。
故に君子は人を以って人を治め、改めて止む。忠と恕は道を違えずして遠からず。己に施して愿ばざれば、亦人に施すこと勿かれ。
君子の道四つあり。丘は未だ一つも能くせず。子を以って父に事えしむる所を求めるも、未だ能わず。臣を以って君に事えしむる所を求めるも、未だ能わず。弟を以って兄に事えしむる所を求めるも、未だ能わず。朋友に先ず施す所を求めるも、未だ能わず。
庸徳の行い、庸言の謹み、有る所不足すれば、敢えて勉めざること無し。有る所余れば、敢えて尽くさず。言に行を顧み、行に言を顧みる。君子は胡ぞ慥慥たること無からんや!」
孔子は言った。「道は人から遠く離れたものではない。もし人が道を実践する際に人を遠ざけるならば、それはもはや道とは言えない。《詩経》にこうある。『枝を伐る、枝を伐る、その法は遠くない。』枝を手に取って別の枝を伐るとき、そのやり方をじっと見つめれば、それでもなお遠くに感じることがある。
だからこそ、君子は人の力をもって人を治め、誤りを改めたらそこでやめる。忠と恕は道を逸れず、決して遠ざかるものではない。自分に施したときに納得できなければ、それを他人にも施すべきではない。
君子の道には四つの柱がある。しかし、私はいまだにその一つすら完全に実践できていない。子が父に仕えるべきあり方を求めるが、まだ十分ではない。臣が君に仕えるべきあり方を求めるが、まだ十分ではない。弟が兄に仕えるべきあり方を求めるが、まだ十分ではない。友人に対して先に施すべきことを求めるが、まだ十分ではない。
日常の道徳的な行い、慎み深い言葉遣いにおいて、不足があれば努力を惜しまない。余裕があれば、それをすべて使い尽くすことはしない。言葉を発する際には行動を顧み、行動するときには言葉を顧みる。君子たる者は、どうして誠実で慎み深くないことがあろうか!」
君子素其位而行,不愿乎其外。素富貴,行乎富貴;素貧賤,行乎貧賤;素夷狄,行乎夷狄;素患難,行乎患難:君子無入而不自得焉。在上位不陵下,在下位不援上,正己而不求於人,則無怨。上不怨天,下不尤人。故君子居易以俟命,小人行險以徼幸。」
君子は其の位に素して行い、其の外を愿わず。富貴に素して、富貴に行い、貧賤に素して、貧賤に行い、夷狄に素して、夷狄に行い、患難に素して、患難に行う。君子は入ること無くして自得せざること無し。
上位に在れば下を陵がず、下位に在れば上を援かず。己を正しくして人に求めざれば、則ち怨み無し。上に在って天を怨まず、下に在って人を尤めず。
故に、君子は易きに居りて命を俟ち、小人は険に行いて幸を徼む。」
君子は自分の置かれた立場に応じて行動し、それを超えたものを望まない。富貴の身であれば富貴にふさわしく行動し、貧賤の身であれば貧賤にふさわしく行動する。夷狄の地にあればその地の環境に応じて行動し、患難の境遇にあればそれに応じて行動する。君子はどのような状況に置かれても、心の安らぎを得ることができる。
上位にあるときは下の者を圧迫せず、下位にあるときは上の者に媚びへつらわない。自らを正しくして、他人に無理な要求をしなければ、誰も恨むことはない。上位にあっても天を恨まず、下位にあっても人を責めない。
だからこそ、君子は安定した生き方をしながら天命を待ち、小人は危険な道を歩みながら幸運を求めるのである。
子曰:「射有似乎君子,失諸正鵠,反求諸其身。君子之道,辟如行遠必自邇,辟如登高必自卑。《詩》曰:『妻子好合,如鼓瑟琴;兄弟既翕,和樂且耽。宜爾室家,樂爾妻帑。』」子曰:「父母其順矣乎!」
子曰く、「射は君子に似たる有り。諸を正鵠に失えば、諸を其の身に反り求む。君子の道は、辟えば遠きに行くは必ず邇きよりし、辟えば高きに登るは必ず卑きよりす。《詩》(し)に曰う、『妻子好く合し、瑟琴を鼓つが如し。兄弟既に翕い、和楽にして且つ耽る。爾の室家に宜く、爾の妻帑を楽しむ。』」
子曰く、「父母其の順なるかな!」
孔子は言った。「弓を射ることは君子の行いに似ている。もし的を外したならば、その原因を自らに求めるべきである。君子の道もまた同じである。遠くへ行こうとするなら、まず近くから始めるべきであり、高い所へ登ろうとするなら、まず低い所から始めるべきである。
『詩経』にはこうある。『夫婦がよく調和し、まるで琴や瑟の音が響き合うようである。兄弟も心を合わせ、和やかに楽しみ、幸福に満ちている。家庭が整い、妻や子供と共に楽しく暮らすことができる。』」
そして孔子は言った。「これこそ、父母が安らかに過ごせることなのだ!」
子曰:「鬼神之為德,其盛矣乎!視之而弗見,聽之而弗聞,體物而不可遺。使天下之人齊明盛服,以承祭祀,洋洋乎如在其上,如在其左右。《詩》曰:『神之格思,不可度思!矧可射思!』夫微之顯,誠之不可掩如此夫。」
子曰く、「鬼神の徳を為すこと、其の盛んなるかな!之を視れども見えず、之を聴けども聞こえず。物に体りて遺るべからず。天下の人をして斉明し、盛服して以って祭祀を承けしむれば、洋洋として其の上に在るが如く、其の左右に在るが如し。
《詩》(し)に曰う、『神の格思ること、度るべからず思うべからず!矧んや射つべけんや!』と。夫れ微なることの顕るる、誠なることの掩うべからざること、此の如きかな!」
孔子は言った。「鬼神の持つ徳の力は、なんと盛んなことであろうか!目で見ようとしても見ることはできず、耳で聞こうとしても聞こえない。しかし、万物の中に宿り、一つとして取りこぼされることはない。
人々が清らかな心を持ち、盛装して祭祀を行うと、まるで鬼神がそこにいるかのように感じられる。それは上方にいるようでもあり、すぐそばにいるようでもある。
『詩経』にはこうある。『神が降りてくることは、測ることも、思いを巡らせることもできない。まして、それを狙い撃つことなどできようか!』と。このように、目には見えないものがはっきりと現れ、誠の心は決して覆い隠すことができないのである。」
子曰:「舜其大孝也與!德為聖人,尊為天子,富有四海之內。宗廟饗之,子孫保之。故大德必得其位,必得其祿,必得其名,必得其壽。故天之生物,必因其材而篤焉。故栽者培之,傾者覆之。《詩》曰:『嘉樂君子,憲憲令德!宜民宜人,受祿于天。保佑命之,自天申之!』故大德者必受命。」
子曰く、「舜は其の大いに孝なるかな!徳は聖人たり、尊きは天子たり、富みは四海の内に有り。宗廟に饗せられ、子孫之を保つ。
故に、大徳は必ず其の位を得、必ず其の禄を得、必ず其の名を得、必ず其の寿を得ん。故に、天の物を生ずるは、必ず其の材に因りて篤くす。
故に、栽うる者は之を培い、傾く者は之を覆す。《詩》(し)に曰う、『嘉楽なる君子、憲憲たる令徳!民に宜く、人に宜し。天より禄を受く。保佑して之に命じ、自ら天之を申ぶ。』と。
故に、大徳ある者は必ず命を受くるなり。」
孔子は言った。「舜は、なんと偉大な孝行者であったことか!彼の徳は聖人の域に達し、その尊さは天子の位にふさわしく、彼の富は天下四方を包み込むほどであった。彼は宗廟で供え物を受け、子孫はその遺産を守り続ける。
だからこそ、大いなる徳を持つ者は、必ずしかるべき地位を得、必ずしかるべき報酬を得、必ず名声を得、必ず長寿を得るのである。天が万物を生み出すとき、その資質に応じて厚く恩恵を施すものだ。
だから、しっかりと根付いたものは育まれ、傾いたものは倒される。《詩経》にはこうある。『立派な君子は、高潔で立派な徳を備えている。民にも人にもふさわしく、天より恩恵を受ける。天の加護を受け、その命はさらに天によって確かなものとされる。』
したがって、大いなる徳を持つ者は、必ず天命を受けるのである。」
子曰:「無憂者其惟文王乎!以王季為父,以武王為子,父作之,子述之。武王纘大王、王季、文王之緒,壹戎衣而有天下,身不失天下之顯名;尊為天子,富有四海之內。宗廟饗之,子孫保之。武王末受命,周公成文、武之德,追王大王、王季,上祀先公以天子之禮。斯禮也,達乎諸侯、大夫及士、庶人。父為大夫,子為士,葬以大夫,祭以士。父為士,子為大夫,葬以士,祭以大夫。期之喪,達乎大夫;三年之喪,達乎天子;父母之喪,無貴賤,一也。」
子曰く、「憂い無き者は、其れ惟文王か!王季を以って父と為し、武王を以って子と為す。父之を作り、子之を述ぶ。
武王は大王・王季・文王の緒を纘がり、一たび戎衣を壹めて天下を有し、身を以って天下の顕名を失わず。尊くして天子と為り、富みは四海の内に有り。宗廟に饗せられ、子孫之を保つ。
武王、末だ命を受けず、周公、文・武の徳を成し、大王・王季を追い王と為し、上に先公を天子の礼を以って祀る。
斯の礼は、諸侯・大夫及び士・庶人に達す。父、大夫と為れば、子士と為り、葬するに大夫を以ってし、祭るに士を以ってす。父、士と為れば、子大夫と為り、葬するに士を以ってし、祭るに大夫を以ってす。
期の喪は、大夫に達し、三年の喪は、天子に達す。父母の喪は、貴賤無く、一つなり。」
孔子は言った。「憂いのない者とは、まさに文王ではないか!彼は王季を父とし、武王を子とした。父が事を起こし、子がそれを継承した。
武王は大王・王季・文王の事業を受け継ぎ、戦装束を整えて天下を手に入れ、その名声を失うことはなかった。彼は天子として尊ばれ、その富は天下四方に及んだ。彼は宗廟で祀られ、子孫がその遺産を守り続けた。
しかし、武王はまだ正式な天命を受けていなかったため、周公が文王・武王の徳を完成させ、大王・王季を追尊して王とし、先祖を天子の礼をもって祀った。
この礼は諸侯・大夫・士・庶民にまで及んだ。父が大夫であれば、子が士となり、葬儀は大夫の礼に従い、祭祀は士の礼に従う。父が士であれば、子が大夫となり、葬儀は士の礼に従い、祭祀は大夫の礼に従う。
喪に服する期間は大夫までが対象とされ、三年の喪は天子にまで適用された。父母を失った喪に関しては、身分の貴賤を問わず、すべての人に等しく適用されたのである。」
子曰:「武王、周公,其達孝矣乎!夫孝者:善繼人之志,善述人之事者也。春、秋修其祖廟,陳其宗器,設其裳衣,薦其時食。宗廟之禮,所以序昭穆也;序爵,所以辨貴賤也;序事,所以辨賢也;旅酬下為上,所以逮賤也;燕毛,所以序齒也。踐其位,行其禮,奏其樂,敬其所尊,愛其所親,事死如事生,事亡如事存,孝之至也。郊社之禮,所以事上帝也;宗廟之禮,所以祀乎其先也。明乎郊社之禮、禘嘗之義,治國其如示諸掌乎!」
子曰く、「武王、周公、其の孝を達すること矣!夫れ孝なる者は、人の志を善く継ぎ、人の事を善く述ぶる者なり。
春秋に其の祖廟を修め、其の宗器を陳べ、其の裳衣を設け、其の時食を薦む。宗廟の礼は、昭穆を序でる所以なり。爵を序でるは、以って貴賤を辨ずる所以なり。事を序でるは、以って賢を辨ずる所以なり。
旅酬にして下を以って上と為すは、以って賤を逮ぼす所以なり。燕毛は、以って齒を序でる所以なり。其の位を踐み、其の礼を行い、其の楽を奏し、其の尊ぶ所を敬し、其の親しむ所を愛し、死を事うること生を事うるが如く、亡を事うること存を事うるが如し。孝の至るなり。
郊社の礼は、以って上帝を事うる所以なり。宗廟の礼は、以って其の先を祀る所以なり。郊社の礼・禘嘗の義を明らかにすれば、国を治むること其れ諸を掌に示すが如し!」
孔子は言った。「武王や周公は、なんと孝を極めたことであろう!孝とは、人の志をよく継ぎ、人の事業をよく引き継ぐことである。
春秋の祭礼では、祖廟を整え、宗廟の器具を並べ、祖先の衣服を飾り、季節ごとの供物を捧げる。宗廟の礼は、祖先の系譜を明らかにするためのものである。爵位の序列を定めるのは、貴賤を区別するためのものである。職務の序列を定めるのは、賢者を見分けるためのものである。
宴席では、身分の低い者が先に杯を勧めることで、身分の低い者にも礼が行き届くようにする。宴席で座る順番を年齢に従って決めるのは、世代の序列を明らかにするためである。君子は自らの地位をわきまえ、礼を実践し、音楽を奏で、尊ぶべき者を敬い、親しむべき者を愛し、亡くなった者を生きている者と同じように扱い、存在しない者をあたかも存在するかのように扱う。これこそ孝の極みである。
郊社の礼は、天帝を祀るためのものであり、宗廟の礼は、祖先を祀るためのものである。もし郊社の礼や大祭の意義を正しく理解できれば、国を治めることなど、まるで手のひらの上で物を示すほど簡単なことになるのである!」
哀公問政。子曰:「文、武之政,布在方策,其人存,則其政舉;其人亡,則其政息。人道敏政,地道敏樹。夫政也者,蒲盧也。故為政在人,取人以身,修身以道,修道以仁。仁者人也,親親為大;義者宜也,尊賢為大。親親之殺,尊賢之等,禮所生也。在下位不獲乎上,民不可得而治矣!故君子不可以不修身;思修身,不可以不事親;思事親,不可以不知人;思知人,不可以不知天。天下之達道五,所以行之者三,曰:君臣也,父子也,夫婦也,昆弟也,朋友之交也,五者天下之達道也。知仁勇三者,天下之達德也,所以行之者一也。或生而知之,或學而知之,或困而知之,及其知之,一也;或安而行之,或利而行之,或勉強而行之,及其成功,一也。」
哀公、政を問う。子曰く、「文・武の政、布いて方策に在り。其の人存すれば、則ち其の政挙がり、其の人亡ぶれば、則ち其の政息む。
人道は政に敏にし、地道は樹に敏なり。夫れ政なる者は、蒲盧なり。故に政を為すは人に在り。人を取るは身を以ってし、身を修むるは道を以ってし、道を修むるは仁を以ってす。
仁なる者は人なり。親親を大と為す。義なる者は宜なり。尊賢を大と為す。親親の殺、尊賢の等、礼の生ずる所なり。
下位に在りて上を獲ずれば、民を得て治むること不可わず。故に、君子は修身せざるべからず。身を修めんとすれば、親を事えざるべからず。親を事えんとすれば、人を知らざるべからず。人を知らんとすれば、天を知らざるべからず。
天下の達道五つあり。之を行う所以の者三つあり。曰わく、君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友の交わりなり。五つは天下の達道なり。知・仁・勇の三つは、天下の達徳なり。之を行う所以の者一つなり。
或は生まれながらにして之を知り、或は学びて之を知り、或は困しみて之を知る。其の知るに及べば、一なり。或は安んじて之を行い、或は利して之を行い、或は勉強して之を行う。其の成すに及べば、一なり。」
哀公が政治について尋ねた。孔子は答えた。
「文王や武王の政治は、すべて記録として残されている。その政治を支える人が存続していれば、政治はうまく運営されるが、その人がいなくなれば、政治も衰えてしまう。
人間の道は政治に敏感であり、大地の道は木々の成長に敏感である。政治とは、まるで葦の茂みのようなものだ。だから、政治を行うには人が重要であり、人を選ぶには自分自身を基準とするべきである。自分を修めるには道を学び、道を修めるには仁を実践しなければならない。
仁とは人間らしさのことであり、その本質は親族を大切にすることにある。義とはふさわしさのことであり、その本質は賢者を尊ぶことにある。親族関係における親しさの度合いや、賢者を尊ぶ際の序列は、礼によって定められる。
もし下位の者が上位の者の徳を受け取れないなら、民を統治することは不可能である。だからこそ、君子は自らを修めなければならない。自分を修めようとするなら、まず親を敬わなければならない。親を敬おうとするなら、人を理解しなければならない。人を理解しようとするなら、天の道を知らなければならない。
天下において普遍的な五つの道がある。それを実践するための要素は三つある。その五つとは、君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友の関係である。これら五つは、天下の基本的な道である。さらに、知・仁・勇の三つは、天下における基本的な徳であり、これを実践する方法はたった一つしかない。
ある者は生まれながらにしてそれを知り、ある者は学んでそれを知り、ある者は困難の中でそれを知る。しかし、一度知ってしまえば、その本質は同じである。また、ある者は自然と実践し、ある者は利益を求めて実践し、ある者は努力して実践する。しかし、最終的に成し遂げたときには、その結果は同じである。」
子曰:「好學近乎知,力行近乎仁,知恥近乎勇。知斯三者,則知所以修身;知所以修身,則知所以治人;知所以治人,則知所以治天下國家矣。凡為天下國家有九經,曰:修身也,尊賢也,親親也,敬大臣也,體群臣也,子庶民也,來百工也,柔遠人也,懷諸侯也。修身則道立,尊賢則不惑,親親則諸父昆弟不怨,敬大臣則不眩,體群臣則士之報禮重,子庶民則百姓勸,來百工則財用足,柔遠人則四方歸之,懷諸侯則天下畏之。齊明盛服,非禮不動,所以修身也;去讒遠色,賤貨而貴德,所以勸賢也;尊其位,重其祿,同其好惡,所以勸親親也;官盛任使,所以勸大臣也;忠信重祿,所以勸士也;時使薄斂,所以勸百姓也;日省月試,既廩稱事,所以勸百工也;送往迎來,嘉善而矜不能,所以柔遠人也;繼絕世,舉廢國,治亂持危,朝聘以時,厚往而薄來,所以懷諸侯也。凡為天下國家有九經,所以行之者一也。」
子曰く、「学を好むは知に近し。力行は仁に近し。恥じるを知るは勇に近し。斯の三者を知れば、則ち身を修むる所以を知る。身を修むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。人を治むる所以を知れば、則ち天下・国家を治むる所以を知るなり。
凡そ天下・国家を為むるに九経有り。曰わく、修身なり、尊賢なり、親親なり、敬大臣なり、体群臣なり、子庶民なり、来百工なり、柔遠人なり、懐諸侯なり。
修身すれば則ち道立ち、尊賢すれば則ち惑わず。親親すれば則ち諸父・昆弟怨み無し。大臣を敬すれば則ち眩わず。群臣を体すれば則ち士之に報いる礼重し。庶民を子とすれば則ち百姓勧む。百工を来たせば則ち財用足る。遠人を柔ぐれば則ち四方之に帰す。諸侯を懐すれば則ち天下之を畏る。
斉明し盛服し、礼に非ざれば動かざるは、身を修むる所以なり。讒を去り色を遠ざけ、貨を賤しみ徳を貴ぶは、賢を勧む所以なり。其の位を尊び、其の禄を重んじ、其の好悪を同じくするは、親親を勧む所以なり。
官を盛んにし使に任ずるは、大臣を勧む所以なり。忠信にして禄を重んずるは、士を勧む所以なり。時に使い、斂めるを薄くするは、百姓を勧む所以なり。日に省み、月に試み、既に廩を称し事を称するは、百工を勧む所以なり。
往るを送り来るを迎え、善を嘉し、不能を矜むは、遠人を柔ぐる所以なり。絶世を継ぎ、廃国を挙こし、治乱を持し危きを治め、朝して時に聘し、厚く往りて薄く来たるは、諸侯を懐す所以なり。
凡そ天下・国家を為むるに九経有り。之を行う所以の者一つなり。」
孔子は言った。「学ぶことを好むことは知恵に近づくことであり、実践することは仁に近づくことであり、恥を知ることは勇気に近づくことである。この三つを理解すれば、自らを修める方法を知ることができる。自らを修める方法を知れば、人を治める方法を知ることができる。人を治める方法を知れば、天下や国家を治める方法を知ることができる。
天下・国家を治めるための基本となる九つの原則がある。それは、①自らを修めること、②賢者を尊ぶこと、③親族を大切にすること、④大臣を敬うこと、⑤臣下を思いやること、⑥庶民を慈しむこと、⑦職人を集めること、⑧遠方の人々を懐柔すること、⑨諸侯を和らげることである。
身を修めれば道は確立し、賢者を尊べば迷いはなくなる。親族を大切にすれば、兄弟や親族の間に不和は生じない。大臣を敬えば、判断を誤ることはない。臣下を思いやれば、士の礼儀も重んじられる。庶民を慈しめば、百姓も努力する。職人を大切にすれば、財政は豊かになる。遠方の民を懐柔すれば、四方の国々も従うようになる。諸侯を和らげれば、天下から敬われる。
天下・国家を治める九つの基本があり、それを実践する方法は一つしかない。それは、誠実で一貫した行動をとることである。」
「凡事豫則立,不豫則廢。言前定則不跲,事前定則不困,行前定則不疚,道前定則不窮。在下位不獲乎上,民不可得而治矣;獲乎上有道:不信乎朋友,不獲乎上矣;信乎朋友有道:不順乎親,不信乎朋友矣;順乎親有道:反諸身不誠,不順乎親矣;誠身有道:不明乎善,不誠乎身矣。誠者,天之道也;誠之者,人之道也。誠者不勉而中,不思而得,從容中道,聖人也。誠之者,擇善而固執之者也。博學之,審問之,慎思之,明辨之,篤行之。有弗學,學之弗能,弗措也;有弗問,問之弗知,弗措也;有弗思,思之弗得,弗措也;有弗辨,辨之弗明,弗措也,有弗行,行之弗篤,弗措也。人一能之己百之,人十能之己千之。果能此道矣,雖愚必明,雖柔必強。」
「凡そ事は豫めすれば則ち立ち、豫めせざれば則ち廃る。言前に定まれば則ち跲かず。事前に定まれば則ち困しまず。行前に定まれば則ち疚しからず。道前に定まれば則ち窮せず。
下位に在りて上を獲ずれば、民を得て治むること不可わず。上を獲るに道有り。朋友に信ならざれば、上を獲ず。朋友に信なるに道有り。親に順わざれば、朋友に信ならず。親に順うに道有り。身に反りて誠ならざれば、親に順わず。
誠に身を修むるに道有り。善を明らかにせざれば、身を誠ならしめず。誠なる者は、天の道なり。誠を之する者は、人の道なり。誠なる者は、勉めずして中り、思わずして得る。従容として中道にあり、聖人なり。
誠を之する者は、善を択びて固く之を執る者なり。博く之を学び、審らかに之を問い、慎みて之を思い、明らかに之を辨え、篤く之を行う。
学ばざる有れば、之を学び、能くせざるも措かず。問わざる有れば、之を問い、知らざるも措かず。思わざる有れば、之を思い、得ざるも措かず。辨えざる有れば、之を辨え、明らかならざるも措かず。行わざる有れば、之を行い、篤からざるも措かず。
人一たび之を能くせば、己百たび之をす。人十たび之を能くせば、己千たび之をす。果たして此道を能くせば、愚と雖も必ず明らかにし、柔と雖も必ず強し。」
「すべての物事は、あらかじめ準備すれば成り立ち、準備しなければ失敗する。言葉をあらかじめ決めておけば、話の中でつまずくことはない。事前に計画を立てておけば、困難に陥ることはない。行動の方針を定めておけば、後悔することはない。道をあらかじめ決めておけば、行き詰まることはない。
下位の者が上位の者の信頼を得られなければ、民を統治することはできない。上位の者の信頼を得るには道がある。もし友人に対して誠実でなければ、上位の者の信頼を得ることはできない。友人に対して誠実であるには道がある。もし親に対して誠実でなければ、友人に対しても信頼を得ることはできない。親に対して誠実であるには道がある。もし自分自身が誠実でなければ、親に対しても誠実であることはできない。
自らを誠実にするには道がある。もし善を明らかにしなければ、自分自身を誠実にすることはできない。誠実であることは天の道であり、誠実であろうとすることは人の道である。誠実な人は努力せずとも正しい道を歩み、深く考えなくても自然に真理に到達する。落ち着いて中庸を保ち、それこそが聖人の境地である。
誠実であろうとする人は、善を選び、これを固く守る。広く学び、注意深く問うて理解し、慎重に思索し、明確に識別し、熱心に実践する。
学んでいないことがあれば、それを学び、できなくても諦めない。尋ねるべきことがあれば、尋ね、わからなくても諦めない。考えるべきことがあれば、考え、答えが出なくても諦めない。識別すべきことがあれば、それを識別し、明確にならなくても諦めない。行動すべきことがあれば、それを行い、十分でなくても諦めない。
他人が一度できることを、自分は百回行い、他人が十回できることを、自分は千回行う。もしこの道を実践するならば、たとえ愚かな者でも必ず聡明になり、たとえ弱い者でも必ず強くなるのである。」
自誠明,謂之性;自明誠,謂之教。誠則明矣,明則誠矣。唯天下至誠,為能盡其性;能盡其性,則能盡人之性;能盡人之性,則能盡物之性;能盡物之性,則可以贊天地之化育;可以贊天地之化育,則可以與天地參矣。
自ずから誠にして明らかなるを、之を性と謂う。自ずから明らかにして誠なるを、之を教と謂う。誠なれば則ち明らかなり。明らかなれば則ち誠なり。
唯天下の至誠のみ、能く其の性を尽す。其の性を尽すこと能う者は、則ち人の性を尽すこと能う。人の性を尽すこと能う者は、則ち物の性を尽すこと能う。物の性を尽すこと能う者は、則ち以って天地の化育を贊くべし。
天地の化育を贊くること以って能くせば、則ち以って天地と参わるべし。」
自ら誠実であり、明らかであることを「性」と呼ぶ。自ら明らかであり、誠実であることを「教」と呼ぶ。誠実であれば、明るく澄み渡り、明るく澄み渡れば、誠実になる。
ただ天下において最も誠実な者だけが、自らの本性を極めることができる。自らの本性を極めることができれば、人々の本性をも極めることができる。人々の本性を極めることができれば、あらゆる物の本性をも極めることができる。あらゆる物の本性を極めることができれば、天地の生成と成長を助けることができる。
天地の生成と成長を助けることができれば、ついには天地と一体となることができるのである。
其次致曲。曲能有誠,誠則形,形則著,著則明,明則動,動則變,變則化。唯天下至誠為能化。
其の次は曲を致す。曲なるも能く誠を有てば、誠なれば則ち形れ、形るれば則ち著らかとなり、著らかとなれば則ち明らかとなり、明らかとなれば則ち動き、動けば則ち変じ、変ずれば則ち化す。
唯天下の至誠のみ、能く化するなり。
次に重要なのは、部分的にでも誠を極めることである。たとえ完全でなくとも、誠を持っていれば、それは必ず形として現れる。形として現れれば、それは明白となる。明白となれば、さらに輝きを増し、輝きを増せば、周囲を動かすようになる。動きが生じれば、変化が起こり、変化が進めば、ついには本質的な変容が起こる。
このように、ただ天下で最も誠実な者だけが、万物を本質的に変化させることができるのである。
白文
至誠の道は、以って前知すること可なり。国家将に興らんとすれば、必ず禎祥有り。国家将に亡びんとすれば、必ず妖孽有り。
蓍龜に見われ、四体に動く。禍福将に至らんとすれば、善なれば必ず先に之を知り、不善なれば必ず先に之を知る。故に、至誠は神の如し。
至誠を極めれば、未来を予知することができる。国家が興隆しようとするときは、必ず吉祥の兆しが現れ、国家が滅びようとするときは、必ず不吉な現象が現れる。
その兆しは占いの蓍や亀甲に現れ、また人の身体や感覚にも表れる。幸福や災厄が訪れようとするとき、善であれば必ず前もってその兆しを知ることができ、不善であっても必ず前もって察知することができる。
だからこそ、至誠の境地に達した者は、まるで神のような存在となるのである。
誠者自成也,而道自道也。誠者物之終始,不誠無物。是故君子誠之為貴。誠者非自成己而已也,所以成物也。成己,仁也;成物,知也。性之德也,合外內之道也,故時措之宜也。故至誠無息。不息則久,久則徵,徵則悠遠,悠遠則博厚,博厚則高明。博厚,所以載物也;高明,所以覆物也;悠久,所以成物也。博厚配地,高明配天,悠久無疆。如此者,不見而章,不動而變,無為而成。
誠なる者は、自ずから成るなり。道は自ずから道なり。誠なる者は、物の終始なり。誠ならざれば、物無し。是を以って君子は誠を之と為すを貴ぶ。
誠なる者は、己を自ら成すのみならず、以って物を成すなり。己を成すは仁なり。物を成すは知なり。性の徳なり。外と内を合わすの道なり。故に、時に措くこと宜し。
故に、至誠は息むこと無し。息まざれば則ち久し。久しければ則ち徴す。徴すれば則ち悠遠なり。悠遠なれば則ち博厚なり。博厚なれば則ち高明なり。
博厚なるは、以って物を載す所以なり。高明なるは、以って物を覆う所以なり。悠久なるは、以って物を成す所以なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久は無疆なり。
此くの如き者は、見えずして章らかにし、動かずして変じ、無為にして成るなり。
誠とは、自ら成るものであり、道はそれ自体で道となる。誠は万物の始まりであり終わりである。誠がなければ、何ものも存在しない。だからこそ、君子は誠を最も大切にするのである。
誠とは、単に自分自身を完成させるものではなく、万物をも完成させる力を持つ。自らを完成させることは「仁」であり、万物を完成させることは「知」である。誠は、性の徳であり、内と外を調和させる道である。だからこそ、その実践は時宜を得たものでなければならない。
したがって、至誠は決して止まることがない。止まらなければ、それは永続し、永続すれば、必ずその徴が現れる。徴が現れれば、それはますます広がり、広がれば、より深く厚みを増し、高く明るいものとなる。
深く厚いものは、万物を支える基盤となり、高く明るいものは、万物を包み込む力となる。悠久であることは、万物を完成させる原動力となる。深く厚い誠は大地と呼応し、高く明るい誠は天と呼応し、その悠久なる力には限りがない。
このような境地に至れば、目に見えなくとも明らかであり、何も動かさなくても変化をもたらし、何の働きかけをしなくても、すべてが自然と成就するのである。
天地之道,可壹言而盡也。其為物不貳,則其生物不測。天地之道,博也厚也,高也明也,悠也久也。今夫天,斯昭昭之多,及其無窮也,日月星辰系焉,萬物覆焉。今夫地,一撮土之多,及其廣厚,載華岳而不重,振河海而不泄,萬物載焉。今夫山,一拳石之多,及其廣大,草木生之,禽獸居之,寶藏興焉。今夫水,一勺之多,及其不測,黿鼉、蛟龍、魚鱉生焉,貨財殖焉。《詩》云:「維天之命,於穆不已!」蓋曰天之所以為天也。「於乎不顯!文王之德之純!」蓋曰文王之所以為文也,純亦不已。
天地の道は、一言にして尽くすべきなり。其の物を為すに貳つならざれば、則ち其の生物は測るべからず。
天地の道は、博くして厚く、高くして明らかにし、悠にして久し。
今夫れ天は、斯の昭昭たるの多きを斯て、其の無窮なるに及ぶなり。日月星辰これに系り、万物これを覆う。
今夫れ地は、一撮の土の多きを斯て、其の広厚なるに及ぶなり。華岳を載せて重からず、河海を振わせて泄らさず、万物これに載る。
今夫れ山は、一拳の石の多きを斯て、其の広大なるに及ぶなり。草木これに生じ、禽獣これに居り、宝蔵これに興る。
今夫れ水は、一勺の多きを斯て、其の不測なるに及ぶなり。黿鼉・蛟龍・魚鱉これに生じ、貨財これに殖ゆ。
《詩》(し)に云う、「維れ天の命、於穆として已まず!」と。蓋し曰う、天の天たる所以なりと。
「於乎!顕れずや!文王の徳の純なること!」と。蓋し曰う、文王の文たる所以なりと。純なること亦已まず。
天地の道は、ただ一言で言い尽くすことができる。それは、天地は二つの原理を持たず、一つの法則によって万物を生み出し続けるため、その生成の力は計り知れないということである。
天地の道は、広大であり、厚く深く、高く明るく、悠久にして永続するものである。
今、この天を見れば、明るく輝く存在が無数にあり、それが果てしなく広がっている。そこに太陽や月、星々が宿り、万物がその下に存在する。
また、この地を見れば、一握りの土のように小さなものから始まり、それが広がり、厚みを持つようになる。華岳を支えても重さを感じず、大河や大海を包み込んでも漏れ出すことがない。そして、すべての万物を載せている。
また、この山を見れば、ほんの一握りの石のようなものから始まり、それが広がり、やがて壮大なものとなる。そこには草木が生い茂り、鳥獣が棲み、さらに貴重な鉱物が蓄えられている。
また、この水を見れば、一滴の水のようなものから始まり、それが広がり、深遠なものとなる。その中には巨大な水棲生物や魚たちが生息し、そこから富や資源が生み出される。
『詩経』にはこうある。「天の命は、広大であり永遠に続く!」と。これは、天が天たる所以を述べたものである。
また、『詩経』にはこうもある。「ああ、なんと偉大なことか!文王の徳は純粋である!」と。これは、文王が文王たる所以を述べたものであり、その純粋さは尽きることがないのである。
大哉,聖人之道!洋洋乎發育萬物,峻極于天。優優大哉!禮儀三百,威儀三千,待其人然後行。故曰:苟不至德,至道不凝焉。故君子尊德性而道問學,致廣大而盡精微,極高明而中庸。溫故而知新,敦厚以崇禮。是故居上不驕,為下不倍;國有道,其言足以興,國無道,其默足以容。《詩》曰:「既明且哲,以保其身。」其此之謂與!
大いなる哉、聖人の道!洋洋として万物を発育し、峻極して天に極まる。
優優として大いなる哉!礼儀三百、威儀三千、其の人を待ちて然る後に行わる。故に曰う、「苟くも至徳ならずんば、至道凝せず」と。
故に君子は徳性を尊び、道を問うに学び、広大を致して精微を尽し、高明を極めて中庸にす。
故きを温ねて新しきを知り、敦厚にして礼を崇ぶ。是を故に、上に居りて驕らず、下を為して倍かず。国に道有れば、其の言足りて興し、国に道無ければ、其の黙足りて容る。
《詩》(し)に曰う、「既に明らかにして且つ哲し、以って其の身を保つ」と。其れ此を謂うか!」
なんと偉大であることか、聖人の道とは!その広がりは果てしなく、万物を育み、その高みにおいては天に達するほどである。
その奥深さと大きさは計り知れない。礼儀には三百の規則があり、威儀には三千の形式がある。しかし、それを実践するには、それにふさわしい人物が現れて初めて可能となる。だからこそ、「もし至高の徳がなければ、至高の道は確立しない」と言われるのだ。
ゆえに、君子は徳性を尊び、道を学びながら問い続け、広大な視野を持ちつつも細部にまで精妙に配慮し、高く明るい知識を極めながらも、中庸を守る。
古きを学び、新しきを知り、厚情をもって礼を尊ぶ。だからこそ、君子は上位の立場にあっても驕らず、下位の立場にあっても道に背かない。国に道があるときは、その言葉が国を興し、国に道がないときは、その沈黙が物事を円滑にする。
『詩経』にはこうある。「明晰であり、かつ賢明である者こそ、自らの身を守ることができる。」まさに、このことを言っているのではないか!
子曰:「愚而好自用,賤而好自專,生乎今之世,反古之道。如此者,災及其身者也。」非天子,不議禮,不制度,不考文。今天下車同軌,書同文,行同倫。雖有其位,苟無其德,不敢作禮樂焉;雖有其德,苟無其位,亦不敢作禮樂焉。
子曰く、「愚にして自用を好み、賤にして自専を好み、今の世に生じて、古の道に反く。此くの如き者は、災其の身に及ぶ者なり。」
天子に非ざれば、礼を議せず、制を度らず、文を考えず。今天下、車は軌を同じくし、書は文を同じくし、行は倫を同じくす。
其の位有ると雖も、苟しくも其の徳無くんば、敢えて礼楽を作さず。其の徳有ると雖も、苟しくも其の位無くんば、亦敢えて礼楽を作さず。
孔子は言った。「愚かでありながら自己流を好み、身分が低いのに独断専行を好む。今の世に生まれながら、古の道に背く。このような者には、必ず災いが自らに降りかかることになる。」
天子でなければ、礼を議論することも、制度を制定することも、古典を考証することもしてはならない。今や天下においては、車の軌道は統一され、文字も統一され、人々の行動も共通の倫理に基づいている。
たとえ高い地位を得たとしても、その人に徳がなければ、決して礼楽を創始することは許されない。また、たとえ徳があったとしても、その人に地位がなければ、やはり礼楽を創始することは許されないのである。
子曰:「吾說夏禮,杞不足徵也。吾學殷禮,有宋存焉;吾學周禮,今用之,吾從周。」王天下有三重焉,其寡過矣乎!上焉者雖善無徵,無徵不信,不信民弗從;下焉者雖善不尊,不尊不信,不信民弗從。故君子之道本諸身,徵諸庶民,考諸三王而不繆,建諸天地而不悖,質諸鬼神而無疑,百世以俟聖人而不惑。質諸鬼神而無疑,知天也;百世以俟聖人而不惑,知人也。是故君子動而世為天下道,行而世為天下法,言而世為天下則。遠之則有望,近之則不厭。《詩》曰:「在彼無惡,在此無射;庶幾夙夜,以永終譽!」君子未有不如此而蚤有譽於天下者也。
子曰く、「吾夏の礼を説くも、杞には徵するに足らず。吾殷の礼を学ぶも、宋に存す。吾周の礼を学び、今之を用うる。吾周に従う。」
王たる者、天下を治むるに三重有り。其の過ち寡なきか。上に在る者は、善と雖も徵すること無ければ、徵すること無ければ信ならず。信ならざれば、民之に従わず。
下に在る者は、善と雖も尊ばれず。尊ばれざれば信ならず。信ならざれば、民之に従わず。
故に、君子の道は、身に本づき、庶民に徵し、三王に考して繆らず、天地に建てて悖らず、鬼神に質して疑わず。百世に聖人を以って俟ちて惑わず。
鬼神に質して疑わざるは、天を知るなり。百世に聖人を以って俟ちて惑わざるは、人を知るなり。
是れ故に、君子は動けば世を為に天下の道とし、行えば世を為に天下の法とし、言えば世を為に天下の則とす。遠きに之を望めば、望むこと有り。近きに之を見れば、厭くこと無し。
《詩》(し)に曰う、「彼の無きに在りて悪しからず、此の無きに在りて射せず。庶幾わくは夙夜にして、以って永く終えんことを譽むべし。」と。
君子は未だ此くの如くならずして、蚤く天下に譽れ有る者無し。」
孔子は言った。「私は夏王朝の礼について説くことができるが、杞国にはその実証が足りない。私は殷王朝の礼を学んだが、それは宋国に伝わっている。私は周王朝の礼を学び、今でもそれが実践されている。だから、私は周の礼に従う。」
王が天下を治める方法には三つの重要な要素があり、それらを満たせば、過ちを少なくできる。
上位にいる者は、たとえ善であっても、それを証明するものがなければ信頼を得られない。信頼を得られなければ、民は従わない。
下位にいる者は、たとえ善であっても、尊ばれなければ信頼を得られない。信頼を得られなければ、民は従わない。
だからこそ、君子の道は、自らの身に根ざし、庶民の実生活によって証明され、歴代の王の治世に照らして誤りがなく、天地の理に適って矛盾せず、鬼神の意志に問いかけても疑念を持たれないものである。そして、百世の後に聖人が現れたときにも、その道が正しいと認められるものでなければならない。
鬼神に問いかけても疑うことがないというのは、天の理を理解していることを意味する。百世後の聖人が見ても迷うことがないというのは、人の道を極めていることを意味する。
だからこそ、君子の行動は世の中の道となり、その振る舞いは天下の法となり、その言葉は天下の基準となる。遠くから見れば、その存在に希望を抱くことができ、近くで接すれば、その徳に飽きることがない。
『詩経』にはこうある。「あの地には悪しきことがなく、この地には不正な行いもない。日々誠実に努め、長く誉れを保て。」と。
君子というものは、このような行いをせずして、早くから天下の称賛を受けることは決してないのである。
仲尼祖述堯、舜,憲章文、武;上律天時,下襲水土。辟如天地之無不持載,無不覆幬,辟如四時之錯行,如日月之代明。萬物并育而不相害,道并行而不相悖,小德川流,大德敦化,此天地之所以為大也。
仲尼は堯・舜を祖述し、文・武を憲章す。上には天時に律い、下には水土を襲く。
辟えば天地の無くして持載せざる無く、覆幬せざる無きが如し。辟えば四時の錯行し、日月の代明するが如し。
万物并び育ちて相害わず、道并び行われて相悖らず。小徳は川流の如く、大徳は敦化の如し。此れ天地の大たる所以なり。
孔子は、堯・舜の道を受け継ぎ、文王・武王の制度を手本とした。上は天の時に従い、下は水と土地の性質を踏襲した。
それはまるで、天地がすべてのものを支え、何ひとつ漏らさず包み込むようなものである。また、四季が交互に巡り、日と月が交代しながら輝きを放つようなものである。
万物はともに育ちつつも互いを害することなく、道はともに行われつつも互いに矛盾しない。小さな徳は川の流れのように絶え間なく続き、大いなる徳は人々の心を自然と感化する。このことこそが、天地が偉大である理由なのである。
唯天下至聖,為能聰明睿知,足以有臨也;寬裕溫柔,足以有容也;發強剛毅,足以有執也;齊莊中正,足以有敬也;文理密察,足以有別也。溥博淵泉,而時出之。溥博如天,淵泉如淵。見而民莫不敬,言而民莫不信,行而民莫不說。是以聲名洋溢乎中國,施及蠻貊;舟車所至,人力所通,天之所覆,地之所載,日月所照,霜露所隊;凡有血氣者,莫不尊親,故曰配天。
唯天下の至聖のみ、能く聡明睿知にして、以って臨むに足るなり。寛裕温柔にして、以って容るるに足るなり。発強剛毅にして、以って執るに足るなり。斉莊中正にして、以って敬するに足るなり。文理密察にして、以って別つに足るなり。
溥博淵泉にして、時に之を出だす。溥博なること天の如く、淵泉なること淵の如し。見るときは民敬せざること無く、言うときは民信ぜざること無く、行うときは民悦ばざること無し。
是を以って声名洋溢して中国に満ち、施し及ぶこと蠻貊に至る。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆う所、地の載せる所、日月の照る所、霜露の隊つる所、凡そ血気有る者、尊び親しまずということ無し。
故に曰う、「天に配す」と。
ただ天下で最も聖なる者だけが、聡明で知恵に満ち、広く物事を見渡すことができる。寛大で包容力があり、温和で柔和であることで、多くの人々を受け入れることができる。意志が強く、剛毅であることで、自らの信念を貫くことができる。端正で中正を守ることで、人々に敬意を持たせることができる。学問と理に通じ、細部まで綿密に観察することで、物事を明確に区別することができる。
その徳は広く深く、湧き出る泉のように必要に応じて表れる。その広さは天のように無限であり、その深さは淵のように計り知れない。彼の姿を見れば、人々は自然と敬意を抱き、彼の言葉を聞けば、人々は疑うことなく信じ、彼の行いを見れば、人々は喜んで従う。
そのため、彼の名声は中国全土に広まり、その恩恵は遠く異民族にまで及ぶ。舟や車が届くところ、人の力が通じるところ、天が覆い、地が支えるところ、日月が照らし、霜露が降りるところ――すべての生命ある者が彼を尊敬し、親しみを持つのである。
だからこそ、彼は「天と並び立つ」と称されるのである。
《詩》曰:「衣錦尚絅」,惡其文之著也。故君子之道,闇然而日章;小人之道,的然而日亡。君子之道:淡而不厭,簡而文,溫而理,知遠之近,知風之自,知微之顯,可與入德矣。 打開字典 顯示相似段落 《詩》云:「潛雖伏矣,亦孔之昭!」故君子內省不疚,無惡於志。君子所不可及者,其唯人之所不見乎! 打開字典 顯示相似段落 《詩》云:「相在爾室,尚不愧于屋漏。」故君子不動而敬,不言而信。 打開字典 顯示相似段落 《詩》曰:「奏假無言,時靡有爭。」是故君子不賞而民勸,不怒而民威於鈇鉞。 打開字典 顯示相似段落 《詩》曰:「不顯惟德!百辟其刑之。」是故君子篤恭而天下平。 打開字典 顯示相似段落 《詩》曰:「予懷明德,不大聲以色。」子曰:「聲色之於以化民,末也。」《詩》曰:「德輶如毛」,毛猶有倫;「上天之載,無聲無臭」,至矣!
唯天下の至誠のみ、能く天下の大経を経綸し、天下の大本を立て、天地の化育を知る。
夫れ焉んぞ倚る所有らん?肫肫たる其の仁!淵淵たる其の淵!浩浩たる其の天!苟しくも聡明聖知を固くし天徳に達せざる者は、其か能く之を知らん?」
《詩》(し)に曰う、「錦を衣て尚絅を尚ぶ」と。其の文の著わるるを悪むなり。故に君子の道は、闇然たりて日に章らかとなり、小人の道は、的然たりて日に亡ぶ。
君子の道は、淡にして厭かず、簡にして文あり、温にして理あり、遠きを知ること近きよりし、風を知ること自らし、微を知ること顕らかよりす。之を以って徳に入るに与かるべし。
《詩》(し)に云う、「潜めると雖も伏すとも、亦孔だ昭らかなり!」と。故に君子は内省して疚しからず、志に悪しきこと無し。
君子の不可能くすべき所は、其れ唯人の見ざる所のみにあらんか!
《詩》(し)に云う、「相爾の室に在りて、尚屋漏に愧じず」と。故に君子は動かずして敬し、言わずして信なり。
《詩》(し)に曰う、「奏すとも言無し、時に靡くして争うこと無し」と。是れ故に君子は賞せずして民勸み、怒らずして民鈇鉞を畏る。
《詩》(し)に曰う、「不顕らかならざるは唯徳なり!百辟其れ之を刑どる」と。是れ故に君子は篤く恭して天下平かなり。
《詩》(し)に曰う、「予明徳を懐い、大いに声を以って色とせず」と。子曰わく、「声色を以って民を化するは、末なり」と。《詩》(し)に曰う、「徳猶毛の如く輕し」と。毛すら猶倫有り。「上天の載るところ、声無く臭無し」。至れるかな!」
ただ天下で最も誠実な者だけが、天下の根本となる法則を整え、大本を確立し、天地の生成と発展の理を知ることができる。
では、彼は何を頼りにするのか? その仁愛は深く厚く、 その知恵は深淵のごとく、 その広大さは天のごとし。もし、天賦の聡明さと知恵を備え、天徳に至ることができないならば、誰がこの理を理解することができるだろうか?
『詩経』にはこうある。「錦の衣をまとっても、さらに薄衣を重ねよ。」これは、華美に見せかけることを嫌う意味である。だからこそ、君子の道は、表には目立たないが日に日に輝きを増し、小人の道は、目立つが日に日に衰えていく。
君子の道は、淡々としていても飽きられることなく、簡素でありながらも品格があり、温和でありながらも理に適っている。遠い未来を知るには近い事象を観察し、風が吹く方向を知るにはその起源を見極め、微細なものを理解するには明確なものから学ぶ。このような心得があれば、道徳を修めることができる。
『詩経』にはこうある。「隠れていても、明るく輝く!」君子は内省してもやましいことがなく、その志に邪悪なものがない。
君子が他人と違うのは、人が見ていないところでこそ真価を発揮する点にある。
『詩経』にはこうある。「部屋にいても、暗闇の隅でも恥じることがない。」君子は、何もしていなくても自然と敬われ、言葉を発しなくても信頼されるのである。
『詩経』にはこうある。「争いごとはなく、静かに調和している。」だからこそ、君子は褒美を与えなくても民を励まし、怒らなくても民は恐れ慎む。
『詩経』にはこうある。「目立つものではなく、徳こそが尊い。だからこそ、多くの人がそれを手本とする。」だからこそ、君子は誠実と敬意をもって行動し、それによって天下は平穏になる。
『詩経』にはこうある。「私は明徳を大切にし、声を荒げることなく、派手な表情をつくらない。」孔子は言った。「声や表情によって人を導こうとするのは、末端のやり方である。」
『詩経』にはこうある。「徳は羽毛のように軽やかだが、羽毛ですら秩序がある。」天が支えるものには、音もなく匂いもない。それこそが至高の境地である。